「次の発表は、リヒト・クリスタロス、ローズ・クロサイト、アカリ・ナナセの三人です。三人とも、入場してください!」

 司会が進行を促すも、先頭に立つリヒトは一歩を踏み出せずにいた。

「リヒト様。後ろがつかえているので、さっさと前に進んで下さい」

 ローズは後ろからリヒトを急かしたが、リヒトは下を向いたまま動けずにいた。ローズは見かねて、リヒトの前に足を踏み出した。
 
「仕方ないですね。私が先に出ます。リヒト様は私の後に続いて下さい」
「……わかった」

 リヒトは僅かな沈黙の後に頷いた。
 そんな彼を見て、ローズは嘆息の後に小さな声で囁いた。

「大丈夫。そう心配なさらないでください。リヒト様の魔法は、十分信用に値するものです。貴方の努力は決して無駄ではないと、私が証明します」

 ローズの言葉を聞いて、リヒトは顔を上げて目を瞬かせた。
 下を向いていたリヒトには、その時ローズがどんな表情をしていたかを知ることは出来なかった。

「さあ、二人とも。行きますよ」

 ローズはリヒトとアカリ、二人を鼓舞するかのように言うと、光の中へと足を踏み入れた。



「きゃああああ!!! ローズ様!!!!」
「剣神様!!」

 ローズの登場に、大きな歓声が上がる。
 ローズは「観客たち」に向かって微笑むと、少しだけ手を上げて降ろす。
 その動きにあわせ、会場が静寂に包まれる。ローズは、完全に場を掌握していた。

「ありがとうございます。私たちの発表ですが――私達は、劇を披露したいと思います。この劇は、絵本の『優しい王様』を元に作ったお話です。試験ではありますが、皆さんにも楽しんでもらえると嬉しいです」

 ローズは指を鳴らした。
 その瞬間、一瞬で会場は闇に包まれた。
 大掛かりな魔法の、あまりの発動の速さに人々がザワつく中、舞台の上にぱっと光が灯った。
 進行役を務めるのは、幼等部の生徒であるフィズだった。

「『心優しいお姫様』」

 まだ幼いフィズの声の声が、魔法道具により拡散されて会場に響き渡る。

「『昔々あるところに、心優しいお姫様がおりました。お姫様は、この世界で誰よりも優しい心の持ち主で、あらゆる属性の魔法を使え、世界で一番強い魔力を持っていました。慈愛の心に溢れた彼女の周りにはいつも笑い声が満ち溢れ、まるで世界が彼女を愛しているかのように、彼女が触れれば花は微笑み、鳥は美しい声で歌いました』」

 フィズが手にする魔法道具は、従来のものよりかなり小型だ。
 暗闇の中に光が灯され、闇魔法で作られた天井に影絵が浮かぶ。 
 同時に、録音された様々な年齢の人間の声が響く。

【姫様。ああ、心優しい姫様。私の国の姫様が、あの方で良かった】
【さあ。みんなで、今日も姫様の健康をお祈りしましょう】
【姫様のおかげで民は皆、笑顔で暮らせております】

「いいえ。それは違います」

 『心優しいお姫様』として、舞台に登場したのはアカリだった。
 白いドレスに身を包むアカリは、天使のように愛らしかった。

「私がどんなに心を砕いても、私の力だけでは、全ての人を幸せにすることは出来ません。今日配ったパンで、今日明日はしのげても、その後は? 彼らはまた飢えるのでしょうか。彼らは痩せ細っていました。私の服に泥がつくからと、私には決して触れようとはしなかった。私は人に頭を垂れてもらうために、姫として生きているわけではありません。私は私の民が、今より幸せで、豊かな生活を送れるようにするために、この場所に居るのです」

 アカリは悲しげな顔をした。

「この国の人の多くは、魔法を使うことが出来ません。それが人々に、大きな差をうんでしまっている。魔法は王侯貴族のみが専有し、力を誇示するための――でも私は、決して魔法はそのように、特別なものである必要はないと思うのです。だから私は、全ての人が魔法を仕えるように、そんな魔法を、私は作りましょう」

 そう言うと、アカリは祈るように手を合わせた。

「全ての人に、どうか幸福がありますように。――四枚の葉を、人に送ることを『幸福』であると誰もが思えるようなそんな世界を、人が人を思うそんな世界を、私はずっと願っています。だからこの国のあらゆる人に、私は幸運の葉を贈りましょう」

 アカリは、手を空へと掲げると手を開いた。
 すると彼女の手の中から、四枚の葉を咥えた白い鳥が空へと舞い上がる。
 同時に彼女の後ろからも、観客のほうへと沢山の白い鳥が飛び立っていく。
 その様子は、闇魔法の夜の帳に、映像として映し出される。

「これは、紙の鳥……!?」

 観客たちは、驚きを隠せなかった。
 何故なら声の録音も、映像の投影も、紙の鳥も――劇で用いられる舞台装置の何もかもが、古代魔法としては知られていても復元の報告はされておらず、「現代の魔法」には存在しないとされるものだったからだ。

「『心優しいお姫様。素晴らしい魔法の使い手でもあったお姫様は、自分の魔法を国民にも分け与えました。このおかげで、国民の生活は豊かなものになりました』」

 フィズの声の後に、また影絵が映し出される。

【さすが姫様だ】
【姫様は本当にお優しい】
【こんな優しい姫様をいただく私たちは、この世界で最も幸せな人間だ】

 笑い声、歓声が響く。
 しかしアカリに当てられていた照明が消えると、影たちはコソコソと話を始めた。

【しかし、姫様の婚約者はまだ決まらないなあ……】
【仕方ないさ。姫と釣り合いの取れるだけの力を持つ人間は、世界ひろしといえどなかなか居ないんだろう】
【姫様の魔力は世界で一番強いと評判だからなあ】
【王侯貴族の結婚は、魔力が同等のもので行うのが慣例だろう】
【誰よりも民を思うあの方が、御子が弱くなるかもしれないような婚姻を、なさるはずがない】

 影絵たちは、そうだそうだと楽しげに頷く。
 強い魔力を持つ両親の子は、自ずと子も強い魔力を持つ場合が多い。

【姫様は誰よりも我々を、この国のことを思っていらっしゃる】

 笑い声は徐々に小さくなり――真っ暗になった舞台の中で、フィズは静かに、本の続きを読み上げた。

「『けれどお姫様には、たった一つだけ欠点がありました。誰からも愛されるお姫様は、沢山の人を愛していましたが、誰か一人を愛することを知りませんでした。お姫様は平等に、全ての人を愛していたのです。そんなある日のことでした。お姫様は――運命の出会いをしてしまったのです』」

 場面が移り変わる。
 今度の影絵は、森をイメージしたよう木々だった。
 アカリがその場で歩くような動作をすると、背景である影絵が動くという仕組みだ。
 楽しそうに森を散策していたアカリだったが、突如として巨大な怪物が森の中から現れる。
 怪物の爪がアカリに届きそうになった、まさにその時だった。

「危ない!」

 突然舞台に現れたローズは、アカリを抱きかかえたまま軽やかに敵の攻撃をよけると、そのまま魔法を纏わせた剣で敵を一刀両断した。

「大丈夫ですか? 姫様」
 ローズは、アカリに向かって柔らかな笑みを浮かべた。

「は、はい……」
 アカリは頬を赤く染めこたえた。

「そうですか。……貴方が、ご無事で良かった」
 その瞬間、舞台は歓声と悲鳴に包まれた。

「きゃああああっ!」
「ローズ様!!!」
「かっこいい! でもやだ。私が代わりたいずるい」

 ローズへの好意と、アカリへの嫉妬が渦巻く。
 その様子を、少年たちはどこか遠い目で見ていた。
 
 観客たちの反応はよそに、相変わらず冷静なローズは静かにアカリを地面に下ろすと、首を傾げて尋ねた。

「どうしてこんなところへ? 姫様は、森にお一人でいらしたのですか?」
「共の者は居りましたが、一人で森を探索してみたくて……」

 ばつが悪そうにローズから目をそらして、『撒きました』とアカリは呟く。
 ローズは、アカリの返事にに目を丸くした後に、くすりと笑った。

「……姫様は、どうやら遊び心に溢れた方のようですね」
 
 普段のローズなら、叱りはしても笑うことなどめったにない場面。
 だからこそ――アカリは、胸が締め付けられるのを感じた。
 台本を書いたのはアカリ自身だ。
 この舞台において――アカリは、自分が自然な演技ができるよう工夫していた。
 「台本通り」に演じることを得意とするローズとは違い、人前に出ることがあまり得意でない自分が、自然な演技をするための『設定』。

 自分の命を救ってくれた騎士に、一瞬で心を奪われた姫の役。
 上手く演技が出来なくても、同じ感情が自分の中にあるのなら、舞台は成立する。

【姫様。姫様! どちらにいらっしゃるのですか】
【姫様、姫様!】

 二人がそんなやりとりをしていると、今度はアカリを探す影絵が映し出された。

「ここだ! 姫はここにいる!」
 ローズは、凜々しい声で叫んだ。するとその声を聞きつけて、影たちはアカリの姿を見つけると、ローズに礼を言った。

「おつきの方がいらっしゃるなら、もう大丈夫ですね。私はここで失礼します。姫様、どうか御身を大事になさってください。くれぐれももう、お一人で森に迷い込むなどなさらぬよう」

 ローズはそう言うと、名も明かさずその場を後にした。
 残されたアカリは、頬を染めて呟く。

「あの方はどなたでしょう……? どうして私、こんなにも胸が苦しいのかしら……」

 アカリは、胸に手を当てて影絵の臣下に尋ねた。

「今の方は誰? 彼の名前は何というの?」

【彼は、薔薇の騎士と呼ばれています】
 影絵の臣下がこたえる。

「薔薇の騎士、様……」

 アカリは、その名を口にして頬を染めた。
 それはまるでどこにでもいるような、初めて恋に落ちた少女のように。

 それから姫《アカリ》は、騎士《ローズ》との逢瀬を重ねた。
 たわいない日々。どこにでもあるような日常を、時間を、共に過ごす。
 それだけで、幸せそうに笑うアカリの姿は、純粋で無垢な少女そのもので――そんなアカリの姿に、少年たちからは「可愛い」との声が上がる。

 しかし残酷にも、幸せな日々は続かなかった。
 まるでお姫様の門出を祝福するかのように、ラッパの音は高らかに響いた。

「『もとよりお姫様をお妃に妻にという声は、世界中からありました。そしてついに、お姫様の結婚相手が決まりました。相手はこの世界で一番の大きな国の王子様でした。王子様は美しく優秀で誠実な人柄で、彼は一生お姫様だけを愛することを誓いました』」

 フィズは静かに物語を進める。
 馬に乗った王子の影絵が映し出され、アカリは影のほうを振り返った。

【心優しいお姫様。私は貴方をこの世界の誰よりも、幸せにすることを誓います】

 王子はアカリのために跪くと、その手の甲に口づけを落とした。
 王子の愛の誓いのあと、今度は影絵の国民たちの祝福の声が響いた。

【これでこの国は安泰だ!】
【姫様万歳! 王国に反映あれ!】

「ありがとう。愛しき民たちよ」

 影絵の民たちに、アカリは笑みを浮かべた。
 先ほどまでアカリに嫉妬していた少女たちは、姫として結婚することが決まったアカリを見て唇を噛んだ。

 この世界で、結婚には重い意味がある。
 結婚とは、家と家とを結ぶための契約だ。
 特にこの考えは王侯貴族の場合で顕著であり、初夜には親族が聞き耳を立てていたという記述までアカリは見かけた。
 
 親に決められた結婚。
 その中で、想う相手と結ばれないことは仕方のないことだ。
 だからこそ――貴族の中には妻や夫を持ちながら、別の相手と繋がりを持つ者も居る。
 だが劇の中の「優しいお姫様」が、自分を心から愛してくれる王子の愛を受け入れながら騎士と関係を持つことは、誰もが想像することは出来なかった。

 国民を想う姫として、恋《おもい》を封印した姫。
 物語が祈りや願いから生まれるなら、その物語はあまりに、「悲劇」そのものだった。
 観客たちの顔色が曇る中、フィズは物語を読み上げる。

「『それは彼女にとって、最善の選択でした。お姫様への称賛という祝福は、やがて彼女を縛る、呪いへと形を変えてしまっていたのです。心優しいお姫様――誰よりも強く優しい彼女は、自分の意志や願いを叶えることを願うことはできませんでした。窓の向こう側に飛ぶ鳥のように、自由に生きるということは――初めて愛した人に思いを告げることでさえ、彼女には叶わぬことでした。心優しいお姫様。誰よりも優しいお姫様。その言葉通りに生きることだけが、彼女にとって許されたことだったのです。王子様との結婚式が近づく中、やっと一人になれたお姫様は、寝台の上でとある一人の青年を思っていました』」

「……『薔薇の騎士』様」
 寝台に横になり、赤い薔薇を手にアカリはどこか悲しげに目を細めた。

「この思いは、抱いてはならないこと。この願いは、一生叶わなくていい。それでも、どうか貴方を思うことをお許しください。この身がいつか、誰かのものになっても。たとえ貴方が、他の誰かと結ばれても。この心は、貴方を思う」

 アカリはそう言うと、静かに薔薇に口付けた。

「愛しています。――私の、薔薇の騎士」

 アカリは目を瞑り――舞台からは光が消える。
 そして朝の声が聞こえる鳥の声が聞こえたかと思うと、眠る姫を起こす女性の頃が聞こえた。

【姫様、姫様。朝でございます。まだおやすみなのですか?】

 しかし何度呼んでも、アカリが目を覚ますことなかった。
 影絵の女性はアカリの方へと近づくと、悲鳴を上げてから叫んだ。

【誰か来て! 姫様、姫様が!】

 舞台から再び光が消え――それから再び、語り手であるフィズに照明が向けられる。

「『心優しいお姫様は、全ての人に優しいお姫様であろうとして――一人ですべてを抱えて亡くなってしまいました。お姫様が亡くなったのは、彼女が自分の魔法を、国民に分け与えすぎたことが原因でした。姫の死は、多くの者が悲しみました。彼女の死は、姫の思いを知っていた妹姫によって、最初に騎士に伝えられました』」

「姫様! 姫様!」

 花の敷き詰められた棺の中で、目を瞑ったままのアカリの手を握り、ローズは何度もそう叫んだ。

「どうして! どうしてこんなことに……!」

【お姉様はずっと、貴方を愛しておられました。でもお姉様は、この世界で誰よりも心優しいお姫様としか、生きることが出来なかったのです】

 ティアラにドレス。
 妹姫の影絵の声はリーナだった。
 その声に、フィズはほんの少し動揺してから、続きを読み上げた。

「『騎士はお姫様と初めて出会ったその日から――彼女に思いを寄せていたのでした。しかし彼は、一介の騎士。彼女に相応しい立場も、魔法も、彼は備えていませんでした。だから彼は、自分がお姫様に思いを寄せられていたなんて、これまで考えたこともありませんでした。お姫様が亡くなり真実を知ったとき、騎士は自分のふがいなさを悔いました。無力さを呪いました。もし自分が、彼女に相応しい力をもっていたなら、たとえ世界の誰に非難されても、彼女を城からさらっていれば良かったのだと思いました。しかし、騎士は分かっていました。姫は姫であることが、苦しかったのではなかったのではないのです。姫に必要だったのは、彼女を、彼女の心を、一人にしないことだったのだと騎士は思いました』」

 フィズの台詞の後、ローズは唇を噛むと、拳をぎゅっと握って、それから眠るアカリを見つめて決意の言葉を口にした。

「強くなります。今度出会ったときは、貴方を守れるように。貴方に相応しい私になれるように。何度生まれかわっても、私は――……私は、貴方を。貴方だけを。ずっと、ずっと……っ」

 ローズの頬を涙が伝う。その雫は、アカリの頬に落ちて肌を滑る。

「『騎士は願いました。今度もし、自分が生まれ変わるなら。もっと、もっと強くなりたい。優しいお姫様が、たった一人で全てを背負わなくていいように。彼女を守れる王子様になれるように。それから――長い長い時が過ぎました。世界は、恐ろしい魔王の出現により、滅びの一途を辿っていました。魔王が現れた国では沢山の人が死に、誰もが魔王を倒すのとを諦めていた中、一人の少年がお城にやってきて言いました』」

 場面が移り変わる。
 今度のローズの衣装は、騎士というより平民のそれだった。
 服は少し薄汚れていたものの、どんな服を着ていても、ローズから気高さのようなものを観客たちは感じた。

「王よ。どうか私が魔王を倒した暁には、姫を私にいただきたい」

 王冠を被り、玉座に座る王の影絵に、ローズは跪いてから願った。
 魔王を倒し、姫を娶る。
 それはローズの祖父である『剣聖』グラン・レイバルトが、実際に行ったことだ。
 彼の孫娘であるローズに、その役は適任だった。

【いいだろう。その時は、そなたの願いを叶えよう】

 王は騎士の願いを聞き入れた。
 その後ローズが、悪いドラゴンをはじめとした悪い影の怪物たちを倒す話が語られた。
 観客たちは、その中でローズが扱った魔法に目を見張った。

 何故なら光の階段をはじめとする彼女が使った魔法の一つ一つが、古代魔法と呼ばれるものや、すでに知られる魔法も、その威力が自分たちのものと段違いだったためだ。

 しかも、強い魔法を使いながらも、会場や観客には影響が出ないよう、ローズは配慮までしてみせた。
 魔王を倒した『剣神』――ローズ・クロサイトは自分の実力を惜しげもなく披露して、『優れた勇者』を演じきった。

「『強い力を持った青年。王様は彼の噂こそ知っていましたが、まさか平民である彼が、魔王を倒すだけの魔法が使えるとはとても思っていませんでした。だから青年が魔王を倒したと聞いたとき、王様はとても驚きました。青年が城に戻ったとき、約束通り王様が姫との結婚を認めると、彼は王様が与えたどんな褒賞よりも、そのことを喜びました。魔王を倒した青年は勇者と呼ばれ、王様はお姫様に、魔王を倒した勇者と結婚するように命じました。お姫様は、魔王を倒した勇者とは、どんな方だろうと思い悩みました。恐ろしい方だったらどうしよう。怖い方だったらどうしよう。けれど勇者を初めて見たお姫様は、それがすべて杞憂出会ったことを知りました。なぜならお姫様は、勇者に一目で心を奪われてしまったからです』」

「はじめまして。姫様。私が、魔王を倒した勇者です」

 ローズはそう言うと、アカリに一輪の赤い薔薇を差し出して笑った。
 アカリはその花を受け取ると、花に優しく口付けて、それからポロポロと涙を落とした。

「不思議です。どうしてでしょう。貴方のことは遠い昔から、私は知っていたような気がするのです。私はずっと、貴方に会うために、この世界に生まれたような気さえするのです」

 アカリの言葉にローズはにこりと笑うと、膝を折ってその手の甲に口付けた。

「私もずっと、貴方を探していました。千年もの間、何度生まれ変わっても――私は、貴方だけを愛していました」

 ローズがそう告げた瞬間、アカリとローズが纏う服が、『勇者と姫』から、『騎士と優しい姫』の服へと変わった。
 アカリは、騎士の格好をしたローズの頬へと手を伸ばすと、一筋の涙を流して言った。

「愛しています。私の――薔薇の騎士様」

 愛の言葉を告げる。
 ローズはアカリの涙を拭って微笑むと、彼女を抱き上げてから抱きしめた。
 それは二人が、騎士と姫が再び出会い、時を超えて結ばれた瞬間だった。

 王侯貴族の恋愛結婚は主流ではないが、女性に人気の恋愛小説では、身分差を描いたものも多い。
 運命で結ばれた二人の恋の結末に、観客たちはどこか満足げな面持ちで見つめていた。
 それから、二人の結婚式が開かれた。
 影絵たちが、姫と勇者を祝福する声が響く。そして会場には雪のように、紙の鳥が運ぶ花が降った。
 それは幻想的で、とても美しい光景だった。

「『二人の結婚式には、世界中から沢山の人が訪れました。世界を救った勇者と、心優しいお姫様は幸せに幸せに暮らしました。めでたしめでたし』」

 フィズの言葉の後に、学生服に着替えたローズとアカリは、光の階段を手を繋いで降りた。

 主役二人の登場に、客席からは拍手が起こる。
 ローズはフィズから魔法道具――アカリが『マイク』と呼ぶものを受け取ると、観客席に向かいにこりと笑った。
 
「発表はここで終わりです。今日の舞台で使用した魔法は、私たちの組の三人目である彼が考案した魔法《もの》です」

 そう言うと、ローズはアカリに目配せした。
 アカリが頷くと、二人は背後の暗闇へと手を差し出した。

 ローズとアカリ。
 二人に腕を捕まれて、照明の下へと引っ張られたのは、裏方を担当していたリヒトだった。
 ローズは緊張した面持ちのリヒトに、『マイク』を渡した。
 リヒトは、あからさまに動揺をみせた。与えられた役柄を完璧に演じたローズとは違い、王族でありながら顔に出すぎるリヒトは、明らかに王族としては減点だった。

「えっ? 俺もなんか喋るのか?」
「私たちの発表なのに、リヒト様だけ裏方で無言はどうかと思います」

 劇の中の、姫に思いを寄せる騎士はもういない。
 はきはきとした口調で、ローズはリヒトを促した。
 リヒトは目線を泳がせて、両手で『マイク』を握ると、心に浮かんだ言葉を言葉と共に頭を下げた。

「きょ、今日は、ありがとうございました! た、楽しんでもらえたなら、俺も嬉しいです!」
 
 問題だったのは、彼が頭を下げた際、『マイク』に頭突きするような形になってしまったことだ。  
 リヒトの言葉の後、ゴーンという鐘のような音が会場に響きわたる。

 完全に失態だ。
 リヒトは、冷や汗をかいて顔を上げられずにいた。
 恥ずかしさと緊張で動けない――ローズは、そんなリヒトの手から『マイク』を奪うと、何事もなかったように笑って誤魔化した。

「私たちの発表は以上です」

 少しの沈黙があり、司会の青年ははっと我に返ったような顔をして終わりを告げた。

「ナナセ・アカリ。ローズ・クロサイト。リヒト・クリスタロス。三人に、大きな拍手を!」

 会場に大きな拍手がおこる。
 それはロゼリアたちの発表と、負けないくらい大きなものだった。

◇◆◇

 すべての発表が終わり、審査の時間が設けられた。

 この試験において、評価を下すのはあくまで生徒ではなく教師や知識人だ。
 有名な発明家や魔法使い――だからこそ、魔法学院での卒業試験の評価は、その後の生徒たちの将来にも関わることもある。

 貴族の爵位の継承順位が逆転したこともあると言われるほど、魔法の評価は、王侯貴族においては個人の存在価値にすら置き換わる。
 リヒトがこれまで「落ちこぼれ」扱いされてきたのもこのためだ。
 リヒトは今も、強い魔法は使えない。
 リヒトは祈るように手を合わせた。

「集計が終わりました。只今から、成績優秀者を発表します」

 上位五名の内、五位から順位が発表される。
 名前を呼ばれる度に、会場から大きな拍手が起こる。しかし二位までの間に、リヒトの名前が呼ばれることはなかった。
 そして最後に、今回の最優秀者の名前が読み上げられた。

「今年の最優秀者は――……レオン・クリスタロス」

 レオンの名前が呼ばれたとき、会場はわっと大きな拍手が起こった。
 リヒトはその名を聞いたとき、顔を上げることが出来なかった。
 自分が兄に敵わないことは、幼い頃から自覚していた。
 けれど今回は、初めて自分の努力を形に出来たと思えたのに――それでも自分は兄には届かないのだと、『世界』に言われたような気がして。
 成績での優秀者は、卒業試験だけでなく、普段の成績も加味される。

「おいで。レイザール」

 『最も高貴』な生き物。
 レオンがレイザールを呼べば、会場は大きな歓声に包まれた。
 美しい漆黒の鳥に、誰もが注目する。

「レイザール! 本物のレイザールだ!」
「なんて綺麗なの! 流石、『氷炎の王子』だわ!」

 契約獣と契約が結べなかったリヒトと、レイザールの契約者であるレオンでは、それだけでも評価には大きな壁がある。
 レオンは静かに席を立ち、壇上へと足を進めた。
 俯くリヒトの視界に兄の姿が映る。リヒトがぎゅっと目を瞑った、そんな時。

「静かにしてください。まだ発表は終わっていません」

 司会の声に、歓声がどよめきへと変わる。
 レオンはその声に、ピタリと足を止めた。

「――そして、今回は特別にもう一人」

 そして読み上げられた名前に、リヒトは驚きのあまり、すぐには顔を上げることが出来なかった。

「リヒト・クリスタロス」