パキリと石が割れる音がして、中から青い卵が現れる。

 澄んだ空のような青い色。
 それでいてその光沢は、虹のようにも二人には見えた。
 石の中心には美しい白銀の生き物が、まるでカプセルの中に収まるように体を縮めて鎮座していた。

 ――フィンゴットが、伝説とまで言われていた生き物が、今目の前にいる。

「リヒト様、お下がりください」

 ローズは、瞬きを忘れて卵を見つめていたリヒトの前に立った。
 その瞬間、卵の上部が音を立て罅が入ったかと思うと、フィンゴットが翼を広げ。青色の卵の欠片が二人めがけて勢いよく飛んできた。
 ローズは手を翳し、自分とリヒトの周りに新しい防壁を作った。
 
「もう、大丈夫……でしょうか?」

 風圧と、防壁に卵の殻がぶつかる激しい音が消えてから、ローズは恐る恐るリヒトに尋ねた。
 いくらローズといっても、契約を結んでいないドラゴンを警戒しないわけがない。
 ましてや今彼女の側には、自分の身を自分で守ることが出来ないリヒトがいるのだ。

「音もしなくなったし、たぶん大丈夫なんじゃないか?」
「それではこれから、卵の方に近付いてみましょう」

 二人は目線を合わせ頷くと、そろりそろりとフィンゴットのもとへと近付いた。
 足下に散らばった卵の欠片は、まるで割れたガラスのようにとがっていた。
 鋭利な輝きを放つそれを避けながら二人が中心部に辿り着くと、そこには白銀のドラゴンが横たわっていた。

「ぴぃ……」

 しかし中から出てきた生き物は――二人の予想とは異なり、ひどく弱っているように見えた。

「……どうして」
 その光景を見て、ローズは思わずそう漏らしていた。

「もしかして俺が目覚めさせたからなのか? そのせいで、こんな……?」

 リヒトが慌てたように言う。
 ローズは静かに目を細めた。
 よく考えたら卵から生まれる生き物が、目覚めたときから元気に動き回るということ自体、認識が誤っていたのかもしれない――ローズはそうも思ったが、同時にフィンゴットの弱り方は、異常なことのようにも思えた。

「わかりません。ただ、一つ思い出したことがあります。……以前、レオン様がレイザールの力を引き出していた時に、かなりの魔力をレイザールに捧げていました」

 レイザールとフィンゴットは、基本的に対の存在として語られる。

「もしかしたら……。レイザールとフィンゴットを本当の意味で目覚めさせるには、強い魔力が必要なのかもしれません」

『王を選ぶ生き物』
 そう呼ばれる本当の理由をローズが口に気がして、リヒトはピタリと動きを止めた。

「じゃあ、このままでじゃ……」
「……死んでしまう、かもしれません」
「ぴぃ……」

 フィンゴットは二人が近くに寄っても、微動だにしなかった。
 それどころか、瞼を持ち上げることすら難しい様子だった。

「ローズ。……頼みたいことがある」

 その姿を見て――リヒトはぐっと拳を握りしめた後、ローズに言った。

「お前の魔力を、フィンゴットに与えてやってくれ」
「……よろしいのですか?」

 ローズはリヒトに尋ねた。
 ローズが魔力与えれば、きっとフィンゴットはローズを主と認めるだろう。
 だがそうなれば、フィンゴットと契約するためにここまでやってきたリヒトの思いを、全て否定することになる。
 そう思うと、ローズは動けなかった。

「そうしなきゃ、こいつは死んでしまうんだろう?」

 フィンゴットを得れば、リヒトは周囲に認められる機会を得る。
 ローズにも、それは分かっていた。
 ここまでたどり着けたのはリヒトの知識があってこそだ。リヒトが魔法が使えなくても研究を続けていたからこそ、フィンゴットを見つけることが出来たのだ。

 ローズ一人では卵を見つけることも、卵の殻を破ることも出来なかった。
 全ての人間に与えられたヒントを元にフィンゴットを目覚めさせたことは、確かにリヒトの功績なのに。
 そしてだからこそ――もしフィンゴットと契約を結べなければ、周りの人間はリヒトのことを、『フィンゴットを使役できなかった出来損ない』と見るに違いなかった。

 『王を選ぶ生き物』
 結局リヒト・クリスタロスは、『フィンゴットの主(おう)』には相応しくない存在だったと。

「……」
  リヒトはそっと、フィンゴットの体に触れた。
 光の天龍。
 兄の契約獣であるレイザールに並ぶ、この世で『最も高貴』とされる生き物。
 フィンゴットの命を救うだけの魔力が、今のリヒトにはなかった。
 リヒトは、今にも息絶えそうなその生き物の翼を優しく撫でた。
 精一杯、魔力を与えようと力を込める。
 けれど何も起こらない。リヒトは静かに目を瞑った。

 ――自分に、この生き物は救えない。

 それだけは、変わらない現実だ。
 『最も高貴』と呼ばれるその生き物たちは、『王を選ぶ』生き物ともされていた。

 その言葉を信じて、その生き物を探した。
 謎を解いて、目覚めさせることは出来たとしても、魔力の弱い自分では、生かすことも叶わない。
 ならば、選ぶべき道はただ一つ。

「俺のせいでこいつが死ぬようなことがあれば、きっと俺は一生、自分を許せない。――だから」

「ピィ……」
 フィンゴットは、消え入りそうな声で鳴く。

「だから……ローズ」
 懇願するリヒトの手は小さく震える。

「こいつを、助けてやってくれ」

 それでも――リヒトは自分の感情を口にせずに、ローズに笑いかけた。
 その笑顔を見て、ローズは唇を引き結んだ。

「……わかりました」

 ローズはそう言うと、躊躇いなく自分の肌に剣を押し当てた。
 まさかの行動に、リヒトはぎょっとして声を上げた。

「お、おい!? ローズ、一体何をして」
「血を与えるほうが確実ですし。それに、怪我なら自分ですぐ治せるので」

 自分と異なる種族の治癒魔法は、人間にするより難しいのだ。
 だから別の種族の場合、血を与えるほうが魔力の授与は容易とされる。

 公爵令嬢の癖に男気があり過ぎる。ローズはおおざっぱだった。
 『女が体に傷を作るなよ』というリヒトの心配は、口にする前に本人に否定されてリヒトは沈黙した。

「だからといって体を簡単に傷つけるな。……治るとはいえ、痛みはあるだろう」
「これくらい、別に平気です」

 ローズは自分の手を切りつけて、血を絞るように拳に力を込めた。
 その血は、フィンゴットの口へと注がれる。
 その瞬間。

「ピィ! ピィィィイ!」

 死にかけていたように見えたフィンゴットが、突然元気よく声を上げた。

「うわっ!!」
「リヒト様!」

 そしてフィンゴットは、ローズとリヒトを嘴で掴んで自身の背中に乗せると、大きく翼を羽ばたかせた。

「って、おいおい嘘だろっ!?」

 大きな風が起こる。
 ぐん、と体が上空に持ち上げられるのがわかって、リヒトは光る紐を伸ばすと、フィンゴットの体にくくりつけた。

「掴まれ、ローズ!」
「……っ!!!」

 ローズはリヒトから伸ばされた手を掴んだ。
 リヒトはローズの体を引き寄せると、ローズにも自分が作り出した紐を握らせた。
 ローズの急降下よりも速く、フィンゴットは翔けあがる。
 フィンゴットは勢いそのままに、地下空間に月の光を落としていた天井を突き破り、湖の中を進む。

「……くっ!」

 水が勢いよく、自分たちの方へと押し寄せてくる。
 ローズは慌てて、自分とリヒトを囲む防壁を張った。防壁の外に、強い水圧が加わるのをローズは感じた。
 だが、フィンゴットの勢いは止まらない。

 上へ、上へ、上へ。
 まるで空を目指すかのように、龍は水の中を突き進む。

「ピイイイイイイイイ!!!」

 朝焼けの空に輝く白銀。
 湖を抜けたフィンゴットは空高く舞い上がると、翼を開き強い輝きを放った。

 ローズとリヒトは、あまりのまばゆさに目を瞑った。
 世界の始まりを告げるようなそんな光に、寮の学生たちは何事かと窓をあげて空を眺めた。
 その姿を、ちょうど学院に残っていたロイは、バルコニーに出て見上げていた。
 徐々に和らいだ光の先に、白銀の天龍の背に乗る金色の髪が揺れるのをロイは見た。その姿を見て、ロイは胸を押さえた。

 ――この光景を懐かしいと、そう思うのはどうしてだろう?

「フィンゴットが、目覚めた……?」

◇◆◇

「流石剣神様ですわ! まさか、フィンゴットの主になられるなんて!」
「天の御遣い。フィンゴットに相応しいのは、この世界でローズ様以外に有り得ません!』

 ローズがフィンゴットと契約を結んだという噂は、すぐさま学院中に広まった。

 フィンゴットはローズによく懐き、まるで幼子が親に甘えるかのように、すり寄る様子も見せた。
 その姿を見た人間たちは、誰もがローズを褒め称え、そして契約を結ぶことの出来なかったリヒトのことを、嘲笑う者も居た。

「こんなことろにいたのね。リヒトくん」
「……先生」

 ローズが人に囲まれた隙を突いて、リヒトは一人暗がりで蹲っていた。
 少しじめっとした、人の声の聞こえない場所は、安心出来るような気がしたのに――エミリーに見つかってしまい、リヒトは彼女から目を反らすようにしたを向いた。

「どうしてこんなところに一人で?」
「……少し、一人になりたくて」
「リヒトくんは一人が好きなの?」

 自分などにかまわずに、はやくどこかへ行って欲しい。
 そう思っていたのに、エミリーから返ってきた言葉に、リヒトは思わず口を開いた。

「昔から――よく、一人で過ごしていたんです。それに……俺が弱いのは、出来ないのはいつものことだから。こういう俺だから、これまでだってローズがいないと何も出来なかったし。ローズは俺と違って優秀で、ローズがすごいって、そう言われるのは昔からで。俺のこういう評価も、昔から何度もあったことだし。父上だって、期待しているのは俺じゃなくてローズや兄上で。こんなことなんて、慣れっこだし。……だから、先生。俺のことはかまわないでいから、もう――……」

 一度口を開いてしまったら、言葉にするつもりのなかった言葉が、リヒトは溢れてとまらなかった。

「リヒトくん」
 涙がこぼれそうになるのを必死にこらえていると、エミリーに抱きしめられて、リヒトは目を大きく見開いた。

「え、エミリー先生……?」
 驚きのあまり涙が引っ込む。
 柔らかな感触。優しい温もり。
 それはどこか、リヒトが幼い頃から思い描いていた母の姿と重なる。
 けれど震える声でリヒトが彼女を呼べば、エミリーは静かにリヒトから離れた。

「どうしてそんなことを言うの? 貴方は……ずっと一人で生きてきたというの?」

 エミリーの言葉に、リヒトは何も言うことが出来なかった。
 ただただ胸が苦しくて、口の中にはじわりと血の味が滲んだ。

 出来ることを積み上げること。
 それを喜んで前に進むこと。
 たとえそれは小さなことでも、毎日積み上げれば、それは大きな力になる。
 それは知識だけでなく、人の心も同じように。
 リヒトにだって、それは分かっている。
 けれどリヒトが一番欲しい言葉を、本当に欲しい相手は与えてはくれない。

『君には才能がある』
 ロイはそう言ったが、結局、自分が選ばれたのは初等部だった。

『たまには役に立つのですね』
『でも……友人を、助けてくださってありがとうございました』
 
 その言葉が欲しくて、もう一度彼女に笑ってほしくて。
 だというのに彼女は、この世界は――結局自分望んではくれないようにもリヒトはには思えた。

『悪用されそうな魔法は作らないでください。この方は貴方を騙して危ない魔法を作らせるに違いありません。本当に貴方は昔から、どうしていつもそう人とずれたことばかり。ガラクタを作るのは構いませんが、犯罪を生むようなものは作らないでください』

『使い方を間違っては危ない魔法を作るのはおやめください。貴方が魔法の研究のために一人で他の国に行くなんて、絶対に許しません。貴方はこの国から出てはいけない』
 
 何が駄目なのかが分からない。
 何が正解か分からない。
 自分の行動は、結局誰かにとって迷惑でしかないのだろうか。
 自分の存在は、やはり望まれないものなのか。

 リヒトに母の記憶は殆どない。
 魔法を使うために必要だとされる親の無償の愛情というものを、リヒトは殆ど知らない。
  ただ自分を撫でる優しい手は、ある日突然失われた。その喪失の瞬間だけは、今も強く彼の記憶に刻まれている。

『母上。母上を埋めないで!』

  どうして母を、土の中に埋めてしまうのか理解出来なかった。
 『埋めないで』という小さな頃の自分の言葉は、今になってみれば、あまりにも愚かな子供のわめき声だ。

『私はずっと貴方ではなく、この国を愛しておりました。国を良くするためにも私は王妃となりたかった。幼い頃から共に過ごしておりましたので、多少なりとも貴方にも親愛の情は抱いておりました。共にこの国を慈しむことを楽しみに思っておりましたが、もう叶わないとなりますと、今は少しばかり残念に思われます』

 本当は、ずっとどこかで思っていた。
 彼女は自分をのことを、想っていてくれると。
 母親がくれるという無償の愛情のように、彼女だけは自分を裏切らないと、子どものように信じていた。
 しかし、今になって思う。
 自分はずっと彼女と対等でいることを、心の何処かで諦めていたのではないかと。
 それはきっと、誤りであったと。

「あ……」
「――貴方は誰にも、魔法を与えてもらえなかったの?」

 エミリーは、悲しげな表情《かお》をしてリヒトに尋ねた。
 ただその言葉に、リヒトは見えない壁のようなものを感じた。
 エミリー・クラークは教師であって、母ではない。リヒトはその時、彼女に境界線を引かれたような気がした。

「貴方はすごいわ。きっとこの国で成果を残すことが出来たなら、誰もが貴方を認める。いいえ。本当は――貴方はもう、それだけの実力がある。それだけのものを持ちながら、貴方が魔法を使えないとしたら、それは」
「違う!!」

 エミリーが何を言いたいのかを理解して、リヒトは声を上げて言葉を否定した。

 知っている。わかっている。
 ――魔法は、心から生まれる。
 その言葉の、反対の意味くらい。 
 強い魔法が使えないのも、大切な人たちを落胆させてしまうのも。 
 原因は、全部。

「全部、俺が悪いんです」

 なぜ自分が魔法を使えないのか。
 どんなに努力を重ねても、強い力を得られないのは。

「俺が……俺が、弱いから」

 誰からも王に望まれた第一王子。世界で一番強かった王子様。
 『賢王』の名を継ぐ兄が眠りにつき、代わりに転がり込んできた次期国王という立場。
 兄の婚約者となるべき少女は、兄にこそ相応しい力を持っていた。
 彼女の側に立てるよう、どんなに努力を重ねても――彼女はいつだって、自分の予想の上を行ってしまう。     

 幼い頃初めて、自分から読んだ絵本。
 兎と亀の物語。
 自分があまり絵本は読まなかった理由は、読んでくれる相手がいなかっただけではなかったことを、リヒトは思い出した。

 寓話では、亀が勝利する。
 けれど休むことのない兎に、亀が勝つことは出来るのだろうか?
 自分が兄たちに敵う日は、地位に見合う、彼らの側に立つに相応しい力を手に入れることは……。

『諦めなさい。リヒト』

 今日もまた、頭の中で誰かの声が響く。
 認めて欲しい人が、自分を認めてくれる日は、未来永劫訪れない。

「リヒトくん。貴方が幼等部に入れられた、その理由がわかりますか?」
「……俺が駄目、だから?」
「違います。そうではありません」

 エミリーは静かに首を横に振った。

「――貴方には、魔法を使うために決定的に足らないものがある。それは貴方が、貴方自身を認めていないということです」
「……っ!」

 足らないものはわかっている。けれどそれを埋める術《すべ》が、リヒトにはわからなかった。

  誰からも認められない自分を、実の親や幼馴染からも認めてもらえない自分を、どうして認めることが出来るだろうか。
 自分はそんなに強くない。
 そしてそんな自分が、リヒトは昔から大嫌いだった。
  自分が出来ない背いで、沢山の人が悲しい顔をする。そんな顔、見たくない。みんなには笑っていてほしいのに、その顔をさせているのは、いつだって自分なのだ。
 そう、だから。
 いつだって――いつだって自分が、一番悪い。

「どうか自分を好きになってあげて。貴方は、この世界に一人しかいないんだから」

 自分を責めるリヒトに手を伸ばし、エミリーは彼の目元に光る雫をそっと拭った。

「貴方が貴方を認めてあげなかったら、貴方を一番知る人は、ずっと貴方を嫌いなままなんですよ」


◇◆◇


「力を持つ生き物は、主には力を持つ生き物を望む」

  学院の理事長室で、外の景色を眺めていたロイは静かにそう呟いた。
 座り心地の良さそうな、上質な手触りの椅子。そこに一人座っていたのは、騎士の服を纏う一人の少女。

「流石『剣神』殿、というべきか?」
「からかわないでください」

 ローズは、ロイを見上げて眉間に皺を作った。

「封印を説いたのはリヒト様です。私は、足らない魔力を補っただけで」
「とはいっても、あの懐きよう。フィンゴットはどうやら、君の方を主に選んだらしいな」
「…………」

 ローズは、ロイのその言葉を聞いて下を向いた。
 フィンゴットは、リヒトではなくローズに頭を垂れた。その姿を思い出して。

「――私は」
「ん?」
「私は……やはり、間違えていたんでしょうか」

 ローズのその声は、ロイには後悔しているようにも聞こえた。

「というと?」
「リヒト様は、まだ出会ったばかりだというのに、幼等部の教師に心を許していらっしゃる」

 ロイはその時、誰からも賞賛される――『剣神』と名高い少女が、まるでどこにでもいる年下の、普通の一人の少女のように見えた。

「まあ……。君と彼は同じ年頃なわけだし、そこまで気にする必要は無いと思うが」
「でもリヒト様は……これまであんなふうに、人に心を許す方ではなかったのに」
「ああ、なるほど。でもいや、それは……」

 ロイは、ローズがいわんとすることを察して苦笑いした。

「君が気になるのはわかる。だが、君のそれは杞憂だ。彼女のことは、君が気にかけるべきことじゃない。それにもし――君が、その役目もすべて果たそうとするなら、君は本当に、彼の保護者になってしまうぞ?」
「?」

 ローズは、ロイが言いたいことが分らず首を傾げた。

「それに、たった一人に認められるという関係は、依存しやすくなるものだからな。彼には、君以外も必要だ」

 そうしてロイは、ふっと笑った。

「関係性は分散されてこそ、正常に保たれる」

「分散……?」
「ああ、そうだ。だから君が彼のためになにかしたいと思うなら、君がやるべきことは、彼が君だけでなく、皆に認められる機会を与えてやることだ」
「――認められる、機会?」
「何。君には君の出来ることがある。それをやればいいだけだ」
「出来る……こと……?」
「君に一つ、いいことを教えてやろう」

 ロイはそう言うと、不敵な笑みを浮かべた。

「この学院の入学試験が、全く配点が同じで、二つに分かれている理由は何故だと思う?」
「――え?」
「『今のままでは彼』では、彼の兄と同じようには、最終試験を突破することは叶わないかもしれない。しかし君なら、それを覆すことは可能だ」
「……」
「ローズ嬢。君の実力なら、この学校に入ることくらい簡単だろう?」

 かつて三人の王によって作られた、魔力を持つ者が通う魔法学院。
 騎士として、王族の護衛としてローズはグラナトゥムに来たものの、本来ローズ自身も、学院に通う資格はある。

「君の実力は、俺との戦いで誰もが知っている。入学試験。君なら誰もが、実技は首位と認めるだろう。勿論それだけでも入学に値する。しかし『公平』を、君は求めるだろう? ならば俺は、君に試練を与えよう。君ならば問題はないはずだ」

 ロイはそう言うと、ローズに試験用紙を差し出した。



「やはり、『水晶の王国の金剛石』の名は伊達ではないな」

 ローズの解答用紙を眺めていたロイは、採点された解答用紙を見て笑った。
 回答されているところは全て満点。けれどその解答用紙には、一つだけ空欄があった。

「――知識は、彼の次席か」

 学院に入学するためには知識と実技能力、二つの能力が求められる。
 その理由は、一つは生まれた環境により、才能はあっても知識では差がでてしまうためだ。
 故に平民からこの魔法学院に通う者は、知識が浅くても入学を許可される。

 そして二つ目は、知識と実技両方を、学院が『才能』として認めているためだ。
 たとえ実技の能力が低くとも、知識が優れている人間を、学院は評価してきた。
 何故ならそれは紛れもない努力の証だと、努力も才能の一つだと、学院創立時から考えられてきたからだ。

 ローズが空白で提出した箇所は知識ではなく、自らの意見を問う箇所だった。
 そしてロイは、その箇所にだけは、どんなことを書いても満点を与えるようにしていた。

 魔法の才能はあっても知識のないものを招き入れるための、いわばサービス問題だというのに、答えに迷った挙句空欄で出すあたりが、彼女らしいとロイは思った。

【古代魔法の、複製禁止魔法を貴方はどう思うか。自由に書きなさい。】

 ローズ自身、悩んだ末に何も書くことが出来なかったのだろう。ロイはそう思った。

 権力を欲する者、力や財を望む者たちは、魔法を使える者の地位を高めるために複製禁止魔法を迎合すると回答した。
 しかし身分の低い者、平民の出ながら才能を認められた者たちは、それを拒むと回答した。

「しかし、やはり今回の答えで一番面白かったのは彼だな」
「どうしてですか?」

 シャルルの問いに、ロイはリヒトの回答を思い出してくすりと笑った。

【私は古代魔法を、古き時代の一人の人間が、あらゆる者が魔法を使えるように考案したものと考えている。故に紙の鳥の魔法は魔力の人間でも扱うことが出来るのだ。
もし複製を禁じ、魔法を一部の人間が冨を為すために占有するようになれば、より格差は広まることだろう。古代魔法に置いて特異なこの魔法は、古代魔法の中で唯一異質なものであると私が考えている理由である。私はこの魔法のみが、魔法をつくりだした者とは別の人間により考案されたものではないかと考えている。そしてこの魔法が、最後の魔法として書き記されていることから、古代魔法が今失われたしまった理由と、何かしらの関係があると考えている。】

「一人だけ研究者目線で本来こちらが求めたと答えとずれていたからな」