「ろ、ローズ……?」
リヒトが名を呼べば、ローズはほっと安堵したような表情《かお》をした。
「良かった。呼吸なども問題はないようですね。申し訳ございません。流石にあの一瞬では、防壁の魔法をリヒト様の周りに維持させるのが難しくて。代わりに、出来るだけ早くリヒト様を保護出来るように、全力で怪物を潰しました」
リヒトを抱えたまま、軽やかに階段の手すり部分に着地したローズはにこりと笑う。
「……」
ただ、花と茎部分――一瞬で頭と胴体を切り離された花の怪物の残骸を見て、リヒトは少しゾクッとした。
自分を守ってくれる目の前の人間は、もしかしたら怒らせてはならない類いの人種なのかもしれない。
「でも、なかなか面倒ですね。先はまだ長いようですし、リヒト様は進むのが遅いし罠に引っかかってしまいますし……」
「罠については、九割以上はローズが踏んでる気がするんだが?」
「それは私が前を歩いているからです。それに先ほども申し上げましたが、私は自分の身は自分で守れるので、特に危険は感じません。この試練を突破するに当たり、私の一番の悩みはリヒト様、貴方です」
「……すまない」
ローズの腕に抱えられたまま、リヒトは自分の不甲斐なさを謝罪した。
この状態では何を言っても、リヒトの言葉に価値はない。
「そうです。いいことを思いつきました!」
気落ちしていたリヒトとは違い、彼を抱えたローズは名案を思いついたとばかりに明るい声を上げた。
「いっそのこと、一気に降りてしまえばよいのです!」
「…………は?」
リヒトは、意味がわからず口をあんぐり開けた。
「それじゃあリヒト様、行きますよ。舌を噛まないようにしてくださいね?」
ローズはそう言うと、リヒトを抱えたまま一度紐に体重を乗せ、空洞となっていた中心へと飛び出した。
「へ?」
足元に深淵が広がる。
「リヒト様。これから落ちるので口を閉じてください」
「あ……あ、ああああああああああああああああああっ!?」
二人の体は円柱状の空間の中心部を一気に落ちる。
リヒトの悲鳴を聞きつけて、壁から花の怪物が出現し、罠が発動しては二人目がけて飛んでくる。
半透明の防壁の向こう側で、ローズは次々に罠を無効化すると、怪物たちを屠っていった。
ゼロ距離で次々に花火が爆発する光景に、リヒトは本気で叫んだ。
「死ぬ! 死ぬ死ぬ死ぬっ!」
「大丈夫。私が居るので死にません」
ローズは心からの笑みを浮かべた。
リヒトは精神的な死を覚悟した。
落下するにつれて、速度は加速する。
その影響を受けてか、ローズの作った半透明の壁の向こう側で、木と紐で作られた古い階段が、ローズの作り出す風に巻き込まれて地下へと音を立てて落ちてゆくのがリヒトには見えた。
「ローズ! せめて速度!! 速度を落としてくれっ!」
「……仕方がないですね」
ローズは溜め息をつくと、少しだけ速度を落とした。
「地面! ローズ、もう地面が見えてきたからっ!」
「そんなことは言われなくてもわかっています」
耳元で叫ばれてローズは不機嫌そうに目を細めると、落下地点へと手を向けた。
すると粘性を持った水で出来た球体が地面に出現し、二人をを受け止めるかのように柔らかく沈み込んだ。
二人を守る防壁の球が、ぽよんと数度その上で跳ね――衝撃が無事吸収されたのを確認してから、ローズは物体を消して、静かに地面へと着地した。
「無事底についたようです。リヒト様、ここからはご自分で歩いてください」
今度は『降ろしてくれ』と言われる前に、ローズはリヒトを地面に降ろした。
だがリヒトの顔色は真っ青で、地面に足をつけたリヒトは、ふらふらと数度歩いてから、がくんと膝をついて倒れた。
ローズのやることなすこと、全てリヒトにとって心臓に悪かった。
「花に食べられそうになったので一年、今の落下で三年は寿命が縮まった気がする……」
「全く、リヒト様は怖がりですね」
滝のように冷や汗を流すリヒトを見て、やれやれといった様子でローズは息を吐いた。
「どうやらここで行き止まりのようです。リヒト様、とりあえずこの空間に、防壁をはりたいと思います。地面が安全かどうかは分からないので、私からは離れないようにしてください」
「……わかった」
ふらつく足でなんとか立ち上がり、リヒトは頷いた。
その声音が少しだけ不満そうに聞こえて、ローズはリヒトに尋ねた。
「リヒト様。何かご不満でも?」
「ふ、不満ってわけじゃ……ない、けど……」
歯切れの悪いリヒトに、ローズは詰め寄った。
「文句があるなら、はっきり仰ってください。言葉を濁されるのは、私は嫌いです」
「……不満ってわけじゃないんだ。その……ただこういうのは、普通男の俺がやるべきことなのになって思って……」
「それは、クリスタロスの考え方でしょう」
ローズは腕を組んで、はっきりと言い切った。
「グラナトゥムには、女性騎士も普通にいます。彼女たちの前でその発言をすれば、リヒト様は針のむしろかもしれませんね」
「……悪かった」
国によって異なる価値観。
それをローズに指摘されて、リヒトは静かに謝罪した。
だが同時にその時、とある疑問がリヒトの中に浮かんだ。
ローズの言うように、考え方も何もかも、クリスタロスはグラナトゥムに劣る。
国の規模だけじゃない。
グラナトゥムは様々な面で、クリスタロスの先を歩んでいるように今のリヒトには思えた。
そもそも千年前――大国である二つの国にクリスタロスが名を連ねたことが、不自然だと思えるほどに。
グラナトゥムに来て、リヒトは『講義』を通して、これまで興味がなかった分野も学んでいた。
その際当時の歴史を学んでから、リヒトはずっと不思議だったのだ。
何故『大陸の王』と『海の皇女』は、『賢王』を三人目に迎え入れたのか。
もしクリスタロスという国としての価値ではなく、『賢王』レオンに価値を見いだしたからこそ、大国の王たちはその手を取ったというのなら。
「『賢王』レオンは、一体どんな人だったんだろう……?」
大国の二人の王を、惹きつけるほどの才能や人柄。
国よりも価値がある。
それだけの人間だと、二人に思わせることが出来た人間なんて――リヒトには想像もつかなかった。
◇
「リヒト様。気になるものを見つけました。こちらにいらしてください」
リヒトが考え事をしている中、先に行き止まりの壁を調べていたローズはリヒトを呼んだ。
少し掠れてはいるものの、壁には色とりどりの絵が描かれていた。
「……古い絵だな。それにしても、赤が多い……?」
赤い髪に瞳。
壁に描かれた絵には、まるでロイ・グラナトゥムのような色合いをした人間が複数描かれていた。
「確かに、赤い髪に赤い瞳の人物が沢山描かれていますよね。それと同じ色で、地面が塗られているようにも見えます。地面が赤く描かれているのは、赤の大陸だからでしょうか……?」
だがその『赤』が少し違う色のようにも見えて、リヒトは1度目を擦ってから、壁画に顔を近付けた。
「ローズ。この赤なんだが、少し色が違うように見えないか?」
「確かに。よく見ると、少し違う気もします」
リヒトの言葉を聞いて、ローズはもう一度絵をよく観察し――とあることを思い出した。
「……これって」
「何か思い当たることがあるのか?」
「リヒト様は――『古都の赤』をご存知ですか?」
「『古都の赤』?」
リヒトは首を傾げた。
解読の際の知識はクリスタロスの宝石の細工の件もあって知っていたが、滅んだ都の絵画については、リヒトはよく知らなかった。
以前よりも魔法以外に興味を示すようになったといっても、ローズとリヒトでは、そもそも知識の質が違う。
リヒトの知識は基本、人と話すときに役には立たないものだ。
逆にローズは、社交の役に立ちそうな知識について、次期王妃として学んできた。
「滅んだ都で発掘された絵に、美しい赤色がふんだんに使われていたことからそう呼ばれていたのですが――実は最近の研究によって、その色は元は黄色だったということがわかったのです。だからもしかしたら、この絵の赤の一部は、赤ではなく黄色――金色を表わそうとした可能性があるのではと思って」
フィンゴットらしき絵のとなりには、赤い髪と目の青年らしき人物が描かれていた。
「でも、もしそうだとして……。この絵がフィンゴットとどういう関わりがあるかはわからないな……」
「そうですね」
金色に赤い瞳。もしくは赤い髪に、金色の瞳。
それが意味するところはなんだろうか?
今の二人にはわからなかった。
「とりあえず、この絵は保留するとして……。確か石に書かれていたのは、『龍は約束の樹の下で眠る』、でしたよね? リヒト様、この文字は解読出来ますか?」
赤髪隻眼の青年の近くには、夢見草も描かれていた。
ローズがリヒトを呼んだのは、元々はこちらが理由だった。
「そうだな。フィンゴットを目覚めさせるのを、第一に考えて行動しよう」
リヒトは、掠れた文字の解読のために目を細めた。
「ええと……ここに書かれているのは……。『あかりを灯し、龍に朝を告げよ』?」
「……」
「……」
ローズとリヒトは、無言で顔を見合わせた。
明かりといえば、思い当たるフシがありすぎる。
「……ローズが手順を抜くからこんなことに」
どう考えても、あの照明のことである。
リヒトの呟きに、気を損ねたローズはチクリと棘のある言葉を吐いた。
リヒトのために自分は全力を出したつもりだったのに、それを責められるとはローズは心外だった。
「私がいなければ、物理的に短時間で地面に着地していたのはどなたでしたでしょうか……?」
「うぐっ」
ローズはちらりとリヒトを見た。
リヒトが少しダメージを負っているのを見て、ローズは満足した。
「……まあ少々面倒ですが、これからでも不可能ではありません。危険な生き物が巣くっている可能性もありますし、リヒト様を抱えてまた上から火を灯すのは少し骨が折れそうですが」
「お荷物で悪かったな」
「そこまでは言っておりません」
二人の口喧嘩は続く。
言い争いになり、最終的にはリヒトが折れた。リヒトは昔から、ローズに喧嘩で勝てたことがない。
「……はあ。もういい。俺が悪かった。だけどもう一度同じことはしなくていい。これなら、俺がどうにかできる」
リヒトはそう言うと、胸元から紙の束を取り出して、サラサラとそこに魔法陣を描いた。
白い紙は次々に、鳥へと姿を変えていく。
「紙の鳥よ。全ての明かりに火を灯せ!」
リヒトの声と同時、紙の鳥は月の光を差し込む天井に向かって飛び上がった。
鳥たちは次々に火を灯してゆく。
そしてその姿が見えなくなり暫くして――おそらく全ての照明に明かりをつけ終わった頃、月の光を零す天井から糸のようなものが伸びたかと思うと、光の糸は壁に設けられた照明の光を繋いで、五芒星を描きながら地底へと降りてきた。
光の糸は、最後に二人の立つ地面に巨大な魔法陣を描いた。
複雑な文様だ。
二人は息を呑んだ。
そして足元で、カチリという歯車が噛み合うような音がしたかと思うと、床の中心がボゴッという音とともに動いた。
土埃が舞う。
それと同時に、床の中心から大きな白い卵のようなものが現れた。
「……やっと、見つけた。これこそが――……」
純白の光沢を放つそれは、無垢という言葉を体現しているかのようだった。
リヒトはごくりとつばを飲みこむと、口の端を上げて笑った。
「俺たちが探していた、本物の『卵』だ」
石の表面には、魔法陣で用いる文字に似たものが記されている。
けれどローズの知識では、全てを解読することはできない。
目を細めるローズを前に、リヒトは卵に手を翳した。
解読ならリヒトの得意分野だ。
リヒトは息を大きく吸い込んで、それから刻まれた文字を読み上げた。
「『空を映す蒼き瞳、たゆたう雲の白き翼。長き眠りに付きし朋友。天を支配する至高の龍よ。盟約と、光の名のもと、今ここに目覚めよ。我が友。我が翼、汝が名は――光の天龍フィンゴット!』」
その瞬間。
石に刻まれた文字が光り輝き――石に覆われた卵の内側で、何かが脈動する音を二人は聞いた。
リヒトが名を呼べば、ローズはほっと安堵したような表情《かお》をした。
「良かった。呼吸なども問題はないようですね。申し訳ございません。流石にあの一瞬では、防壁の魔法をリヒト様の周りに維持させるのが難しくて。代わりに、出来るだけ早くリヒト様を保護出来るように、全力で怪物を潰しました」
リヒトを抱えたまま、軽やかに階段の手すり部分に着地したローズはにこりと笑う。
「……」
ただ、花と茎部分――一瞬で頭と胴体を切り離された花の怪物の残骸を見て、リヒトは少しゾクッとした。
自分を守ってくれる目の前の人間は、もしかしたら怒らせてはならない類いの人種なのかもしれない。
「でも、なかなか面倒ですね。先はまだ長いようですし、リヒト様は進むのが遅いし罠に引っかかってしまいますし……」
「罠については、九割以上はローズが踏んでる気がするんだが?」
「それは私が前を歩いているからです。それに先ほども申し上げましたが、私は自分の身は自分で守れるので、特に危険は感じません。この試練を突破するに当たり、私の一番の悩みはリヒト様、貴方です」
「……すまない」
ローズの腕に抱えられたまま、リヒトは自分の不甲斐なさを謝罪した。
この状態では何を言っても、リヒトの言葉に価値はない。
「そうです。いいことを思いつきました!」
気落ちしていたリヒトとは違い、彼を抱えたローズは名案を思いついたとばかりに明るい声を上げた。
「いっそのこと、一気に降りてしまえばよいのです!」
「…………は?」
リヒトは、意味がわからず口をあんぐり開けた。
「それじゃあリヒト様、行きますよ。舌を噛まないようにしてくださいね?」
ローズはそう言うと、リヒトを抱えたまま一度紐に体重を乗せ、空洞となっていた中心へと飛び出した。
「へ?」
足元に深淵が広がる。
「リヒト様。これから落ちるので口を閉じてください」
「あ……あ、ああああああああああああああああああっ!?」
二人の体は円柱状の空間の中心部を一気に落ちる。
リヒトの悲鳴を聞きつけて、壁から花の怪物が出現し、罠が発動しては二人目がけて飛んでくる。
半透明の防壁の向こう側で、ローズは次々に罠を無効化すると、怪物たちを屠っていった。
ゼロ距離で次々に花火が爆発する光景に、リヒトは本気で叫んだ。
「死ぬ! 死ぬ死ぬ死ぬっ!」
「大丈夫。私が居るので死にません」
ローズは心からの笑みを浮かべた。
リヒトは精神的な死を覚悟した。
落下するにつれて、速度は加速する。
その影響を受けてか、ローズの作った半透明の壁の向こう側で、木と紐で作られた古い階段が、ローズの作り出す風に巻き込まれて地下へと音を立てて落ちてゆくのがリヒトには見えた。
「ローズ! せめて速度!! 速度を落としてくれっ!」
「……仕方がないですね」
ローズは溜め息をつくと、少しだけ速度を落とした。
「地面! ローズ、もう地面が見えてきたからっ!」
「そんなことは言われなくてもわかっています」
耳元で叫ばれてローズは不機嫌そうに目を細めると、落下地点へと手を向けた。
すると粘性を持った水で出来た球体が地面に出現し、二人をを受け止めるかのように柔らかく沈み込んだ。
二人を守る防壁の球が、ぽよんと数度その上で跳ね――衝撃が無事吸収されたのを確認してから、ローズは物体を消して、静かに地面へと着地した。
「無事底についたようです。リヒト様、ここからはご自分で歩いてください」
今度は『降ろしてくれ』と言われる前に、ローズはリヒトを地面に降ろした。
だがリヒトの顔色は真っ青で、地面に足をつけたリヒトは、ふらふらと数度歩いてから、がくんと膝をついて倒れた。
ローズのやることなすこと、全てリヒトにとって心臓に悪かった。
「花に食べられそうになったので一年、今の落下で三年は寿命が縮まった気がする……」
「全く、リヒト様は怖がりですね」
滝のように冷や汗を流すリヒトを見て、やれやれといった様子でローズは息を吐いた。
「どうやらここで行き止まりのようです。リヒト様、とりあえずこの空間に、防壁をはりたいと思います。地面が安全かどうかは分からないので、私からは離れないようにしてください」
「……わかった」
ふらつく足でなんとか立ち上がり、リヒトは頷いた。
その声音が少しだけ不満そうに聞こえて、ローズはリヒトに尋ねた。
「リヒト様。何かご不満でも?」
「ふ、不満ってわけじゃ……ない、けど……」
歯切れの悪いリヒトに、ローズは詰め寄った。
「文句があるなら、はっきり仰ってください。言葉を濁されるのは、私は嫌いです」
「……不満ってわけじゃないんだ。その……ただこういうのは、普通男の俺がやるべきことなのになって思って……」
「それは、クリスタロスの考え方でしょう」
ローズは腕を組んで、はっきりと言い切った。
「グラナトゥムには、女性騎士も普通にいます。彼女たちの前でその発言をすれば、リヒト様は針のむしろかもしれませんね」
「……悪かった」
国によって異なる価値観。
それをローズに指摘されて、リヒトは静かに謝罪した。
だが同時にその時、とある疑問がリヒトの中に浮かんだ。
ローズの言うように、考え方も何もかも、クリスタロスはグラナトゥムに劣る。
国の規模だけじゃない。
グラナトゥムは様々な面で、クリスタロスの先を歩んでいるように今のリヒトには思えた。
そもそも千年前――大国である二つの国にクリスタロスが名を連ねたことが、不自然だと思えるほどに。
グラナトゥムに来て、リヒトは『講義』を通して、これまで興味がなかった分野も学んでいた。
その際当時の歴史を学んでから、リヒトはずっと不思議だったのだ。
何故『大陸の王』と『海の皇女』は、『賢王』を三人目に迎え入れたのか。
もしクリスタロスという国としての価値ではなく、『賢王』レオンに価値を見いだしたからこそ、大国の王たちはその手を取ったというのなら。
「『賢王』レオンは、一体どんな人だったんだろう……?」
大国の二人の王を、惹きつけるほどの才能や人柄。
国よりも価値がある。
それだけの人間だと、二人に思わせることが出来た人間なんて――リヒトには想像もつかなかった。
◇
「リヒト様。気になるものを見つけました。こちらにいらしてください」
リヒトが考え事をしている中、先に行き止まりの壁を調べていたローズはリヒトを呼んだ。
少し掠れてはいるものの、壁には色とりどりの絵が描かれていた。
「……古い絵だな。それにしても、赤が多い……?」
赤い髪に瞳。
壁に描かれた絵には、まるでロイ・グラナトゥムのような色合いをした人間が複数描かれていた。
「確かに、赤い髪に赤い瞳の人物が沢山描かれていますよね。それと同じ色で、地面が塗られているようにも見えます。地面が赤く描かれているのは、赤の大陸だからでしょうか……?」
だがその『赤』が少し違う色のようにも見えて、リヒトは1度目を擦ってから、壁画に顔を近付けた。
「ローズ。この赤なんだが、少し色が違うように見えないか?」
「確かに。よく見ると、少し違う気もします」
リヒトの言葉を聞いて、ローズはもう一度絵をよく観察し――とあることを思い出した。
「……これって」
「何か思い当たることがあるのか?」
「リヒト様は――『古都の赤』をご存知ですか?」
「『古都の赤』?」
リヒトは首を傾げた。
解読の際の知識はクリスタロスの宝石の細工の件もあって知っていたが、滅んだ都の絵画については、リヒトはよく知らなかった。
以前よりも魔法以外に興味を示すようになったといっても、ローズとリヒトでは、そもそも知識の質が違う。
リヒトの知識は基本、人と話すときに役には立たないものだ。
逆にローズは、社交の役に立ちそうな知識について、次期王妃として学んできた。
「滅んだ都で発掘された絵に、美しい赤色がふんだんに使われていたことからそう呼ばれていたのですが――実は最近の研究によって、その色は元は黄色だったということがわかったのです。だからもしかしたら、この絵の赤の一部は、赤ではなく黄色――金色を表わそうとした可能性があるのではと思って」
フィンゴットらしき絵のとなりには、赤い髪と目の青年らしき人物が描かれていた。
「でも、もしそうだとして……。この絵がフィンゴットとどういう関わりがあるかはわからないな……」
「そうですね」
金色に赤い瞳。もしくは赤い髪に、金色の瞳。
それが意味するところはなんだろうか?
今の二人にはわからなかった。
「とりあえず、この絵は保留するとして……。確か石に書かれていたのは、『龍は約束の樹の下で眠る』、でしたよね? リヒト様、この文字は解読出来ますか?」
赤髪隻眼の青年の近くには、夢見草も描かれていた。
ローズがリヒトを呼んだのは、元々はこちらが理由だった。
「そうだな。フィンゴットを目覚めさせるのを、第一に考えて行動しよう」
リヒトは、掠れた文字の解読のために目を細めた。
「ええと……ここに書かれているのは……。『あかりを灯し、龍に朝を告げよ』?」
「……」
「……」
ローズとリヒトは、無言で顔を見合わせた。
明かりといえば、思い当たるフシがありすぎる。
「……ローズが手順を抜くからこんなことに」
どう考えても、あの照明のことである。
リヒトの呟きに、気を損ねたローズはチクリと棘のある言葉を吐いた。
リヒトのために自分は全力を出したつもりだったのに、それを責められるとはローズは心外だった。
「私がいなければ、物理的に短時間で地面に着地していたのはどなたでしたでしょうか……?」
「うぐっ」
ローズはちらりとリヒトを見た。
リヒトが少しダメージを負っているのを見て、ローズは満足した。
「……まあ少々面倒ですが、これからでも不可能ではありません。危険な生き物が巣くっている可能性もありますし、リヒト様を抱えてまた上から火を灯すのは少し骨が折れそうですが」
「お荷物で悪かったな」
「そこまでは言っておりません」
二人の口喧嘩は続く。
言い争いになり、最終的にはリヒトが折れた。リヒトは昔から、ローズに喧嘩で勝てたことがない。
「……はあ。もういい。俺が悪かった。だけどもう一度同じことはしなくていい。これなら、俺がどうにかできる」
リヒトはそう言うと、胸元から紙の束を取り出して、サラサラとそこに魔法陣を描いた。
白い紙は次々に、鳥へと姿を変えていく。
「紙の鳥よ。全ての明かりに火を灯せ!」
リヒトの声と同時、紙の鳥は月の光を差し込む天井に向かって飛び上がった。
鳥たちは次々に火を灯してゆく。
そしてその姿が見えなくなり暫くして――おそらく全ての照明に明かりをつけ終わった頃、月の光を零す天井から糸のようなものが伸びたかと思うと、光の糸は壁に設けられた照明の光を繋いで、五芒星を描きながら地底へと降りてきた。
光の糸は、最後に二人の立つ地面に巨大な魔法陣を描いた。
複雑な文様だ。
二人は息を呑んだ。
そして足元で、カチリという歯車が噛み合うような音がしたかと思うと、床の中心がボゴッという音とともに動いた。
土埃が舞う。
それと同時に、床の中心から大きな白い卵のようなものが現れた。
「……やっと、見つけた。これこそが――……」
純白の光沢を放つそれは、無垢という言葉を体現しているかのようだった。
リヒトはごくりとつばを飲みこむと、口の端を上げて笑った。
「俺たちが探していた、本物の『卵』だ」
石の表面には、魔法陣で用いる文字に似たものが記されている。
けれどローズの知識では、全てを解読することはできない。
目を細めるローズを前に、リヒトは卵に手を翳した。
解読ならリヒトの得意分野だ。
リヒトは息を大きく吸い込んで、それから刻まれた文字を読み上げた。
「『空を映す蒼き瞳、たゆたう雲の白き翼。長き眠りに付きし朋友。天を支配する至高の龍よ。盟約と、光の名のもと、今ここに目覚めよ。我が友。我が翼、汝が名は――光の天龍フィンゴット!』」
その瞬間。
石に刻まれた文字が光り輝き――石に覆われた卵の内側で、何かが脈動する音を二人は聞いた。