「リヒトくんとロゼリアちゃんは、試験の準備を始めておいてくださいね」
「じゅ、準備ですか?」

 講義の終わり、エミリーに声をかけられたリヒトは、思わず聞き返してしまった。

「そう。入学の筆記試験で一定の基準を満たしていた場合、学院の卒業試験は半年後であれば受けることができるんです」
「……あ」

 ――そういえば、そんなことを聞いた気がする。

 リヒトはロイの話を思い出した。
 そもそも、リヒトとレオンのどちらが次期国王になるかということもあり、今回の留学は短期間での就学をという話だったはずだ。

「実力さえあれば学位を与えるというのが学院の方針なんです。この学院の卒業生ということが能力を証明するという側面もあり、優秀な学生は、早々にその権利を得ることが認められています。それに、学問というものは日々進化していくものですから、卒業したあとも、卒業生なら講義を受けることは可能なので……」

「なるほど」
 グラナトゥムの魔法学院が『実力主義の魔法学院』そう呼ばれるのには、いくつかの理由が存在している。
 実技と筆記での入学試験を行うことは勿論、卒業試験が自身の特性を活かした形で発表が許されるという点も、そう呼ばれる所以である。

 つまりリヒトが魔法を使えなくとも、この学院の卒業に相応しいという功績を残すことが出来れば、学院はきちんと評価してくれるのだ。
 そして学院では、卒業生の講義の聴講や図書館の利用は許されている。

『学問は日々進化している』

 エミリーの言葉に、リヒトは頷いた。
 であれば当初の予定通り、まだ日はあるものの、準備を始めてもいいかもしれない。
 リヒトが頷いていると、エミリーはにっこり笑って爆弾を落とした。

「今回の卒業試験は三人一組で行うようにとのことでしたので、二人共お友だちを見つけてくださいね」

「………………えっ?」

 エミリーの言葉にリヒトは仰天した。
 三人一組だなんて――『幼等部』に所属するリヒトには、頼める相手がいない。

「それでは、頑張ってくださいね」
 だが困惑するリヒトをおいて、エミリーはそれだけ言うと、その場を去ってしまった。



「……どうされるのです?」
 護衛としてリヒトの側に控えていたローズは、頭を抱えたリヒトに尋ねた。

「ギル兄上に頼む……かな……?」
 筆記試験の成績で受験資格が得られるということであれば、幼等部の生徒から見つけるのは不可能だ。
 かと言ってリヒトが学院内で頼めるのは、アカリ・レオン・ギルバートの三人のみ。
 クリスタロス王国の人間だけで組んだとしてもどう考えても一人余るが、兄なら引く手あまただから問題はないだろうとリヒトは思った。

 ――正直兄上より、ギル兄上の方が頼みやすいし……。
 リヒトがそんなことを考えていると、

「どうやら紙はもらったようだな」
 まるで見計らったかのように、ギルバートが現れた。

「ギル兄上!」
「お兄様、どうしてこちらに?」
「卒業試験のあと一人、誘おうと思ってな」
 ギルバートはそう言うと、いつものようににこりと笑った。

「よかった。俺もちょうど、ギル兄上にお話したいと――……」
 だがギルバートはリヒトを素通りして、ロゼリアの前に立った。

「俺の組はあと一人足りないんだ。だから、俺と一緒に出ないか?」
「え?」

 ロゼリアは、突然のギルバートの申し出に目を丸くして、それからリヒトに視線を向けた。
 絶句しているリヒトを、ロゼリアは少し可哀想だとは思ったが――だが今この学院で、実力を知っており心を許していいと思っているのは、ロゼリアもギルバートだけだった。

「……私でよければ」
 ロゼリアは小さな声で答えた。
「よし! じゃあ、俺たちはこれで決まりだな」
「ぎ、ギル兄上!? じゃあ俺は!?」
 リヒトは叫ぶように訊ねた。

「『お友だち』を、探すしかないな〜」
「そ、そんな……」

 ギルバートはそう言うと、ロゼリアの手を引いて楽しげに笑った。
 この学院の生徒で、自分を仲間に入れてくれるとしたら、リヒトはギルバートと兄くらいしか思いつかない。
 目の前で橋を外されたような気持ちになって、リヒトは呆然と二人の背を見送ることしか出来なかった。



「……よかったの?」
 ギルバートに半ば強引に連れ出されたロゼリアは、上機嫌で鼻歌を歌うギルバートに尋ねた。

「何が?」
「彼、困っていたように見えたけれど」
「大丈夫。何事も、なるようになるものだからな」
 ギルバートは、指でくるくると紐のついた鍵を回しながら答えた。

 ――『鍵』?

「……それは?」

 ロゼリアは、鍵を見て目を細めた。
 何故なら鍵には、グラナトゥムの王族のみにしか使用を許されない紋章が刻まれていたからだ。
 白銀の鍵には石が嵌め込まれており、石の中には水が閉じ込められていた。
 
「今日は『鍵』を借りたから、そこに向かう」

 ギルバートはそう言うと得意げに笑い、回していた鍵を掴むと、『なにもない』はずの場所に差し込んだ。
 その瞬間。
 
「……水音?」
 
 ちゃぷん、という音が聞こえた気がして、ロゼリアは耳に手を当てた。
 それと同時、二人の足元の地面が揺れる。ロゼリアは思わずギルバートの腕を掴んだ。

「意外だな。君は彼から、これを見せてもらったことはなかったのか?」
 ギルバートは、慌てた素振りを見せたロゼリアに笑いかけた。
「これ、は――……」

 ロゼリアは自分の足元から、目には見えない大きな力の流れのようなものを感じた。
 太古の水。
 鍵の中の水と『この世界』の何かが今、自分の足元で共鳴している。

 ゴゴゴゴゴ……。
 地面が音をたて割れたかと思うと、地中から吹き出た透明な水が、高く伸びて空中で固定される。
 水はまるで一つの大きなドームのような形になると、真ん中を一度くぼませて、再び大きく跳ねた。
 そしてまばゆい輝きを放ちながら、水はより複雑な形へと形状を変えていき、扉一つを残して水の『ドーム』は姿を消す。
 それはこの世界で古くから語り継がれる、一つの物語に出てくるものとよく似ているようにロゼリアは思った。
 
 『三つの鍵』

 ディランに『方舟』の物語があるように、グラナトゥムにも世界が『崩壊』した際の古い物語が存在する。
 それはこの世界にかつて『嘆きの雨』が降ったとき、『鍵』により作られた『天蓋』が、人々を守ったというものである。
 雨を身に受ければ体が焼けるという、地獄のようなその話の中で、救いとして描かれる『天蓋』は、巨大なドームのような形状であっとして語り継がれている。

 その『天蓋』を開かせるための世界に三つしかない鍵は、すべてグラナトゥムの国宝に指定されているはずだ。
 だが現国王であるロイは、そのうち二つを、卒業試験の訓練を行う生徒たちに貸し出していた。
 『天蓋』は魔力の込められた水で作られ、その中は外の人間からは見えない。いわば、秘密の特訓にはうってつけ、というわけである。

「それじゃあ、中に入るか」
 ギルバートは確認するかのように一度ロゼリアの方を振り返り、いつの間にか現れた古い石板の扉を開けた。

「わ……っ!」
 外側からは風景に同化して、目視が叶わなくなってしまった巨大な建造物。
 だが扉の向こう側には、「それ」は確かに存在していた。
 目を丸くしてその形を見上げるロゼリアと違い、ギルバートはこれまで何度も見たような顔をして笑った。

「ここには初めて来たわ」
「気に入ってもらえたなら何よりだ」

 ギルバートは扉の内側の小さな箱の中に鍵を入れると、ロゼリアの目を見て訊ねた。

「それで? 君は卒業試験でなにかやりたいことはあるか? どうせやるなら、大掛かりな魔法にしようとおもっているんだが。たとえば、『水晶宮の魔法』とか」

「……」
「君は昔、その魔法を使ったことがあるんだろう?」
 ギルバートの問いに、ロゼリアの顔から笑顔が消える。

「…………駄目なの。私に、あの魔法はもう使えないの。そもそも今は、私、魔法が……その……うまく使えなくて」
「そうか? 君がそう言うなら仕方がないな」

 ギルバートはあっけらかんと言うと、手のひらに載せた紙の鳥をロゼリアに見せ、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。

「なら君には一つ、新しい魔法を使えるようになってもらおうか。君には、まずこの鳥を飛ばしてもらうとしよう」

 『手始めに』と渡された折り鶴を見て、ロゼリアは目を瞬かせた。

「…………えっ?」