「よし。追いかけてきたな」
幼等部の生徒たちをからかったあと、ギルバートはリヒトを連れて走った。
雷魔法、水魔法、炎魔法――才能を認められた子どもたちの魔法が、容赦なくリヒトを襲う。
まともな攻撃魔法を使えないリヒトは、ただただ避けるしかない。しかも魔法を使えるギルバートは楽しそうに笑うばかりで、リヒトを攻撃からかばってはくれなかった。
公爵令息ギルバート・クロサイトは、強化魔法の使い手であるミリアにちょっかいをかけては、よく怪我をしている。
傍から見れば戦闘の才能がないからと誤解されるだろうが、リヒトが知る限り、幼馴染の三人の兄たちのなかで、一番戦闘の才能があったのはギルバートだった。
水魔法と光魔法。
圧倒的ともいえる光属性の適性で未来を予測し、水魔法で相手の攻撃を少しずらす。
そうすれば少ない力で、攻撃を無力化できる。だがギルバートは昔から、あまりこの戦い方は好まなかった。
魔法の使いすぎを避けるため、自分は体術を極めるのだと、リヒトはギルバートから話を聞いたことがあった。
そして魔法を使わずに、強化属性持ちのミリアと渡り合えるほど――ギルバートは彼の祖父から、その才能を受け継いでいる。
子どもたちは、まるで羽が生えているかのように身軽に動くギルバートを見て、時折目を輝かせていた。
――なんだあれ、かっこいい……!
だがそう思っても、おちょくられたまま反撃しないわけにはいかない。
「こっちだぞっと!」
「うわっ!」
「ご、ごめん! リヒト」
リヒトは避けきれず、ギルバートに向けられた水魔法の水を被った。
びしょ濡れになったリヒトを見て、水魔法を使った少年が謝る。
「ぎ、ギル兄上。なんだか俺だけ被害をうけている気がするんですが」
「気のせいだろ。頑張って避けろ」
ギルバートは相変わらず飄々としていた。彼の魔法の能力は昔と変わらないものの、特別な光魔法のおかげで、身体能力自体は問題はないようにリヒトには見えた。
身軽なギルバートはリヒトとは違い、長く走っても息一つ乱れない。
「流石に……俺は、もう、無理です! ……って、なんで突然止まるんですかっ!」
手をひかれ走っていたら、突然ギルバートが立ち止まったため、リヒトはその背に顔をぶつけた。
赤くなった鼻を擦る。気付けば、水魔法の訓練場まで二人は来ていた。
「おいで。ディーネ」
学園に設けられた巨大な池を前にしたギルバートは、低い声で呼びかける。
その瞬間、ちゃぷん、と水が跳ねる音が聞こえたかと思うと、池の中から巨大な『龍』が出現した。
レイザールと並べて語られる、光の天龍フィンゴットは、正確に言えば『ドラゴン』と呼ぶべき生き物だ。
対して、ギルバートがディーネと呼んだそれは、『龍』と呼ぶべき存在のようにリヒトは思った。
ギルバートはリヒトの手を引くと、龍の背にのった。二人から遅れてやってきた子どもたちは、奇っ怪な蛇のような水の塊を見て声を上げた。
「な、なんだあの化け物!」
「おいおい。俺の可愛いお姫様に向かって、失礼なことをいうなよ。まあいい。――さあ、俺と遊ぼうか」
ディーネと呼ばれた透明な塊は、リヒトとギルバートをのせたまま体を波打たせた。
ギルバートと違い、体幹を鍛えていないリヒトは、その反動で倒れ込んだ。
ぐにゅう……。
「!?」
その時、手に感じた慣れない感触に、リヒトは目を大きく見開いた。
『ディーネ』の肌の感触は、リヒトが海で一度だけ触れた『クラゲ』と似ていた。
その瞬間、ディーネに雷魔法が落ちた。
しかし、ディーネの体はぷるんと少し揺れただけで、なんの変化もない。
子どもたちとリヒトが目を白黒させていると、ギルバートは彼らを見てニヤリと笑った。
「残念だったな。彼女の能力は蓄積なんだ。お前たちの攻撃は、全て吸収して無効化される。俺たちに当てなくては意味はないぞ?」
「え……」
子どもたちの顔がさあっと青くなった。
なんだその、チートすぎる契約獣。皆の心が一致した。
「さて、ここまで俺たちを追ってきたお前たちをどうしてやろうか……」
にやりと笑ったギルバートは、まるで悪魔のようだった。
しかしその悪魔は、子どもたちに手を出すことはなかった。代わりに彼は、あるものを子どもたちに投げ渡した。
「お前たち。俺を狙うならこれを使え。リヒトに当たると危ないからな」
それは昔、リヒトがギルバートとともに作った魔法道具だった。
水属性に適性がなくても使える水鉄砲。
リヒトが最近新しく作った、火災などに使える改良型よりも簡素な造りのそれは、元々、幼馴染たちと遊ぶために二人が過去作ったものである。
「あの、それ……俺たちが作った……?」
「ん? ああ。気付いたか」
ギルバートは笑って頷き、そしてまた、リヒトには予想できない行動をした。
「リヒト。仲間をもう一人連れてきたぞ」
「!?!?!」
「きゃあああああっ!」
悲鳴の主はロゼリア・ディラン。
ギルバートは、あろうことがディーネの尾でロゼリアを捕獲したのだ。
透明な塊に捕獲された海の皇女の体は、宙に浮かされていた。
「なんだあれ! 大丈夫なのか!?」
「怪物に攫われてるぞ!?」
「ロゼリア様、ロゼリア様!」
ロゼリアは身分もあって、そばには彼女を守る女性騎士も控えていた。メイドのような格好をした騎士は、謎の生物に捕獲された主人を見上げ声を上げた。
リヒトは絶句した。
――兄上といい、ギル兄上といい、二人ともなんでディランと問題を起こそうとするんだ……!
「兄上! 本当に、一体何を考えて……!」
しかし問題を起こした張本人はまるで悪びれる様子もなく、ディーネの尾からロゼリアを受け取ると、まるで悪役のような高笑いをして言った。
「ははははは! お前たちの仲間は預かった。これから俺は反撃するが、攻撃は彼女の力をもって行う。それ以上濡れたくなかったら、頑張って避けるんだな」
ギルバートはとても悪い顔をしていた。
「なんだよっ! そんなの、絶対そっちが有利に決まってるじゃん!」
子どもは当然のごとく反論した。
「リヒトか俺に、三回当てたら負けを認めてやろう。煮るなり焼くなりしていいぞ?」
「だから、なんで俺まで巻き込むんですかっ!?」
理不尽がすぎる。
リヒトはツッコんだが、誰もリヒトの話なんて聞いてはいなかった。
事態が読み込めないロゼリアに、ギルバートは優しい笑みを浮かべると、彼女の小さな手を取った。
「いいか? 俺の攻撃は君の魔法を使う。君も知っているだろうが、光魔法は力の循環を司る。当たっても問題ない程度に、俺が調節してやる。君はただ、魔法を使うために意識を集中させろ。――じゃあ、行くぞ」
光属性に適性があれば、魔法を使える人間の力の操作を、補助することは可能だ。
ギルバートはロゼリアの後ろから彼女の手を取ると、ニヤリと笑って魔法を発動させた。
「せーのっ!」
その瞬間、ロゼリアの魔法が子どもたちを襲った。
ロゼリアは魚のように、口をパクパクさせた。
「なんだこれ!?」
「あははははは! 次行くぞ次!」
ギルバートは、今度はロゼリアの手を上に向けて魔法を放った。
その瞬間、頭上から樽をひっくり返したような水が、子どもたちに降り注ぐ。
「うわ、濡れた! なんなんだよこの大規模魔法っ! 範囲広すぎるって!」
「悔しかったら早く反撃したらどうだ? それなら、水魔法適性が扱えなくても扱えるぞ」
ギルバートは子どもたちを煽るように満面の笑みで告げる。
「俺は水魔法使えないしつかえるわけ……って、え!? 本当に使える!!!」
『これまでの魔法』なら、属性への適性がなければ魔法は使えない。
しかしリヒトが初めてギルバートと作った魔法道具は、魔力《ちから》さえあれば、その他の属性魔法《ちから》もつかえるというものだった。
一つの属性さえ使えれば、あらゆる属性魔法が使える魔法道具の研究。
元々この研究をしていたのは、ギルバートだったとリヒトは記憶している。
ローズの尊敬する『お兄様』は、大人たちにその才能を語ることはなかったが、同じ時を生きていたなら認めざるを得ないほど――紛れもない『異質さ』だった。
「壮観壮観」
「ギル兄上、全員へばっています……」
だがギルバートとリヒトが一緒に魔法道具の研究をしていた頃、魔法陣はまだ未完成だった。
そのために、別の属性の魔法を使うには一の威力使うために、ニ以上の魔力を必要とする魔法道具がこの世界に生まれた。
「もう……むり……」
魔法道具の魔力消費に耐えきれず、次々に子どもたちが地面に膝を付ける。
ギルバートはディーネから降りると、動けずに地面に倒れ込んでいる子どもたちの前でしゃがんだ。
「なんだよこの道具……」
「これは俺とリヒトが、お前たちと同じくらいの頃に作ったものだ」
ギルバートはふっと笑う。
「お前たちも思うところはあるだろうけど。この子はここで、お前たちと一緒に学ぶ仲間なんだ。喧嘩はしてもいじめはするなよ。な?」
「まさかそれを教えるために……?」
「ああ、そうだ」
ギルバートは優しい笑みを浮かべた。
仲裁のための行動と言われては、子どもたちは疲れていたこともあり反抗できなかった。
その瞬間、ディーネの尾が池をうちつけ、ギルバートの全身を濡らした。
――沈黙。
静寂を破ったのは、ギルバートの笑い声だった。
「はははは! ついに俺もびしょ濡れになってしまったな。仕方ない。この勝負、引き分けということにしよう」
「引き……分け?」
「ああ……お前たちとの戦いで疲れてしまっての失敗だからな」
「……」
リヒトは、白々しい演技をするギルバートを無言で見つめていた。
ギルバートは昔から、人を懐柔するのがうまかった。
頭がよく外見も優れており、年上で、魔法を使うことも上手い。
子どもたちはいつの間にか、ギルバートを尊敬の眼差しで見つめていた。
「ねえ。名前、なんて言うの?」
「ギルバートだ」
「じゃあギル兄って呼んでいい?」
「ああ。いいぞ」
「ギル兄!」
「ギルにい!」
ギルバートを呼ぶ子どもたちの声は、次第に大きくなる。
リヒトは『リヒト』で、ギルバートは『ギル兄』呼び。
――なんだこれ……。
リヒトは幼い頃、自分やローズがギルバートはすごいという話をすると、顔をしかめたことがあることを思い出した。
幼い頃は気付いていなかったが、ギルバートの中毒性のあるカリスマ性は、傍から見ると少し異常だ。
「ギル兄か……。リヒトは『リヒト』なのにな? ごめんな? リヒト」
ギルバートはそう言うと、リヒトに向かってニコリと笑った。
◇
ものはいいようである。
水鉄砲の魔法道具はその後、『魔力を枯渇させることで蓄積できる魔力量をあげる効果が見込める』ものとして、ギルバートとリヒトの連名で、研究結果が発表されることになった。
魔法機関は優れた魔法の研究を行う者に、補助金を与えている。ギルバートはその金で、リヒトは研究をすればいいと言った。
ギルバート本人はもう、魔法道具には興味はないらしかった。
「でも、こんな不完全なものでいいんですか……?」
「役に立つなら何でもいいだろ。だいたい、この国の王は、あの双子の研究だって認めたんだろ?」
「それは、そうですが……」
リヒトは、ギルバートの言葉に素直に頷くことができなかった。
表情を暗くしたリヒトの頭を、ギルバートはわしわし撫でた。
「な、何をするんですかっ! ギル兄上!」
「そんな顔するなよ。まあ本当は、お前の名前だけで出したかったんだがな。……誰が作ったとか、誰が発表したとか、本当はそんなこと、どうでもいいはずなのにな」
魔法をろくに使えないリヒトだけでは、その価値を示せないから、だから連名にするのだと――ギルバートの言葉に、リヒトは首を傾げた。
「? ギル兄上の研究結果なのですから、当然のことです」
「――いや、あの魔法はお前のものだよ」
「それは、どういう……?」
リヒトの問いにギルバートが答える前に、子どもたちがギルバートに群がった。
「ギル兄! 来てたの!?」
水鉄砲の事件の後、ギルバートは幼等部でも、『お兄様』と化していた。
「……お兄様」
「ローズ。元気か?」
アカリの護衛を離れたローズは、ユーリとともに魔王討伐の発表を終えたこともあり、ウィルの代わりにリヒトを見守ることになった。
「はい。……あの、今日はまだここにいらっしゃるのですか?」
「いや、魔法道具のことがあって、これから大陸の王と会う予定なんだ」
ローズは兄にまだそばにいてほしかったが、軽く断られて肩を落とした。
「この魔法道具を、君が?」
ギルバートを呼び出したロイは、第一声そう尋ねた。
「はい。リヒトと共に」
ギルバートは静かにこたえた。
「リヒトの魔法については、よくご存知でしょう? リヒトの魔法道具の研究には、ほとんどこの魔法式が利用されているはずですので」
ギルバートは、リヒトの魔法がロイの手の内にあることを知っている。
「まあ今のリヒトなら、これよりも優れたものを完成させているでしょうが」
「何が言いたい?」
「いいえ、何も」
ギルバートは静かに首を横に振った。
「ただ私は、私の弟分を悲しませるようなことはしないでいただきたいと、そう願っているだけです。海の皇女に、貴方が願うように」
「……」
「ロイ・グラナトゥム様。私から一つ、提案させていただけないでしょうか?」
ギルバートはそう言うと、口を閉ざしたロイに、提案書を差し出した。
「『ハロウィンパーティー』?」
「はい。ロゼリア様にとっても、学院の他の生徒にとっても、きっといい経験になると思います」
ギルバートは公爵令息らしい笑みを浮かべた。
「ほう?」
『ハロウィンパーティー』
その祭りのことは、ロイも以前『異世界人《まれびと》』の本で読んだことがあった。
「なるほど面白い」
ロイはギルバートの差し出した計画書をパラパラと読んでから、ふっと笑った。
「いいだろう。――君の提案を受け入れよう」
少女の世界は昔から、白いカーテンと壁と天井だけだった。
まるで白いキャバスのような部屋。
それが本当に白いキャンバスなら、なんでも描くことができるはずなのに、『その場所』から動けない少女には、何を描いていいかわからなかった。
『――明ちゃん』
窓から日がさしている。
ああ朝か、と少女が思うと、楽しげな誰かの声が耳に響いた。
『おはよう。朝だよ。明ちゃん』
『起こされなくても、もう起きてます』
『アカリちゃん、今日もいい一日にしようね。というわけで、検温です』
『……』
はいと手渡されて、渋々受け取る。
少女は幼い頃から病院で過ごしてきたが、ここまでなれなれしい看護師は初めてだった。
『ねえねえ、聞いて! 明ちゃんに、私の夢を教えてあげる!』
彼女はよく、少女に話しかけてきた。
『夢?』
こっちは夢も何もない。
いつ自分は死ぬのだろうと、そればかり考えているというのに、何を言い出すのかと少女は顔をしかめた。
『私ね、魔法使いになるのが夢なんだ!』
『……いい年した大人が、何を言っているんですか』
彼女の『夢』があまりに荒唐無稽だったがために、少女は怒りではなく、ため息しか出なかった。
『大人とか、そんなの関係ないんだからっ! いい? 明ちゃん。信じる者は救われるのです』
『……魔法なんて、この世界には存在しません』
『――本当に、そう思う?』
『……』
改めて聞かれると困る。
魔法なんてこの世界には存在しないはずだ。だってこの世界は、お伽噺ではないんだから。
少女は彼女のことが苦手だった。
だが彼女は少女がどんなに拒絶しても、少女の前に現れては、予想がつかないことをした。
『お誕生日おめでとう! 明ちゃん! 明ちゃんにプレゼントです!』
色鉛筆と画用紙、布に針と糸、そして本。
頼んだわけでもないのに、彼女は少女の誕生日に、沢山のプレゼントを持ってきた。
『……これで私に、何をしろっていうんですか?』
『明ちゃんいっつも暇そうだから、暇つぶしになるかと思って。とりあえずやってみようよ!』
『いいです。別に興味なんてありません』
『えー。せっかく買ってきたのに……! 勿体無いから、私が使ってみよう……』
彼女はそう言うと、色鉛筆で絵を描き始めた。少女がチラリと絵を見てみると、気持ち悪い物体が紙の上に浮き上がっていた。
『どれだけ不器用なんですか!? うわ。気持ち悪い……』
『気持ち悪いとは失礼な! なら、明ちゃんが描いてみてよ!』
『仕方ないですね……』
少女はしぶしぶ絵を描いた。
昔から、記憶するのとは得意だった少女は、絵を描くことは苦ではなかった。
『すごい! すごいよ。明ちゃん天才!』
『別に……普通です』
『ううん。すごい! 明ちゃんは、こんなことができるんだね!』
『私は、凄くなんか……』
『凄いよ。だって、私には出来ない。明ちゃんだからできることだよ。ねえ、明ちゃん。もっと沢山描いてみて。絵だけじゃない。明ちゃんの絵本も読んでみたいな。編み物だって見てみたい。明ちゃんなら、きっとなんだって出来るから』
自分を否定してばかりだった少女に、彼女はそう言って笑った。
『すごーい!』
『別に、大したものではないです』
『そんなことないよ。だって明ちゃんがいなければ、この本も、この服も、この世界には生まれなかった。これは全部、明ちゃんがいたから、この世界に生まれたものだよ。明ちゃんは、魔法使いみたいだね』
彼女があまりにも褒めるものだから、少女は沢山絵を描いた。絵本を描いた。その本のキャラクターを、編み物で模して作った。
裸のままは可愛そうだと服を作れば、彼女はそれを目を輝かせて抱き上げた。
彼女に出会うまで、少女は自分なんて何も出来ない存在で、誰かを悲しませるばかりで、生まれた意味なんて無いんだと思っていた。
でも彼女と出会って、初めて少女は自分が、その世界に生きているのだと思えた。
『明ちゃんは、魔法使いみたいだね』
『大丈夫。明ちゃんなら、きっとできるよ』
口癖のように彼女は言った。
いつも当たり前のように笑っていた。
だからこそ、彼女の周りは陽だまりのように温かくて、きっと彼女の人生は、幸せだけに満ちているんだろうと――少女はそう思っていた。
幸福だから人に優しく出来る。誰かを思うことが出来る。
そんな優しさは偽善だと、そう否定したくても、何度も自分に向けられる笑顔に、いつの間にか心は絆されて。
少しずつ自分がその人の言葉を、受け入れようとしていることに、少女は気がついた。
だが一個人を特別視することは、彼女の立場上、あまり褒められたことではなかったらしかった。
『懲りない人ですね』
『しー! 静かにっ! 今日の私は、明ちゃんの友達として会いに来てるんだから……』
少女に構いすぎた彼女は担当が変わり、彼女は休日に少女のもとを訪れるようになった。
『そういえば、聞いていた時間より遅かったですけど、何かあったんですか?』
彼女が約束を破ることは珍しかった。少女が尋ねれば、彼女は苦笑いした。
『あはは……。子供が迷子になっててね……。話しかけたら通報されちゃって……。力になりたかっただけなんだけど、なかなか今の時代は、難しいのかなあ……。その音で親御さんは見つかったんだけど……』
男装が仇となったらしい。少女はそれを聞いて、思わず笑いかけてしまった。
『……おせっかいは程々にしてください。迷惑だと思う人もいるんですから』
『そうだ! 今日は良いもの持ってきたんだよ。明ちゃんに、このゲームをあげよう!』
『……人の話を聞いてください』
『私の推しはレオンなんだけど、明ちゃんがクリアしたら、誰が好きだったか教えて!』
ある日彼女は少女に、とるゲームを差し入れた。
『Happiness』――幸福を意味するそのゲームには、美しい少年たちが描かれていた。
『レオン?』
『そう! この乙女ゲームの中の、主人公が異世界転移する国の第一王子だよ。ちなみに婚約者持ちです』
『婚約者も持ちって……。なんでそんな人がゲームに……?』
『このゲームには、悪役令嬢が登場するの。うまくやらなかったら、こっちが断罪される側になるから気をつけてね?』
『……断罪?』
『そう。裁かれちゃうから』
『裁かれるってどういうことですか……? あと、悪役令嬢ってなんなんですか?』
『最近の流行り、かなあ?』
彼女はそう言うと首を傾げた。
彼女の話をまとめると、悪役令嬢とは自分《プレイヤー》の恋敵ということだった。
自分には、何も出来ない。誰の力にもなることが出来ない。生まれた意味を見いだせない。
病のせいで、自分は大切な人を泣かせてしまう。
自分の存在は、誰かにとって重荷でしかない。そう思っていた少女にとって、『魔法の使えない王子』の話は、なんだか妙に気になった。
『リヒト王子って、なんだか、私に似てる……。私も……誰かの力に、なれるかな?』
無力な王子が世界を救う。
それは、そんな物語。
『私も、強く――……』
そうしてちらちらと、雪が降っていたある日のことだった。
少女の容態が、彼女の目の前で急変した。
『大丈夫。大丈夫だから……落ち着いてください』
友人として訪れていたはずの彼女は、まるで『看護師』のように少女に言った。
――嘘つき。貴方の言葉は、嘘ばかりだ。
そんな言葉が、少女の脳裏に過ぎった。
彼女は嘘をついている。それは、震える手が証明している。
人間は嘘つく。うわべの言葉だけなら何だっていえる。
そう思っていた、のに。
彼女の手を、少女は振り払うことが出来なかった。
自分のために震える彼女の心が、嘘偽りのない本物だと思えたから。
だから、少女は生きようと思った。
もうすぐ自分は死ぬかもしれない。でも、彼女が最後のそばに居てくれるなら。その日までは生きようと――そう、思った。
――大丈夫。大丈夫だ。きっと、死ぬのは怖くない。だって私には貴方がいる。貴方がそばにいてくれるなら、私はその瞬間を、迎えることだって怖くない。
けれど。
『……あの。――さんは』
『退職されました』
『なんで。……なんで私を、置いていったの?』
ずっとそばにいてくれると思っていた看護師《そのひと》は、ある日何も告げずに少女の前から姿を消した。
そして再び彼女の名を少女が見つけたのは、お昼のニュースだった。
夏休みに川遊びをして、溺れかけた子どもを助け、自分だけ亡くなった女性。
『ねえ、この間のニュースって、この間退職した……』
『うん。そうらしいよ。子ども庇って、溺れて亡くなったって』
生きてさえいれば。
もしかしたらいつか会える日が来るかもしれないと、心のどこかで思っていた。
けれど誰かの命を救おうとして、亡くなったその人のことを、世界は否定した。
水の流れを考えるなら、飛び込むのは間違いだったと。子供の命は救われても、それで自分が死んだのでは意味が無いのだと言って、画面の向こう側を生きる人々は、冷静に彼女が本当にとるべきだった行動を述べた。
まるで亡くなったヒーローは、無駄に命を失った、道化とでも言うように。
『……魔法なんて、貴方に使えるはずがない。私に、使えるはずがない』
その言葉を聞きながら、少女はひとり呟いた。
この世界に奇跡は起きない。だから自分の病が治る未来なんてあり得ない。そう、思って。
『しばらく家に帰って、ゆっくり過ごすのもいいのかもしれません』
余命いくばくとしれぬ命をどう生きるか。
問われたとき、少女は家に帰ることを望んだ。自分の意志というよりは、家族がそう願っていると思ったからだ。
『道でたおれたら、流石に迷惑、かな』
少女は家を抜け出して外に出た。
どこか遠くに行きたかった。短い時間でもいい。自分が病気だと、もうすぐ死ぬ命だと、それを知らない誰かの前で。
最期くらい、『普通の女の子』として生きたかった。
『誰かっ。誰か助けて!』
その時だった。
少女が炎の中から、幼い子供の声をきいたのは。
――助け、なきゃ。
そう思うと、体が動いていた。
子どもは恐怖のあまり動けないで居るようだった。少女のポケットには、彼女に送るつもりだった刺繍の入ったハンカチがあった。
少女は子どもにそれを渡しすと、手を引いて玄関へと急いだ。
――絶対にこの命を、失ってはならない。
だが吸い込んだ煙のせいで発作がおき、息苦しさのあまり少女は床に崩れた。
上手く息が出来ない。意識が朦朧と仕掛けたとき、子どもが甲高い声で叫んだ。
『お姉ちゃん、危ない!!』
崩れた天井が、体にのしかかる。
――おかしいな。まだ大丈夫だと思っていたのに。いつの間にこんなに、火が広がっていたんだろう? ああ。でも、よかった。ここまで来たら、この子は助かる。
動けなくなった少女の頭に浮かんだのは、そんな言葉だった。
『お姉ちゃん! お姉ちゃん!』
でも同時に、もし自分が死んだなら、馬鹿な行いをしたと、きっと人は言うだろうとも少女は思った。
誰かの命を救っても、自分が死んでしまったら、それでは何の意味も無い。
望む世界はいつだって、向こう側にある。
自分が生きていても、何の意味もない。
『お姉ちゃん!!』
『はやく、逃げて』
『でも』
『いいから……行きなさい!』
少女は子供に向かって怒鳴った。
泣きそうな顔をしていた子どもは、びくりと震えて走り出す。
『貴方は、生きて。貴方は……』
自分の命の代わりに助けた子どもの姿が、小さくなる姿を眺めて、少女は微笑んだ。
あの子は助かるだろう。あの子には未来がある。未来のない自分より、あの子が助かることのほうがずっといい。自分はここで死ぬだろう。仕方ない。これは、自分の選択だ。病気で死ぬはずだった自分が、たった一つだけこの世界に残せたのが、自分にはない未来を持ったあの子で良かった――少女は、心からそう思った。
――明が、無事でよかった。
――明。もう、大丈夫。大丈夫よ……。
『……お母さん、お父さん』
炎の勢いが増していく。自分を取り囲む炎を見ながら、両親の顔を思い出して、少女は涙した。
これまで生きてきて、ずっと抱えていた感情が蘇って、少女は胸が苦しくなった。
二人は悲しむだろうか。自分の死を、泣いて悲しんでくれるだろうか。それとも――咲くことのない蕾が枯れて、新しい花を咲かせられることを、喜んでくれるだろうか?
美しい薔薇を咲かせるには、剪定が必要だ。
自分という蕾を切ることで、いつかもしかしたら二人のもとに、新しい花を咲かせることができるかもしれないなら。
『要らないのは、私』
望むのは、窓枠の向こう側。
それは永遠に手に入らなくても、少女は何もできない無力な自分が、少しだけ世界に関わることができたような気がした。
その時だった。
少女は先ほどとは違う子どもが、自分の前に立っていることに気がついた。
『……貴方は、誰?』
『――貴方こそ、光の聖女に相応しい』
子どものような小さな手が、自分に向かって差し伸べられる。子どもは、色とりどりの宝石で作られた首飾りを身につけていた。
その後のことはもう、少女は意識を失ってしまって覚えていない。
『光の聖女様だ! 召喚は成功だ!』
少女が目をあけると、窓の向こうに月が見えた。
『俺はリヒト・クリスタロス。君の名前は?』
――僕はレオン・クリスタロス。君の名前は?
それはまるで、昔したことのある『ゲーム』の台詞ような。
でも本当に『ゲーム』なら、そのセリフはレオンの言葉のはずだった。
『リヒト、様……?』
『私は、ユーリ・セルジェスカ。クリスタロス王国の騎士団長を努めております。この国のために、ともに戦ってください。光の聖女様』
そこは、二つの月が存在する世界。
二つの月が重なる夜に、異世界の扉は開かれる。
少女はその夜、『光の聖女』として、魔王を討伐するために召喚されたのだと聞かされた。
『召喚』された世界には、ゲームのようなステータスなんて存在しない。
魔法が存在しない世界で生きてきた少女に、魔法を正しく教えてくれる人間は、誰一人としていなかった。
それでも聖女としての力を、異世界の人間たちは少女に求めた。
『聖女様は、まだ魔法を使えないらしい』
『召喚は、失敗だったか?』
そんな言葉を、何度も少女は聞いた。
否定されることには慣れていた。希望なんて、抱くほど悲しくなる。未来を夢見て前を向けば向くほど、世界は自分を否定する。
この世界も同じだと少女は思った。世界は私を疎外する。人を信じることは馬鹿げている。所詮信じた分だけ、期待した分だけ傷付くだけだ。
『お嬢様! この女を信用してはいけません。彼女がお嬢様のことを、どう呼んでいたかご存知ですか? 彼女は――……お嬢様のことを悪役令嬢などと!』
この世界は、ゲームの『セカイ』。
けれどその中でたった一人だけが、少女に『向こう側』から手を差し伸べた。
だから少女はその言葉を、信じたいと思った。
『私は、貴方を信じます』
――明ちゃんなら、きっとできるよ。
その言葉が、行動が、もうこの世界には居ない誰かと重なる。
だからこそ、温かな手に触れられて、少女は涙が止まらなかった。
震える手を覚えている。優しい嘘を知っている。
「夢。これは」
少女はそっと、自分の手を包んだ。
――大丈夫。大丈夫だ。私の手はずっと、震えてなんかいない。
「全部夢、なの……」
◇◆◇
「それでは、作ったお菓子はローズ様に贈っても宜しいのですか?」
「はい。あの、ただ子どもたちに配るものを、先に作っていただけたらと」
ギルバートの提案により急遽開催されることになった『ハロウィンパーティー』の準備で、学園は騒がしさを増していた。
ギルバートに菓子の調達を頼まれたローズは、グラナトゥムに来てから自分に菓子を渡そうとしてきた人々に声をかけることにした。
ローズの頼みとあって、誰もが快諾してくれた。
――魔王を倒した『剣神』ローズ・クロサイト様が、『ハロウィンパーティー』のためにお菓子を集めているらしい――
この噂はまたたく間に広まり、それに伴い『ハロウィンパーティー』のために仮装用の衣装や、魔法での演出が出来る人間が必要という話も広がり、学院中はわずか数日で、お祭りモード一色になった。
「異世界の文化を楽しめるように場を設けようとご提案なさるなんて、流石ローズ様ですわ!」
「その通りですわ!」
「あの、ですからこの提案はお兄様が……」
ロイに提案をしたのは、ローズではなく兄のギルバートである。
ローズは訂正しようとしたが、誰も彼もローズを褒め称えるばかりで、訂正はかなわなかった。
――駄目だ。誰も私の話を聞いていない。
誰もが自分をもてはやす。そんな光景に、ローズは少し引いていた。
彼らの中には、『自分ではない自分』がすでに存在しているような気がして、ローズは強く否定ができず口を噤んだ。
「ローズ。準備は進んでいるか?」
「お兄様!」
ローズが溜め息を吐いていると、大好きなその人に名前を呼ばれ、ローズは目を輝かせた。
ギルバートは珍しく眼鏡をかけていた。
「お兄様、どうして眼鏡を?」
「リヒトから借りたんだ」
ギルバートは眼鏡をおしあげて答えた。
以前リヒトが、自分にいるかと聞いてきたことをローズは思い出した。
特殊な性能があるものなのだろうと思いつつ、ローズはめったに見れない兄の眼鏡姿を凝視していた。
「あんまり見るな」
「も、申し訳ございません」
額につんと指を押し当てられ、ローズは慌てて頭を下げる。おずおずと顔を上げると、ローズは兄に尋ねた。
「そういえば、お兄様。このはろうぃん、というお祭りは、実際どんなお祭りなのですか?」
「何も知らずに協力していたのか?」
「お兄様が考えられたことですし。それにお菓子の調達となりますと、早めに頼んだ方がいいかと思いましたので」
兄が提案し、ロイが許可を出した。
ならば悪いことではないだろうとローズは考え、とりあえず兄に任された仕事を効率よくこなすために、人に頼もうと思い動くことにしたのだ。
自分に絶対的な信頼を寄せる妹の返答に、ギルバートは苦笑いした。
「ありがとうな」
ギルバートはそう言うと、ローズに微笑んだ。
『ハロウィン』
『異世界人《まれびと》』の記録によると、それは死者の霊が帰ってくる時期にやってくる、おばけや魔女を追い払うための祭りだと伝えられている。
そしてこの祭りでは、一つの合言葉が用いられる。
『Trick or Treat』
「お菓子をくれなきゃいたずらするぞ(いたずらとお菓子どっちがいい?)」という意味のこの言葉を口にして、子どもたちは仮装をして、『ジャック・オー・ランタン』と呼ばれるかぼちゃの明かりの灯されている家の扉を叩いてお菓子を集めて回る。
お菓子を集めたあとの楽しみは、どれだけ多くのお菓子を集めたか競い合うこと。
そしてそのあとは、みんなでごちそうを食べてパーティーをする。
かぼちゃのケーキ、かぼちゃの種のお菓子。好きな果物にチョコレートをフォンデュしてどんちゃん騒ぎ。
それが、この世界に伝わる『ハロウィン』だ。
◇
「ローズ。服はもう決めたか?」
「いいえ。まだ……お兄様はもう決められたのですか?」
パーティー当日。
ローズは兄に尋ねられ、静かに首を振った。
今回のハロウィンでは、服は全て学校側が用意することになっていた。
ベアトリーチェの服に使われていた新素材。伸縮性のある服を用意することで、誰もが着れる服を用意して、仮装のかぶりを減らそうという取り組みだ。
もともとグラナトゥムで開発された素材ということもあり、学院には各国から生徒が集まっているため、宣伝も兼ねているらしかった。
「今回の仮装は全員分くじで決めることになったから、お前たちも早く引きに行けよ」
「衣装は選べないんですか?」
リヒトの問いに、ギルバートはにやっと笑った。
「ああ。くじなら平等だろう? 早く行かないと余り物になるぞ。ここはもういいから、お前たちも行ってこい」
「それでは、私たちもはやく引きにいきましょうか。リヒト様」
「……ああ」
ローズに急かされ、リヒトは頷いた。
「『剣神』様! 『剣神』様がいらしたわ!」
衣装担当の生徒たちは、ローズを見るなり声を上げた。
背中に黒い小さな羽と白い羽をつけた少女たちは、二つの箱を抱えていた。
「この二つにはどんな違いが?」
「入っている衣装の系統が違うんです。白の箱には『かわいい』服、黒の箱には『かっこいい』服が入っています」
「黒の箱には吸血鬼や狼男。白の箱には妖精や幽霊、『使い魔』枠で白色コウモリなどが入っておりますの」
ローズがどちらを引くか悩んでいると、黒い箱を持った女生徒が、目を輝かせてローズに箱を突き出した。
「是非黒い箱を! 吸血鬼だったら素敵です! ローズ様になら、血を吸われたいと思う者もいるでしょう。きっとお似合いになります!」
「何仰ってますの! 剣神様の可愛らしいお姿を見たい者も多いはずですわ! 是非こちらの白い箱を!」
黒い箱を持った少女に続き、白い箱を持った少女がローズに箱を差し出した。
「ええと……」
「何も分かっていらっしゃらないんですね。ローズ様の魅力を引き出せるのは黒い箱に決まっています」
「貴方こそ、白い軍服を纏うローズ様の神々しさを拝見されたことがないのですわね。ローズ様は白がお似合いになりますの! それに、ローズ様は女性ですわ。可愛らしい服をお召しになっている姿を見たい方だって、きっと多いはずですわ!」
「それは貴方が見たいという話でしょう? 男性に邪な視線を向けられては、ローズ様がお可哀想だとは思われないのですか? 黒ならばその心配がありません!」
「……」
「「どちらをひかれますの(ひくんですか)!?」」
――圧がすごい。
ローズは詰め寄られてたじろいだ。
「あ、あの……っ!」
面倒だからどちらも選びたくないとローズが思った、まさにその時。
ローズの前に、もう一つの箱が差し出された。
「せっかくのお祭りなのに……ふたりとも。喧嘩、しないでください。せっかく、みんなで準備したのに……」
小さなおかっぱ頭の少女の手には、灰色の箱が抱えられていた。
白と黒とが選べないなら。
「では、私はこちらを引かせていただきます」
ローズはそう言うと、灰色の箱に手をいれた。
◇
歩くたび、ちりん、という鈴の音が鳴る。
長く伸びた黒い尾は揺れ、道行く人の誰もが彼女を振り返る。
眼を瞬かせて驚く者、小さくこちらを指さす者、頬を染める者。彼らの反応を見ながら、ローズは心の中で溜め息を吐いた。
――やっぱり、この衣装は私は似合っていないのではないでしょうか……?
黒でもない白でもない箱。
その中から出てきたのは、普段ほローズなら、絶対に選ばない服だった。
――丈が短い気がしますし、なんだかスースーします。私はあまりこのような服は着たことがありませんが、もしかしてグラナトゥムでは、こういう服が流行っているのでしょうか……?
ローズは昔から流行に疎い。というより、関心がなかった。
いつもは周りが用意した服か、最近は軍服しか着ていなかった彼女にとって、仮装衣装は随分刺激的なものに思えた。
だが、用意されたものを着ないわけにはいかない。ローズは根が真面目なのだった。
「あ! おねーちゃん来たよ! リヒト様!」
「こっちだよ! おねーちゃん!」
ジュテファーと入れ替わりでリヒトの護衛になってから、幼等部の生徒たちにローズを受け入れられた。
ギルバートの妹ということもあり、ローズは『お姉ちゃん』と呼ばれている。
ただ、少女たちには囲まれても、少年たちはあまりローズに近寄ろうとはしなかった。
人々の視線を浴びながらパーティー会場まで向かっていたローズは、子どもたちが手を振る姿を見て道を急いだ。
子どもたちの声でローズに気付いたリヒトは、振り返ってから叫んだ。
「ローズ。着替えてきたか……って。何だよその格好!?」
『にゃーん』
ローズの服は、普段の彼女なら絶対に着るはずのない黒猫の衣装だった。
かっこいい黒とと可愛い使い魔枠を足した結果、魔女の『使い魔』である黒猫が採用されたらしい。
大きく開いた胸元。丈の短いドレスには、何故か動くしっぽがついていた。首元には、金色の小さな鈴付きの黒いレースのあしらわれたチョーカー。
高さのある黒いヒールは、ローズが女性の中では身長が高い方ということもあって、リヒトはローズに見下ろされる形になっていた。
「……やっぱり変でしょうか?」
「そんなことないよ! お姉ちゃん可愛いよ!」
少女たちはローズを励まそうとしたものの、リヒトの反応に、ローズの声の調子が下がる。
「リヒト様のせいでお姉ちゃん落ち込んじゃった……」
「大丈夫だよ。お姉ちゃん。可愛いよ。すごく似合ってる!」
「ね? リヒト様もそう思うよね?」
団結した少女たちに同意を求められ、リヒトは慌てた。ローズはじっとリヒトを見つめた。
「へ、変じゃない……。似合ってる。けど、でも、でも……!!」
リヒトはローズを一度直視してから下を向くと、声にならない言葉を発して、自分のマントを脱いでローズに渡した。
「え?」
「さ、寒いだろう? これを着ておけ」
リヒトの耳は、真っ赤に染まっていた。
「……ありがとうございます」
「よかったね! お姉ちゃん!」
「マントがあるとかっこよくてもっと素敵!」
リヒトの仮装は吸血鬼だった。
内側が赤い大きな黒マントを渡され、ローズは少し悩んでからマントを羽織った。
足下まである黒マントは、黒猫の服と違って温かい。
――けれど。
「リヒトの衣装、マントがないと吸血鬼っぽくないな」
「確かに……吸血鬼というより、どちらかというと執事のようですね」
「……」
フィズとローズに酷評され、リヒトは沈黙した。
ドラキュラの最大構成要素、黒マント説。
リヒトは吸血鬼から執事に格下げになり、吸血黒猫が爆誕した。
◇
「光ってる!」
日が落ちると、学院には光る看板が現れた。
「これは、『夜光塗料』ですね」
光る文字を目を輝かせて見つめる子どもたちに、ローズは冷静に説明した。
「とある蝶の鱗粉が、光るという性質を活かして作られたものです」
「知っていたのか?」
「お兄様からお話を聞いていたので。暗い道で迷子にならないように、案内を設置すると」
リヒトの問いにローズは淡々と答えた。
矢印通りに進めば、中庭へと出たが、そこには光る看板はおろか、灯火一つなかった。
「ここで、場所はあっていると思うのですが……」
その時だった。
「――ようこそ! ハロウィンパーティーへ!」
広場に集められた生徒たちは、闇の中に響いた『王』の力強い声に、一斉に顔を上げた。
空から、マントを羽織った男が落ちてくる。
男は地面に着地する少し前、風魔法を使うと、静かに着地してマントを脱ぎ捨てた。
狼男の仮装をしたロイは、赤頭巾の格好をしたシャルルを抱きかかえていた。
ロイの言葉と同時に、オレンジ色の温かな明かりが次々灯る。
カボチャの形をした灯りの他に、白い浮遊物体が出現し、一部の生徒からは悲鳴が上がった。
「お、おばけぇ……っ!」
確かに一見、まるで『幽霊』だった。しかしそれにしては――……。
「これ、魔法だな」
ローズが眼を細めていると、魔法の残滓を可視化できる眼鏡を掛けたリヒトが、ローズよりもはやく上空を見上げていった。
「そうなのですか?」
「ああ。風魔法で誰かが操っているみたいだ。うっすら光っているのは、さっきの塗料のせいらしい」
よくよく見てみると、白い浮遊物体は薄い紙で出来ているようだった。
「――静かに。種明かしは無粋だぞ」
冷静に分析していると、ロイの窘める声が響いて、リヒトは口を手で覆った。その様子を見て、ロイは頷いた。
「今日はみなに楽しんで貰いたいからな。配慮して貰えると嬉しい」
ロイがそう言うと、シャルルは小さなカボチャ型の明かりを掲げた。
「今回のハロウィンパーティーでは、学院に飾ってるこの飾りを探してもらう。中には菓子か、鍵が入っている」
シャルルは、カボチャの中から飴と鍵をとりだした。
「学年ごとに、手にすることが出来る鍵の色は決まっている。幼等部は緑、中等部は赤、高等部は金色だ。この鍵を五つそろえると、とある場所への扉が開かれる。そこでは、より多くの菓子を手に入れることが出来る。……また、今回のハロウィンでは特別に、ある特典を設けることにした。ハロウィンパーティーが終わるまでの間、この学院に最も相応しい行いをしたと判断された者には、俺が何でも一つ、願いごとを叶えてやろう」
『大陸の王』から願いごとを叶えてもらえる――ロイの言葉に、わっと声が上がる。
リヒトは、シャルルを抱えたまま生徒たちを見下ろして、王らしく笑うロイを見上げ、独り言を呟くようにローズに訊ねた。
「……なあ、ローズ。『ハロウィン』ってこんな祭りだったか?」
「より多くの生徒が楽しめるよう、仮装してお菓子を集めるという趣旨は残し、魔法学校ということも考慮して企画がねられたそうです」
――それはもう、ハロウィンではないのでは?
リヒトは突っ込みたかったが、雰囲気を壊すのは無粋かと思って口を噤んだ。
ジュテファーの代わり、リヒトには二人の護衛がついている。
アルフレッドとローズは、幼等部のメンバーとして参加が許された。
今回特例として、『自分が命令できる相手』や『護衛』を使うことも許したためだ。
利用できるものは利用する。
そして、ロイに『学院に最も相応しいと判断された者』になるために――……各国から集められた王侯貴族の一番多い高等部は、ギラギラと目を光らせていた。
そんな中。
「優勝するぞ!」
「お――っ!」
幼等部の子どもたちは円陣を組み、やる気十分だった。
ハロウィンパーティーの開始の鐘がなり、生徒たちはかぼちゃのランタン探しに躍起になっていた。
ランタンは空中に浮かんでいることもあり、今回の企画は、空を飛べる生徒たちが有利のようにローズには思えた。
レオンがそうであるように、高等部の生徒の中には騎乗したうえで飛行可能な、高位の契約獣との契約を行っている者も多い。
そのことをふまえると、幼等部の生徒たちは明らかに不利だった。
「みんなやる気十分だな」
それでも、幼等部の生徒たちは負ける気など更々なかった。
元々魔法の才能をかわれて入学したのだ。『魔法の才能』だけならば、年上だろうと引けは取らない。
エミリーに子守を頼まれたリヒトは、彼らの行動を見守っていた。
「お姉ちゃん、あったよ! 飴が入ってた!」
大きな帽子をかぶり、箒にのって飛ぶ。
風魔法使いの少女はランタンから菓子を取り出すと、ローズに手渡した。
「ありがとう。また一つ増えました」
ローズは指輪の『収納』を活かして、荷物持ちを担当していた。
その任をこなしながら、ローズ自身も菓子を集めていく。全属性使えるローズは、当然風魔法での飛行も可能だ。
「ローズ……も、やる気十分だな」
「当然です。やるからには勝たなければ」
ローズは飴を手に、大きく頷いた。
今回のハロウィンパーティーでは、光魔法で明かりを作るのは禁じられている。
白い紙で作られたぼんやり浮かぶ『幽霊』と、オレンジ色のランタンだけが、学園に灯された唯一の光だ。
夜の校内を歩いて回る――それは、さながら。
「『肝試し』のようですね」
ローズがぽつりそんなことを呟くと、子どもたちは首を傾げた。
「『肝試し』って、なに?」
「夜の学校を、いくつかの地点を設けてまわるイベントを異世界ではそう呼ぶそうです。中にはいわく付きの場所もあり、任務をこなしながら進む必要もあるようです」
「?? 『いわく』……って?」
少女は可愛らしく首を傾げた。
「――夜に勝手に動く人体模型」
その問いに、ローズは声音を変えずに答えた。
「夜に数えると、何故か増える怪談。学校の三階トイレに住んでいるという、火事で焼け死んだ赤いスカートの子どもの霊、誰もいない音楽室から聞こえるピアノの音色を辿り教室の扉を開けると、肖像画から血の涙が流れ出るという……」
「ふぇっ!?」
ローズが語り出した『怪談』に、少女は思わずリヒトに抱きついた。その体は小さく震えている。
「それから――……」
「ろ……ローズ!」
「はい?」
まだ続けようとするローズに気付いて、リヒトは声を上げた。
七不思議を全て話そうとしていたローズは、何故リヒトが声を上げたかわからず首を傾げた。
「その話、今はやめろ。怖がってる!」
「え?」
リヒトに指定され、ローズはようやく震える子どもたちに気がついて口を閉ざした。どうやら自分は『失敗』したらしいと頭を下げる。
「申し訳ありません。楽しんでもらえたらと思ったのですが……」
「……」
悪気はなかったと謝るローズを見ながら、リヒトは幼い頃、ギルバートに自分とユーリとローズが夜に脅かされた過去を思い出した。
自分とユーリが死ぬほど驚いて震えた中、ローズは『白い布を被って脅かす』という発想がすごいと、何故かギルバートを褒め称えていた。
「……それよりローズ、なんでそんな話を知ってるんだ?」
「お兄様が、今回の企画は異世界の異文化交流だと仰っていたので、異世界について私も少し勉強しようかと思いまして」
ローズはそう言うと、いそいそと指輪から本を取り出した。
『異世界人《まれびと》』によって書かれた本の表紙には、白い幽霊が描かれている。
リヒトは頭を抱えた。
自分の幼馴染みは昔から真面目だが、たまにやることが少しずれている。
だが魔法の研究においてはおかしいと言われることも多いリヒトは、ローズの疵瑕を責めることはしなかった。
「――うん。わかった。ローズは、みんなを楽しませたかっただけなんだよな? ただ、とりあえずそれはしまってくれ。今は別の話をしよう」
リヒトはそう言うと、自分の服を掴んで震える子どもたちに笑って尋ねた。
「なあ。みんなは、選ばれたらどんな願いを叶えて貰うんだ?」
リヒトの問いに、子どもたちの顔が、ぱっと明るくなる。
「私? 私はね、お姫様のドレスを着せてもらいたい!」
「私はね、美味しいごちそういっぱいお願いするの!」
「俺は陛下のレグアルガに乗せてもらう!!」
「魔法の指南をしてもらう!!」
「どれも楽しそうだな」
リヒトは素直にそう思った。小さな子たちが元気なのは微笑ましい。
「……のんきなものですね」
だがその様子を見て、幼くして騎士としてリヒトの護衛をつとめるアルフレッドは、はあと小さく溜め息を吐いた。
「アルフレッド?」
「彼らの立場からすれば、あの王に将来いい条件で雇ってもらうとかが、一番有益そうですけど」
いつもは空気を読まない彼の言葉は、年の割に大人びている。リヒトはアルフレッドの言葉に苦笑いした。
「うーん……。でも、そういうことを言うあいつらは見たくないんだよなあ……」
「……じゃあ、リヒト様が」
「ん?」
「リヒト様がもし選ばれたら、どうされるんですか?」
「俺か? 俺は……そうだな」
リヒトはふむと考えてみた。
エミリーに引率を頼まれていたため、自分が選ばれる可能性なんて、彼は微塵も考えていなかった。
だがもし、自分が『願える』なら。
「今日の参加している全員が、楽しめるようなことを頼むかな」
「……自分のためには使われないんですか?」
「自分のため、っていってもなあ……。特に何も思い浮かばないし、強いて言えばクリスタロスのためにとは思うけど、祭りの特典を使って国としてお願いするっていうのは、何か違うとも思うんだよな。両方に利益がある、とかならいいと思うんだけど」
なんとなく自分はロイを相手に、下手《したて》に出るのが嫌なのかもしれないともリヒトは思った。
困ったように笑うリヒトを見て、アルフレッドは腕を組んで溜め息を吐いた。
「リヒト様」
ローズに呼ばれて、リヒトは振り返った。
「ローズ。どうだ? だいぶ集まったか?」
ローズが回収したお菓子は収納しているため、今の数量がわからない。リヒトの問いに、ローズは首を横に振った。
「お菓子は見つかるのですが、鍵まだ一つしか見つかっていません。ですので、捜索方法を変えた方がいいかもしれません」
ローズの言葉を聞いて、リヒトはふむと口元に手を当てた。
――そういえば。
「因みにその鍵って、同じランタンに入ってるんだよな?」
「一個はそうでしたので、おそらくは」
幼等部が現在持っている鍵は、ローズが見つけたものだ。その際、ランタンの中にはいくつかの鍵が入っていた。
リヒトはローズの言葉を聞いて頷いた。
「鍵を優先するとするなら、他の人間がどこで見つけたのかが分かればは、捜索の時間は短縮できるかもしれないな。――アルフレッド」
「りょーかいです」
リヒトに呼ばれ、アルフレッドは石に触れると魔法を発動させた。黒い煙が、彼の足元から舞い上がる。
アルフレッドは人の良さそうな顔をして、黒い笑みを浮かべた。
「盗み聞きなら、お任せくださいっ!」
◇
アルフレッドの能力は密偵に適していた。特に夜の場合、自身の体を闇に同化させることが可能だ。
「鍵の場所が特定できたので、その分は回収してきました」
魔法を解いたアルフレッドは、ローズに鍵を手渡した。
「これで三つ、か……」
「――それと、報告です」
「うん?」
「どうやら他のところは、何かと問題が起きているみたいです」
アルフレッドはにやりと笑った。
「選ばれるのは一人。だとしたら、争いが起きても仕方ありません」
ローズは静かに目を伏せた。それは、当初から協力しあっていた幼等部からすれば朗報だった。お互い潰し合ってくれれば、そのぶん時間が稼げる。
鍵はあと二つ――ローズたちが次はどうするかと考えていたら、子どもたちの声が響いた。
「ねえ、見て! このかぼちゃ、隠されたの!」
高い木の上に吊るされたランタンは、黒い布のようなもので覆われていた。
リヒトは木を見上げて呟いた。
「……なるほどな。確かに、妨害は禁じられていない」
「なんだよ。そんなのずるじゃんか!」
「せこい!」
いい計略だと頷くリヒトに対し、子どもたちからの光の遮蔽作戦の評価は散々だった。
そしてリヒトは木を見上げながら――あることに気付き、声を上げて笑った。
「ははははは! なるほど、そうだよな!」
「り……リヒト? どうしたんだ? 変なものでも食べたのか?」
「ああいや、そうじゃないんだ。フィズ。もしかしたら……向こうが本当に『隠した』のなら、これは逆に俺たちに有利に働くかもしれないぞ」
「え?」
「リヒト様、もしかして……」
「ああ。これなら、魔法の残滓が確認できる」
理解できない子どもたちに、リヒトは自作の眼鏡を取り出した。
この暗闇の中で、『隠す』ために、『見つける』ために魔法が使われたなら、リヒトにとっては目印が用意されたに等しい。
それは、祭りの後半でこそ使えるリヒトだけの武器だ。
「リヒト、その眼鏡貸して!」
「ダサいけど今日は我慢してやる!」
早くよこせと手を出す子どもたちに、リヒトは眼鏡を渡した。
これまで酷評されてきたものが、まさかこんなこところで日の目を見るとは、リヒトは思ってもみなかった。
「見える! 見えるぞ! 隠された財宝が!」
「隠そうと無駄だ! ふはははは! 正義は勝つ!」
高笑いをする子どもたちの声は闇夜に響く。
「そこ、隠れてる!」
「あった!」
魔法の残滓を辿る。土の中に隠されようが、地属性魔法を使って開けた穴なら容易に追跡できる。
「なんだか、楽しくなってきましたね」
ローズは目を輝かせた。
これなら勝てるかもしれない。自分はリヒトの護衛だが、罠などを仕掛けず正々堂々戦った幼等部が一番になれるとしたら、ローズとしても喜ばしいことに思えた。
「元気が良くて何よりだ。……っくしゅんっ!」
その時リヒトがくしゃみをして、ローズは目を瞬かせた。
「リヒト様、大丈夫ですか? あの、もしかして私のせいで……」
ローズにマントを渡したリヒトの服は、よく見ると寒そうに見えた。
「ああいや、問題ない。気にするな」
ローズがマントを脱ごうとすると、リヒトは片手を上げてローズを静止した。
「ローズの服は元々薄着だったからな。脱いだらローズが風邪を引くだろ」
「リヒト様……」
鼻を赤くして自分に笑うリヒトを見て、ローズは足元にあった空《から》のランタンを持ち上げた。
「『光』は駄目だとのことですが、『炎』を使うことは禁じられておりませんでしたので」
ローズはランタンの中に蝋燭を立て、火をともすとリヒトに手渡した。
心なしか、温かい……気がする。リヒトはローズからあかりを受け取ると、その優しい色を見て、表情を和らげた。
「ありがとう」
その時だった。
「五個目の鍵、見つけたぞ!」
幼等部の生徒の声が響いた。その声に重なるように、放送が学園内に響き渡る。
『幼等部が、五つ目の鍵を集めました!』
「はあ!? 速すぎるだろ!?」
「きっとローズ様の魔法に違いありませんわ!」
「くそ。これじゃああいつらに奪われる!」
「鍵を集めよう! まずはあいつらに追いつくんだ!」
放送を皮切りに、バラバラだった生徒たちが集まっていく。
いがみ合い、自分の手柄ばかり考えて、幼等部に遅れを取るわけには行かない。
「リヒト様、ローズ様、急いでください。他の連中も団結し始めました」
闇に紛れて様子を観察していたアルフレッドは、すぐに合流してから二人に報告した。
リヒトの手には、五つの鍵がある。
「しかしこれから、どうやってこの鍵を使えばいいんだ?」
リヒトが首を傾げていると、ローズはあるものを見つけて指さした。
「リヒト様、あれを見てください!」
「これは……」
「『おばけ』が、いっぱい集まってる……?」
『ハロウィンパーティー』が始まってから、校内に現れた『幽霊』は、列をなしてある方向へと向かっていた。
「たぶん、あれが目印です。行きましょう!」
ローズの声を聞いて、子どもたちは走り出した。
◇
暗い道をしばらく進むと、いつもはなにもないはずの場所に、木製の扉のついた『玄関』が現れた。
扉の前には、黒い魔女の帽子を被ったランタンが置かれていた。
ローズが扉に触れると、ランタンの中にからシャルルの可愛らしい声が響いた。
「『呪文を唱えて、扉を開けてください』」
その声は、まるで誰かに渡された紙を読み上げているかのようだった。
「呪文……? 呪文って、何?」
首を傾げる子どもたちを前に、ローズとリヒトだけが脱力したような顔をしていた。
「リヒト様……これは『あれ』ではないですか?」
「そうだな。たぶんギル兄上の改変のせいで消えたあの呪文だな……」
「お姉ちゃんとリヒト様は知ってるの!? 教えて教えて!」
ローズとリヒトは子どもたちに耳打ちした。
「では……全員で扉を開けましょう。せーのっ!」
ローズの声に合わせ、子どもたちの高い声が静寂に響く。
それは、『呪文』を知らない他の生徒たちの耳にも届く。
「「「とりっく・おあ・とりーと!」」」
「扉が開いた!!!」
「みんな、中に入るぞ!」
『呪文』により開かれた扉の中に、幼等部の生徒たちは一斉に駆け込んだ。
「ここ、本当なら校庭がある場所だよね……?」
しかし扉の奥にあったのは、壁で仕切られた空間だった。
「行き止まりになってる……」
「もしかして、これは迷路でしょうか?」
ローズは壁に触れた。
ただの迷路なら、解き方は知っている――ローズが、そう思っていると。
「なんだ? あれ……?」
誰かが空を指して、その声を聞いて全員が空を見上げた。
そしてそこにあった『ありえない』ものを見上げて、誰かが叫んだ。
「空に、巨大なカボチャが浮かんでる!?」
空に浮かぶ巨大なジャック・オー・ランタン。
その周りには、祭祀を行うためかのように、白い『幽霊』たちがぐるぐると取り囲んでいた。
「どうやら間違った方に進むと、罠が待ち受けているみたいです!」
「――リヒト様、試してみましたが、空中を飛ぶのは無理のようです」
「じゃあやっぱり、進むにはこれをとくしかいってことか……」
アルフレッドとローズの報告を聞き、リヒトは顔を顰めてその『問題』を見た。
鍵を集めて開いた扉。そして現れた巨大な迷路。しかし先に進むには、問いに答える必要があった。
【『地震〇〇〇〇火事親父』さて、〇〇に入るのはなーんだ?】
「ローズ……これ多分、『異世界』の言葉だよな?」
「異世界?」
リヒトの問いに、ローズは首を傾げた。
「ギル兄上が言っていたんだろう? 異文化交流だって……」
「確かに、そう仰ってはいましたが……」
ローズが異世界について勉強しようとしたことは、あながち間違いではなかったのかもしれない。今のリヒトにはそう思えた。
異世界の記憶を持つ『異世界人《まれびと》』は、アカリの他にも学院内にも存在している。つまり前に進むには、彼らの助力を願うか、実力でとくしかない。
借り物競争として戦うか、それとも知識で解き明かすか。
おそらくこれは、そういう勝負だ。
「アカリならわかるのかもしれませんが……」
「アカリは今、どこにいる?」
アカリは高等部所属だが、ローズが頼めば協力してくれるはずだ。
リヒトが尋ねると、ローズは表情を少し曇らせた。
「申し訳ありません。最近避けられているようで、話せていないのでわかりません」
ロイの配慮もあって、今、ローズとアカリの部屋は別室となっている。そのせいで、アカリと顔を合わせるのも、最近のローズには難しくなっていた。
「……なんで避けられてるんだ? ユーリとのことがあって部屋を別れたとは聞いていたけど、喧嘩でもしたのか? 仲は良さそうに見えていたんだが……」
「それが、私にもよくわからなくて」
ローズは静かに目を伏せた。
「私自身、あまり親しい女性の友人というものがこれまでいなかったので。喧嘩、というものも、あまりしたことがなくて……」
公の場での『交流』は出来ても、私人として友人を作ることは下手なことはローズ自身自覚していた。
「俺のせいか?」
ローズが下を向いていると、リヒトが小声で尋ねた。
「いえ。リヒト様と私なら、アカリは私を選んでくれると思うので違うと思います」
「…………そうだな」
もしかして自分のせいで二人が喧嘩したんだろうか? そう思い尋ねれば、きっぱり否定され、リヒトはガックリと肩を落とした。
仮にも王子だというのに、何度も振られている気がするのは気のせいだろうか?
リヒトが項垂れていると、その瞬間、凛とした少女の声が響いた。
「――答えは、『雷』です」
『正解です。雷属性の魔法を使うと、扉が開きます』
続いて、シャルルの無機質な声が響く。
「わかるのか!?」
ローズとリヒトが振り返ると、そこには白い布を一枚被った、おばけの格好をした子供がいた。
「雷なら任せろ!」
子どもたちの一人はそう言うと、貸し出されている石に触れ、魔法を展開させる。
蛇のように空中を這う雷は、扉の枠を囲むように光を走らせ、一周回ったところで、扉は音を立てて奥の方へと倒れた。
「すごい! 開いた!!!」
漸く次の道が開かれ、子どもたちがわっと声を上げる。
「リヒト様、あの子……」
「ああ、そうだな。さっきまでいなかった」
知らぬ間に、一人子どもが増えている。
リヒトは怪訝な顔をした。
目元だけくり抜かれた布の奥には、金色の瞳が光って見えた。
【月日が過ぎていくことはとてもはやいということ。矢にたとえてなんという?】
「『光陰矢のごとし』」
『正解です。光魔法と闇魔法を同時に使うと次の道が開きます』
「次は光魔法ね!私に任せて!!」
「闇魔法ならおれがやる!」
与えられる問題を、お化けの格好をした子どもは次々に解いていく。
ローズとリヒトは、扉が開くのを後ろから眺めていた。
「……やっぱり、これだけ属性が異なる魔法が必要となると、それを想定してこの迷路が作られた考えるべきだよな」
「そうですね。それぞれ足を引っ張って、自分だけで勝とうとするのは難しいように思います」
ローズでなくては、全属性の魔法を使うというのは不可能だ。
「だよなあ……」
となると、ロイの言葉の意味が分からない。
リヒトはうーんと小さくうなった。
『この学院に最も相応しい行いをしたと判断された者には、俺が何でも一つ、願いごとを叶えてやろう』
だとしたら、あの言葉の意味はなんだろうか?
「そうなるとやっぱり謎なんだよなあ……」
鍵をより多く見つめたもの、飴を多く見つけたもの、謎を解いたもの、扉をより多く開いたもの。
貢献度により表彰されるとして、どれかが該当するにしても、扉を開くための謎解きに魔法が必要になるなら、公平な条件での一人勝ちは難しいようにリヒトは思った。
そうやって、リヒトが唸っていると。
「リヒト様、わかりました。もしかしたら……」
ローズが『いいことを思いついた』という顔をして目を輝かせた。
「もしかしたら?」
「あの子は『座敷童』かもしれません!」
「――……は?」
「いないはずのもうひとりの子ども。幸運を運んでくれる存在だと、本に書いてありました!」
「いやいや、待て。なんでそうなる!?」
積極的に質問を解く座敷わらしがいてたまるか!
目立ちすぎである。
リヒトは頭をおさえた。異世界人《まれびと》の記録は断片的で、ローズがどの本を読んだからはわからないが、リヒトが知る限り、座敷わらしは屋敷に居付くおばけのようなものだったはずだ。
リヒトがはあとため息を吐くと、ローズが少し不機嫌そうにたずねた。
「では他に何か思いつかれることでも?」
この学院の――幼等部の生徒には、あんな瞳の色の生徒はいない。
「声を変える方法はあるだろうし、瞳の色を変える方法は、俺が――……」
『案を考えて、前ロイに提出しているし』
そう続けようとして、リヒトは目を見開いた。
――まさかあれは、自分が考えた研究の結果の……?
自分がロイに提出したのは『可能性の提示』のみだ。
「リヒト様?」
「いや、なんでもない。とりあえず、俺たちはあの子の進む後に続こう」
リヒトが無言になったせいで首を傾げたローズに、リヒトは静かに言った。
白いお化けの格好をした子どもが問題をとき、協力して魔法を使って、扉を壊して前へと進む。
問題を読み上げるシャルルの声は相変わらず棒読みだったが、子どもたちは楽しそうに笑っていた。
【次が、最後の問題です。次の〇〇に、貴方が適切だと思う言葉を入れてください】
最後の問題は、空に浮かぶ巨大なジャック・オー・ランタンの下に作られた、屋根のない櫓で読み上げられた。
【あまねく民に、幸いを。命の芽吹きに祝福を。共に生きる者のため、全ての大地に〇〇よ〇〇】
「……え?」
「これは、どういうことでしょうか……?」
問題の解答はすべて子どもたちに任せていたローズとリヒトは、最終問題に目を丸くした。
異世界の知識を要する問題ではないように思ったが、かといってこんな文章、自分たちは知らない。
「……何なんだこの問題」
リヒトがポツリつぶやくと、問題が掘られた木の板の近くに備え付けられたランタンの中から、シャルルの声が聞こえた。
『学院の生徒として、入れるべき言葉を考えて入れてください』
「……質問なんだが、これは何か元ネタがあるのか?」
リヒトはランタンに向かってたずねた。
『…………王様、これは何か引用先があるのか、とのことです』
『ないな。俺が考えたからな』
するとランタンの中から、ロイとシャルルの話し声が返ってきた。
「ないのかよ!」
リヒトは思わず叫んだ。
ここまでさんざん知識を問うたり魔法を使わせたりしたくせに、最後の問題が単にロイの考えを予測するも問いとはこれはいかに。
「最後だけなんでこんなにテキトウなんだ……」
『テキトウだと? 失礼な。これは俺が考えた言葉だが、この学院の生徒なら、心得ておくべきことだ』
「……学院の生徒なら心得ておくべきこと?」
ロイの言葉に、その場にいた全員が首を傾げた。
ますます問題の意味がわからない。
だがそんな彼らは、今は巨大な迷路の中心部の高い場所におり、中等部や高等部の生徒たちが、問題を解いてこちらを向かっているのが見えた。
子どもたちの顔に焦りが宿る。
ランタンから聞こえるロイの声は、まるで揶揄うようにも彼らには聞こえた。
『どうした? 早くしないと、他の奴らに追いつかれるぞ?』
「そんな……」
「せっかくみんなで協力して、ここまで辿り着いたのに……!」
「やだ! 負けたくない!!!」
子どもたちが、口々に叫ぶ中。
リヒトは静かに上空を見上げて、目を細めていた。
「ローズ。植物は、基本的に水と光があれば育つ。だが人が水を与えないとしても、植物は芽を出して花を咲かせることもある。それは何故だと思う?」
「それは、根が――……」
水を吸い上げているから。
そう言おうとして、ローズは目を瞬かせた。
夜空に浮かぶ巨大なジャック・オー・ランタン。
その中には、沢山の飴が――……『あめ』?
ローズの中に、ある答えが浮かんだ。
しかしローズが答えを口にするより早く、これまですべての問題をといた子どもは、空を見上げて叫んでいた。
「全ての大地に、あめよふれ!」
言葉と同時、ジャック・オー・ランタンが爆発して、中から飴が降り注いだ。
飴は、平等に生徒たちの手に届く。
しかし呪文を唱えた彼女には、一つの飴も届かなかった。
だがそれでも、その光景を見つめる白い布のおばけの子どもは、嬉しそうに笑っているようにローズには思えた。
自分は得なんて何もなくても、まるでそう願うことが当たり前で、幸せでもあるかのように。
問題を解いた瞬間、閉幕のベルの音が鳴り響いた。
ローズたちのいる場所に、シャルルを抱えたロイが、風魔法を使って空中から降りてくる。
「子守りを任せて悪かったな。君もそれなりに楽しめたか?」
「……それなりに」
「そこは言葉を繰り返さずに楽しめたというべきところだぞ」
リヒトはロイの自分への問いに、少し疲れたような表情をして言葉を返した。そんなリヒトを見て、ロイはくっくと笑う。
ロイは抱き上げていたシャルルを床に降ろすと、すべての問題を一人で解き明かした子どもを見下ろし目を細めてから、拡声魔法を発動させた。
迷路の途中で立ち止まり、ロイたちを見上げていた生徒たちに向かって告げる。
「今回の祭りでは、飴を最も多く確保した者ではなく、最も多くの飴を、人に与えた者を勝者とする」
ロイの言葉に、最初自分が誰よりも活躍しようと争っていた生徒たちは、目を瞬かせた。
「『四枚の葉』が、人に自らの幸運を与えたときに三枚の葉になるように、俺はそういう人間こそ、この学院に相応しいと考える」
【あまねく民に、幸いを。命の芽吹きに祝福を。共に生きる者のため、全ての大地に雨よ降れ】
それは三人の王により、学院が創設された当初の考えに基づくものだ。
「さあ、お前は何を願う?」
ロイは笑みを浮かべると、白い布を被った子どもにたずねた。子どもは一度下を向いてから、小さな声で願った。
「……全員が楽しめるような、宴を」
「自分の願いでなくていいのか? なんでもいいんだぞ?」
「それはここで貴方に願うことではないもの。それに、私一人では、ここまで辿り着けたなかった。だから私はみんなが、楽しめるようなものがいいわ」
子どもの言葉にロイは満足したように頷き、高らかに宣言した。
「わかった。では、ハロウィン・パーティー。今宵の祭りの終わりの宴に、みなを招待しよう!」
◇◆◇
夜のパーティーは屋外で行われ、仮装のまま参加をとロイが呼びかけたおかげで、橙の柔らかな光に浮かぶ人々の顔色は、ほんのりと朱に染まっているように見えていた。
「つまりあの方は……ここまで想定されていたということでしょうか?」
「だろうな。まあ今回は、幼等部全員で勝ち得たようなものだからって、可能な限り願いを叶えてくれるらしい。レグアルガに乗りたいという願いも叶えてやるといっていた」
ローズとリヒトは、騒がしい人だかりから、少し距離をとってその灯りを眺めていた。
会場には休憩所も兼ねて、所々に長椅子が設けられていた。
夜もくれて、空には星が浮かんでいる。
こんな真夜中に外に出たのは、ローズは久しぶりのことのように思えた。
「リヒト様は、何か願われたのですか?」
『幼等部』の願いを叶えるとロイが言ったなら、それはリヒトも該当するはずだ。
リヒトは、『あの子ども』と同様願いはないと言っていたことを思い出し、ローズは訊ねた。
「……これをやる」
リヒトはしばしの沈黙のあと、ローズに手に小さな包みを置いた。
「この国で今一番有名な製菓店の菓子らしい。願いの中にあったらって、用意していたって」
ローズはリヒトから渡された包みを開いた。
中に入っていたのは可愛らしい小さな菓子だった。
力をこめたらすぐに崩れてしまいそうな、指先でつまめる程度の丸みを帯びたその菓子は、雪化粧のように白いものを纏っていた。
「いただいてもいいのですか?」
「ああ」
ローズはリヒトが頷くのを見てから、一つだけ口に含んだ。
「……美味しい」
口に入れた瞬間、じわりと砂糖の特有の甘さが広がる。少し噛むとほろりとほどけ、香ばしい香りが口の中を満たしてくれる。
「よかった。ローズが気に入って」
美味しくてもう一つとローズが手をのばせば、リヒトはローズを見つめ、くすりと小さく笑った。
「そのお菓子、どうも砂糖にこだわりがあるらしいんだ。粒子が細かいから、そのおかげで独特の食感と甘さがうまれるらしい。昔と比べて甘味は一般的なものになりつつはあるけれど、この砂糖は通常出回っているものより一度に採れる量も少ないから、値段が他のものより張ってしまうらしいと聞いた。グラナトゥムでは、こだわりの一品を求める層を中心に、今人気が高まっているらしい」
リヒトの説明を聞いて、ローズはなるほどと思った。
つまり、これまではなかった種類の砂糖、ということだ。グラナトゥムの――赤の大陸は広いから、これから先この砂糖は、この国の新しい特産物になるのかもしれない。
「リヒト様も召し上がられますか?」
ローズは、菓子を一つ取ってリヒトに見せた。リヒトは首を傾げた。
「口をあけてください」
「……お、俺はいいっ! それは全部、ローズが食べていいから!」
ローズの行動が読めて、リヒトは慌てた。
幼馴染で幼い頃はそういうこともあったとはいえ、この年齢になってそれは恥ずかしすぎる。
リヒトは顔を真っ赤にして、ローズから顔を背けた。
「……あれ?」
すると、白い布を被った子どもが一人ウロウロしているのが見えて、リヒトは思わず声を漏らした。
少し観察していると、子どもたちがやってきて、いつの間にか彼女は退路を塞がれていた。
「今日の、本当にすごかった! ありがとう。おかげで俺たち、願いを叶えてもらえることになったんだ!」
「……」
「穴から見えるのは金の瞳だけど、俺たちの暮らすにそんな色いなかったし……。もしかして、新しい編入生か何か?」
「……」
「仮装だってのは分かってるけど、布被ってたままじゃ話しにくいしさ。顔を見せてよ!」
布を被った少女は答えない。
だがその時、一人の生徒が子どもが被っていた布を剥ぎ取ってしまった。
するとロゼリア・ディランの、美しい長い青の髪があらわれた。
「え……? 海の皇女?」
瞳の色のこともあり、彼女だと予測していなかった生徒たちは、呆然としてその姿を見つめていた。
ロゼリアはその隙に布を奪い返すと、再び布を被って彼らに背を向けた。
「……わかったでしょう。私と話しても、きっと楽しくないわ。だから放っておいて」
ロゼリアがその場を去ろうとすると――子どもの一人が叫んだ。
「……待って!!!」
ロゼリアはピタリと足を止める。
「布を無理矢理とったのはごめん。あのさ、ギル兄上のこともあるからいうけどさ……リヒトに対するあの言葉はやっぱり許せないけど、ああ言ったことに何か理由があるなら、俺たちにもちゃんと教えてほしいんだ」
「……」
「……俺たちはこれから、一緒に学校生活を過ごす仲間なんだから」
「仲、間……?」
ロゼリアは、驚いたように振り返った。
「み、身分の差は勿論あるけど! ここではそういうのは関係なくて、みんなが勉強する場所だって陛下には言われてるから。だから……!!」
白い布の向こう側の、ロゼリアの顔は見えない。
二人が立ち止まっている内に、楽しげな音楽が響き始める。
「今回は仮面舞踏会ではなく、仮装舞踏会だ。どうかみな、楽しんでくれ」
ロイの声とともに、音楽が大きくなる。
「一緒に踊ろう!」
子どもは、立ち止まるロゼリアに手を差し出した。
だが今の服のままでは、ロゼリアが踊ることは叶わない。彼女がどうしていいかと困っていると。
「「踊るのですか?」」
どこからともなくマリーとリリーが現れ、ロゼリアから布をとって笑った。
「「衣装の変更なら、我々にお任せするのです!」」
二人はそう言うと、ハサミや針や糸やらを構えてポーズをとった。
そして一瞬で、ただの白い布を可愛らしい衣装に変わる。
仕上げとばかりに、白い大きなとんがり帽を、双子はロゼリアの頭にかぶせた。
「白い魔法使い、の、完成なのです!」
「です!!」
二人はそう言うと、満足げに頷いた。
「ここにいる全員を、楽しませるのが陛下より申しつけられた私たちの役目。お前たちの役目は、精一杯楽しむことなのです!」
ロゼリア相手だというのに、態度を変える様子など欠片もなく、双子はそれだけ言うとその場を去った。
呆然とその背を眺めていた少年とロゼリアだったが、少しして二人が顔を見合わせると、少年は「そんな顔もするんだな」と笑って、ロゼリアに手を差し出した。
「行こう。ほら、もう音楽が鳴ってる!」
美しい、星の輝く夜のこと。
人々の楽しげな声は、柔らかな光の下、こだまするように響いていた。
◇◆◇
「こんなところにいたのか」
始まりの合図をして、宴の席を離れたロイは、一人月を見上げていた少女に声をかけた。
どこからか笑い声が聞こえる。
遠くに灯火は見えるのに、その場所からは、人の姿を見ることはできなかった。
「君が考えたあの問題、なかなか楽しませてもらったぞ」
「そうですか」
「なんだ。反応が薄いな。嬉しくはないのか」
「……別に」
「それにどうしてそう、月を見上げて憂いを帯びた顔をしている?」
ロイが尋ねても、少女は答えようとはしなかった。ロイは少女が身に着けていた服を見て、こんなことを呟いた。
「――まるで、『なよたけのかぐや姫』だな」
アカリの足下には、使われることのなかった衣装が散乱していた。
彼女が『異世界人《まれびと》』だからだと用意されたのは、美しい文様の織り込まれた唐衣や袿だった。
「罪をそそぐために下界へと落とされた月の姫君。しかしその罪は、直接的には描かれない。帝からの求婚設けていたというのに、彼女は満月の夜、月の世界へと帰ってしまう」
ロイはただまっすぐに、まるで自分の声など聞こえていないかのように月を見上げる少女を見て、わずかに目を細めた。
「君もまた、月の世界の羽衣を身にまとえば、この世界で感じたあらゆる憂いも感情も、全て失ってしまうのだろうか」
ロイはこの世界だけでなく、異世界の文化についても本を読んでいた。
それは彼が王として、『異世界人《まれびと》』を受け入れるときに、必要だと考えたからだ。
自分の世界を共有できる相手になら、人は自然と心を開くものだから。
ロゼリアが異世界の知識を多く知っているのも同じ理由だ。
グラナトゥムに続き、ディランには多くの異世界人《まれびと》が住んでいる。
「もし君が月の帰還を望まないなら、そろそろ彼女のことを、許してやってもいいんじゃないか」
ロイのその言葉に返すように、少女――アカリは呟いた。
「許すも何も、別に私、ローズさんに怒ってるわけじゃないですよ。元の世界に帰れることを教えてくれなかったのは、確かに傷つきましたけど……」
「ではなぜ、彼女を避ける?」
「……ローズさんって少しだけ、私の知り合いに似てるんですよ」
「ほう?」
ロイはアカリの言葉が気になって、興味深そうに首を傾げた。
「その人は、子ども好きで、自分勝手で。こっちの気持ちなんてお構いなしに、自分の好きなように生きている人で。魔法の使えない世界で、魔法使いになるのが夢だなんて、馬鹿みたいなことばかり言ってる人でしたけど」
だが彼女の語る人間と、ローズの印象が一致せず、ロイは眉間にシワを寄せてアカリに尋ねた。
「そんな人間と彼女と、一体何が似ていると言うんだ?」
「……」
『知り合いに似ているから』
そんな理由でアカリがローズを避けているなんて、ロイはアカリの心がわからなかった。
アカリはロイの問いには答えない。
彼女は静かに月を見上げ月に手を伸ばすと、ピタリとその手を止めて、唇を噛んでから、手を胸元へと下ろした。
病は治ったはずなのに、もう痛むはずのない胸が痛くて、アカリは胸を押さえた。
病気は治らない。魔法なんてこの世界にはない。望む世界はいつだって、窓枠の向こう側にある。
――ずっと、そう思っていた。
白い病室の中で、いつだって優しい人が自分に向けてくれた言葉を、否定して生きてきた。彼女が自分に与えてくれるものが、永遠に続くことを疑わずに。
その彼女が、ある日突然自分の前から消えることなんて、考えもしなかった。
だから、きっとこれは罰なのだ。
誰かに思われて生きていた。それは幸福なことであったはずなのに――それでも、窓の向こうを焦がれ続けた自分への。
アカリはそう思った。
だから、選択を迫られる。
こちらの世界を取るのか、それとも元の世界を取るのか。
まるで贖罪のために地上に落とされた、自分が生きていた世界なら、誰もが知る物語の少女のように。
そしてアカリは、結局彼女がどちらを選んだのか知っている。
アカリは月を見上げた。自分がこの世界に来た夜に似た、けれど二つある月が、今は彼女を見下ろしている。
「『光の聖女』?」
いつもは呼ばれたら反抗するその呼びかけに、アカリは返事をしなかった。
◇◆◇
長い夜の宴の後に、月の光の射し込む部屋で、少女は一人小さな声で呟く。
「楽しかった。今日は、ちゃんと話せた。……みんな、笑ってた」
それはまるで、自分に言い聞かせるかのように。
「私が海の皇女でなくても……あの子たちなら、私と友達になってくれるかしら?」
みんなで笑い合う、笑い声が響く陽だまりのような時間。
その風景を想像して、けれどロゼリアは『ある言葉』を思い出して、床に膝をついて耳を塞いだ。
幼い頃は誰かの笑顔が見たくて、そんなものが大好きで、自分はそのために、魔法を使っていたような気がする。
けれど今の彼女には、自分が誰かの心を動かしたという過去は、偽りでしかなかったようにも思えた。
――違う。違うわ。みんな笑っていたもの。喜んでくれていたもの。私の魔法で、みんなを笑顔に出来てたもの。だから違うわ。私が今魔法を使えないのは、あんな言葉のせいじゃない。
けれどまるで杭で打たれたかのように、あの日からの自分の時は、止まっているかのように彼女には思えた。
耳を塞いでも、時が経っても。
その言葉を思い出すたびにうまく呼吸が出来なくなって、冷たい海の底に引きずり込まれるような、そんな感覚が彼女の中にはあった。
違う、違うと彼女は首を振る。いいや、違わなくてはならない。
自分が、『海の皇女』である限り。
――誰かのたった一言で、それだけで魔法が使えなくなるなんて、海の皇女である私が、弱くていいはずがない。三人の王の生まれ変わり。『海の皇女』なら私は――強く、強くなくてはいけないの。
それでも、魔法が使えなくなった日に聞いた言葉を、今でも彼女は忘れることができずにいた。
響くのは、幼い子供の笑い声。
無邪気で、悪びれることなんて欠片もなく――ただ声は、彼女の優しさを否定する。
差し出した想いは、地面に落とされ踏みにじられる。
『あの子が海の皇女でなかったら、友達になんてならなかった』
「リヒトくんとロゼリアちゃんは、試験の準備を始めておいてくださいね」
「じゅ、準備ですか?」
講義の終わり、エミリーに声をかけられたリヒトは、思わず聞き返してしまった。
「そう。入学の筆記試験で一定の基準を満たしていた場合、学院の卒業試験は半年後であれば受けることができるんです」
「……あ」
――そういえば、そんなことを聞いた気がする。
リヒトはロイの話を思い出した。
そもそも、リヒトとレオンのどちらが次期国王になるかということもあり、今回の留学は短期間での就学をという話だったはずだ。
「実力さえあれば学位を与えるというのが学院の方針なんです。この学院の卒業生ということが能力を証明するという側面もあり、優秀な学生は、早々にその権利を得ることが認められています。それに、学問というものは日々進化していくものですから、卒業したあとも、卒業生なら講義を受けることは可能なので……」
「なるほど」
グラナトゥムの魔法学院が『実力主義の魔法学院』そう呼ばれるのには、いくつかの理由が存在している。
実技と筆記での入学試験を行うことは勿論、卒業試験が自身の特性を活かした形で発表が許されるという点も、そう呼ばれる所以である。
つまりリヒトが魔法を使えなくとも、この学院の卒業に相応しいという功績を残すことが出来れば、学院はきちんと評価してくれるのだ。
そして学院では、卒業生の講義の聴講や図書館の利用は許されている。
『学問は日々進化している』
エミリーの言葉に、リヒトは頷いた。
であれば当初の予定通り、まだ日はあるものの、準備を始めてもいいかもしれない。
リヒトが頷いていると、エミリーはにっこり笑って爆弾を落とした。
「今回の卒業試験は三人一組で行うようにとのことでしたので、二人共お友だちを見つけてくださいね」
「………………えっ?」
エミリーの言葉にリヒトは仰天した。
三人一組だなんて――『幼等部』に所属するリヒトには、頼める相手がいない。
「それでは、頑張ってくださいね」
だが困惑するリヒトをおいて、エミリーはそれだけ言うと、その場を去ってしまった。
◇
「……どうされるのです?」
護衛としてリヒトの側に控えていたローズは、頭を抱えたリヒトに尋ねた。
「ギル兄上に頼む……かな……?」
筆記試験の成績で受験資格が得られるということであれば、幼等部の生徒から見つけるのは不可能だ。
かと言ってリヒトが学院内で頼めるのは、アカリ・レオン・ギルバートの三人のみ。
クリスタロス王国の人間だけで組んだとしてもどう考えても一人余るが、兄なら引く手あまただから問題はないだろうとリヒトは思った。
――正直兄上より、ギル兄上の方が頼みやすいし……。
リヒトがそんなことを考えていると、
「どうやら紙はもらったようだな」
まるで見計らったかのように、ギルバートが現れた。
「ギル兄上!」
「お兄様、どうしてこちらに?」
「卒業試験のあと一人、誘おうと思ってな」
ギルバートはそう言うと、いつものようににこりと笑った。
「よかった。俺もちょうど、ギル兄上にお話したいと――……」
だがギルバートはリヒトを素通りして、ロゼリアの前に立った。
「俺の組はあと一人足りないんだ。だから、俺と一緒に出ないか?」
「え?」
ロゼリアは、突然のギルバートの申し出に目を丸くして、それからリヒトに視線を向けた。
絶句しているリヒトを、ロゼリアは少し可哀想だとは思ったが――だが今この学院で、実力を知っており心を許していいと思っているのは、ロゼリアもギルバートだけだった。
「……私でよければ」
ロゼリアは小さな声で答えた。
「よし! じゃあ、俺たちはこれで決まりだな」
「ぎ、ギル兄上!? じゃあ俺は!?」
リヒトは叫ぶように訊ねた。
「『お友だち』を、探すしかないな〜」
「そ、そんな……」
ギルバートはそう言うと、ロゼリアの手を引いて楽しげに笑った。
この学院の生徒で、自分を仲間に入れてくれるとしたら、リヒトはギルバートと兄くらいしか思いつかない。
目の前で橋を外されたような気持ちになって、リヒトは呆然と二人の背を見送ることしか出来なかった。
◇
「……よかったの?」
ギルバートに半ば強引に連れ出されたロゼリアは、上機嫌で鼻歌を歌うギルバートに尋ねた。
「何が?」
「彼、困っていたように見えたけれど」
「大丈夫。何事も、なるようになるものだからな」
ギルバートは、指でくるくると紐のついた鍵を回しながら答えた。
――『鍵』?
「……それは?」
ロゼリアは、鍵を見て目を細めた。
何故なら鍵には、グラナトゥムの王族のみにしか使用を許されない紋章が刻まれていたからだ。
白銀の鍵には石が嵌め込まれており、石の中には水が閉じ込められていた。
「今日は『鍵』を借りたから、そこに向かう」
ギルバートはそう言うと得意げに笑い、回していた鍵を掴むと、『なにもない』はずの場所に差し込んだ。
その瞬間。
「……水音?」
ちゃぷん、という音が聞こえた気がして、ロゼリアは耳に手を当てた。
それと同時、二人の足元の地面が揺れる。ロゼリアは思わずギルバートの腕を掴んだ。
「意外だな。君は彼から、これを見せてもらったことはなかったのか?」
ギルバートは、慌てた素振りを見せたロゼリアに笑いかけた。
「これ、は――……」
ロゼリアは自分の足元から、目には見えない大きな力の流れのようなものを感じた。
太古の水。
鍵の中の水と『この世界』の何かが今、自分の足元で共鳴している。
ゴゴゴゴゴ……。
地面が音をたて割れたかと思うと、地中から吹き出た透明な水が、高く伸びて空中で固定される。
水はまるで一つの大きなドームのような形になると、真ん中を一度くぼませて、再び大きく跳ねた。
そしてまばゆい輝きを放ちながら、水はより複雑な形へと形状を変えていき、扉一つを残して水の『ドーム』は姿を消す。
それはこの世界で古くから語り継がれる、一つの物語に出てくるものとよく似ているようにロゼリアは思った。
『三つの鍵』
ディランに『方舟』の物語があるように、グラナトゥムにも世界が『崩壊』した際の古い物語が存在する。
それはこの世界にかつて『嘆きの雨』が降ったとき、『鍵』により作られた『天蓋』が、人々を守ったというものである。
雨を身に受ければ体が焼けるという、地獄のようなその話の中で、救いとして描かれる『天蓋』は、巨大なドームのような形状であっとして語り継がれている。
その『天蓋』を開かせるための世界に三つしかない鍵は、すべてグラナトゥムの国宝に指定されているはずだ。
だが現国王であるロイは、そのうち二つを、卒業試験の訓練を行う生徒たちに貸し出していた。
『天蓋』は魔力の込められた水で作られ、その中は外の人間からは見えない。いわば、秘密の特訓にはうってつけ、というわけである。
「それじゃあ、中に入るか」
ギルバートは確認するかのように一度ロゼリアの方を振り返り、いつの間にか現れた古い石板の扉を開けた。
「わ……っ!」
外側からは風景に同化して、目視が叶わなくなってしまった巨大な建造物。
だが扉の向こう側には、「それ」は確かに存在していた。
目を丸くしてその形を見上げるロゼリアと違い、ギルバートはこれまで何度も見たような顔をして笑った。
「ここには初めて来たわ」
「気に入ってもらえたなら何よりだ」
ギルバートは扉の内側の小さな箱の中に鍵を入れると、ロゼリアの目を見て訊ねた。
「それで? 君は卒業試験でなにかやりたいことはあるか? どうせやるなら、大掛かりな魔法にしようとおもっているんだが。たとえば、『水晶宮の魔法』とか」
「……」
「君は昔、その魔法を使ったことがあるんだろう?」
ギルバートの問いに、ロゼリアの顔から笑顔が消える。
「…………駄目なの。私に、あの魔法はもう使えないの。そもそも今は、私、魔法が……その……うまく使えなくて」
「そうか? 君がそう言うなら仕方がないな」
ギルバートはあっけらかんと言うと、手のひらに載せた紙の鳥をロゼリアに見せ、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「なら君には一つ、新しい魔法を使えるようになってもらおうか。君には、まずこの鳥を飛ばしてもらうとしよう」
『手始めに』と渡された折り鶴を見て、ロゼリアは目を瞬かせた。
「…………えっ?」
「う……っ。く……。ふ、うう……ぐぅ……っ!」
ギルバートに『課題』を課されてから三日後、ロゼリアは紙の束を前にして、ひとり唸っていた。
「……なんで飛ぶどころか、少しも動かないの!?」
それは彼女の心からの言葉だった。
魔力が多すぎて上手く制御できないことは何度もあったが、作動しないというのはロゼリアにとって初めてのことだった。
「この魔法、本当に風魔法が使えなくても使えるの……?」
『水鉄砲』の魔法確かには水属性の適性がなくとも確かに使えたが、『古代魔法』として語られるだけだった『紙の鳥』を、自分が使う日が来るなんてロゼリアは実感がわかなかった。
「……」
ただ、ギルバートの言葉が嘘とは思えず――ロゼリアは目をつぶり、彼の言葉を思い出した。
水属性と光属性に強い適性を持つという彼が、自分に向かって笑いながら言ったことを。
『この魔法には欠点があるんだ。紙の鳥の魔法は、魔法陣に送る魔力が多すぎるとうまく飛ばない。この鳥を飛ばすのに必要なのは、俺たちが普段魔法を使うために必要とするような、大量の魔力じゃないんだ。寧ろ魔法を使えない人間にこそ、この鳥は扱いやすい』
この世界において、魔法は選ばれた者のみに与えられる異能《ちから》だ。
王侯貴族――そして、後天的に魔法を使えるようになった者。
強い意志、強い願いが、人に魔法という力を与える。
ディランの『海の皇女』として生きてきたロゼリアにとって、その『力』の考え方は変えようがない。
導く者、与える者。
付き従い頭を垂れる者、与えられる者。
その間には大きな壁があり、ロゼリアはずっと、自分は前者であるべきだと考えてきた。
でももし――本当に『魔法の使えない者』にも使える魔法道具がこの世界に生まれるのなら、世界はこれから、大きな転換期を迎えるのかもしれない。
そう考えるとロゼリアは、自分もこの魔法を使えるようになりたいと思った。
『目を閉じて、頭の中に思い浮かべるんだ。窓を開けたとき風が吹き込んで、薄いレースのカーテンが波打つ景色。蝋燭に明かりをつけたとき、風に揺らぐ灯火を。その感覚を、全ての紙に与えるんだ。さあ、手を差し出して。今日からこの鳥を飛ばす訓練を行おう』
頭の中に響くギルバートの声は、ただただ柔らかく温かい。
『大丈夫。君になら千羽だって、簡単に飛ばせるはずだ』
だが――感覚的すぎるギルバートの教えは、ロゼリアには理解不能だった。
「……あんな教え方で、わかるわけ無いでしょう!?」
最早詐欺師としか思えない。
ロゼリアが拳を握って叫ぶと、後ろから呆れたような声が聞こえてきて、彼女はびくっと体を跳ねさせた。
「何ひとりごとを言ってるんだ? 君は」
『天敵』の声。
自分とは違い、『完璧な王子』であると讃えられる王子に気付いて、ロゼリアは思わず後退った。
「……な、なんで貴方がここにいるの!?」
レオンは、まるで逃げるかのように自分から一歩後ろに下がったロゼリアを見て、はあと小さく溜め息を吐いた。
「ギルバートが、君と僕と三人で行うと提出してしまったからね。君だって僕だとわかった上で受けたんだろう?」
「………………」
卒業試験は三人一組。
ギルバートの存在がプラス一〇〇なら、レオンの存在はマイナス五〇だ。
結果としてプラスのチームだったこともあり受け入れたとは、ロゼリアはレオン本人に言う勇気はなかった。
「それにしても遅いな」
「…………」
時計を気にするレオンを見て、ロゼリアは下を向いてぎゅっと服を掴んだ。
ギルバートと組みたくてつい了承してしまったが、レオンと自分の相性が良いとはとても思えない。
――は、はやくきて。ギルバート・クロサイト……!
心の中でそう唱えるも、当の本人はいくら待っても来てはくれない。
そして最悪なことに、ギルバートを待つ二人のもとに『紙の鳥』が届いた。
クリスタロスの人間しか使えないはずの『紙の鳥』が。
「ギルバートからだ」
「え?」
紙の鳥はレオンの手にとまると、魔法が解けてもとの手紙へと形を変える。
「……どうやらギルは少し体調が悪いみたいだね。僕に君の練習をみてほしいと都会である」
「ええっ!?」
ロゼリアは思わず声を上げた。
――最悪。苦手な相手と二人っきりだなんて……!!
「なにか問題でも?」
「も、問題なんかないわ……!」
どこか冷えた声で尋ねられ、ロゼリアは慌てて返した。
――……それにしても。
「でも、あの人……簡単に体調を崩すようには見えなかったのだけど。風邪でもひいたの?」
『光属性持ち』の公爵令息。
ギルバートは治癒に長けていると聞いていただけに、ロゼリアはギルバートが体調を崩したという話に首を傾げた。
「頑丈さだけがウリのような男なんだけど……『三つの鍵』を使うには、それなりに魔力が必要になるからね。少し疲れたのかもしれない。でもまあ弱っていれば、『彼女』がついているはずだから、案外彼は今頃楽しい時間を過ごしているかもしれない」
「? どういうこと?」
レオンの言葉の意味がわからず、ロゼリアは首を傾げた。
体調を崩せば面倒を見てくれるような大切な相手が、ギルバートにはいるということだろうか?
「もしかして――……」
ギルバートのそばにいた女性はただ一人。
茶髪に金の瞳の気の強そうな、鷹のような女性を思い出して、ロゼリアが口を開こうとすると、レオンは言葉を遮った。
「君が知る必要のないことだ」
レオンはそう言うと、ポツンと置かれた石の扉に鍵を差し込んだ。
「それでは、扉を開くとしよう」
◇
グラナトゥムの魔法学院では、『3つの鍵』はその日与えられる問題を最初にクリアした者に与えられる。
一つ目の鍵は、魔法の実技によって貸し出され、二つ目の鍵は知識によって貸し出される。
レオンが手にしていたのは、ギルバートか手にしていたものと同じ、魔法を要求されるほうの鍵だった。
当然のように鍵を手にしたレオンは、『天蓋』の中にロゼリアを招いた。
「ところで、ギルからは何をするよう言われているの?」
「紙の鳥を飛ばせるようになれ……と」
ロゼリアはギルバートた渡された紙をレオンに見せた。
水魔法を使えないレオンに、ロゼリアと同じ適性を持つギルバートのような教え方は出来ない。
たが紙の鳥の魔法なら、レオンだって教えることはできる。
「……なるほど。なら今日は、僕が教えるとしよう」
レオンはそう言って頷くと、ロゼリアに魔法を使うよう促した。
「く……う……っ。……うう……っ!」
そして、その後。
ロゼリアは大量に地面に置かれた紙に触れて唸っていた。
かれこれもう数十分間。
欠片も動く様子のない紙の前に、大国の皇族でありながら地面に膝をつき唸るロゼリアを見て、レオンは呆れたような声で彼女を呼んだ。
「――君」
「な、なに?」
「さっきもだけど、一体何をしてるんだ?」
「ま、魔法を使おうと……」
ロゼリアはレオンから視線をそらしながらそうかえした。
「それにしては一羽も飛んでないけれど」
レオンは静かな声で指摘した。
ロゼリアは胸に冷たい氷の矢をいられたような思いがした。
「駄目なの。私が何度やっても飛ばないの。私には、やっぱり出来ないのよ。私には、やっぱりもう魔法なんて……」
自分を否定するロゼリアの言葉に、レオンは顔を顰めた。
「君はどうしていつも、下を向いているんだ? 君には溢れるほどの魔法の才能があるのに、そうやってすぐ自分を諦めるのはどうかと思うけど」
「……でも! だって、私には、あの日からもう……」
ロゼリアは、言葉を続けようとして口籠った。そんな彼女に気付いて、レオンは静かに目を伏せた。
「君が魔法を使えなくなった理由は、僕にはわからない。でも、たとえ今、この世界にある他の魔法を君が使えなくても、この魔法だけは、『使えない』なんてありえない。この魔法は、すべての人が使えるようにと作られたものだから」
「すべての……」
「そう。今魔法が使える人間も、使えない人間も。みんなが魔法を使えるように」
ロゼリアが言葉を繰り返すと、レオンがふっと優しく微笑んだようにロゼリアにね見えた。
「だから、君だって使えるはずだ」
その表情は、いつもの『レオン・クリスタロス』とは別人のようにロゼリアには見えた。
どこか人に壁を作る、そんな作り物の笑顔なんかじゃない。まるで春の柔らかな日差しが雪を溶かすかのような、そんなものを感じてロゼリアは目を瞬かせた。
『氷炎の王子』――氷と炎の魔法を使う、王になるべくして生まれた完璧とまで称された人間がこんな表情《かお》をするなんて、ロゼリアは思いもしなかった。
驚きを隠せないロゼリアに、レオンは距離を詰めると、ロゼリアの後ろに回り込んで囁いた。
「本当はこういうことは、光魔法の遣い手が一番向いているんだけど……」
「?」
「――触れるよ」
そう言うと、レオンはロゼリアの右手に、自分の手を差し込んだ。
「……え!?」
指と指の間に、大きな手が入ってくる。
その感覚に、ロゼリアは胸の鼓動がはやくなるのを隠せなかった。
「えっと、その……あの」
――近い。
「力を抜いて」
それは、これまで腫れ物のように、もしくは大国の皇族として扱われてきたロゼリアにとって、知らない感覚だった。
落ち着いた、すこし低い声で耳元で囁かれると、頭の中が真っ白になる。
「僕に触られるのは、君にとって不快かもしれないけど耐えてくれ。君に教えるために必要なことだ」
不快かどうかでいえば、嫌ではなかった。彼の手は少し冷たくも感じたが、必要以上に触れようというような、そんな意図は汲み取れない。
「まず、ギルバートに命じられたからと言って、全て飛ばそうと考えるのはやめるんだ。最初は一羽からでいい。古代魔法は、そもそも僕たちが使う魔法とは、使う魔力の量や感覚が違う」
その声はまるで、自分よりも幼い相手に教えるかのようで、ギルバートとは違う柔らかさをロゼリアは感じた。
「想像してみてほしい。静まり返った水面に触れるとき、わずかでも指をつけたら波紋が広がるすがたを」
その瞬間、僅かな痛みとともに、見えない力が自分の中をかけていくのをロゼリアは感じた。
氷と炎の魔力。
あたたかさと冷たさと、そんな力が、繋がれた手のひらから伝わってくる。
「魔法陣に直接触れずとも、強い魔力を持つものは、『触れない』ことで使える場合がある」
レオンはそう言うと、ゆっくりと繋いだロゼリアを降ろした。
そして、その手が上に近付いたとき――触れるより前に、ぴくりともしなかった魔法陣の描かれた紙が、目の前で鳥の形へと変形すると、ふわりと浮いて飛び立った。
白い紙の鳥は空を飛ぶ。
ロゼリアは、大きく目を見開いて空を見上げた。
「とん、だ……!」
レオンはその姿を見て、そっと彼女から手を離した。鳥は空中を数度旋回すると、『天蓋』の天井を突き抜けて飛んでいく。
「飛んだ! 飛んだわ!!!」
「ああ。そのままギルバートのもとにいったみたいだね」
レオンは冷静にそう呟く。
興奮のさめないロゼリアは、自分に教えたのがレオンだとすっかり忘れて、思わず後ろを振り返って、満面の笑みを彼に向けた。
「こんなふうに、ちゃんと魔法を使えたのは久しぶり。本当にありがとう!」
自分を前に、暗い顔ばかりしていた相手。
ロゼリアのその笑顔に、レオンは驚いたような顔をしたあとに、少し困ったように微笑んだ。
「――……ああ。おめでとう」
その声は、ただ優しく。
ロゼリアは何故かその声を聞いた瞬間、胸が締め付けられるのを感じた。
――どうして。この人が笑うと、胸が苦しくなるの? 苦手だと、そう思っていたはずなのに。
ロゼリアは、顔に熱が集まるのを感じて、立ち上がってからレオンに背を向けた。
「それにしてもこの魔法、すごいのね。最近は古代魔法の復元が活発に行われているの? ロイに瞳の色を変える魔法を教えて貰ったのだけど――……」
矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。そんな彼女の言葉を遮るように、レオンは静かに言った。
「――この魔法は、僕の弟が作ったものだ」
「え?」
「確証はないけれど――おそらく、君が『ハロウィン』の時に使っていた魔法も、ね。弟は魔法は使えない。でもだからこそ、魔力が少ない者でも使える、誰もが使えるそんな魔法を作った。これもその一つだ」
「ごめんなさい」
レオンの声は、ロゼリアを責めるような声ではなかった。
けれどロゼリアは、思わずそう呟いていた。
『紙の鳥の魔法』――『古代魔法』の復元。
そんなことは、きっと自分じゃできない。ロゼリアは振り返り、レオンに頭を下げて謝罪した。
「……僕に言われても困る。謝るなら、僕でなく弟に言ってくれ」
責めるような、声ではなかった。
ロゼリアは真っ直ぐにレオンの顔を見たわけじゃない。ただそれでも、ロゼリアにはそう感じた。
★
翌日、高等部の講義に、ギルバートは参加していた。
昼休み、ギルバートとレオンは外で昼食を取りながら外で話をしていた。
「へえ。じゃあ昨日は、彼女はついに一羽飛ばすことができのか」
「一羽だけだけど」
「少しは時間がかかると思っていたから、お前のおかげだよ。でも、レオン。お前が人に教えるなんて珍しいな? ああ、そうか。お前には、彼女が『誰か』と重なって見えたのか?」
ギルバートの言葉に、レオンは顔を顰めた。
「……五月蝿いよ。ギルバート。だいたい、自分が教えるとぴ出しておきながら、いきなり体調を壊すし君らしくもない。彼女が使えなかったのも、君の目算が甘いのが原因だろう。あんな教え方じゃ、ローズくらいじゃないと理解できないよ」
「――甘いのは、そっちの方だろ」
ギルバートの声は冷たかった。
「触れずに魔法を使う、『無駄』が生まれるお前の方法は、彼女の自信には繋がっても、根本的な解決にはならない。彼女なら、俺のやり方なら最初から千羽といわず一万羽だって飛ばせるはずなんだから」
「……でも彼女は、今は……」
「小手先の魔法の使い方を学んでも、結局は彼女のためにはならない。そんなものは、海の皇女にはふさわしくない」
そしてギルバートは、まるでかつてロイがリヒトに向けたような言葉を口にした。
「海を統べる、それだけの力を持っているからこそ――彼女は『ロゼリア』の名を与えられたんだから」
「なんか最近、少し変じゃねえ?」
「だよな。いっつも上の空だし……」
「何かあったのかな? ロゼリア」
「…………ん? もしかして彼女のこと、ロゼリアってよんでるのか?」
休み時間。
教室でぼんやりと考え事をしていたリヒトは、クラスメイトの言葉を聞いて目を瞬かせた。
「うん。だって、本人がいいって言ったから!」
「俺たち、同じ教室で勉強する仲間だし!」
「……」
満面の笑みを浮かべる子どもたちを見て、リヒトは無言になった。
『クリスタロスの王子』として、『青の大海』の『海の皇女』を呼び捨てにする勇気は、今のリヒトにはなかった。
かと言って『様』づけも『ちゃん』づけもしっくりこず、リヒトは腕を組んでうーんと唸った。
「なあ。リヒトはさ、ロゼリアがこんなふうになった理由、何か知らないか!? 授業中とかは普通だった気がするんだけど……」
彼らがロゼリアについてリヒトに尋ねるのは、ある意味当然とも言えた。
ロゼリアとリヒトは入学時の筆記の成績が良かったこともあり、座学は普通幼等部の学生では選択出来ない講義を多く選択している。
つまりリヒトが、一番ロゼリアと同じ時間を過ごしていると言っても過言ではなかった。
「特に何もなかった。……と、思う」
リヒトは、とあることを思い出して苦笑いした。
昨日、二人きりのときにいきなりロゼリアに頭を下げて謝られたときは、驚いたものである。
ひどいことを言ってしまったと――ただ、心境の変化の理由までは、リヒトは尋ねることは出来なかった。
だからこそ、ロゼリアの変化の理由について疑問に思っているのは、リヒトも同じだった。
幼等部の男子生徒たちがロゼリアの話題で騒いでいると、本を抱えた女生徒たちがキラリと瞳を輝かせた。
「――それはきっと恋、ね」
「「こい?」」
リヒトも含め、少年たちはぽかんと間抜けな顔をして首を傾げた。
「恋って、あの……?」
「いやいやいや、そんなはずは……!」
「じゃあもしかして、この中にその相手が……?」
突然の話題に、男子生徒たちの顔が赤く染まる。
「い、いや〜〜。モテて困るな」
「誰がお前だって言ったよ。お前なわけ無いだろ」
鼻をさすって照れた少年の一人に、友人から厳しい指摘が飛ぶ。だが女生徒の反応は、友人より冷ややかだった。
「何馬鹿なこと言ってるのよ。ロゼの相手はこの教室にはいないわよ」
「ロゼはこの教室の男子なんかに興味なんてないはずだよ。リヒト様も違うみたいだし。きっと、他の教室の人だと思う」
「ね、最近ロゼって、誰と会ってたっけ?」
「試験のお勉強だって言って、ギルバートお兄様と一緒にいたりしてたはずだけど……」
幼等部の生徒に『お兄様』と呼ばれるギルバートの生徒人気は、学院の中でもそれなりに高い。
遊び心のある実力者。
長い眠りから目覚めた、『剣神様』の唯一の兄という立場は、ローズを慕う人間からして特別なものに映るらしかった。
「……兄上とギル兄上だったら……」
リヒトが腕をくんでうーんとうなっていると、
「お兄様はないと思います」
ローズがばっさりと言い切った。
「お兄様は憧れられることはあっても、それは尊敬の対象であって、恋愛の対象にはならない気がします」
「じゃあ……つまり、兄上と何かあったのか? でも兄上は以前彼女を泣かせるくらい厳しい物言いを……」
リヒトは、レオンの過去の行動を思い出して言葉をと切らせた。
自分を庇って、ロゼリアに反論した兄を――リヒトは少しだけ胸が苦しくなる。
「リヒト様? もしかして私のいない間に何かあったのですか?」
事件のことを知らないローズは、不思議そうな顔をしてリヒトを見た。
ローズの視線に気付いて、リヒトは苦笑いして、なんでもないと小さく手を振る。
「……いや。別にたいしたことはなかったから、気にするな」
「そうは仰いましても、先ほどより少し元気がないように見えるのですが……」
「それは……」
自分を案じるようなローズの目に耐えられず、リヒトは思わず顔を背けた。
ロゼリアには謝ってもらっているし、今更ことを大きくする気はないのだけれど――……。
リヒトが困っていると、空気を断ち切るように快活な声が響いた。
「わかってないなあ、二人とも! 大嫌いな相手の優しい一面を知ってしまったら、胸がどきどきしてしまうものなの! 異世界ではなういうものを、『ぎゃっぷもえ』というんだよっ!」
「『ぎゃっぷ』……『もえ』?」
あまり聞いたことのない言葉に、ローズは思わず言葉を繰り返していた。
「印象最悪からの恋に落ちるお話は、物語の王道なの!」
「おうどう……」
いまいちピンとこない。
ローズは首を傾げながら眉間にシワを作る。
「ローズ様は聞いたことがない? 『はぴねす』っていう本なんだけど、ギャップ萌えがすごいの! なんでも、昔『光の巫女』っていう、すごい方が書かれた本なんだって!」
幼等部の生徒は、実年齢の離れたローズとリヒトには様付けだったが、言葉自体は砕けていた。
言葉遣いは気にしていない――だが、ある言葉が引っかかって、ローズは大きく目を見開いた。
「はぴ……ねす?」
それは、聞き覚えのある名前。
少女はそう言うと、にっこり笑って本の表紙をローズに見せた。
そこに描かれていたのは、ベアトリーチェがローズに渡したのと同じ、『四枚の葉』だった。
『四枚の葉』は珍しい植物で、それを育てている人間を、ローズはクリスタロスではベアトリーチェくらいしかしらない。
そんな植物の名前と同じ本を――そして異世界からやってきたアカリが、この世界と関わりがある『げーむ』の名前だと言っていた『はぴねす』を、『光の巫女』が書いた、なんて。
――そんな偶然があるんだろうか?
「ローズ? さっきから固まってるけど、何か気になることでもあるのか?」
「……いいえ。なんでもございません」
ローズは胸騒ぎがした。
だが心配そうに自分を見つめるリヒトには、なんでもないように笑ってごまかした。
「『ロゼリア・ディラン』はいるか?」
その時だった。
レオンが幼等部の教室の柱を叩いた。
「え? 兄上?」
「……な、なんで貴方がここに」
レオンの声に気付いて、ロゼリアは勢いよく立ち上がった。その顔は、真っ赤に染まっている。
「忘れ物を届けに来たんだ」
「か……かっこいい〜〜!!」
突然現れたレオンに、女生徒たちが黄色い声を上げる。
ギルバートは貴族というより兄貴ということはが似合う。
リヒトは性格のせいもあり、あまり『王子』らしくはない。
対してレオンは、姿も中身も『完璧な王子様』そのものだ。
絵本から抜け出したようなレオンを間近に見て、少女たちは目を輝かせた。
「あ、ありがとう……」
ロゼリアはレオンから本を受け取ると、ぎゅっとその本を抱いた。
レオンはそんなロゼリアわ少女たちには目もくれず、人だかりの中にローズを見つけると、ふっと笑みを浮かべてから、静かに教室を後にした。
「兄上のこと、苦手みたいだったんだけど……反応からして、やっぱり兄上なのか?」
兄が届けた本を手に、一人笑みを浮かべるロゼリアを見て、リヒトは呟いてから――幼馴染の少女の変化に気づいて尋ねた。
「ローズ? 手をさすってどうしたんだ?」
「な、何でもありません……」
ローズはバツが悪そうにこたえると、リヒトから目をそらした。
◇◆◇
「じゃあ、まずは昨日のことのおさらいから」
放課後、いつものように卒業試験のための訓練を行っていたロゼリアは、レオンを前に体を強張らせていた。
「……わ、わかったわ。ひゃっ!」
訓練のために――レオンの手が触れて、ロゼリアは思わず高い声を上げてびくりと体を震わせた。
「……君」
挙動不審なロゼリアに、レオンはあからさまに顔を顰めた。
「手が触れたくらいで、なんて声を上げてるんだ? そんな声を出されたら、まるで僕が君になにか無礼でも働いたみたいじゃないか」
「そ、それは、その……」
「なら、どうして逃げるの?」
じりじりと、レオンがロゼリアとの距離を詰める。
これまで自分にあからさまな敵意や苦手意識を向けてきた相手が、突然よそよそしい反応をする理由が、レオンにはわからなかった。
――いつもの彼女の勢いはどうしてしまったんだろう?
怯えるような、自分に期待するような瞳を受けられると、調子が狂って落ち着かなかい。
「今日の教室のでもそうだったし……顔が赤いけど、体調でも悪いの?」
「わ、私に触らないでっ!」
レオンが伸ばした手を、ロゼリアは勢いよく払った。
「…………」
「ごめんなさい。あの、でも本当に大丈夫だから……」
「……気に食わないな」
レオンは低い声でぼそりと言った。
「いくら大国の皇女とはいえ、君のことを心配している人間の手を叩き落とすことはないんじゃないかな。仮にも、これからも一緒に練習する仲間だっていうのに」
「……た、叩き落としたつもりないわっ!」
「でも、見てよ僕の手。ほら、君のせいで赤くなってる」
レオンはロゼリアが叩いた手を、彼女には患部が見えないようにさすってみせた。
「えっ? だ、大丈夫……?」
ロゼリアは、慌ててレオンの手に手を伸ばした。
手を取って、手を確認する――が、特段赤くなっているわけでもない。
「――嘘」
レオンは、心配して近寄ってきたロゼリアの手をつかんで、自分の方へと引き寄せた。
「馬鹿だね。これくらいで赤くなるわけがないだろう?」
「だ、騙したの!?」
ロゼリアは思わず叫んだ。
「君が僕から距離をとろうとするのが悪い。……それより熱、やっぱり少し高いみたいだけど。本当に体は大丈夫?」
「……っ!!!」
顔が近い。逃げられない。
ロゼリアが顔を真っ赤に染めていると、ひょっこり現れたギルバートがぱんぱんと手を叩いた。
「まあまあ。お二人さん、そのへんで」
レオンの手の力が緩んだことに気付いて、ロゼリアはレオンから逃れた。
「紙の鳥についてだが、レオンは触れないやり方を教えたみたいだか、俺はちゃんと、君には触れる方向で覚えてもらうぞ?」
「……」
「レオンのやり方だとどうしても、無駄が生まれてしまうんだ。俺は最初君に千羽飛ばせるようにといったが、レオンのやり方では君でもせいぜい5羽がやっとだ。たしかに君が、この魔法だけを使えるようになるために勉強するならそれでいいかもしれない。でも、それは君にとって本意ではないだろう?」
ギルバートの問いに、ロゼリアは答えなかった。
沈黙は肯定だ。ギルバートはそんな彼女に、にこりと笑った。
「だったら、改めてまた頑張ろうな?」
◇
卒業試験に向けて、ロゼリアの訓練に付き合っていたギルバートは、レオンと彼女のやり取りを見て笑みを浮かべ呟いた。
「なんだか楽しくなってきたな」
「どうしてです?」
「普段平静を装っている人間が、素を隠せずにいるのを見ると、どうしても頬が緩んでしまうんだよな」
「性格が悪いです」
軽い調子で笑うギルバートを、ミリアがたしなめる。
「俺は性格はいいほうだぞ?」
ケロリとした顔をしたギルバートからかえってきた言葉に、ミリアは「はあ」と大きなため息をついた。
「ご自分で仰らないでください……。それより、本当にお体は大丈夫なのですか?」
「ああ。問題はない」
ギルバートはそう言うと、包帯を巻いた手に触れた。
「昨日《さくじつ》、ベアトリーチェ様に手紙を送りました。数日のうちに薬が届くことでしょう」
「ありがとう。……ただ、結局何をしようと俺のこれは、緩和治療でしかないかもしれないけどな」
ギルバートはそう言うと、道端に落ちていた小石を蹴って水たまりに落としてしまったときのような顔をして、遠くを見て少し笑った。
◇
「……本当に、どうかしているわ」
訓練を終えたロゼリアは、部屋に戻って枕に顔を埋めた。
今日のレオンとのやり取りを思い出す。
最近のロゼリアは訓練のあと、言葉にできない焦燥とともに、少しだけ疲労感を覚えるようになった。
――彼のことが気になって、ずっと、気を張っているせいかしら?
ごろんと寝返りを打って、天井を仰いだロゼリアは胸をおさえた。
この感情に名を与えてはならないことはわかっているのに、最近自分の胸の鼓動ははやくなるばかりだ。
魔法を使えることが権威となるこの世界で、クリスタロスの時期国王は、レオン以外にありえない。
そんな相手にこんな感情を抱くのは、間違いだと知っている。ロゼリアは何度も心のなかで繰り返した。
せめて、順番が逆だったら。
リヒトがレオンより優れた力を持っていれば、この思いが叶うことを願うことは許されたかもしれないのに。
でもリヒトがレオンより強い力を持つ日がくるなんて、ロゼリアはとても思えなかった。
そして少しずつでも、かつての力を取り戻しつつある今の自分は、きっとやがてディランの王位を継ぐことを望まれることだろう。
その隣に望んでいい人間に、他国の次期国王は含まれない。
『三人の王』の転生者同士が結ばれる世界など、この世界は望まない。
――想いが叶わなくても、届かなくても、いい。あともう少しだけ、そばにいたいと願うことは、私には許されないことかしら?
ロゼリアはそう考えて――ふと、机の上に手紙が置かれていることに気がついた。
送り主は彼女の父だった。
手紙には彼女を気遣う言葉が綴られ、最後にこう書かれていた。
【お前が魔法を使えないままなら、その時は国に連れて帰る】
「ローズ。最近、彼女に何か変わったことはあった?」
ローズがレオンに声をかけられたのは、リヒトの座学の試験中、一人廊下で待っている時だった。
「『彼女』、とは?」
「……『海の皇女』――ロゼリア・ディランのことだ」
レオンは珍しく、少し間を置いてこたえた。
いつもは余裕たっぷりのレオンが、妙に落ち着かない様子に見えて、ローズは不思議に思って彼に尋ねた。
「レオン様は、ロゼリア様と仲がよろしいのですか?」
「…………は?」
長い沈黙の後、レオンはぽかんと口を大きく開けた。
「その、なんといいますか。レオン様は周りにたくさんの女性を侍らせても、一人の方に執着されているようには、あまり見えなかったので……。ただ、彼女に対しては少しは違う気がして」
「それは僕が君を――いや、これは……今はいい」
ローズの言葉にレオンは深いため息を吐いて、頭痛がするとでもいいたげに頭を抑えた。
「君が何を勘違いしているかはしらないけれど……。君の兄が勝手に決めたとはいえ、今回のことは彼女が失敗すれば僕も被害を被る。だからできるだけ早く、問題は解決しておきたいんだ」
レオンの言葉は、完璧主義の彼らしい言葉ではあった。
レオン・クリスタロスという人間は昔から、基本的に打てる先手はすべて打つ、という性格なのだ。
「そうですね。数日前……レオン様が幼等部に来られた次の日あたりから、元気がないように見えます。ここ数日、何かずっと思い悩んでいる様子でしたし、学校以外のことなので、何か悩まれているのかもしれません」
「ローズも僕と同意見か」
「レオン様もそう思われていたのですか?」
「まあね。どうにも訓練にも身がはいらない――という様子だったんだ。僕が彼女に会うのは基本放課後だけだけどね。リヒトのお守りで、そばで見る機会の多い君が言うなら間違いはないだろう。今日も訓練の約束をしているし、本人に聞いてみることにするよ」
「……レオン様が真正面からお尋ねに?」
「ああ」
ローズは驚きを隠せなかった。
いつものレオンなら遠回しに言葉を選ぶか、周りの人間から真実を探りそうな気がするのに。
ロゼリアに関しては、自分から自発的に動くつもりらしい。
『三人の王』。
もしかしたら前世での繋がりが、レオンにそうさせるのだろうかと考えて――ローズはその考えを、頭から打ち消した。
レオン・クリスタロスは、現実《いま》を重んじる人間だ。
だがだとしたら、レオンが『出会ったばかりの少女』を気にかける理由がなんなのか、ローズにはわからなかった。
「用は済んだし、僕はこれで失礼するよ」
リヒトが教室から出てくるより前に――レオンはそう言うと、ローズに背を向けた。
ローズはそんな彼の背中を見ながら、不思議そうな顔をして呟いた。
「いつもなら慎重なあの方が……一体、どうなさったのでしょう?」
◇
「……約束、破ってしまったわ」
学院の中の湖を前に、ロゼリアは一人、手紙を手にうなだれていた。
「何も言わずに行かなかったこと、彼は怒っているかしら」
今日は訓練をする約束をしていた。
けれど父からの手紙のことが気にかかって、ロゼリアは二人との約束をすっぽかしてしまった。
キラキラと光る湖の水面を見つめて目を細める。
自分の魔法のことでこれまでずっと悩んできたというのに、『水』に関わる場所が一番落ち着くだなんて、矛盾していると心のなかで自嘲する。
「私のために、二人とも時間を割いてくれているのに。……でもお父様のことで、とても他の人に相談なんてできないわ」
『魔法が使えないなら国に連れ戻されると言われているの。だから、魔法を使えるようにもっと協力してほしいの』
そんなこと誰かに相談したとして、相手を困らせるだけだ。
――私は、『海の皇女』なのに。こんな私じゃだめなのに。
ロゼリアがそう考えて顔をしかめていると。
「え?」
急に地面に影がさしたに気付いて、ロゼリアは顔を上げて目を瞬かせた。
空を仰げば、日を隠すほどの大きな鳥が、頭上を飛んでいたからだ。
巨大な黒鳥はロゼリアを見つけると、ゆるやかに高度をおとし近寄ってくる。
ロゼリアは慌てた。
赤い瞳に黒い翼。そんな鳥の名前なんて、一つしか浮かばない。
「ここにいたのか。『ロゼリア・ディラン』」
巨大な黒鳥――レオンはレイザールから降りると、つかつかとロゼリアのもとへと近寄った。
ロゼリアは思わず一歩後退ると、上目遣いで彼に尋ねた。
「どうして、貴方がここに」
「君が時間になっても約束の場所に来ないから、空から探させてもらった。僕との約束を破るなんて、随分といい度胸だね?」
レオンの声は語尾こそ上がっていたが、目は笑っていなかった。
「ご、ごめんなさ……」
――確実に怒らせた。
ロゼリアはそう思い、慌てて頭を下げた。
「簡単に謝るくらいなら、約束を破るのはよくないな。ところで」
レオンはロゼリアの目線の高さにかがむと、彼女の目元に指を添えた。
「どうして君はいつも、一人で隠れて泣いているんだ?」
「……っ!」
レオンの指先は、透明な雫で濡れていた。
ロゼリアは乱暴に手で顔を拭った。
「わ、私は、泣いてなんかないわっ!」
「嘘をついても無駄だよ。……ああもう、目を擦ったらダメだ。赤くなってる。ほら、こっちを向いて」
レオンはそう言うと、手巾を取り出してロゼリアの目元を拭った。
その仕草は、まるで幼い子どもにするように、どこか優しい。
「……ごめんなさい」
ロゼリアは無意識に、そう口にしていた。
レオンはその言葉を聞いて、はあと深いため息を吐いた。
「謝る前に、どうして君が泣いているのか教えてくれ。僕は別に、理由なく君を叱ったことなんてないはずだけど? 悩みがあるなら、それはそれでいいよ。でも君が僕に君のことを教えてくれないと、僕は君に何もしてやれないだろう?」
「貴方が私のためになにかしてくれるの……?」
慰めようとしてくれているのだろう、とロゼリアは思った。
だがその中で、レオンが口にした思いがけない言葉に、ロゼリアは目を瞬かせて尋ねていた。
レオンはロゼリアから視線を反らして言った。
「……君が転べば僕やギルバートも転ぶ。今の僕たちはいわば、運命共同体だからね」
あくまで試験のために心配してるのだ、というレオンの言葉に、ロゼリアはどこか納得して――それから、少しだけ胸が痛むのを感じた。
「そうよね。……私達、同じ仲間だもの」
沈んだ彼女の声を聞いて、レオンは一瞬ばつの悪そうな顔をすると、ロゼリアの隣に黙って腰を下ろした。
「それで? 君は、何を悩んでいるんだ?」
「お父様が。……お父様が、ここに来ると仰ったの」
「それの何が問題なの?」
「お父様がいらっしゃったとき、私がもしまだ魔法を使えないままなら、国に連れて帰ると仰ったの」
「……なるほどね」
レオンは表情の暗いロゼリアを見て、合点がいったという顔をした。
「それが、君が最近元気がなかった理由か」
「……」
沈黙は肯定だ。レオンはそう判断した。
「一つ、君に質問してもいいかな?」
「何?」
「君の父は、どういう人?」
レオンの問いに、ロゼリアは返答に少し迷った。
「お父様は……厳しくて、『優しい』人よ」
「『優しい』?」
ロゼリアの言葉にレオンは首を傾げた。
「魔法を使えない限り、皇族である私は後ろ指をさされる。お父様は、私のことを心配してくださっているの。私のお母様は、私が幼いときに病でなくなったの。私のことを気にかけられるのは、そのせいというのもあるかもしれないわ」
愛しているからこそ、心配してくれる。
それは理解しているけれど――ロゼリアは、父の愛情が辛かった。
『心配』される度に、『結局お前はダメなのだ』と、そう突きつけられている気がして。
胸をおさえたロゼリアを見て、レオンはふと何か思い出したような顔をした。
「もしかしたら――君の父は、僕の父上に似ているのかもしれない」
「え?」
ロゼリアは、レオンの言葉の意味がわからず首を傾げた。
「僕とリヒトの母は、幼いときに亡くなっている。父上は――叔母上も早くになくしているから、昔から僕やリヒトのことが気がかりみたいだった」
母を早くに亡くした父。
その点において、確かに二人は似ているようにロゼリアは思った。
「父上は昔から、僕に期待を向ける一方で、リヒトには期待する素振りを見せなかった。今、僕が十年もの眠っていたせいで、少し揉めているけれど……多分父上はこれ以上、リヒトに無理をさせたくないんだと僕は思う。魔法を使えないことは、今のこの世界では、王族であるなら非難の目を向けられる理由になるからね」
これ以上リヒトが傷つかなくていいように――真綿にくるんで大切に大切に……。
だが真綿といえば、こんな言葉もある。
『真綿で首を絞める』
そんな言葉が頭に浮かんで、レオンは小さく頭を振ってから、落ち着いた声でロゼリアに尋ねた。
「それで? 君はどうしたいの? 君の父の言うように、国に戻りたい? それとも、ここにいたいの?」
「私は……」
レオンがロゼリアに、そう訪ねた瞬間だった。草むらから、幼等部の生徒たちが一斉に現れた。
「今の話、どういうこと!? ロゼ、国に帰っちゃうの!?」
「どうして、みなさん、ここに……」
「ロゼが元気がなかったから、お菓子でも一緒に食べようって誘おうって……でも、そしたら、二人の話が聞こえて」
「やだよ、ロゼ。せっかく仲良くなれたのに、帰っちゃうなんて嫌だよ!」
ここにいてほしい。一緒に学院で過ごしたい。
そう口にする子どもたちを前に、ロゼリアは困惑の表情を浮かべていた。
◇◆◇
「なるほどな。……昨日、そんなことが」
翌日。
幼等部の教室で、リヒトとローズは昨日の出来事のあらましを聞いた。
「だからさ、ロゼリアのお父さんが来るまで、みんなでロゼリアのために出来ることをしようと思うんだ」
「例えば?」
「グラナトゥムにこれないよう、罠を仕掛ける、とか」
「危険なことはだめですよ。それに大国の王相手にそんなことをしたら、どんな罰がくだるかわかりません」
ローズは冷静だった。
「でも、王様がこなかったらいいんだろ!? だったら妨害すればいいじゃん!」
「それは解決策とは呼べません。そもそも、そんなことをすればロイ様にも迷惑がかかります。それに、ロゼリア様の父君でいらっしゃるディランの皇帝は、貴方方が敬愛してやまないロイ様の叔父にあたる方でしょう?」
「叔父?」
子どもたちは目を瞬かせた。
「ロゼリア様の母君は、グラナトゥムの第一王女だった方なのです。また、ディランはグラナトゥムに並ぶ大国です。貴方たたちがこの問題に手を出すのはおすすめしません」
「なんだかとたんに怖くなってきた……」
ロゼリアのために、何かできることをしよう! と意気込んでいた子どもたちは、ローズの話を聞いて肩を落とした。
「誰かを傷つける方法じゃなくても、さ。俺は彼女のことを信じてあげたり、応援したり、そういう気持ちが彼女にとって力になると思う。それにお前たちが動いて、それで罰せられるようなことがあれば、その時に一番悲しむのは、彼女だと俺も思うぞ」
ローズの言葉で落ち込んだ様子の子どもたちは、リヒトの言葉を聞いて少しだけ元気さを取り戻した。
「……わかった。そうだよな。妨害とかじゃなくても、応援することはできるもんな」
「最近頑張ってるし、ロゼリアにならきっと出来るよ!」
「うん。きっとそう!」
リヒトの言葉を聞いた子どもたちは、明るい言葉が飛び交わせる。
そんな中、幼等部の生徒の一人が、こんなことを呟いた。
「でも俺はさ、ロゼリアみいにすれ違えるのも、羨ましいなって思ったりもするよ。魔法が使える子どもは、貴族の養子に迎えられることが多くて。……そうなったら、今のお父さんやお母さんとは、縁を切るように言われることもあるって聞いたんだ。俺はロゼリアのお父さんのことはよく知らないけど、家族だからすれ違える――って、そんな感じがするから。すれ違える相手がいるって、幸せなことだとも俺は思うんだ」
その話を聞いて、ローズは自分の婚約者であるベアトリーチェが、養父に止められたわけではなかったものの、自分の意志で家を出たというのともあり、ここ最近まで実の親とまともに話していなかったという話を思い出した。
相手を思うからこそ――すれ違うこともある。
でもその思いが、本当に相手を思ってのことなら、いつかはすれ違うのではなく、目線を合わせて話が出来ればいいのにとローズは思った。
それから数日後、グラナトゥムの港にディランより巨大な船がやってきたという話が学院に届いた。
その日の正午頃、魔法学院の門前に一両の馬車がとまった。
「ついにやってきたぞ!」
『敵兵敵兵! 襲来しました!』
ロゼリアを心配して、門の近くで見張りをしていた子どもたちは、その光景を見て驚きを隠せなかった。
馬車から従者の手を借りて降りてきたのは、青い長い髪が特徴の、美しい青年だったからだ。
「…………って、めっちゃ若い!?」
予想していなかった『父親』の姿に、誰もが心の中で突っ込んだ。