想像する。
 自分を守る、光の壁。それは、闇を阻む光のドームだ。
 自分を守る力がなければ、誰かを守ることなんて出来はしない。
 故に防壁の魔法は、まず自分を守る壁を創造することから始まる。

「そうです。アカリ、集中してください」

 試験では魔法を使うことが出来たアカリだったが、実技の授業では失敗することも多く、ローズは授業の時間含め、アカリの魔法の練習に付き合っていた。
 
「はい。ローズさん!」
 元気よく返事をする、アカリの作る光の壁は今にも崩れそうなほど薄かったが、ローズの言葉を受けて、少しだけ厚くなった。

「魔力を使う際に必要なのは、魔力と属性と魔法式と、その発動した状態を想像できる想像力です。さあ、みなさん。自分の魔法の発動した状態を、きちんと頭に思い浮かべてください。貴方方なら、必ず出来る魔法です!」

「……うう……!」
 教師はぱんと手を叩いた。
 魔法を使うアカリは、ぷるぷると腕を震わせていた。
 この世界に来る前は、もともと闘病生活をしていた経緯もあり、アカリは学校で体を動かすということは初めての経験だった。

 ――どうしよう。もう、手を上げているのが辛い。
 アカリの額に汗が滲む。
 
「もう下ろさせた方がいいんじゃないか? 彼女に長時間は酷だろう?」
「あ」

 そう言ってアカリの光の壁に触れたのは、講義を見に来ていたロイだった。

「国王陛下!」
「陛下! 陛下がいらっしゃったわ!」

 ロイの来訪を歓迎する声が響く中、ロイは静かにアカリの魔法に触れた。
 光の壁が砕け散る。

「勉強は順調か? ローズ嬢、『光の聖女』」
「……」

 アカリは手を下げると、ろりと恨みがましくロイを見上げた。

「せっかく頑張ってたのに! 壊すなんて最低です。なんなんですか。貴方、王様より、賽の河原の鬼の方が似合ってるんじゃないんですか!?」

「意図的にローズ嬢がわからない話題で俺を罵るのはやめたらどうだ? 『光の聖女』。だいたい、壊すも何も脆すぎる。触れただけで壊れる様なものを作った君の方にも問題があるだろう?」

「……」
「それに君の場合、案外荒療治のほうがさっさと身につくんじゃないか?」
「――何を」

 ロイはそう言うと、ローズを自分の方に抱き寄せた。
 国王が、求婚した相手を抱き寄せている――その光景に、わっと歓声が沸いた。
 歓迎ムードだ。その場にいた、二人を除いては。

「――王様」
「ローズさんに触らないでください」

 アカリはそう言うと、ローズとロイの間に分厚い壁を作った。
 一瞬で構築したというのに、先程とは比べ物にならないほどの硬度の壁だ。
 ロイは手の甲で壁を叩いて、ふっと笑った。

「光魔法で攻撃する者もそうはいまい。目くらましに使ったものはいたがな。……ふむ。やはり、先程より出来がいい。君の魔法の発動には、やはりローズ嬢が必要らしいな」

「何が言いたいんですか」
「大体、魔王の力をはねのけたほどの防壁をはれた君が、この程度の魔法を使えないほうがおかしいんだ」
「……」
「君が魔法を使えたのはまぐれか? ……それとも、彼女を守りたかった?」
「あんまり言うとシャルルちゃんにバラしますよ」

 光の壁の魔法を解いて、アカリは低い声でぼそりと呟く。

「私が、どうかされたのですか?」

 アカリは身長が低い。
 アカリの呟きはしっかりシャルルにも聞こえたらしく、シャルルは少しだけ不機嫌そうな声で尋ねた。

「何も無い。シャルル。気にするな」
 シャルルの頭をフード越しに撫でて、ロイは溜息を吐いた。

「……全く、油断も隙も無いな。君は」
「自分のことも整理出来てないのに、人のことに口出しするからですよ。少しは自分を省みたらどうですか?」
「君は――聖女と言うには、少々直情的のようだな」
「誰のせいだと思ってるんですかッ!」

 一発触発。
 アカリの声が響き、ローズは慌ててアカリの側に寄った。
 防音のために、軽く魔法を発動させる。生徒たちの前で、騒ぎを起こすわけにはいかない。

「アカリ、落ち着いてください」

 大を重んじる王と、小を重んじる聖女。
 もともと根本となる価値観が異なることが二人の対立を生むのか、二人が一緒に居ると喧嘩ばかりで、ローズは内心冷や汗だった。
 ローズはチラリとシャルルを見た。
 二人とも、もう子どもではないのだから、子どもの前で喧嘩をするのはやめてほしい――教育に悪い、と思う。

「ロイ様は、今日はこちらを見て回っていらっしゃるのですか」
「少し気になってな。優秀な人材の確保には力を入れている。それに、俺が多少場を離れてもなんとかなるからな」

 ロイは君主らしく、余裕たっぷりに笑った。

「それに、彼から渡された未来予知もあることなし……備えるべき天災や危機に対し、進めるべき国家事業についても把握できているのはありがたい」
「?」

 ローズは首を傾げた。
 兄が何者かを知らないらしいローズの様子を見て、ロイは苦笑いした。

「どういうことですか?」
「いや、いい。気にするな」

 少し笑って、軽く手を振る。
 それは以前のロイからすればだいぶ砕けた態度だったわけだが、アカリはそんなロイにもイラッとした。

「自分だけわかってればいいという感じが偉そうで鼻につきます」
「――アカリ」
「……はい」

 ロイの挙動が気に入らず、思わず口からこぼれた言葉のせいで、少しキツめにローズに名前を呼ばれ、アカリはしゅんと項垂れた。

 同い年だというのに、二人はまるで姉と妹のようだった。
 自分に対しては強気なくせに、ローズに怒られると捨てられた犬のような顔をするアカリを見て、ロイは静かに目を細めた。

 異世界からの『まれびと』。
 この世界の価値観とは違う価値基準で生きる者たち。彼らは、世界を変えうる力を持っている。
 だからこそその『自由さ』を、ロイは否定しようとは思わなかった。
 『光の聖女』とこの世界では呼ばれようが、結局は平民の出でしかないアカリが自分に無礼を働いても、ロイがそれを理由にアカリを咎めることは無い。
 元からこの世界に生きる者であれば、無礼には処罰をくださなければ自分の権威を下げかねないが、アカリはその『枠』の外の人間だ。
 彼にとって、『光の聖女』という存在は、唯一喧嘩してもいい平凡な少女でもあった。

「まあ、気にするな。ローズ嬢。俺も少しやり過ぎた」
「……ロイ様」

 ロイの態度は、寛容な王というよりは、友人に対するそれだった。
 ロイはローズに目配せして、そういえば、と思い出したかのように再び話を始めた。

「君の兄たちだが、本当に彼らは優秀だな。まさかあそこまでとは思っていなかった」
「あそこまで、とは?」
「レオン王子は氷でハリネズミを作っていたし、君の兄は君の侍女の光り輝く水像を作って怒られていた。あそこまで力をコントロールできる人間はそうはいまい」
「ハリネズミ……」
「お兄様……」

 真っ赤になって怒るミリアが容易に想像できて、ローズは頭を押さえた。
 自分の兄は昔から、自分の侍女を好きだとは言っていたが、怒らせるのはいかがなものなのかとも思う。
 しかし、レオンがハリネズミを作ったという話は、ローズも驚きだった。
 何故なら針ほど細い氷を作るには、かなり精密な魔力の調整が必要となる。おおざっぱなローズには、とても出来ない芸当だ。

「レオン様も、本当に頑張られていらっしゃるのですね……」

 レオン・クリスタロス。
 クリスタロス王国第一王子の彼は、本来ローズの婚約者になる筈の相手だった。
 決闘の末ベアトリーチェに敗北しているが、今のローズの婚約者であるベアトリーチェは空を飛べない。その点、飛行可能なレオンは優位に立てる。
 留学を終えたら、ベアトリーチェに再戦を申し込む可能性のある人物の名を嬉しそうに呼ぶローズを見て、ロイは苦笑いして、もう一人の彼女の幼馴染みについて尋ねた。

「そういえば、君はリヒト王子の方は見に行ったのか?」
「いいえ。私はアカリの護衛ですし、あちらにはアルフレッドも居るはずですし、心配はないでしょう? 一応私は護衛として参りましたが、この学園の中で学生の身が危険にさらされるようなことは、そうそう無いのでは?」
「まあ、そうなんだが……」

 正論を諭され、ロイは溜息を吐いた。
 学院内の安全性には自信を持っているが、ローズの態度はあまりにも淡白にロイには思えた。

「しかし、幼等部となると――……彼女か」
「どなたかご存知なのですか?」
「知っている……というより、この学院は国営だからな。教師の採用については、俺自身が判断している。俺自身が足を運んで頼んで、教師にした者のも多いほどだ。それはもう、中には隠者のような生活をしていた者もいてな。屋敷に辿り着くために、長く時間を要したこともあった」
「大国の国の王である貴方が自ら……?」

「君の国に行ったときもそうだったが、この国は俺がいなくともしばらくは持つように出来ている。そもそも何事も、他人に任せるべきところとそうでないところはあるだろう? それに王であるとはいえ俺も、完全ではないからな。世界はパズルのようなもの。俺も国の仕事の全てを行えるわけではない。だから適材適所、相応しいものを据えている。それにこの学院は、我が国にとっても重要な位置付けだからな。今後自分が登用したいと思えるような人間を育てるには、教える者の力量を把握することも俺の役目だ」

 決闘期間中、ロイはかなり長い間国を開けていた筈だ。
 それでも何の問題も起きなかったということを考えると、グラナトゥムという国がいかに安定しているかがわかる。
 赤の大陸グラナトゥム。
 大国と呼ばれるには、それだけの理由がある。

「そういえば――幼等部の先生は、どのような方なのですか?」
「どのような、というか……」
 ロイは苦笑いした。

「ローズ嬢」
「はい?」
「君は、魔法は何よって生まれると考えている?」

 ロイの問いは、あまりにも初歩中の初歩だった。

「……『魔法は心から生まれる』……?」

 ローズは、ロイが別の答えを期待しているのかと不安になりつつそう返す。

「そうだな。その答えで正解だ。では、次は質問を変えよう。君は、その魔法を使うための心の基盤というものは、いかにして作られると考えている?」
「――え?」
「彼が幼等部なのは、おそらくそのせいだろう。彼には決定的に魔法を使うための基盤が足りていない」
「基盤……?」

 ローズは首を傾げた。

「まあ、君がわからないのも無理はない。人は、自分が当たり前だと思っていることには、なかなか気付けないものだからな」
「……?」
「かくいう俺も、昔足りていないと彼女にはこっぴどく絡まれてな……。だから俺は、彼女があまり得意ではないんだ……」

 大国の王に絡む教師。
 ロイ・グラナトゥムという男は、今でこそローズたちと親身になって接しているが、元々は大国の国王という立場を全面に出す男だ。
 その相手を引かせるなんて、一体どんな人物なのかと思って、ローズは顔を顰めた。

「悪い方なのですか?」
「……人によっては質《たち》が悪い」



 ローズたちがそんな会話をしていた頃。
 一時間ほど遅れてやって来た、長い桃色の髪の女性は、豊満な胸を揺らしてにっこりと微笑んだ。
 そして「せんせいがこない」とぼやいていた幼等部の生徒たちは、優しそうな「せんせい」にくぎ付けになった。

「私が貴方達の先生、エミリー・クラークです。どうか私のことは、『お母さん』だと思ってくださいね」
「…………は?」

 美人で優しそうな女の先生。
 はしゃぐ子供たちとは違い、明らかにサイズの合っていない小さな机と椅子に無理やり座っていたリヒトは、思わず口をあんぐり開けた。