『ハロウィン』
 『異世界人《まれびと》』の記録によると、それは死者の霊が帰ってくる時期にやってくる、おばけや魔女を追い払うための祭りだと伝えられている。
 そしてこの祭りでは、一つの合言葉が用いられる。
 
『Trick or Treat』

 「お菓子をくれなきゃいたずらするぞ(いたずらとお菓子どっちがいい?)」という意味のこの言葉を口にして、子どもたちは仮装をして、『ジャック・オー・ランタン』と呼ばれるかぼちゃの明かりの灯されている家の扉を叩いてお菓子を集めて回る。

 お菓子を集めたあとの楽しみは、どれだけ多くのお菓子を集めたか競い合うこと。
 そしてそのあとは、みんなでごちそうを食べてパーティーをする。
 かぼちゃのケーキ、かぼちゃの種のお菓子。好きな果物にチョコレートをフォンデュしてどんちゃん騒ぎ。
 それが、この世界に伝わる『ハロウィン』だ。



「ローズ。服はもう決めたか?」
「いいえ。まだ……お兄様はもう決められたのですか?」

 パーティー当日。
 ローズは兄に尋ねられ、静かに首を振った。
 今回のハロウィンでは、服は全て学校側が用意することになっていた。
 ベアトリーチェの服に使われていた新素材。伸縮性のある服を用意することで、誰もが着れる服を用意して、仮装のかぶりを減らそうという取り組みだ。
 もともとグラナトゥムで開発された素材ということもあり、学院には各国から生徒が集まっているため、宣伝も兼ねているらしかった。

「今回の仮装は全員分くじで決めることになったから、お前たちも早く引きに行けよ」
「衣装は選べないんですか?」

 リヒトの問いに、ギルバートはにやっと笑った。

「ああ。くじなら平等だろう? 早く行かないと余り物になるぞ。ここはもういいから、お前たちも行ってこい」
「それでは、私たちもはやく引きにいきましょうか。リヒト様」
「……ああ」
 ローズに急かされ、リヒトは頷いた。



「『剣神』様! 『剣神』様がいらしたわ!」
 衣装担当の生徒たちは、ローズを見るなり声を上げた。
 背中に黒い小さな羽と白い羽をつけた少女たちは、二つの箱を抱えていた。

「この二つにはどんな違いが?」
「入っている衣装の系統が違うんです。白の箱には『かわいい』服、黒の箱には『かっこいい』服が入っています」
「黒の箱には吸血鬼や狼男。白の箱には妖精や幽霊、『使い魔』枠で白色コウモリなどが入っておりますの」

 ローズがどちらを引くか悩んでいると、黒い箱を持った女生徒が、目を輝かせてローズに箱を突き出した。

「是非黒い箱を! 吸血鬼だったら素敵です! ローズ様になら、血を吸われたいと思う者もいるでしょう。きっとお似合いになります!」
「何仰ってますの! 剣神様の可愛らしいお姿を見たい者も多いはずですわ! 是非こちらの白い箱を!」

 黒い箱を持った少女に続き、白い箱を持った少女がローズに箱を差し出した。

「ええと……」
「何も分かっていらっしゃらないんですね。ローズ様の魅力を引き出せるのは黒い箱に決まっています」
「貴方こそ、白い軍服を纏うローズ様の神々しさを拝見されたことがないのですわね。ローズ様は白がお似合いになりますの! それに、ローズ様は女性ですわ。可愛らしい服をお召しになっている姿を見たい方だって、きっと多いはずですわ!」
「それは貴方が見たいという話でしょう? 男性に邪な視線を向けられては、ローズ様がお可哀想だとは思われないのですか? 黒ならばその心配がありません!」
「……」
「「どちらをひかれますの(ひくんですか)!?」」

 ――圧がすごい。
 ローズは詰め寄られてたじろいだ。

「あ、あの……っ!」
 面倒だからどちらも選びたくないとローズが思った、まさにその時。
 ローズの前に、もう一つの箱が差し出された。

「せっかくのお祭りなのに……ふたりとも。喧嘩、しないでください。せっかく、みんなで準備したのに……」

 小さなおかっぱ頭の少女の手には、灰色の箱が抱えられていた。
 白と黒とが選べないなら。

「では、私はこちらを引かせていただきます」
 ローズはそう言うと、灰色の箱に手をいれた。



 歩くたび、ちりん、という鈴の音が鳴る。
 長く伸びた黒い尾は揺れ、道行く人の誰もが彼女を振り返る。
 眼を瞬かせて驚く者、小さくこちらを指さす者、頬を染める者。彼らの反応を見ながら、ローズは心の中で溜め息を吐いた。

 ――やっぱり、この衣装は私は似合っていないのではないでしょうか……?

 黒でもない白でもない箱。
 その中から出てきたのは、普段ほローズなら、絶対に選ばない服だった。

 ――丈が短い気がしますし、なんだかスースーします。私はあまりこのような服は着たことがありませんが、もしかしてグラナトゥムでは、こういう服が流行っているのでしょうか……?

 ローズは昔から流行に疎い。というより、関心がなかった。
 いつもは周りが用意した服か、最近は軍服しか着ていなかった彼女にとって、仮装衣装は随分刺激的なものに思えた。
 だが、用意されたものを着ないわけにはいかない。ローズは根が真面目なのだった。

「あ! おねーちゃん来たよ! リヒト様!」
「こっちだよ! おねーちゃん!」

 ジュテファーと入れ替わりでリヒトの護衛になってから、幼等部の生徒たちにローズを受け入れられた。
 ギルバートの妹ということもあり、ローズは『お姉ちゃん』と呼ばれている。
 ただ、少女たちには囲まれても、少年たちはあまりローズに近寄ろうとはしなかった。

 人々の視線を浴びながらパーティー会場まで向かっていたローズは、子どもたちが手を振る姿を見て道を急いだ。
 子どもたちの声でローズに気付いたリヒトは、振り返ってから叫んだ。

「ローズ。着替えてきたか……って。何だよその格好!?」

 『にゃーん』
 ローズの服は、普段の彼女なら絶対に着るはずのない黒猫の衣装だった。
 かっこいい黒とと可愛い使い魔枠を足した結果、魔女の『使い魔』である黒猫が採用されたらしい。

 大きく開いた胸元。丈の短いドレスには、何故か動くしっぽがついていた。首元には、金色の小さな鈴付きの黒いレースのあしらわれたチョーカー。
 高さのある黒いヒールは、ローズが女性の中では身長が高い方ということもあって、リヒトはローズに見下ろされる形になっていた。

「……やっぱり変でしょうか?」
「そんなことないよ! お姉ちゃん可愛いよ!」
 少女たちはローズを励まそうとしたものの、リヒトの反応に、ローズの声の調子が下がる。

「リヒト様のせいでお姉ちゃん落ち込んじゃった……」
「大丈夫だよ。お姉ちゃん。可愛いよ。すごく似合ってる!」
「ね? リヒト様もそう思うよね?」

 団結した少女たちに同意を求められ、リヒトは慌てた。ローズはじっとリヒトを見つめた。

「へ、変じゃない……。似合ってる。けど、でも、でも……!!」
 リヒトはローズを一度直視してから下を向くと、声にならない言葉を発して、自分のマントを脱いでローズに渡した。

「え?」
「さ、寒いだろう? これを着ておけ」
 リヒトの耳は、真っ赤に染まっていた。

「……ありがとうございます」
「よかったね! お姉ちゃん!」
「マントがあるとかっこよくてもっと素敵!」

 リヒトの仮装は吸血鬼だった。
 内側が赤い大きな黒マントを渡され、ローズは少し悩んでからマントを羽織った。
 足下まである黒マントは、黒猫の服と違って温かい。
 ――けれど。

「リヒトの衣装、マントがないと吸血鬼っぽくないな」
「確かに……吸血鬼というより、どちらかというと執事のようですね」
「……」

 フィズとローズに酷評され、リヒトは沈黙した。
 ドラキュラの最大構成要素、黒マント説。
 リヒトは吸血鬼から執事に格下げになり、吸血黒猫が爆誕した。



「光ってる!」
 日が落ちると、学院には光る看板が現れた。

「これは、『夜光塗料』ですね」
 光る文字を目を輝かせて見つめる子どもたちに、ローズは冷静に説明した。

「とある蝶の鱗粉が、光るという性質を活かして作られたものです」
「知っていたのか?」
「お兄様からお話を聞いていたので。暗い道で迷子にならないように、案内を設置すると」

 リヒトの問いにローズは淡々と答えた。
 矢印通りに進めば、中庭へと出たが、そこには光る看板はおろか、灯火一つなかった。

「ここで、場所はあっていると思うのですが……」
 
 その時だった。

「――ようこそ! ハロウィンパーティーへ!」

 広場に集められた生徒たちは、闇の中に響いた『王』の力強い声に、一斉に顔を上げた。
 空から、マントを羽織った男が落ちてくる。
 男は地面に着地する少し前、風魔法を使うと、静かに着地してマントを脱ぎ捨てた。

 狼男の仮装をしたロイは、赤頭巾の格好をしたシャルルを抱きかかえていた。
 ロイの言葉と同時に、オレンジ色の温かな明かりが次々灯る。
 カボチャの形をした灯りの他に、白い浮遊物体が出現し、一部の生徒からは悲鳴が上がった。

「お、おばけぇ……っ!」
 確かに一見、まるで『幽霊』だった。しかしそれにしては――……。

「これ、魔法だな」
 ローズが眼を細めていると、魔法の残滓を可視化できる眼鏡を掛けたリヒトが、ローズよりもはやく上空を見上げていった。

「そうなのですか?」
「ああ。風魔法で誰かが操っているみたいだ。うっすら光っているのは、さっきの塗料のせいらしい」
 よくよく見てみると、白い浮遊物体は薄い紙で出来ているようだった。
 
「――静かに。種明かしは無粋だぞ」

 冷静に分析していると、ロイの窘める声が響いて、リヒトは口を手で覆った。その様子を見て、ロイは頷いた。

「今日はみなに楽しんで貰いたいからな。配慮して貰えると嬉しい」
 ロイがそう言うと、シャルルは小さなカボチャ型の明かりを掲げた。

「今回のハロウィンパーティーでは、学院に飾ってるこの飾りを探してもらう。中には菓子か、鍵が入っている」

 シャルルは、カボチャの中から飴と鍵をとりだした。

「学年ごとに、手にすることが出来る鍵の色は決まっている。幼等部は緑、中等部は赤、高等部は金色だ。この鍵を五つそろえると、とある場所への扉が開かれる。そこでは、より多くの菓子を手に入れることが出来る。……また、今回のハロウィンでは特別に、ある特典を設けることにした。ハロウィンパーティーが終わるまでの間、この学院に最も相応しい行いをしたと判断された者には、俺が何でも一つ、願いごとを叶えてやろう」

 『大陸の王』から願いごとを叶えてもらえる――ロイの言葉に、わっと声が上がる。
 リヒトは、シャルルを抱えたまま生徒たちを見下ろして、王らしく笑うロイを見上げ、独り言を呟くようにローズに訊ねた。

「……なあ、ローズ。『ハロウィン』ってこんな祭りだったか?」
「より多くの生徒が楽しめるよう、仮装してお菓子を集めるという趣旨は残し、魔法学校ということも考慮して企画がねられたそうです」

 ――それはもう、ハロウィンではないのでは?

 リヒトは突っ込みたかったが、雰囲気を壊すのは無粋かと思って口を噤んだ。
 ジュテファーの代わり、リヒトには二人の護衛がついている。
 アルフレッドとローズは、幼等部のメンバーとして参加が許された。
 今回特例として、『自分が命令できる相手』や『護衛』を使うことも許したためだ。

 利用できるものは利用する。
 そして、ロイに『学院に最も相応しいと判断された者』になるために――……各国から集められた王侯貴族の一番多い高等部は、ギラギラと目を光らせていた。
 そんな中。

「優勝するぞ!」
「お――っ!」

 幼等部の子どもたちは円陣を組み、やる気十分だった。