「これじゃあ駄目なんだ……っ!」
 
 一人訓練をしていたユーリは、新しく精霊晶に書き込んだ魔法が発動できずに叫んだ。
『魔法の才能がある』
 ローズの祖父、『剣聖』グランと出会ってから、ユーリはずっとそう言われて生きてきた。
 けれどユーリは、クリスタロスの『騎士団長』として、足りないものを知ってしまった。

【光を以て人を導く者、『聖騎士』の名に相応しき者に、その座は与えられる。】

 あの日図書館で本を読んでから、精霊晶に光属性の魔法式を書き込んでみたものの、魔力を流しても魔法が発動することはなかった。
 当然だ。ユーリ自身、自分には風属性の適性しかないことは理解していた。
 ローズが触れれば虹色に輝く測定器。
 ユーリがこれまで、光属性の色を灯せたことは、一度もない。

 光属性を持つ両親の元に生まれた。
 けれどユーリに使えるのは、風属性の魔法のみなのだ。

「こんなんじゃ……っ!」

 本には、歴代の騎士団長は『未来予知』、もしくは『光の防壁』のどちらかの魔法を有していたと書かれていた。
 そしてローゼンティッヒ・フォンカートは、『未来予知』を得意とし、彼の予知によって様々な災厄を退けたことから、『先見の神子』の再来と書かれた本もあった。

 つまりローゼンティッヒは、自分の攻撃をすべて予測して避けていたのだ――そのことを思い出して、ユーリは顔を顰めた。
 全部読まれるせいで当たらないなら、同じように自分も未来を読めばいい。しかしそれはユーリにとって、考えるのは簡単だが、かなえるのは難しかった。

 ――このままじゃ、駄目なのに。

 強くなりたいと思う。その座に相応しいように、もっと。
 するとその時、誰かがユーリのことを呼んだ。

「精が出ますな。団長殿」
「貴方は……」
「失敬。驚かしてしまいましたかな」

『団長殿は、惚れた弱みに付け込まれておりますなあ』
 老年の騎士。
 彼はかつて、ユーリがローズに負けたあとの宴で、ユーリのことをからかった男だった。
 年に似合わず鍛えられた体をした白髭の男は、ユーリを見てニカリと笑った。

「よければお手合わせ願えませんかな?」
「……俺でよければ」
 ユーリはそう言うと、剣を構えた。



「いい汗をかくことができました。やはり団長殿を凌ぐ風魔法の使い手は、騎士団にはおりませんな」

 老騎士は、水属性魔法の使い手だった。
 ユーリは、息を乱さず朗らかに笑う騎士を前に、額の汗を拭った。

 ――終始こちらが押していたはずなのに、なんだか負けた気がするのはどうしてだろう?

 ユーリが髪を整えていると、老騎士はユーリが机の上においていた紙の束を手に取り、ほうほうと内容を読んだ。

「おや、これはこれは……。珍しい物をお持ちですな」
「それは……っ!」

 光属性の適性について調べていたメモを見られて、ユーリは思わず紙の束を老騎士から取り上げて胸に抱いた。
 ユーリが顔を真っ赤にしてじろりと老騎士を見れば、彼はまるで子どもを見つめるかのように、ユーリに視線を向けていた。

「そう慌てられずとも、団長殿をからかったりなどはいたしませんぞ」
「……」

 その声からは確かに、ユーリを嘲る意志は微塵も感じられない。
 ユーリは一度紙の束を机に置いて、地面に落ちてしまった紙を無言で拾った。

「ベアトリーチェ殿と、喧嘩でもなされたか?」
「喧嘩、というか……」
 背中越しに問われ、ユーリは眉根を寄せた。

「なかなか難しいお方ですが、何かしらの意図があってのことでしょう。貴方を傷つけるためだけに、行動されるような方ではありませんからな。そんなことは、メイジス・アンクロット殿が許すはずがない」
「メイジス……?」

 それは、植物園にいるベアトリーチェが信をおいている男の名だ。
 かつてベアトリーチェが自分より優先した男の名前を聞いて、ユーリは眉間のしわを深くした。
 十年ほど前までは、メイジスは騎士団に所属していたとユーリは聞いていた。……ベアトリーチェを庇い、片腕を失うまでは。

「メイジス殿のことは、彼が入団される前から存じております。騎士になるより前、彼は店を営んでおられましてな。特に彼のいれる珈琲は、本当に絶品で……」

 老騎士は懐かしむかのように目を閉じた。
 ユーリは、そんな彼に短く尋ねた。

「――じゃあ、ビーチェのことは?」
「入団された頃から存じておりますな」

 老騎士はふっと笑って答えた。

「ベアトリーチェ殿は……昔はやんちゃな方でした。団長殿がここに来られた当初よりも、ずっと。魔力を上手く制御出来ずに、問題を起こしてしまわれることもありました。その制御のために、ベアトリーチェ殿の教育係だった方は、一人称を変えることを指導されたくらいですからな」
「ビーチェが?」

 ――まるでミリアと自分みたいだ。
 ユーリの中に、そんな考えが頭に浮かぶ。

「ベアトリーチェ殿が、『光の巫女』によって生かされたという話は、団長殿はもうご存知なのでしょう? 彼は彼女の息子ということもあり、昔から深いつながりがあったようですからな。ベアトリーチェにとって彼は、命の恩人の息子であり、兄ともいうべき存在なのです。彼がベアトリーチェ殿にとって、大切な存在であることに間違いはない。けれど、邪推する必要はございますまい。ベアトリーチェ殿が親しい名を許すのは、家族を除いては貴方とローズ殿だけなのですから。それに貴方は『天剣』の名を、他ならぬベアトリーチェ殿に与えられたではありませんか」

 ベアトリーチェの剣は、決して空には届かない。空を飛ぶ生き物と契約出来ないのもそのためだ。 
 ベアトリーチェの力は地属性。人と、神に祝福されし者の力。

「でも、ビーチェは……」
 ユーリが小さな声で呟くと、老騎士はユーリの手をそっと握って微笑んだ。
 傷跡の残る手は、ユーリには強く、温かく感じられた。

「それにこの世界でもし、『もう一人の自分』などという存在がいるとするならば」
「?」
「貴方は『過去の彼』であり、彼女は『もう一人の彼』なのです」
「それは、どういう……?」

 ――自分がベアトリーチェの過去であり、ローズ様はもう一人のベアトリーチェ?
 ユーリは首を傾げた。まるで意味かわからない。

「昔の彼は、今の貴方に似ている。ですから私は呼びましょう。貴方のことを、『団長殿』と」
「……貴方は、『俺の味方』なのか?」

 ユーリの問いに、老騎士は手を離すと、人差し指を口元にあててまたニカリと笑った。

「団長殿。私は、貴方もベアトリーチェ殿も、どちらも応援しておりますぞ」
「?」
「この世界で先に生まれた者の役目は、先に死にゆくことではなく、後に生まれた者を導き、育てることなのですから」

 老騎士はそう言うと、はっはっはと豪快に笑いながら、ユーリを残して訓練場を去った。



「あれは、どういう意味だったんだろう……?」

 訓練を終え、夜。ユーリは部屋で一人本を読んでいた。
 図書館で借りた本だ。
 老騎士と話をして、ユーリは最近の自分が、ひどく焦ってしまっていたことに気が付いた。
 けれど老騎士の言葉を聞いて、不思議とユーリは心が軽くなるのも感じていた。
 付け焼き刃の力で敵うほど、ローゼンティッヒはきっと甘くはない。
 なら自分に今できることは何なのか、やっとわかったような気がした。

「――俺は、あいつの『天剣』なんだから……」
 相応しくないなんて、絶対に言わせない。
 そう思い、唇を引き結ぶ。

「目が霞むな……。最近、ちゃんと眠れてなかったからか……?」

 体が万全でなかったら、勝てるものも勝てない。今日は、早く寝なくては――安堵から急に眠気が襲って、ユーリは椅子に座ったまま瞼を閉じた。 
 すると、ユーリが寝静まったのを待っていたかのように、本の隙間からするりと光の玉が現れると、ユーリを心配するかのように頭上でくるくる回った。
 しかしその時、扉を叩く音が響いて、光は再び本の隙間に隠れた。

「こんな薄着で眠っては、風邪をひきますよ。ユーリ」

 ランプを持った小さな少年は室内に入ると、眠るユーリに毛布を掛けた。
 それから少年が音を立てずに部屋を出るのを見送ると、光はそろりと再び本の隙間から出て、ユーリの上で、まるで踊るように点滅しながらくるくる回った。
 光は時折ツンツンと、楽しげにユーリをつつく。
 けれどユーリが目覚めることはなく、光は諦めたかのようにゆっくりとユーリに近づくと、その額に触れて溶けて消えた。



 その夜、ユーリは不思議な夢を見た。
 自分と誰かが、図書館で話している夢だった。

『君は勉強が苦手なのか?』
 柔らかな声だった。
 他の誰かから言われたら、きっと自分を責めていると感じるはずなのに、彼の声からは、微塵も悪意は感じられない。

『よし。じゃあ、この図書館に魔法をかけよう。君に必要な本が見つかるように』

 彼はそう言うと、身につけていた赤い指輪にそっと触れた。彼は指輪から紙を取り出すと、さらさらと魔法陣を書いた。
 陣の中心から光の玉が現れたかと思うと、それは楽しげに、ユーリの周りをくるくる回った。

『ユーリ。この子がこれからは、図書館で君の案内をしてくれる。読みたい本がすぐ見つかるなら、本を読むのも楽しくなるだろう?』

 ――ありがとうございます。

 ユーリ・セルジェスカ(いまのじぶん)より大人びた声が礼を言えば、彼がくすりと笑ったのがわかった。

『よかった。君が、笑ってくれて』

 優しくて、心地いい声。 
 けれどそんな彼は、子どもの声にびくりと体を震わせた。

『我が君! こんなところにいらっしゃったのですね! 執務室が静かだと思えば、いつもいつも、どこかへふらふらと……!』
『す、すまない』

 ベアトリーチェとどこか似ている。その子どものことを、ユーリは不思議とそう思った。

『――またな。ユーリ』 
 彼はユーリに小さく手を振ると、子どもに引きずるように手を引かれていってしまった。
 金色の髪が揺れる背を、ユーリは頭を垂れ、静かに見送った。



「――寝ていた、のか?」

 夜の外気が肌を刺す。目を覚ましたユーリは頭をおさえた。

「なんで、あんな夢……」

 ――机で眠ったから、妙な夢を見たのだろうか?

 ついさっきまで見ていたはずなのに、夢はもうすでにところどころ朧気になっていた。ユーリが首を傾ると、肩にかけられていた毛布が床に落ちて、ユーリは椅子から立ってそれを拾った。

 その時、慣れ親しんだ香りがして、ユーリは目を瞬かせた。
 長くそばにいるうちに、いつの間にか気にもしなくなったのに、最近離れているせいか、今はその香りが、ひどく懐かしく感じた。
 ユーリは毛布を手に、鍵のかかっていない扉の方を振り返った。

 ――あいつの、森の香りがする。

「ビーチェ……?」