「……でも、どうしたらいいんだろう?」

 ローゼンティッヒとの戦いの翌日、ユーリは一人悩んでいた。
 騎士団長になった理由。
 そんなもの、『ベアトリーチェに推薦されたから』としか、今のユーリには言いようがない。

『魔法は心から生まれる。なぜ君がこの地位を望むのか、それを理解しない限り、君が俺に勝つことは出来ない』

 ユーリは、ローゼンティッヒの言葉を思い出して唇を噛んだ。
 ローゼンティッヒがその座にいた頃、ユーリはほとんど彼のことを知らなかった。
 彼はあまり、人の前に姿を晒すことはなかったから。
 ただその存在が、自分にとってずっと大きな壁となっていたことを、ユーリは理解していた。
 遠目に見たことはあった。
 そしてローゼンティッヒという人間は
たとえその場にいなくても、誰もが彼を意識している――彼は、そういう人だった。
 ローゼンティッヒはどことなくギルバートに似ていて、妙に存在感のある人物だった。
 最後にユーリが彼を目にしたのは、彼がこの国を去る前、ベアトリーチェと勝負をしていたときだ。

 その闘いでローゼンティッヒはベアトリーチェに敗北し、そして彼はベアトリーチェに騎士団を任せ、この国を去った。
 だが彼が国を去った後も、ユーリが周りから彼のことを聞くことは何度もあった。
 優秀で頼りがいのあった、前騎士団長として。
 その度に、ユーリは自分との違いを認識せずにはいられなかった。

 『前騎士団長』ローゼンティッヒ・フォンカート。
 騎士団で今誰よりも信頼されている『ベアトリーチェ・ロッド』が、最も信頼を寄せ、補佐をしていた相手。
 その人間が戻ってくるとしたら――自分の立場はどうなるのか、今のユーリにはわからなかった。

「本当に、『騎士団長』に、相応しいのは……」

 その言葉の続きを口にしようとして、ユーリは頭を振った。
 ――違う。弱気になってはいけない。
 そしてその時、ユーリの中にある疑問が頭に浮かんだ。

「あの人より前の……これまでの『騎士団長』は、どんな人だったんだろう……?」
 
 クリスタロス王国王都にある図書館は、歴史ある建築物だ。
 グラナトゥムにある魔法学院からすれば現在の蔵書量では劣るものの、学院を作った三人の王の輩出国ということもあり、古い蔵書だけならば、学院と勝るとも劣らない。

 ユーリが図書館に着くとまた、ふわふわした光が、まるでユーリを歓迎するかのように彼の周りをくるくる回った。
 ユーリがこの図書館に来るのは、ベアトリーチェのことがあって以来だった。
 ユーリが光に触ってみると、不思議とほんのりと温かかった。

「これまでの、騎士団長について教えてくれ」

 ユーリが言うと、光は返事をするかのように点滅して、彼を導くように進み出した。
 どこが楽しげに、追うユーリをからかうかのように――そしてとある本棚を前で、光はパッと弾けて消えた。

「クリスタロス王国……騎士団の……歴史……」

 それはクリスタロス王国が建国されて以来の、騎士団の記録のようだった。
 古い本だ。けれどその本は、本が書かれた頃を思えば、まだ真新しく見えるようにユーリは感じた。
 本はまるで、当時の状態を維持しているかのようだった。まるで本に、魔法がかかっているかのように。
 図書館にかかっている魔法は、導きの光の魔法だけではないのかもしれない――そんなことを、ふと思う。
 戦いの歴史魔法生物との契約。
 そして――過去の騎士団長を始めとした、歴史に名を残した騎士たちの、魔法適性の記録。
 ユーリはその内容を見て、思わず本を落としかけた。
 歴代の『騎士団長』は、ある事柄が共通していたのだ。

「俺以外の、これまでのクリスタロス王国の騎士団長は……全て、光属性の適性者……?」

 そして、初代騎士団長。
 その頁には、こんな言葉が刻まれていた。

【光を以て人を導く者、『聖騎士』の名に相応しき者に、その座は与えられる。】

◇ 

「あれから連絡はないけど、大丈夫だったかな?」

 課題は提出したのに、ロイからあれから音沙汰はなかった。
 樹の下で一人休んでいたリヒトは、本を閉じてぽつり呟いた。

「もしかして、双子に提出すべきだったのか……?」

 リヒトは、双子の姿を思い浮かべて顔を横に振った。フィズの祖母の言葉からすると、ロイに渡すのが正解だと思ったのだ。
 それに『課題』を提出した際、ロイは普通に受け取ったものだからそれでいいのだと思っていたが――間違ったかとリヒトは頭を抑えた。
 
「リヒト」
「ギル兄上?」

 一人悶々としていると、後ろから声を掛けられてリヒトは振り返った。
 ローズの兄のギルバートは、ふっと笑って手を上げた。
 リヒトはその時、ギルバートの、ある異変に気がついた。

「ギル兄上……その手、怪我でもされたのですか?」

 ギルバートが、手に包帯を巻いていたのだ。
 その隙間から、黒ずんだ肌が気がして、リヒトはギルバートに尋ねた。

「まあ、そんなところだ。おかげでしばらく動かすのは難しいかもしれないな」
「ギル兄上は治癒魔法が使えるのですから、その程度の怪我であれば、ご自分で治されればいいのでは?」

 リヒトの問いに、ギルバートは少し間を開けて笑って答えた。

「……こうしているとミリアが甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるんだ。怪我の功名というやつだな」
「…………」

  好意を持っている相手に世話を焼かれたいからと、人の善意を利用するのはどうかとリヒトは思う。ギルバートに賛同できず、リヒトは口ごもった。

 ――ギル兄上は、相変わらず自由な人だな。

「それで、リヒト。あの課題は進んでいるか?」
「それならもう提出しました」
「――『大陸の王』に?」
「そう……ですが……? ただ、実験は難しそうだったので、仮説を提出しただけですが……」
「ふうん? じゃあお前は、その状態で、それをあの王に渡したわけだ?」

 ギルバートの声音はいつもと変わらないはずなのに、なんだか冷たいものを感じて、リヒトは首を傾げた。

「そうすることが、最も適切かと思ったので」

 『生きる化石』とも呼ばれる希少な生き物を、自分が実験に使いたいと言ってもどうせ受理はされないだろう。
 けれどリヒトの答えを聞いて、ギルバートは再びリヒトに尋ねた。

「リヒト。お前はその研究について、他の誰かに話したか?」
「いいえ?」
「――そうか……。なあ、リヒト」

 そしてギルバートは、真実を見極めるとされる瞳で、リヒトをまっすぐ見つめた。

「もしお前が目の前に宝が落ちていて、それが自国に長きに渡り富をもたらすものであったなら、お前はどうする?」
「まず持ち主を探します」

 リヒトは即答した。その答えを聞いて、ギルバートは目を細めた。

「……まあ、お前はそういう奴だよな」
「他に、一体何があると言うんですか?」

 リヒトには、ギルバートの問いの意味がわからなかった。
 だからこそ、ギルバートの言葉を聞いて、リヒトは大きく目を見開いた。

「――リヒト。もしその宝が自分のものであると証明が不可能なものであるなら、その宝は見つけた人間が、自らの財だと発表しても、何も問題は起きないと思わないか?」

 リヒトは、ギルバートの意図を理解するまでに時間を要した。 
 リヒトは言葉の意図に気付くと、ぐっと拳に力を込めた。

「お前は、これまで自分の魔法研究について、きちんと発表出来ていない。魔力の低い王子としてしか、周りはお前を認識していない。そんな中、地位ある人間がお前の研究結果を代わりに発表すれば、どうなると思う?」
「――ギル兄上は、俺の研究が盗まれると、そう仰りたいのですか?」
「…………」

 ギルバートはそうだとも、違うとも言わなかった。ただ自分から不自然に避けられた瞳が、問いの答えのようにリヒトは思えた。

「……あいつが、あいつがそんなことするはずない!」
「何故、そう言い切れる?」
「それは……っ!」

 リヒトは言葉につまった。ロイはかつてクリスタロスで、自分たちを傷つけた前科がある。
 出会ったばかりのはずの相手を、かつてローズや家族を傷つけた相手を、どうしてそこまで信頼できると思うのか――?  その理由は、リヒトは自分でもよくわからなかった。
 だがその時リヒトの頭の中には、ロイが笑う姿が頭に浮かんでいた。

『母上の箱を開けることが出来たのは、君たちのおかげだ。――ありがとう』
 
 ――あの笑顔を、信じたいと思うから。

 自分の中に浮かんだ漠然とした答えに気づいて、リヒトは唇を噛んだ。
 こんな答えを口にしても、無駄だということはわかっている。目の前の相手は、こんな思いはきっと、『正解』だとは言ってくれない。

「もしそうなったとき、周りはお前の言葉と彼の言葉、どちらを信じるんだろうな?」

  大国の王と、グラナトゥムと比べたとき国力の劣るクリスタロスの、魔力の弱い第二王子の言葉なら、人はどちらを信じるのか。
 そんなこと、子供でもわかる愚問だ。

「リヒト。お前が人の上に立ちたいと願うなら、人に思いをかけすぎるな。そうしなければ」
 ギルバートは今度は、リヒトを真っ直ぐに見て言った。

「お前が傷つくことになる」
 
「俺は、俺は……」
 下を向くリヒトに頭を、ギルバートは優しく撫でた。

「そんな顔するなよ。とりあえず、昼休みももうすぐ終わる。教室まで送ろう」
 ギルバートはそう言うと、顔色の悪いリヒトの服を掴んで歩き出した。

 そしてリヒトが幼等部に着いた時、教室に響く怒号を聞いた。

「皇女様だし、気付かおうかと思ってたけどやめた! この間リヒトにひどいこと言ったそうだな。リヒトはお前のことを庇ってたのに、よくもそんなこと言えたんだよ! そんな奴、この教室にはいらない!」
「頑張ってる奴はこの学校ではみんな平等だって、先生は言ってたんだ! 頑張ってる仲間を傷つけるような奴を、俺たちは俺たちの仲間を認めない!」

 多勢に無勢。
 ロゼリアは教室で、幼等部の生徒たちに囲まれていた。
 リヒトは、小さな手でドレスをぎゅっと掴んで、涙がこぼれないように耐えているロゼリアに気付いて、彼らを止めようとした。
 だがリヒトより先に、彼の隣りにいた人物の言葉で、全員が動きを止めた。

「――まあまあ。そう喧嘩するなよ」
「なんだよ。お前……? お前には関係ないだろ?」

 幼等部の生徒たちは、ギルバートを見て不快感を示した。
 当然だ。彼らからすれば、『よく知らない年上』に、いきなり話に割って入られただけに過ぎない。
 
「全員頭を冷やせ」
「なっ」

 そんな幼等部の生徒たちに対して、ギルバートは指を鳴らすと、魔法を発動させた。

 バシャア!

 すると空中から大量の水が現れ、リヒトとギルバート以外の、全員を濡らした。勿論その中には、ロゼリアも含まれている。
 リヒトは呆然とした。

 ――ギル兄上は、本当に何を考えて……!?

 そうリヒトが問おうにも、ギルバートは飄々として、子どもたちに対して好戦的な態度を変えようとはしなかった。

「頭は冷えたか?」
「な……なにすんだよ!」
「一人の女の子を、大人数でいじめてるチビたちを見つけたから、頭を冷やしてやろうと思ってな」

 子どもたちは、ギルバートを睨みつけていた。
 しかしギルバートはそんな彼らをみて、にやりと笑うばかりだった。
 これでは火に油だ。

「とうした? ここの教室の人間は、やられても反撃の一つも出来ない意気地なしの集まりなのか?」
「ふざけんな! 勝手に攻撃してきてなんのつもりだっ!」

 歯には歯を。水には水を。
 一人の生徒が水魔法を発動させ、ギルバートに向かって放つ。だがギルバートは、軽々とそれを避けて口笛を吹いた。

「遅いな。それじゃあ俺には当たらないぞ?」
「な……っ!」
「悔しかったら俺に攻撃を当ててみせろ」
 小馬鹿にするようなギルバートの態度に、子どもたちの堪忍袋の緒が切れた。

「あの、ギル兄上……? 一体何を考えてこんなことを?」

 ギルバートが喧嘩を売る意図がわからず、リヒトは呆然としていた。
 ギルバートは、心配そうに自分を見つめるリヒトに、余裕たっぷりに笑った。

「見ておけ。子どもはな、遊びながら学ぶものなんだぞ。だからたまには悪役になってでも、俺たちが鍛えてやらなきゃだよな?」
「あの……それは、どういう……?」
「よし! リヒト、お前も走れ!」

 ギルバートはニヤリと笑って、リヒトの手を引いた。
 リヒトは血の気が引いた。
 自分まで『鬼ごっこ』に巻き込まれるのはゴメンである。リヒトは昔から、研究優先で体は鍛えてはいなかった。
 リヒト(なかま)が攫われたのを見て、子どもたちはそれぞれに魔法を発動させ、ギルバートに向けて放った。

「くそっ! リヒトが攫われたぞ。全員、かかれ〜〜っ!!!」