目を閉じて本に触れる。
指に意識を集中させて、僅かな凹凸を読み取り、そこに『書かれた』言葉を辿る。
「リヒト何して……って。何だよこの本!? めちゃくちゃ難しいじゃん……」
フィズの声が聞こえて、リヒトはゆっくりと目を開いた。
「フィズか?」
「……リヒト。なんで目ぇ閉じて本読んでるんだ?」
「点字の本があったから、読んでみようかと思って」
「リヒト、そんなのまで読めるのか? この間はいろんな国の本読んでたし……。なんでいつも、本ばっか読んでるわけ?」
「そこに本があるから?」
「真面目に答えないと怒るぞ」
「……この学校にいる間に、たくさんのことを吸収したいんだ」
誤魔化そうとしたところ年下の友人に睨まれて、リヒトは素直に答えることにした。
「俺の国……クリスタロスでは、読めない本がここにはたくさんある。もしかしたらその中に、俺が求めていたもののヒントがあるかもしれない」
「でもこの本、点字だぞ。目がいい奴用のは他にあるだろ? なんでわざわざ」
「この本の著者は、生まれたときは見えていたけど、途中で目が見えなくなったんだ。確かに彼の著作は、点字でないものもあるけど、俺はこの本を、著者の視点で一度でいいから読んでみたいとずっと思っていて……」
リヒトはそう言うと、そっと本の表紙を撫でた。
「彼の人生が紡ぐ、言葉を辿りたいんだ。彼の魔法がこの世界に生み出された、根源に触れてみたい。彼が伝えたかった、本に込められた、本当の思いが知りたいんだ」
「……なんか意外。リヒトって、案外ちゃんと考えて生きてるんだな」
「意外って……。まあ確かに、ギル兄上に比べたら俺の考えはまだ浅いのかも知れないけど」
「ギル兄上?」
「ああ」
リヒトは頷くと、少し声の調子を落とした。
「『必要のないものなんて、この世界にはきっとない。この世のあらゆるものは、全てに繋がりがある。歴史を学ぶとき、そこには必ず原因があるように。血の繋がり、宗教、金の流れ。それらは全て、糸のように絡み合っている。学問も、言葉も、それだけを見るから難しくなる。物事は俯瞰して見ねばならない。そうでなければ人は、目の前の出来事に踊らされるだけになってしまう。先導を務める人間には、才能が必要だ。そして持ちうる知識を紐付け、簡略化できる能力――結び紐解く能力こそ、才能と呼ぶに相応しい』」
「……何それ。リヒトが考えたのかよ?」
「いや、これは――昔、ギル兄上が言っていた言葉で……」
リヒトはそう言うと、フィズから視線をそらした。
つい口調を真似をしてしまったことが、今更ながら少し恥ずかしい。
「『兄上』? いや、何歳だよ。ソイツ。随分じじいみたいなこと言うんだな?」
「ギル兄上は昔からこんな感じで……。今は18だけど、ギル兄上がこれは言ってたのは、確か……8歳だったかな?」
「はあっ!? はっさい!?」
眠りにつく前だったから、確かそのくらいだ。
リヒトが思い出したように言えば、フィズが声を上げた。
「いや、さっきのはどう考えても、子どもの言葉じゃないだろ!?」
「確かに……そう、だな?」
リヒトは首を傾げてから小さく頷いた。
確かに、今になって考えてみると、年の割に達観しすぎているような気もした。
自分やローズが、ギルバートという人間が、何でも知っている全能な神のように感じていたのものそのせいだろう。
そう考えて、リヒトは眉間のシワを深くした。
幼さ故に気付けなかった。
ギルバートに対するリヒトの『違和感』は、彼が目覚めてから大きくなるばかりだ。
「……」
ギル兄上は、一体何を考えているのか――?
リヒトが沈黙の中考え込んでいると、昼休みが終わる鐘が鳴り響いた。
もうすぐ午後の講義が始まる。
「あっ。鐘だ!」
険しい顔をするリヒトを、心配そうに見つめていたフィズは、その音を聞いて急いで荷物をまとめた。
「今日の午後は別だよな? じゃあ俺はこれから講義あるから! リヒトも頑張れよ!」
「……ああ」
やや遅れて返事をしたリヒトは、頭を振って立ち上がった。
「俺も、そろそろ行かないとな」
リヒトは講義の予定こそなかったが、急遽一五歳以上の生徒は講堂に集まるようにと言われていたのだ。
「一体、何が行われるんだ……?」
◇
「リヒト様」
リヒトが一人手持ち無沙汰で立っていると、背後からよく知った声に話かけられて、彼は勢いよく振り返った。
「ろ、ローズ。なんでお前がここに居るんだよ!?」
声が裏返る。
舞踏会での大立ち回りもあって、ローズは周囲に羨望の目を向けられていた。
リヒトはそれが苦手だった。
どうも落ち着かない、慣れない視線だ。
「何故って、アカリの付き添いに決まっているわけではありませんか」
「こんにちは。リヒト様」
ローズが溜め息を吐いて答えた後、ローズの後ろから、小柄なアカリがひょっこり現れた。
相変わらず騎士団の軍服のローズは、まるで姫を守る騎士のようだった。
「……ああ。元気か? アカリ」
「はい。おかげさまで」
――会話が終了してしまった!!
リヒトはアカリに話かけようとして、自分たちから視線を外し、周囲を警戒するローズに気づいて口を噤んだ。
「ローズさん、ローズさん」
「はい。なんですか? アカリ」
アカリはローズの仕事などお構いなしで、ローズに声をかけていた。
「これからのお話の担当の先生って、あの双子さんなんですよね?」
「ええ。そう聞いています」
「双子?」
リヒトは二人の話が見えず、思わず尋ねていた。
「ええ。私の舞踏会での衣装を作ったり、演出したりは同じ方がやられています」
「まさか……。それって、『マリーアンドリリー』か?」
「ご存知なのですか?」
「ご存知も何も、この本の著者だ」
リヒトは、手に持っていた本をローズに渡した。
「『天才が凡百の人間に教えるために噛み砕いて噛み砕いてついに粉になった本』???」
何だこの、人を見下して馬鹿にし腐ったようなタイトルは。
横から本を覗いていたアカリは、本の表紙を見て顔を顰めた。
「そんな表情になるのも無理はない。でも、確かににこの本の著者たちは天才だ」
「……天才?」
リヒトがアカリの問いに答えようとした瞬間。
窓にさっと黒いカーテンがかけられ、室内は闇につつまれた。
その空間の中で、静寂を切り裂くように、よく劣る高い声は響いた。
「ひとーつ!」
「一を聞いて千を知り」
カン!
どこからか響く太鼓の音と共に、スポットライトが一人の少女を照らす。
燕尾服を着て顔を隠すかのように仮面をつけた少女の頭には、英国紳士のような帽子が一つ。
「ふたーつ」
「能ある鷹は、気付かれる前に敵を爪で切り裂く」
カカン!
続いてスポットライトが照らしたのは、もう一人の少女だ。
スリットの入った赤いドレスを着た彼女の手には、杖《ステッキ》が握られている。
「みーっつ」
「凡百なる市民に時間を割いてやる優しさはオフェリア海峡よりも深い!」
カカカン!
「我ら!」
ドレスを着た少女が、燕尾服を着た少女が手にしていた帽子を叩いた。
すると中から、大量の鳩が現れた。
「マリーアンドリリー! 天才双子にして神の申し子!」
ちゅどーん!
仕上げとばかりに、二人の背後で何かが爆発して教室が揺れる。
本来荷物を置くための教壇の机を、まるでステージであるかのように使い、靴のままバッチリポーズを決める姿は、その人間が凡人とは違う感性を持っていることを示すには十分だった。
「オフェリア海峡ってなんですか?」
「世界で一番深いということが分かっていれば十分かと」
「なるほど」
「……ローズ、そこは冷静に答えるとこじゃないだろ」
「学ぼうという意思を持つことは良いことです」
「……」
ボケに見せかけて真面目過ぎてツッコめない。
気になるべきとこはそこじゃないだろというリヒトのツッコミは、アカリとローズには通じなかった。
「よく集まったのです。皆の衆! 今日一五歳以上の生徒を集めさせてもらったのにはわけがあるのです!」
「天才の我々は、最近新しい発明品を作ったのです!!」
「とても素晴らしいものなのです!」
双子はそう言うと、音も立てずひらりと机から降り、布を取り払って自らの発明品を披露した。
「異世界には、『カメラ』という、一瞬で絵を描くことのできる便利な魔法があるのです!」
「我々はその『カメラ』を作ろうとして……」
「見事に失敗したのです!!!」
………失敗したのかよ!?
誰もが偉そうな双子を見て思ったが、あまりにも堂々と言われては、誰一人としてその言葉を口に出すことはできなかった。
自らを天才だと豪語する双子は、あくまで自由に話を進める。
「どんな発明にも失敗はつきものなのです。しかし、この我々の失敗は、我々にとって大きな成功とも言えるのです!」
「これはなんと!」
「その人間の魔力の量――器を可視化できるものなのです!」
「器を可視化……?」
ローズは思わず言葉を繰り返していた。
まさか姿を映す『かめら』の話から、そんな話になるなんて全く予想していなかったからだ。
「今年度の魔法実技の成績順に『さつえい』を行うのです。実験体たち、さっさと一列に並ぶが良いです!」
「です!」
――今、実験体って言った!!!!
双子の言葉に、生徒たちの顔が青褪める。
この学校に通う者たちは、魔法を持つ『選ばれた者』たちなのだ。
そんな自分たちが、何故このような危険な『お遊び』に付き合わねばならないのか。
中には、不快感を顕にする者もいた。
「心配するななのです。この『かめれ』については、陛下がすでに被験者になっているので安全は保証されているのです」
――いや。自国の王を実験台にするなよ!!!
その瞬間、『全く、ここにいる人間は意気地なしばかりなのです』と暴言を吐く双子に対し、全員の心が一致した。
「あのう……」
そんな中、一人の生徒が手を上げた。
「すいません。器を可視化して、私たちに一体何の徳があるのですか?」
「我々に発言するなです。平凡な学生」
「えっ」
「演出家であり発明家でもある私たちがこの学院で教師を務めているのは、知識の浅く学のない者の中から少しでも使える人間を育てるためなのです。どう教えればいいかはこっちで考えているから、余計な発言は求めていないのです」
「なんというか、やっぱりなかなか強烈な方々ですよね」
アカリはしみじみ小声で言った。
「天才と変人は紙一重と言いますから。リヒト様しかり」
頷いて、ローズも小さな声で言う。
しかし、ローズの言葉が気に食わなかったリヒトは、立ち上がって大きな声で叫んだ。
「おい。ローズ、変人ってなんだよ!?」
一同の視線が、教壇の双子からリヒトへと変わる。
声を荒げたリヒトを冷静な目で見つめて、ローズは彼の背後を指さした。
「あ」
背後から冷気。
リヒトは冷や汗を垂らしながらゆっくりと振り返り、青筋を立てて笑う二人の少女を見て顔をこわばらせた。
「……――私たちの授業で喋るとはいい度胸なのです。リヒト・クリスタロス」
「へ?」
――どうして彼女たちが俺の名前を?
マリーとリリーは、「興味にない人間の名前は覚えない」と公言している。
リヒトは、自分が双子に認識されている理由が分らず固まった。
双子は、人格が破綻しているのは間違いなくとも、自分とは違って世界に認められた優秀な人間のはずなのに。
「せっかくなので特別に課題を与えてやるのです。しっかりこなすがいいのです」
「はっ?」
そしてそんな二人に『特別な課題』を与えられると言われ、リヒトは顔を青くした。
「な……なんで俺だけっ!?」
◇◆◇
全員分の撮影が終わり、『げんぞう』に時間がかかると言われた生徒たちは、本来の講義の時間より早めに帰された。
話によると撮影には時間はかからないが、それを『しゃしん』にするのには時間がかるらしい。
『しゃしん』は実技の成績順に『げんぞう』されることが決まり、『げんぞう』が最後になるリヒトは卒業までに間に合わないかもしれないと双子に告げられた。
みんなの前で。
大きな声で。
「いや、なんで本当に俺だけなのか、理解出来ないんだが!?」
おかげで、『あれが実技最下位で幼等部入りした馬鹿王子』と罵る声も聞こえて、リヒトは肩身が狭かった。
穴があったら入りたい。
おまけに、リヒトだけ課題まで出されたのだ。
しかもその課題は、かなりの難題だった。
「うーん。リヒト様はあの時声を上げて立たれてしまったので、それで目を付けられてしまったのではとしかいいようがないのではないでしょうか」
「アカリ……」
好意を告げている相手に、味方になるどころかさらっと失態を指摘され、リヒトは項垂れた。
せめて慰めの言葉が欲しかった。
「よっ! 災難たったな」
ローズ、アカリ、リヒト――。
三人が並んで話をしていると、後ろから揶揄するような、けれどどこか楽しげな声をかけられて、リヒトは振り返って相手の名を呼んだ。
「ギル兄上!」
「教師に目を付けられる様なことわざとするなんて。いや~。流石リヒトだな?」
その『流石』の使い方は趣味が悪い。
「でも、あれはローズが!」
リヒトはローズを指差した。
「別に私は思ったことを言っただけですので」
「お前、俺が変人って授業中に悪口を……」
「事実でしょう」
「……」
子どものように怒るリヒトに対し、ローズはいつものように平然としていた。
そんなローズの態度に、リヒトの表情がみるみるうちに暗くなる。
「…………まあまあ。落ち込むのは別にして。それで? どんな課題なんですか?」
リヒトに冷たい態度をとるローズを見て、アカリは慌ててリヒトに尋ねた。
「ええっと……これだ」
リヒトは、アカリの言葉に少し表情を明るくして、双子に渡された紙を取り出した。
「『透眼症の患者に対する効果的な処方について』……?」
それは、アカリは初めて聞く言葉だった。
「透眼症ってなんですか?」
「実を言うと俺もそこまで詳しくない」
リヒトは首を振った。
魔力の少ない自分が魔法を使うための魔法道具――魔法陣などの魔法の研究には取り組んできたリヒトだが、医療分野については、実はあまり詳しくないのだ。
アカリの問いに答えたのはローズだった。
「簡単に言うと、原因不明の魔力の低下に起因する視力の低下と、それに付随しておこる目の色素が薄くなってしまう病のことです。アカリもすでに知っているかとは思いますが、この世界で魔力を持つ人間の多くは、その人間の魔力の適性を、瞳の色に宿します。地属性の方は緑や茶色、風属性は金や水色、水属性は青。魔力の強さや弱さによって、別の色となるばあいもありますが……。透眼症は、病などにより魔力が弱くなり、視力の低下とともに瞳の色が失われる症状のことを言います。瞳の色が薄くなることを恥じて、色付きの眼鏡などをかけて生活する方もいらっしゃいますが、やはり奇異の目で見られることも多いそうです」
「よく知っていたな。彼の影響か?」
「……そのようなものです」
尊敬する兄に婚約者のことを指摘され、ローズはほんのり顔を赤く染めた。
リヒトはわずかに目線を下げた。
「まあ、落ち込むなよ? リヒト。あの王はお前のことを妙に気に入っているからな。もしかしたらこれも、彼からの指示かもしれないぞ?」
ギルバートは、リヒトの変化に気付いて、弟分の肩を軽く叩いた。
「あの王?」
「大陸の王は、お前を気に入っているだろう?」
「そんな馬鹿な」
リヒトはぶんぶん顔を横に振った。
「あいつはやたら突っかかって来るというか……。俺としては、完全に遊ばれているようにしか思えないんですが」
「彼は立場ある人間だ。気に入らない人間の為に時間を割くような人ではない筈だぞ。ここに来てからも、何度か会っているんだろう?」
「まあ……」
確かにそうだけれど……『気に入られている』と言われると妙な感じがして、リヒトは首を傾げた。
「この学校には世界中から立場ある人間や能力がる人間が集まっている。良い繋がりを結べれば、お前のためにもなる。――繋がりは、大事にしろよ」
「繋がりっていっても……幼等部は、子どもばかりなんですが」
「おや、お前はその見方でいいのか?」
ギルバートは大人びた笑みを浮かべた。
「ベアトリーチェの例もある。幼等部は子どもばかりだが、優秀さを買われて特別に入学を許されたものばかりが在籍しているとも言えるんだぞ? 優秀な人間を早いうちに見つけて自分側に引き入れることも、上に立つ者に必要な素質だぞ?」
ギルバートは、まるで子供にヒントを与える大人のような口調でリヒトに語りかけていた。
けれどその言葉に、リヒトは顔を歪めた。
「……俺は、そういう利害関係を考えて彼らと接したくないです」
拗ねた子供のように唇を尖らせる。
下を向いて、自分から目を逸らしたリヒトを見て、ギルバートはどこか懐かしむように目を細めた。
「そうだな。……それが、お前だったな」
そうして彼は、ふ、と笑みを浮かべて、下を向くリヒトの頭をわしゃわしゃ撫でた。
「ちょっ!? ぎ、ギル兄上っ! 子ども扱いはやめてくださいっ!!」
朝から整えた髪がぐちゃぐちゃだ。
リヒトは、鏡を取り出して髪を整えた。
王族として、身だしなみは整えていなさいと渡されたものだ。
「ああ、すまない」
百合の花の刻まれた鏡。
自分にそれを渡した相手を思い出して、リヒトは動きを止めた。
「あの、ギル兄上」
「なんだ?」
「……兄上は、どうされていますか?」
「レオンか? そうだな。優秀な友達が増えたかな」
自分とは、全く違う優秀な兄。
その兄から、リヒトは鏡を渡された。
鏡を渡した時のレオンの、呆れたような顔を思い出して、リヒトはまた下を向いた。
ギルバートは、そんなリヒトに気付いて、何か思い出したかのように手を叩いた。
「――ああ、そうだった。ローズ」
「なんでしょう? お兄様」
「お前に伝えておくことがあったんだった。ユーリ、今日来るらしいぞ」
「えっ?」
唐突な報告に、珍しくローズは目を丸くした。
兄の言葉が信じられず、ローズは思ったまま兄に尋ねる。
「何故ユーリが……それに、それではクリスタロスの守りは? 私はここにいてよろしいのですか?」
「お前が帰らずとも大丈夫だ。前騎士団長殿が、今は国に戻っているからな。はっきり言って、ユーリより彼のほうが安心だ。彼はユーリとは違って、光魔法が使えるからな」
「前騎士団長というと……?」
「ん? リヒトは会ったことなかったか? 簡単に言うと、お前の従兄弟なんだが」
「え」
今度はリヒトが目を丸くした。
確かに年上の従兄弟が騎士団長だったことは知っているが、今は行方不明扱いだったはずで、自分と兄が国を上げている時に、突然ユーリの代わりにクリスタロスに戻ったなんて想像もしていなかったからだ。
「因みに彼は既婚者だぞ」
「えええええ!?」
行方不明扱いだった従兄弟が既婚者!?
初めて聞く話に、リヒトは思わず叫んでいた。
「もっと面白いことを言うと、レオンが目覚めずリヒトが魔法を使えないままなら、ローズの婚約者にという話があがりかけた頃、彼は騎士団長の仕事をユーリに押し付けて国を出て行方知れずになっていた。彼は光の巫女――つまり国王陛下の妹君の第一子に当たる方だ」
ギルバートの発言に、とあることに気付いたローズが、ゆっくり手を上げて発言した。
「あの、お兄様……。その話が本当ならば、私はその方に出会う前に振られているということになるんですが……」
「まあ、気にするな」
あっけらかんとギルバートは言う。
「気になります!」
「気にします!」
そんな彼を前に、リヒトとローズと声がハモった。
指に意識を集中させて、僅かな凹凸を読み取り、そこに『書かれた』言葉を辿る。
「リヒト何して……って。何だよこの本!? めちゃくちゃ難しいじゃん……」
フィズの声が聞こえて、リヒトはゆっくりと目を開いた。
「フィズか?」
「……リヒト。なんで目ぇ閉じて本読んでるんだ?」
「点字の本があったから、読んでみようかと思って」
「リヒト、そんなのまで読めるのか? この間はいろんな国の本読んでたし……。なんでいつも、本ばっか読んでるわけ?」
「そこに本があるから?」
「真面目に答えないと怒るぞ」
「……この学校にいる間に、たくさんのことを吸収したいんだ」
誤魔化そうとしたところ年下の友人に睨まれて、リヒトは素直に答えることにした。
「俺の国……クリスタロスでは、読めない本がここにはたくさんある。もしかしたらその中に、俺が求めていたもののヒントがあるかもしれない」
「でもこの本、点字だぞ。目がいい奴用のは他にあるだろ? なんでわざわざ」
「この本の著者は、生まれたときは見えていたけど、途中で目が見えなくなったんだ。確かに彼の著作は、点字でないものもあるけど、俺はこの本を、著者の視点で一度でいいから読んでみたいとずっと思っていて……」
リヒトはそう言うと、そっと本の表紙を撫でた。
「彼の人生が紡ぐ、言葉を辿りたいんだ。彼の魔法がこの世界に生み出された、根源に触れてみたい。彼が伝えたかった、本に込められた、本当の思いが知りたいんだ」
「……なんか意外。リヒトって、案外ちゃんと考えて生きてるんだな」
「意外って……。まあ確かに、ギル兄上に比べたら俺の考えはまだ浅いのかも知れないけど」
「ギル兄上?」
「ああ」
リヒトは頷くと、少し声の調子を落とした。
「『必要のないものなんて、この世界にはきっとない。この世のあらゆるものは、全てに繋がりがある。歴史を学ぶとき、そこには必ず原因があるように。血の繋がり、宗教、金の流れ。それらは全て、糸のように絡み合っている。学問も、言葉も、それだけを見るから難しくなる。物事は俯瞰して見ねばならない。そうでなければ人は、目の前の出来事に踊らされるだけになってしまう。先導を務める人間には、才能が必要だ。そして持ちうる知識を紐付け、簡略化できる能力――結び紐解く能力こそ、才能と呼ぶに相応しい』」
「……何それ。リヒトが考えたのかよ?」
「いや、これは――昔、ギル兄上が言っていた言葉で……」
リヒトはそう言うと、フィズから視線をそらした。
つい口調を真似をしてしまったことが、今更ながら少し恥ずかしい。
「『兄上』? いや、何歳だよ。ソイツ。随分じじいみたいなこと言うんだな?」
「ギル兄上は昔からこんな感じで……。今は18だけど、ギル兄上がこれは言ってたのは、確か……8歳だったかな?」
「はあっ!? はっさい!?」
眠りにつく前だったから、確かそのくらいだ。
リヒトが思い出したように言えば、フィズが声を上げた。
「いや、さっきのはどう考えても、子どもの言葉じゃないだろ!?」
「確かに……そう、だな?」
リヒトは首を傾げてから小さく頷いた。
確かに、今になって考えてみると、年の割に達観しすぎているような気もした。
自分やローズが、ギルバートという人間が、何でも知っている全能な神のように感じていたのものそのせいだろう。
そう考えて、リヒトは眉間のシワを深くした。
幼さ故に気付けなかった。
ギルバートに対するリヒトの『違和感』は、彼が目覚めてから大きくなるばかりだ。
「……」
ギル兄上は、一体何を考えているのか――?
リヒトが沈黙の中考え込んでいると、昼休みが終わる鐘が鳴り響いた。
もうすぐ午後の講義が始まる。
「あっ。鐘だ!」
険しい顔をするリヒトを、心配そうに見つめていたフィズは、その音を聞いて急いで荷物をまとめた。
「今日の午後は別だよな? じゃあ俺はこれから講義あるから! リヒトも頑張れよ!」
「……ああ」
やや遅れて返事をしたリヒトは、頭を振って立ち上がった。
「俺も、そろそろ行かないとな」
リヒトは講義の予定こそなかったが、急遽一五歳以上の生徒は講堂に集まるようにと言われていたのだ。
「一体、何が行われるんだ……?」
◇
「リヒト様」
リヒトが一人手持ち無沙汰で立っていると、背後からよく知った声に話かけられて、彼は勢いよく振り返った。
「ろ、ローズ。なんでお前がここに居るんだよ!?」
声が裏返る。
舞踏会での大立ち回りもあって、ローズは周囲に羨望の目を向けられていた。
リヒトはそれが苦手だった。
どうも落ち着かない、慣れない視線だ。
「何故って、アカリの付き添いに決まっているわけではありませんか」
「こんにちは。リヒト様」
ローズが溜め息を吐いて答えた後、ローズの後ろから、小柄なアカリがひょっこり現れた。
相変わらず騎士団の軍服のローズは、まるで姫を守る騎士のようだった。
「……ああ。元気か? アカリ」
「はい。おかげさまで」
――会話が終了してしまった!!
リヒトはアカリに話かけようとして、自分たちから視線を外し、周囲を警戒するローズに気づいて口を噤んだ。
「ローズさん、ローズさん」
「はい。なんですか? アカリ」
アカリはローズの仕事などお構いなしで、ローズに声をかけていた。
「これからのお話の担当の先生って、あの双子さんなんですよね?」
「ええ。そう聞いています」
「双子?」
リヒトは二人の話が見えず、思わず尋ねていた。
「ええ。私の舞踏会での衣装を作ったり、演出したりは同じ方がやられています」
「まさか……。それって、『マリーアンドリリー』か?」
「ご存知なのですか?」
「ご存知も何も、この本の著者だ」
リヒトは、手に持っていた本をローズに渡した。
「『天才が凡百の人間に教えるために噛み砕いて噛み砕いてついに粉になった本』???」
何だこの、人を見下して馬鹿にし腐ったようなタイトルは。
横から本を覗いていたアカリは、本の表紙を見て顔を顰めた。
「そんな表情になるのも無理はない。でも、確かににこの本の著者たちは天才だ」
「……天才?」
リヒトがアカリの問いに答えようとした瞬間。
窓にさっと黒いカーテンがかけられ、室内は闇につつまれた。
その空間の中で、静寂を切り裂くように、よく劣る高い声は響いた。
「ひとーつ!」
「一を聞いて千を知り」
カン!
どこからか響く太鼓の音と共に、スポットライトが一人の少女を照らす。
燕尾服を着て顔を隠すかのように仮面をつけた少女の頭には、英国紳士のような帽子が一つ。
「ふたーつ」
「能ある鷹は、気付かれる前に敵を爪で切り裂く」
カカン!
続いてスポットライトが照らしたのは、もう一人の少女だ。
スリットの入った赤いドレスを着た彼女の手には、杖《ステッキ》が握られている。
「みーっつ」
「凡百なる市民に時間を割いてやる優しさはオフェリア海峡よりも深い!」
カカカン!
「我ら!」
ドレスを着た少女が、燕尾服を着た少女が手にしていた帽子を叩いた。
すると中から、大量の鳩が現れた。
「マリーアンドリリー! 天才双子にして神の申し子!」
ちゅどーん!
仕上げとばかりに、二人の背後で何かが爆発して教室が揺れる。
本来荷物を置くための教壇の机を、まるでステージであるかのように使い、靴のままバッチリポーズを決める姿は、その人間が凡人とは違う感性を持っていることを示すには十分だった。
「オフェリア海峡ってなんですか?」
「世界で一番深いということが分かっていれば十分かと」
「なるほど」
「……ローズ、そこは冷静に答えるとこじゃないだろ」
「学ぼうという意思を持つことは良いことです」
「……」
ボケに見せかけて真面目過ぎてツッコめない。
気になるべきとこはそこじゃないだろというリヒトのツッコミは、アカリとローズには通じなかった。
「よく集まったのです。皆の衆! 今日一五歳以上の生徒を集めさせてもらったのにはわけがあるのです!」
「天才の我々は、最近新しい発明品を作ったのです!!」
「とても素晴らしいものなのです!」
双子はそう言うと、音も立てずひらりと机から降り、布を取り払って自らの発明品を披露した。
「異世界には、『カメラ』という、一瞬で絵を描くことのできる便利な魔法があるのです!」
「我々はその『カメラ』を作ろうとして……」
「見事に失敗したのです!!!」
………失敗したのかよ!?
誰もが偉そうな双子を見て思ったが、あまりにも堂々と言われては、誰一人としてその言葉を口に出すことはできなかった。
自らを天才だと豪語する双子は、あくまで自由に話を進める。
「どんな発明にも失敗はつきものなのです。しかし、この我々の失敗は、我々にとって大きな成功とも言えるのです!」
「これはなんと!」
「その人間の魔力の量――器を可視化できるものなのです!」
「器を可視化……?」
ローズは思わず言葉を繰り返していた。
まさか姿を映す『かめら』の話から、そんな話になるなんて全く予想していなかったからだ。
「今年度の魔法実技の成績順に『さつえい』を行うのです。実験体たち、さっさと一列に並ぶが良いです!」
「です!」
――今、実験体って言った!!!!
双子の言葉に、生徒たちの顔が青褪める。
この学校に通う者たちは、魔法を持つ『選ばれた者』たちなのだ。
そんな自分たちが、何故このような危険な『お遊び』に付き合わねばならないのか。
中には、不快感を顕にする者もいた。
「心配するななのです。この『かめれ』については、陛下がすでに被験者になっているので安全は保証されているのです」
――いや。自国の王を実験台にするなよ!!!
その瞬間、『全く、ここにいる人間は意気地なしばかりなのです』と暴言を吐く双子に対し、全員の心が一致した。
「あのう……」
そんな中、一人の生徒が手を上げた。
「すいません。器を可視化して、私たちに一体何の徳があるのですか?」
「我々に発言するなです。平凡な学生」
「えっ」
「演出家であり発明家でもある私たちがこの学院で教師を務めているのは、知識の浅く学のない者の中から少しでも使える人間を育てるためなのです。どう教えればいいかはこっちで考えているから、余計な発言は求めていないのです」
「なんというか、やっぱりなかなか強烈な方々ですよね」
アカリはしみじみ小声で言った。
「天才と変人は紙一重と言いますから。リヒト様しかり」
頷いて、ローズも小さな声で言う。
しかし、ローズの言葉が気に食わなかったリヒトは、立ち上がって大きな声で叫んだ。
「おい。ローズ、変人ってなんだよ!?」
一同の視線が、教壇の双子からリヒトへと変わる。
声を荒げたリヒトを冷静な目で見つめて、ローズは彼の背後を指さした。
「あ」
背後から冷気。
リヒトは冷や汗を垂らしながらゆっくりと振り返り、青筋を立てて笑う二人の少女を見て顔をこわばらせた。
「……――私たちの授業で喋るとはいい度胸なのです。リヒト・クリスタロス」
「へ?」
――どうして彼女たちが俺の名前を?
マリーとリリーは、「興味にない人間の名前は覚えない」と公言している。
リヒトは、自分が双子に認識されている理由が分らず固まった。
双子は、人格が破綻しているのは間違いなくとも、自分とは違って世界に認められた優秀な人間のはずなのに。
「せっかくなので特別に課題を与えてやるのです。しっかりこなすがいいのです」
「はっ?」
そしてそんな二人に『特別な課題』を与えられると言われ、リヒトは顔を青くした。
「な……なんで俺だけっ!?」
◇◆◇
全員分の撮影が終わり、『げんぞう』に時間がかかると言われた生徒たちは、本来の講義の時間より早めに帰された。
話によると撮影には時間はかからないが、それを『しゃしん』にするのには時間がかるらしい。
『しゃしん』は実技の成績順に『げんぞう』されることが決まり、『げんぞう』が最後になるリヒトは卒業までに間に合わないかもしれないと双子に告げられた。
みんなの前で。
大きな声で。
「いや、なんで本当に俺だけなのか、理解出来ないんだが!?」
おかげで、『あれが実技最下位で幼等部入りした馬鹿王子』と罵る声も聞こえて、リヒトは肩身が狭かった。
穴があったら入りたい。
おまけに、リヒトだけ課題まで出されたのだ。
しかもその課題は、かなりの難題だった。
「うーん。リヒト様はあの時声を上げて立たれてしまったので、それで目を付けられてしまったのではとしかいいようがないのではないでしょうか」
「アカリ……」
好意を告げている相手に、味方になるどころかさらっと失態を指摘され、リヒトは項垂れた。
せめて慰めの言葉が欲しかった。
「よっ! 災難たったな」
ローズ、アカリ、リヒト――。
三人が並んで話をしていると、後ろから揶揄するような、けれどどこか楽しげな声をかけられて、リヒトは振り返って相手の名を呼んだ。
「ギル兄上!」
「教師に目を付けられる様なことわざとするなんて。いや~。流石リヒトだな?」
その『流石』の使い方は趣味が悪い。
「でも、あれはローズが!」
リヒトはローズを指差した。
「別に私は思ったことを言っただけですので」
「お前、俺が変人って授業中に悪口を……」
「事実でしょう」
「……」
子どものように怒るリヒトに対し、ローズはいつものように平然としていた。
そんなローズの態度に、リヒトの表情がみるみるうちに暗くなる。
「…………まあまあ。落ち込むのは別にして。それで? どんな課題なんですか?」
リヒトに冷たい態度をとるローズを見て、アカリは慌ててリヒトに尋ねた。
「ええっと……これだ」
リヒトは、アカリの言葉に少し表情を明るくして、双子に渡された紙を取り出した。
「『透眼症の患者に対する効果的な処方について』……?」
それは、アカリは初めて聞く言葉だった。
「透眼症ってなんですか?」
「実を言うと俺もそこまで詳しくない」
リヒトは首を振った。
魔力の少ない自分が魔法を使うための魔法道具――魔法陣などの魔法の研究には取り組んできたリヒトだが、医療分野については、実はあまり詳しくないのだ。
アカリの問いに答えたのはローズだった。
「簡単に言うと、原因不明の魔力の低下に起因する視力の低下と、それに付随しておこる目の色素が薄くなってしまう病のことです。アカリもすでに知っているかとは思いますが、この世界で魔力を持つ人間の多くは、その人間の魔力の適性を、瞳の色に宿します。地属性の方は緑や茶色、風属性は金や水色、水属性は青。魔力の強さや弱さによって、別の色となるばあいもありますが……。透眼症は、病などにより魔力が弱くなり、視力の低下とともに瞳の色が失われる症状のことを言います。瞳の色が薄くなることを恥じて、色付きの眼鏡などをかけて生活する方もいらっしゃいますが、やはり奇異の目で見られることも多いそうです」
「よく知っていたな。彼の影響か?」
「……そのようなものです」
尊敬する兄に婚約者のことを指摘され、ローズはほんのり顔を赤く染めた。
リヒトはわずかに目線を下げた。
「まあ、落ち込むなよ? リヒト。あの王はお前のことを妙に気に入っているからな。もしかしたらこれも、彼からの指示かもしれないぞ?」
ギルバートは、リヒトの変化に気付いて、弟分の肩を軽く叩いた。
「あの王?」
「大陸の王は、お前を気に入っているだろう?」
「そんな馬鹿な」
リヒトはぶんぶん顔を横に振った。
「あいつはやたら突っかかって来るというか……。俺としては、完全に遊ばれているようにしか思えないんですが」
「彼は立場ある人間だ。気に入らない人間の為に時間を割くような人ではない筈だぞ。ここに来てからも、何度か会っているんだろう?」
「まあ……」
確かにそうだけれど……『気に入られている』と言われると妙な感じがして、リヒトは首を傾げた。
「この学校には世界中から立場ある人間や能力がる人間が集まっている。良い繋がりを結べれば、お前のためにもなる。――繋がりは、大事にしろよ」
「繋がりっていっても……幼等部は、子どもばかりなんですが」
「おや、お前はその見方でいいのか?」
ギルバートは大人びた笑みを浮かべた。
「ベアトリーチェの例もある。幼等部は子どもばかりだが、優秀さを買われて特別に入学を許されたものばかりが在籍しているとも言えるんだぞ? 優秀な人間を早いうちに見つけて自分側に引き入れることも、上に立つ者に必要な素質だぞ?」
ギルバートは、まるで子供にヒントを与える大人のような口調でリヒトに語りかけていた。
けれどその言葉に、リヒトは顔を歪めた。
「……俺は、そういう利害関係を考えて彼らと接したくないです」
拗ねた子供のように唇を尖らせる。
下を向いて、自分から目を逸らしたリヒトを見て、ギルバートはどこか懐かしむように目を細めた。
「そうだな。……それが、お前だったな」
そうして彼は、ふ、と笑みを浮かべて、下を向くリヒトの頭をわしゃわしゃ撫でた。
「ちょっ!? ぎ、ギル兄上っ! 子ども扱いはやめてくださいっ!!」
朝から整えた髪がぐちゃぐちゃだ。
リヒトは、鏡を取り出して髪を整えた。
王族として、身だしなみは整えていなさいと渡されたものだ。
「ああ、すまない」
百合の花の刻まれた鏡。
自分にそれを渡した相手を思い出して、リヒトは動きを止めた。
「あの、ギル兄上」
「なんだ?」
「……兄上は、どうされていますか?」
「レオンか? そうだな。優秀な友達が増えたかな」
自分とは、全く違う優秀な兄。
その兄から、リヒトは鏡を渡された。
鏡を渡した時のレオンの、呆れたような顔を思い出して、リヒトはまた下を向いた。
ギルバートは、そんなリヒトに気付いて、何か思い出したかのように手を叩いた。
「――ああ、そうだった。ローズ」
「なんでしょう? お兄様」
「お前に伝えておくことがあったんだった。ユーリ、今日来るらしいぞ」
「えっ?」
唐突な報告に、珍しくローズは目を丸くした。
兄の言葉が信じられず、ローズは思ったまま兄に尋ねる。
「何故ユーリが……それに、それではクリスタロスの守りは? 私はここにいてよろしいのですか?」
「お前が帰らずとも大丈夫だ。前騎士団長殿が、今は国に戻っているからな。はっきり言って、ユーリより彼のほうが安心だ。彼はユーリとは違って、光魔法が使えるからな」
「前騎士団長というと……?」
「ん? リヒトは会ったことなかったか? 簡単に言うと、お前の従兄弟なんだが」
「え」
今度はリヒトが目を丸くした。
確かに年上の従兄弟が騎士団長だったことは知っているが、今は行方不明扱いだったはずで、自分と兄が国を上げている時に、突然ユーリの代わりにクリスタロスに戻ったなんて想像もしていなかったからだ。
「因みに彼は既婚者だぞ」
「えええええ!?」
行方不明扱いだった従兄弟が既婚者!?
初めて聞く話に、リヒトは思わず叫んでいた。
「もっと面白いことを言うと、レオンが目覚めずリヒトが魔法を使えないままなら、ローズの婚約者にという話があがりかけた頃、彼は騎士団長の仕事をユーリに押し付けて国を出て行方知れずになっていた。彼は光の巫女――つまり国王陛下の妹君の第一子に当たる方だ」
ギルバートの発言に、とあることに気付いたローズが、ゆっくり手を上げて発言した。
「あの、お兄様……。その話が本当ならば、私はその方に出会う前に振られているということになるんですが……」
「まあ、気にするな」
あっけらかんとギルバートは言う。
「気になります!」
「気にします!」
そんな彼を前に、リヒトとローズと声がハモった。