La vie en rose 〜人生の夜明けはパリの街で〜

 雨の中びしょ濡れで自宅に帰って来た岸本(きしもと)美玲(みれい)は、玄関で力なく膝から崩れ落ちた。
(……もう嫌だ。どうして私がこんな目に……?)
 全てにおいて絶望したような表情だった。

◇◇◇◇

 美玲は高校卒業後、地元群馬を離れて東京にあるそこそこ名門の私立大学の理工学部化学科に入学した。卒業後はそのまま同じ大学の研究室に残り、大学院修士課程まで修了した美玲。
 彼女はその後、大手や大企業ではないが、東京に本社がある部品メーカーに入社した。知る人ぞ知る優良中小企業である。
 美玲は神奈川県川崎市にある研究開発部門に配属された。
 美玲のキャリアは順調だったのだが、半年前別の部署内の別の開発チームに異動になってから狂い始めた。

 新たに上司となった係長の冬田(ふゆた)がとんでもない奴だったのだ。

 美玲も何となく冬田の異常性には気付いていたが、初めは特に被害を被ることはなかった。
 しかし、ある日冬田が美玲に自分のミスを被るよう命じてきた。
 美玲はそれを断固拒否した。すると、その翌日から冬田による美玲への嫌がらせが始まったのだ。
 ネチネチとした嫌味は美玲にとってどうでもよかった。しかし仕事を回してもらえないことは相当応えた。
 周囲も見て見ぬ振りである。
 美玲は部長の曽我部(そがべ)に相談して見たものの、冬田が常に曽我部に媚を売っていて曽我部も冬田のことを信頼していた。よって曽我部からは「冬田がそんなことを? 何かの間違いではないか?」とあまり取り合ってもらえなかった。
 それでも美玲は負けまいと、自分自身で取引先への部品を改良して営業部などへ提案した。しかし、その手柄も全て冬田に奪われてしまった。

「納得出来ません。ここまできていきなり担当が冬田さんに変更だなんて。これは完全に手柄の横取りじゃないですか!」
「いや、だからさ、上司が部下の責任を取るのなら、部下の手柄は上司のものにならないと理不尽だろう?」
 冬田に直接手柄横取りの件の不満を伝えた美玲だが、冬田にはそう返されてしまう。
「いいえ、いくら何でもその考え方の方が理不」
「僕は忙しいんだ。手を煩わせないで欲しいな」
 冬田は美玲の言葉を遮りその場を立ち去る。その際、美玲にぶつかってきた。
 美玲はよろけて転び、机にぶつかってしまう。
 その時、ガシャンと大きな音が響いた。
 美玲がぶつかった机に乗っていた共用のパソコンが落ちたのだ。
 しかも無惨なまでに壊れている。
「あーあ、岸本さんが壊したんだよ。これどうするの?」
 冬田がそう騒ぎ立てる。一瞬美玲は同じチームの同期である小島(こじま)祥子(しょうこ)と目が合った。
 しかし祥子は気まずそうに、すぐに目を逸らしてしまう。
 見て見ぬ振りである。
 面倒事に巻き込まれたくないせいか、誰も助けてはくれない。
 美玲がいくら弁明しても、誰にも聞いてもらえなかった。

 この日の美玲の不幸はこれだけではなかった。

《今日は仕事で散々だった。愚痴聞いて欲しい》
 美玲は仕事終わり、一人暮らしをしている自宅マンションまで帰る途中、彼氏である郁人(いくと)に連絡した。
 しかし、郁人からはまさかの返事が来る。
《ごめん。別れよう。今までありがとう》
「え……?」
 美玲は頭の中が真っ白になった。

 郁人とは、大学の同期である。大学四年の時同じ研究室になり、二人共そのまま大学院に進学してまた同じ研究室で研究をしていた。
 お互いに気が合い、大学院修士課程一年の時に付き合い始めた。
 お互い職場も住んでいるマンションもそこまで遠くないので、定期的に会っていた。
 最近はよく美玲の仕事に関する愚痴を聞いてもらっていたのだ。
 郁人の存在は、最近の美玲にとって心の支えでもあった。
 しかし、今あっさりとメッセージアプリで別れを告げられてしまう。
(郁人……何で?)
 その時、美玲にとって聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「ああ、今日も疲れた」
「お仕事お疲れ様、郁人くん。研究職とかめちゃくちゃ頭使って凄そうだね」
 何と先程美玲に別れを告げてきた郁人が、他の女の腰に手を回し歩いていた。
 小柄で庇護欲をそそりそうな、可愛らしい女である。
 美玲とは真逆のタイプだ。
 しかも二人が向かっている先はホテルである。

 ポツポツと雨が降り始めた。その雨は、次第に勢いが強まっていく。

(郁人……そういうことなんだ……。多分これ絶対前から浮気してたパターンだよね……)
 雨の中茫然とする美玲。
 郁人は二股をかけていて、美玲は捨てられたのだと悟る。

 そこから美玲は記憶がなく、気付いたら自宅の玄関で膝から崩れ落ちていた。
 ポタポタと美玲の髪や服からは雫が落ち、玄関を濡らす。
(……もう嫌だ。どうして私がこんな目に……?)
 仕事も恋も散々な美玲。
 全てにおいて絶望したような表情だった。

◇◇◇◇

 失意の中、美玲は何とかシャワーを浴びた。
 ぼんやりしながらテレビをつけると、ちょうど過労自殺のニュースが報道されていた。
(自殺……か)
 美玲は再び今日の仕事が冬田のせいで散々だったこと、郁人から一方的に別れを告げられて更に浮気現場を目撃してしまったことを思い出す。
(最近の私、色々振り回されっぱなし。私、何のために生きてるんだろう……? もう疲れた)
 美玲は大きなため息をつく。
(私も死のうかな……)
 虚な目で美玲はスマートフォンの検索画面に『自殺 方法』や『楽に死ねる方法』と打ち込む。そのうち職場にある薬品で死ねるかなども調べていた。
 気持ちはどんどん死へと近付いていた。

 しばらくすると、テレビから新しい番組が流れ始めた。
 美玲はふとスマートフォンからテレビに目を移す。
 テレビでから流れるフランス特集番組。
 フランスの観光名所やパリの街並みの映像が美玲の目に飛び込んでくる。
(フランス……そういえば、行ってみたいなとは思ってたなあ……)
 美玲はぼんやりとテレビを眺めていた。
 そしてまた過去のことを思い出してしまう。

 それは郁人と恋人同士だった時のこと。
 一緒に卒業旅行で海外に行こうと計画していたのだ。
 美玲はフランスに行きたいと思っていたが、郁人の強い希望でスウェーデン、ノルウェー、デンマーク、フィンランドの北欧四ヶ国ツアーになってしまった。
 当時はそれでもまあいいかと思っていた美玲。しかし、丁度美玲達が大学院修士課程を修了する二〇二〇年二月、世界的に新型コロナウイルスが流行し始めた。
 それにより、美玲と郁人の卒業旅行は中止を余儀なくされた。
 それ以降、パスポートは棚の中で眠ったままである。

(あの時無理やりでもフランス行きを押し通していたらよかったかも。まあどのみちコロナで中止になってたか。今考えてみると郁人、自分の意見ゴリ押しするだけで私の意見とか全く聞かない男だったじゃん。愚痴は聞いてくれたけどさ。というか、浮気しておいて『今までありがとう』とか、ふざけるのにも程がある! ……やめたやめた、あんな浮気野郎のことを考えるだけで反吐が出る)
 美玲はため息をついた。
 テレビには、フランスの映像が流れている。
 モン・サン=ミッシェル、ロワールの古城、ベルサイユ宮殿、エッフェル塔、エトワール凱旋門、その他パリの街並みなど、日本では見られない景色。それらは美玲にとって心惹かれるものがあった。まるで美玲に「今すぐおいでよ」と誘惑しているかのようである。
(もう仕事とかクソ冬田のことなんかどうでもいいや。あんなゴミクズ野郎が係長だなんてどうかしてる。もうこの際せっかくだし、死ぬ前にフランスに行こう)

 二〇二四年二月。
 岸本美玲、二十八歳。人生を終わらせる為にフランスに行くことにした。
 二〇二四年四月下旬の早朝。
 美玲は東京にある国際空港にいた。
 この日、美玲は日本を出国してフランスに行くのだ。

 美玲が死ぬ前にフランスへ行こうと決めてから、行動は早かった。
 一人で海外旅行が初めてなので、近くの旅行代理店へ駆け込んで相談した。その結果、ゴールデンウィークが始まる頃と重なる四月下旬出発の六泊八日のツアーを勧められてそれに申し込んだのである。
 死ぬことを決めてから美玲は職場でも適当にな態度になっており、冬田の言うことも取り合うのを完全にやめて無視し、残業もせず定時で上がるようになっていた。そしてフランス旅行の為の有給も無理やりもぎ取ったのだ。

 ツアー内容は、一日目の朝に日本出発し、直行便で夕方にフランス到着。そこからバスでシャルトルへ移動。ホテルの部屋に荷物を置き、夜のシャルトルの街を散策する。

 二日目は午前中にシャルトル大聖堂を見学。その後バスでロワールに移動し、ロワール川のほとりにあるレストランで昼食を取る。その後シャンボール城を見学し、ロワールのホテルへ向かう。

 三日目は朝からバスで移動してモン・サン=ミッシェルを見学する。その後、バスでパリのホテルに移動する。ちなみにこの日の昼食はモン・サン=ミッシェル付近のレストランで食べるそうだ。

 四日目はパリ観光だ。エッフェル塔やエトワール凱旋門へ向かう。そして昼食後、フランスでも最も有名だと思われる美術館へ行くのである。そして夕方にパリの街で解散し、自由行動の時間がある。

 五日目はバスで移動し、一日中ベルサイユ宮殿見学だ。宮殿本館だけでなく、庭園、大トリアノン宮殿、小トリアノン宮殿などを一日かけて回るのだ。

 六日目は何と一日中自由行動。パリの街を自由に楽しめるのである。

 そして七日目早朝にパリのホテルをチェックアウトし、バスで空港へ向かう。朝の直行便で日本へ帰るのだ。ちなみに機内泊であり、八日目の早朝に日本に到着する。

 美玲は空港に着いたらすぐに集合場所である旅行代理店のカウンターへ向かった。
 カウンターには既に同じツアーに参加する人達が並んでおり、一人ずつ説明を受けている。
 待っている際、旅行代理店のスタッフに『MIREI KISHIMOTO』と書かれたネームタグをスーツケースに付けてもらった。
 そして美玲の番がやって来た。
「岸本です」
「えっと……岸本美玲さんですね。お待ちしておりました」
 カウンターにいた女性は名簿を確認し、朗らかにそう言った。
「今回のツアーに同行いたします、斉藤(さいとう)明美(あけみ)です。まずはパスポートを確認しますので、その間にこちらの注意事項をお読みください」
 美玲はどのゲートでチェックイン手続きをするか、何時までにどこに集合するか等が書かれた紙を確認した。
「パスポート、ありがとうございます。期限もまだ四年残っていますので問題ございません。そちらにも書いてありますが、チェックイン手続きは……」
 改めて添乗員の明美からの説明を受ける美玲。

 その後、明美の指示通り、搭乗予定の航空会社のチェックインカウンターへ向かい、スーツケースを預けた。
 身軽になったかと思いきや、そうでもない。美玲はロストバゲージ(通称ロスバケ)対策で、比較的大きめのリュックに必需品を詰め込んでいたのだ。
(乗り継ぎがある場合なら分かるけど、直行便でもロスバケが起こる可能性があるって書いてあったし……)
 美玲は苦笑した。

 そのまま手荷物検査場へ向かう美玲。
 空港スタッフから「こちらへどうぞ」と指示されるわけではなく、自分で勝手に開いたところで荷物を置いて検査してもらうスタイルだった。
(どこが空いてるのか分からないからせめて声かけて欲しいよ……)
 国内線ではいつも空港スタッフの指示があってから動いていた美玲なので、そのスタイルには慣れずに戸惑った。
(機内持ち込み用の液体物、ジッパー付きの透明プラスチック袋に入れろって書いてあったけど……ロゴありの袋でも大丈夫かな……?)
 若干不安はあったが、特に何も引っかかることはなかったので美玲は安心した。

 そしていよいよ出国手続きだ。
 美玲のいるターミナルは手続きが完全自動化されている。
 パスポートを読み取り顔認証を(おこな)うとすぐに出国手続きが完了した。
(こんな簡単でいいんだ……)
 美玲はあまりのスムーズさに驚く。
 その後、美玲はせっかくだから自身のパスポートに出国のスタンプを押してもらうことにした。大学院修士課程二年の時に取ったパスポートに、ようやくスタンプが押されるのであった。

(日本からフランスまで直行便で十四時間はかかるから水は買っておこうかな。国際線はペットボトル系の液体物は持ち込み出来ないけど、手荷物検査を終えた後に購入したものなら持ち込めるもんね)
 美玲は水を買う為にコンビニの場所を確認して向かう。
 何となく空港散策やコンビニで水やおにぎり、お菓子等を買い込んだ後、美玲は搭乗ゲートでのんびりと明美からもらったパンフレットを読みながら待機していた。
 そうしているうちに、再び添乗員の明美から声がかかり、そのまま飛行機に乗り込むのであった。
 明美曰く、このツアーの一人参加者は美玲を含めて五人いるそうだ。よって自由行動の際は一人参加者同士で一緒にパリの街を回ることもできるらしい。他のツアーでも一人参加者同士で一緒に行動していることが結構あるそうだ。
(一人参加者、結構いるんだ……。まあ海外独り歩きは少し不安な面もあったから、一緒に行動できるならちょっと安心かな)
 美玲は少しだけホッとしていた。
 そして自身の席に座る美玲。通路側の席だ。
(今回はエコノミークラスだけど、エコノミークラス症候群とかにはならない……よね? 水も大量に買ったし、座席も通路側だから軽く席を立って体操とかも出来そうだし、トイレにも行きやすそうだし)
 美玲はほぼ初めての長時間フライトに少し不安になりながらも、日本を旅立った。

◇◇◇◇

(もう飛び立ってから三時間は経過しているけど……まだ韓国らへんなんだ)
 美玲は自分の席にある液晶画面で機内サービスの映画を一本見終えた後、同じ液晶画面で航空経路を眺めていた。
 現在飛んでいる地域を見てみると、近くにSeoulと書いてある。韓国のソウル付近上空を通過中だ。かなり時間が経過したように感じたが、フランスまではまだまだ遠い。
 ちなみに画面では日本時間とフランス時間を確認することが出来る。
 現在日本(東京)はお昼十二時、フランス(パリ)は午前五時。三月三十一日からフランスはサマータイムに入っているので日本との時差は七時間である。ちなみに、本来の日本とフランスの時差は八時間なのだ。
(確かフランスに着くのは向こうの時間で夕方頃だったよね。寝ておいた方がいい? いや、飛行機の中で眠れるかな? でもずっと起きているのは多分しんどいよね)
 美玲がぼんやりと到着までどうするか考えているうちに、機内食が運ばれてきた。
 食欲をそそる香りに、美玲のお腹がぐぅっと鳴った。
(そう言えば、今日は朝早かったから朝食は軽くしか食べてないんだった)
 美玲は座席の液晶画面で少し気になっていた洋画を再生し、ゆっくりと機内食を食べ始めるのであった。

 フランス到着までは、まだまだ長いのである。
 美玲は定期的に水分を摂取し、トイレに行った際に軽くストレッチをするなどして、エコノミークラス症候群など、体がおかしくならないように対策していた。そして日本時間で夜になると、飛行機内でウトウトと船を漕いでいた。ネックピローが上手い具合に美玲の首を守ってくれている。
 その時、飛行機が降下し始めた。
 滑走路に向かってゆっくりと進む飛行機。機体が地面に近づくにつれて、揺れを感じる。
 美玲はその感覚でふと目を覚ます。
(今何時……?)
 美玲はぼんやりしながら座席の液晶画面を見る。
 東京が午後十時、パリが午後三時である。
(もうすぐフランスに着くんだ)
 ずっと行ってみたいと思っていた国フランス。
 到着まで後少しということで、美玲はほんの少し心を弾ませた。

◇◇◇◇

 着陸後、美玲達が乗っていた飛行機はしばらく飛行場内を徐行し、ようやく降りることが出来た。

 広い空港(ゆえ)に、他の便との兼ね合いもあり到着場所の指示を待っていたりするから完全に飛行機が止まるまで時間がかかったりする。

 添乗員の明美からは、「空港の長い通路を渡った所で待っていてください」と指示があった。
 美玲は大きめのリュックを背負い、長い通路にある水平型エスカレーターに乗り、集合場所へ向かう。
 長い通路の壁には、フランスの観光名所などの景色が描かれていた。
 今回のツアーの参加者は美玲を含めて十五人。無事全員集まったことを添乗員の明美が確認すると、そのまま入国審査へ向かう。

 美玲は審査がスムーズに済むよう、パスポートと念の為日本の空港で明美から渡されたeチケットの控えを取り出しておいた。eチケットの控えの提示も求められることがあったりするのだ。
 ちなみにeチケットとは電子化された航空券である。これがあればもし紛失したとしても航空券の再発行が可能で安心なのだ。

 空港内は多国籍な雰囲気で満ちており、フランス語、英語など、様々な言語が耳に飛び込んでくる。

「皆さん、ここはもうフランスです。入国審査でもお店に入る時でもフランスではまずBonjour(ボンジュール)と挨拶をするのがマナーです。それから、パスポートを渡したり、何かをお願いするときはS'il vous plaît(シルヴプレ)と言いましょう。これさえ守れば最低限何とかなりますよ」
 明美からフランスでの対応方法を教えてもらい、美玲より前に並んでいる、やたらとキラキラしたオーラを放つイケイケな若いカップルか夫婦らしきツアー客が「ボンジュール」と明るいがカタコトで審査官に挨拶をしていた。
 そして美玲の番がやってきた。
「ボンジュール」
 美玲は緊張でしどろもどろになりながらそう挨拶すると、審査官の女性が「Bonjour madam」とにこやかに挨拶を返してくれた。
 美玲はパスポートとeチケットの控えを「シルヴプレ」とカタコトで言いながら差し出した。
 すると審査官の女性がそれを確認し、美玲のパスポートにスタンプを押す。
 その時、美玲の隣のゲートからは流暢なフランス語が聞こえた。
「Bonjour monsieur」
 美玲と同じツアーに参加している女性だ。

 小柄でサラサラとした長い髪。パッと目を引くような顔立ち。それでいてどこか庇護欲をそそるようである。おまけに明らかにすっぴんなのに肌が綺麗だ。
 年齢は恐らく美玲より年下に見える。
 一方美玲はショートヘアで日本人女性の平均身長に近い。気が強そうな顔立ちとは言われるが、パッと目を引くような華やかさはない。

 美玲は一方的に別れを告げられた元恋人・郁人の浮気相手の女を思い出してしまう。
(ダメダメ、せっかくフランスに来てるのに、あんな浮気野郎とその相手の女のことなんか思い出したくない)
 美玲は必死に忘れようとした。

 隣のゲートの審査官男性の声が聞こえる。
Ou est-ce que vous(どちらに滞在) allez sejourner(予定ですか)?」
 するとツアー客の女性がまた流暢なフランス語を話す。
「Je vais visiter Paris,(パリ、シャルトル、ロワ) Chartres,(ール、マンシ) Loire, et Manche(ュ(※)に滞在予定です)
 おっとりした声だがどこか堂々としていた。
(うわ、すごい。フランス語めっちゃ流暢だし何か慣れてる感ある。あの浮気野郎の相手の女とは全然違うかも)
 一瞬で郁人の浮気相手とは全く違うと思った美玲だ。
 隣に気を取られているうちに、美玲の入国審査は終わっていた。
「Have a nice trip」
 審査官の女性は英語でそう言ってくれた。
「サンキュー」
 美玲はカタコトの英語でぎこちない笑みだった。
 すると、隣の女性も入国審査を終えたらしい。
 美玲はその女性とバッチリ目が合ってしまう。
(あ……)
 美玲はどうしようか迷っていると、その女性から声をかけられた。
「もしかして、お一人で参加されてます?」
「えっと、そうですね」
 美玲はぎこちなく返事をした。
 割と人見知りをするタイプの美玲なのだ。
 すると女性はホッとしたような表情になる。
「よかったー。私も一人参加なので少し安心しました。私、瓜生(うりゅう)朱理《あかり》と言います。お名前を教えていただいてもいいですか?」
 小首を傾げる朱理。その動作はどこか品があった。
「岸本美玲……です」
 美玲はまだぎこちない。
「では、美玲さんとお呼びしてもいいですか?」
 おっとりとしているが、溌剌とした雰囲気もある朱理。
 美玲はたじろぎながらも頷いた。
「私は今二十五歳なので、もし美玲さんの方が年上であれば、気軽に朱理と呼んでいただけたら嬉しいです。敬語とかも使う必要はありませんよ」
 朱理は美玲より三つ年下だった。
「じゃあ……朱理ちゃんで」
「はい。よろしくお願いします、美玲さん」
 朱理は嬉しそうであった。
 美玲は朱理と共に、手荷物受け取り場へ向かう。
「入国審査の時、隣で聞いてたけど、朱理ちゃんはフランス語めちゃくちゃ流暢だね」
「そうですか? ありがとうございます。でも、私はまだまだですよ。発音とかもネイティブとは程遠いです」
 美玲の言葉に謙遜する朱理。
「そうだとしても、私から見たらかなり喋れる方だと思う。フランスは何回か来たことあるの?」
 美玲は朱理に疑問をぶつける。すると朱理は頷いた。
「はい。コロナが世界的に流行する前は、夏に家族でフランス南部のニースに毎年行っていました。今回のパリとか観光名所として有名な場所、例えばエッフェル塔とかエトワール凱旋門とか、後ベルサイユ宮殿は小学校低学年の時に一度しか訪れたことがないので、このツアーはすごく楽しみなんです。改めて見ることができるので」
 どこかワクワクした様子の朱理。そんな姿も全然子供っぽくはなく、どこか品があるように見えた。

 朱理はページュの長いスプリングコートの下に、ゆったりとしたトレーナーとダボっとしたパンツスタイルだ。更に足を締め付けないもこもこの靴下に、スリッパタイプのサンダル。
 国際線の長時間フライト慣れした人の姿であった。
 おまけに朱理が身につけている服や持ち物は派手なハイブランドではないが、質のいいものであると感じた美玲。
(この子、多分お嬢様だ)
 何となくそう感じた美玲は朱理に質問を投げかける。
「朱理ちゃんは、仕事何してるの?」
「製薬会社の研究職です」
(あ、ちゃんと働いてるんだ……)
 美玲にとって予想外の答えが返ってきたので驚いてしまう。

 聞いたところによると、朱理は東京にある恐らく日本一偏差値が高い国立大学に現役合格し、大学卒業後は大学院修士課程に進み、そのまま卒業研究の時と同じ研究室で学び、修士課程を修了していた。その後、業界最大手の製薬会社に就職し、横浜にある研究所に配属されたそうだ。
 朱理は現在横浜に住んでいるらしい。

(せっかくフランスまで来たのにこんな気持ちになるなんて……)
 美玲は少し暗い気持ちになり、焦りを感じてしまう。

 流暢なフランス語、海外慣れしたお嬢様、高学歴、大手の研究職でキャリアも若手ながら順風満帆、大多数がオシャレだと感じる都市に住んでいる。
 そんな朱理を見て、ないものねだりの嫉妬だとは思いつつ、美玲の胸はチクリと痛むのであった。




※Manche(マンシュ)はモン・サン=ミシェルがある地域です。
 手荷物受け取り場では添乗員の明美を含め、ツアー参加者全員ロストバゲージせず、それぞれ預けた荷物を無事に受け取ることができた。
 その後、空港まで迎えに来てくれたフランス住みの男性日本人ガイドである峯岸(みねぎし)と共に、旅行会社側が手配したシャルトル行きのバスに乗り込む一同。
 四十五人乗りのバスを添乗員の明美と現地ガイド峯岸を含めて十七人で使う。よってペアで来ている人達も広々と一人ずつ席に着いた。
「えー、皆さん、ちゃんとシートベルトを締めてくださいね。フランスではシートベルトの着用か義務付けられています。たまに警察にバスとか自動車を止められてシートベルトを締めているかの確認が入るんですよ。それでもしシートベルトを締めていなかった場合その人が罰金になります。その額何と百三十五ユーロ! 今円安ですから日本円にして恐ろしい額になりますよ! ですから、シートベルトは絶対に締めてくださいね」
 峯岸からそう忠告があった。忠告は更に続く。
「それとやっぱりね、フランスにはスリが多いんですよ。観光地ですからね、各国から人が集まります。フランス人だけじゃなく、スリ目的でこの国に来る外国人もいるんですよ。ですから皆さん、貴重品は服の中に隠す、リュックは前に持ってくるなど、対策は必要です」
 その後も峯岸がフランスでの注意点や現地に住んでいるからこそできるアドバイスをしてくれた。
(そっか。もうここは日本じゃない。フランスなんだ。いつまでも日本感覚じゃ危ないかも)
 美玲は気を引き締め、しっかりシートベルトを締めるのであった。
 車窓から見える、日本とは少し違うフランスの街並み。馴染みのない言語で書かれた看板。
(そうだ。私、フランスに来たんだ。憧れのフランスに)
 車窓から見える景色に美玲はワクワクと心躍らせた。

 しばらくして美玲はスマートフォンの機内モードをオフにした。そして日本で借りたポケットWi-Fiの電源を入れる。美玲のスマートフォンは無事にポケットWi-Fiに繋がり、使えるようになった。
 その時、スマートフォンの表示時間が日本時間からフランス時間に切り替わった。
 日本時間で日付が変わり、午前零時半過ぎだったが、今の美玲のスマートフォンは午後五時半過ぎと表示されているのだ。最近のスマートフォンは優秀である。
 日本ではもう寝る時間。しかし、フランスはまだ夕方である。美玲の体内時計とフランス時間のズレ、長期間フライトの疲れ、それにより、美玲は急激な眠気に襲われた。まるで強制的に眠りにつかせてくるような技を使う敵がいるかのようである。
 せっかくだから車窓を楽しみたいし、峯岸の話も聞かなくてはと思っていた。しかし、美玲は睡魔に抗えず、そのまま意識を手放すのであった。

「あー、皆さん、長時間フライトと時差ボケで眠いですよね。大丈夫ですよ。他の日程のツアーに参加した方々もそうでしたから。フランスでの重要事項は添乗員の斉藤さんの方からも注意があります。だから僕の話を聞かなくても何とかなるようにはなってますよ。安心してシャルトルまで眠ってくださいね」
 どうやら睡魔に勝てなかったのは美玲だけではないようだ。
 峯岸の低く優しく穏やかな声は、ツアー参加者にとって心地のいい子守唄になるのであった。

◇◇◇◇

 空港から出発して大体一時間半が経過した。
 美玲達は目的地のシャルトルの街にあるホテルに到着したのだ。
 バスの中で眠ったお陰で少しだけ疲れが取れる美玲である。
 明美がチェックインの手続きを済ませてくれている間、朱理以外のツアーに一人参加している女性と話す美玲。
「じゃあ美玲さんもフランス初めてなんですね〜」
「まあね。"も"ってことは、穂乃果(ほのか)ちゃんも?」
「はい、そうなんですよ〜」
 美玲が話しているのは坂口(さかぐち)穂乃果という、美玲より一つ年下の二十七歳の女性。
 埼玉から来たらしい。
「何となく休みを取ってみたけどやることなくて、親からせっかく長い休みが取れたんだから海外でも行ってきたらと言われたんです。それで、旅行代理店の人に勧められたこのツアーに参加したんです」
 へにゃりと脱力感ある笑みの穂乃果。
「そっか。まあ……私も似たようなものかな」
 楽しみに来ている人が多い中、人生を終わらせるためという極めて後ろ向きな理由でフランスに来たとは言えない美玲である。
「やっぱり休み長いとみんな海外なんですね〜。せっかくフランスに来たし、私、自由行動の時はベルリンの壁に行ってみたいなって思ってるんです」
 脱力感がありどこかふわふわした穂乃果。だが美玲は今の穂乃果の言葉に耳を疑う。
「あのさ、ベルリンの壁ってドイツだけど……」
 恐る恐るといった様子の美玲。
「はい。フランスの隣ですよね? 隣だから近いかなって思って」
 あはっと笑う穂乃果。
「うん、確かに隣の国だけど……空港からシャルトルまで一時間半くらいかかったよ。それに、パンフレットでは三日目のモン・サン=ミッシェルからパリまで大体四時間かかるって書いてあったし、多分フランスからドイツのベルリンの壁まではかなり遠いと思う」
「ええ!? そうなんですか!? じゃあ自由行動どうしよう!?」
 美玲の言葉に大きく驚く穂乃果。しかし、ハッと何かを思い付いたような表情になる。
「あ、だったらあれです。ロンドン塔に行けばいいんですよね! ロンドンならきっと近いはずですよね〜!」
 まるで最高のアイディアを思い付いたとでも言うかのような表情の穂乃果。
 美玲はそれに対して脱力する。
「あの……ロンドンはイギリスで、海挟んでるからそっちも遠いよ……?」
「ええ!? ロンドンも遠い!? じゃあ自由時間どこ行けばいいんでしょうね〜?」
 穂乃果は朱理とは違い一緒にいると劣等感を掻き立てられるようなタイプではないのだが、この子は本当に大丈夫なのかとどこか不安になってしまう美玲である。今までよく生きてこられたなと思う程である。

 そうしているうちに、明美から部屋の鍵が配られた。
 この日美玲達が泊まるホテルは、伝統的なヨーロピアンスタイルではなく利便性に優れたアメリカンタイプのホテル。
 伝統的なヨーロピアンスタイルのホテルは日本人にとって不便に感じることがあるそうだ。

(広い部屋……)
 美玲は部屋に入り、ゆっくりとリュックを下ろした。そして明日の着替えを取り出したり、もう使わなさそうなものをスーツケースにしまうなど、荷物の整理をする。パスポートとクレジットカードがきちんとあることもチェックした。
 もちろん、シャワーのお湯が出るかなども確認している。
(変換プラグ持ってきたけど、充電用USB差し込み口がかなりあるんだ)
 美玲は部屋を見渡し、意外と多いUSB差し込み口に驚いた。変換プラグの出番は意外と少なそうである。

 美玲の部屋は特に問題もなく、無事に荷物整理も終えたので、夜のシャルトル散策開始時間まで少し部屋で出国前に日本で買っておいたおにぎりを食べるなどして、のんびりと過ごした。

◇◇◇◇

 時刻は夜七時。
 四月の日本は夜七時だととっくに暗くなっている。しかしフランスは日本よりも高緯度にあるので、夜七時でもまだ明るい。まるでまだ日本時間の午後五時から六時くらいの明るさだ。
 そしてフランスの気温は日本よりも肌寒い。
 美玲はダウンジャケットを着ておいたらよかったと少し後悔していた。
 シャルトル大聖堂はライトアップされ、空に向かって壮大な姿を誇示している。高い尖塔からは柔らかな光が放たれ、大聖堂の美しい彫刻や窓が煌めく。
(わあ……綺麗……)
 美玲はライトアップされたシャルトル大聖堂に圧倒されていた。
 まだ周囲が明るいので、きっともっと暗くなってから見たらより美しく感じるのだろう。
 また、のどかで可愛らしいシャルトルの街並みは、まるで絵本の世界に入り込んだかのような感覚になる。
 ガイドの峯岸の、シャルトルの街に関する説明を聞きながら、美玲は改めてフランスにいることを実感した。

 写真を撮ったりしてライトアップされたシャルトル大聖堂や、シャルトルの街並みを楽しんだ後は再びホテルへ戻る。
 峯岸が先頭、そして明美が最後尾らへんで、ツアー参加者達はゾロゾロとホテルへ歩いていた。
 その時、美玲はツアー参加者の男性に話しかけられた。
「あの、もしかして岸本美玲さん……ですか?」
 恐る恐る確認するかのような男性。身長はそこそこ高く、爽やかな容貌だ。美玲とは同い年くらいである。
「はい、そうですけど……どうして私の名前を……?」
 美玲は少し警戒して後ずさりする。
「やっぱり岸本さんだった。俺、中川(なかがわ)。中川誠一(せいいち)。ほら、高二、高三の時同じクラスだった。覚えてない?」
 その男性ーー誠一はホッとしたような表情になった後、懐かしむような表情になった。
「中川……誠一……」
 美玲は少し訝しむように高校時代を思い出してみる。

 高校時代、二年の時に同じクラスになった男子生徒。クラスの中心人物ではなかったが、クラスメイト達からそこそこ頼りにされていた存在。化学や物理の授業の時は席が隣になり、それがきっかけで時々話したことがある。
 三年になっても同じクラスで化学と物理、更に地理の授業でも席が隣同士だった。
 それが美玲にとっての中川誠一という存在だった。

「あの中川くん!?」
 美玲は目の前の人物に対して驚きを露わにした。
「うん、あの中川です。久し振り。高校卒業以来だから……もう十年振りだな」
 少し思い出す素振りをし、ニッと歯を見せて笑う誠一。
 まさか高校時代のクラスメイトが同じツアーに参加しているとは予想だにしていなかった美玲であった。
「俺さ、日本出国前とかはフランス到着直後は岸本さんがいること全然気付かなかった。それにしても懐かしいな」
 シャルトルの街並みを歩きながらホテルへ戻る途中、誠一は明るく笑いながらそう言った。
「そうだね」
 美玲はほんの少しだけ柔らかい笑みを浮かべた。
 遠い異国フランスで、高校時代少しだけ親しかったクラスメイトに再会し、どこか安心していた美玲である。
「岸本さんは高校卒業後何してた?」
 興味津々な様子の誠一。
「私は別に普通だよ。東京の私大の理工学部に入学してそのまま同じ大学院に進んだよ。で、その後就職。部品メーカーの研究開発やってる。中小企業だけどね。多分うちの高校からは割とありきたりの進路だよ」
 美玲はフッと笑う。肩の力は抜けていた。
「そういや岸本さんも東京の大学だったんだな。てか、割とレベル高い私立じゃん」
 誠一は嬉しそうに目を見開いていた。美玲の出身大学を聞き、尊敬の眼差しを送る。
 美玲は「いやいや」と首を横に振る。
「大袈裟だよ。たまたま入試問題と相性がよかっただけだから。運よく合格しただけ。チャレンジ校だったし」
 誠一に褒められて美玲は若干照れくさそうであった。
「運も実力のうちって言うだろ」
 ハハっと笑う誠一。彼はそのまま言葉を続ける。
「実は俺も。東京の国立で、理工系に特化した大学だった。で、同じくそのまま院(大学院のこと)まで進んでその後は就職」
 聞いた話によると、誠一は現在大手化学薬品メーカーの研究職に就いているそうだ。ちなみに勤務地は横浜で、職場近くに住んでいるらしい。
 大学名や会社名を聞き、美玲は驚きと尊敬と少しの劣等感を誠一に抱く。更に、朱理と同じ横浜住みということにチクリと胸が傷む。
「すごいね、中川くんは。大学も就職先も私より上じゃん」
 美玲自身は納得して今の会社に入社したのだが、やはり大手には憧れてしまうのだ。
「それにしても、高校卒業してもう十年も経ってるのによく私のこと気付くことができたね」
 美玲は切り替えてそう返す。
「まあ、最初は気付かなかったけどさ。そりゃあ岸本さんは……」
 ここで誠一は少し美玲から目をそらして口ごもる。
 美玲はきょとんとしている。
「いや、岸本さん、高校時代の面影めちゃくちゃ残ってるからさ。あの時とあんまり変わんないぞ」
 相変わらず美玲から目をそらしたまま、誠一は懐かしげに目を細め、口角をほんの少し上げた。
「何それ? 最初は私のこと気付かなかったって言ってたじゃん。変な中川くん」
 美玲は面白そうにクスッと表情を綻ばせた。
「それはさ、ほら、日本から出るしその空気というか、ワクワクした感じに飲まれてたからさ。やっぱ海外行く時は毎回ワクワクすんだよなあ」
 誠一は少し困ったように苦笑した。
「中川くん、海外結構行くんだ」
 美玲は意外そうに目を見開く。
「まあな。大学の時初めて行った海外がエジプトで……」
 そこで複雑そうに口ごもる誠一。
「中川くん? どうしたの?」
 美玲は不思議そうに首を傾げる。
「いや、何でもない。それからエジプト以外にも、トルコ、大学の卒業旅行でスペイン、それから今ウクライナ侵攻で行けなくなったけど、ロシアとウクライナも行ったことある。それから、エストニアにも。コロナが世界的に流行る前は結構行ってた。学生時代はめちゃくちゃバイトして金貯めてさ」
 ハハっと笑う誠一。
「すごい。結構行ってるね」
 美玲はクスッと笑う。
「まあそれにしても、まさか同じツアーに岸本さんがいるだなんて全くの予想外。めっちゃくちゃ驚いた」
 誠一はニッと白い歯を見せ、爽やかな笑みを浮かべた。
「それは私もだよ。高校時代のクラスメイトに会うとか思ってもみなかった。完全に予想外だったよ」
 美玲はどこか穏やかな笑みである。
(そういえば、高校時代こんなに中川くんと話したことあったかな?)
 美玲は高校時代を思い出す。

 誠一とは高校二年の時の、物理の授業の実験でペアになり、その時初めて話した。その後はクラスでも少しだけ話す程度であった。それも大体は授業で出された課題などの業務連絡のようなもの。
 美玲が誠一と少しだけ他愛のない話をする関係になったきっかけは、高校二年の物理の定期テストの時。
 当時、美玲の隣の席の誠一が、消しゴムを忘れて焦っていた。美玲はそれに気付いて自身の予備の消しゴムを誠一に貸したのだ。「私、消しゴムは割とたくさん持ってるから、別に返さなくてもいいけど」と添えて。
 その翌日、誠一は美玲に消しゴムを返してくれた。コンビニの新作のお菓子と共に。「昨日は本当に助かったからさ、そのお礼。岸本さんの口に合えばいいけど」と爽やかな笑みで消しゴムとお菓子を渡されたのだ。
 美玲はその新作のお菓子のことが少し気になっていたので、ありがたくお菓子ごと受け取ることにした。
 それ以降、美玲は誠一と少しではあるが他愛のない会話をする仲になった。時々お菓子の交換もしたりということもあった。
 しかし、それだけの関係である。連絡先を交換することもない、ただ学校やその帰りだけで少し話す友人のようなもの。
 高校卒業以降は全く会っていなかった。

「岸本さんはさ、何でこのツアーに参加したの? フランスとか興味あったから? それとも海外旅行の方に興味があるからとか?」
 高校時代を回想していたら、誠一にそう聞かれてドキリとする。
「えっと、元々フランスに興味があって、行ってみたいなあって思ってたから」
 決して、仕事で散々な目に遭い恋人にも浮気された挙句捨てられた末に、もう死んでやろうと思ってこのツアーに参加したとは口が裂けても言えない。
 美玲は当たり障りのない理由で誤魔化した。
 美玲のその目は、どこか遠くを見つめていた。
「……そっか。俺はさ、海外とか色々行って、観光とか、その土地にあるものを見たくてさ。それで、今回はフランスってわけ」
 シャルトルの街を眺めながら、穏やかに笑う誠一。
「そうなんだね」
 美玲は微笑む。
(まさかフランスで中川くんと再会するとはね。もしかして、神様が死ぬ前に懐かしい人に会わせてくれたとか? いや、まあ単なる偶然なんだろうけどさ)
 美玲はぼんやりとそう考えながら、シャルトルの街を眺めていた。
 翌日。
 美玲はゆっくりと瞼を開く。
 目に入ってきたのは見慣れない天井、見慣れない部屋。
(そうだ、今日はツアー二日目なんだ)
 ゆっくり体を起こす美玲。
 時差ボケでまだ少し体がおかしい感じはするが、そこまでしんどくはなかった。
 顔を洗い、髪を整える美玲。
(うわ、髪の毛キッシキシだ。流石は硬水。そういえば昨日もシャンプーあんまり泡立たなかったし。まあヘアオイル使ったから多少はマシだと思いたいけど)
 美玲は早速硬水の洗礼を受けたのである。
 フランスは日本と違って水道水にカルシウムやマグネシウムなどが多く含まれている。フランスの水道水を飲んでも体に害はないのだが、日本人にとっては体質に合わずお腹を下してしまう可能性もあったりする。おまけに硬水で髪を洗うと、髪がきしみやすかったり、髪や頭皮が乾燥したりもするらしいのだ。

 その後、朝食を食べに部屋を出る美玲。
 エレベーターに乗り込んで一階に向かう。
 その時、途中の回でエレベーターが止まった。
「Bonjour」
 恐らくフランス人であろう宿泊客男性が、美玲を見てそうニコリと笑う。
「……ボンジュール」
 美玲は戸惑いつつも、恐る恐るカタコトのフランス語で返した。
(……挨拶された。日本だとこういうのあんまりないよね。フランスだと普通なのかな?)
 そう考えているうちに、エレベーターは一階に到着した。
 一緒に乗っていたフランス人と思われる男性がエレベーターの開くボタンを押してくれている。美玲が出るのを待ってくれているようだ。
「えっと、メルシー」
 美玲は軽く頭を下げて先にエレベーターを出た。ここはフランスなので、頭を下げることには何の意味もなさないのだが、つい咄嗟に日本でよく馴染みのある仕草が出てしまう美玲であった。
(エレベーターでの挨拶、それから多分これがレディーファーストってやつだよね? フランス人男性ってアジア人観光客の私にもそういう扱いしてくれるんだ……。結構アジア人差別とかがあるって聞いてたからちょっとびっくり)
 美玲は戸惑いつつも、ほんの少しだけ嬉しくなるのであった。

 ホテルのカフェテリアのような場所まで来た美玲。
 すると、フロントの女性が「Bonjour」と声をかけてくれた。
 美玲もカタコトで「ボンジュール」と返し、カードキーの部屋番号を見せ、「シルヴプレ」とお願いすると、カフェテリアの席を自由に使うようにと言われた。
「あ、岸本さん、おはようございます」
 カフェテリア入り口付近の席にいた添乗員の明美に声をかけられた。
「おはようございます、斉藤さん」
 美玲は朝起きて初めて日本語が聞けたので、少しホッとして肩をなで下ろした。
「昨日はよく眠れました?」
「うーん……まあまあですかね」
 美玲は苦笑しながらそう答えた。
「時差ボケもありますよね。今日も楽しみましょう。あ、朝食の席は自由でいいみたいですよ。向こうにあるパンとかスクランブルエッグを自由に取るバイキング形式です」
「はい。ありがとうございます」
 何となくそうだろうなとカフェテリアの雰囲気を見て分かったが、改めて明美に日本語で説明された。自分の予想が合っていたことに美玲は安心した。
「それと、日本みたいに荷物を置いて席を取らないでください。絶対に置き引きされますから」
「はい、ありがとうございます」
 明美にそう忠告され、美玲は気を引き締めた。
(うん、そうだよね。ここはフランスだ。日本感覚だと危ない)
 美玲は先に朝食を取りに行くことにした。
 朝食バイキングはパン数種類、チーズ数種類、スクランブルエッグ、ソーセージ、フルーツなどが並んでいた。
 美玲は早速パンの場所へ行く。クロワッサンと、クロワッサン生地にチョコレートが詰められたパン・オ・ショコラなど、フランスではお馴染みのパンが並んでいる。
 美玲はせっかくフランスに来たのだからと、クロワッサンを取る。
 そしてチーズが並ぶ場所へ行く美玲。
(流石はチーズ大国フランス……。やっぱりカマンベールかな)
 美玲はカマンベールを取った。
 そしてスクランブルエッグとソーセージとを少し、飲み物は牛乳を選び空いている席に座った。
 早速クロワッサンにかぶりつく美玲。ポロポロと生地がこぼれ落ちるのを手で防ぐ。
(何と言うか、バター感がすごい。美味しい。これハマりそう。だけど絶対カロリー高そうだなあ……。いや、カロリーとかそんなの気にせず食べちゃえ!)
 美玲はサクサクとクロワッサンをたいらげた。
 他に取ったチーズなども完食し、更にパン・オ・ショコラとフルーツまで取りに行く美玲であった。
(それにしても、サラダとか野菜とかスープとかはバイキングにないんだ)
 美玲はそのことに少しだけ戸惑っていた。
 別に美玲は特段野菜が好きなわけではないが、ほとんどないとなると少しもの寂しいと思うのであった。

◇◇◇◇

 このホテルはこの日にチェックアウトなので、美玲はスーツケースに荷物をまとめて集合場所であるホテルのロビーにいた。
「はい、みなさん全員いらっしゃるということで、改めておはようございます。今日はまずバスでシャルトル大聖堂へ行きます。シャルトル大聖堂見学後はこのホテルには戻らずロワール地方に向かいますので、忘れ物だけないようにしてくださいね」
 明美から今日の今後の行程と注意事項が伝えられた。
「そして、今日は現地ガイドの仁美(ひとみ)・デュパルクさんが来てくれています」
「皆さん、おはようございます。仁美・デュパルクです。出身は日本ですけどもう大学卒業して以来こっちに住んでいます。今日はよろしくお願いします」
 明美から紹介された今日のガイド仁美は、見た目こそアジア系だが長いことフランスに住んでいるので雰囲気は完全にフランス人っぽかった。
「皆さん、恐らく名前でお気付きだと思いますがこちらの仁美さん、何とフランス人男性と国際結婚しているんですよ」
 明美の言葉に、同じツアーに参加しているやたらとキラキラしたオーラの若い新婚かカップル二人組が「ええ! 国際結婚とかすごい!」とテンションが上がっていた。
 その後、美玲達はバスへ向かった。
 空港に迎えにきてくれたバスと同じで貸切である。また初日と同じで皆それぞれ一人数席分陣取って広々とくつろいでいる。

 そしてシャルトル大聖堂に到着した時に、美玲はあることに気付く。
(あれ……? スマホが圏外じゃん。ポケットWi-Fiに繋げてるはずなのに)
 美玲は慌ててスマートフォンをWi-Fiに繋げようとするが、ポケットWi-Fiのネットワーク名が出ない。
(嘘……!? 何で……!?)
 美玲はウエストポーチに入れてあるポケットWi-Fiを確認した。
 何とポケットWi-Fiの充電が切れていたのだ。
(ええ……!? 昨日充電したはずなのに!?)
 青ざめる美玲。
「美玲さん、どうかしたのですか?」
 朱理が心配そうに見つめてくる。
 朱理の長い髪は、美玲とは違い硬水の洗礼を受けていなさそうに見える程艶々していた。
「ああ、朱理ちゃん。実はポケットWi-Fiの充電ができてなかったみたいで……」
 肩を落とす美玲。
「それってもしかして今スマホが通じない状態ですか?」
「うん。圏外」
「……大変ですね。すみません。私もポケットWi-Fi持っていたら、美玲さんにお貸ししたり繋ぐことが出来たのですが、生憎(あいにく)海外SIMなので、できそうにないですね」
 少し申し訳なさそうな朱理。
「朱理ちゃん、気にしないで。今日は多分ずっと団体行動だから、はぐれない限りは何とかなるはず」
 美玲は自分自身にそう言い聞かせている面もあった。
 そこへ穂乃果がやって来る。
「おはようございま〜す。何かあったんですか〜?」
 眠そうな目をこすり、きょとんとした表情の穂乃果。
「おはようございます、穂乃果さん。美玲さんのポケットWi-Fiの充電がないみたいです。穂乃果さんはポケットWi-Fiとかお持ちですか? もしあるのなら、美玲さんに繋げていただけたらと思いまして」
「朱理ちゃん、大丈夫だから」
 美玲はやんわりと朱理を止めた。
「ポケットWi-Fi? 私、何か親がスマホの契約会社に海外で使えるよう手続きしてくれてたみたいで。だから持ってないかな〜。何か困ってるのにごめんなさい、美玲さん」
 色々とよく分かっていなさそうな表情の穂乃果である。
「うん。穂乃果ちゃんも、気にしないで」
 美玲は苦笑した。
 その後、朱理と穂乃果は先に進んでガイドの仁美の所へ行った。
(まあ旅行とかには色々とトラブルが付きものだよね。国内旅行でも予期せぬトラブルはあるんだから。これはもう仕方ない。ただ、完全に日本語が通じない土地だから不安だなあ……)
 美玲は一人軽くため息をついた。
「岸本さん、どうしたの? 何か浮かない顔だな」
 いつの間にか美玲の側に誠一がいた。
「中川くん、先に行ってるのかと思った」
 美玲は軽く驚いた。
「いや、さっきから岸本さんが困ってそうだったから気になってさ」
 ポリポリと頭を掻く仕草の誠一。
「まあ、大したことはないんだけどさ、ポケットWi-Fi充電できてなくて」
 美玲は苦笑し、充電切れのポケットWi-Fiを見せる。
「うわ、大変だな」
「まあでも、今日は終始集団行動だし、ガイドの仁美さんや添乗員の斉藤さんと一緒にいたら何とかなるかなって思ってる」
 美玲はハハっと笑う。
「まあ海外旅行は多かれ少なかれ予想外のトラブルに見舞われるけど、また何が起こるか分かんないからさ、俺のポケットWi-Fiに繋げば?」
 誠一からの提案に美玲は驚く。
「……いいの? ありがたいけど、容量とか大丈夫?」
 美玲は恐る恐る聞いた。
「容量的にも二人分くらいなら多分問題ないと思う。ほら、これ」
 誠一はネットワーク名とパスワードを美玲に見せる。
「ありがとう、中川くん」
 美玲はホッと安心したような表情になる。
 目の前の誠一が、まるで救世主のように見えた。
「おう。ただ、離れたらWi-Fi繋がんないからさ……今日は俺の近くにいた方がいいぞ」
 誠一は少し美玲から目をそらして悪戯っぽく笑う。若干瞬きの回数が多いように感じた。
 それに美玲はほんの少しドキリとする。
「あ、まあ岸本さんが嫌じゃなければだけど」
 誠一は直後、ハハっと誤魔化すように笑った。
「あ……嫌……ではないと思う。それに、私、中川くんのポケットWi-Fi使わせてもらう立場だし、迷惑かけてごめん」
 美玲は少し俯いた。
「全然迷惑なんかじゃないから。行こう、岸本さん」
 誠一にそう言われ、顔を上げる美玲。
 誠一は爽やかな笑みで美玲を見ていた。
 その目は本心であることを示している。
 高校時代と変わらないが、大人っぽくなった誠一。
 美玲はそんな誠一に、少しだけ胸がトクンと高鳴った。
 ポケットWi-Fi充電切れのトラブルはあった美玲。しかし、誠一のポケットWi-Fiを使わせてもらえることになり、この問題はひとまず解決した。
 美玲達はゾロゾロとガイドの仁美について行き、シャルトル大聖堂へ向かう。

 石畳の広場から、改めて美玲はシャルトル大聖堂の姿に目を奪われた。
「皆さん、このシャルトル大聖堂は過去に火災に見舞われていて、三十年かけて再建された過去があります。よく見てください。右側が火災前の尖塔、左側が火災後に再建された尖塔です。右と左で雰囲気が違うことが分かりますよね。実は右側ロマネスク様式、左がゴシック様式。建築様式が違うんですよ」
 ガイドの仁美がそう解説してくれた。

 その後、ツアー参加者は皆思い思いにスマートフォンで写真を撮っている。
「あ、美玲さん、写真撮ってもらっていいですか?」
「うん、いいよ、穂乃果ちゃん。どの辺で撮る?」
「えっと〜、この辺で〜!」
 穂乃果に頼まれ、美玲は彼女のスマートフォンを受け取って写真を撮る。
「こんな感じでいいかな?」
 美玲はスマートフォンを穂乃果に返し、写真を確認してもらう。
「まあ……はい。ありがとうございました」
 穂乃果は若干微妙そうな表情であった。
 その後、穂乃果は「朱理ちゃ〜ん、写真お願いできる?」と朱理の方へ向かって行ったのである。
「あ! うん! 丁度こんな感じに撮って欲しかったんだ〜! 朱理ちゃんありがとう! 写真上手だね!」
 朱理に写真を撮ってもらった穂乃果は嬉しそうにはしゃいでいた。
 年下の朱理が大人っぽく見え、年上の穂乃果が子供っぽく見えた。

 その様子に、美玲の劣等感が刺激され、心に暗い影を落とす。

「私、写真撮るの下手なのかな……?」
 俯いて自嘲する美玲。
「じゃあ俺の写真撮って。きっと大丈夫だから」
 側にいた誠一は、優しい表情で自身のスマートフォンを美玲に渡した。
 美玲は言われるがままシャルトル大聖堂の前に立つ誠一の写真を撮る。
「うん、普通に上手いじゃん。きっとさっきの……えっと名前分かんないけど、あの子のこだわりが強過ぎただけだって」
 誠一はフッと笑った。
「ありがとう、中川くん」
 誠一の言葉により、少しだけ心が晴れたきがした。
「岸本さんも写真撮ろっか?」
「私はもう撮ったけど」
「シャルトル大聖堂だけのはな。岸本さんが写ったやつはまだだろ」
「いや、別に私のはなくていいよ。どうせ」
 死ぬつもりだしと言いかけてハッと口を押さえた美玲。
(いけない、つい口から出そうになった。死ぬためにフランスに来たとか言ったら絶対変な空気になるじゃん)
「……せっかくだし撮っとこうぜ。ほら、そこに立ってさ」
 誠一はひょいと美玲のカメラを起動したままのスマートフォンを取り上げた。
「ほら、岸本さん表情硬いぞ」
「ええ……これが精一杯の笑顔だけど」
「もっともっと、スマイルスマイル!」
 美玲はされるがまま、誠一に写真撮影をされた。

 スマートフォンには、荘厳なシャルトル大聖堂の前で少し硬い笑顔の美玲の写真が複数枚保存されるのであった。

 その後、シャルトル大聖堂に入る際に軽い手荷物検査があった。
 美玲はウエストポーチなどを体から外したのだが、ポーチのチャックが開いていたらしく、中身をぶちまけてしまった。
(やばい、どうしよう!?)
 美玲は焦って更に手を滑らして荷物を落としてしまう。
「岸本さん、落ち着いて」
 誠一が美玲の荷物や落としたウエストポーチの中身を拾ってくれた。
「ありがとう、中川くん」
 美玲は力なくお礼を言う。
「大丈夫だから。とりあえずこれで全部。もし足りないものとかあったら言ってくれよな。探すの手伝うから」
 誠一はニッと白い歯を見せた。
「うん……。ありがとう……」
 美玲は恥ずかしさで少し俯いてしまった。
 そして荷物を確認する。
「うん、大丈夫。これで全部」
「そっか。よかった」
 誠一は安心したような表情である。
 美玲のことなのに、まるで自分事のような誠一に対して美玲は少し不思議に思ってしまった。

 その後、ツアー参加者がいる場所まで追いついた美玲と誠一。
 一応最後尾に明美があるのではぐれることはなかった。
 シャルトル大聖堂の中に入るなり、すぐに見事なステンドグラスか美玲の目に飛び込んできた。バラ窓と呼ばれる有名なものである。
 薄暗い中でステンドグラスから射し込む光が幻想的な雰囲気を出している。
「このシャルトル大聖堂、十三世紀頃は巡礼地として栄えていまして、信者や巡礼者が数多く訪れました。この時期に大聖堂のステンドグラスや彫刻などの芸術作品も完成し、その美しさで知られるようになったんですよ」
 再び仁美がそう説明する。
 美玲は仁美の解説を聞きながら、バラ窓のステンドグラスに目を奪われていた。
 ステンドグラスに使われた深い青は「シャルトル・ブルー」と呼ばれている。
(綺麗……。こんなに綺麗なものがあるんだ……)
 美玲は表情を綻ばせ、スマートフォンでバラ窓の写真を撮った。
「岸本さん、こっちにもステンドグラスがかなりある」
 ほんの少しはしゃぐような誠一。
 その姿に美玲はクスッと笑う。
「本当だ……!」
 美玲は誠一が示したステンドグラスに目を奪われた。
 仁美曰く、これらは文字が読めないキリスト教信者に聖書を分かりやすく説明するために作られたそうだ。
「宗教的なことは全然分からないけど、すごく綺麗……」
 美玲はうっとりとステンドグラスを眺めていた。
「そうだな」
 誠一も満足そうな表情であった。

 美玲達は華やかさと厳かな雰囲気が入り混じるシャルトル大聖堂を楽しむのであった。

◇◇◇◇

 その後、シャルトルの街でお土産を買う美玲達。
(あ、このステンドグラスのブローチ綺麗。……でも高いなあ)
 そう思って手に取ってみたものの、値段を見て少し躊躇ってしまう美玲。
(いやいや、どうせ人生終わらせに来たんだし、あの世にお金は持って行けない。欲しいと思ったら買っちゃえ!)
 美玲はそう決意し、気になったものを片っ端から……と言ってもバッグに入る程度にステンドグラスのアクセサリーを買い漁った。
「大人買いだな。今円安だぞ」
 近くにいた誠一が驚く。
「いいじゃん。せっかくフランスに来たんだし。円安とか気にして欲しいもの買えずに後悔したくないもん」
 美玲はフッとと笑う。
「……そっか」
 誠一は苦笑した。その目が美玲を少し訝しげに見ていたことに、美玲自身は気付かなかった。
 その後、近くにあったスイーツのお店でチョコレートやマカロンも買い漁る美玲であった。