「カーライル。貴方、私が眠っている間に何かしなかった?」

 エイルとアルフェリアの住む村に防壁の魔法をかけてから城に戻ったヴィクトリアは、疑問に思っていたことを尋ねるためにカーライルに詰め寄った。

「何故そう思うのですか?」

「最初森でルーファスとあった時は力が発動したかは微妙だけれど、ずっと目覚めていなかった力が、急にこんなに使えるようになるなんておかしいしから」

「他にも候補はいるでしょう。それでどうして私だと?」
「だって、ルーファスやレイモンドが私になにか仕掛けるとは思えないし――。レイモンドが薬を持っていたのも、元々は誰が管理していたのかを考えると、貴方が1番怪しい」

「なるほど。貴方はそう考えるわけですね」
 カーライルはそう言うと頷いた。

(うん? その物言いは、自分ではないっていうこと?)

 ヴィクトリアは、予想が外れたのかと首をかしげた。

「え? 貴方じゃないの?」

(じゃあ、誰が――……? )

 犯人探しは急務だ。
 この城に居て自分に危害を加えようとする人物は、今のヴィクトリアにはカーライルしか浮かばず混乱した。

「ああ。私ですよ。貴方が眠っている間に薬を少々」
「な……っ!」

 よくもまあぬけぬけと――ヴィクトリアは、開いた口が塞がらなかった。

(何が少々よ! やっぱりすべての原因はこの男じゃない。この蜘蛛男!)

 古龍から守ってくれたことには感謝しているが、やはりこの男は本当に余計なことしかしない。
 ヴィクトリアは怒りのあまり、カーライルの服の襟を掴んでいた。アルフェリアが、エイルによくやる癖がヴィクトリアにもうつっていた。

「カーライル! やっぱり犯人は貴方だったの!」
「怒りをお鎮めください。ヴィクトリア様」

 カーライルは、わざとらしく様付けでヴィクトリアを呼んだ。
 その瞬間、ヴィクトリアの中で何かがぷつんと切れた。

「……カーライル。ずっと我慢してたけど、貴方から様付けされるの気持ち悪いからやめて。とりあえず反省して貰うから……!」
 
 ヴィクトリアは、すう、と大きく息を吸い込むと、城の中に張られたカーライルの蜘蛛の糸に命じた。

「『束縛の蜘蛛の糸よ。主人《あるじ》を拘束せよ』」

 どこからともなく集まった糸は、ヴィクトリアの命令に従い、自分たちの生みの親を天井から吊し上げた。

「反省した?」

 ヴィクトリアは不機嫌そうに腕を組んで、天井に吊るされて間抜けな姿のカーライルを見上げた。

「はい。よくわかりました」
 カーライルはニコリと笑う。

「貴方に縛られるのも悪くない」
 その笑顔は、ヴィクトリアが転生してカーライルと出会い、一番いい笑顔だった。

(うわ。気持ちわる)

 ヴィクトリアは、思わずその笑顔を見て、けがらわしいものでも見るかのような目でカーライルを見た。
 だが、寧ろカーライルは、ヴィクトリアにそんな視線を向けられて、嬉しそうににこりと笑った。
 侮蔑の目を向けられて、笑みを浮かべる幼馴染に、ヴィクトリアは顔を引つらせた。

 同じ男の幼馴染なのに、カーライルとエイルとでは大違いだ。
 
(エイルなら、きっとほっとする笑顔を向けてくれるはずなのに――エイルの笑顔が恋しい)

 ヴィクトリアがそんなことを考えていると、先ほどとは打って変わって、冷たい声が降ってきてヴィクトリアはびくりと体を震わせた。

「――今。……私と、他の男を比べませんでした……?」
「そ……そんなことは……っ!」

 勘が鋭すぎて怖い。ヴィクトリアはぶんぶん顔を横に振った。



 ヴィクトリアがセレネに戻った頃、外はすっかり暗くなっていた。
 その名の通り大きな月が輝く世界は、二つの太陽の名を持つデュアルソレイユとは違い、夜だというのにまだどこか明るい。

 王の帰還。
 カーライルはヴィクトリアを魔王の玉座に座らせて、彼女に頭を垂れた。

「貴方のことは、私がお守りいたします」
「全ては陛下のお望みのままに。私は貴方の物です」
「王が人間に殺されるなんてことがあったらたまらないからな。――俺もアンタを守ってやるよ」

 カーライルに続き、ルーファスも膝をつく。レイモンドは、戸惑うヴィクトリアにふっと笑った。

「私は、昔のように魔法は使えない。私はこれから、みんなに迷惑ばかりかけるかもしれない。それでも私の力になってくれるの?」
 
「我が王よ。貴方に永遠の忠誠を。貴方がそう望むなら、それこそが私の望み。貴方が助力を願うなら、私が力になりましょう」
「陛下が望まれることは、全てお叶えいたします」

 膝を付き、頭を下げていたはずの二人は、玉座に座るヴィクトリアに近づき手を取ると、その手の甲に口付けた。

「な……な、ななな。なんでキスするの!?」

 右手にルーファス、左手にカーライル。
 そして。
 ぐいと手を引かれ、ヴィクトリアはレイモンドに左手首を噛みつかれた。

「れ、レイモンド……?」

 すると、その瞬間。
 ヴィクトリアの手が、ピカリと光を放った。肌に魔法陣が浮かび上がり、ヴィクトリアは目を瞬かせた。

「……これは」
「これは印だ」
「目印を付けないと、貴方はすぐまたいなくなってしまうかもしれませんので」

「――陛下。どうかお許しください。五〇〇年も『待て』をしてきたんです。いい子に待っていたのですから、これくらい許してくださいますよね?」

 金色の狼は、まるで忠犬のようなことを言った。

「……」
 ヴィクトリアは、三人の言葉を聞いて、反論できずに口をつぐんだ。

 口付けによる追跡魔法。
 これはヴィンセントの時代にもあったものだが、使用方法としては迷子防止のために親が子どもにつける追跡魔法だ。

(確かに自分《ヴィンセント》が死んでから五〇〇年以上生きている彼らからすれば、子どもかもしれないけれど……)

 釈然としない。
 ヴィクトリアは唇を尖らせた。
 すると、カーライルがヴィクトリアの唇の先に、ちょんと冷たい指を押し当てた。

「五〇〇年という時は、魔族の歴史からすれば長いというわけではありません。けれど王座に空位が続くのは、本来褒められるべきことではない。私もそろそろ、貴方の椅子に座ろうとする愚か者の粛清には飽きてきまして。だから、早く私たちのもとに帰ってきてください。私が我が王と、呼びたいのは貴方だけだ。――……『ヴィクトリア』」

 カーライルは珍しく、柔らかく微笑んでいた。

 ヴィクトリアは、カーライルの言葉にはやはり棘がある気がするし、その点は今も昔と同じで気に食わない。ただ、最後の言葉だけは、紛れもない彼の本心のように思えた。

「……」
 そうしてふと、ヴィクトリアはあることに気が付いた。

(今の私は、彼らの言葉を信じられる)

 それはきっと、自ら死を選んで五〇〇年の時の向こうで出会えた、二人の幼馴染のおかげだと彼女は思った。

 アルフェリア、エイル。
 二人の姿を思い出すだけで、ヴィクトリアは胸が熱くなるのを感じた。
 そうしてヴィクトリアは、かつて最愛の人が、自分に与えてくれた言葉を思い出した。

『言葉は、誰かに伝えるためのものだから。声が、言葉が届くということは、幸せなことだよ。言葉が、心に響くなんて――君は、本当に凄い力を持っているんだね』

 これまではディー・クロウの優しい声を思い出すたび、ヴィンセントもヴィクトリアも何度も泣いた。
 けれど今はその言葉が、自分の胸のうちに温かく響いているように彼女は思えた。

『自分を否定しないで。君がその力をもって生まれたことに、きっと意味はある筈だよ。――だから。どうか、下を向かないで』

 かつて自分をかばって、失われてしまった命。
 けれど愛した人は確かに、この胸のうちに生きている。
 今の彼女にはそう思えた。

『一緒に眠ろう。大丈夫。夜は怖くない』

 それに、ディー・クロウはもういなくても。
 この世界には――自分には、自分を思ってくれる人がいる。そばにいてくれる人がいる。
 ならば夜も、もう恐れることはない。愛しい人を思い出して、悲しい記憶が自分を苛んでも、朝になれば大切な人が、きっと自分に笑いかけてくれるから。

「ヴィクトリア」
「陛下」
「ヴィクトリア」

 自分を呼ぶ彼らの声が、今はただ、心地よく耳に響く。
 そしてヴィクトリアは自分の視界《せかい》が、ゆっくりと開けていくような感覚を覚えた。

(私は『ひとり』じゃない。ううん。本当はきっと、ずっと前から、私は『独り』なんかじゃなかった)

 ヴィクトリアはなんだか少し照れくさくて、少し目線を下げてから、彼らに言葉を返した。

「あの日……自分だけで結末決めてしまって、ごめんなさい。ずっと、嘘をついていてごめんなさい。こんな私のことを……ずっと私のことを待っていてくれて――信じてくれて、ありがとう」

 そうしてヴィクトリアは、大切な彼らに向かい、精一杯の笑みを浮かべた。
 自分の決断は、きっと彼らの心に過去深い傷を残した。
 だからこそ――せめてこれからは、彼らの瞳に映る自分が、たくさん笑顔であふれると良いと思った。

「陛下……! はにかんだお顔も可愛らしいです!」
「きゃあっ!」

 すると、狼化したルーファスに、ヴィクトリアは押し倒されてその頬を舐められた。
 ヴィクトリアは彼の行動に驚いたものの、ぶんぶんと揺れる尻尾を見て、思わずぷっと吹き出して声を上げて笑った。

「レイモンド」

 傍目には動物と戯れているようにしか見えない光景を眺めながら、カーライルはボソリ呟いた。

「泣きそうなときは笑ってほしかったのに、笑顔を向けられると泣かせたくなるのは何故だと思う?」
「……その感情は、俺にはよくわからない」

 レイモンドは静かにそう答えた。



 月は煌々と光り輝く。
 夜風が気持ちがいい。ヴィクトリアが一人テラスで空を見上げていると、レイモンドがやってきて、上着を脱いでヴィクトリアの肩にかけた。

「ありがとう。レイモンド」

 まだ彼の温もりが残る服は、気遣いが嬉しいけれど、どこか少し気恥ずかしい。

「……風邪を引く。早く中に戻れ」
 
 目と目が合えば、レイモンドは短く言って、ヴィクトリアに背を向けた。

「――待って。レイモンド」

 ヴィクトリアは、そんなレイモンドを呼び止めた。

「貴方に聞きたいことがあるの。レイモンドは本当は……森で最初にあった時からから、私が私だって気がついてたの?」

 ずっと気になっていたこと。
 不自然な彼の言葉。その行動の理由を、ヴィクトリアはレイモンドの口から聞きたかった。

「……」
 
 レイモンドは何も答えなかった。けれど、彼を知るヴィクトリアにはわかった。

 沈黙は肯定だ。
 ヴィクトリアは、背を向けたままの彼に向かって笑いかけた。
 そして、ぶっきらぼうながらも優しい彼に、あるお願いすることにした。
 
「レイモンド、お願いがあるの。貴方にはこの先も、私の命令は聞かないでほしい。貴方には、自分の意思で行動してほしい」

 それは、無効化の能力《ちから》を持つ彼にだからこそ、唯一絶対に願えること。
 ヴィクトリアがそういえば、レイモンドは彼女に向き直ってからこう返した。

「馬鹿なアンタに命令される筋合いはない」
「なんで馬鹿って……」
「言葉のままだ」

 まさかの返答に、ヴィクトリアは頬を膨らませた。
 馬鹿だなんてそんな言葉、彼に言われたのは初めてだった。

「簡単に自分で死を選ぶようなヤツは、馬鹿で十分だ。馬鹿と呼ばれたくないなら、もう二度と同じことはするな。俺たちがアンタを支える。……だから」
「?」

 ヴィクトリアは首を傾げた。

「――アンタはいつだって、馬鹿みたいに笑っていろ」

「……!」
 その声は、砂糖菓子よりも甘く優しく。
 ヴィクトリアは思わず胸を抑えた。

「俺はアンタのことを、一度も親だなんて思ったことはない。アンタみたいな馬鹿がつくほどの不器用なお人好しが親だなんて、面倒なことこの上ない」

 レイモンドはそう言うと、ヴィクトリアに微笑んだ。

『……いい加減もうそうやって、俺を相手に父親面するな。俺は……アンタのことを親だなんて、一度も思ったことはない』

(待って。あれ……?)

 レイモンドのその言葉を、ヴィクトリアはずっと昔に聞いたような気がある気がした。
 魔王として、勇者と戦う少し前。
 レイモンドは今と同じ言葉を、『ヴィンセント』に向けた。それがヴィクトリアに、勇者に一人戦わせる引き金になった。

(五〇〇年前、レイモンドの言葉は私を嫌っての言葉だと思っていたけれど、もしかして、もしかしてあれは、本当は――……?)

「覚えておけ。俺はアンタの命令を聞き入れるような、従順な子どもじゃない」

 しかしその問いの先の意味に行き着く前に、耳元に顔を寄せられて、ヴィクトリアは頭から考えていたことを消去した。

「――ヴィクトリア」
 とろけるような甘い声で名を呼ばれ、ヴィクトリアは顔を真っ赤に染めた。
 かつて手を引いたはずの幼子は、今は艶のある笑みを浮かべて、彼女を見下ろしていた。

「え……っ。な……な……っ!?」
「……アンタ、本当耐性が無いな。それだとこから大変だぞ」
「????」

 レイモンドの言っている意味がわからず、ヴィクトリアは更に慌てた。

(耐性って、大変って――……一体、何?)

 ただ、くくっと珍しく楽しそうに笑うレイモンドの顔を、ヴィクトリアは不思議と嫌いだとは思えなかった。
 いつも表情の変わらない彼が笑うと、なんだか少し幼く見える。

「あいつみたく泣き顔を見たいとは思わないが……まあ、そうやって困っている姿を見るのは……。確かに、悪い気はしないな」 

 ヴィクトリアは冷や汗をかいた。
 なんだかレイモンドが、少しだけ怖い。ヴィクトリアは心のなかで叫んだ。

(カーライルに似て、性悪に目覚めるのだけはやめて。レイモンド!!!)

 自分がアルフェリアに似てしまったぶん、人のことは言えないが……。

 年月は人を変える。
 朱に染まれば赤くなる。
 生きている限り、人は変わらずにはいられない。ずっとどこかで子どもだと思っていた相手の変化に、ヴィクトリアはどう対応すべきかわらかなかった。

 今更父親ヅラも、母親ヅラもできない。
 昔二人を隔てていた壁は、今はもう存在していなかった。

 視線が交差する。
 月の光を浴びて、黒い髪は夜に浮かび上がる。彼の血のような赤い瞳は、かつての自分と同じ色をしているはずなのに、色香のようなものを感じて、ヴィクトリアは息を呑んだ。

「陛下~~!」
 二人が見つめ合っていると、ルーファスとカーライルがやってきて、二人の間に割って入った。

「レイモンド。ヴィクトリアと何を話していたのですか?」
「別に、なんでもない」

 カーライルの問いに、レイモンドは相変わらず短く答えるだけだった。

「ああ。今日は満月だったんですね」
「そうです、陛下! 月を肴に宴でもいかがですか? 陛下のご帰還を祝して、宴を開きましょう!」

 ルーファスは、明るい笑みをヴィクトリアに向けて浮かべる。
 いつの間にか、彼女の隣はルーファスになっていた。
 カーライルとレイモンドは、二人から少し距離をとって、小声で話をした。

「カーライル。イーズベリーは出すなよ」
「そんなことわかっていますよ」
「昔から、気づいていないのはアイツだけだ。意外と鈍いからな。ルーファスは……嗅覚で気づいているだろう。言わないだけで」

 ルーファスは、ヴィクトリアの前では天使のように振る舞っているが、彼の本質は狼だ。そして金色狼の逸話は、大体いろんな意味で血生臭い。

「当然わかっています。全く油断なりませんね、ルーファスは……。いや、本当に油断できないのは……」

 カーライルはそう言うと、じっとレイモンドの目を見つめた。
 『ヴィンセント』と同じ黒髪に赤い瞳。
 二人の外見は、色こそよく似ている親子だったが、血は繋がっていない。
 そしてレイモンドは、今この世界でただ一人、『無効化』の能力の持ち主だ。
 その力は、『ヴィンセント・グレイス』に対しても変わらなかった。

「……」
 カーライルとレイモンドの視線が交差する。ひやりとした冷たい沈黙が、二人の間に流れる。

「二人とも、こそこそなんの話をしているの?」
 その時、ヴィクトリアが振り返って二人に尋ねた。

「安心してください。貴方が気に止めるようなことではありません」
「余計に気になるんだけど……」
「まあ、敵は多いなあってことでしょうかね」
「? ……まあ、そうよね。これからは、色々とまた大変かもしれない」

 『ヴィンセント・グレイス』は、歴代で最も同族を殺した魔王だ。

 そして、魔族は長命な種族だ。
 三人がヴィクトリアに王位を望んでも、魔族の中には、ヴィンセントに家族を殺されたものもいるだろう。
 それにヴィクトリアとしても、使役されていたとはいえ、古龍を倒してしまったことが今後問題になるかもしれない。

「今の私が魔族を一つにまとめようとすれば、当然反発も起きるだろうし……」
「――ヴィクトリア。敵というのは、そういうことではありませんよ」
「え? だって、今敵が多そうだなって……」
「その敵ではありません」

「???」
「……この様子だと、一番の敵はヴィクトリア自身かもしれませんね」

 カーライルは、首を傾げるヴィクトリアを見てため息をついた。

「どういうこと?」
 ヴィクトリアは首を傾げ――つい、カーライルに命令をしてしまった。

「教えなさい。カーライル」

 そうして、はたと気づく。

(しまった。もしかして私今、魔法《ちから》を使ってしまってた!?)

 慌てるヴィクトリアをよそに、魔法をかけられたにもかかわらず、カーライルは無言を貫いていた。

「……あれ?」
「どうやら、効果がもう切れたみたいですね」

 驚くヴィクトリアを前に、カーライルはくすりと笑って言った。

「人魚の秘薬の根本は『力の活性化』です。今の貴女の体は、おそらくはただの人間ですからね。昔と比べたら、力は殆ど使えてないと言って良いかもしれない。私たちとの関わりの中で、一時的に貴方の中に魔力が宿り、魔法が使えた可能性は考えていたのですが――もしかしてさきほどの魔法で、魔力の貯蓄は使い果たてしまいましたか?」

「え……?」

 ヴィクトリアは首を傾げた。
 人を操ることの出来てしまう言霊魔法が常に使えるわけではないというのは昔なら嬉しいが、セレネで魔王として生きていくには、魔法が使えない時があるというのは問題になる可能性がある。

「それじゃあ、次は私で魔力を補給しておきますか? ヴィクトリア」
「!?」

(――補給って、何を!?)

 距離を詰められ、ヴィクトリアは反射的にカーライルから離れた。
 けれど後ろにはルーファスが控えており、彼はヴィクトリアの手を取ると、彼女の前に膝をついた。

「陛下、何かあったときのために力が使えるようにしておくのは大事です。そのお役目、是非私にお与えください」
「る、ルーファス??」
「ルーファス。貴方は下がってください。ヴィクトリア。大事な役目であるからこそ、右腕である私に任せるべきだと貴方も理解できるしょう?」

 カーライルに、後ろから強く抱きしめられ、顎を掴まれて無理矢理上を向かされる。カーライルと目と目が合う。
 幼馴染の彼が何をしたいのか理解して、ヴィクトリアは目を瞬かせた。
 美しい紫水晶《アメジスト》の瞳の中には、今は自分の姿だけが、はっきりと映っている。

「――……私を受け入れてください。ヴィクトリア」

 甘い声で囁かれ、顔に熱が集まって、ヴィクトリアは思わず叫んでいた。
 
「〜〜〜〜ふ、二人とも離れてっ!!!」

 距離が近い。近すぎる。
 ヴィクトリアは耐えられなかった。
 魔族の中でも高位であり、強い力を持つ彼らの見目は美しい。

 『ヴィンセント』であるときは適度に距離をとっていたためさほど気にかけなかったが、『ヴィクトリア』に対する彼らの距離はあまりに近くて、これでは心臓が持たない。

「本当に嫌なら殴ればいい」
「ヴィクトリア。嬉しいなら、もっと素直になっていいんですよ?」
「陛下は私がお嫌いですか?」

 気遣いの人であった人間の幼馴染(エイル)と違い、魔族である三人の発言は、あくまで自由そのものだ。
 ヴィクトリアはぷるぷる震えた。

(顔がいいからって、何をしても許されるわけじゃないんだからね!?)

 ヴィクトリアの顔は、林檎のように真っ赤に染まっていた。

「…………さ、三人とも、全員口を閉じなさい!!!」

「残念ですね。貴方の魔法、今は効かな位というのがわからないのですか?」
「まあ魔法を使えたとしても、今のは発動していたか微妙なんじゃないか」
「……陛下。陛下は本当は、私達に触れられることがお好きなのですか?」

「……!!」
 魔法が使えない。
 そう理解しながらも放った言葉は、自分にも、照れ隠しのただの我儘のようにしか聞こえなかった。
 
「もう知らない! 今日はもう寝るから。カーライル、勝手に寝室に入ってきたら許さないから!」

 ヴィクトリアはいたたまれず、その場を離れようと扉に手をかけた。
 しかしそんな彼女に対し、カーライルはとぼけたことを言った。

「なるほど。あえて駄目だということで私の気を引こうとする――それは、『入ってこい』という意味ですか?」
「違う!!!!」
「いいんですよ? 恥ずかしがらずとも。ご希望とあらば、添い寝して差し上げましょう。なんなら子守唄でも」

 にこりと微笑んで、寝室に来る気満々な幼馴染に、ヴィクトリアは頭に血が上った。

「……カーライル? いい加減にして? 子ども扱いしないで……??」

 ヴィクトリアはカーライルにつめりより、その頬を引っ張った。
 笑顔で青筋を浮かべるヴィクトリアに対し、カーライルは柔和な笑みを浮かべ、自分の頬をつねる彼女の手に優しく触れた。

「肉体的には五〇〇歳ほど離れていますし、問題ありませんよ」

 カーライルは飄々と答えた。

「そういう問題じゃない」

 第一、彼は自分が寝ている間に薬を飲ませた前科持ちだ。一番信用ならない。

「照れ屋ですね。ヴィクトリア」
「照れ屋じゃ!!!! ないっ!!!!!」

 ダン!!!!
 ヴィクトリアは心のなかで机を叩いた。

(この男、どこまで私をおちょくれば気が済むの!?)

「では、素直じゃないですねとでも言っておきましょう」
「……」

 余裕たっぷりに笑うカーライルを、ヴィクトリアは睨みつけた。
 悔しいのは、彼と喧嘩することに対して、確かに苛立ちは感じているのに、少しだけ楽しいと思ってしまう自分もいることだ。

「……ほら、素直じゃない」
「…………五月蝿い。カーライルの馬鹿」

 ヴィクトリアは小さな声で、カーライルの悪口を言った。
 
 するとその時、「あ」と、カーライルはなにか思い出したような声を上げて、ぽんと手を叩いた。

「そういえば貴方が城に戻る前、『ヴィクトリア』を仮魔王に据える旨の手紙をいくつかの種族に出したら、とある一族から認めないと早速手紙が返ってきたんですが……貴方はどうしたいですか?」

「は??? ちょ、ちょっと待って。なんで今それ言うの!? そしてなんで勝手に出してるの!?」

 ヴィクトリアは慌てた。
 そういう報告は、もっと早くにしてくれないと困る。

「ほら、善は急げっていうでしょう」

 いや、それは善ではなく悪手だ。

(ていうか、何本人に内緒で勝手に手紙なんかだしてるの!?)

 ヴィクトリアはキレそうだった。

「誰から!? 誰から届いて……いやでも待って。五〇〇年もたってたら、私が知らない人の可能性も」

 少年だったルーファスとレイモンドが大人になっているのだ。代替わりしている可能性も捨てきれない。

「いやあ。これから色々、忙しくなりそうで楽しみですね? ヴィクトリア。心配せずとも大丈夫。私がそばにいますので」

(それが一番の不安要素なんだけど!?)

 楽しげに笑うカーライルの体をガクガク揺らして、ヴィクトリアは叫んだ。

「ふざけないで! 何が『楽しみ』よ。そもそもの原因は貴方でしょう!? カーライル!!!」
「あはははははは」
「笑ったってごまかされないんだから!」
「ははははははは」
「カーーーーライルッ!!!」

「……なんだかにぎやかだ」
「そうだな」
「陛下も、昔よりも楽しそうだ」

 顔を赤くして本気で怒るヴィクトリアを見つめて、喧嘩を始めた二人から距離を取って眺めていたルーファスは、そう言うと朗らかに笑った。

「……そうだな」
 そしてそんなルーファスの言葉を聞いて、レイモンドは静かに首肯した。


 月が光り輝く夜の世界に、まだ眠りは訪れない。
 魔王が帰還した城には、楽しげな笑い声が響いていた。

「もう、いい加減にして! 私の言うことを聞きなさいッ!!!」

 そうして。
 転生魔王の受難は、まだ続く(?)


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『前世魔王、500年後に人間として転生したらかつての臣下たちに溺愛されて困っています(若干ヤンデレ化してる気もするけどたぶん気のせいです)!』 転生魔王は帰還する!編【完】

2部 転生魔王は誘拐される!編は吸血鬼族編です。
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