「遊んでやるよ。人間!」
「陛下になんてことを!」

 翌日、リラ・ノアールにはまた子どもたちが訪れていた。

「気にしないでください。子どもはこういうものですから」
「しかし……」
「食後の運動ということで。ーーそれに、どうせ遊ぶなら、一緒に楽しんだほうがいいと思いせんか?」
「……わかりました」

 食事のあとは、ヴィクトリアと二人でのんびり過ごしたいと考えていたルーファスは、子どもたちを見て笑うヴィクトリアに嫌とは言えず一人ため息をついた。

「人間! 何かいい遊びを教えろ!」

 カーライルに脅されたにも関わらず、少年は今日もとても生意気だった。
 元気だなあとヴィクトリアは呑気に思った。

(可愛い。ヴィンセントとして生きていた頃は、お目にかかれなかった種類《タイプ》の子だ)

 天真爛漫。自由気まま。
 そんな言葉が似合う子どもは、五〇〇年前の魔界にはいなかった。

「そうですね……」

 ヴィクトリアは考えた。
 カーライルは部屋にいるようだし、城の中には入らず外で遊べて、子どもたちが満足できて――……複数人でやれる遊びが好ましい。

「では、けいどろはどうでしょう?」
「けいどろ?」
 生意気ガキ大将は首を傾げた。

「警察と泥棒、という遊びです」
 ヴィクトリアは、落ちていた石で地面に絵を描き始めた。

「まず警察と泥棒役に分かれて、警察役は泥棒役を捕まえます。捕まった泥棒は檻の中に入れられますが、泥棒は檻の中の仲間を助け出すこともできるという遊びなんです。……勝敗については、泥棒をすべて捕まえれば警察の勝ち、というのはどうでしょう?」
「全てですか?」

 ルーファスが尋ねる。

「はい。私もお昼からまた仕事がありますし、全員逃げきれば泥棒の勝利、一人以上残っていれば引き分けという事で」
「俺たちはそれでいーぜ! さっさと始めるぞ」
「それでは手の裏か表で決めましょう。少ない方を警察とします」

 結果として裏が少なく、裏を出したルーファスと二人の子ども、ヴィクトリアやその他大勢の子どもたちが表を出し泥棒になった。

「おい人間。簡単に捕まるなよ」
「頑張ります」

 リラ・ノアールには、城を取り囲むように森がある。

 けいどろにはその森を使うことになった。
 ヴィクトリアは、少年に向かって笑みを浮かべつつ、首をおさえた。

 時は少し前に遡る。
 カーライルにお願いして、死なない程度に罠を一時的に解除してもらったヴィクトリアだったが、その際に彼は彼女の首に触れると、静かな声で尋ねた。
「捕まる側になるなんて、そういうのが趣味なのですか?」
「裏か表でなっただけです」
 そしてヴィクトリアがあくまで強気に返したら、ふっと笑ってカーライルは言ったのだ。

「ああ。確かに脈拍に変動はないですし嘘はついていないようですね」
「な……っ」

 脈拍で嘘か真かを確かるなんて悪趣味がすぎる。
 首切り発言のあとだったので、何か怒らせたのかと思い一瞬怯んでしまった自分をヴィクトリアは後悔した。

「さっきから首抑えてるけど、どうかしたのか?」
「なんでもないです。ただ、ちょっと首が痛いな――……なんて」

 ヴィクトリアがあははと笑うと、少年はあからさまに眉をひそめた。

「試合の前に怪我とか何してるんだよ。相手はあの赤のルーファスだからな。油断大敵だぞ」
「……ルーファス様は子供ではないのですから、全力で立ち向かわれることはないと思いますけどね」

 カーライルに比べたら、ルーファスは温厚な方だとヴィクトリアは思う。
 子供との遊び程度で、彼が本気を出すはずがない。

「きっとぎりぎり避けられるくらいで追い回していると思いますよ」
「それはそれで悪趣味だろ」
 ヴィクトリアが笑って言えば、少年は顔を顰めた。

「しかし、赤のルーファスから逃げ切ったとあれば自慢出来るしな。俺は全力で逃げ切るぜ!」
「そうですか。頑張ってください」

 拳に力を込める少年の姿に、ヴィクトリアは微笑んだ。やはり子どもが楽しそうにしている姿は可愛くて和む。

「何言ってんた。勝つためには全員逃げなきゃいけないんだから、お前も全力で逃げるんだぞ」
「え……?」
「目指すは完全勝利! 逃げ切って逃げ切って逃げ切るんだ。でも、それでも駄目で、もし誰かが捕まったなら、そのときは助けに行くんだ」

 少年は目を輝かせる。
 その瞳は、やはりヴィクトリアがヴィンセントとして見てきた、セレネの子どもたちとは違っていた。

「仲間なら、助け合うものだからな」
「泥棒なのに熱血ですね」
 子供の言葉一つ一つが、ヴィクトリアは心地よく思えた。
 
(魔族の子供のなかに、そんな考え方をする子がいるなんて――)

「え?」
 それが嬉しくて――嬉しいのに、涙が溢れる。

「お、おい? どうしたんだよ。人間」

 ヴィクトリアが笑みを浮かべたまま涙を瞳に浮かべると、少年は彼女に手を伸ばした。
 しかし二人の間をさくように風が起こり、その瞬間ヴィクトリアはルーファスに抱きしめられていた。

 葉が宙に舞う。
 ヴィクトリアの服の長い裾は、大きく捲れ上がる。
 ヴィクトリアは、慌てて服を手で押さえた。

「――捕まえました」
 ルーファスは、そう言ってヴィクトリアを抱く腕に力を込めた。

「……る、ルーファス様!?」
「陛下。暴れないでください。――私は貴方を迎えに来ただけなのですから」

 ルーファスは耳元で甘く囁く。
 少年は、ヴィクトリアを抱きしめたルーファスを見上げ顔を赤くすると、こう叫んで逃走した。

「いいか? 完全勝利だ! 俺が迎えに来るまでちゃんと待っていろよ!」
「……ふふ……面白い。私相手に宣戦布告とは」

 少年の言葉に、ルーファスはなぜか笑っていた。

「る、ルーファス……?」
 ヴィクトリアは、何故か昔本で読んだ、魔王に攫われたお姫様を勇者が助けに行く話を思い出した。

(おかしいな。本当は、魔王は私だっていうのに)

「……ルーファス様は捕まえには行かれないのですか?」
「はい。私がここにいれば、陛下を私から攫おうとする不届き者からお守りできますので」

(守るっていうか、迎えに来る子どもたち(泥棒)のほうが私の仲間なんだけどね?!)

 ヴィクトリアは、きらきらした笑みを浮かべるルーファスが、この遊びをちゃんと理解しているのか少し不安になった。

「……貴方さえここにいらっしゃれば、少なくとも負けることはないわけですし」

 ヴィクトリアははははと乾いた笑みを漏らした。

(うん。ルーファスはちゃんとこの遊びを理解している)

 子ども相手に全力を出す大人は確かに見苦しい。
 しかし、完全勝利を目指す子どもの熱意を完全に叩き伏せる大人はどうだろう?
 もっと大人気ないと思うのは私だけなんだろうか――地面に描かれた囲いの中で蹲り、ヴィクトリアはふうと溜め息を吐いた。

「ルーファス様、お願いがあるのですがよろしいでしょうか」
「何なりとお申し付けください」
「この檻の範囲ですが、もう少し広くすることひできないでしょうか?」
「なぜですか?」
「……」

 勿論、彼らが助けに来るときのことを考えてのことだ。
 しかしそれを言うことは出来ないので、ヴィクトリアはルーファスが好みそうな答えを返した。

「少し狭くて。……もう少し広いほうが、くつろげる気がして」

 『ここ、ちょっと狭いからもっとひろげてくるない?』警察に対してこんなことを言う泥棒はいないだろうが、相手は自分を陛下と呼ぶルーファスだ。
 多少は考慮してくれるだろうと思っての言葉だった。

「大変失礼いたしました!」
 ルーファスはそう言うと、檻の範囲を広げたあとに、さっとどこからか椅子と机を取り出した。

「え?」
 今のどこから出したの? ヴィクトリアが呆然としていると、ルーファスは苦笑いして頬をかいた。

「陛下と過ごせるのがうれしくて、気がまわらず申し訳ございません。ずっと陛下がお立ちになっていたことに気がまわっておりませんでした。本やお菓子もご準備しておりますので、なんでも私にお申し付けください」

 メイド服を着ているのはヴィクトリアなのだが、ルーファスは完全に忠犬と化していた。 

「じゃあ本をいただけますか……?」
「はい!」
 命令を心待ちにしているかのような彼の姿に、ヴィクトリアは苦笑いしてそう『お願い』した。



 その様子を窺っていた子どもたちは、完全にこちらは眼中にないルーファスに対して怒りを募らせていた。

「ルーファス様と人間がべったりだったら面白くないじゃん!」
「ていうかなんでルーファス様が給仕してるんだよ!」
「人間はなんで本を読みながらのんきに紅茶なんか飲んでるんだ!?」
 魔族の序列三位を顎で使う人間の女なんてありえない。

「へーか、って呼んでたし、もしかしてあの女ってすごいやつなのか?」
「それはないだろ。ただの人間だぞ」
「ただの人間がルーファス様やカーライル様とあんなにしたしげに出来るもんなのか?」
「とうでもいいだろそんなこと!」

 これでは話がまとまらない。
 少年の言葉に、子どもたちは口を閉じた。

「これは勝敗のある遊びなんだ。俺たちがやることは、完全勝利のために、人間を助け出すことだ。こんなに馬鹿にされたんだ。引き分けなんてお前たちも嫌だろう? だったら今は、あの人間が何者かなんて論議している場合じゃない」

 少年の演説に、子供たちは目を輝かせる。指導者が誕生した瞬間だった。

「悪逆非道な警察、赤のルーファスから、人間を助けるぞ!」
 
 時間はもうあまり残されていない。
 もうすぐお昼の休憩が終わるし、この勝負は引き分けかと思いヴィクトリアは本を閉じた。

 迎えに来ると言ってくれていたが、結局それは叶わなかった。
 でも仕方のないことだ、ともヴィクトリアは思った。
 自分より強い相手に勝負を挑むのは難しい。子供が何人たばになろうが、ルーファスには敵わない。

(――あれ?)

 しかしその時、ヴィクトリアは『気配』を感じ取って後ろを振り向いた。彼女の隣にいたルーファスもほぼ同時に振り返る。
 
 そこにいたのは。
 翼をはやした子供が、真っ直ぐにヴィクトリアのもとに降りてきていた。
 魔道具による翼の特徴――翼は虹色の光を放つ金平糖のようなものを纏っていた。

「な、なんで気付くんだよっ!?!?」
「飛行補助用の魔力に気づかないわけがないだろう」
 背後からの奇襲がバレて慌てる子供に対して、ルーファスはさらっと言った。

 子供用の魔法道具は、大人が子供を補助するために感知魔法が付けられている。
 安全性を第一に作られているが、見栄を張りたがる子どもには教えない大人が多い。

 因みに信頼と安心の魔道具店エイプリルは、子供向けの練習用を表向きは取り扱う店だ(表向きでないものは口に出せない)。

 店主である魔女アフロディーテ(美魔女)は、過去ヴィンセントに結婚を迫ってきた女性のうちの一人だ。
 半分人間であるヴィンセントの体の作りを確かめて、人間と魔族の違いについて研究させて欲しいと宣った異常者のことは、ヴィクトリアのなかに悪夢として記憶に刻まれている。

 鋭利な刃物を手に、「痛くしないから……」と距離を詰められたときは、本気で解剖されるかと思ったものである。

 ひと目でヴィンセントが女と見抜いていた上で、実験目的に魔王の体を求めた魔族は彼女だけだった。
 ヴィクトリアは胸を抑えた。
 魔族の中では当時珍しく、人間を劣等種とは言っていなかったため多少交流を持っていたが、彼女からすれば『知的好奇心を抱けない全ての生き物は存在する価値がない』とのことだったので、人間魔族問わず生き物=実験対象だったのは気のせいなのだ。

 心理的付加のせいで心臓が痛い。
 製作者は危険極まりないが安全性だけならセレネいちだ。
 
 子どもはルーファスに捕まるだろう。そうして終わりの時間が訪れる。
 ヴィクトリアはそう思い視線をそらしたが、空中からありえない音がして目を見開いた。

「え?」
 ぱちんと、割れてような音。
 それは、魔法が壊れたときの音だった。

「わあああああああっ!!!」
「まずい」

 ヴィクトリアは地面を強く蹴った。
 逃げやすさを考慮して檻を広くしてもらったのが幸いした。

「――地面に降りるまでの上空も柵のうちということで」

 ヴィクトリアは、墜落した子供を抱えたまま木の上に降りると、何事もなかったようににこりとルーファスに笑いかけた。

「仲間に迎えに来てもらったので、私はこのまま逃げます」
 ルーファスは呆然と、立ち去るヴィクトリアを見つめていた。

 ゴーン。ゴーン。ゴーン。

 城に取り付けられた鐘の音が鳴り響き、泥棒たちは勝利のあまりわあっと声を上げた。

「人間のくせにやるじゃん」
「助けてもらっておいてなんていいぐさだ!」

 時間ギリギリで泥棒の勝利だ。
 泥棒だった子どもたちは、墜落してきた少年を英雄のように讃え、人間と呼ぶ相手に最後助けてもらったことはまるでなかったような扱いだった。

「だってルーファス様はへーかってしか呼ばないから名前知らないし」
 頭にげんこつを入れられた少年は口を尖らせた。

「ヴィクトリア。ヴィクトリアって言います」
「ふーん」
 子どもはそれだけ言うと、ぷいっと微笑む彼女から顔をそむけた。

「せっかく勝負に勝ったことだし、人間が呼んでほしいっていうなら、呼んでやらなくもないけど」
 少年は下手な口笛を吹く。

「……因みに俺の名前はコリンっていうんだぞ」
 ボソッとコリンは呟いた。

「へえ。そうなんですね」
 ヴィクトリアは頷いた。

「……………他になにかないのか?」
「他にとは?」
 ヴィクトリアは首を傾げた。何やら目の前の少年は不満げだが、理由が全く思いあたらない。

「名前を教えるっていうことは、呼んでもいいってことだろ!」
「ああ。なるほど。では……」
 ヴィクトリアはコホンと咳き込んでから彼の名前を呼んだ。

「コリン様?」

 魔族相手、しかもおそらくちゃんとした家の子どもたちだ。
 人間である自分は様付けすべきかと判断してヴィクトリアがそう呼べば、少年の顔か真っ赤に染まった。

「……べ、別にお前に名前を呼ばれたからって、嬉しくなんてないんだからな!!!」
「はい。理解しています」 
「なんでそうなるんだよっ!」
「????」 

 声を荒げるコリンを前に、ヴィクトリアは首をかしげた。

 年頃の男の子の考えは、昔も今もよくわからない。
 せめてヴィンセント時代関わりのあった子どもたちと似ていれば対応ができるのだろうが、ルーファスともレイモンドとも違う言動だから対応に困る。
 敵意は持たれていないように感じるけど、彼が顔を赤くする理由や、自分に無駄につっかかってくる理由は、ヴィクトリアにはわからなかった。

「…………ルーファス様?」

(私の後ろに立っているルーファスの纏う空気が明らかに冷たくなったのは気のせいかな?)

 子どものことで頭を悩ませつつ、ヴィクトリアが振り返って彼の名前を呼べば、満面の笑みのルーファスは手に武器を持っていた。

「陛下。礼儀のなっていない子どもに罰を与えるのも大人の仕事だとは思われませんか?」
「何言っているんですか?」

 ヴィクトリアは混乱した。
 ルーファスもコリンも、どう対応すべきかわからなくて収拾がつかない。

「とりあえず武器を下ろしてくださいませんか? 子どもたちが怯えてしまいます」

 とりあえず、安全第一で行動しよう。
 ヴィクトリアがルーファスの剣に触れたときだった。


 キイイイイイイイイイイ!!!!


 甲高い音がして、ヴィクトリアは耳を抑え背後を振り返った。
 結界を何者かが壊した音。
 これほどの音となれば、よほど大きなヒビが入ったはず。
 しかし不思議なことに、ルーファスやコリンたちが音に気付いた様子はなかった。

「ぐ……っ!」
 頭に響く音に、目眩がしてヴィクトリアはしゃがみこんだ。

「陛下!? どうされたのです?!」
「どうしたんだよ。ヴィクトリア!」

 ルーファスとコリンはヴィクトリアに素早く駆け寄った。
 その時すぐ横の草むらから、ガサリ、という音がした。
 そして侵入者は、ヴィクトリアたちの前に姿を表した。

「――え?」

 古龍。
 黒い煙を纏う金色の瞳の龍は、ヴィクトリアたちを睨みつけていた。