「あれ? 傷が治ってる?」
村から戻った翌朝、ヴィクトリアは着替えの際自分の腕を見て驚いた。
レイモンドとの試合の時、彼に切りつけられた場所が傷一つなく治っていたのだ。
「レイモンドにざっくりやられたから、絶対残ると思ったのに……」
ましてや今は人の体だ。人間の治癒力は魔族に劣る。
鏡に映る自分の姿を見て首を傾げる。心なしか肌艶も良い気がするし、髪の毛も何故か綺麗な気がする。
(気にしすぎかな……?)
ヴィクトリアが鏡を前に首を傾げていると、コンコンと誰かが扉を叩いた。
「陛下、お着替えはもう終わりましたか?」
「あっ。まだですっ!」
ルーファスが扉越しに聞こえて、ヴィクトリアは慌てて服を着替えた。
村から帰ってみると、部屋にあったメイド服はつくりと色が大きく変わっていた。
以前は黒一色だったが、今度は真っ赤だ。
メイド服というより、エプロンがついたドレスのようにも見える服は、ルーファスの(趣味が悪いとヴィクトリアが思う)服の中から、マシなものを改造したもののようにも見えた。
「やはり陛下は、赤がよくお似合いですね」
赤のルーファスと呼ばれた男は、にこにこと人に好かれそうな笑顔を浮かべてヴィクトリアの髪を整えた。
ルーファスは当然のようにヴィクトリアを仕事場まで送り届けると、こそっと耳打ちしてからその場をあとにした。
『お昼になったら、また迎えに参ります』
ヴィクトリアは、思わず耳を手で押さえた。ルーファスの美声で耳元で囁かれるとくすぐったいし何故か胸が騒ぐ。
こんなことでどきどきするなんてどうかしている――ルーファスは、そんなつもり無いだろうのに。
自分に向かって大きく手を振る彼に、小さく手を振り返しながら、ヴィクトリアは心の中で溜息した。
「どうしてそんなに浮かない表情をしているんだい?」
「……お、おはようこざいます。ミゼルカさん」
「おはよう。昨日は家に帰ったと聞いていたけれど、今日はまた随分可愛い服を着ているんだね。誰かに仕立ててもらったのかい?」
「お城に帰ったらこんな色になっていて……」
ヴィクトリアは裾を持ち上げつつ視線をそらした。断じて、こんな女の子女の子した服は自分の趣味ではない。
どちらかというと、この間の執事服のほうが動きやすいし目立たなそうで好きだった。
「なるほどね。まあ、若いときにだけ着れる色ってもんもある。せっかくの好意だ。受け取るのも若いものの役目ってもんさ」
「……」
ヴィクトリアの背をバンバン叩いて、ミゼルカは豪快に笑った。
◇
「お待たせいたしました! 陛下」
お昼になると、ルーファスは宣言どおりお弁当を抱えてやってきた。そして、彼の後ろには――…。
(あれ? なんで……?)
「レイモンドも連れてきました」
「――おい。ルーファス」
見るからに同意のもとではない。
無理やり連れてこられた、という顔をして、レイモンドはルーファスを睨みつけていた。
「いいだろう。お前も同席しろ」
「……なんで俺が」
「以前陛下――ヴィンセント様ともこちらで食べたことがあるだろう。陛下が記憶を取り戻されるためにも、お前も一緒のほうがいい」
「……」
ルーファスの言葉に、ヴィクトリアはほっと胸をなで下ろした。
今のところ、ルーファスは自分に記憶があることに気づいてはいないらしいと安堵する。
ルーファスは、レイモンドの小言を無視して弁当を広げた。
大人三人分にしては量が多い。
六人分はありそうな量を、二人は黙々と平らげていく。
(よく食べるなあ……。うんうん。子どもがたくさん食べて大きくなるのいいことだよね)
なんとなく、二人を見ていると、ヴィクトリアは親心のようなものが自分の中に生まれるのを感じた。
二人の姿を見て、ヴィクトリアはふふと笑う。
観察していて驚きだったのは、レイモンドの食べ方が意外ときれいな割に、ルーファスはちょっと豪快だったことだ。
ヴィクトリアはルーファスから、狼というか、動物っぽさを感じた。
しみじみとそんなことを思っていると、いきなりルーファスに匙を向けられてヴィクトリアは固まった。
「陛下。これ、美味しいですよ!」
「へ?」
(うん? 何故私は、食べ物を差し出されているんだろう?)
「口を開けてください。陛下」
「えっ? あの……」
「さっ。……ね?」
「えっと……」
ルーファスが絵本の中の王子様のような顔をして微笑んだ。
さっきまで豪快に肉を食べていたのにギャップがすごい――ではなく。
(こ……これはもしかして、『あーん』というやつなのでは!? 本では恋人や幼子にするものだと読んだのになんで私がルーファスに!?)
「わ、私はいいです。ルーファス様が召し上がってください」
恥ずかしくなって顔の周りに手を出せば、ヴィクトリアはルーファスにその手を掴まれた。陛下呼びの割に強引な扱いに混乱する。
「はい。あーん」
ルーファスは、満面の笑みを浮かべていた。
ヴィクトリアは心の中で悲鳴を上げた。
(れ、レイモンドの……前世とはいえ育て子の前で、子どもの幼馴染の男の子にあーんは恥ずかしすぎる!!!)
「る、るーふぁ……」
ぱくん!
きゅっと強く目を瞑り、震える声で彼の名を呼べば、何故か目をあけるとレイモンドがルーファスの匙を咥えていた。
「何するんだレイモンド!」
「固まっているやつをからかうのは関心しない。俺はもう行く」
「レイモンド!」
ルーファスは珍しくお怒りだった。ヴィクトリアは、ルーファスから視線が外れてほっと息を吐いた。
とりあえず、危機は免れた。
ルーファスがレイモンドにあーん、というのはちょっと絵面的に微妙だったかもしれないけれど、ヴィクトリアはレイモンドに心の中で礼を言った(ルーファスの手前口には出せなかったが)。
――ありがとう。レイモンド。
レイモンドは、何事もなかったようにそのまま城の方へ向かっていった。
「……陛下に食べていただきたかったのに」
ヴィクトリアがレイモンドの背を見送っていると、拗ねたようにルーファスが言った。
「ご、ごめんなさい。でももうお腹いっぱいだから……」
本当は他に問題があるのだが、とりあえず彼を傷つけないよう、ヴィクトリアは笑って誤魔化した。
「じゃあ、明日は私の手から食べてくださいますよねっ!」
(そういえば狼は狩りの後に一度食べ物を飲み込んで、巣で吐き戻して食べ物を子どもや妻に与える習性があると昔本で読んだな……うん。たぶん気のせいだよね)
期待の目を向けるルーファスを前に、ヴィクトリアは現実逃避した。
◇
穏やかに時間は過ぎる。
カーライルは三人の様子を窓越しに眺めながら、一人嘆息した。
「全く、いつもいつも懲りない連中だ」
悲鳴を上げる暇もなく侵入者を殺す。
せっかくの彼女の昼食を邪魔しようとするなんて、無粋がすぎるとカーライルは思った。
「イーズベリーを育てるには、この城以上の場所はない」
ヴィクトリアを招いた夜会では、彼女のために一応『ちゃんと育てられた』イーズベリーを取り寄せたが、これまでカーライルが宴で出してきたそれは、全てこの城で育てたものだ。
弱肉強食の食物連鎖。
花の餌になりたくなければ従えと、そういう意味で花は飾られてきた。
邪な心根を持つ者への見せしめとして、侵入者の所持品で花を飾ったとき、一部の魔族が顔を青ざめさせたのは見ものだった。
「雑魚はおいておいて……この報告書は問題か」
カーライルは、レイモンドとルーファスから提出された書類を見て呟いた。
「デュアルソレイユにおける、魔物の暴走……」
五〇〇年前、セレネとデュアルソレイユを繋ぐ門は塞がれた。
それはカーライル自身の糸によって行なわれているもので、破られた形跡はない。
魔物の暴走は、五〇〇年前はよく起きたことだ。
魔族以外にとって、魔素は毒でしかない。
報告によると、漏れ出た月《セレネ》の魔素を吸い込んで、デュアルソレイユの生き物が凶暴化し、人里を襲ったとあった。
レイモンドがいち早くそれに気づいて対応し、ルーファスも彼と協力して、暴走は全て食い止められはした。
――だが原因が分からないと、また同じことが起きかねない。
「まだ人間に発覚していないのが幸い、か。けれど同じようなことが続けば……対策は、早めに講じなければならない」
カーライルはひとりごちると、ヴィクトリアに見つからないように報告書に火をつけた。
村から戻った翌朝、ヴィクトリアは着替えの際自分の腕を見て驚いた。
レイモンドとの試合の時、彼に切りつけられた場所が傷一つなく治っていたのだ。
「レイモンドにざっくりやられたから、絶対残ると思ったのに……」
ましてや今は人の体だ。人間の治癒力は魔族に劣る。
鏡に映る自分の姿を見て首を傾げる。心なしか肌艶も良い気がするし、髪の毛も何故か綺麗な気がする。
(気にしすぎかな……?)
ヴィクトリアが鏡を前に首を傾げていると、コンコンと誰かが扉を叩いた。
「陛下、お着替えはもう終わりましたか?」
「あっ。まだですっ!」
ルーファスが扉越しに聞こえて、ヴィクトリアは慌てて服を着替えた。
村から帰ってみると、部屋にあったメイド服はつくりと色が大きく変わっていた。
以前は黒一色だったが、今度は真っ赤だ。
メイド服というより、エプロンがついたドレスのようにも見える服は、ルーファスの(趣味が悪いとヴィクトリアが思う)服の中から、マシなものを改造したもののようにも見えた。
「やはり陛下は、赤がよくお似合いですね」
赤のルーファスと呼ばれた男は、にこにこと人に好かれそうな笑顔を浮かべてヴィクトリアの髪を整えた。
ルーファスは当然のようにヴィクトリアを仕事場まで送り届けると、こそっと耳打ちしてからその場をあとにした。
『お昼になったら、また迎えに参ります』
ヴィクトリアは、思わず耳を手で押さえた。ルーファスの美声で耳元で囁かれるとくすぐったいし何故か胸が騒ぐ。
こんなことでどきどきするなんてどうかしている――ルーファスは、そんなつもり無いだろうのに。
自分に向かって大きく手を振る彼に、小さく手を振り返しながら、ヴィクトリアは心の中で溜息した。
「どうしてそんなに浮かない表情をしているんだい?」
「……お、おはようこざいます。ミゼルカさん」
「おはよう。昨日は家に帰ったと聞いていたけれど、今日はまた随分可愛い服を着ているんだね。誰かに仕立ててもらったのかい?」
「お城に帰ったらこんな色になっていて……」
ヴィクトリアは裾を持ち上げつつ視線をそらした。断じて、こんな女の子女の子した服は自分の趣味ではない。
どちらかというと、この間の執事服のほうが動きやすいし目立たなそうで好きだった。
「なるほどね。まあ、若いときにだけ着れる色ってもんもある。せっかくの好意だ。受け取るのも若いものの役目ってもんさ」
「……」
ヴィクトリアの背をバンバン叩いて、ミゼルカは豪快に笑った。
◇
「お待たせいたしました! 陛下」
お昼になると、ルーファスは宣言どおりお弁当を抱えてやってきた。そして、彼の後ろには――…。
(あれ? なんで……?)
「レイモンドも連れてきました」
「――おい。ルーファス」
見るからに同意のもとではない。
無理やり連れてこられた、という顔をして、レイモンドはルーファスを睨みつけていた。
「いいだろう。お前も同席しろ」
「……なんで俺が」
「以前陛下――ヴィンセント様ともこちらで食べたことがあるだろう。陛下が記憶を取り戻されるためにも、お前も一緒のほうがいい」
「……」
ルーファスの言葉に、ヴィクトリアはほっと胸をなで下ろした。
今のところ、ルーファスは自分に記憶があることに気づいてはいないらしいと安堵する。
ルーファスは、レイモンドの小言を無視して弁当を広げた。
大人三人分にしては量が多い。
六人分はありそうな量を、二人は黙々と平らげていく。
(よく食べるなあ……。うんうん。子どもがたくさん食べて大きくなるのいいことだよね)
なんとなく、二人を見ていると、ヴィクトリアは親心のようなものが自分の中に生まれるのを感じた。
二人の姿を見て、ヴィクトリアはふふと笑う。
観察していて驚きだったのは、レイモンドの食べ方が意外ときれいな割に、ルーファスはちょっと豪快だったことだ。
ヴィクトリアはルーファスから、狼というか、動物っぽさを感じた。
しみじみとそんなことを思っていると、いきなりルーファスに匙を向けられてヴィクトリアは固まった。
「陛下。これ、美味しいですよ!」
「へ?」
(うん? 何故私は、食べ物を差し出されているんだろう?)
「口を開けてください。陛下」
「えっ? あの……」
「さっ。……ね?」
「えっと……」
ルーファスが絵本の中の王子様のような顔をして微笑んだ。
さっきまで豪快に肉を食べていたのにギャップがすごい――ではなく。
(こ……これはもしかして、『あーん』というやつなのでは!? 本では恋人や幼子にするものだと読んだのになんで私がルーファスに!?)
「わ、私はいいです。ルーファス様が召し上がってください」
恥ずかしくなって顔の周りに手を出せば、ヴィクトリアはルーファスにその手を掴まれた。陛下呼びの割に強引な扱いに混乱する。
「はい。あーん」
ルーファスは、満面の笑みを浮かべていた。
ヴィクトリアは心の中で悲鳴を上げた。
(れ、レイモンドの……前世とはいえ育て子の前で、子どもの幼馴染の男の子にあーんは恥ずかしすぎる!!!)
「る、るーふぁ……」
ぱくん!
きゅっと強く目を瞑り、震える声で彼の名を呼べば、何故か目をあけるとレイモンドがルーファスの匙を咥えていた。
「何するんだレイモンド!」
「固まっているやつをからかうのは関心しない。俺はもう行く」
「レイモンド!」
ルーファスは珍しくお怒りだった。ヴィクトリアは、ルーファスから視線が外れてほっと息を吐いた。
とりあえず、危機は免れた。
ルーファスがレイモンドにあーん、というのはちょっと絵面的に微妙だったかもしれないけれど、ヴィクトリアはレイモンドに心の中で礼を言った(ルーファスの手前口には出せなかったが)。
――ありがとう。レイモンド。
レイモンドは、何事もなかったようにそのまま城の方へ向かっていった。
「……陛下に食べていただきたかったのに」
ヴィクトリアがレイモンドの背を見送っていると、拗ねたようにルーファスが言った。
「ご、ごめんなさい。でももうお腹いっぱいだから……」
本当は他に問題があるのだが、とりあえず彼を傷つけないよう、ヴィクトリアは笑って誤魔化した。
「じゃあ、明日は私の手から食べてくださいますよねっ!」
(そういえば狼は狩りの後に一度食べ物を飲み込んで、巣で吐き戻して食べ物を子どもや妻に与える習性があると昔本で読んだな……うん。たぶん気のせいだよね)
期待の目を向けるルーファスを前に、ヴィクトリアは現実逃避した。
◇
穏やかに時間は過ぎる。
カーライルは三人の様子を窓越しに眺めながら、一人嘆息した。
「全く、いつもいつも懲りない連中だ」
悲鳴を上げる暇もなく侵入者を殺す。
せっかくの彼女の昼食を邪魔しようとするなんて、無粋がすぎるとカーライルは思った。
「イーズベリーを育てるには、この城以上の場所はない」
ヴィクトリアを招いた夜会では、彼女のために一応『ちゃんと育てられた』イーズベリーを取り寄せたが、これまでカーライルが宴で出してきたそれは、全てこの城で育てたものだ。
弱肉強食の食物連鎖。
花の餌になりたくなければ従えと、そういう意味で花は飾られてきた。
邪な心根を持つ者への見せしめとして、侵入者の所持品で花を飾ったとき、一部の魔族が顔を青ざめさせたのは見ものだった。
「雑魚はおいておいて……この報告書は問題か」
カーライルは、レイモンドとルーファスから提出された書類を見て呟いた。
「デュアルソレイユにおける、魔物の暴走……」
五〇〇年前、セレネとデュアルソレイユを繋ぐ門は塞がれた。
それはカーライル自身の糸によって行なわれているもので、破られた形跡はない。
魔物の暴走は、五〇〇年前はよく起きたことだ。
魔族以外にとって、魔素は毒でしかない。
報告によると、漏れ出た月《セレネ》の魔素を吸い込んで、デュアルソレイユの生き物が凶暴化し、人里を襲ったとあった。
レイモンドがいち早くそれに気づいて対応し、ルーファスも彼と協力して、暴走は全て食い止められはした。
――だが原因が分からないと、また同じことが起きかねない。
「まだ人間に発覚していないのが幸い、か。けれど同じようなことが続けば……対策は、早めに講じなければならない」
カーライルはひとりごちると、ヴィクトリアに見つからないように報告書に火をつけた。