(なんで城に子どもたちが!?)

 ヴィクトリアが驚いていると、その直後、ルーファスが悲鳴を上げた。

 振り返ってみれば彼が用意した昼食にも、泥団子が直撃していた。

(まずい。これはどうにかしないと……!)

 ぷるぷる震えるルーファスを見て、ヴィクトリアは立ち上がった。
 子どもが元気なことは良いことだ。
 けれど、やっていいことと駄目なことを教えるのはも大人の役目だ。

「へっへっへ! こんなのも避けれないなんてよわっちーの! 魔王城に居るくせに、それでいいわけ???」

 生意気な少年がそう口にすれば、周りの子どもたちもヴィクトリアたちを見て嘲笑う。
 彼らは、再び泥団子を手にすると、ヴィクトリアに向かって投げつけた。
 しかしそれが、彼女に届くことはなかった。

「え……?」

 ヴィクトリアは、自分を守ってくれたものを見て目を瞬かせた。
 それは、糸というより縄というに相応しかった。
 泥団子を掴んだ縄は、ぐしゃりと見せつけるようにそれを握り潰した。泥団子に混じった石は、縄によって粒子となりさらさらと地面に落ちていく。

「何をしている」

 氷のような、冷たい声だった。

「リラ・ノアールに来ることは許可したが、城の者に危害を加えていいという許可を出してはいない」

 縄の主人――カーライルは、ギラリと光る糸を子どもたちに向けた。

「カーライル!」

 ヴィクトリアは、思わずその糸を掴んでいた。

「……っ!」

 糸は、まるで切れ味のいい刀のように、ヴィクトリアの手のひらに傷を作った。
 カーライルは、痛みで顔を歪めたヴィクトリアの腕を掴んで、自分の方へと引き寄せた。

「……一体なんのつもりですか。危うく貴方の手を切り落とすところでした」
「それはこっちの台詞です。子どもを脅すなんて、一体何を考えているんですか」
「貴方を汚したのだから当然だ」

 カーライルは平然と答え、ヴィクトリアの腕に自分の糸で作ったらしい包帯をくるくる巻いた。

「貴方を傷付けるものなんて、この世界には必要ない」
「……別に私は傷つけられていません。服が少し汚れて、彼らが貴方に怒られるんじゃないかなと少し怖かっただけです」
「……はっ。怖い? この私が?」

 カーライルの声に苛立ちのようなものが交じったのがヴィクトリアにはわかった。
 怪我の処置を終えたカーライルは、ヴィクトリアの唇に触れて、紫の瞳で彼女を静かに見下ろした。

「つい先程まではこの唇で、ルーファスには可愛いとも言っていたのに?」
「……何故それを知っているんですか?」

 ヴィクトリアはドキリとした。

「ご存知でしたか? 執務室からは、この場所がよく見えるんですよ。貴方のことは、レイモンドとのやり取りから全て見ていました」 
「!!!」

 ヴィクトリアは、当初の自分の目的を思い出して心の中で頭を抱えた。

 そもそも魔王の執務室から見るために、ここに木を植えたのだった。
 誤算だ。
 前世で癒やしを求めたばかりに、お気に入りの場所がカーライルの監視下になってしまった。

「他の男には簡単に赤くなるのに、私を前にすると青くなるなんて、貴方は本当にひどい人だ」
「……!」
 
 カーライルはそう言うと、ヴィクトリアの唇を指で撫でた。

「指輪が欲しいというのなら、貴方にはお渡ししましょう。私が気に食わないときに、殺す権限があれば安心ですか? ……貴方になら、私は食べられても構わないとすら思っているのに、貴方は私に、自分の正体すら話してはくれないのですね」

 カーライルは、蜘蛛と雪女の血を引く魔族らしい言葉を口にした。
 それは彼の種族から考えれば、どれも愛を誓う言葉だ。
 最低だと思っていたはずの前世の幼馴染が、今はひどく弱々しく見えて、ヴィクトリアは戸惑いを隠せなかった。

「……それとこれとは、話が別です」
 ヴィクトリアはカーライルの手を自分から離した。

「子どもたちを傷つけるのはやめてください。子どもが元気に遊んで何が悪いんですか。それが彼らの仕事でしょう?」
「……わかりました。貴方がそうおっしゃるなら、今はやめておきましょう。それが仕事だというのなら。ただ、また貴方に迷惑のかかる遊びをした時は、子どもといえどその首を切り落とします」 

 カーライルはそう言うと、ヴィクトリアたちに背を向けた。


☆★☆★☆


「なんだかとんでもないことになってしまいましたね」

 まさか、執務室からよく見えるところに木を植えたことが裏目に出るなんて――。

 ルーファスは、カーライルが巻いた包帯を心配そうに見つめながら言った。
 理由はよくわからないが、カーライルが子どもたちを城に招いたのには間違いないらしい。
 だがそんな子どもたちに対して、城で人に迷惑をかけた場合は処罰するなんて、横暴もいいとこだろうとヴィクトリアは思った。
 子どもが大人を振り回すのは普通のことだろうに。
 
「迷惑かけない遊びって言ったってさ、どうすればいいんだよなって話だよな」
「因みに普段はどんな遊びをしてるの?」
「本にいたずらがき!」
「罠を作ったり! 大人を落とし穴に落としたり!!」

 子どもたちは嬉々として答えた。
 ヴィクトリアは頭痛がした。

「リラ・ノアールで罠ですか……。作る前に、罠で死にそうな気もしますが……」

 ヴィクトリアはルーファスの言うとおりだと思った。
 それにカーライルは、子供であろうと容赦はしないだろう。
 なら、遊ばせるならせめて外がいいかもしれないとヴィクトリアは思った。
 罠の危険度は、城の中のほうが明らかに高い。

「とりあえずみんなは手を洗って。そこから考えましょう」
「はーい!」

 子どもたちは手を上げる。
 エイルやアルフェリアの前では子ども側のヴィクトリアだったが、幼い子どもたちを前にすると、昔の感覚が蘇ってくるのを彼女は感じた。

 人間同士の戦争で、大人がかりだされたことで今子どもが少ない村では、沢山の子どもたちがこのように並んで手を洗うところなんて見ることはできない。
 ヴィクトリアが、子どもたちを見てかつて自分が大切にしていた子たちを思い出して目を細めていると、いつの間に彼らの中で勝負が始まってしまっていた。

「もこもこだー!」
「俺のほうがすごいぞ!」 
「言ったな? なら、勝負だ!!!」
「……こ、こら! お前たち!」

 ルーファスが慌てて子どもたちを止める。
 彼が慌てるのも無理はない。カーライルの糸は遠距離でも行使が可能なのだ。
 ヴィクトリアは、子どもたちの対応をルーファスにまかせて腕組みして考えていた。

(迷惑にならない遊び。子供が喜びそうな、泡、泡……)

「そうだ!!」
 ヴィクトリアは手を叩いた。

「陛下? どうなさったのですか?」
「ついてきてください。 ルーファス様!」

 名案を思いついた。きっとこれなら、カーライルも怒らない。ヴィクトリアはにっと笑って、ルーファスの手を引いた。

「きっと、これなら合格ですよ!」


☆★☆★☆


 子どもを城に招いたのは完全に失敗だった――。カーライルは、書類を片付けながら頭をおさえた。

「……失策だったか。ヴィンセントをあんなに怒らせてしまうなんて」

 彼女が自分だけを瞳に映し、怯えられるのはそれはそれで楽しくもあったが、他の男とは仲良くする彼女に敵意を向けられたことが、カーライルは気に食わなかった。

「男として昔は振る舞っていたくせに、今はあの程度であんな反応をするなんて」

 その反動かもしれない、とも思う。

 女として扱われていなかったから、異性として接することに慣れていないし、好意を向けられることにもヴィクトリアは慣れていない。 
 そんな相手に距離を詰めるのは失敗だったかと思いつつ、ルーファスには明らかに動揺していたヴィクトリアを思い出し、思わず窓ガラスにひびを入れた。

「……ものに当たるのは良くないな」

 苛々する。原因は分かりきっている。せっかく見つけた想い人が、自分の方を一向に向いてくれないからだ。

「……『ヴィンセント』」

 その名で呼んでいた時は、自分だけが彼女の幼馴染だった。
 自分だけが、彼女の特別だった。でも今その名で呼んだとしても、彼女が振り向いてくれることはない。

「――……?」
 カーライルは、せめて窓から彼女の姿を確かめようとした。
 そして、彼女と子どもたちの姿を見付けて――思わず胸をおさえた。
 
 藁の筒を口に咥えて、彼女がふう、と息をふきこめば、光を浴びた虹色の玉が、空高くのぼっていく。

 子どもたちはそれを追いかけて、楽しそうに走り回っていた。
 確かにこれなら、誰も傷つかないしよごれない。自分も、彼女の『遊び』認めざるをえない。

「……」

 カーライルの視線に気付いたらしいヴィクトリアは、彼がいる執務室の窓に向かって『これなら文句はないでしょう?』とでも言いたげに楽しそうに笑った。

 その笑顔を見たとき、カーライルを心臓を矢で射抜かれたような感覚がおそった。
 鉛の矢か刺さってくれたら楽なはずなのに、自分の胸には、もう何本も金の矢が刺さってしまっているような気が彼はした。

「……貴方という人は」

 どれほど私の心を乱せば気が済むというのか。
 カーライルの心に反応するかのように、しゅるり、と糸が窓の向こうの彼女に向かって伸びる。

「駄目だ」
 カーライルはそう言うと、自分の糸に刃物を突き刺した。糸は緩やかに霧散する。

「……今はまだ」
 カーライルはそう言うと、少しだけ口の端を釣り上げた。



「すごいですね。こんなものを思いつかれるなんて」
「いえ、そんなことないですよ」

 麦わらを石鹸につけて、虹色の玉を量産していたヴィクトリアは、ルーファスに褒められて苦笑いした。

「私が考えたものでもないんです。もともと、エイルが私やアルフェリアのために考えてくれた遊びなんです。だから、すごいのはエイルなんです」

 ヴィクトリアは、大好きな幼馴染の名前を出して誇らしげに笑った。

「陛下……」
 しかしヴィクトリアがエイルの名前を出すと、ルーファスの顔が曇った。

「ルーファス様? どうかなさいましたか?」
「いえ……」

 だがそんなルーファスを、子どもたちは手を引いて笑った。

「ルーファス様! こっちこっち!」
「一番多く割ったやつがかちな!」
「じゃーいくぞー!」

 子どもは無邪気に遊び続ける。
 ヴィクトリアは、困った顔をして自分の方を見るルーファスに向かって叫んだ。

「頑張ってくださーい!」

 すると、ルーファスは顔を上げて、空高く登っていた玉までさえも、跳躍して蹴り割った。
 身体能力の高い金色狼だからこそなせるわざだ。

「す、すげー! 何今の!? 魔法使ってないよな!?」
「もう一回! もう一回やって!」

 少年たちに詰め寄られたルーファスは、ヴィクトリアに助けを求めるかのように視線を送ったが、ヴィクトリアは笑うだけだった。
 子どもたちの笑い声を聞きながら、ヴィクトリアは一人黙々と石鹸液を作っていた。

「ありがとうございます。お姉さん」

 すると、壊れかけの古びたぬいぐるみを抱えた小さな子どもが、液を受け取ってからにこりと笑った。

「『赤のルーファス』と呼ばれているから、もっと怖い人だと思っていました」
「え?」
「今は人間と仲良くしてるって話は聞いてたけれど、魔族の多くを殺した殺戮の貴公子が、あんな人だなんて思っていませんでした」
「……」
「宝刀にああしていると、まるで普通の魔族みたいですよね」

 子どもの言葉に、ヴィクトリアは言葉を返すことが出来なかった。
 戸惑いの色を浮かべていたルーファスは、今は子どもたちに囲まれて仲良く遊んでいる。 

 『赤のルーファス』
 『殺戮の貴公子』

 その名前は、今のルーファスからあまりに遠い名のようにヴィクトリアには思えた。
 ヴィクトリアは、まるで冷たい水を頭から被ったような思いがした。

『陛下が望まれるなら、私は何でもいたします。陛下の望みが私の望み。その遂行こそ、私が生きる意味となり得る』

 子ども達に囲まれて、優しく笑える心を持つ彼に、500年前、不名誉な名を与えたのは――殺戮を命じたのは。
 ヴィクトリアは、一人呟く。
その声はまるで、氷のように冷たかった。

「全部、私だ」