小学校からの帰り道、私はあることに気づいてしまった。
「どうしよう……算数の宿題、学校に忘れてきちゃった」
学校を出たのは5時半頃。
空はすでにオレンジ色に染まっている。
「算数の谷口先生、忘れ物には厳しいしなぁ」
私は谷口先生の怒る顔を思い浮かべ、やっぱり宿題を取りに学校に戻ることにした。
「あら、学校に戻るの? じゃあカレンもついて行ってあげる」
チリンと鈴の音を鳴らしながら、水色のランドセルを背負ったカレンちゃんが笑顔で私に振り返った。
カレンちゃんの目の色は青色だ。
そして綺麗な金色の長い髪を二つに結んでいる。
「おうちの人が心配するから、カレンちゃんは帰っていいよ」
「大丈夫よ。うちの親、共働きなの。カレンはいつも夜までお留守番なのよ。だから誰も心配なんてしないから大丈夫よ」
「……」
「それよりユキちゃんの方が心配よ。最近この辺り、夕方になると痴漢が出るってママが言ってたわ。女の子一人じゃ危ないわ」
「……カレンちゃんも女の子じゃん。それに私たち途中で別れるし、カレンちゃんのおうちはあの丘の上なんでしょ? 家に着くまで日が暮れちゃうよ」
私は丘の上に立つ大きな家を指差した。
「そうよ。ちょっと時間かかるし坂道がきついけど、夜は街灯がキラキラ輝いて綺麗なの。真っ暗は怖いけど、光があるから大丈夫よ」
私はハアッとため息をついた。
何を言ってもカレンちゃんは私についてくる気満々なので、私はそれ以上何も言わなかった。
学校の校門に着くと、ちょうど担任の先生とバッタリ会った。
「立花さん、どうしたの? 忘れ物?」
担任の先生は美代子先生という若い女の先生だ。
「えっと、算数の宿題を教室に忘れてしまって……」
「そうなのね。もうすぐ日も暮れるし、早めに済ませなさいね」
「はい」
私はペコッと頭を下げると、急いで昇降口まで走ろうとした。しかしなんなとなく後ろを振り返ると、カレンちゃんがいないことに気づいてキョロキョロしていると、美代子先生がこっちを見て首を傾げているのが見えた。
「ユキちゃん、こっちよ!」
その時、二宮金次郎の銅像の影からカレンちゃんが手招きしているのが見えた。
「カレンちゃん!」
私は二宮金次郎の銅像まで走った。
「もう、急にいなくならないでよ!」
「ごめんなさい。だってカレン、この学校に通ってないもの。部外者は入っちゃいけないと思って……」
「えっ、カレンちゃん、同じ学校じゃなかったの!?」
全然知らなかった。
カレンちゃんはいつも夕方になるといつのまにか私の隣にいるから、てっきり同じ学校に通っている小学生だと思ってた。
そういえば学年を聞いていない。
「ねえ、知ってる? 学校の七不思議、その一」
私がカレンちゃんが同じ学校じゃなかったことにまだ驚いているのに、カレンちゃんはもう次の話を切り出してくる。
「学校の七不思議って……」
私は二宮金次郎が背負っている蒔をジッと見つめた。確かお母さんが、二宮金次郎が背負う薪の数を毎回数えると違うと言っていた。
「そう、二宮金次郎の薪の数。毎回数えると違うのはね……」
そこまで言うと、カレンちゃんは青色の瞳をキラキラさせながら私をジッと見た。
私はゴクリと息を飲む。
「夜中に走り回っているからよ。それで薪を落としちゃうの」
私はガクッとズッコケそうになった。
「あ~それ、よくある話だよね」
「本当よ、だっていつも同じ体勢じゃつらいじゃない? それにね、ただ走り回るだけじゃないの。実は他の小学校の銅像と交代しているのよ。だから薪の数が違うの」
私はカレンちゃんの妄想話を右から左に流しながら、昇降口に向かった。もうその頃には校門に美代子先生の姿はなかった。
「もう、ユキちゃんってば怖がりなんだから」
上履きに履き替えていると、隣でカレンちゃんがクスクスと笑いながら靴を揃えていた。
「怖がりじゃなくて呆れたの」
二宮金次郎の銅像が夜中に走り回って、他の学校の二宮金次郎と交代しているから薪の数が違うなんて話、誰が信じるっていうの?
「もう、さっさと宿題取りにいくよ」
私はカレンちゃんのちょっとズレたところに少しイラッとしながら、学校の廊下に一歩踏み出した。
「!」
その瞬間、ゾワッと背筋が寒くなった。
なんだろう……いつもと同じ風景なのに、人がいないだけでどうしてこんなにも怖いと感じてしまうんだろう。
「どうしたの?」
「ひっ」
ヒョイッと右側からカレンちゃんが顔を出したもんだから、私は小さく悲鳴を上げてしまった。
「ユキちゃんの教室は一階? 二階?」
「さ、三階だよ。5年3組だよ」
「3組まであるの? 人数多いのね」
「カレンちゃんは何年生?」
「カレンはねぇ……あっ!」
カレンちゃんは突然大声を出すと、すぐ近くの一年生の教室の中へと入って行った。
「ちょ、ちょっと……カレンちゃん!」
慌てて追いかけると、カレンちゃんは適当に椅子に座ってはしゃぎ始めた。
「あはは、机小さ~い!」
うん、どう見てもサイズが合っていない。
「あっ! 壁に国旗の絵がいっぱい貼ってある!」
カレンちゃんはキラキラとした目で、一年生が描いた国旗の絵を順番に見た。
「カレンはね、フランスで産まれたのよ」
「へぇ、そうなんだ」
だからカレンちゃんの目は青色で、髪は金色なんだなと思った。
同じ学校に通っていると思い込んでいた私だけど、こんなに目立つ姿なのに、そういえば学校内でカレンちゃんを見たことがないことに今更気づいた。
きっとカレンちゃんは隣の町の学校に通っているんだろう。そして身長と雰囲気からして、5年生か6年生かな?
そんなことを考えていると、廊下側から「カシャカシャ」という音が聞こえてきた。
「カシャカシャ」
「カシャカシャ」
その音はだんだん大きくなって、こっちに近づいてくる。
「カレンちゃ……」
「しっ! 声出しちゃだめよ」
私はカレンちゃんに腕を引っ張られ、先生の机の下に一緒に隠れた。
「カシャカシャ」
「カシャカシャ」
人が廊下を歩く音にしてはちょっと違うし、この音は一体なんなんだろうと気になって仕方なかった。
心臓の音がやけにうるさくて、得体の知れない何かに気づかれちゃうんじゃないかとドキドキした。
私たちは息を潜めて、ジッとその音が去っていくのを待った。
「カシャカシャ」
「カシャカシャ」
「カシャ……」
しかし最悪なことに、その音は私たちがいる一年生の教室の前で止まった。
私は思わずカレンちゃんの手をギュッと握る。カレンちゃんの手は思ったよりもヒンヤリしていた。
「カレンちゃんっ……」
「大丈夫よ、カレンが見てくるわ」
そう言うとカレンちゃんはモゾモゾと机の下から這い出ると、大胆にも教室のドアをガラリと開けた。
私は怖くて目を瞑った。
でもカレンちゃんの笑い声で目を開けた。
「なあんだ、音の正体はあなただったのね」
カレンちゃんが誰かに話しかけている。
恐る恐る机の下から顔を出して覗くと、廊下に立っていたのはなんと人体模型だった。
──ガンッ!!
私は驚いて、思わず机に頭をぶつけてしまった。
「え? やだ、ユキちゃん、大丈夫!?」
カレンちゃんが心配して駆けつけてくれる。私は涙目になりながら、頭のてっぺんを両手で押さえた。
「なんで……なんで……」
人体模型は身動きしないでジッとこっちを見て立っている。
「ユキちゃん。学校の七不思議、その二よ。理科室の人体模型が勝手に動き回るの」
なぜかカレンちゃんは楽しそうにそう言った。
「……いや、待って……人体模型が本当に一人でここまで歩いてきたっていうの?」
「そうよ。あのカシャカシャという音は、彼が歩いていた音だったのよ」
確かに聞いた。
人の足音ではない、カシャカシャという音。
「でも……うそ……信じられない……。だって今動いてないし……」
「………」
私がそう言うと、カレンちゃんは少し寂しそうな顔をした。
でもすぐにニコッと笑って、
「なあんてね! 実はさっきドアを開けた時に角を曲がっていく先生の姿が見えたの。きっとここまで彼を運んできたのはその先生よ」
「……え? そうなの?」
「うん、ごめんね。ビックリした?」
私は涙目になりながら、フンッとそっぽを向いた。
「カレンちゃんがそんな意地悪だと思わなかった!」
ひどいよ、カレンちゃん。
私は本当に怖かったのに。
それに宿題を取りに来ただけなんだから、学校の七不思議で遊んでる場合じゃないのに。
私がムスッとしている隣で、カレンちゃんは人体模型に向かって「お疲れさま」と声をかけていた。
薄暗い教室はかなり不気味。
いつもはここで勉強したり、友達と遊んだりしているのに、まるで別世界に来たみたい。
私は自分の机の引き出しから算数の宿題プリントを取ると、ランドセルにしまった。
ずいぶん時間が経ってしまった。
早く帰らないと、お父さんとお母さんが仕事から帰ってきちゃう。私が居ないってわかったら、すごく心配するだろうな。
私はチラッとカレンちゃんを見た。
さっきちょっときつく言ったからか落ち込んでるみたい。
「………」
言い過ぎたことを謝ろうかと思ったけど、でもやっぱり嘘をつかれたのは腹が立つから、もう少しこのままでいようと思った。
それにできれば学校から出るまで喋らないでほしい。また「学校七不思議、その三さん」と言われたらたまったもんじゃない。
そういう話は昼間に話すから楽しいのに。
私は教室を出ると駆け足で階段を下りた。私の足音がパタパタと響く。
「ねえ、ユキちゃん」
「!?」
突然、耳元でカレンちゃんの声が響いたから心臓が跳ねた。
「なっ……なに?」
振り返ると、カレンちゃんが後ろにいた。
たぶんずっと私のあとをついてきているんだろうと思ったけど、まさかこんなすぐそばで声が聞こえるなんて……。
「カレンね、鈴をどこかに落としちゃったみたいなの」
「鈴?」
「ママからもらった大事なものなの。なくしたってわかったら、ママ悲しんじゃうわ」
「そ、そうなんだ……」
そういえば学校の帰り道、カレンちゃんが私に話しかける時はいつも鈴が鳴っていた。
「一緒に……探す?」
私はいちお心配する素振りを見せる。
でも本当はすぐにでも帰りたかった。
それを察してか、カレンちゃんは首を横に振った。
「一人で探すわ。だからここでお別れね。少しの間だったけど、ユキちゃんとの七不思議冒険楽しかったわ、ありがとう」
そう笑顔で言うと、カレンちゃんは階段を駆け上がっていった。
「……」
私は少し罪悪感を感じた。
もしかしてカレンちゃんは純粋に私と遊びたかったのかなって思った。
それに正直一人で宿題を取りにくるのは不安だった。もしカレンちゃんがいなかったら、途中で諦めて帰っていたと思う。
「よしっ」
友達が困っているなら助けなきゃ!
私は意を決して、階段を駆け上がった。
「カレンちゃん!」
階段を駆け上がって二階の廊下に出たけど、カレンちゃんの姿はなかった。
「あれ? 三階に行ったのかな?」
私は急いで階段を駆け上がる。
また私の足音だけパタパタ響いて、だんだん心細くなってきた。
三階の廊下に出たけど、やっぱりカレンちゃんの姿はなかった。
カレンちゃんと別れてからそんなに時間経ってないはずなのに……。
「カレンちゃ~ん、私も一緒に探すよ~」
私はそう言いながら、三階の廊下を歩く。
廊下の奥は真っ暗で不気味で、まるで得体の知れない何かが蠢いてるように見えた。
私はとりあえず5年3組の教室に入った。でもカレンちゃんはいなかった。
一応鈴が床に落ちていないかしゃがんで見て回っていると、ふと後ろに気配を感じた。
「……カレンちゃん?」
振り返ると、足が見えた。
「ねえ、見つかった?」
「ううん、ここにはないみた……」
そこまで言いかけて、私は言葉を飲み込んだ。
「ねえ、見つかった?」
「ねえ、見つかった?」
「ねえ、見つかった?」
この声は……カレンちゃんじゃない!!
「ねえ、見つかった? ボクの……」
「キャアアアアアアッ!!」
私は自分でも信じられないくらいの悲鳴を上げて、教室から飛び出した。
アレが追いかけてくるんじゃないかと、無我夢中で走った。
「ユキちゃん!?」
「!?」
また後ろから声がして、私は更に走った。
「待って! どこ行くの、ユキちゃん!」
「いやああああっ!!」
「ユキちゃん、カレンよ! しっかりして!」
「!!」
ちょうど廊下の突き当たりまで来てしまったので、私は壁伝いにズルズルと座り込んでしまった。
「ユキちゃん、大丈夫? どうしてここにいるの? どうして帰らなかったの?」
「カレンちゃんっ……!」
私は泣きながらカレンちゃんに抱きついた。
カレンちゃんの体は相変わらずヒンヤリしていたけど、でもやっとカレンちゃんに会えたことが嬉しくて、私は更に号泣してしまった。
カレンちゃんは私が落ち着くまで、ずっと頭を撫でて抱きしめてくれた。
「カレンもね、毎日ママにこうやって抱きしめてもらってるの」
「そうなんだ……」
私は半分ボッーとしながら、羨ましいなぁと思った。そういえば小学生になってから、あまりお母さんに抱きしめてもらってない。
「ママはね、仕事から帰ってくるとすぐにカレンを抱きしめるの。それからご飯食べる時も、お風呂に入る時も寝る時も、ずうっと一緒にいてくれるのよ」
「お風呂も!?」
「そうよ、お風呂も。私の髪と体を毎日綺麗にしてくれるの」
「え~恥ずかしくないの?」
「どうして? 全然恥ずかしくないわ」
「……」
なんだかカレンちゃんちのお母さんは、ちょっと子離れできてないのかなって思った。
でもどうりで、カレンちゃんの肌はスベスベで、髪もサラサラなんだと納得した。
「あっ……」
「どうしたの?」
「……っ……」
どうしよう。
安心したらトイレに行きたくなってしまった。できれば家まで我慢したいけど、我慢出来なさそう。
「もしかして、トイレ?」
「……うん……」
「我慢しちゃだめよ。膀胱炎になっちゃうわよ。カレンもついていくからトイレに行きましょ」
カレンちゃんはまるで大人みたいなことを言う。私と手を繋ぐと、近くにあるトイレまで連れていってくれた。
「ランドセルはカレンが持ってるわね。ごゆっくり」
「本当にここにいてね? いなくならないでね?」
私はニコニコしているカレンちゃんに少し不安を覚えながらも、四つある一番奥の個室へと入った。
もう我慢できなかった。
用を足すとホッと息を吐いた。
──そういえばカレンちゃんの鈴、見つかったのかな? あとで聞いてみよう。
それにしてもさっき教室で見たアレは一体なんだったんだろう。はっきりとは見えなかったけど、上半身がなかったような気がする……。
「……」
私はハッとして、頭を左右に振った。
トイレでつい考え事をしてしまうのは私の悪い癖だ。カレンちゃんも待ってるし、怖いし、早く出よう──そう思った時、人の話し声と複数の足音が聞こえてきた。
「どうする? 誰がやる?」
「ね~やめようよ~、本当に花子さんが出たらどうするの?」
「花子さんが出たらスマホで写真撮って、SNSにアップするんじゃん」
──花子さん!?
私はその三人の女子の会話を聞いてビックリした。と、同時にどうしたらいいかわからなくなった。
すぐに個室から出れば良かったんだけど、なぜか急に身体が金縛りにあったかのように動けなくなってしまい、声も出すことができなくなってしまった。
そうこうしているうちに、入り口から近い個室のトイレから順にノックする音が響いてきた。
コンコンコン
「花子さん、遊びましょう」
コンコンコン
「花子さん、遊びましょう」
コンコンコン
「花子さん、遊びましょう」
そしてついに私がいる四番目の個室の番になった。私は目を瞑り、気づかれないように息をひそめた。
コンコンコン
「花子さん、遊びましょう」
「…………」
辺りはシーンと静まり返る。
私は気づいてほしいような、気づいてほしくないような、そんな複雑な気持ちになった。
「なぁんだ、何も起こらないじゃん」
「よかったぁ~」
「え~、面白くな~い」
三人はあっさりと女子トイレから出て行った。すると私の金縛りも解けて、声も出せるようになった。
「もう、一体なんなの……」
まさか自分がトイレに入ってる時に、花子さんを呼び出されるなんて思いもよらなかった。
それにトイレの入り口にはカレンちゃんがいるはず。どうしてカレンちゃんは彼女たちに、私がトイレを利用していることを言ってくれなかったんだろう。
少しモヤモヤしながら洗面所で手を洗っていると、なんとなく背後が気になって、鏡越しで個室の方を見てみた。
すると黒い髪のおかっぱ頭の女の子がこっちを見て立っているのが見えて、一瞬で体が凍りついた。
『……イルヨ……』
顔はよく見えない。でも何か言っている。
『……ワタシハ……ココニ……イルヨ……』
「きゃあああああっ!!」
「──ちゃん、ユキちゃん!!」
どこからか、カレンちゃんの声がする。
私の視界は真っ暗だ──いや、うっすらと光が見える。
「ユキちゃん、しっかりして!!」
目を開けると、今にも泣き出しそうなカレンちゃんの顔が見えた。
「あれ……? 私なんで……」
私はトイレの入り口で横たわっていた。
「ユキちゃん、覚えてないの? ユキちゃんがトイレから出てくるのを待っていたら、急に悲鳴が聞こえたの。それで見に行こうとしたら、ユキちゃんが突然飛び出してきて、気を失って倒れちゃったのよ!」
「……っ……」
そうだ私、トイレの花子さんを見ちゃったんだ!
「カレンちゃん……! 出たの! トイレの花子さんが、出たの!」
「……え……」
「さっき女子三人組がトイレに来て花子さんを呼び出したから、花子さんが出てきちゃって……」
「待って、ユキちゃん。三人組って?」
「!?」
「ずっと入り口でユキちゃんを待ってたけど、誰もトイレに入ってないわよ?」
「……うそっ……」
「本当よ。カレン、ずっと一人でここで待ってたもの」
「嘘だ!!」
私はカレンちゃんを突き飛ばした。
「ユキちゃん……!?」
「なんでそんな嘘つくの? 私を怖がらせて楽しい?」
「何を言ってるの、ユキちゃん……全く意味がわからないわ」
「じゃあ、何!? さっきの三人組が幽霊だって言うの? あんなにハッキリ会話が聞こえたのに!」
「……カレンには何も聞こえなかったわ」
私はカッとなって、ランドセルを背負って歩き出した。
「もういい、帰る! カレンちゃんにつきあってたら、変なことばかり起きるもん!!」
「……カレンのせいなの?」
「そうだよ、全部カレンちゃんのせいなんだから!!」
私はそこまで言って、我に返った。さすがに今のは言い過ぎたと思った。
謝ろうとカレンちゃんの方に振り返ると、カレンちゃんは何故か笑っていた。
「ふふふ、そうね……カレンのせいかもしれないわね」
「……カレンちゃん?」
てっきり悲しませたと思ったのに、カレンちゃんはずっとクスクス笑っている。
「やめてよ、なんで笑うの?」
「あのね、ユキちゃん。カレンの秘密を教えてあげる」
「秘密……?」
わけがわからなかった。
嫌な予感もした。
でもカレンちゃんの秘密と聞いて、好奇心の方が勝ってしまった。私はカレンちゃんの後をついて、屋上への階段を上がって行く。
何気なしに数えてしまった階段の数は13段だった。
階段を上った先には大きな鏡があった。埃が被っていて、自分の姿がぼんやりとしか写らない。
「カレンはね、この世界の住人じゃないの」
「え?」
カレンちゃんは唐突にわけがわからないことを話し始めた。
「この鏡を使って、もうひとつの世界から来たのよ。友達を探しに来たの。ずっと一人で寂しかったから……」
そう言うと、カレンちゃんはニコッと笑った。
「ねえ、ユキちゃん。カレンと一緒に鏡の中に入ってみない?」
「えっ……」
私は大きな鏡をじっくり見た。
変わらず自分の姿がぼんやりと写るだけで、変わったところは特にない。
本当にカレンちゃんは、この鏡を使ってもうひとつの世界から来たのだろうか。
そんなことが本当にあるんだろうか。
興味があるけど、怖い──。
私は……
【A】 鏡の中に入った→第六章
【B】 鏡の中に入らなかった→第七章
私は思いきって、カレンちゃんと鏡の中に入った。光に包まれた私は、気がつくと一人で校門の前に立っていた。
空はまだオレンジ色に染まっている。
「カレンちゃん?」
どれだけ呼びかけても、カレンちゃんは姿を現さなかった。その代わり「チリン」と鈴が鳴り、足元を見ると、カレンちゃんがランドセルにつけていた鈴が落ちているのを発見した。
私はその鈴を拾って、明日丘の上にあるカレンちゃんの家に届けようと思った。
家に帰ると、お母さんが「遅いから心配したわよ」って私を抱きしめてくれた。嬉しかった。
両親とご飯を食べて、テレビを見て、宿題をして、お風呂に入って、いつもと変わらない日常を送る。そうしてると、カレンちゃんと学校で過ごしたことは全部夢だったのかなって思えてくる。
そしてカレンちゃんの存在も──。
でも私の手の中には、カレンちゃんの鈴が確かにあった。
次の日、学校に行くと大きなトラックが止まっていた。
「何かあったの?」
「なんか二宮金次郎の像がね、道端に倒れてたらしいよ」
「!」
まさか……と思った。
カレンちゃんの言うとおり、本当に二宮金次郎が夜中に動いて走り回っていたのかもしれない。
そう期待したのに、
「他の小学校でも、像が盗まれる事件があったらしいよ~」
最後まで話を聞いてガッカリした。
「立花さん」
名前を呼ばれて振り返ると、担任の美代子先生がこっちに歩いてきた。
「昨日は大丈夫だった?」
「はい、無事に宿題を取りに行けました」
「そう、良かったわ。ところで立花さん、昨日はどうして人形を……」
「人形?」
私が首を傾げると、美代子先生は微妙な顔をした。
「ううん、なんでもないわ。やっぱり見間違いだったみたい。さ、教室に行きましょう」
なんなんだろう。
先生が言いかけた「人形」って……。
しばらく気になっていた私だけど、算数の授業で谷口先生に褒められたことと、給食で大好きなカレーを食べられたことですっかり忘れてしまっていた。
放課後、私は丘の上の家を目指して歩き始めた。昨日よりは少し早いから、空もまだ明るい。
坂道がすごくきつかったけど、丘の上から見える景色は今まで見たどの景色よりもキレイだった。
私はカレンちゃんの鈴を握りしめて、大きな家の玄関のブザーを鳴らす。
昨日は少し喧嘩みたいになっちゃったけど、きっと鈴を渡したら許してくれそうな気がした。
「どちら様ですか?」とドアから顔を出したのは、エプロンを身に付けたおばさんだった。
「あの、カレンちゃんいますか?」
私がそう言うと、なぜかおばさんは目を丸くした。
「どうしてその名前をあなたが……」
「あの、私……カレンちゃんとは違う学校なんですけど、学校の帰りによく一緒になって……」
私がそう説明したのに、おばさんは更に変な顔をする。
「あの……この鈴をカレンちゃんに渡したいんですけど……」
「!」
私が手を広げて鈴を見せると、おばさんの両目がこれでもかというくらい大きく見開いた。
「あの……」
「ありがとうございます……確かにこの鈴はカレンお嬢様の物です」
そう言われて、私はやっとホッとすることができた。
「あなたがどうやってこの鈴を手に入れたのか……いえ、どうやってカレンお嬢様と知り合ったのか不思議でなりませんが……でもこれで奥様も安心するでしょう」
おばさんは私から鈴を受け取ると、すぐにドアを閉めようとした。
「待ってください! カレンちゃんはいらっしゃいますか?」
私はなんだか腑に落ちなかった。
私がカレンちゃんと知り合ったのが不思議って、一体どういうことなんだろうって。
「……カレンお嬢様はいらっしゃいません」
「いつ帰って来ますか? 帰って来るまで待ってていいですか?」
「……」
「私っ……昨日カレンちゃんにひどいこと言っちゃったんです! だから一言謝りたいんです!」
「……」
私の必死さが伝わったのか、おばさんは深いため息を吐いた。
「カレンお嬢様はもうすでにこの世にいらっしゃいません。小学校に上がる前に事故で亡くなりました」
「!!」
「そしてこの鈴は、奥様がカレンお嬢様の代わりにと買ったフランス人形のランドセルにつけていた鈴でございます」
「!!」
フランス人形?
私はふとカレンちゃんの姿を思い出した。
「あの、カレンちゃんって……髪の色は金髪で……目は青色ですよね……?」
「違います。カレンお嬢様は日本人ですよ。黒い髪の、おかっぱ頭の女の子でした」
「───っ!!」
もうわけがわからなかった。なのに、更にわけがわからないことが起きた。私のランドセルからボトッと何かが落下した。
それは……
カレンちゃんと全く同じ姿をした、フランス人形だった。
【おわり】