「うっそ! マジで!? やば~!」

 きゃはは、と大きな笑い声を上げているあのグループは、このクラスのカースト上位。けばけばしいギャル達のグループだ。
 うるせぇ、静かにしろよな。このクラスはお前らだけのものじゃねぇんだよ。愛しい静香ちゃんの声が聞こえないだろうが。
 ぼくはイヤホンの音量をいらいらしながら上げた。
 静香ちゃんは、ぼくが今ハマっているギャルゲーのヒロインだ。長い黒髪に垂れ目がちな瞳、おっとりとした清楚系大和撫子。やっぱり女の子はこうでないと。あんな有毒植物みたいなやつらは女じゃない。
 ちらりとギャル達の方に視線をやると、気づいた一人がひそひそと何かを言った。途端、どっと笑いが起こる。どうせキモオタとか言ってるんだろう。別にいいさ。ぼくには静香ちゃんがいるからな!
 チャイムが鳴って、先生が教室に入ってくる。ぼくはゲームをセーブし、電源を落として鞄にしまった。
 騒がしくしていたギャル達も、解散してそれぞれの席につく。その内の一人が、こちらにちらりと視線をやった。
 ……なんだ?



 放課後。ぼくは階段を上って、屋上への入口扉の前に座った。この学校の屋上は閉鎖されていて入れないので、屋上へ続く階段には誰も来ないのだ。
 ぼくはそこでゲームを取り出した。本当は家に帰って自分のベッドでだらだらとやりたいのだが、最近母さんが勉強しろだのなんだのうるさい。多分前回の定期試験の成績がさんざんだったせいだ。だから、ぼくは暫く学校に残って、勉強していることになっている。するわけないけどな。
 ゲームを起動し、イヤホンをはめようとしたところで、キーンと響く声が耳をつんざいた。

「あー! 影山くんじゃぁん!」

 顔を顰めて声の主を見ると、そこにいたのはクラスメイトの春坂麗華だった。クラスのカースト上位、ギャル達のグループの一人だ。
 ブリーチで痛みまくった金髪を更にコテで巻いて、ゴテゴテした飾りをつけている。化粧もそれすっぴん別人だろ、ってくらいしているし、爪なんて長く尖っていて、もはや凶器だ。
 ぼくは舌打ちしたい気分を辛うじて堪えて無視したが、春坂は気にした風もなく階段を上がってくる。

「ひとり? なにしてんの? ゲーム?」

 無遠慮に手元を覗き込まれて、ぼくは思わず体を引いた。

「か、勝手に見るなよ!」
「えー、なんで? その子かわいいね!」
「!」

 そうだろうそうだろう。ぼくは得意げになった。起動済みのゲーム画面に映し出されていたのは、ぼくの推しヒロイン、静香ちゃんだったからだ。

「教室でいつもやってるの、それ? 気になってたんだぁ」
「……おまえ、ゲームなんかしないだろ」
「れーかもゲームするよ! ちむちむとか!」

 それぬいぐるみを詰めていくだけのスマホゲームだろ。そんなのゲームする内に入らねぇよ。
 やっぱりこいつはぼくとは全然違う人種だな、と改めて思った。れーか、と自分の名前すらちゃんと発音できないところもバカっぽい。自分の名前を自分で呼ぶ女はだいたい地雷だ。

「それなんのゲームなん?」
「ギャルゲー」
「ギャル? その子ギャルなん?」
「そうじゃねぇよ。これは、この子と、れ、恋愛すんの。そういうゲームなの!」

 言ってて恥ずかしくなった。別に、ぼくは自分の趣味を恥ずかしいものだとは思ってない。ギャルゲーの愛好者はたくさんいる。けど、現実の恋愛を山ほどしていそうな春坂にそれを言うことは、モテないキモオタの逃げだと思われそうで、悔しかった。

「そーなん? いいね! 恋愛たのしーよね!」

 そう言って、春坂はにかっと笑った。てっきりバカにされると思ったのに、眩しいほどの笑顔に、ぼくは一瞬呆けた。

「でもゲームだと触れんくない? 影山くん彼女に触りたいとは思わんの?」
「げ、ゲームなんだからいいんだよ! 触れなくたって、ちゃんと気持ちが通じてれば」
「DKってヤりたい盛りかと思ってたぁ。影山くん優しんだぁ」

 ぼくは顔を赤くした。バカにしやがって。現実の女に、触れもしないって。

「どうせDTだよ。悪かったな! 笑いたきゃ笑えよ」
「なんで? いいじゃん、DT」

 予想外の言葉に、ぼくは引いた。

「いい……って、何おまえ。DT好きなの?」

 聞いたことがある。世の中には、男の処女厨と一緒で、男の初めてを奪いたがるDT喰いという女もいるらしい。しかしぼくはそういう肉食系は嫌いだ。恐怖すら覚える。

「別にDTでも経験者でも、好きな人ならどっちでもいいけどぉ。そうじゃなくって、やっぱり影山くんは優しいねってハナシ」
「……DTの話から、なんでそうなった?」
「だってDTってことは、今まで一回も女の子を傷つけてないってことでしょ?」

 ぼくは目を瞬かせた。言われてみれば、そうだ。だが、それは傷つけるも何も、そもそもそんな機会に恵まれていないというだけの話なのだが。

「れーかねぇ、今日彼氏にフられたの」

 突然始まった自分語りに、ぼくは焦った。勘弁してくれ。なんだ、なんで急にそんなこと言い出した。ぼくに慰めるスキルがあると思ってるのか。
 そこでぼくは気づいた。何故春坂は、ここへ来たのだろう。まさかぼくを探しに来た、なんてことはないはずだ。
 ぼくは誰にも会いたくなくて、ここに来た。ここには、誰も来ないと知っているから。
 もしかして、春坂も。

「れーかねぇ、彼氏のこと大好きだったの。ほんとにほんとに、好きだったの。だから、帰り道で手ぇ繋げるだけでめちゃくちゃどきどきしたし、一緒に寄り道して食べたクレープは人生で一番のごちそうだったし、もう幸せすぎて毎日生きてて超ハッピーだった」

 頭の悪い話し方だが、春坂がどれだけ嬉しかったのか、ということだけは、痛いくらいに伝わってきた。

「だからねぇ。彼氏が喜ぶなら、なんでもしてあげたかったの。れーかにできることなら、いいよって。だからえっちしたの」

 突然の爆弾発言にぼくは吹いた。

「びっくりしたぁ?」

 春坂はきゃらきゃらと笑っている。からかっているのか。怒りそうになったが、次の言葉でぼくは動きを止めた。

「でも彼氏は、別にれーかのこと好きじゃなかったみたい」

 寂しそうに笑った春坂は、強がっているだけだとすぐにわかった。

「なんか、はやくDT捨てたかったんだってぇ。だから、れーかならすぐヤらせてくれそうだから? それまででよかった、っていうかぁ」

 言いながら、春坂の声が震えてくる。やめろ、泣くな。どうしたらいいのか、ぼくにはわからない。

「DT捨てられてよかった、ってさぁ。れーか、ゴミ箱かよ、みたいな」

 ぼろ、っと春坂の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。自分で口にして傷つくくらいなら、最初から言うなよ。
 ぼくは鞄を漁って、スポーツタオルを取り出した。そしてそれを春坂の顔に投げつけた。

「ぶへっ!?」

 間抜けな声を出して、春坂がタオルを受け取った。

「それ、使えよ」

 目を逸らして不機嫌そうに言うぼくに、春坂はへにゃっとした声で言った。

「……ありがとぉ」

 本当にこいつはバカだ。男にフられたその日に、別の男の前で泣くなんて。ここには人も来ないのに。ぼくが襲ったら、どうするつもりなんだ。

「良かったじゃん。そんなクズと別れられて」
「……クズじゃないもん」

 なんでそんな泣かされてまで庇おうとするのか。ぼくはふん、と鼻を鳴らした。

「紛うことなきクズだろ。好きって気持ちで美化するなよ。また同じこと繰り返すぞ」

 ぼくの忠告に、春坂は黙った。

「下半身でしかモノを考えられない猿なんだろ。おまえのこと、何も考えてないじゃん。もし途中でゴムが外れたりしたらさ、おまえ妊娠してたかもしれないんだぞ。そしたら学校退学じゃん。高校中退で、就職どうすんだよ。たった一回のせいでさ、お前の一生を棒に振るかもしれないって。そういうこと、何も考えられないんだろ。それ、好きでもなんでもないじゃん」

 ぼくがこんなことを言うのには、理由がある。
 いたのだ。実際に。中学の時に。
 男の方はよく知らない。ただ、彼女が教室で泣いていたことだけは覚えている。彼女はぼろぼろになって、学校に来なくなった。高校にも進学できなかった。風の噂で聞いたが、今はシングルマザーをやっているらしい。それが中学の時に身ごもった子なのか、それとも新しくできた子なのか、そこまでは知らない。
 ぼくはその話を知った時、正直自業自得だと思った。ヤりたい同士がヤった結果なんだから、どうなろうが本人の責任だと。尻軽で軽率な自分を恨めよ、って。
 でも、泣いている春坂を見て思う。彼女も、相手の男が、本気で好きだったのではないか。心から好きな相手に懇願されて、果たして強く拒絶できるものなのだろうか。仮に断っても、強引にされたら、力では敵わない。愛情を盾に、同意したことにされるだろう。
 相手の男はよく知らない。そう、知らないのだ。噂に、ならなかった。金で解決したのか、相手が同級生ではなく立場のある人間だったのか、それすらわからない。つまり、すっかりうまく逃げたのだ。
 彼女はお腹が大きくなって、非難の目を避けられなかった。高校にも通えなかった。その噂は、ずっと皆の記憶に残る。今だって、シングルマザーということは、働きながら一人で子どもを育てているのだ。

 挿れるのも、ゴムをつけるのも、選択できるのは男だけだ。
 そして。最後に逃げられるのも、男の方だけなのだ。

「影山くんは、結婚するまでしない人?」
「さすがにそこまでは言わないけど……まぁ、相手の一生を背負ってもいい、と思えるくらい好きな相手としか、しない」

 そんな相手でないと、怖くて仕方ない。彼女と、春坂の泣き顔を見た後では。正直今だって興味はあるけど、自分の快楽のために、ここまで女の子を踏みにじろうとは思わない。
 ぼくの言葉に春坂はぽかんとして、直後ぶはっと吹き出した。

「今どきそんな人いるんだぁ! やばい昭和のてーそーかんねんだ!」

 いたって真面目に答えたというのに、笑われてぼくは顔を赤くして怒った。

「なんだよ。ヤリチンよりよっぽどいいだろ!」
「うんうん、そーだよねぇ。れーかも、そっちの方が、ずっといいと思う」

 泣いて少し目元の色が薄くなった顔で、春坂は目を細めて微笑んだ。

「そうゆえる影山くんは、素敵だと思うよ」

 不覚にも、どきりとした。けばいギャルだと思っていたが、化粧を薄くすれば、もしかして結構可愛いんじゃないだろうか。

「れーか、影山くんのこと好きになろっかなぁ」
「は、はぁ!?」

 突然の台詞に、ぼくはぎょっとした。というか、好きになろうってなんだ。なろうとしてなるものなのか。

「影山くんなら、きっと彼女のこと、すっごく大事にするでしょ? れーか前の彼氏にいっぱい尽くしたから、今度は大事にされたいなぁ」

 ぼくは呆れた。大事にされたい、って、それ春坂の方にしかメリットないじゃないか。

「冗談だろ。ぼくのこと笑ってたくせに。どうせキモオタだからちょろいと思ってるんだろ」

 朝に笑われた恨みを、ぼくは忘れていない。しかし、春坂の方はきょとんと首を傾げた。

「れーか、笑ってないよ?」
「嘘つけ。朝、ぼくの方見て他のやつらと笑ってただろ!」
「それ、影山くんを笑ったんじゃないよぉ。イヤホンしてる影山くんが気にするくらいだから、れーかたちもしかしてめっちゃうるさくない? 声デカすぎじゃない? って笑ってたけど」

 ぼくは呆気にとられた。確かにぼくの方を見たけど、ぼくのことを笑っていたわけじゃなかった。
 ただの自意識過剰だったことに、ぼくはかぁっと顔が熱くなった。

「で、でも、ぼくがキモオタなのに変わりはないだろ。見た目だって、こんなだし」

 ダサいし、デブだし、メガネだし、と三拍子揃った自分を見下ろす。
 びかびか光るイルミネーションみたいな春坂に対して、ぼくはせいぜい植え込みの雑草だ。モミの木ですらない。
 別におしゃれに興味はない。けれど、春坂みたいな女の子とは似合わない。

「だいじょーぶ! ママがね、男は育てるものだってゆってた! 見た目とか、仕事とかは、あとからいくらでも教育できるから、根っこがちゃんとした人を選ぶのよって」

 なんてこと言うんだ春坂の母親は。高校生の娘に対して、末恐ろしい。というか、それを聞いていて選択したのが、クズ彼氏なのか。

「だからね、影山くんは、根っこがちゃんとしてるから。見た目とかは、れーかがなんとかしてあげる! ね、れーかたち、けっこーお似合いなんじゃないかなぁ?」

 ずい、と顔を近づけてきた春坂に、ぼくは勢いよく上体を反らした。

「……つけまつげ、取れてるけど」
「ぎゃー!! え、うっそぉ!? はやくゆって!!」

 春坂は耳がキンとする大声で叫んで、ばっと離れた。そのことに、ぼくはほっとした。心臓がばくばくしているのを、気づかれずに済んだ。

「も、もー!! こんな顔で、ちょっと、話せないから! また、明日ねー!」

 顔を隠すようにしながら、春坂は階段を駆け下りていった。台風が去った。ぼくは長く息を吐いて、まさか戻ってこないとは思うがさっさと帰ろう、と鞄を持ち上げた。

「……あ」

 スポーツタオルを、返してもらうのを忘れた。
 別にそのままあげてしまっても構わないが、あれを返すために春坂がもう一度話しかけてくるだろう、と思うとげんなりした。あのテンションに何度も付き合ってられるか。

 はやく静香ちゃんに癒されたい、と思いながら、ぼくは帰り道をだらだらと歩いた。