「ローズ嬢、顔を上げなさい」
「はい、国王陛下」

 ロイ・グラナトゥムがこの国にやってきて五日目の午後のこと。
 一人城に召されたローズは、王の前に頭を垂れていた。

 クリスタロス王国国王、リカルド・クリスタロス。
 クリスタロス王国王族の証である金色の髪の王は、穏やかそうな外見ながらも、厳格な雰囲気を纏っていた。
 炎属性と地属性を持つ彼は、レイゼル・ロッドとどこか似ていて、リヒトやレオンの父ということもあり、ローズが幼い頃からずっと第二の父のように慕ってきた人物だ。

「君を呼んだのは他でもない。ロイ・グラナトゥム殿のことについてだ」
「――はい」

 リカルドの声は、どこか緊張しているようにローズには聞こえた。
 しかしそれは当然とも言えた。
 クリスタロス王国とグラナトゥム王国では、国の規模が違いすぎる。もしロイの不況を買おうものなら、何をされるかわかったものではない。

 ローズがリカルドに呼び出されたのはまさにそのロイについてだった。
 七日日。
 当初滞在期間について、そう告げていたロイだったが、急遽リカルドに延長を申し出てきたのだ。
 大陸の王。
 そう呼ばれるかの王は、ベアトリーチェにまだ勝負をするつもりらしかった。

 決闘には一応ルールがある。
 一日一回まで、そして最大七回という回数制限。
 最大が七というのは、この数字がこの世界で、『祝福の数字』とされているためである。
 つまりまだ数回、ベアトリーチェは、決闘を挑まれる可能性があった。

「ローズ嬢、おそらくロイ殿は何らかの策を練るために、私に滞在期間の延長を申し出たに違いない。彼が君を自国に迎えたいのは本気らしい。君は『鍵の守護者』。私は、グラン殿に剣を託された君から剣を奪えば、周囲が不審がるに違いないとも考え、君に剣と指輪の守護を任せた。この国で最も魔力が高く、剣の腕もあり、魔法も使える。魔王を倒せた者ならば、鍵を守ってくれると思ったからだ。しかし今、かの王は君だけでなく、鍵も狙っているという話も聞く」

「……」
「あらゆる魔法の『鍵』となるかもしれないその指輪と剣。もし他の国にわたり何らかの問題が起きたとき、それを知りながら公表しなかったことは責任を問われるに違いない。かと言って今それを明かせば、その鍵をめぐり争いが起こる可能性もある。石を破壊する方法がわからぬ今、鍵を手にする君を国外に出すわけには行かない。だからこそ、君に頼みたい。あの王が何を考えているのか分からない今、もし彼が負けそうなときは」

 リカルドは目を伏せる。
 そして彼は、静かな声でローズに告げた。

「――君には、彼と結婚してほしい」
「……結婚、ですか?」
「そうだ。婚約でなく結婚であれば、彼も君に手出しをしてくることは無いだろう。君には彼か、もしくはレオンを選んでほしい」

 ローズの結婚相手を殺す可能性があるのも確かだが、決闘を挑み敗北の上ローズに拒絶され、不慮の事故か何かで相手が死亡してローズに求婚となると、ローズの知名度から考えてロイが不審な目で見られるのは大国の王とはいえ免れない。

 リカルドはだからこそ、ローズに選択してほしいと思った。
 ベアトリーチェか、レオンとの結婚を。

「……れ、レオン様でございますか?」

 リカルドからの提案に、ローズの驚きを隠せなかった。
 まさか王自ら、願われることなど無いと思っていたから。
 普段のレオンはローズをからかってばかりで、どうせ王妃になってほしいといっても国のため――リカルドは一国の王とはいえ、ローズの意志を尊重してくれる相手だと思っていたから。
 
 そんな相手が、まさかレオンとの結婚を望むだなんて。

「あの子は……あまり感情を表に出すような子ではないのだが、あの王が君との決闘を挑むと言った時、君を王妃に迎えたいと言ったんだ」

 ――ほら、やっぱり。
 ローズは顔には出さず苦笑した。
 レオンが自分を好きなんて、どう考えてもありえないのだ。

「……レオン様は『鍵』が国外に出るのを防ぐために、名乗りを上げられたのでしょう?」
「今のあの子に、ベアトリーチェ殿に敵う力は無い。それでもあの子は、戦わせてほしいと言ったんだ」
「…………」

 レオン・クリスタロスは、自分の実力を見誤るような人間ではない。
 そんな人が、負けると分っていて決闘を申し込んだ?
 ローズには、レオンの想いがどこにあるのか分らなかった。
 レオンが自分を本気で好きだなんて、ローズはこれまで一度も感じたことがなかったから。

「彼との婚約を許した私が、今更こんなことを言うのは筋違いかもしれない。しかしあの子が、本当に幼い頃から君を思っていたのなら――私は親として、あの子の想いを叶えてやってほしいとも思うのだ。君の父が、君をリヒトから遠ざけたいと思う気持ちも分からないわけではない。だからレオンを望まなかった気持ちもわかる。ただ君は今もリヒトとも普通に接してくれているようだし、もし君がレオンと結ばれて私の娘となってくれるなら、私も安心して王の座を譲り渡すことができる」

 リカルドはそう言うと、ローズに微笑んだ。
 リカルド・クリスタロスは厳格な王だが、不器用なりに子ども想いの優しい人だということをローズは知っている。
 だからこそ彼は、一方的に婚約破棄を宣言した出来そこないの息子に、アカリとの婚約を許さず注意はしても、厳しい罰は与えなかった。
 リヒトがそうなってしまう原因は、魔力の弱さのせいだと知っていたから。

 そしてだからこそ彼は、努力しても変わらない現実を、リヒトに問いて聞かせた。

 魔力使えなくても、出来ることはある。
 リカルドはリヒトに、それを学んでほしいと思い続けてきた。指輪が壊れて、魔法が殆ど使えなくなってしまってからは尚更。

 誰もからも慕われていた優秀な王子。
 そのレオンが帰って来たからこそ、リカルドはリヒトに自由を与えてやりたかった。

 王になろうとしなくてもいい。
 魔法が使えなくとも、いい。
 認められない努力をやめて、魔法を諦めることも、正しい選択だと――リヒトには、一年をかけてリカルドは気付いてほしかった。
 どんなに努力をしても、リヒトはレオンには勝てないのだから。
 リカルドは子どもの幸福を願っていた。
 そしてそれは、レオンも同様に。

「かしこまりました。……ただ、申し訳ございません。考えがまとまらないので、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「こんなこと、突然言われても君が困るのは分かっていた。……すまない。この国の王族は、君に苦労をかけてばかりだな」

 リカルドは申し訳なさそうに少し苦笑いした。

「いいえ」
 ローズはリカルドに微笑んだ。

「私はこの国を愛しております。この国のためになることであれば、私は苦労とは思いません」
「君が昔からそう言ってくれることに、私はずっと救われているよ。本当にありがとう。話はこれで終わりだ。急に呼び出してすまなかった」


「ビーチェ様が呼ばれなかったわけです……」
 婚約者が決まっている自分を、国王が一人呼び出すなんておかしいとは思ったのだ。
 しかしどうもわからない。レオンが自分を好きだなんて、本当にあり得るのだろうか?

「からかって遊んでいるだけにしか思えないのですが……」

 幼い頃の記憶を辿る。
 もう十年も昔の話。
 公爵家の庭にはいつも、幼馴染たちがいた。

 ギルバート、ローズ、レオン、リヒト、ユーリ。そしてミリア。
 ギルバートとレオンとユーリは、ローズの祖父である『剣聖』グラン・クロサイトから指導を受けていた。
 ローズとリヒトは、いつもそんな彼らを眺め、ミリアは二人を見守るためにそばにいた。

 訓練の終わりには、いつもサンドイッチをみんなで食べた。
 午後の訓練の途中ではお菓子が出され、ローズはその時間も大好きだった。

 特に大好きだったのがフィガル。
 フィガルはハート型をしたパイで、砂糖がたっぷりまぶしてあるのが大好きだった。
 今でも好物ではあるが、甘いものの食べ過ぎは体に良くないと、先日ローズは兄に怒られたばかりだ。
 ローズは兄には逆らえない。

 そんなローズの、幼い頃のこと。
 ローズはいつもどおりケーキを食べていた。
 甘いものは美味しい。思わず顔がほころぶ。

『ロースは甘党だねぇ。よかったらこれも食べていいよ』
『あ、ありがとうございます』
 すると、何故かレオンが自分にケーキののった皿をローズに渡してきた。
 レオンはさっき食べていなかっただろうかと思いつつ、ローズは渡されたケーキをもぐもぐ食べた。
 すると。

『僕のケーキが無い!』
 ローズの背後で誰かが叫んだ。
『ああ、それはもう食べないのかと思ってローズにあげてしまったよ』
 ローズはその言葉を聞いて手をとめた。

『何で食べるんだよ! ローズ!』
『だ、だってレオン様が』
 ――食べていいって。
『確かにそうはいったけど。でも、食べたのはローズだよ?』
 ローズが弁明しようとすると、にっこり笑ってレオンが言った。
 リヒトは怒ったままで、ローズはどうしていいかわからず慌てた。

『リヒト様』
 ローズが困っていると、リヒトにケーキののった皿が差し出された。
『良かったらこれを。まだ、手は付けておりませんので』

『ユーリ! いいのか?』
 ユーリからケーキを受け取ったリヒトは、ぱあああっと表情を明るくさせた。
 しかしその明るさは、少しずつ萎んでいった。
『……でも、これだとユーリの分がなくなるし……。ああ、そうだ!』
 リヒトはケーキは食べたいが、ユーリのケーキがなくなるのは嫌らしかった。

『半分こしよう!』
 リヒトの言葉を聞いて、ミリアが新しい皿を持ってきた。
 リヒトはケーキを半分に切り分けると、苺ののっている方をユーリに渡した。
 しかしユーリは、リヒトが差し出した方でない方の皿を手に取った。

『私はこちらをいただきます。リヒト様は苺がお好きでしょう? 我慢しなくていいんですよ』
 ユーリは優しく微笑み、リヒトの表情は明るくなった。

『ありがとう! ユーリ!』
 リヒトは大きく手を広げ、ユーリに抱き付いた。

 ローズがまだ小さかった頃。
 ユーリは『お兄さん』で、自分たちのことをいつも見守ってくれていたことを、ローズは思い出していた。
 確かにユーリが抜けているのは昔からだが、当時四歳下のリヒトのことを、彼はとても可愛がっていたのをローズは覚えている。

 祖父が見つけた剣の才能。心優しく正しい騎士。
 ローズにとって、ユーリはそういう人だ。

 だからそれから数日後、ユーリがリヒトのためにケーキを用意したときに、転んでローズにぶつけた時は、ローズはユーリに何度も謝られた。

 服はべとべとだったけれど、彼が買ってきてくれたケーキをちょっと掬って食べてみたら、口いっぱいに甘さが広がって、なんだかどうでもよくなってしまったことも、ローズははっきり覚えている。

 優しい時間。宝物のような思い出。
 けれど時間が経つ中で、誰もが大人になっていく。
 自分にとって彼らは幼馴染で、家族のような存在だったのに、関係性は変わっていく。

 ローズはその変化を、心のどこかで受け止め切れていない自分に気が付いた。
 ローズは時々、自分の時間がいつからか止まっているように感じていた。

 大切な人を守りたい。その為に強くなりたい。
 そう強く決意して生きてきた彼女にとって、『好き』は家族で、この国そのものだ。
 その思いが強すぎて、自分のことに関心が抱けない。部屋も服も、自分を取り囲む全ては、周りの人間が選んだもの。これまでローズの最優先は、ずっと自分ではなくこの国そのものだった。

 止まっていた自分の時間。
 少しずつだけれど、最近それが動いているようにもローズは感じていた。
 ベアトリーチェとの結婚を意識すると、ローズは自分の中で、何かが変わっていくような気がした。

 心の中に少しずつ、ベアトリーチェが増えていくのを感じる。
 温かな人。厳しさもあるけれど、愛情豊かな優しい大地のような人。
 仲間い間、水の上をぷかぷか浮かんで漂流していた自分に、やっと与えられた大地は、ほんの少しだけ安心すると同時に、今までとは違い過ぎて落ち着かない。

「そういえば……ユーリとリヒト様は幼い頃は本当に仲が良かったのに、どうして最近はあんなに仲が悪そうなのでしょうか?」

 ローズの問いの答えがわからないのは、恐らくローズただ一人だけだった。

 ◇◆◇

 とてとてとてて。とてとてとてて。

 小さな足は傷だらけ。
 痩せっぽっちのちいさな体の、子どもの足は随分速い。
 くんくん。くんくん。
 どこからか漂ってくる甘い匂いに、吸い寄せられるように子どもは動く。
 普通の人間なら嗅ぎ分けられない匂い。わずかに開いた窓から嗅ぎ分けた子どもは、壁を登って三階の窓近くに張り付いた。



「ローズさん、喜んでくれるかな? ローズさん、甘いもの大好きだって言ってたから、私ももっと上手に作れるようになりたいな」

 その日、『光の聖女』アカリ・ナナセは上機嫌だった。
 それもそのはず、今日アカリは聖女としての訓練などの予定もなく、ローズとお茶の予定があったからだ。
  午後に来るとローズから知らせを聞いたアカリは、ローズのために朝からクッキーを焼いていた。

「この間のお菓子も褒めてもらえたし。ローズさんのためなら、なんだって頑張れる気がする!」

 アカリの部屋には、たくさんの本が積み上げられていた。
 この世界に来て約五ヶ月――特にこの二ヶ月は、アカリは魔法だけにとどまらず、地理や歴史の知識を増やし、そしてお菓子作り腕もメキメキと上げていた。

 これまでの異世界転移・転生者に感謝だ。アカリはそう思った。
 なんと中には炎属性の使えるパティシエもいたらしく、オーブンを使ったかなり細かいレシピなども残っていた。

 今のこの世界において、『異世界召喚』は魔王討伐の際にしか許されないという法律があることもあり、『転移者』はかなり歴史を遡らなくては存在しないが、『転生者』は少なからず今も存在している。
 
 しかし科学者はこれまで存在しなかったようで、この世界にはまだ電子レンジなどの電子機器は存在していない。
 それもあり、炎魔法が使えないアカリがお菓子を作るのは本来難しいことだったが、彼女には光魔法の適性以外に、他の人間とは違う特別な点が存在していた。

『アカリ! アカリ!』

「サラ」

『アカリ、アカリ。他にして欲しいことはない?』

 アカリがサラと呼んだ生き物は、半透明の羽を使って宙に浮かんでいた。

 実はこの世界には、妖精や精霊と呼ばれる生き物がいる。
 しかし多くの人間には彼らは見えず、そして彼らは『見えない者』には力を貸さない。
 故に彼らを目視することが出来、その不思議な力を借りることが出来る人間は、この世界で『精霊の愛し子』と呼ばれる。 

「今日はもう大丈夫。みんなありがとう」

『アカリ。何かあったらまた僕のことを呼んでね! ボク、アカリの為ならなんだってやってあげたい!』

「うん。また必要なときはお願いするね。ありがとう。サラ」

『アカリがボクのことを呼んでくれること、ボク待ってる! じゃあね。アカリ!』

 サラ――炎属性のサラマンダーの眷属と思われる妖精は、そう言うと窓から出て行っていった。
 そして窓の方に視線を移したアカリは、窓にへばりついている人間と目が合い悲鳴を上げた。

「…………あまい、におい」
「きゃああああああああああ!!!」

 ここは、三階のはずなのに――アカリの悲鳴を聞きつけて、ローズはノックをせずにアカリの部屋の扉を開けた。 

「アカリ!?」
「ローズさん!」
 アカリは思わず部屋には入ってきたローズに抱きついた。

「大丈夫ですか? 一体何があったのです?」
「……ま、窓の外に、人が」
「人??」

 ローズは、アカリを安心させるために彼女の体を優しく抱きとめてから窓の外を見た。
 すると、子どもが窓に顔を押し付けてじっとこちらを見つめているのが見えた。

「…………っ!?」

 ローズは思わず声にならない声を上げた。

「ろ、ローズさん……っ!」

 ローズは、怯えるアカリを彼女を背に庇った。
 たとえ子どもであろうと、アカリを狙うなら容赦はしない。
 ローズは子どもを睨んだ。しかしその緊迫した雰囲気は、窓の外から聞こえた音によって掻き消された。

 ぐううううううううううううぎゅるるるる。

「……え?」
 ローズは思わず耳を疑った。

 ――これは一体……。

「お腹の音?」
 アカリの部屋は甘い香りで満たされている。彼女の手作りのお菓子の匂いだ。
「……あまいにおい」
 盛大に腹の虫を慣らしながら個と度が呟いた言葉を聞いて、ローズは剣を下ろした。



 ばくばくばくばく。

「そんなに焦って食べなくてもなくなりませんよ? ゆっくり食べなくては、喉につめてしまいます。どうしてそんなにお腹が減っていたのですか?」
「ごはんをたべられるときにたくさんたべるのはじょうしきです」
「……」

 見ず知らずの子どもを部屋に招くわけにはいかず、アカリとローズは子どもに食事を与えることを告げ、壁から降りてもらうことにした。
 フードのついた、黒のローブを着た少女。
 夕焼け色の髪と瞳。赤とオレンジと金色。不思議な色をした子どもの髪は長く、その体や服は薄汚れていた。

 城の庭にある花園。
 アカリとローズは、両手でクッキーをひたすら食べ続ける子どもを見つめていた。
 食べると言うより、詰め込んでいるという方が適切だ。
 アカリはその様子を見て、まるでハムスターみたいだと思った。

 アカリがローズのために作った大量のお菓子は、みるみる間に減っていく。その点については、アカリは少し複雑な気持ちになった。
 お腹の減った子どもの為なら仕方は無い。けれど元々ローズのためにつくったクッキーで、チョコレートで可愛く顔をかいたりしていたというのに、問答無用で子どもの腹の中に消えていく。

 『ローズさんをイメージして作ったんです』と言うために、わざわざアイシングを施した薔薇のクッキーも、当然のように粉砕される。
 アカリ渾身のクッキーは、僅か数秒でこの世から姿を消した。

「随分と痩せていますし、この格好……家族は居ないのですか? お父様や、お母様は?」
「ちちとはははいません」
 ローズの質問に、子どもは静かにこたえた。

「そうですか……。傷つけてしまったら申し訳ありません。では、次に貴方がここに入れた理由を聞いてもいいですか? 私はこれまで、王城で貴方を見たことがありません。貴方はどうやってこの場所に入ったのです? 城の門には魔封じがある。ただの子どもが入ることは出来ないと思うのですが……」
「……」

 ローズの問いに、子どもが顔を上げる。その時ローズは、少女の首にあるものを見つけた。

「チョーカー……?」
「あれ? このチョーカー、石が付いてますよ。ローズさん」
「……ではこの子も魔法を?」

 ローズは首を傾げた。
 魔法を使える人間は、優遇されるのが普通だ。
 もし魔法を使えながらこの待遇となると、一般的な扱いと比べかなり悪い。
 それなのに、この子は一体どうして……? ローズが思案していると、焦りを含んだ声が聞こえて、ローズは声の方を振り替えった。

「シャルル……シャルル、どこにいる!?」

 『大陸の王』ロイ・グラナトゥム。
 彼は誰かを探しているようだった。

 ――この国で、一体誰を……?

 ローズが首を傾げていると、子どもは菓子を食べていた手を止めて彼を呼んだ。

「おうさま」
「え?」
 子ども椅子から降りると、とてとてと小さな足でロイのほうへと走っていく。

「おうさま。シャルルはこちらです」

 ロイの後ろに立つ。
 子どもは表情を変えず、赤い色を宿す王を見上げた。

「……シャルル! 何故俺の部屋に居ない? 勝手に出歩くなと言っただろう!」

 振り返って子どもを見下ろす。ロイは眉間に皺を寄せた。
 幼子を怒鳴りつけるロイにを見て、ローズとアカリは慌てて子どもを追いかけた。

「そんなに怒らないであげてください! この子、お腹が減ってたんです。子どもにご飯を上げずに放置して出かける方がどうかしてます!」
「失礼ですが、この子は貴方が面倒を? チョーカーに精霊晶《いし》が付いているようですし、この待遇は……」

 アカリは怒り、ローズは怪訝な表情でロイに尋ねた。ロイは二人の言葉に、ハッと鼻で笑った。

「チョーカー? 違う。それは首輪だ」
「『首輪』……?」
「ではこれは、貴方がこの子に首輪として与えたものだと言うんですか?」

 ローズの表情が険しくなる。
 アカリは、信じられないという表情を浮かべた。
 違う世界を生きてきたアカリは、実際に首輪を付けられる人間を見たことがなかった。

 犯罪や戦争。
 そういうもので奴隷となる人間は、クリスタロス王国にはないものの、他国にはいることをローズは知っている。けれどそれは魔法を持たぬもの限定で、やはり魔法を持つ者は、首輪を与えられたりなどしない。

 力ある者は優遇される。
 それが、この世界の構造だから。

「そうだ。俺のものをどうしようが、俺の勝手だろう?」
「酷いです! そんな言い方ないじゃないですか。この子が可哀想です!!!」

 アカリは叫んだ。
 しかし怒りに震えるアカリにロイは近付いて、赤い瞳で冷たく見下ろした。

「『光の聖女』――君は他人の所有物に口を出すのか。お節介も甚だしいな」
「なん……っ!」 

 お節介と言われ、アカリはカッと顔を赤くした。
 これまで『光の聖女』であるアカリに、そんな失礼なことを言う人間は居なかった。

 勿論それは、これまでのアカリが他人と深く関わろうとしなかったせいもあるが――。
 自分への嫌悪を表に出したアカリを見て、ロイは嘲笑うような笑みを浮かべた。

「まあいい。――首輪は外すなよ。シャルル」
「はい。おうさま」

 少女は頷く。

「行くぞ」
 ロイはそれだけ言うと、ローズたちに背を向けた。

 シャルルと呼ばれた子どもはその背を追いかけたが、一度ピタリと足を止め、ローズたちに振り返り頭を下げると、再び彼を追いかけた。
 行儀はなっていなかったが、礼儀はわきまえているらしい。
 ローズとアカリは、遠くなる二人の背を見送った。

 二人の背が見えなくなる頃、アカリはおさえていた感情を爆発させた。

「なんなんですかあの人! あんな小さな子を物みたいに!!! ローズさん。私、あんな人がローズさんと結婚なんて絶対嫌です! あんな人、ローズさんに相応しくありませんっ!!!!」
「……」

 珍しく本気で怒っているアカリを見て、ローズは苦笑いした。
 ローズはロイとまだ出会って数日だが、彼が他人に向ける視線が常に上から目線なのは気になっていた。まあそれは王だからしかたないのだろうが……。
 ただ、あることが気になってローズは静かに目を伏せた。

『シャルル……シャルル、どこにいる!?』

 小さな子どもを探す彼の声。
 その声だけは、ローズは自分の知る『ロイ』とは、少しだけ違ったような気がした。

「私、あの人嫌いです!! ローズさん!!」
「アカリ。そう怒っていては可愛い顔が台無しですよ」

 ぷんすか怒るアカリに、ローズは笑みを作った。
 異世界から来たアカリとローズとでは考え方が違う。
 公爵令嬢であるローズは立場をわきまえている。他国の人間関係に、口を出し過ぎるのは歓迎されないことは知っている。

「かっ可愛い……!?」
 不意に囁かれたローズの言葉に、アカリは再び顔を真っ赤に染めた。
 アカリは自分の顔を手で覆った。そんなアカリにローズは尋ねた。

「アカリ。そう言えばこのお菓子、本当は私に作ってくれたものだったんですか?」
「あ、はい……」

 アカリは小さな声で返事をして下を向いた。
 ローズはアカリを見て微笑むと、クッキーを一つ手に取ってぱくりと食べた。

 ――甘くて美味しい、大好きな味だ。

「ありがとう。とても嬉しいです。アカリの作ってくれるお菓子は、甘さも全部私好みで大好きです」
「……私、ローズさんの為に、もっとお菓子作り頑張ります!」

 アカリは元気よく手を上げて宣誓した。
 二つの拳を胸の前で握る様子は、ローズには可愛らしい少女として目に映った。

「アカリ」
 ローズはそっと、アカリの手を両手で包んだ。

「私の為に頑張ってお菓子作りのお勉強をしてくれるのは嬉しいのですが、貴方は光の聖女という役目もあるので、あまり私の為に頑張らなくていいのですよ?」
「え……?」
「アカリが無理をして体を崩したら悲しいですし……」

 ローズは苦笑いした。
 兄たちのことがあって、あまり他の令嬢と深くは付き合ってこなかったローズにとって、アカリは初めて出来た親しい女友達だ。
 『光の聖女』という立場以上に友達として、ローズはアカリが心配だった。

 心から心配そうに自分を見つめるローズ――そんな彼女を見て、アカリはとあることを決意した。
 握られていた手をするりとすり抜けて、今度はアカリがローズの手を包み込んだ。

「わかりました。私、ローズさんに心配をかけないよう気を付けつつ頑張ります!」
「???? あの、アカリ……?」

 ローズは首を傾げた。
 自分の心配は、彼女には伝わらなかったんだろうか――困ったという表情《かお》をしたローズに、アカリは元気よく笑った。

「大丈夫です! ローズさんが応援してくれるなら、私は何だって出来る気がするんです。ベアトリーチェさんの石のことも、ローズさんの役に立ちたいって思ったら出来たので」
 ローズの手を包むアカリの手に力が籠る。

「私にとってローズさんの笑顔が、頑張れるパワーの源なんです!!」

 『だから心配しないでください』とでもいうように、えへへ笑うアカリに、ローズはくすりと笑った。
 建前や嘘などではなく、自分に真っ直ぐに好意を向けてくれる相手には少し戸惑うこともあるけれど、やはり嬉しい。

「ありがとう。アカリ。私は貴方が大好きです」

 香り立つ薔薇のように、ローズはアカリに向かって微笑んだ。
 ただ、自分の笑顔を見たアカリが頬を染めた理由は、やはりローズにはよくわからなかった。