まだ冷めやらぬ恥ずかしさで体が火照っているとスワードがシャルロッテにオールをぽいっと投げ、シャルロッテは慌ててそれを受け取った。

(あれっ?壊れない)

 正直言って、受け取った瞬間に壊してしまうだろうとシャルロッテは思っていた。
 シャルロッテが持つハンドルはスワードが嵌めたカバーで被われており、それは月の光を浴びて金にも銀にも輝く不思議な鉱石でできていた。

「殿下、これは何という石ですか?」

 シャルロッテは社交に疎い自分だから知らない物だろうとスワードに何気なく問うたが、それを聞いたことをすぐに後悔した。

「ああ、それは聖オリハルコンだ」
「……おり…え?え?」
「オリハルコン」
「まさか…伝説で王が悪竜の頭をカチ割ったという、あのオリハルコンですか…?」
「そうだが?」

 シャルロッテは怪力発動してはなるまいと一生懸命深呼吸をした。
 気を抜くな、怪力発動をしないために。いやでもこんな風に気を張りすぎても怪力発動してしまうのだった。なんて不便な体だ。
 
「力加減を学ぶために、まずは壊れにくい物が必要だろう?オリハルコンなら流石の君も破壊できまい」
「でっでもこんな貴重な物を、もし壊しでもしたら…?」
「打ち首だな」

 スワードが大真面目な顔で断言したのでシャルロッテは青ざめて縮み上がった。

(これを壊したら文字通りわたしの人生は終わりよ!ああもうシャルロッテ…ご自慢の怪力で自分の人生まで壊すつもり!?)

 当然のことながらシャルロッテの感情は昂まった。「焦り」「恐怖」「プレッシャー」、あらゆる感情が濁流の如く押し寄せて全身を駆け巡る。
 
 そしていつもの如く体が膠着するのを感じたが、スワードの施したオリハルコン製のハンドルカバーのおかげでオールは壊れなかったし、その経験に痛く感動してもハンドルは無傷だった。
 シャルロッテが感極まって言葉を失っていると、スワードがオールを持つシャルロッテの手を握った。


「もう少し指を緩めるんだ。こうして1本ずつ指を上げて」


 スワードはそのままシャルロッテの手の甲や指先に触れて指導した。


「指とハンドルの間に1mm隙間を空けるイメージで持ってみろ」

「あっ…!」

「力が分散されるだろう?怪力発動してしまっても、持ち方に気をつければ多少和らぐかもしれない。はじめは難しいだろうが、これから何度も私と訓練すればいい」


 スワードは頬杖をつきながら、シャルロッテの手の甲をつついた。それはまるで手に言い聞かせているようで、彼はシャルロッテの手を相手に綺麗に微笑んで見せた。

「殿下、わたし…何だかもう『か弱く』なれた気分です!」
「はあ…ハンドルをよく見ろ」
「へ?」

 シャルロッテは言われるがままにハンドルを見ると、伝説級に硬いオリハルコンにシャルロッテが握りしめた指の跡が薄っすら残っていた。

「この分だと1ヶ月後には駄目になっているかもな」
「そっ、それってつまり…打ち…?」

(打ち首ですか────!?)

「私も鬼ではない。そうだな…体で返してもらおうか」
「はいっ!?」
「ふっはは!冗談だ!半分な」
「半分…?」

 スワードは青くなるシャルロッテを見てケラケラ笑い、揺れるボートで水紋ができた。

 彼はどうにもシャルロッテを困らせたい性分らしく、訓練に協力的な反面、シャルロッテの怪力ぶりを楽しんでいるようにも見えた。

 一方のシャルロッテも訓練に真剣だが、スワードの冗談やからかいで気持ちが和み、最後は何かと笑顔で訓練を終えるのであった。

 ほんのひと時、2人だけの世界。

 湖は夜空の濃紺と星屑が散らばり、青い月光がスワードの銀髪を季節外れの雪のように輝かせ、深く青い瞳にはシャルロッテだけが映る。

 「か弱く」なれたら、いつかスワードのような素敵な男に愛してもらえる日が来るのだろうか。その時自分はどんな気持ちになるのだろうか。

 願わくば「今の」気持ちのように、キラキラして温かい、幸せなものでありますように。
 
 シャルロッテがそう願うと、流れ星が1つ湖の水面に描かれたのであった。