「お墓参りに行ってきます」
「墓参り?…そうかシルト夫人の命日か」
午前10時某日、シャルロッテは訓練予算を組み直すスワードに言った。
シャルロッテが訓練疲れで伏して以降、スケジュールには週2日の休息日が設けられた。
基本的に休息日は何をしてもいい。1日中ベッドで寝耽るもよし、図書館に入り浸るもよし、ティータイムを楽しむもよし。
しかし王宮を出る際には必ずスワードに事前報告するルールがあった。そのためにシャルロッテはこうして事前報告をしにきたわけだが、そうすると必ず決まった返事が返ってきた。
「では私も行こう」
──これである。
「あのぅ…殿下?わたしの母のお墓参りですよ?」
「だからこそだ。君を預かっていると夫人に挨拶をせねばなるまい」
「は、はぁ…」
休息日のスワードはいつもこの調子だった。ある日は散歩、ある日はウィンドウショッピング、またある日はパン屋の試食まで。あれやこれやと理由をつけては、スワードは場所を選ばずどこにでもついてきた。
シャルロッテはその度に困惑の表情を浮かべたが、彼女の顔色などスワードはお首にもかけない。
今回も「1人で良いです」「いや私も行く」の押し問答を5往復して、結局シャルロッテはスワードと共に母親の墓参りへ行くことにしたのだった。
行き先はシルト侯爵の領地邸。シャルロッテはそこで家族と一晩過ごし、明日墓参りをしに行く予定だ。
シャルロッテは日差しの強いシルト領に合わせて帽子と日傘を持った。それから室外へ出るとシャルロッテは途端に固まった。
シャルロッテの視線は客室前で待機していたスワードに集中した。彼は王太子の装いから一変して護身のために帯刀し、凛々しい騎士に扮していたのである。
(わあ!これはこれでっ…!)
シャルロッテはスワードの軍服姿に大いに心臓を打たれたが、長旅前に何かを壊すのは憚られ…いやいつも憚られるがとにかく。シャルロッテはなんとか平常心を保った。鋭意練習中の深呼吸もどきをしたおかげだった。
「準備はいいか?」
「はい!よい…っしょ!それでは行きましょうううううっ!?」
「重そうだから」
スワードはシャルロッテの手から革製のボストンバッグをヒョイッと取り上げた。そのバッグはシャルロッテの荷物でパツパツで、まるで美味なる腸詰のようである。
そのバッグだけ重力が違うのではないかと疑う程の重さだったが、しかしスワードはそれを物ともせず涼しい顔で持ち上げた。
さて、念のために振り返ろう。
スワードは王国の光り輝く王太子だ。そんな人物が自分の荷物を持ってくれたら、一体どんな感情になるだろうか。
「か弱い」令嬢ならば有難くその厚意を受け入れそうだ。もしかするとトキメキで心臓が高鳴り恋情が爆誕するかもしれない。
しかし「怪力令嬢」シャルロッテ・シルトの心臓はそこまで豪胆ではなかった。
シャルロッテは「焦り」と「ド緊張」で昂って紅潮し、スワードが高く掲げるバッグを取り返そうとピョンピョン跳ねた。
しかしスワードは魚釣りのようにバッグを上下させて楽しみ、シャルロッテの指先はバッグを掠めるだけだった。
「自分でっ!持ちますっ!のでっ!」
「君がこんなに重い物を持ったら腕が捥げる」
「ぜぇ…ぜぇ…殿下お忘れですか?わたし怪力令嬢ですよ?」
「だが立派な淑女でもある。いいから黙って持たせろ、たまには私も紳士ぶりたい」
(殿下って意外と頑固なのよね…)
シャルロッテはとうとう折れて荷物を持たせた。通りすがる使用人達の視線が突き刺さってきたのは言うまでもない。スワードの厚意がありがたい反面、シャルロッテは小さく小さくなるのだった。
それから2人が馬車に乗り込むと、スワードが御者に出発の合図をして慣れた様子で脚を組んだ。車体がガタリと揺れて車輪が回り、シャルロッテは窓外の流れる景色を見た。1番日が高くなるこの時間は、馬車の中まで蒸し暑い。
「シルト領まで大体2時間半だったな」
「あっ殿下!1箇所だけ…大通りのお花屋さんに寄っていただけますか?」
「ああ、もしや薔薇か?」
「へ? なぜ殿下がご存知で?」
「昔 侯爵がうんざりするほど惚気ていたんだ。薔薇を贈ると夫人が花より赤くなるとな」
スワードはそう言うと、眺める景色からシャルロッテの瞳に視線を向けた。彼の青い瞳に日が差し、まるで水光のように輝いた。
「あの時は鬱陶しいだけだったが、今は理解できる」
スワードは青瞳を細めて眩しそうにシャルロッテを見つめた。
シャルロッテが今まで見てきたどの青色よりもスワードの青瞳が美しいので、自分の顔に熱が集まるのを感じるのだった。
そうして2人が立ち寄った大通りの店は、王都で最も有名な花屋ブルームだ。
ここでは季節や原産地を問わず種々の花が揃えられ、大庭園を持つ貴族でさえここぞという時にブルームを利用するらしい。
シャルロッテ達が店の門をくぐると沢山の花々が2人を迎え入れた。
店内はガラス天井が高く、壁面は全てクリアガラスのステンドグラスや、朝霞のようなすりガラスでできていた。まるで店自体が温室のようだ。
「うわぁ…お花がこんなに沢山…!」
シャルロッテは大きく息を吸い、花々の香りを一身に浴びた。これはジャスミンだろうか、これは薔薇だろうか、と甘い花の香りを全身の細胞で楽しむ。一方のスワードはそんなシャルロッテに微笑み、そして適当に声を掛けた。
「鉢に触れるなよ?顔が赤い」
「はっはい!…こうして手を組んでいれば平気です」
「ふっはは!花に願い事でもするつもりか?」
──っ眩しい。
それは日光のせいか、はたまたスワードの美しさのせいか。眩い光がシャルロッテの目を貫き、シャルロッテの血行は激流と化した。
きっと絶賛怪力発動中だろう、よし何も持つまい。
シャルロッテは深呼吸もどきをして、なんとか落ち着きを取り戻そうとしていた。その時だった。
「きゃあっ!お客さんが来てたなんて、気づかなかったあ〜ごめんなさいっ!」
店の奥から黄色い声が聞こえると、小走りでパタパタと現れたのは可愛らしい娘だった。