☆☆☆
千羽鶴がやっと出来上がった。クラスを代表して旭と野乃花が病院に向かう。美海がいる病棟に着くと、もう顔見知りになった看護師が旭に向かって手を振ってくれた。
「あら、すごいじゃない! 千羽鶴?」
野乃花が持っている袋の中身を見て、看護師ははしゃいだような声を上げた。
「青崎さんに……病気が良くなりますようにって、みんなで作ったんです」
「そう……きっとご家族は喜んでくれるはずよ」
手続きをしてから二人は美海の病室へ向かう。すると、美海の母が病室から飛び出してきた。
「旭君、そろそろ来る時間だと思って……良かった」
「おばさん、何かあったの?」
「美海が起きたの。久しぶりに……お願い、会ってあげて。これが最期かもしれないでしょう」
美海の母の言葉を聞いた旭は、野乃花を廊下に置き去りにして美海の病室に飛び込んでいく。ベッドに座り込んだ美海は、確かに目を開けていた。旭は細く長く息を吐きだしながら、ゆっくりとした足取りで美海に近づく。
「……美海」
名前を呼ばれたことに気付いたのか、もしくは人の気配を感じ取ったのか、美海は首を旭に向かって動かした。ずっと寝てばかりだったから、足首や腕がすっかり細くなってしまった。旭は美海の手を取る。ほんのりとしたぬくもりが伝わってきた、まだ生きている。旭はバッグに手を突っ込み、その中に入っている『二つの箱』を取り出そうとしていた。
「美海。俺だよ、旭、わかるか?」
そう呼びかけても、美海に反応はない。真っ黒な眼は何を見ているのか、視線が合うこともない。
「なあ、美海……何かやりたいこととか、ない? 俺さ、美海にはまだ生きていてほしいから、なんかわがまま言ってよ。どんなことでも、俺、叶えるよ」
どんな無理難題でも、彼女をこの世界につなぎとめるためならなんだってする。
「まだ夏葉の手紙のことだって伝えていないし。あぁ、今日も持ってきているんだ。読むだろ?」
彼女の手に力は籠らないし、うんともすんとも言わない。顔をゆっくり動かして、一冊のノートが置いてあるテーブルに視線を向けるだけだった。それを見てハッとあることに気付いた旭は、渡そうとしたものを再びバックの中に仕舞いこむ。
「……また来るよ。必ず守るから、お前たちの約束」
夏葉が話していた、流星群の思い出。美海が話していた、夏葉との約束。それを果たすことこそが、美海の最後のわがままに違いない。美海はきっと、そこで夏葉の言葉を待っているのだと旭は受け取った。
長く起きて疲れたのか、美海が船をこぎ始めた。体がぐらぐらと揺れている美海をベッドに寝かせ、旭は彼女に向かって「またな」と囁いた。今日が最期にならないように、願いを込めるみたいに。振り返ると、野乃花が真っ青な顔で立ち尽くしていた。今の美海の様子がショッキングだったのかもしれない。最後に会った時よりも症状は進行していて、野乃花の記憶に残る美海とは別人になっていただろう。
それでも、野乃花は真っ先に旭の心配をしてくれた。
「旭君……大丈夫?」
「うん」
「千羽鶴、青崎さんのお母さんに渡しておいたんだけど……。ねえ、青崎さんはどうなるの?」
「俺の親友も同じ病気だったんだ。徐々に記憶がなくなったりして、最終的には脳死状態になった」
「青崎さんも同じようになるの?」
「それは分からない」
「……旭君はどうするの?」
以前、野乃花に同じことを聞かれたのを思い出す。
「大丈夫。俺はちゃんと、自分の気持ちに蹴りをつけるって決めたから」
「それなら良かったけど。私も流れ星にお願いしておくね、旭君がちゃんと自分の気持ちを青崎さんに伝えられますようにって」
「そうそう気軽に流れ星なんて流れてこないだろ。気持ちだけありがたく受け取っておくよ」
「え? 今度流星群来るじゃない!」
野乃花の言葉に旭は自分の耳を疑う。
「さっきネットニュースを見て知ったんだけど、流星群が来るんだって」
「いつ? それいつなの?」
スマホを取り出して、野乃花はさっき見ていたネットニュースを確認する。
「来週末だって。これがどうかしたの?」
「ううん、何でもないんだ。ありがとう、佐原さん! 俺、ちょっと行くから」
「旭君!」
突然駆け出して行ってしまった旭を見送る野乃花。病院の中を走るのはだめなんじゃないか、と心配しながらその背中を見送る。野乃花は振り返って、ドアが開きっぱなしになっている美海の病室を見た。千羽鶴は紙袋に入ったまま、美海の母は美海に寄り添っている。あれが飾られる日はもしかしたら来ないかもしれない、野乃花が考えたことは無駄だったかもしれない。彼女は俯き考える。
(それじゃあ、無駄じゃないことってなんなのだろう?)
美海のために何かできることはないのか、と帰り道はそのことばっかり考えていた。
一方旭は、来週末の流星群に備えて色々と下調べをしていた。病院内のマップを見ながら、美海を高台まで連れ出す方法を考える。きっと外出の許可は出ないだろう、美海の両親に話を提案してもきっと反対されるに決まっている。ならば、美海の病室に忍び込んでこっそり連れ出すしかない。非常階段やナースステーションの位置、夜間の出入り口を一つずつ確認して、頭の中で考えを巡らせる。美海を背負いながら高台に向かうのはきっと体の負担になるに違いない。けれど、ここで体が動かなくなってもいい、と旭は思っていた。夏葉が繋ぎとめてくれた命、燃やし尽くすならこの流星群の夜しかない。ある程度のルートを考えてから、旭は再び美海の病室に向かう。
「旭君? どうかしたの?」
ちょうど美海の母が千羽鶴を飾ろうとしている最中だった。
「あの、忘れ物を……」
「そうだったの? あ、ちょっと席外していても構わない? 学校の皆さんからもらった千羽鶴を飾りたいんだけど、いい場所がなくって。ナースステーションでフックとか借りられないか聞いてきてもいい?」
「あ、どうぞどうぞ。その間、俺が美海の事見てますから」
美海の母が病室を出た瞬間、旭は美海の耳元に口を近づける。
「来週末、流星群がやってくるんだって」
深い眠りについた美海はピクリとも動かない。けれど旭はそれに構わず話を続ける、きっと美海に届いているはずだと信じて。
「俺、迎えに来るから。絶対、美海に流星群見せるって約束するから」
旭は美海の手を取り、自分の小指を彼女の小指に絡ませた。
「お前との約束は絶対に守るよ。来週末、真夜中に迎えに来るから。ここで待っていて」
すぐに美海の母が戻ってきた。
「そういう貸し出しはしていないって言われちゃった」
「あぁ、そうなんですね」
とても重大な隠し事をしているせいか、声がなんだか変な気がする。でも、美海の母はそれに気づいていない様子だ。
「こんなにキレイな千羽鶴、初めて見た。クラスの皆さんにお礼を言っておいてくれる?」
「はい」
「……美海はもしかしたら、このまま見ることはないかもしれないわね」
旭は「また来ます」と頭を下げて、再び病室を出る。次に来る時は、彼女との約束を果たす時だ。
☆☆☆
流星群がやってくる日の真夜中。旭は真っ黒な服を着て病棟に忍び込んでいた。夜が来るまでは、トイレやリネン室で身をひそめる。夜に病院に潜り込むより、昼のうちから病院にいた方が潜入するときに目立たないだろうと思ったのだ。一番の難関は、美海が入院している病棟のナースステーション。ドアの向こうから、看護師がいなくなるチャンスを窺う。
(……まだかな)
早くしないと、流星群までに美海を高台に連れていくことができなくなる。けれど、焦りは禁物だ。ナースステーションから騒がしい警告音が聞こえてくる。旭は一瞬、美海の病室からかもしれないと思って耳を澄ました。
「高田さんの病室からです」
「早く行きましょう!」
複数の足音が聞こえてきた。旭は少しだけドアを開けて、中の様子を見る。ナースステーションは無人だ! 足音を立てないように急いで美海の病室に向かう。音を立てないようにゆっくりと引き戸を開けた時、中から小さな叫び声が聞こえてきた。
「……きゃあ!」
まずい! と旭はドアを閉めた。そしてふと首を傾げる。今の声、美海の母の物ではない気がする。旭は今度は勢いよくドアを開けた。
「……美海?」
信じられないと旭は大きく目を見開く。ずっと眠ってばかりだったはずの美海が立ち上がっている。
「ねえ、今、着替えているんだけど」
「ご、ごめん!」
両目を手で覆い隠する。美海は旭が驚いている様子を見て小さく笑った。久しぶりに旭の顔を見て、彼女もホッとしていた。病衣を脱ぎ、私服に着替える。
「どうして急に起きて……」
「わからないの? 旭が約束してくれたからだよ。一緒に流星群を見に行こうって……だから、目を覚ますことができたんだと思う」
あの約束が、美海をこの世界につないでくれたのだ。なんだか旭の体から力が抜けて行ってしまう。ふにゃふにゃとただ笑うだけの旭を見て、美海も笑った。
「連れて行ってくれるんだよね?」
「もちろん。一緒に行こう、美海」
旭が手を差し出す。美海は自分の手を重ねて、二人は強く握り合った。
「美海が起きてくれて良かったよ。背負って連れていくところだった」
「しー! 静かにしないと出て行こうとしているのバレる!」
二人は看護師や守衛が見回っていないことを確認して病室を出て行く。旭は美海の手を引いて先導した。
「こっち、非常口がある」
旭が考えたルートに添って、二人は静かに病棟を抜け出していく。非常階段を下りていくと、病院の裏手側に出た。
「美海、大丈夫?」
長い階段を下っている内に、美海は少し疲れてしまったみたいだった。無理もない、ずっと寝たきりで満足な栄養も取れていなかっただろうし、足もすっかり細くなってしまっている。美海はうずくまり、すぐに立ち上がった。
「大丈夫、大丈夫だから……」
その声は弱弱しい。けれど、旭はそれに気づかない振りをする。美海の手を強く握って、旭は力強く歩き出した。
「急ごう、美海」
病院にとどまり続けると、守衛にバレる危険性がある。一刻も早く病院を離れて高台に向かうべきだ。美海も旭の手を握り返す。高台に向かって、二人は走り出す。
高台に続く登り坂を昇っているとき、こんなに急な道だったっけ? と美海は思った。最後に登ったのはいつだったかももう記憶に残っていない。隣にいる旭を見ると、彼も時折胸を押さえて苦しそうに呼吸をしていた。けれど、二人とも足を止めようとはしない。一心不乱に高台を目指す。
「もう少しだ、頑張ろう、美海」
旭はときどき、そう言って美海を励ました。美海は頷く、もう少しで……夏葉との約束が果たされる。
高台についた瞬間、旭は空を見上げて息を飲んでいた。目の前に広がるのは、ビーズをバラまいたみたいに広がる無数の星々。息を吸い込んだら口に飛び込んでくるんじゃないかと思うくらい、星や空が近く感じる。まるで体中が包まれているみたいだ。
「すごいな、これ……」
けれど、肝心の流れ星は見当たらなかった。旭は時間を確認する、少し早めに着いたのか、流星群が降り始めるまでもう少し間があった。旭はまたうずくまっている美海を抱きかかえて、ベンチに座らせる。
「美海、大丈夫か?」
返事はない。旭は慌てて顔を見ると、瞳は黒く濁り始めていた。まるで星が見えない夜空みたいに真っ黒な瞳。体にも力が入らないのか姿勢を保てない。旭は後ろから抱きかかえるように美海を支えた。
「美海、頑張れ。もう少しだから」
空を見上げて、早く星が流れることを祈る旭。腕の中にいる美海は、徐々に力を失っていく。息を吐きだす時はとても長く、静まり返ったと思ったら「ひゅっ」と短く吸い込む音が聞こえてきた。美海のタイムリミットが近いことが旭にも分かった。旭は美海を強く抱きしめる。
「美海、大丈夫。約束はちゃんと俺が叶えるから」
旭の目から涙がボロボロと流れていく。旭はぬぐうこともせず、彼の涙は美海の頭に染みこんでいく。
体に力が入らない、瞼はどんどん重たくなっていく。今まで感じたことのない強い眠気、旭の体は温かくて心地いい。胸に耳を当てると、小刻みな心臓の音が聞こえてくる。これが夏葉と旭の音なんだ、と美海は思った。夏葉の心臓の音なんて聞いたことなかったけれど、最後にこんなに近くに感じられるなんて……。
「美海! 寝るな、起きろ、ほら! 空見ろよ!」
眠気を堪えて目を開き、美海は背後から抱きしめられたまま空を見上げた。満天の星空から、ひとつ、ふたつと星が流れ始める。
「きれいね」
「……うん、本当にキレイだ」
「でも、ごめんね……もう本当に眠たくって」
きっとこのまま目を閉じたら二度と起きないだろう、そんな予感が美海にはあった。頭の中は霞がかったようにぼんやりとしていて、体だって自分が思うように動かせない。最期に流れ星くらい見せてくれたっていいのに、神様はなんて意地悪なんだろう? 容赦なく美海の願いも希望もむしり取っていく。
旭は強く美海を抱きしめた。もう彼女が限界を迎えていることは彼にもとっくに伝わっていた。
「ごめんな、美海。頑張らせて。これで最後だから」
旭は持っていたショルダーバッグの中から二つの箱を取り出す。少し角のあたりが汚れた白い箱と、真新しい紺色の箱。
「夏葉の手紙に書いてあった、アイツが美海に伝えたかったこと……夏葉はずっと美海のことが好きだったって」
美海はハッと顔を上げて、旭を見た。彼は丁寧に夏葉の想いを美海に伝える。
「勇気が出なくて言えずじまいだったことを、ずっと後悔していたんだよ、夏葉。だから俺に手紙と『これ』を託していったんだ」
旭は白い箱を開ける。
「……これって……」
うっとりとため息をつく美海。白い箱の中には、銀色のリングが入っていた。小さなダイヤが埋め込まれただけのとてもシンプルな指輪。ダイヤは小さくきらめいている。旭はそれを取って、美海の近くで見せた。
「中の刻印、見える?」
旭は指輪の内側に刻まれた刻印を読み上げる。
――Natsuha to Miu Always with you
――夏葉から美海へ。僕はいつも美海とともに
美海の目尻から一筋の涙がこぼれていった。まるで流れ星みたいな涙。彼も自分と同じ気持ちでいてくれた、それだけでとても嬉しいのに……こんな指輪まで用意してくれていたなんて。
旭は美海の左手を取り、薬指にそれを嵌める。けれどサイズはあっていなくてブカブカだ。
「大きすぎるな。何か夏葉らしい」
「……本当に」
美海は手を挙げてその指輪を見つめる。
「私も、ずっと一緒にいたいって、言えば良かった」
「うん」
「……でも」
そうしたら、彼は転院することなく死ぬまで一緒にいてくれたかもしれない。でも、と美海は繰り返す。
「でも、夏葉が転院しなかったら、旭はここにいないんだよね。旭も夏葉も、私も死んじゃっていた。本当の気持ちを伝えることもできずに」
夏葉の心臓は旭に届かず、彼も亡くなっていたかもしれない。旭に出会えなかったかもしれない。それを考えると、胸が軋むように痛む。いつの間にか、夏葉と同じくらい旭の事も大事になっていた。
「もう一つあるんだ。これは俺から」
旭はそう言って、紺色の箱を開けた。この前、美海の見舞いの帰りに買ってきたそれも『指輪』だった。
「これって……」
「いつか一緒にゲームセンターに行ったとき、美海が見てたやつになるべくそっくりな指輪を探したんだ」
銀色のリングの上には少し大き目な透明の石がついている。確かに、あの時美海が見つけた指輪によく似ているような気がする。旭は、今度は美海の右手の薬指に嵌めた。
「サイズ大丈夫?」
「うん、ぴったり」
「良かった」
「似合う?」
美海は両手を上げて、旭に指輪を見せる。キラキラと光るそれらはまるで星みたいだ。流れ星の一瞬の光を受けて、小さく瞬いている。
「うん、とてもよく似合うよ」
「ありがとう、旭……」
「これは俺から美海へ、感謝の気持ちを込めて」
流れ星はさっきからたくさん流れてきているのに、二人とももう空を見上げようとはしなかった。残り僅かとなった二人だけの時間をいつくしむように、旭は美海を強く抱きしめる。美海も、震えている旭の手に自分の右手を重ねた。
「美海は俺にとっても、この世界で一番大切な女の子なんだ」
「……恥ずかしいこと言って、馬鹿」
「笑うなよ。美海と夏葉に会えて本当に良かった。俺がここまで生きてこられたのは、二人のおかげなんだ。二人がいなかったら、途中で生きるのを諦めていた」
「……うん」
「二人にはすごく感謝している。生きるきっかけを与えてくれた夏葉と、一緒に生きてくれた美海。美海と一緒に遊んでいるのが、俺、今までの人生の中で一番楽しかった。これは本当だよ。美海のことは大好きだ、世界で一番好きだ、夏葉に負けないくらい。でもそれ以上に、美海に感謝しているんだ、俺は」
美海が笑う声が聞こえる。彼女が笑うのもこれが最後かもしれない、旭はさらに強く抱きしめていた。
「ありがとう、旭。……好きって言ってくれて」
「でも、どうせ振られるのは分かってるから。お前は夏葉が一番なんだろ、それはよく知ってる」
「うん……でも、夏葉と同じくらい、旭も大切になった」
「え? マジで?」
美海の思いがけない言葉に旭は耳を疑う。美海は照れているのをごまかすみたいにまた笑っていた。
「ごめんね、旭を置いていくことになってしまって……」
「謝るな」
「ねえ、旭。お願いがあるの」
「なあに? どんなことでも言いなよ」
「旭には、これからもずっと生きていてほしい。私たちの分まで」
旭はじっと美海の言葉に耳を傾ける。
「長生きして、この世界にあるきれいなものを全部見て、天国にいる私たちにそれらのことを教えて? 約束ね」
「俺が美海と夏葉の約束を破るわけないだろう」
「うん、わかってる……」
もう限界だ。目を開けることもできなくなってきた。目の前は真っ暗で、星空も流れ星も、二人がくれた指輪も見えない。もっと旭と話していたかったのに、タイムリミットがもうすぐそこ来ている。最後にもう一度、美海は旭の名前を呼んだ。
「なに、美海?」
旭の声音はとびっきり優しかった。その優しさに包まれていると、恐怖も感じられない。最期を迎える場所が彼の腕の中で良かった、と美海は息を吐く。優しい心臓の音が聞こえてくる、まるで子守歌みたいに。その音に導かれるまま、美海は最後の願いを呟いた。
「私も、夏葉が旭を救ったように、誰かを助けることができるようになりたいな」
美海の指についた二つの星が、彼女の願いに反応するように小さくきらめく。最後にそれだけ言うと、旭の手に重ねていた美海の手が力を失い落ちていった。
「うん、できるよ。絶対に……あしがとう、美海。大好きだよ」
その旭の言葉が美海に届いたのかどうか、今となっては分からない。
美海は流星群の夜から三日後、静かに息を引き取った。
☆☆☆
美海の死から半年以上が経った。三月の暖かな日、修了式のため早めに学校に向かった旭。きっと教室には誰もいないかもしれない、と廊下を歩いていた時、思いがけない人物が目に飛び込んできた。
「佐原さん?」
「あ、旭君。早いね」
野乃花は花瓶を洗い、花を新しい水につけていた。
「もしかして、今まで水とか花の交換とかって全部佐原さんがやってくれていたの?」
「最初に言い出したのは私でしょ? なら、最後まで責任もってやらないと」
野乃花は濡れた花瓶を丁寧に拭き教室に戻る。ドアから一番近い最前列の席にそれを置いた。ここは美海が座っていた場所、美海が亡くなった後もこの場所は残り続けていたけれど、それも今日で終わりだ。旭も名残惜しむように机を撫でる。
「……なんだか、まだ実感がわかないの。青崎さんが亡くなったって、いまいち信じられないっていうか」
クラスの代表となった野乃花は、担任と一緒にお葬式にも参列した。棺の中で横たわる美海を見送ったのに、どうしてもまだ、美海がこの世からいなくなってしまったという実感がなかった。
「まあ、うちらあんまり仲良くなかったし。当然と言えば当然かもしれないけれど」
「……美海はまだ死んでないよ」
旭の言葉を野乃花は「え?」と聞き返した。
「旭君、どうしたの急に?」
おかしくなっちゃった? と言いそうになって、野乃花は必死にこらえた。
夏葉は美海が亡くなった直後のことを思い出していた。美海が亡くなったという知らせを聞き、旭は病院に急いだ。病室に行くともうそこに美海はいなくて、両親が片づけをしていた。美海の両親と会うのは、流星群を見た夜、高台まで迎えに来てもらった時以来。その時はあまり言葉を交わさなくって、旭は当然、二人はとても怒っているだろうと思っていた。しかし、美海の両親は、真夜中に勝手に美海を連れ出した旭を責めなかった。それどころか、感謝までしてくれたのだ。
「あの子が流星群をもう一度見たいって思っていたこと、私たちも知っていたの。でも、夏葉君ももういなくて、どうしたらいいかもわからなくて……だから、旭君が一緒に見てくれて本当に良かった。ありがとうね」
ボロボロと泣きじゃくっている旭を、一番悲しんでいるはずの2人がそう慰めてくれる。
「これ、見てくれる?」
美海の父が小さなカードを取り出した。見覚えのあるカード、夏葉の親が持っていたものと同じだ。
「臓器提供の意思カード?」
「旭君なら当然知っているか。美海もこれを持っていたんだ、いつの間に用意していたのかまでは知らないけれど……今、美海は臓器の摘出手術を受けている」
美海も夏葉と同様、脳死状態となり回復の見込みがないと診断されたのだ。美海の両親は彼女が遺した意思を汲み取って、彼女をドナーとする決断を下した。これから彼女は、病気で苦しんでいる人々を助けに行く。
「じゃあ、誰かの体の中で生き続けるんだ。夏葉みたいに」
美海が最期に言っていた言葉を、旭は両親に伝える。その言葉を聞いた美海の母は、もう耐えられないと言わんばかりに泣き出し、崩れ落ちていた。
「……ありがとう、旭君。あの子がこんな風に意思を残していってくれたのも、きっと君と出会えたからだ」
「いや、多分俺じゃなくって夏葉の方だと思うんですけど……」
「絶対に、旭君の影響だと思う。君が美海の目の前で、亡くなったはずの命が受け継がれているのを見せてくれたからだ」
美海の父は母の背を撫でる。
「そうだ、美海が旭君に渡しておいてと言っていたやつ、今どこにあるんだ?」
美海の母は震える手で棚を指さした。旭は代わりにその棚を開ける。わずかな衣服とタオル、小さめな紙袋が入っている。
「それ、君宛らしい」
旭は紙袋を手に取る。中には夏葉のノートと、小さなメモ帳が入っていた。ハート柄の表紙、そこには「やりたいことリスト」とまだ幼さの残る文字でそう書かれている。
「もしかして、これ、美海の?」
きっと旭は美海のこれを真似したのだろう。旭はペラペラとめくる。達成できたことにはチェックマークが入っていた。そして、最後のページに辿り着いたとき、旭の体はピタリと止まってしまった。
『旭 ありがとう。大好き、夏葉と同じくらい』
たったそれだけ。でもこの言葉に彼女の思いがぎっしり詰め込まれている。旭の目からボロボロと涙が溢れ出す。美海がいなくなった病室で三人は人目もはばからずわんわん泣いて、美海がいなくなった現実を受け入れ始めようとしていた。
旭はそのメモを破って、スマホケースの中に仕舞っていた。野乃花に見せると、彼女はわずかに笑った。
「なんだよ、笑うことないだろう」
「ううん。ちょっと嫉妬しちゃっただけ。青崎さんと旭君の、切っても切れないような太い絆に」
「嫉妬って……」
「私、旭君が転校してきたときに一目ぼれしちゃったんだ。気づいていた?」
「え!?」
旭は驚く、全く気付いていなかった。そんなことを言われると、何だか恥ずかしくなってきた。顔に血が集まってきたのか熱くなってしまう。
「やだ、そんなに赤くならないでよ。こっちが恥ずかしくなるじゃない」
「だって、全然気づかなかったから……」
「普通気づくでしょ。女子がいっぱい話しかけに来たり、一緒に帰ろうって誘われまくったら」
「俺、ほとんど学校通ってこなかったし! 急にそんな高度なテクニック披露されてもわかんないよ!」
「あはは! 逆切れ旭君、かわいいね」
「バカにして……」
旭が唇を尖らせる。その様子を見て、野乃花はまた笑った。
「でも、もういいや。好きじゃなくなったわけじゃないけど……旭君の心には、何よりも大切な人たちが住み着いている。その人たちに勝てそうな気がしないもん」
「なら、友達ってことで。俺ら」
「……友達だって思ってくれるの? 私、青崎さんにも旭君にもとってもひどいことを言ったのに?」
「確かに、あれはまだ許しきれていないよ。でも、いろいろ助言だってしてくれたし、美海のために千羽鶴とか花とか。そういうことはすごく感謝しているんだ」
「じゃあ、友達っていうことで。私のことは野乃花って呼んでよ」
旭は頷く。
「そうだ。旭君は進路希望調査票になんて書いたの?」
「医学部か、どこか理系の学部に進学したいって。夏葉と美海の病気を治すための研究がしたい」
ずっと考えていた、自分が生かされていた意味。夏葉と美海が望んでいた「誰かを助ける」という思い、それを引き継ぎたい。遠い未来で、彼らと同じ病気の子が生き続けられることができるように。あの日美海の願いに呼応して輝いた二つの指輪、それを思い出すたびにあの輝きに背中を押されるような気分になる。
「……一緒だね」
「え? 野乃花も?」
「うん。青崎さんに出会ったことを無駄にしないように、自分にできることをしてみたいの」
「じゃあ、俺らは友達で『仲間』だな」
「……うん、末永くよろしくね、旭君」
旭と野乃花は顔を見合わせて笑って、グータッチをする。友情を築き上げて、繋がった縁が長く続いていきますように、いつか美海と夏葉の病気が治せる日が来ますように、と願いを込めて。
旭は野乃花の体温を触れ合った時、美海が彼女の中に残した物の大きさを感じていた。美海が遺した意思も、彼らが生きている限りずっと生き続けるし、彼らが死んでしまった後でもきっと誰かが引き継いでくれる。旭はそれを確信した。
美海へ贈った指輪に、彼も刻印をしている。
――Always and Forever
いつもいつまでも、永遠に。彼らの心は失われることなく、旭のそばに息づいている。きっと永遠に。