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 美海の死から半年以上が経った。三月の暖かな日、修了式のため早めに学校に向かった旭。きっと教室には誰もいないかもしれない、と廊下を歩いていた時、思いがけない人物が目に飛び込んできた。

「佐原さん?」
「あ、旭君。早いね」

 野乃花は花瓶を洗い、花を新しい水につけていた。

「もしかして、今まで水とか花の交換とかって全部佐原さんがやってくれていたの?」
「最初に言い出したのは私でしょ? なら、最後まで責任もってやらないと」

 野乃花は濡れた花瓶を丁寧に拭き教室に戻る。ドアから一番近い最前列の席にそれを置いた。ここは美海が座っていた場所、美海が亡くなった後もこの場所は残り続けていたけれど、それも今日で終わりだ。旭も名残惜しむように机を撫でる。

「……なんだか、まだ実感がわかないの。青崎さんが亡くなったって、いまいち信じられないっていうか」

 クラスの代表となった野乃花は、担任と一緒にお葬式にも参列した。棺の中で横たわる美海を見送ったのに、どうしてもまだ、美海がこの世からいなくなってしまったという実感がなかった。

「まあ、うちらあんまり仲良くなかったし。当然と言えば当然かもしれないけれど」
「……美海はまだ死んでないよ」

 旭の言葉を野乃花は「え?」と聞き返した。

「旭君、どうしたの急に?」

 おかしくなっちゃった? と言いそうになって、野乃花は必死にこらえた。
 夏葉は美海が亡くなった直後のことを思い出していた。美海が亡くなったという知らせを聞き、旭は病院に急いだ。病室に行くともうそこに美海はいなくて、両親が片づけをしていた。美海の両親と会うのは、流星群を見た夜、高台まで迎えに来てもらった時以来。その時はあまり言葉を交わさなくって、旭は当然、二人はとても怒っているだろうと思っていた。しかし、美海の両親は、真夜中に勝手に美海を連れ出した旭を責めなかった。それどころか、感謝までしてくれたのだ。

「あの子が流星群をもう一度見たいって思っていたこと、私たちも知っていたの。でも、夏葉君ももういなくて、どうしたらいいかもわからなくて……だから、旭君が一緒に見てくれて本当に良かった。ありがとうね」

 ボロボロと泣きじゃくっている旭を、一番悲しんでいるはずの2人がそう慰めてくれる。

「これ、見てくれる?」

 美海の父が小さなカードを取り出した。見覚えのあるカード、夏葉の親が持っていたものと同じだ。

「臓器提供の意思カード?」
「旭君なら当然知っているか。美海もこれを持っていたんだ、いつの間に用意していたのかまでは知らないけれど……今、美海は臓器の摘出手術を受けている」

 美海も夏葉と同様、脳死状態となり回復の見込みがないと診断されたのだ。美海の両親は彼女が遺した意思を汲み取って、彼女をドナーとする決断を下した。これから彼女は、病気で苦しんでいる人々を助けに行く。

「じゃあ、誰かの体の中で生き続けるんだ。夏葉みたいに」

 美海が最期に言っていた言葉を、旭は両親に伝える。その言葉を聞いた美海の母は、もう耐えられないと言わんばかりに泣き出し、崩れ落ちていた。

「……ありがとう、旭君。あの子がこんな風に意思を残していってくれたのも、きっと君と出会えたからだ」
「いや、多分俺じゃなくって夏葉の方だと思うんですけど……」
「絶対に、旭君の影響だと思う。君が美海の目の前で、亡くなったはずの命が受け継がれているのを見せてくれたからだ」

 美海の父は母の背を撫でる。

「そうだ、美海が旭君に渡しておいてと言っていたやつ、今どこにあるんだ?」

 美海の母は震える手で棚を指さした。旭は代わりにその棚を開ける。わずかな衣服とタオル、小さめな紙袋が入っている。

「それ、君宛らしい」

 旭は紙袋を手に取る。中には夏葉のノートと、小さなメモ帳が入っていた。ハート柄の表紙、そこには「やりたいことリスト」とまだ幼さの残る文字でそう書かれている。

「もしかして、これ、美海の?」

 きっと旭は美海のこれを真似したのだろう。旭はペラペラとめくる。達成できたことにはチェックマークが入っていた。そして、最後のページに辿り着いたとき、旭の体はピタリと止まってしまった。

『旭 ありがとう。大好き、夏葉と同じくらい』

 たったそれだけ。でもこの言葉に彼女の思いがぎっしり詰め込まれている。旭の目からボロボロと涙が溢れ出す。美海がいなくなった病室で三人は人目もはばからずわんわん泣いて、美海がいなくなった現実を受け入れ始めようとしていた。

 旭はそのメモを破って、スマホケースの中に仕舞っていた。野乃花に見せると、彼女はわずかに笑った。

「なんだよ、笑うことないだろう」
「ううん。ちょっと嫉妬しちゃっただけ。青崎さんと旭君の、切っても切れないような太い絆に」
「嫉妬って……」
「私、旭君が転校してきたときに一目ぼれしちゃったんだ。気づいていた?」
「え!?」

 旭は驚く、全く気付いていなかった。そんなことを言われると、何だか恥ずかしくなってきた。顔に血が集まってきたのか熱くなってしまう。

「やだ、そんなに赤くならないでよ。こっちが恥ずかしくなるじゃない」
「だって、全然気づかなかったから……」
「普通気づくでしょ。女子がいっぱい話しかけに来たり、一緒に帰ろうって誘われまくったら」
「俺、ほとんど学校通ってこなかったし! 急にそんな高度なテクニック披露されてもわかんないよ!」
「あはは! 逆切れ旭君、かわいいね」
「バカにして……」

 旭が唇を尖らせる。その様子を見て、野乃花はまた笑った。

「でも、もういいや。好きじゃなくなったわけじゃないけど……旭君の心には、何よりも大切な人たちが住み着いている。その人たちに勝てそうな気がしないもん」
「なら、友達ってことで。俺ら」
「……友達だって思ってくれるの? 私、青崎さんにも旭君にもとってもひどいことを言ったのに?」
「確かに、あれはまだ許しきれていないよ。でも、いろいろ助言だってしてくれたし、美海のために千羽鶴とか花とか。そういうことはすごく感謝しているんだ」
「じゃあ、友達っていうことで。私のことは野乃花って呼んでよ」

 旭は頷く。

「そうだ。旭君は進路希望調査票になんて書いたの?」
「医学部か、どこか理系の学部に進学したいって。夏葉と美海の病気を治すための研究がしたい」

 ずっと考えていた、自分が生かされていた意味。夏葉と美海が望んでいた「誰かを助ける」という思い、それを引き継ぎたい。遠い未来で、彼らと同じ病気の子が生き続けられることができるように。あの日美海の願いに呼応して輝いた二つの指輪、それを思い出すたびにあの輝きに背中を押されるような気分になる。

「……一緒だね」
「え? 野乃花も?」
「うん。青崎さんに出会ったことを無駄にしないように、自分にできることをしてみたいの」
「じゃあ、俺らは友達で『仲間』だな」
「……うん、末永くよろしくね、旭君」

 旭と野乃花は顔を見合わせて笑って、グータッチをする。友情を築き上げて、繋がった縁が長く続いていきますように、いつか美海と夏葉の病気が治せる日が来ますように、と願いを込めて。

 旭は野乃花の体温を触れ合った時、美海が彼女の中に残した物の大きさを感じていた。美海が遺した意思も、彼らが生きている限りずっと生き続けるし、彼らが死んでしまった後でもきっと誰かが引き継いでくれる。旭はそれを確信した。

 美海へ贈った指輪に、彼も刻印をしている。

――Always and Forever

 いつもいつまでも、永遠に。彼らの心は失われることなく、旭のそばに息づいている。きっと永遠に。