翌日、私の体調は戻ったが美月が体調を崩して学校を休んだ。そんなに熱はなく大事をとってということらしいが、確実に私の風邪をうつしてしまったので申し訳ない。

 さらに【詩織は病み上がりなんだからうちに来ようとしちゃだめだよ】と先読みでお見舞いに行くことを阻止されてしまった。

 グループの方にも心配しなくていい、差し入れとかしなくていいと暗に伝えるようなメッセージを送っていて、体調を崩してもなお皆のことを考えている美月には感心してしまう。

 学校に着くと私はいつもの習慣通り保健室へ向かった。白雪先生には美月が休むことが担任の堀先生から伝わっているはずなので私の用事はそれではない。白雪先生に話を聞いてもらいたかった。

 美月や蘭々たちは私のことを大事に思ってくれて優しく私に寄り添った言葉をかけてくれる。それはありがたいことではあったけれど、急速な現状打破には繋がらなかった。

 白雪先生も優しいが割とフラットな視点で物事を見てくれるし、友達ではない立場、色々な経験に基づいた言葉から何かヒントを得られると思った。

「おはよう。どうした? 美月は休みって聞いたけど」

 ちょうど保健室に入ろうとする白雪先生と鉢合わせた。先生も今出勤してきたところのようで、いつもの白衣と違って見慣れない真っ白なコートを着ている。 

「おいで」

 美月にはパステルカラーが似合うが白雪先生にはやっぱり白が似合うなんて考えながら上品で大人っぽい姿に見惚れていると先生は私を保健室に招き入れてくれた。

「どうした? ぼーっとしちゃって」

「先生が綺麗だなって思って」

「褒めても何もでないよ」

 そう言いながらも先生は自分の机の引き出しから個包装された小さなチョコレートを一つ取って私にくれた。

 先生はそのままコートからいつもの白衣に着替えて机とセットになっている椅子に座ったので、私もお礼を言いつつ適当な椅子を持ってきて机を挟んで先生の正面に座った。

「美月がいないのにここに来るってことは何かあったんでしょ?」

「ちょっと相談したいことがあって……」

「いいよ。どんなこと?」

「えっと……」

「真人のことか」

 さすがに鋭い。少し言い淀んだだけですぐに看破されてしまった。でも声色は優しく、その表情を言い表すならば慈愛という言葉が似合う。

 私が頷くと先生は「そうかそうか」と先生も頷いて腕を組む。目を閉じて何かを思い出したり考えたりしているようだ。

「事情はある程度聞いてるよ。バレンタインの日、美月と伊織が話をしているときに私も立ち会ったから。でも詩織の気持ちはまだ聞いてなかったね。師匠としてその悩みを聞いてみようじゃないか」

 そう言って私を見つめる白雪先生の瞳を見るとなんでも話したくなってしまう。きっと先生の醸し出す安心感がそうさせる。

「師匠って……養護教諭としてじゃないんですか?」

「恋愛相談まで教員の仕事にされたらたまったもんじゃないよ。軽くて楽しい恋バナは趣味として、重くて深刻な恋愛相談は人生のほんの少し先輩として聞いてあげる。それに約束したからね。付き合うまでは面倒見てやるって」

「そんな約束しましたっけ?」

「あれ? 美月としかしてないか? まあいいや、話してごらん。真人が九月、いや八月にはアメリカに行っちゃうって話を聞いてどう思った?」

 優しいけれど真剣な目。白雪先生は完全に話を聞くモードに入った。

 私はこの二週間ほどでほんの少しだけ整理できた自分の感情を先生に聞いてもらう。

「色んなことを思ったけど、一言でまとめるとショックだったんだと思います。告白しようとしたことなんて初めてだったから、その直前にあんなことを言われてどうしたらいいか分からなくなっちゃって」

「告白が初めてってことは初恋だったりするの?」

「はい。小学五年生で同じクラスになったときに好きになって、何もないまま中学は別になって、でもずっと覚えてて、高校で再会してやっぱり好きだなって思って」

「そっか。良いねそういうの、青春だ。それでショックを受けた詩織はその後どうしたの?」

「急に真人君と話すのが怖くなっちゃったんです。それで一人にしてって言って離れ桜の下のベンチに座ってぼーっとしてました」

「それから美月が迎えに来たことは聞いたよ。どうして真人と話すのが怖くなったのかな?」 

「気持ちを抑えられずにひどいことを言っちゃいそうだったので」

「言っちゃえばいいじゃない。その方が楽になるよ」

「でも、真人君にも伊織にも色々事情があることも分かるし、今までたくさん助けてもらったので、嫌なことを言いたくなくて」

「優しいね、詩織は」

 白雪先生は立ち上がり、私に背中を向けて窓から外の方を見始めた。私もつられて外を見るとグラウンドが見えて、朝練をしていたサッカー部が片づけをしているのが見えた。

「美月とか蘭々とか詩織の友達は優しいのばっかりだから、あの子たちが思っていても言えないようなことを言ってあげよう」

 片付け中のサッカー部員の数名が白雪先生に気づき手を振り始めた。すると先生はカーテンを閉めてしまう。美人で親身になって話を聞いてくれる白雪先生は男女問わず生徒からの人気が高く、今は二十五歳くらいだからイケる、と狙っている男子も多い。

 そんな男子の儚い恋心をシャットアウトした先生はカーテンが閉まった窓を見つめたまま、私に言葉をくれた。 

「言いたいことは言った方が良いよ」

「それは……美月にも言われました」

「真人の都合とか考えず、自分の思ってること、自分の都合だけ押し付けちゃって良い。自分勝手になって良いんだよ。詩織にはそれをして良い権利がある。真人にはそれを受け止める義務がある。伊織も同じ。それだけのことをやったんだ」

「でも……」

「真人も詩織に怒られたいと思ってるよ、きっと。いや、変な意味じゃなくて。あいつもすごく後悔してるし、色々迷ってると思う。詩織の感情を全部ぶつけてやった方が真人もすっきりすると思う」

「傷つけちゃいそうで不安で……」

「若者の恋なんて傷つけあってなんぼだよ。私なんて高校時代にどれだけの男子の心に傷を負わせてきたか……まあ大学生になってしっぺ返しを食らったけど。とにかく真人のことは気にせずに言いたいことを言え、っていうのが私からのアドバイス」

 確かに美月や蘭々ではこんなことを言ってくれない。新たな道筋が見えた気もするけれど、やっぱり未だに整理しきれていないこの気持ちをぶつけるにはもう少し時間が必要だ。

「ありがとうございます。考えてみますね。今まで思いつかなかったことを聞けて、白雪先生に話して良かったです」

 私に背を向けていた先生がぐるっと体ごと振り返った。

「おっと、今のは白雪先生じゃなくて美里師匠からのお言葉だからね。勘違いしないように」

「白雪先生だとどうなるんですか?」

「そうだね……お互いのことを思いやって傷つかないように、ゆっくり考えてから話し合おう、みたいな」

「……先生って大変なんですね」

「大人でいないといけないからね。正直高校生の頃から精神的に成長してないような気がするんだけど、無理して大人を演じてるんだよ。演じていたらそのうちそれが本当になるのかな……なんて。だから高校生はまだ大人にならなくて良いよ。高校生で良い。中学生よりちょっとだけ大人っぽくなっていれば十分」

 大人って大変なんだな、と思う。

「分かりました。無理しないで頑張ってみます。ありがとうございました」

「あーちょっと待って。最後に言っておきたいことがあって。美月のことなんだけど」

 礼をして教室に向かおうとする私を先生が引き留めた。あと十分ほどで朝のホームルームが始まってしまうけれど美月のことは聞かないわけにはいかない。

「バレンタインの日。伊織から真人の話を聞いたときは美月は平気そうな顔をしてた。全部受け入れて理解して、納得してた。でも伊織が保健室を出てから泣いたんだ」

 やっぱりあの日美月と図書室で話したときに見えた気がした涙は見間違いではなかった。納得してると言っていたけれど悲しかったのだ。本当に美月には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

「詩織と待ち合わせの図書室に行くの遅かったでしょ?それからずっと泣きやまなくて、落ち着かせるためにベッドで寝かせておいたからなんだ」

「そんなに……」

「真人の話を聞いたら詩織がどうなっちゃうんだろうって、心配だって、それで泣いてたよ。自分のことじゃなくて詩織のことをずっと心配してた」

 私の目に徐々に涙が溜まっていくのが分かった。鼻の辺りにもじわっとした感覚を覚えて鼻水まで出てしまいそうになる。

「ごめん、いきなり重たいもの背負わせちゃうようなこと言って。でも美月は基本的にここにいるから、こういうときじゃないと話せないと思ったからさ」

「いえ。私、美月のこと大好きですから、いくらでも背負えます」

「それは安心だ。あんなに優しい子は二十五年の人生の中で初めて見たよ。ずっと仲良くね」

「はい。ありがとうございました」

 最後に白雪先生に向けて一礼をして、朝のホームルーム開始五分前を告げるチャイムと共に保健室を出た。

 まだまだ完全とは言えないけれど、三分の一くらいは胸のつっかえが取れたような気がする。

 少しだけ道は開けた。思っていることをそのままぶつければ良い。

 でも、私は結局どうしたいのかがはっきりしない。次はそれを考えなければならない。