翌日の放課後。俺はまだ教室にいた。

 今日は陽葵の姿を見ていない。だが、本人から「音楽室に集合ね!」と連絡があったので、学校には来ているのだろう。

 あんなことがあっても、翌日には登校できるんだな……幽霊病の症状が軽いのか。あるいは陽葵が強いのか。なんにせよ、彼女が元気なのは喜ばしい。

 これから音楽室でミーティングをすることになっている。俺はベースと学生鞄を持ち、席を立った。

「おい三崎。下手くそがベースの練習か?」

 声をかけてきたのは大沢だった。相変わらず、人を小馬鹿にするような笑みを浮かべている。

「練習もあるかもだけど、とりえあえずミーティングかな」
「ふぅん。お前まともにベース弾けんの?」
「一応ね」
「はっ。何スカシてんだよ。ほんと、ベースやってるヤツって根暗だよな」

 スカシてないし、根暗なんかじゃ……いや俺は根暗だけど、ベーシストは根暗みたいな風潮は気に入らない。お前の価値観が絶対じゃないんだ。決めつけるなよ。

「……何睨んでんだよ? ああ?」
「別に。何も」
「ちっ。三崎なんかに話しかけて損したぜ」

 吐き捨てるように言って、大沢は教室を出ていった。なんだよ、それ。損したのはこっちだっつーの。

 ……また何も言い返せなかった。

 自己主張して他人と衝突すれば、周囲の人を巻き込んでしまう。俺はそのことをよく知っている。

 例えば、俺が「ふざけんな!」と大沢にキレたとしよう。大沢は俺に殴りかかってくるかもしれない。そうしたら俺は怪我するし、クラスメイトや陽葵たちにも迷惑がかかる。そんな事態は避けるべきだ。

 だからきっと、これでいい。実害がないなら、我慢してやりすごせばいいのだ。

 ……なんていうのは、言い訳だってわかっている。

 本当は俺のこの気持ちをぶつけたい。その自覚があるからこそ、どんなときも自分らしくいられる陽葵に憧れるのだ。

「はぁ……ほんと損した気分だよ」

 嘆息しつつ、教室を出た。
 廊下を進み、階段を下りて、ようやく音楽室の前にやってきた。

 ドアを開けて中に入る。
 すでに陽葵と由依はいて、楽しそうにおしゃべりしていた。

「おつかれさま、二人とも」

 声をかけながら近づく。

 すると、陽葵が急に立ち上がり、頭を下げた。

「三崎くん! 昨日はごめんなさいっ!」
「うわっ! きゅ、急に大声出すなよ……てか、なんで謝った?」

 尋ねると、陽葵は頭をあげた。眉を八の字にして、申し訳なさそうな顔をしている。

「ほら。私、昨日倒れて迷惑かけちゃったから」
「気にするなって。その……病気、大変なんだろ? 由依から聞いたよ」
「うん。普段は平気だけど、心臓がドキドキしすぎると体調崩しちゃうみたい」
「そっか……無理はするなよ?」
「ありがとう。三崎くん、優しいね」
「べ、べつに。社交辞令だ」
「あ、照れてるー。やっぱり三崎くん可愛い」
「うっせ。ひっぱたくぞ」
「あははっ。ごめんってばー」

 楽しそうに笑う陽葵。
 こんなに明るく元気な子が幽霊病だなんて……本当に嘘みたいな話だよな。

「メンバーもそろったことだし、ミーティングやる?」

 由依がそう提案すると、陽葵が「やるやる! 準備するね!」と嬉しそうに言った。

「ミーティングの準備って……陽葵。いったい何をするつもりなんだ?」
「決まってるでしょ、三崎くん。新曲だよ」
「どういうこと?」
「新曲で私たちの実力を世間に認めさせてやるってこと! エモいよね!」
「全然わかんねぇ……由依。通訳を頼む」
「陽葵ね、今度のオーディション用に新曲を作ったらしいのよ。その曲を私たちに聞かせたいんだって」
「あ、そういうこと」

 さすが親友だ。あれだけの情報でよくわかったな……って、ちょっと待て。

「陽葵。俺の記憶が確かなら、オーディションは二週間後じゃなかった?」
「うん。そだよ」
「既存の曲があれば、そっちにしないか? 今から作っていたら間に合わなくない?」
「間に合わせる……それがロックさ!」
「どこが?」

 計画性のなさをロックの一言で片づけるなよ。

 こいつに何を言っても無駄だ。俺はちらりと由依に視線を向ける。

「頼む、由依。相方を止めてくれ」
「私は陽葵のやりたいこと、やらせてあげたいわ」
「さっすが由依! 話がわかる!」
「いいのよ、陽葵。三崎くんなんかに負けないで」
「よぉし! 打倒、三崎くんだ!」

 きゃっきゃと盛り上がる女子二人。なんという団結力だ。これ以上は「計画を見直せ」なんて言えない……悲しいかな、陰キャぼっちの発言力などこの程度である。

「ああ、もうわかったよ。オーディションは新曲な?」
「いいの!? わーい! じゃあ、早速だけど新曲聞いてもらっていいかな?」

 陽葵は椅子に腰かけ、スマホを手に持った。

「陽葵が作曲できるとは思わなかったよ。ギターでコードとリズムを決めたのか?」

 尋ねると、陽葵は「DTMだよ。もう完成してるんだ」と得意気に応えた。

 DTMとは、デスクトップ・ミュージックのこと。陽葵はコンピューターで作曲をしたようだ。プロでも楽器を弾けない作曲家がいるが、彼らはピアノやギターで作曲はしない。DTMで作曲するのだ。

「それじゃあ、流すよ?」

 陽葵がそう言った直後、音楽が流れる。

 曲調はアップテンポだ。しかし、全体的に暗い雰囲気をまとっており、どこか物悲しさを感じる。途中にベースソロがあるが、渋くてかっこいい。うん。わりと俺好みの楽曲かも。

 曲が終わると、俺と由依はそろって拍手した。

「いい曲ね。仄暗い雰囲気がすごくエモかったわ。ね、三崎くん?」
「ああ。この曲に歌詞が付くのが楽しみだよ」

 俺と由依が盛り上がっていると、陽葵はニヤリと笑みを浮かべた。
 なんだ、あの悪戯でもしてきそうな笑みは……嫌な予感がするんだが?

 怯えていると、陽葵は俺の背中をバシッと叩いた。

「三崎くん!」
「は、はいっ!」
「この曲に歌詞をつけるのは君だよ! 頑張ってね!」
「はっ……はいぃぃぃ!?」

 おいおい! 聞いてないぞ!

「待て、陽葵! どうして俺なんだ!」
「この曲はね、三崎くんをイメージして作った曲なの」
「お、俺を……?」

 陰キャぼっちのイメージソングってどんなだよ……たしかに好みの曲ではあったけど。

「一応、私も歌詞を考えたんだけど、どうしても三崎くんっぽくならないんだよね。私、君みたいに根暗じゃないから」
「根暗で悪かったな」
「ごめん。悪く言うつもりはなかったの。根暗な人が考えること、全然理解できないってことが言いたかったんだ」

 ……いや言い直しても悪口では?
 それとも、俺が捻くれているから悪いほうに受け取ってしまうだけ?

「目には目を。歯には歯を。根暗な曲には根暗な人を……というわけで、この曲の歌詞は三崎くんしか書けないと思うんだ」
「お前のハンムラビ法典、だいぶ失礼じゃない? そもそも、あれは同害報復といってだな……」
「三崎くん。歌詞書ける?」
「話聞けよ。まあ書いたことはあるけど……」
「ほんと? じゃあ、よろしく!」
「待てって。こんないい曲に、俺が作詞なんて……」
「三崎くん」

 今まで黙っていた由依が、俺の肩をちょんと突いた。

「お願い。陽葵のワガママに付き合ってあげて?」

 嬉しそうな顔で頼まれてしまった。いくらなんでも、親友に甘すぎるだろ。

「陽葵ね。三崎くんとバンド組めて、舞い上がっているみたいなの」
「根暗な陰キャぼっちと組んでテンション上がることある?」
「君、相変わらず卑屈ね……こほん。理由はともかく、新曲は三崎くんをイメージしたみたいだけど?」
「どういう意味だよ」
「少なくとも、陽葵は君に夢中ってこと。あんなにテンション高い陽葵を見るのはひさしぶりだわ」
「ふーん……」

 説明を聞いても、陽葵が俺に歌詞を託す理由はわからなかった。

 ただ、昨日、由依が言っていたこと……「メンバーは俺じゃないと陽葵は納得しない」って言葉は本当なのかもしれない。俺をイメージした曲を作り、歌詞を依頼するくらいだし。

「なあ由依。俺、歌詞なんて何年かぶりに書くし、この曲に見合うフレーズ書けないかもよ?」
「三崎くんが書けなかったら、私は納得する。きっと陽葵も同じ気持ちよ」
「マジか……」
「というか、たぶん書けちゃうと思うわ」

 そう言って、由依は笑った。そんな無責任に背中を押されても困るんだが。
 不安に思っていると、陽葵が俺の手を握った。

「三崎くん。私、ライブハウスで演奏したい。その夢を掴むためには、君の歌詞が必要なの」
「陽葵……」
「お願い。引き受けてくれないかな?」

 陽葵は握った手に力を込めた。

 ……そうだ。約束したじゃないか。
 バンドを続けて、由依と一緒に陽葵の夢を支えるって。

 うじうじと悩んでいる時間が惜しい。時間は限られているんだ。こんなことで足を引っ張っている場合じゃない。

「わかったよ、陽葵。この曲に合う歌詞、考えてみる」
「引き受けてくれるの!?」
「ああ。イマイチでも文句は言うなよ?」
「それは駄目だよ。最高の歌詞しか受け取れない」
「あれ!? なんか話が違うな!?」

 由依の話だと、書けなくても納得してくれるのでは?

 ちらりと由依のほうを見る。露骨に視線をそらされた。策士め。さてはこうなることを知っていたな?

「ありがとね、三崎くん! 君らしい素敵な歌詞、期待してる!」

 陽葵は真夏の向日葵みたいに笑顔を咲かせている。

 俺らしい歌詞か……正直、自信があるわけではない。
 だけど、この三人なら、ものすごい音楽が生まれるはず……そんな根拠のない自信だけはあった。

「俺に任せておけ。最高の歌詞を考えてくるよ」

 ハイなテンションに任せてそう言うと、女子二人はきゃーきゃーと盛り上がるのだった。