うだるような暑さに耐えられなくて寝転んだまま、テーブルに手を伸ばして、雑に置いてあったクーラーのスイッチを押した。
すると、ウイーンと機械音が耳に届き、しばらくすると冷たい風が継続的に吹いてきた。
俺は今、高校二度目の夏休みを過ごしている。
いつもなら舞い上がるほど嬉しいはずなのにどこか手放しで喜べないのは美桜に会えないからだ。
付き合っているわけでもない俺と美桜が夏休みに理由もないのに会えるわけもなく、メッセージでのやりとりしかできないという不完全燃焼な日々を過ごしているのだ。
夏休みなんて永遠に続けばいいのにと思っているのに今は違う。
早く終わってほしい。じゃないと君に会えないから。

「櫂、あんたいつまで寝てんのって……櫂ってアップルパイとか好きだったっけ?」

いきなり俺の部屋の扉を開けるなり、テーブルの上に食べようと置いてあったアップルパイを見て、入ってきた人―――佑香が目をぱちぱちとさせた。

「いやー、買うつもりとかなかったんだけど無意識に手にしててさ」

テーブルにぽつんと置かれたアップルパイを見つめながらゆっくりと体を起こして、テーブルの前に座りベッドを背もたれにするようにもたれる。

昨日、母親にドーナツショップで自分の分も買ってきていいから新作のドーナツを買ってきてほしいと頼まれ出掛けたのはよかったものの、無意識のうちにトレーに乗せていたのは特に好きでもないアップルパイだった。

「なにそれ、変なの。櫂が甘い物食べるって珍しいし」
「うん、俺もそう思う」

昨日もさも当たり前のようにアップルパイへ手を伸ばしていたことに自分が一番信じられなくて驚いた。
自分の好きなものがアップルパイなわけがない。
だって、俺は甘いものがそんなに好きじゃないから。
それなのにあまりにも自然と取ってしまったことに動揺を隠すことができず、そのまま購入してしまったのだ。

「え、なに。怖いんだけど」
「……でもなんでかわかんねえけどアップルパイを取るのが自分の中で当たり前になってた気がするんだよな」

そんなこと、あるはずがないのに。
なんで俺は好きでもない食べ物なんて選んだのだろう。
普段は甘さが控えめなドーナツか惣菜系のドーナツにするのに。
わからない。
必死に頭を捻らせて考えても何も浮かんでこない。

―――うわー!どれにするか迷うなあ!ホイップドーナツもチョコクランチドーナツもいいなあ。アップルパイも捨てがたい……どうしよう。ねえ、櫂はどれにする?
―――俺は――が迷ってるアップルパイにしようかな。半分食べていいよ
―――え、いいの!?ありがとう!

ふと、脳内で再生された言葉。
だけど、顔には霧がかかっていて顔はわからない。
まただ。また美桜の声に似た誰かとの会話だ。
確か、映画を観に行った時もこんなふうに誰かとの会話が勝手に脳内で再生された。
一体、何だと言うのか。
俺の妄想にしてはリアルすぎるし、あの時の俺が無意識にアップルパイを選んでしまったことを考えると実際に俺の身に起こっていたことのように感じてしまう。
でも、そんなこと身に覚えがない。いつも肝心なところにノイズがかかって聞こえない。
その人の名前を呼んでいるはずなのに。

「……い……櫂!」
「あ、悪い」
「大丈夫?暑さでおかしくなっちゃったんじゃない?」

そう言いながら俺の顔を覗き込む佑香。
その顔からは心配してくれているのが滲み出ていた。

「はは、そうかも。んで、何の用?」
「いや。櫂のママから最近、櫂があんまり元気ないって聞いたから心配してきてあげたの」

当たり前のように俺の隣に座ってくる佑香。
コイツとは特に理由がなくても会えるのに、なんてせっかく心配して来てくれている彼女に対して何とも最低なことを考えている自分が嫌気がさす。

「さんきゅー。でも別に元気だから大丈夫」

本当に元気なことに変わりはない。
ただ、美桜に会えなくてちょっと寂しくなっているのといつ両親に自分の将来について打ち明けようかを迷っているだけ。
でも、そんなこと誰かに言えない。
第一に美桜には西神という好きな人がいるのだから俺みたいに会えなくて寂しいなんて思ってくれているわけがないのだ。
メッセージのやりとりだけじゃ、物足りないと思っているのはきっと俺一人だけなのだから。
親に将来についても早いうちに話しておいた方がいいのはわかってはいるけれど、反対されるのが怖くて言い出せない。
この際、新学期に入ってからすぐにある進路面談の時でいいかなとも思ってしまう。

「去年はもっと夏休み楽しんでたのに。今年はどうしちゃったの」
「そういえば、去年はスーパーで買った手持ち花火とかしたよな」

俺が夏っぽいことがしたいと言い出して近くのスーパーで売れ残りの手持ち花火を買い、二人で楽しんだのだ。
その他にも自転車で海に行ったり、夏休みが終わる一週間前になっても終わっていない俺の宿題をブツブツ言いながらも手伝ってくれたっけ。

「……何言ってんの?それわたしじゃないよ。誰かと勘違いしてるんじゃない?」
「え?そうだっけ?」

確か、佑香と二人だった気がするんだけど。
俺の記憶違いだろうか。
さっきの謎の会話もそうだけど、最近自分の記憶と誰かの記憶が噛み合わずチグハグなことが多い気がする。
事故の後遺症か何かだろうか。
医者にはあれだけの怪我を負って後遺症がないのは奇跡です、と信じられないとでも言いたそうな表情で言われたのに今更になって後遺症が出てきたっていうのか?

「最近の櫂、なんだか変だよ」
「気のせいだろ。考えてみたら浜田と一緒にしたのかも」

浜田とは仲が良いけれど、二人で花火をするような仲ではないことくらい佑香にはバレているだろう。
だけど、自分でもそう思い込まないとおかしくなってしまいそうな気がしたのだ。
思い出せそうで思い出せない大切な何か。それが何だったのかはわからない。
だけど、自分が今持っているすべてをその人に捧げても構わないと本気でそう思うほど俺はその人を大切にしていたような気がする。
今の俺が美桜に対してそう思うように、ふと思い出す記憶のようなものの中で俺はその人を大切に想っているのだ。
果たしてこれが本当に俺の思い出せない記憶なのかどうかは定かではないけれど。

「ふーん。今年はしないの?」

疑問に思うことはあったのに佑香はそれを俺に聞いてはこなかった。きっと、彼女なりの優しさなのだと思う。

「予定はないな」
「じゃあ……」
「ん?」

急に黙り込んだ佑香が気になってそちらに視線を向ける。

「ううん。なんでもない!このアップルパイもーらい!」

少しだけ影を落としたかのように見えたその表情は俺の気のせいだったのか横でアップルパイを頬張っている彼女の表情はいつも通りだった。

「おい、俺のやつなんだけど」
「早く食べないのが悪い」

悪びれる様子もなく、さらりと言い放つ。
やっぱり、俺の気のせいだったか。

「食べたんなら早く帰れよ」
「わかってますー!あんたに言われなくてもわたしは忙しいから長居なんてしないし!」

あっという間に食べ終わったアップルパイ。
包んであった紙ナプキンをゴミ箱に捨て「じゃあ、お邪魔しました」と視線を落としたまま、早々に部屋を出て行った。
なんだったんだ……?と思いながら、もう一度ベッドに寝転んで充電コードに挿しっぱなしだったスマホからコードを引き抜いた。画面をタップしてメッセージアプリを開く。

「一応、佑香にお礼言うか」

心配してきてくれたみたいだったし。
そう思い、佑香とのトークを開いて《ありがとな。気が向いたら今度ドーナツ買ってやる》とだけ送信してスマホの画面を落とし、そのままゆっくりと瞼を閉じた。

***

「んん……っ」

再び、重い瞼を持ち上げぼんやりとした視界の中でぐーっと伸びをする。
どうやら、あのまま眠ってしまっていたようだ。
数回、ゆっくりと瞬きをするとぼやけている視界が次第にはっきりとしてくる。
今は何時なんだろうか。
手を伸ばして頭の上にあるはずのスマホを手探りで探す。
すぐに見つかったスマホをタップすると【18:30】と表示されていた。
三時間ほど眠っていたようだった。
最近、夏休みなのをいいことに夜更かしばかりしていたから睡眠不足だったのかもしれない。

「え!?」

眠い目を擦っていたら、視界の中に目を疑うような文字が飛び込んできて思わず声上げた。

《いまなにしてるの?》

それはつい30分程前に届いていた美桜からのメッセージだった。
これはチャンスなんじゃないか、俺にも希望があるかもしれない、と湧いてくる喜びがもう爆発しそうだった。

《なんもしてない。暇すぎて死にそう》

思わず、緩む頬を抑えながら返信を送る。
何も思ってないやつに【いまなにしてるの?】とか聞いてこないだろ。
つまり、俺の恋にも脈があるかもしれない。
うわー!と叫び出したくなるくらい今の俺の気持ちは高ぶっている。
ピコン、と電子音がしてすぐにトークを開いた。

《よかったら花火しない?》

は、花火……!
夏の夜に二人で花火なんてロマンチックすぎる。
神様、味方をしてくれてありがとう。

《もちろんする!》

ばくんばくん、とうるさいくらいに高鳴る鼓動を抑えきれないまま、ベッドでジタバタと暴れて嬉しさを噛みしめる。
最高の夏になりそうな予感だ。と浮かれていたのも束の間。
次に来たメッセージを見て俺はガックリと肩を落とした。

《じゃあ、西神も誘うね》

二人きりじゃなかったのか……。
いや、まあ冷静に考えてみればそうなんだけど。
でも俺だってちょっとくらいアピールしても許されるよな?

《二人じゃダメ?》

よし、送信っと。二人とか無理なんだけどとか思われたらどうしよう。
そんなこと思われたら俺、立ち直れる自信ないわ。
あー、送らなかったらよかったかも。
大人しくみんなで花火をしていればよかったかも。
送る前は俺だってという思いだったのに送って数秒後にもう後悔の念に駆られている。
既読がついて1分が経っても返信が来ない。
やっぱり引かれた……?今からでも嘘って言うべき……?
なんて頭の中で考えているとシュポと音がして返事が返ってきた。
急いでスマホに視線を移す。
部屋で一人、返信内容を見てぽかんと口を開けて固まった。

《櫂が大丈夫ならわたしは別に二人でもいいよ》

え?え?え?
これって夢とかじゃないよな……!?
動揺しながらも自分の頬を思いっきりつねって確かめる。

「いってぇ……!」

ということは、夢じゃない。現実だ。
二人きりで花火……!?
最高の夏休みすぎて思わずガッツポーズをする。

《じゃあ、二人で。19時に家に迎えに行く》
《ありがと。花火は買ってあるから》

会いたくてたまらなかった君に会える。
ウキウキとした気持ちを隠すことができず、ベッドから飛び起きてクローゼットを開けた。

***

―――ピンポーン。
美桜の家に着いて小さく震える指先でインターフォンを鳴らした。
午後18時50分。
約束の19時までは少しあるけれど、これくらいに来た方が早すぎず遅すぎずでいいのかなと思い、やってきた。
あのあと、クローゼットを漁って一人で柄にもなくファッションショーのように鏡に合わせて選んでいたけれど、結局、夜に花火をするだけなのに俺だけ気合入れても行ったら、美桜が引くかなと思ったからに白いTシャツにジーパンで来てしまった。
ちょっとラフ過ぎたかな……?
いや、これくらいがきっとちょうどいい、と言い聞かせて目の前の扉が開かれるのをソワソワしながら待つ。

「ごめん、お待たせ」

家から出てきた美桜はこの前見たときよりもカジュアルな服装で、白いTシャツに黒のスラックスという俺と同じようなわりとラフな服装だった。
その姿を見てやっぱり変に気合入れてこなくてよかった、と心の中でほっと安堵する。
そして暑いからか普段は下ろしている髪の毛も一つにまとめているから新鮮だ。
相変わらず、可愛い俺の好きな人。
ついつい、ニヤケそうになるのを我慢した俺は偉い。

「これ持つわ」

家の鍵を閉めている美桜が片手で持っている水色のバケツと袋に入っている花火などを彼女の手から奪う。
何だか懐かしい気持ちになりながら。

「ありがと。よし、行こっか」
「どこでやんの?」

ゴミや騒音の関係から、年々手持ち花火ができる場所が少なくなってきているのに一体どこでやるつもりなんだろう。

「まあまあ!とっておきのところがあるの」

ピンと人差し指を立て、右目を閉じてウィンクをして笑う美桜。
その無邪気な姿にドクンドクンと鼓動が高鳴る。
可愛い、なんて本音がこぼれおちないように必死に口を引き結んだ。

「それは楽しみだな」
「うん、ついてきて」

俺の少し前を歩く彼女をみて勝手に緩む頬を必死に抑えながらその隣に並んだ。
こうして二人で会えるなんて夢みたいだ。

「今日は無理言ってごめん。どうしても二人で会いたくて」

俺が謝罪するとなぜだか美桜は一瞬目を見開いて驚いたあとほんのりと頬を赤らめて「……全然大丈夫」と言った。
ちょっと照れてる……?
いや、俺相手に照れるわけないだろ。
いくら何でも都合よく捉えすぎだ。

「手持ち花火なんてよく家にあったなー」
「ちょうどスーパーで見かけてついつい買っちゃった」

なんて、むんむんと蒸し暑い夜の中でふんわりと楽しそうに微笑む美桜にまたもや心を掴まれた。
ああ、君と過ごす夏の日はこんなにも楽しく感じるんだな。
いつもならうるさく思う虫の鳴き声も、汗でべっとりと額にくっついてしまう前髪も、全部が気にならずに楽しさへと変わっていく。
恋って、こんな気持ちになるなんて知らなかった。
君と出会ってから俺は今まで知らなかった感情をたくさん知ることができているよ。

「ほら、ついたよ」

5分程歩いて辿り着いたのは近所の河原だった。
こんなところ、来たことがあるはずがないのにどうしてだか俺は懐かしい気持ちになってたまらなかった。
そんな気持ちを抱えながらも階段で河原へと降りて、川より少しだけ離れたところで持ってきた花火とバケツを置いた。

「バケツに水いれてくるわ」
「ありがとう。じゃあ、わたしは花火の袋開けて待ってるね」
「おう」

河原は形の様々な石ころが転がっていて歩きづらいのに加えて今は夜だから月明かりくらいしか光がない。
気を抜くと転びそうだ。
だから、転ばないように意識を足元集中させながら川まで辿り着いた。
たったそれだけのことなのに、むわんとした気温は容赦がないようで額からたらりと汗が伝う。
汗を腕で拭いながらふぅ、と短く息を吐いた。
それにしても暑い夜だな。今日も美桜は可愛かった。
久しぶりに顔が見れたからかいつもの百倍可愛く見えるからずっと心臓がうるさい。
なんてことを考えながら水色のバケツに半分ほど川の水を入れて踵を返す。

「ただいま」

まるで家に帰ってきたかのようにそんなセリフが出てきてしまった。
案の定、美桜はきょとんとしてからすぐに「……おかえり!どれからする?」と袋から出して並べられている花火へと視線を落とした。
その横に汲んできたばかりのバケツをこぼさないようにそっと置いた。
なんか今の同棲しているカップルみたいだったな、なんて言ったら君は引くかな?
俺はいつか家に帰ったら君が「おかえり」と笑って出迎えてくれる幸せに溢れた未来を描いているよ。
まあ、まず恋人になるところから始めないとダメなんだけど。
花火の前でちょこん、と座ってどれにするか悩んでいる彼女を見ていると心がじんわりと熱くなってくる。

―――愛おしい。

その言葉はきっとこういう感情のことを言うんだろうな。
心の底からふつふつと優しくあたたかい感情が溢れてたまらない。
衝動的に彼女を抱きしめたくなるのを必死に堪える。
いつか、何の遠慮もせずに彼女を抱きしめる権利がもらえるように頑張らなくてはいけない。

「ねえ!最初はこの花火にしよ!」

花が咲いたような可愛らしい笑顔を浮かべた美桜が「はい」と俺に一本の花火を差し出す。

「さんきゅ」

点火棒のレバーを何度かカチカチッと押すと、先端にほんのりと小さな炎が灯る。
ゆらゆらを風の抵抗を受けながら揺らめく炎はとても綺麗だった。

「わたしから始めまーす」

その言葉通り、美桜は花火の火薬部分を炎に近づけた。
すると数秒後、シューという独特な音と共にキラキラと激しく眩しい光の線が夜を照らした。

「おー!すげー!」
「ほら、櫂も早く。わたしの火あげるよ」

そう言いながら俺の方へと近づいてくる美桜。
俺は美桜に言われるがままに持っていた花火を美桜の花火へと近づけるが俺はもう花火とかそれどころじゃない。
肩と肩が触れ合いそうなほどの距離にだんだんと鼓動が加速していく。
夜だからなのかいつもよりやけに美桜が色っぽく見えて、もう俺の目は花火なんかよりもずっと愛おしい君を映していた。
それからしばらくしてシューと俺の花火にも火が付いた。
はっとして意識を徐々に美桜から花火へと戻す。

「俺のは青色で、美桜のは赤色だな」
「ほんとだ。キラキラしてて綺麗だなぁ」

もくもくとたつ白い煙の中で、花火を見ながら美桜が言った。
その表情はうっとりとしているようでどこか儚げなに感じて否が応でも俺の心臓はどくんと跳ねた。
あー、もうダメだ。
夏休みの間、美桜を見てなかったからいつもよりも意識してしまう。
思わず、その横顔に見とれていると

「ん?どうした?」

きょとんとした顔で俺を見たあと首を傾げた美桜。
ポニーテールの尻尾がゆらりと可愛らしく揺れる。
そんな些細な仕草までもが俺の心を虜にしてしまう。

「な、なんもない!次はこれやろうぜ!」

動揺しているのを悟られないようにその辺にあった花火を手に取った。

「いや!線香花火は最後が定番でしょ!」

美桜が俺の手に取った花火を見るなり、すかさずそう言った。

「あ……ほんとだな。ミスミス」

俺が適当に取ってしまったのは線香花火だったようで慌てて元の位置に戻した。

「あとで線香花火でどっちが先に終わるか勝負しよっか」

いたずらっぽく微笑む彼女に俺も笑みを返した。

「いいよ。罰ゲームは?」
「え、罰ゲームもやるの?」
「やだ?」
「いや、いいけど……何にするの?」
「んー……相手の好きなところを一つ言う、とか?」

これは完全に俺が自分の気持ちを優先した結果の言葉だ。
美桜が俺のどこか一つでも好きになってくれていて、なおかつそれを知ることができるチャンスだ。
まあ、美桜には何の得もなくて俺得でしかないけど。

「じゃあ、それでいいよ。わたしが勝つし」
「そんなのわかんねえだろ!はい、次これな」

そう言いながら次の花火を渡す。
絶対に勝って、好きなところを聞いてやる。
心の中で決意を固め、美桜を見た。
楽し気に笑いながら隣にいる彼女が持っている花火がシューッと音を鳴らし、鮮やかな光が夜を照らす。

「みてー!ハート!」

無邪気に声を上げて、持っている花火をハートの形に動かす。
すると、花火から放たれている色鮮やかな光がハート型へと変わる。
俺はポケットからスマホを取り出し、カメラを起動させると思わずカシャとシャッターボタンを押した。

「え、なに?」

突然のことにきょとんとした表情で驚いている美桜。

「いや、写真で撮ったらもっとハートに見えるかなって」

そう言いながら先程撮ったばかりの写真を美桜に見せる。
そこには光の線がくっきりとしたハート型になってその先で美桜が屈託のない笑みを浮かべている姿が映っていた。
夏の思い出って感じで我ながら、いい写真だ。
そうか。俺はずっと忘れていた。
自分がどうして写真を撮ることが好きだったのか。
大切な人との大切な時間や今しか見れない景色を残したい、と思ったからだ。
家にある家族旅行の写真や俺の幼少期の写真。
そのどれも、もう戻ることのできない時間。
でも、みんなで見返してああだこうだと思い出話に花を咲かせることはできる。
いつの間にか大切な気持ちを忘れかけてしまっていたのだ。
親にもちゃんと話そう。俺の将来について。

「すごい!ほんとにハートだ!可愛い!」

興奮したように俺のスマホを覗き込む彼女。

「だろ」

得意げにして見せると、美桜がクスリと小さく笑った。

「なんで笑うんだよ」
「ううん。櫂と一緒にいると楽しいなって思って」

どくん、と心臓が大きく跳ねた。
そういう言葉をさらりと言う美桜はズルい。
どこまで俺をドキドキさせるつもりなんだろうか。

「俺も楽しいよ」

ずっと一緒にいれたらいいのに、と神様に願ってしまうくらい、君が好きだから。
美桜も俺と同じ気持ちならよかったのに、と叶いもしない願いを心の中でそっとこぼす。
もう少し、あともう少しだけ早く出会えていたのなら君は俺を好きになってくれた?なんて聞けるわけもなく、視線を落とした。

「じゃあ、今度は櫂がやってみて!星とかどう?」

何も知らない美桜がポケットから自分のスマホを取り出して俺に花火を渡してきた。

「任せろ」

気持ちを切り替えて、点火棒で花火に火をつける。
先程と同じように勢いよく光を放ち始めた花火を星の形になるように動かす。
―――カシャカシャカシャ。

「それ連写じゃね?」
「うん。わたし櫂みたいに撮るの上手くないからさ……って。あはは、櫂、星描くの下手過ぎじゃない?」

美桜は撮ったばかりの写真をさっそく見ているのかケタケタとお腹を抱えながら笑い声を上げる。

「絶対そんなことないから見せてみろ」

あはは、といつまでも笑っている美桜に少しムッとしながら写真を見る。
そこにはとても星だとは言えないような歪な光の線が映っていた。
横にスライドをして他の写真も見てみるけれど、星だと思えるようなものは残念ながら映っていない。
俺ってこんなに絵が下手だったっけ……?
確かに上手いと思ったことはないし、言われたこともなかったけれどここまで酷かったとは……。

「ぐうの音も出ませんって顔してる。ふふっ……!」

俺の表情を見ながら美桜はまだ笑っている。

「うるせえな。ここら辺とか星に見えるだろ」
「歪すぎでしょ。ほんと櫂って最高だよね」

確かに歪すぎる。
星って角が5つなのに6つあるように見えるし。

「ぷっ……はは!なんか見れば見るほど星とはかけ離れてて自分でも面白くなってきた」

ふつふつと込み上げてきた笑いを堪え切れず、噴き出した。
そんな俺の笑い声につられて美桜も声を上げる。

「あー、やばいやばい。ツボに入っちゃう」
「冷静に見たらこれ下手過ぎるな。どこに星要素あんの」
「ちょっとこれ以上笑わせないで……っ。あはは……!笑いすぎてお腹痛い」

二人でケラケラとお腹を押さえて笑い声を上げる。
きっと、傍からみたら全然面白くも何ともない話だと思う。
でも俺たち二人にとっては最高に面白くて、この空気も相まって笑いが止まらないのだ。
たまにある本当に気の合う人としかわかり合えない笑いが今生まれている。
一度、この笑いが生まれるともう何をしても面白く思えてくるから不思議だ。
しばらく笑い合った俺たちは落ち着いてきた頃に花火を再開し、残りは線香花火だけとなった。
この花火が終わったら美桜と過ごす夏休みも終わるのかな。

「はい、勝負ね」
「罰ゲーム、わかってるよな?」
「はいはい。わかってるって」

俺の言葉に流れるように返事をして、点火棒をカチカチッと数回押して火をつけた。
そんな適当に流してるけれど、俺はまじで勝ちにいくから。
だって、俺の好きなところ聞きたいし。
俺の線香花火にも火がついた。
ふるふると震えながらも、火の玉は蕾のようにぷくぷくと膨らんでいき、やがてパチパチと音を立てて細かい火花が勢いよく噴き出した。俺はその小さな蕾を落とさないように動かずにただじっと見つめる。
蕾の周りを激しく舞い散る火花がとても綺麗で、儚くて何故だか胸がぎゅっと締め付けられた。
ふと、横に視線を向けると、美桜も真剣な眼差しで儚く火花を散らす線香花火を見つめていた。
耳に入ってくるのは、パチパチと弾ける音と自分の激しい鼓動の音だけ。
この線香花火と共に、俺の夏も終わる。
そんなことを思っていると隣から「あっ」という声が聞えてきた。
彼女の視線の先を見る。
すると、散りゆく花のように段々と火花が小さくなっていき、ぽたりと火玉が地面へと落ちた。

「俺の勝ちじゃん」

俺の線香花火はまだ微かに火花を散らしている。

「えー、勝てると思ったのに」

残念そうに肩の力を抜いて空を見上げた美桜。
その横顔は暗くてよく見えなかったけれど、何故か今にも泣き出しそうなほど悲痛に見えた。
その表情に心臓が握りつぶされるみたいに苦しくなる。
どうして君はたまにそんな儚げな顔をするのだろう。
俺は君に春の陽だまりのようにあたたかな笑顔をこれからもずっと浮かべて生きていってほしい。
君にそんな顔をさせるすべてのものから俺が守るから。
だから、これからも俺のそばにいてよ。
なんて伝えることのできない気持ちを今日もそっと胸の中に隠した。

「はい。美桜が罰ゲームな。俺の好きなところ一つ言ってみ」

俺がそう言うと、顎に手を当てて考え込むように黙ってしまった美桜。
そんなに考えないと出てこないなんてちょっとショックだな。
でも、まだ出会って数ヶ月だから仕方がないかと自分で自分を励ます。
一分ほど黙っていた美桜がゆるりとこちらに視線を向けた。
宝石のように澄んだ綺麗な瞳と目が合う。
それだけで俺の鼓動はうるさく高鳴り始め、体温が上昇していく。

「櫂の好きなところは、何事にも一生懸命でいつも真っ直ぐなところかな」

照れくさそうにはにかみながら、恥ずかしいのか唇を噛みしめる彼女。
そんな彼女の姿にも俺の心はしっかりと射止められていた。
優しいところ、とか短い言葉で終わらせないところが美桜らしいな、とどうしてだかそんなことを思った。

「……なんか言ってよ」

余韻に浸って何も言えずにいた俺の肩をコツンとつついた。

「いや、嬉しすぎて言葉が出なかった」

俺まで照れてきて、口元を掌で隠す。
ダメだ。今の俺はきっと顔が真っ赤だろう。
今が夜で本当によかった。

「なにそれ。そろそろ帰ろっか」

おかしそうに笑うと、ゆっくりと立ち上がった美桜につられるように俺も「そうだな」と返し、立ち上がった。

「いつかさ、俺の写真と美桜の考えた短文を組み合わせて何かできたらいいよな」

虫の鳴き声をBGMに二人並んでゆっくりと歩く帰り道。
俺はふと思いついたことを口にした。

「おー、いいね!わたしと櫂のコラボレーションじゃん」
「だろ?」

つい口にしてしまったから引かれたらどうしようと思っていた。
でも、意外と乗り気になってくれている様子をみて胸をなでおろした。

写真と短文。
俺たちの好きなものを組み合わせていつか形にできたらいいな、と思う。

「そのためにも櫂にはいい写真撮ってもらわないとね~」

ニヤニヤと頬を緩ませながら言う彼女。
そんな彼女に「任せといて」と言い、ポンっと胸を叩いた。

そう遠くはないうちに叶うといいな。
そしてまた来年もこうして二人で花火ができますように、と俺はむんむんと蒸し暑い夜の星に願った。


―――花火みたいに消えたりしないこの想いをいつか君に伝えられたのなら俺は最大級の愛で君を包むから。