何にもたとえられないような大きな大きな城の一室に、『形だけ』結婚したとしか言いようのない一組の男女がいた。
「ほう、そなたはわしと離縁したいということじゃな。」
男はひんやりとした声だった。
「ええ。お互いに十三で結婚したことになっていますが、そこから五年、貴方様とは年に一度の『温泉発見記念之儀』でしかお会いしておりません。そのようなら、私はそう貴方にとって必要ない人間なのではないでしょうか?」
先ほどよりもさらに冷ややかな声色で、女は諭すように言う。
「もう私に構わないで頂きたい。なので離縁させて…」
女はそこまで続けると、「待った。」と男は口をはさみ、こう続けた。
「では、半年待ってはくれないか?」
「なぜ?先程まで離縁に賛成していたではないですか。」
「なぜって…残りの半年ぐらい触れ合ってみたいものだから…」
「魅子様!先程、門の警備をしていた者がこのようなものを発見しました!」
「何…?この封書は…」
今から五年前の夏、蒼の里にある武士一族の家に封書が届いた。そこには、蒼の里の城主に向けられたものだった。
「開けてみますか…?」
「ええ、開けるしかないでしょう。」
魅子が封を開けると、そこには一枚の手紙が入っていた。
「この紙は翠の里で使われているものだわ…って『其方の娘を妻として迎え入れたい』ですって?」
屋敷の主で蒼の里の里長を務める市ノ瀬魅子は、まだ十三になったばかりの娘である魅亜の嫁入りについて、毎日のように家臣と協議していた。『友好を保つために嫁に出すべきだ』『若い姫を嫁に出すのは良くない』『だが姫も年頃なのだ』このような議論が永遠と続き、とうとう魅子も頭を抱え始めた。
もちろん、何度か翠の里からの従者を交えて話をした。
「里長様、今回の結婚について説明させていただきます。翠の里には今年、十三になる里長様の御子息である、千鶴怜様との縁談です。もちろん、今すぐに決めなくてはならないということではありませんが、できれば承諾していただきたいところです…」
議論を始めて何ヶ月がたっただろうか。季節が一つ変わって秋になろうとしていたが、魅子達は未だに魅亜の嫁入りについて話し合っていた。
「いくらなんでも翠の里の方々を待たせ過ぎでしょう…誰か良い案はありませんか?」
そして、遂に普段は無口な里の長老が口を開き、議論に参加した。
「ここは私たちだけで話し合ってもどうにもならない。姫さまに全てを伝え、姫様の答えを我らの結論としようではないか。勝手に決めても姫様が可哀想じゃ…」
長老のその意見に、すべての者が賛同した。
「分かりました。今から魅亜姫を呼び出し、すべてを伝えます。そして、姫に判断してもらう、それでよろしいでしょうか?」
城主の言葉には誰も迷うことなく肯定し、家臣の一人に魅亜を呼び出させた。
一方そのころ、部屋では何も知らずに趣味の読書を続ける魅亜の姿があった。
「物語はなんて面白いのかしら!もっともっとたくさんの世界を知りたいわ…」
すると、襖の外から魅亜を呼ぶものが現れた。
「何かしら…」
「姫様、少しよろしいでしょうか?」
これはただ事ではない、魅亜はそう感じた。
「どうぞ、お入りになって。」
そう言うと、家臣の一人が部屋に入ってきた。
「魅亜姫様、魅子様がお呼びです。至急、応接間にいらしていただきたいとのことです。」
「え…?私、何かやってしまいましたか…?」
「いえ、姫様への質問というか何というか…」
家臣が言葉を詰まらせたとき、これは只事ではない、魅亜はそう感じた。
「何か、私のことで大変なことが起こっているのですね…?」
家臣が小さく頷くと、魅亜はこう言った。
「分かりました。今すぐ応接間に参ります。少し準備をしていくと、母上に伝えておいてください。」
「承知いたしました。魅子様に伝えておきますね。」
家臣が部屋から下がると、すぐに魅亜の顔は真っ青になった。
「質問…⁈何よ質問って…やっぱり私、何かやらかしたかしら…でも、一切心当たりはないし…どうしましょう…!」
真っ青なその顔とは裏腹に、縁側から見える真っ赤な鯉はいつも通り元気だった。
「流石にこのまま行かないのは駄目よね…でも、理由もよく分からないし…何を言われるのかしら…そもそも、質問?しかも急に何を聞くの…?」
小さな声でつぶやいても、何も解決しないのは分かっている。こんなことをしていても時は流れてしまう。魅亜は分かっていたけれど、どうしても動き出せなかった。
「勇気を出さないと…」
魅亜が手を伸ばした先にあったのは、御守りや文を入れるための腕守りだった。
「ふふ…母上と行った初詣でいただいた御守り、ここに入っているのよね…母上には内緒にしているけど、ここに入っているのは『恋守り』なのよね…まあ、御守りだからいいかしら。」
着物から見えた小枝のように細い二の腕に巻き付け、襖を開けた。
「何があったって大丈夫。その時はその時だから。」
長く続く廊下は、とても静かだった。だが、魅亜は堂々としていた。
「人生何があっても良いじゃない。一度や二度は勇気を出さないと!」
しばらく歩くと、応接間の前に着いた。そして、魅亜はひっそりと深呼吸をした。
「大丈夫、胸を張っていれば何も怖くないわ。」
そして、凛とした声でこう伝えた。
「城主様、市ノ瀬魅亜、ただいま参りました。」
「魅亜ね、おいで。」
その言葉を聞いた魅亜は、中に入り一礼をした後、魅子に尋ねた。
「何でしょう、母上?」
「魅亜、よく聞いて。貴女の気持ちを聞きたいの。」
「は、はい…」
「数ヶ月前に翠の里から貴女を妻として迎え入れたいという文が届いたの。最初は私たちで決める予定にしていたけれど、なかなかまとまらなくて…」
「えっ…?」
魅亜は最初、理解ができなかった。昔から母を見て育った魅亜は、自分が嫁になるのではなく、婿を迎えるのだと考えていたからだ。
「母上、お相手はどのような方で?」
「ええ。お相手はあなたと同じ十三の方よ。政について心得ていて、将来は城主になることが決まっているらしいの。」
そして、魅子はこう伝えた。
「魅亜、この事はまだすぐに決めなくても良いし、もしお嫁に行ったとしても嫌だったら帰ってきてもいいの。そのことを踏まえて、この事を考えておいてくれるかしら?」
少し間が開いたが、魅亜はこう言った。
「分かりました、母上。しばらく検討させていただきます。」
「嘘でしょ…?私が嫁入りだなんて…私が恋みくじの入った腕守りを付けたばっかりに…」
魅亜は読み終わった本の一つをぱらぱらとめくり始めた。
「この物語にそっくり…十二で結婚して同い年の男性と暮らす…まあ、似てないことの方が多いけれど。」
魅亜自身は十二ではなく十三だったし、物語に登場する少女とは真逆で、読書と機織りが好きで、薙刀の練習はこれでもかというくらい大嫌い。最大の弱点は持病で、幼い頃からよく寝込むことがあった。
「嫁入り、ねえ…そっか…私は、この家を継げないのね…」
魅亜に元々兄弟はおらず、このまま嫁入りすることになればどこからか養子をとることになるだろう。かといって、このまま断ってしまえば母にも、翠の里の方にも失礼だろう、そう感じた魅亜は意を決した。
「さてと、準備しましょうか…」
魅亜はそう言って、たんすから桜文様の大きな風呂敷を取り出した。
「これでしょ?これでしょ?あとこれも。」
たんすに入っていたお気に入りの着物や帯、襦袢や小袖を全て風呂敷の上に置き、丁寧に包んだ。
「これも入れないとね…」
次は小さな風呂敷を幾つか取り出して、お気に入りの簪や櫛、まだ読み切れていない本、持病の薬を入れた。
「準備も終わったし、母さんに伝えに行かないと。」
そこには、今まで見たことのないくらい晴れやかな顔をした魅亜がいた。
「魅亜、用意はできたかしら?」
「ええ、もうそろそろ参るところですわ。」
婚姻の準備が整った魅亜は今日、正式に嫁入りをすることになった。当時の女子としては背がとても高く、体格に恵まれていた魅亜が角隠しを付けると、さらに大きく見える。
「貴女もそんな年になったのね…随分とたくましく成長してくれて、本当に嬉しいわ。その姿、良く似合っているわ。」
魅子はどこか悲しそうな顔をしていたが、娘を送り出そうと準備を手伝っていた。
「まあ、暇な時にでも手紙を出してくれたらいいわ。持病のことで何かあったらすぐに呼んでね。」
「分かったわよ。」
水のように静かに流れる時とは裏腹に、魅亜の周りでは慌ただしく、身の回りの者が嫁入りの最終確認を行っていた。
「母さん、ここまで育ててくれてありがとう。」
「何よ、急に改まっちゃって。」
「別に、何にもありませんよ。」
互いに泣きそうな顔をしていたが、二人は笑顔だった。
「早く行きなさい、遅れるわよ。」
「はーい。」
母と娘の会話が終わると、また静かな時が流れ始めた。
揺らり揺られて、魅亜は翠の里に辿り着いた。温泉街が近くにあるからか、町中の至る所から温泉特有の香りが感じられる場所だった。
「わあ!おっきな籠だあ!」
外の様子はよくわからないけど、今は城下町を通っているのだろう。先ほどの子供のように、大きな籠を珍しく思うものもそう少なくはないのだろう、魅亜はそう思っていた。
城下町はとても賑やかで、至る所から人の声が聞こえてくる。
(私、こういう場所は案外嫌いじゃないのよね。)
小さい頃は母とお忍びで城下町を巡ったこともあったからか、魅亜はこのような場所がとても好きだった。練り切りの甘さも、大福のモッチリとした感じも、三色団子の華やかな色も、魅亜は全部大好きだった。
(また、こうやって城下町を歩きたいな…)
魅亜がそんなことを考えていると、
「魅亜姫様、城に到着しました。」
と、付き添いの者がそう告げた。
「まあ、なんて早いこと。ありがとうございました。」
魅亜は礼を付き添いの者に告げ、城内へと案内された。
「怜様と魅亜様の結婚に…」
『乾杯~!』
城に着くと、さっそく祝言が挙げられた。
(この隣の人が私の旦那様…?怜さんだったかしら…何だか可愛らしい顔をしていらっしゃるわね…)
流石に同い年とはいえ、目鼻立ちはっきりとした魅亜とは反対に怜はまだまだ幼い顔をしていて、二人で座っているとまるで姉弟のように見えた。
「あ、初めまして…」
「こ、こんにちは…」
二人の初めての対話を見ていた者たちは、にこやかに微笑み、将来への期待を膨らませていた。
だが、今ここにいる者たちは、後にこのような大事態が起きるというなど誰一人も想像もしていなかった。
怜と魅亜の祝言から五年の月日がたち、二人は十八になった。だが、これと言って夫婦らしいことは一切しておらず、二人の寝室はいつも別だった。そして、二人がきちんと顔を合わせられるのは一年に一度しかない『温泉発見記念之儀』のみになってしまった。
そんなある日、怜の部屋に人がやって来た。
「怜様、魅亜様がお呼びです。至急、魅亜様の寝室に来ていただきたいとのことです。」
家臣であり、昔からの友でもある虎徹がそう伝えた。
「何じゃ?わしに何か用でもあるのか…?」
虎徹はうんざりしたような顔で
「『何じゃ?』じゃないですよ…結婚して五年も経つのに相手にしてもらえなかったらそりゃあ魅亜様も腹が立ってきますよ…貴方様はいつもそうですよね…本当に鈍感です。」
と、怜に伝えた。
「虎徹、自分の立場は分かっておるのか?其方はわしの側近じゃ。鈍感など主君に言う言葉ではないだろう。」
「ですけど、貴方の友人でもあるのですよ?」
「わしは一言余計だと言っているのじゃ。」
虎徹は明後日の方向を見ながらこうつぶやいた。
「昔はこんなのじゃなかったのになあ…あの時の純真無垢な怜はどこへ行ったのやら…」
「あ?」
「やれやれ…可愛さの欠片もなくなりましたね…」
「うるさい。まあ、行ってみるとする。」
(わしだって好きであいつを遠ざけているわけではないのだがな…)
怜はぼんやりとしながら廊下を進み、やっと魅亜の部屋の前までたどり着こうとしてい
たその頃、魅亜の部屋では慌ただしく動く人影があった。
「もう!何で魅亜様はお部屋を片付けようともしないのですか⁈」
「だって…」
「だってじゃありません!殿方様がいらっしゃるというのに、呆れましたよ…」
魅亜と今喋っているのは侍女であり、魅亜がこの里へ来て初めてできた友である毬乃だった。
「そういえば、毬ちゃんって着物が欲しかったりしない?」
「え?そりゃあ欲しいですけど…」
「じゃあ、これ貰ってほしいの…」
魅亜の手元には、可愛らしい手毬柄の入った桃色の小袖に小豆色の帯、椿柄の前垂れがあった。
「え…⁈こんなに貰えないですよ!」
「どうしても貰ってほしいの!自分用に作ったら大きさが合わなくて、このままたんすに入れておいたら虫食いだらけになっちゃうの!」
「そう言って、私のために作ったんじゃ…」
毬乃はどうしたらいいのか分からず、そこに立ち尽くしていた。
「本当にこれは大きさを間違えただけなの!前垂れだけは毬ちゃん用に作っていたからあれだけど、それ以外は本当に違うの!」
少し沈黙が流れて、毬乃はこう答えた。
「も、もう…分かりましたよ!明日がらずっと着ます!」
「あ、うん…嬉しいけど、時々お外に干してね。」
「ていうか、片付けは…?」
「あ…」
「おい、入るぞ。」
怜が部屋に入ると、そこには一面に美しい反物があった。春夏秋冬の植物がある時は緻密に、ある時は大胆に表現されていた。
「これは…おぬしが作ったのか?」
「ええ、そりゃあ五年もの間も貴方様に相手されなかったのですもの。すべて暇をつぶすために作っただけです。」
「で、用は何じゃ?」
魅亜は大きく溜息をつき、呆れたように言った。
「用も何も、一人でずっと過ごすのは退屈です。だから…」
「だから?」
「実家に帰らせていただきたく存じます。」
部屋が水を打ったように静かになった。
「と、言うことは?」
「『と、言うことは?』じゃないです!人様の話ぐらいちゃんと聞いてくださいよ…私はあなたと離縁したいのですよ!り・え・ん!分かりますか⁈」
「ほう、そなたはわしと離縁したいということじゃな。」
怜は曇った顔になり、ひんやりとした声で答えた。
「はあ、やっと私の話を理解できましたか…ええ。お互いに十三で結婚したことになっていますが、そこから五年、貴方様とは年に一度の『温泉発見記念之儀』でしかお会いしておりません。そのようなら、私はそう貴方にとって必要ない人間なのではないでしょうか?」
先ほどよりもさらに冷ややかな声色で、魅亜は諭すように言う。
「もう私に構わないで頂きたいのです。まあ、構ってもらった記憶も一切ないですけれど。なので離縁させて…」
魅亜はそこまで続けると、「待った。」と怜は口をはさみ、こう続けた。
「では、半年待ってはくれないか?」
「なぜ?先程まで離縁に賛成していたではないですか。それとも、私に何か御用でもありますか?」
魅亜は相当腹が立っているようだったが、怜は一切気にせずに話を続けた。
「なぜって…残りの半年ぐらい触れ合ってみたいものだから…」
「で?なぜ急に寝室を急に一緒にするのですか?しかも褥が一つって…」
「残りの時間だけでも『夫婦らしく』してみたいのじゃよ。」
「下心でもあるのではないですか?」
「違う。」
その夜、二人は同じ寝室にいた。魅亜は内心嫌がって最後の最後まで抵抗していたが、怜がどうしてもとねだるので仕方がなく同じ部屋の一つの褥で寝ることになった。
「まあ、貴方の願いを聞いてやったので、今度は私の願いを聞いてくださいよね?」
「分かった。」
魅亜は遠くをぼんやり見つめた後、怜にこう伝えた。
「あと、もう面倒だから敬語も貴方呼びもなし!あんたの名前は…怜でいいのよね?」
「あ、ああ…」
「私の名前、魅亜だからね。覚えておいて。じゃあ、おやすみなさい。」
「おやすみ…」
(可愛い…よりも、格好良いかも…)
何を隠そう、怜ははっきりとした、格好良い性格の女子が好みだった。
「これだと、俺は好かれないだろうけど…」
(というか、もう寝ている…先ほどまであれほどハキハキと喋っておったのに…)
思わぬギャップにやられてしまった怜は、
「もう寝るか…」
とだけ呟き、二人で深い眠りの中へと旅立った。
『怜、俺たちさ…もうすぐこの里を出ていくんだ。』
『え…?なんで?』
『怜くんといたのが家族にばれてさ…何で町人が次期里長様と一緒にいたのって怒られちゃって…私たちは嫌って言ったけど、このことが里の中でばれたら過ごせなくなるからダメって…』
昔から、怜は一人で城にいることが辛く、よく城下町で過ごしていた。新たにできた友と過ごす日々は楽しかったが、身分の違いで友と過ごせなくなってしまうときももちろんだが多々あった。
その時の友は怜と同い年の男の子と女の子の双子で、三人で仲良く毎日を過ごしていた。
『僕、もうみんなと会えないの…?』
怜が悲しそうな顔をすると、双子も泣きそうな顔になりながらこう言った。
『じゃあ、俺おっきくなったら怜の城に行く!』
『お兄ちゃんが行くなら私も行く!』
『でも、何をするの…?』
『俺は怜のソッキン?になる!』
『私は怜くんのお嫁さんと一緒にいる!』
『やったあ!これでみんなとまた会える!』
翌朝、魅亜が目覚めると、勿論のことだが隣には怜がいた。
(ビックリした…そっか、昨日から同じ褥で寝ることになったのよね。普通に無防備で熟睡だなんて…まあ、私は人に害を与えられるような程の強い力はないけれど。)
そのようなことをぼんやり考えていると、怜が寝返りを打ち、魅亜の腕にすがり付いた。
「…ふぇ⁈」
驚いて変な声が出ても、怜は全くもって起きようとしない。
(意外と可愛らしい人なのね。こういう人、嫌いじゃないのよね…)
じっくり怜の顔を見てみると、五年前よりも目鼻立ちがとてもしっかりとしていた。白い肌に薄紅色の頬、くっきりとした優しい二重まぶた。初めて出会った日から変わっていないのは左目の目尻の下のほくろだけ。
(ふふ…案外可愛いだけじゃないのかもね。)
何も分からない。そんなところから始まった結婚。
(結構、興味が湧いてきたかも。せっかくだから、もう少し寝たら散歩にでも誘ってみようかしら。)
「あれ…?」
怜が目覚めると、横にはまだ寝ている魅亜がいた。
「さっき声が聞こえたから起きてみたのに…まだ寝ているのか…」
(もっともっとその可愛い寝顔が見られたらいいのに…)
五年前とは一つも変わらない、綺麗な二重、絹のように美しい肌、薔薇色の唇、艶のある長い黒髪。もっと隣に居てくれれば良いのにと、怜は思った。
「わしはこれでもかというくらい好きなのに…」
怜はそう思い、魅亜の頭を優しく撫でた。すると…
「ふわあ…あ、おはよう…」
「おはよう。」
(寝起き…普通に可愛らしい…)
「今日、何かお仕事はある?」
「いや、特に何も…」
魅亜は目を輝かせた。
「じゃあ、少しお城の外を探索しませんか?私、まだまだ知らないことが多いから…」
「分かった、一緒に行こうか。」
「じゃあ、決まり!」
(眠いと機嫌が悪いのか…?昨日より何だか上機嫌だな。)
「じゃあ、ちょっと着替えてくるから待っていて。着替えたら朝食を食べましょう。」
「分かった。わしも着替えるとしようか。」
「何を願ったのじゃ?」
「内緒。人に言ったら叶わなくなるから。」
ここは城の裏にある小さな神社。朱色に染まった鳥居を引き立てるように、周りには青々とした木々が生えていた。
「魅亜、寒くはないか?」
「大丈夫よ。こんなこともあろうかと分厚い被布を着てきたからね。」
二人はこの里の長とその妻であるから、実はそのような感じは少ないがお忍びでここにいる。何人かは怜の顔をきちんと見たことはあるが、妻である魅亜を見たものは少ないため、今回は少し城を出ても何も問題がないと判断した怜の提案だった。
しばらく城下町を歩いていると、思いがけない人物に出会った。
「おお、これは怜さん。おはよう。」
こう話しかけてきたのは、幼少期に度々城から抜け出していた怜といつも一緒に過ごしてくれていて、翠の里の特産品である蜜柑を長年に渡り作り続けている里の元農業大臣だった。
「オヤジじゃないか!おはよう、調子は良いか?」
「ああ、元気だよ。そうだ、今朝は沢山の蜜柑が取れたから、少しばかりじゃがみんなで食べておくれ。甘いかどうかは食べないと分からんが。それじゃあ。」
「おお、ありがとう。」
一通りの会話が終わった後、魅亜は怜に尋ねた。
「怜、さっきの人は?」
「この城の近くに住んでいる前の農業大臣だよ。まあ、昔はよく一緒に過ごしていたがな…」
「そうなのね…」
少し間が開いた後、怜はこう言った。
「蜜柑、いるか?」
「いいの?二つしか無いのに…」
「いいのだよ。ほれ、今から食べよう。」
「ありがとう。じゃあ、あそこに長椅子があるからそこで食べましょう!」
長椅子に座った二人は、蜜柑を食べ始めた。
「おお、オヤジの蜜柑はやっぱり美味いな。」
「そうね。食べないと分からないって言っていたけど、この蜜柑とっても甘いわ。」
「また会った時には、何かお礼を持たせてやらないとだな。」
「ええ、そうね。今からでも買いに行けば後で渡せそうだけど、どうする?」
「じゃあ、買いに行こうか。」
「でも、何を買うのよ。欲しいものなんて分かるの?」
「もちろん、分かるさ。」
怜はにやりと笑い、こう続けた。
「まあ、少しばかりは手伝ってはもらうが。」
「はいはい、分かりましたよ。」
茶屋から出てきた怜と魅亜。二人の手には何やらお菓子のようなものがあった。
「オヤジさん、練り切りが好きなのね。」
「ああ。オヤジの昔からの大好物でな、いつも遊びに行ったら出してくれたよ。」
里の有名な茶菓子屋では、色とりどりの季節の茶菓子や練り切りが売られていた。
「俺もよくオヤジに連れてきてもらったな…」
「怜の好きな和菓子は何かあるの?」
「ああ、実は俺もオヤジの影響で練り切りが好きになってな…魅亜は何が好きだ?」
「実は私も練り切りが好きなの。色が可愛らしいところも、季節の感じが反映されてるのも、全部好き。」
可愛らしく微笑んだ魅亜に顔を見た怜も笑顔になり、
「確かにな。」
と、つぶやいた。
「あれ…?雪が…」
空を見上げると、そこには大きな分厚い雲から降り注ぐ、白い雪の一つ一つがあった。
「おお、なんと分厚い雲だ…こんな感じだと明日は雪が積もりそうだな。」
「じゃあ、今からでもオヤジさんに練り切りをもっていきましょう。雪が積もったら、私たちもオヤジさんも大変でしょ。」
「そうだな…明日だと雪かきの必要も出てくるだろうし、そのような時に行ってしまえば迷惑だろうからな。」
その時だった。
「へ⁈ちょっと、誰よあんたたち!」
魅亜は盗賊たちに囲まれ、捕まってしまった。
「お前ら…俺の妻に何をする気だ?」
「分かってんだよ城主さん…この女はお前さんの奥方様だろ?」
怜は固まった。
「なぜ、それを…⁈」
「いや…俺たち盗賊でも見たら分かる。あんさんが城主なのは前から知っていたが、この女が奥方様なのは今知ったんだよ。仲睦まじそうにしている女なんて妻ぐらいしかないだろうからな。」
(そういうバレ方⁈)
「そんなことをしたらお前たちの首が飛ぶぞ。いいのか?」
魅亜は色々なことに驚いていたが、怜はかなり怒っていた。
「知らねえよっ!」
「きゃあっ!」
盗賊たちは魅亜を連れて行き、どこかへと去ってしまった。
「待て!」
怜はなすすべもなく、膝から崩れ落ちた。
「どうしたらいいのだ…少し城下町に行くだけだと思っていたから刀も持ってきていないのに…」
頭を抱えたその瞬間、背後から聞き覚えのある声がした。
「「怜!」」
そこには全くそっくりな男女がいた。
「虎徹…毬乃…俺は、俺はどうしたら良いのだ…?大切な人間と、また離れ離れになってしまった…」
「何馬鹿を言ってんだ、魅亜様を救いに行くぞ。」
「え?でも、刀が…」
「分かってる。私たちが持ってきた。幼馴染の私たちを舐めないでちょうだい。」
「あいつらの仲間はいたとしても二桁にはいかない貧弱者たちだ。虎徹の名に懸けて保証してやってもいいぞ。」
「それに、魅亜様は相当強いわ。運動は嫌っているけど、いざ薙刀を持たせたら後で止めるのが大変、素手で何本も竹を折っていくからそれもそれで大変。」
「そ、そんなに強いのか…」
一方その頃、魅亜は盗賊の拠点である館で縛られていた…はずだが、少し抵抗しただけで縄が外れてしまったため、見張りをしていた者たちを何人か失神させてしまっていた。
「本当にこいつらは馬鹿ね。縄を二回しか巻いていなかったなんて。女を見くびらないでほしいわ。しかもここ、母屋からそれなりに離れているし…」
門の見張りの数も少なければ、元々いた人の数だって少ない。そう感じた魅亜は、近くに植えられている竹を一つ折り、持っていた小刀で片方の先を尖らせた。
「これさえあれば何とかなりそう。最悪、この小刀を投げれば…」
「待て!逃げるんじゃねえ!」
「あらあら。もう気づいたの?思っていたよりかは早かったじゃない。」
魅亜は出来上がったばかりの竹製薙刀を構え、盗賊に言い放った。
「あんたたち、中々良い度胸ね。私、こう見えても強いのよ。持病のせいでこんな見た目だけど。」
「ハッ、馬鹿な小娘が。どうせすぐに体力が尽きるんだろ?」
「まあ、間違いではないわ。その分、一気に体力を出すから気を付けてね。」
その瞬間、魅亜の目の色が変わり、盗賊の背後に回り込んだ。
「ウグッ…!」
「大げさすぎでしょ。私、優しいから致命傷にならない程度にしてるのに。」
「この女、強…グハッ…」
「はいはいそこ、うるさいから黙って。」
「あらあら?小娘はもう体力切れですか?」
「う、うるさい…」
乱闘が始まり数分が経過したが、一度に体力を使い切った上に持病の発作が出てきてしまった魅亜は、もう限界だった。
「こいつは近くの源泉にでも沈めておくか。」
「そうだな、俺らの勝…ウギャッ!」
盗賊の背後には、見覚えのある人物がいた。
「は…?れ、い…?」
「どうもお待たせしました、私の愛する人とそんな人に危害を加える塵屑さん。」
「はいはい、そういうのは良いから怜はさっさと俺と塵の片づけをしますよ。毬乃、魅亜様を頼んだぞ。」
「ええ、魅亜様はこちらへ!お薬はもっていますか?」
「ええ…持っているわ…水はないけれど…」
「大丈夫ですよ!魅亜様の身に何か起こりそうなのは今日の朝から感じていたので、お薬用の水も持ってきています!一度、私と共にここを離れましょう!」
「毬ちゃん…ありがとう…」
「本当に申し訳ございません…娘には怜様に迷惑をかけないようにしろとあれほど伝えていたのに…」
「いえいえ、こちらこそ申し訳ないです…私が守ってやれなかったことにも責任はありますし…」
乱闘の末、残った盗賊たちもすべて捕まり、里の牢獄へ連れて行かれた。だが、あの後から二日経った今も、魅亜は目覚めていない。そして、城には娘を心配してやってきた魅子たちもいた。
「お薬はきちんと飲んでいるので、大丈夫ですよね…?」
毬乃からの問いかけに、魅子は複雑な顔をした。
「薬を飲んだからと言って、きちんと効くかはまた別の話なの。話を聞いた感じだと、相当無理をしていたのかもしれないし…最悪、もう意識が戻ってこないかもしれないの…」
「そ、そんな…」
毬乃が泣きそうになり、怜も申し訳なさそうに言った。
「本当にごめんなさい…魅亜のことを守れなくて…」
「こちらこそ、ご迷惑をおかけしました…」
そこからはしばらく無言の時が流れた。誰も言葉を発することなく、風の音だけが聞こえた。すると…
「あれ…?ここ…」
「魅亜…?分かるか⁈」
「あ、怜…」
「良かった…」
何と、魅亜は奇跡的に目を覚ましたのだ。
「ちょ、ちょっと…怜、なんで泣いているの…?」
「だって、二日経っても目を覚まさなかったから…もう、二度と一緒に過ごせないのかと…」
「そんなに心配されても…まともに話し始めたのは数日前じゃない…」
「だって、好きになってしまったら…仕方ないだろ…」
「え…?」
二人がそんな話をしていると、虎徹が部屋に入ってきた。
「あ、魅亜様!良かった良かった、目覚めたみたいで何よりです。」
「お兄…今入ってくるのは違うと思う…」
「じゃあ私もそろそろ帰ろうかしら。虎徹くんに毬乃ちゃん、門の方まで付いてきてくれるかしら?」
「お母様…ありがとうございます…!」
「は…?魅子様も毬乃も何を言っているのだか…」
そんなことを言っていた虎徹は毬乃たちに連れて行かれ、部屋は怜と魅亜の二人きりになった。
「ていうか、この前話した離縁のことだけど…やっぱり撤回で。」
「いい…のか?」
「もう良いわよ。ずっとあんたの隣にいるから。」
「魅亜…」
「私さ、私のことを愛してくれた人は愛が尽きるその日まで、ずっと愛する人間だから。」
魅亜は、とても優しい顔をしていた。
「まあ、いつ私があっちへ逝っちゃうか分からないけどね…それでも良ければ。」
「それが良くなかったら、俺は今隣にいない。」
そう言った怜は、魅亜の唇に口付けした。
「ほら、俺がお前のことを大好きなのが分かっただろ?」
「はいはい。」
「今度の温泉発見記念之儀までには体調を治してくれよ。」
「もう、分かったって…」
「というか、この前神社に行ったとき、何を願ったんだ?」
「んー…まだ内緒!」
もうすぐ冬が始まる里の城で、一組の夫婦が仲良く寄り添っていた。
『形だけの結婚』としか言いようのなかった二人が、本物の愛を知った今日。この二人が離れてしまうことはきっとないだろう、部屋の外から話を聞いていた三人は同じことを考えていた。
「ほう、そなたはわしと離縁したいということじゃな。」
男はひんやりとした声だった。
「ええ。お互いに十三で結婚したことになっていますが、そこから五年、貴方様とは年に一度の『温泉発見記念之儀』でしかお会いしておりません。そのようなら、私はそう貴方にとって必要ない人間なのではないでしょうか?」
先ほどよりもさらに冷ややかな声色で、女は諭すように言う。
「もう私に構わないで頂きたい。なので離縁させて…」
女はそこまで続けると、「待った。」と男は口をはさみ、こう続けた。
「では、半年待ってはくれないか?」
「なぜ?先程まで離縁に賛成していたではないですか。」
「なぜって…残りの半年ぐらい触れ合ってみたいものだから…」
「魅子様!先程、門の警備をしていた者がこのようなものを発見しました!」
「何…?この封書は…」
今から五年前の夏、蒼の里にある武士一族の家に封書が届いた。そこには、蒼の里の城主に向けられたものだった。
「開けてみますか…?」
「ええ、開けるしかないでしょう。」
魅子が封を開けると、そこには一枚の手紙が入っていた。
「この紙は翠の里で使われているものだわ…って『其方の娘を妻として迎え入れたい』ですって?」
屋敷の主で蒼の里の里長を務める市ノ瀬魅子は、まだ十三になったばかりの娘である魅亜の嫁入りについて、毎日のように家臣と協議していた。『友好を保つために嫁に出すべきだ』『若い姫を嫁に出すのは良くない』『だが姫も年頃なのだ』このような議論が永遠と続き、とうとう魅子も頭を抱え始めた。
もちろん、何度か翠の里からの従者を交えて話をした。
「里長様、今回の結婚について説明させていただきます。翠の里には今年、十三になる里長様の御子息である、千鶴怜様との縁談です。もちろん、今すぐに決めなくてはならないということではありませんが、できれば承諾していただきたいところです…」
議論を始めて何ヶ月がたっただろうか。季節が一つ変わって秋になろうとしていたが、魅子達は未だに魅亜の嫁入りについて話し合っていた。
「いくらなんでも翠の里の方々を待たせ過ぎでしょう…誰か良い案はありませんか?」
そして、遂に普段は無口な里の長老が口を開き、議論に参加した。
「ここは私たちだけで話し合ってもどうにもならない。姫さまに全てを伝え、姫様の答えを我らの結論としようではないか。勝手に決めても姫様が可哀想じゃ…」
長老のその意見に、すべての者が賛同した。
「分かりました。今から魅亜姫を呼び出し、すべてを伝えます。そして、姫に判断してもらう、それでよろしいでしょうか?」
城主の言葉には誰も迷うことなく肯定し、家臣の一人に魅亜を呼び出させた。
一方そのころ、部屋では何も知らずに趣味の読書を続ける魅亜の姿があった。
「物語はなんて面白いのかしら!もっともっとたくさんの世界を知りたいわ…」
すると、襖の外から魅亜を呼ぶものが現れた。
「何かしら…」
「姫様、少しよろしいでしょうか?」
これはただ事ではない、魅亜はそう感じた。
「どうぞ、お入りになって。」
そう言うと、家臣の一人が部屋に入ってきた。
「魅亜姫様、魅子様がお呼びです。至急、応接間にいらしていただきたいとのことです。」
「え…?私、何かやってしまいましたか…?」
「いえ、姫様への質問というか何というか…」
家臣が言葉を詰まらせたとき、これは只事ではない、魅亜はそう感じた。
「何か、私のことで大変なことが起こっているのですね…?」
家臣が小さく頷くと、魅亜はこう言った。
「分かりました。今すぐ応接間に参ります。少し準備をしていくと、母上に伝えておいてください。」
「承知いたしました。魅子様に伝えておきますね。」
家臣が部屋から下がると、すぐに魅亜の顔は真っ青になった。
「質問…⁈何よ質問って…やっぱり私、何かやらかしたかしら…でも、一切心当たりはないし…どうしましょう…!」
真っ青なその顔とは裏腹に、縁側から見える真っ赤な鯉はいつも通り元気だった。
「流石にこのまま行かないのは駄目よね…でも、理由もよく分からないし…何を言われるのかしら…そもそも、質問?しかも急に何を聞くの…?」
小さな声でつぶやいても、何も解決しないのは分かっている。こんなことをしていても時は流れてしまう。魅亜は分かっていたけれど、どうしても動き出せなかった。
「勇気を出さないと…」
魅亜が手を伸ばした先にあったのは、御守りや文を入れるための腕守りだった。
「ふふ…母上と行った初詣でいただいた御守り、ここに入っているのよね…母上には内緒にしているけど、ここに入っているのは『恋守り』なのよね…まあ、御守りだからいいかしら。」
着物から見えた小枝のように細い二の腕に巻き付け、襖を開けた。
「何があったって大丈夫。その時はその時だから。」
長く続く廊下は、とても静かだった。だが、魅亜は堂々としていた。
「人生何があっても良いじゃない。一度や二度は勇気を出さないと!」
しばらく歩くと、応接間の前に着いた。そして、魅亜はひっそりと深呼吸をした。
「大丈夫、胸を張っていれば何も怖くないわ。」
そして、凛とした声でこう伝えた。
「城主様、市ノ瀬魅亜、ただいま参りました。」
「魅亜ね、おいで。」
その言葉を聞いた魅亜は、中に入り一礼をした後、魅子に尋ねた。
「何でしょう、母上?」
「魅亜、よく聞いて。貴女の気持ちを聞きたいの。」
「は、はい…」
「数ヶ月前に翠の里から貴女を妻として迎え入れたいという文が届いたの。最初は私たちで決める予定にしていたけれど、なかなかまとまらなくて…」
「えっ…?」
魅亜は最初、理解ができなかった。昔から母を見て育った魅亜は、自分が嫁になるのではなく、婿を迎えるのだと考えていたからだ。
「母上、お相手はどのような方で?」
「ええ。お相手はあなたと同じ十三の方よ。政について心得ていて、将来は城主になることが決まっているらしいの。」
そして、魅子はこう伝えた。
「魅亜、この事はまだすぐに決めなくても良いし、もしお嫁に行ったとしても嫌だったら帰ってきてもいいの。そのことを踏まえて、この事を考えておいてくれるかしら?」
少し間が開いたが、魅亜はこう言った。
「分かりました、母上。しばらく検討させていただきます。」
「嘘でしょ…?私が嫁入りだなんて…私が恋みくじの入った腕守りを付けたばっかりに…」
魅亜は読み終わった本の一つをぱらぱらとめくり始めた。
「この物語にそっくり…十二で結婚して同い年の男性と暮らす…まあ、似てないことの方が多いけれど。」
魅亜自身は十二ではなく十三だったし、物語に登場する少女とは真逆で、読書と機織りが好きで、薙刀の練習はこれでもかというくらい大嫌い。最大の弱点は持病で、幼い頃からよく寝込むことがあった。
「嫁入り、ねえ…そっか…私は、この家を継げないのね…」
魅亜に元々兄弟はおらず、このまま嫁入りすることになればどこからか養子をとることになるだろう。かといって、このまま断ってしまえば母にも、翠の里の方にも失礼だろう、そう感じた魅亜は意を決した。
「さてと、準備しましょうか…」
魅亜はそう言って、たんすから桜文様の大きな風呂敷を取り出した。
「これでしょ?これでしょ?あとこれも。」
たんすに入っていたお気に入りの着物や帯、襦袢や小袖を全て風呂敷の上に置き、丁寧に包んだ。
「これも入れないとね…」
次は小さな風呂敷を幾つか取り出して、お気に入りの簪や櫛、まだ読み切れていない本、持病の薬を入れた。
「準備も終わったし、母さんに伝えに行かないと。」
そこには、今まで見たことのないくらい晴れやかな顔をした魅亜がいた。
「魅亜、用意はできたかしら?」
「ええ、もうそろそろ参るところですわ。」
婚姻の準備が整った魅亜は今日、正式に嫁入りをすることになった。当時の女子としては背がとても高く、体格に恵まれていた魅亜が角隠しを付けると、さらに大きく見える。
「貴女もそんな年になったのね…随分とたくましく成長してくれて、本当に嬉しいわ。その姿、良く似合っているわ。」
魅子はどこか悲しそうな顔をしていたが、娘を送り出そうと準備を手伝っていた。
「まあ、暇な時にでも手紙を出してくれたらいいわ。持病のことで何かあったらすぐに呼んでね。」
「分かったわよ。」
水のように静かに流れる時とは裏腹に、魅亜の周りでは慌ただしく、身の回りの者が嫁入りの最終確認を行っていた。
「母さん、ここまで育ててくれてありがとう。」
「何よ、急に改まっちゃって。」
「別に、何にもありませんよ。」
互いに泣きそうな顔をしていたが、二人は笑顔だった。
「早く行きなさい、遅れるわよ。」
「はーい。」
母と娘の会話が終わると、また静かな時が流れ始めた。
揺らり揺られて、魅亜は翠の里に辿り着いた。温泉街が近くにあるからか、町中の至る所から温泉特有の香りが感じられる場所だった。
「わあ!おっきな籠だあ!」
外の様子はよくわからないけど、今は城下町を通っているのだろう。先ほどの子供のように、大きな籠を珍しく思うものもそう少なくはないのだろう、魅亜はそう思っていた。
城下町はとても賑やかで、至る所から人の声が聞こえてくる。
(私、こういう場所は案外嫌いじゃないのよね。)
小さい頃は母とお忍びで城下町を巡ったこともあったからか、魅亜はこのような場所がとても好きだった。練り切りの甘さも、大福のモッチリとした感じも、三色団子の華やかな色も、魅亜は全部大好きだった。
(また、こうやって城下町を歩きたいな…)
魅亜がそんなことを考えていると、
「魅亜姫様、城に到着しました。」
と、付き添いの者がそう告げた。
「まあ、なんて早いこと。ありがとうございました。」
魅亜は礼を付き添いの者に告げ、城内へと案内された。
「怜様と魅亜様の結婚に…」
『乾杯~!』
城に着くと、さっそく祝言が挙げられた。
(この隣の人が私の旦那様…?怜さんだったかしら…何だか可愛らしい顔をしていらっしゃるわね…)
流石に同い年とはいえ、目鼻立ちはっきりとした魅亜とは反対に怜はまだまだ幼い顔をしていて、二人で座っているとまるで姉弟のように見えた。
「あ、初めまして…」
「こ、こんにちは…」
二人の初めての対話を見ていた者たちは、にこやかに微笑み、将来への期待を膨らませていた。
だが、今ここにいる者たちは、後にこのような大事態が起きるというなど誰一人も想像もしていなかった。
怜と魅亜の祝言から五年の月日がたち、二人は十八になった。だが、これと言って夫婦らしいことは一切しておらず、二人の寝室はいつも別だった。そして、二人がきちんと顔を合わせられるのは一年に一度しかない『温泉発見記念之儀』のみになってしまった。
そんなある日、怜の部屋に人がやって来た。
「怜様、魅亜様がお呼びです。至急、魅亜様の寝室に来ていただきたいとのことです。」
家臣であり、昔からの友でもある虎徹がそう伝えた。
「何じゃ?わしに何か用でもあるのか…?」
虎徹はうんざりしたような顔で
「『何じゃ?』じゃないですよ…結婚して五年も経つのに相手にしてもらえなかったらそりゃあ魅亜様も腹が立ってきますよ…貴方様はいつもそうですよね…本当に鈍感です。」
と、怜に伝えた。
「虎徹、自分の立場は分かっておるのか?其方はわしの側近じゃ。鈍感など主君に言う言葉ではないだろう。」
「ですけど、貴方の友人でもあるのですよ?」
「わしは一言余計だと言っているのじゃ。」
虎徹は明後日の方向を見ながらこうつぶやいた。
「昔はこんなのじゃなかったのになあ…あの時の純真無垢な怜はどこへ行ったのやら…」
「あ?」
「やれやれ…可愛さの欠片もなくなりましたね…」
「うるさい。まあ、行ってみるとする。」
(わしだって好きであいつを遠ざけているわけではないのだがな…)
怜はぼんやりとしながら廊下を進み、やっと魅亜の部屋の前までたどり着こうとしてい
たその頃、魅亜の部屋では慌ただしく動く人影があった。
「もう!何で魅亜様はお部屋を片付けようともしないのですか⁈」
「だって…」
「だってじゃありません!殿方様がいらっしゃるというのに、呆れましたよ…」
魅亜と今喋っているのは侍女であり、魅亜がこの里へ来て初めてできた友である毬乃だった。
「そういえば、毬ちゃんって着物が欲しかったりしない?」
「え?そりゃあ欲しいですけど…」
「じゃあ、これ貰ってほしいの…」
魅亜の手元には、可愛らしい手毬柄の入った桃色の小袖に小豆色の帯、椿柄の前垂れがあった。
「え…⁈こんなに貰えないですよ!」
「どうしても貰ってほしいの!自分用に作ったら大きさが合わなくて、このままたんすに入れておいたら虫食いだらけになっちゃうの!」
「そう言って、私のために作ったんじゃ…」
毬乃はどうしたらいいのか分からず、そこに立ち尽くしていた。
「本当にこれは大きさを間違えただけなの!前垂れだけは毬ちゃん用に作っていたからあれだけど、それ以外は本当に違うの!」
少し沈黙が流れて、毬乃はこう答えた。
「も、もう…分かりましたよ!明日がらずっと着ます!」
「あ、うん…嬉しいけど、時々お外に干してね。」
「ていうか、片付けは…?」
「あ…」
「おい、入るぞ。」
怜が部屋に入ると、そこには一面に美しい反物があった。春夏秋冬の植物がある時は緻密に、ある時は大胆に表現されていた。
「これは…おぬしが作ったのか?」
「ええ、そりゃあ五年もの間も貴方様に相手されなかったのですもの。すべて暇をつぶすために作っただけです。」
「で、用は何じゃ?」
魅亜は大きく溜息をつき、呆れたように言った。
「用も何も、一人でずっと過ごすのは退屈です。だから…」
「だから?」
「実家に帰らせていただきたく存じます。」
部屋が水を打ったように静かになった。
「と、言うことは?」
「『と、言うことは?』じゃないです!人様の話ぐらいちゃんと聞いてくださいよ…私はあなたと離縁したいのですよ!り・え・ん!分かりますか⁈」
「ほう、そなたはわしと離縁したいということじゃな。」
怜は曇った顔になり、ひんやりとした声で答えた。
「はあ、やっと私の話を理解できましたか…ええ。お互いに十三で結婚したことになっていますが、そこから五年、貴方様とは年に一度の『温泉発見記念之儀』でしかお会いしておりません。そのようなら、私はそう貴方にとって必要ない人間なのではないでしょうか?」
先ほどよりもさらに冷ややかな声色で、魅亜は諭すように言う。
「もう私に構わないで頂きたいのです。まあ、構ってもらった記憶も一切ないですけれど。なので離縁させて…」
魅亜はそこまで続けると、「待った。」と怜は口をはさみ、こう続けた。
「では、半年待ってはくれないか?」
「なぜ?先程まで離縁に賛成していたではないですか。それとも、私に何か御用でもありますか?」
魅亜は相当腹が立っているようだったが、怜は一切気にせずに話を続けた。
「なぜって…残りの半年ぐらい触れ合ってみたいものだから…」
「で?なぜ急に寝室を急に一緒にするのですか?しかも褥が一つって…」
「残りの時間だけでも『夫婦らしく』してみたいのじゃよ。」
「下心でもあるのではないですか?」
「違う。」
その夜、二人は同じ寝室にいた。魅亜は内心嫌がって最後の最後まで抵抗していたが、怜がどうしてもとねだるので仕方がなく同じ部屋の一つの褥で寝ることになった。
「まあ、貴方の願いを聞いてやったので、今度は私の願いを聞いてくださいよね?」
「分かった。」
魅亜は遠くをぼんやり見つめた後、怜にこう伝えた。
「あと、もう面倒だから敬語も貴方呼びもなし!あんたの名前は…怜でいいのよね?」
「あ、ああ…」
「私の名前、魅亜だからね。覚えておいて。じゃあ、おやすみなさい。」
「おやすみ…」
(可愛い…よりも、格好良いかも…)
何を隠そう、怜ははっきりとした、格好良い性格の女子が好みだった。
「これだと、俺は好かれないだろうけど…」
(というか、もう寝ている…先ほどまであれほどハキハキと喋っておったのに…)
思わぬギャップにやられてしまった怜は、
「もう寝るか…」
とだけ呟き、二人で深い眠りの中へと旅立った。
『怜、俺たちさ…もうすぐこの里を出ていくんだ。』
『え…?なんで?』
『怜くんといたのが家族にばれてさ…何で町人が次期里長様と一緒にいたのって怒られちゃって…私たちは嫌って言ったけど、このことが里の中でばれたら過ごせなくなるからダメって…』
昔から、怜は一人で城にいることが辛く、よく城下町で過ごしていた。新たにできた友と過ごす日々は楽しかったが、身分の違いで友と過ごせなくなってしまうときももちろんだが多々あった。
その時の友は怜と同い年の男の子と女の子の双子で、三人で仲良く毎日を過ごしていた。
『僕、もうみんなと会えないの…?』
怜が悲しそうな顔をすると、双子も泣きそうな顔になりながらこう言った。
『じゃあ、俺おっきくなったら怜の城に行く!』
『お兄ちゃんが行くなら私も行く!』
『でも、何をするの…?』
『俺は怜のソッキン?になる!』
『私は怜くんのお嫁さんと一緒にいる!』
『やったあ!これでみんなとまた会える!』
翌朝、魅亜が目覚めると、勿論のことだが隣には怜がいた。
(ビックリした…そっか、昨日から同じ褥で寝ることになったのよね。普通に無防備で熟睡だなんて…まあ、私は人に害を与えられるような程の強い力はないけれど。)
そのようなことをぼんやり考えていると、怜が寝返りを打ち、魅亜の腕にすがり付いた。
「…ふぇ⁈」
驚いて変な声が出ても、怜は全くもって起きようとしない。
(意外と可愛らしい人なのね。こういう人、嫌いじゃないのよね…)
じっくり怜の顔を見てみると、五年前よりも目鼻立ちがとてもしっかりとしていた。白い肌に薄紅色の頬、くっきりとした優しい二重まぶた。初めて出会った日から変わっていないのは左目の目尻の下のほくろだけ。
(ふふ…案外可愛いだけじゃないのかもね。)
何も分からない。そんなところから始まった結婚。
(結構、興味が湧いてきたかも。せっかくだから、もう少し寝たら散歩にでも誘ってみようかしら。)
「あれ…?」
怜が目覚めると、横にはまだ寝ている魅亜がいた。
「さっき声が聞こえたから起きてみたのに…まだ寝ているのか…」
(もっともっとその可愛い寝顔が見られたらいいのに…)
五年前とは一つも変わらない、綺麗な二重、絹のように美しい肌、薔薇色の唇、艶のある長い黒髪。もっと隣に居てくれれば良いのにと、怜は思った。
「わしはこれでもかというくらい好きなのに…」
怜はそう思い、魅亜の頭を優しく撫でた。すると…
「ふわあ…あ、おはよう…」
「おはよう。」
(寝起き…普通に可愛らしい…)
「今日、何かお仕事はある?」
「いや、特に何も…」
魅亜は目を輝かせた。
「じゃあ、少しお城の外を探索しませんか?私、まだまだ知らないことが多いから…」
「分かった、一緒に行こうか。」
「じゃあ、決まり!」
(眠いと機嫌が悪いのか…?昨日より何だか上機嫌だな。)
「じゃあ、ちょっと着替えてくるから待っていて。着替えたら朝食を食べましょう。」
「分かった。わしも着替えるとしようか。」
「何を願ったのじゃ?」
「内緒。人に言ったら叶わなくなるから。」
ここは城の裏にある小さな神社。朱色に染まった鳥居を引き立てるように、周りには青々とした木々が生えていた。
「魅亜、寒くはないか?」
「大丈夫よ。こんなこともあろうかと分厚い被布を着てきたからね。」
二人はこの里の長とその妻であるから、実はそのような感じは少ないがお忍びでここにいる。何人かは怜の顔をきちんと見たことはあるが、妻である魅亜を見たものは少ないため、今回は少し城を出ても何も問題がないと判断した怜の提案だった。
しばらく城下町を歩いていると、思いがけない人物に出会った。
「おお、これは怜さん。おはよう。」
こう話しかけてきたのは、幼少期に度々城から抜け出していた怜といつも一緒に過ごしてくれていて、翠の里の特産品である蜜柑を長年に渡り作り続けている里の元農業大臣だった。
「オヤジじゃないか!おはよう、調子は良いか?」
「ああ、元気だよ。そうだ、今朝は沢山の蜜柑が取れたから、少しばかりじゃがみんなで食べておくれ。甘いかどうかは食べないと分からんが。それじゃあ。」
「おお、ありがとう。」
一通りの会話が終わった後、魅亜は怜に尋ねた。
「怜、さっきの人は?」
「この城の近くに住んでいる前の農業大臣だよ。まあ、昔はよく一緒に過ごしていたがな…」
「そうなのね…」
少し間が開いた後、怜はこう言った。
「蜜柑、いるか?」
「いいの?二つしか無いのに…」
「いいのだよ。ほれ、今から食べよう。」
「ありがとう。じゃあ、あそこに長椅子があるからそこで食べましょう!」
長椅子に座った二人は、蜜柑を食べ始めた。
「おお、オヤジの蜜柑はやっぱり美味いな。」
「そうね。食べないと分からないって言っていたけど、この蜜柑とっても甘いわ。」
「また会った時には、何かお礼を持たせてやらないとだな。」
「ええ、そうね。今からでも買いに行けば後で渡せそうだけど、どうする?」
「じゃあ、買いに行こうか。」
「でも、何を買うのよ。欲しいものなんて分かるの?」
「もちろん、分かるさ。」
怜はにやりと笑い、こう続けた。
「まあ、少しばかりは手伝ってはもらうが。」
「はいはい、分かりましたよ。」
茶屋から出てきた怜と魅亜。二人の手には何やらお菓子のようなものがあった。
「オヤジさん、練り切りが好きなのね。」
「ああ。オヤジの昔からの大好物でな、いつも遊びに行ったら出してくれたよ。」
里の有名な茶菓子屋では、色とりどりの季節の茶菓子や練り切りが売られていた。
「俺もよくオヤジに連れてきてもらったな…」
「怜の好きな和菓子は何かあるの?」
「ああ、実は俺もオヤジの影響で練り切りが好きになってな…魅亜は何が好きだ?」
「実は私も練り切りが好きなの。色が可愛らしいところも、季節の感じが反映されてるのも、全部好き。」
可愛らしく微笑んだ魅亜に顔を見た怜も笑顔になり、
「確かにな。」
と、つぶやいた。
「あれ…?雪が…」
空を見上げると、そこには大きな分厚い雲から降り注ぐ、白い雪の一つ一つがあった。
「おお、なんと分厚い雲だ…こんな感じだと明日は雪が積もりそうだな。」
「じゃあ、今からでもオヤジさんに練り切りをもっていきましょう。雪が積もったら、私たちもオヤジさんも大変でしょ。」
「そうだな…明日だと雪かきの必要も出てくるだろうし、そのような時に行ってしまえば迷惑だろうからな。」
その時だった。
「へ⁈ちょっと、誰よあんたたち!」
魅亜は盗賊たちに囲まれ、捕まってしまった。
「お前ら…俺の妻に何をする気だ?」
「分かってんだよ城主さん…この女はお前さんの奥方様だろ?」
怜は固まった。
「なぜ、それを…⁈」
「いや…俺たち盗賊でも見たら分かる。あんさんが城主なのは前から知っていたが、この女が奥方様なのは今知ったんだよ。仲睦まじそうにしている女なんて妻ぐらいしかないだろうからな。」
(そういうバレ方⁈)
「そんなことをしたらお前たちの首が飛ぶぞ。いいのか?」
魅亜は色々なことに驚いていたが、怜はかなり怒っていた。
「知らねえよっ!」
「きゃあっ!」
盗賊たちは魅亜を連れて行き、どこかへと去ってしまった。
「待て!」
怜はなすすべもなく、膝から崩れ落ちた。
「どうしたらいいのだ…少し城下町に行くだけだと思っていたから刀も持ってきていないのに…」
頭を抱えたその瞬間、背後から聞き覚えのある声がした。
「「怜!」」
そこには全くそっくりな男女がいた。
「虎徹…毬乃…俺は、俺はどうしたら良いのだ…?大切な人間と、また離れ離れになってしまった…」
「何馬鹿を言ってんだ、魅亜様を救いに行くぞ。」
「え?でも、刀が…」
「分かってる。私たちが持ってきた。幼馴染の私たちを舐めないでちょうだい。」
「あいつらの仲間はいたとしても二桁にはいかない貧弱者たちだ。虎徹の名に懸けて保証してやってもいいぞ。」
「それに、魅亜様は相当強いわ。運動は嫌っているけど、いざ薙刀を持たせたら後で止めるのが大変、素手で何本も竹を折っていくからそれもそれで大変。」
「そ、そんなに強いのか…」
一方その頃、魅亜は盗賊の拠点である館で縛られていた…はずだが、少し抵抗しただけで縄が外れてしまったため、見張りをしていた者たちを何人か失神させてしまっていた。
「本当にこいつらは馬鹿ね。縄を二回しか巻いていなかったなんて。女を見くびらないでほしいわ。しかもここ、母屋からそれなりに離れているし…」
門の見張りの数も少なければ、元々いた人の数だって少ない。そう感じた魅亜は、近くに植えられている竹を一つ折り、持っていた小刀で片方の先を尖らせた。
「これさえあれば何とかなりそう。最悪、この小刀を投げれば…」
「待て!逃げるんじゃねえ!」
「あらあら。もう気づいたの?思っていたよりかは早かったじゃない。」
魅亜は出来上がったばかりの竹製薙刀を構え、盗賊に言い放った。
「あんたたち、中々良い度胸ね。私、こう見えても強いのよ。持病のせいでこんな見た目だけど。」
「ハッ、馬鹿な小娘が。どうせすぐに体力が尽きるんだろ?」
「まあ、間違いではないわ。その分、一気に体力を出すから気を付けてね。」
その瞬間、魅亜の目の色が変わり、盗賊の背後に回り込んだ。
「ウグッ…!」
「大げさすぎでしょ。私、優しいから致命傷にならない程度にしてるのに。」
「この女、強…グハッ…」
「はいはいそこ、うるさいから黙って。」
「あらあら?小娘はもう体力切れですか?」
「う、うるさい…」
乱闘が始まり数分が経過したが、一度に体力を使い切った上に持病の発作が出てきてしまった魅亜は、もう限界だった。
「こいつは近くの源泉にでも沈めておくか。」
「そうだな、俺らの勝…ウギャッ!」
盗賊の背後には、見覚えのある人物がいた。
「は…?れ、い…?」
「どうもお待たせしました、私の愛する人とそんな人に危害を加える塵屑さん。」
「はいはい、そういうのは良いから怜はさっさと俺と塵の片づけをしますよ。毬乃、魅亜様を頼んだぞ。」
「ええ、魅亜様はこちらへ!お薬はもっていますか?」
「ええ…持っているわ…水はないけれど…」
「大丈夫ですよ!魅亜様の身に何か起こりそうなのは今日の朝から感じていたので、お薬用の水も持ってきています!一度、私と共にここを離れましょう!」
「毬ちゃん…ありがとう…」
「本当に申し訳ございません…娘には怜様に迷惑をかけないようにしろとあれほど伝えていたのに…」
「いえいえ、こちらこそ申し訳ないです…私が守ってやれなかったことにも責任はありますし…」
乱闘の末、残った盗賊たちもすべて捕まり、里の牢獄へ連れて行かれた。だが、あの後から二日経った今も、魅亜は目覚めていない。そして、城には娘を心配してやってきた魅子たちもいた。
「お薬はきちんと飲んでいるので、大丈夫ですよね…?」
毬乃からの問いかけに、魅子は複雑な顔をした。
「薬を飲んだからと言って、きちんと効くかはまた別の話なの。話を聞いた感じだと、相当無理をしていたのかもしれないし…最悪、もう意識が戻ってこないかもしれないの…」
「そ、そんな…」
毬乃が泣きそうになり、怜も申し訳なさそうに言った。
「本当にごめんなさい…魅亜のことを守れなくて…」
「こちらこそ、ご迷惑をおかけしました…」
そこからはしばらく無言の時が流れた。誰も言葉を発することなく、風の音だけが聞こえた。すると…
「あれ…?ここ…」
「魅亜…?分かるか⁈」
「あ、怜…」
「良かった…」
何と、魅亜は奇跡的に目を覚ましたのだ。
「ちょ、ちょっと…怜、なんで泣いているの…?」
「だって、二日経っても目を覚まさなかったから…もう、二度と一緒に過ごせないのかと…」
「そんなに心配されても…まともに話し始めたのは数日前じゃない…」
「だって、好きになってしまったら…仕方ないだろ…」
「え…?」
二人がそんな話をしていると、虎徹が部屋に入ってきた。
「あ、魅亜様!良かった良かった、目覚めたみたいで何よりです。」
「お兄…今入ってくるのは違うと思う…」
「じゃあ私もそろそろ帰ろうかしら。虎徹くんに毬乃ちゃん、門の方まで付いてきてくれるかしら?」
「お母様…ありがとうございます…!」
「は…?魅子様も毬乃も何を言っているのだか…」
そんなことを言っていた虎徹は毬乃たちに連れて行かれ、部屋は怜と魅亜の二人きりになった。
「ていうか、この前話した離縁のことだけど…やっぱり撤回で。」
「いい…のか?」
「もう良いわよ。ずっとあんたの隣にいるから。」
「魅亜…」
「私さ、私のことを愛してくれた人は愛が尽きるその日まで、ずっと愛する人間だから。」
魅亜は、とても優しい顔をしていた。
「まあ、いつ私があっちへ逝っちゃうか分からないけどね…それでも良ければ。」
「それが良くなかったら、俺は今隣にいない。」
そう言った怜は、魅亜の唇に口付けした。
「ほら、俺がお前のことを大好きなのが分かっただろ?」
「はいはい。」
「今度の温泉発見記念之儀までには体調を治してくれよ。」
「もう、分かったって…」
「というか、この前神社に行ったとき、何を願ったんだ?」
「んー…まだ内緒!」
もうすぐ冬が始まる里の城で、一組の夫婦が仲良く寄り添っていた。
『形だけの結婚』としか言いようのなかった二人が、本物の愛を知った今日。この二人が離れてしまうことはきっとないだろう、部屋の外から話を聞いていた三人は同じことを考えていた。