「疲れがたまってるのかも。連休中はバイト三昧だったからな」
「いつの間にアルバイトはじめたんだね。どこで?」
「マニーカフェだよ」
「へぇ、意外~! いらっしゃいませ、とか言ってフラッペ作ってるの?」
「そ、そうだけど。なんか文句あるか?」
「全然! むしろ接客してるところ見てみたいなぁ。今度遊びに行くね」

 あたしが来たらマニーフラッペ奢ってね、なんて冗談っぽく言うアカネはなんだか楽しそうだ。

「いいなあ、アルバイトしてるなんて!」
「アカネもどこかで働いてみたらいいんじゃないのか?」
「そうしたいんだけどねー。でもあたし、先輩に誘われてチア部に入ったじゃん。結構ガチな部活なの。バイトする時間なんてないかも。連休中もずーっと練習があったからさ」

 アカネは中学の頃、体操部に入っていた。運動神経はかなりいい方だ。おまけに明るくて誰にでも積極的に話しかけるタイプなので、友人だって多い。校則を守った上でお洒落にも気を遣っている。男女問わず人気者なんだ。
 そんなアカネは、俺に対してとくに話しかけてくる頻度が多い。中学のときは周りから「付き合ってるの?」と揶揄われたことがあったな。
 特定の二人がちょっと親しくしただけで、周囲の人間は他人の関係を勝手に妄想したり勘違いしたりする。
 アカネは気の置けない相手だ。今さら友だち以上の関係になることは絶対にない。

 駐輪場へ立ち寄り、自転車を停める。アカネと他愛ない話をしながら一年の昇降口へ向かうと。数人の風紀委員と生活指導の男性教師が立っていた。
 ん……これは、もしかして。

「抜き打ちの身だしなみチェックの日か」
「そうみたいだね」

 入学時に聞いたぞ。村高では、一年に何度か風紀委員による身だしなみチェックが行われると。いつその活動があるのかは、事前には知らされない。
 制服の乱れはもちろん、化粧はしていないか、余計なアクセサリーをつけていないか、マニキュアもしていないかなどなど、校則違反の有無を見られる。もちろん、髪を染めていないかも確認されるそうだ。

 昇降口を通る前、俺はさりげなくブレザーのボタンを全て留めた。ネクタイも曲がっていないか要チェック。それほど着崩しているわけじゃないから、別に目をつけられることもないだろう。

「大丈夫だよね?」

 アカネが不安そうな顔をして俺の方を向く。

「アカネはなんの問題もないだろ?」
「うん……あたしじゃなくて。その、イヴァンくんは……」

 と、途中でアカネは口を閉ざす。気まずそうに目を逸らした。
 ああ、なるほどな。
 アカネの言いたいことはわかる。俺のこの、赤毛が気になるのだろう。

「心配はいらない。ちゃんと地毛証明を出したから」
「そうなの?」

 たちまち、アカネの顔が明るくなった。

 入学時、俺は地毛証明書を学校に提出した。親のサインと共に、この赤色の髪は生まれつきであると記入をしてもらったんだ。
 もし風紀委員になにか言われたとしても証明書があると言えば大丈夫。

「じゃ、行こっ!」

 安心したように、アカネは歩き出す。
 俺も、堂々としていればいい。

 風紀委員は五人ほどいて、次々に登校してくる生徒の姿を目で追っていた。
 その隣に立つ、生活指導の強面男性教師も同じだった。……なぜか目をかっ開いて、無駄に眉間にしわを寄せているのが気になる。

「おはようございまーす」

 軽く挨拶をしながら、俺たちは彼らの真横を通り過ぎようとした。が。

「おい、お前! 止まれ」

 突如として、耳元で怒号が響き渡った。驚きのあまり、体がビクッとする。
 な、なんだ。何事?

「そこの赤髪、お前に言っている!」

 ……えっ。ええ? 赤髪? いま、赤髪と言いました?
 周りを見回してみた。だが、この場にいる人間で赤い髪を靡かせているのは、当然の如く俺しかいない。みんな、綺麗な黒髪だ。
 嘘だろ。まさか。

 恐る恐る、振り向く。のすごい目力でこちらを睨みつける生活指導の先生がいた。パンチパーマの効いた角刈りと、筋肉質の両腕をTシャツから露出させていて、ただでさえ強面なのにより一層恐怖心を煽る外見をしている。
 生徒たちの間では密かに「ガチ鬼」と呼ばれるほど恐れられて(うざがられて)いるそうだ。

 俺は内心ビクビクしながらも、ガチ鬼と向き合った。

「な、なんですか」

 俺とほぼ目線の位置は同じはずなのに、顔を合わせるだけで威圧感がとんでもない。

「とぼけるんじゃないぞ! この髪はなんだ! 明日までに黒に戻してこい(・・・・・)!」

 ガチ鬼の怒号が、俺の鼓膜を刺激する。
 周囲にいた生徒たちも驚いたらしく、その場はしんと静まり返った。さっきまでお喋りに夢中だったアカネまで、口を閉ざしている。

 最悪だ……。どうしてくれるんだよ、この状況。連休明け早々、ついていない。
 でも、理不尽に怒られるのは受け入れられないからな。ここはしっかり説明をしなければ。

「あの、先生。これには訳があって」
「なんだ。言い訳をする気か?」
「そういうことじゃないんです。話を聞いてくれませんか」
「黙れ! 四の五の言わずに明日までに髪色を直してこい! 言うことを聞かないのなら指導対象にするからな!!」
 開いた口が塞がらないとはこのことか。 

 ……なんだよ、この先生。こっちの事情なんて聞かないってか?
 腹立たしいにもほどがある。
 胸中で呆れつつ、ガチ鬼の圧に負けて主張できない俺自身も情けないよな。
 深い深いため息が漏れた。

 こんな俺の振る舞い気に入らなかったのか、ガチ鬼は顔を真っ赤にして「なんだ、その態度はっ!」と吠え出す。
 ありえないほどの迫力で、足がすくんだ。

 ああ、もう終わりだ……この先生に目をつけられたら最後。俺の輝かしかったはずの高校生活は、毎日恐怖の色で染められてしまうんだ。
 俺が絶望に陥っている、そんなときだった。

「先生、待ってください」

 背後から、女性の冷静な声がした。俺とガチ鬼の目線が、ほぼ同時に彼女の方へ移る。

「……あれ?」
 
 声の主を確認した瞬間、俺の胸が高鳴った。

 黒くて艶やかなショートボブヘア。深い感情を秘めたような、切なさが紛れているような、それでいてとても綺麗なブラウンの瞳。
 ──風紀委員の生徒の中に紛れて立つ「彼女」の存在を、俺はここにきて初めて認識した。
 驚きのあまり、二度見、どころか三度見してしまう。
 彼女が、目の前に立っていた。以前マニーカフェで、巧みな中国語で俺のことを救ってくれたあの彼女が。