一刻も早く、彼女を休ませたい。すぐさま行動に移すべきだ。
俺はスマートフォンを握りしめ、配車サービスアプリをダウンロードし、早急にタクシーを呼び出した。数分もしないうちにタクシーがやって来て、俺は彼女を支えながら車に乗り込む。
ずぶ濡れ状態の俺たちを見た運転手は、とても驚いた顔をした。シートには防水カバーが施されていたものの、いくらなんでも迷惑だったかなと不安が過る。
だが運転手は快く迎え入れてくれた。なおかつタオルまで貸してくれた。
タクシー以外に帰る手段が思いつかなかったので、本当に助かる。
山下公園から自宅マンションまでは、およそ十分の計算。バイト代で料金は支払えるだろう。
タクシーに乗った安心感から、肩の力が抜けた。大丈夫、きっとなんとかなる。
俺が束の間安堵していたときだった。隣に座る彼女が、俺の肩に頭をそっと乗せてきた。虚ろな目をし、息が上がってしまっているではないか。
いたたまれなくなり、俺は自然の流れに任せて優しく彼女の肩を抱きよせる。
色んなことが重なって、急遽自宅に彼女を招く事態となった。冷静に考える余地もなかった。俺の肩に身を委ねる彼女を見て、俺は急激に全身が熱くなる。
彼女をしっかりと守らなければ。
タオルで彼女の背中を包み、俺はそっと手を握りしめた。その指先は、とても冷たくなっていた。
◆
「ずいぶん、手際がいいのね」
掠れた声で彼女は呟いた。
俺は料金を支払い、運転手にタオルを返して礼を言ってからタクシーから降りる。
よろける彼女の肩に腕を回し、俺はすかさず体を支えた。
「手際がいいって?」
「タクシーを呼ぶなんて驚いたわ」
「ああ……だって、それしか方法がないだろ?」
「迷惑かけて悪いわね」
「全然。それより、早く家に行こう」
彼女は一切「辛い」と口にしない。体が小刻みに揺れ、素直に俺に身を委ねてくる様子からして、だいぶ体に負担がかかっているはずなのに。
エントランスへ入り、エレベーターに乗り、五階を目指す。
無言でいると、彼女の辛そうな呼吸音がはっきりと聞こえてしまう。耳を逸らすように、俺はなんでもない話で場を和ませようとした。
「俺の部屋、ちょっと散らかってるけど笑わないでくれよ?」
「……ええ。気にしないわ。でも、本当にお邪魔してもいいの?」
エレベーターが五階へ到着し、俺は彼女の歩幅に合わせて部屋を目指した。自宅まで、あと数歩。
「いいよ。今、親もいないし」
「……え?」
「旅行に行っててさ。結婚記念日なんだ。うちの両親、すごく仲良いんだよな」
ちょうどよかったよ、と俺が笑うと、彼女は急に立ち止まった。俺も反射的に足を止める。
なぜだか彼女は、怪訝な表情を浮かべていた。
「ご両親が、いないの……?」
「そうだけど」
「他に家族は?」
「いないよ。だから、気遣わなくて済むだろ?」
「……」
彼女はおもむろに俺の手を振りほどいた。さっと背中を向け、首を大きく振る。
「だったら、帰るわ」
彼女は肩で息をしながら、廊下の手すりを掴んだ。
帰る、だって? 立っているのも辛そうなのに、今さらなにを言い出すんだ。
「そんなフラフラな状態で帰るのか?」
「あなたも少しは察して。誰もいない家に女を上げるなんて、非常識よ……?」
そう言われ、俺の心臓が飛び出そうになった。
冗談じゃないぞ。意識しないよう密かに努力していたのに、まさか彼女の口からそんな言葉が出るなんて。
流れる血が沸騰しそうになるほど、俺の全身が熱くなる。
取り乱すな。ここは、落ち着いて話をしよう。彼女を休ませてあげることだけを考えろ。
「俺がそんな悪い奴に見えるか?」
「……そういうわけじゃないんだけど」
「俺の気遣いが足りなかった。それは悪いと思ってるよ。だけど、辛そうなサエさんを放っておくなんてできない」
俺は彼女の前に立ち、じっと目を見つめた。
「ゆっくり休んでほしいから、部屋を貸すだけだよ。あとはなにもしない」
こんな状況になるなんて、俺も予想していなかった。自宅に呼び出し、好きな人と二人きりで過ごすなんて、なにか間違いが起こってもおかしくない。
と言っても、俺は恋愛経験が全くないチェリーボーイだ。その気があっても行動にする勇気なんてないんだ、悲しいことに。
だが、これだけは自信を持って言える。彼女が嫌がるようなことは一切しない。彼女のためを思って、最善のことをしてあげたいだけなんだ、と。
頭の中で並べた数々の台詞を、俺は心の中だけで留める。
彼女は、小首を傾げて弱々しくこんなことを訊いてきた。
「……どうして、イヴァンはそこまでしようとするの?」
どうしてって。そんなの決まってる。「サエさんのことが好きだから」。声にして言うことはできないが、それが一番の理由だ。
彼女に微笑みかけ、俺は別の理由を口にした。
「サエさんは今まで俺を助けてくれた。だから、今度は俺がサエさんを助ける番」
俺はスマートフォンを握りしめ、配車サービスアプリをダウンロードし、早急にタクシーを呼び出した。数分もしないうちにタクシーがやって来て、俺は彼女を支えながら車に乗り込む。
ずぶ濡れ状態の俺たちを見た運転手は、とても驚いた顔をした。シートには防水カバーが施されていたものの、いくらなんでも迷惑だったかなと不安が過る。
だが運転手は快く迎え入れてくれた。なおかつタオルまで貸してくれた。
タクシー以外に帰る手段が思いつかなかったので、本当に助かる。
山下公園から自宅マンションまでは、およそ十分の計算。バイト代で料金は支払えるだろう。
タクシーに乗った安心感から、肩の力が抜けた。大丈夫、きっとなんとかなる。
俺が束の間安堵していたときだった。隣に座る彼女が、俺の肩に頭をそっと乗せてきた。虚ろな目をし、息が上がってしまっているではないか。
いたたまれなくなり、俺は自然の流れに任せて優しく彼女の肩を抱きよせる。
色んなことが重なって、急遽自宅に彼女を招く事態となった。冷静に考える余地もなかった。俺の肩に身を委ねる彼女を見て、俺は急激に全身が熱くなる。
彼女をしっかりと守らなければ。
タオルで彼女の背中を包み、俺はそっと手を握りしめた。その指先は、とても冷たくなっていた。
◆
「ずいぶん、手際がいいのね」
掠れた声で彼女は呟いた。
俺は料金を支払い、運転手にタオルを返して礼を言ってからタクシーから降りる。
よろける彼女の肩に腕を回し、俺はすかさず体を支えた。
「手際がいいって?」
「タクシーを呼ぶなんて驚いたわ」
「ああ……だって、それしか方法がないだろ?」
「迷惑かけて悪いわね」
「全然。それより、早く家に行こう」
彼女は一切「辛い」と口にしない。体が小刻みに揺れ、素直に俺に身を委ねてくる様子からして、だいぶ体に負担がかかっているはずなのに。
エントランスへ入り、エレベーターに乗り、五階を目指す。
無言でいると、彼女の辛そうな呼吸音がはっきりと聞こえてしまう。耳を逸らすように、俺はなんでもない話で場を和ませようとした。
「俺の部屋、ちょっと散らかってるけど笑わないでくれよ?」
「……ええ。気にしないわ。でも、本当にお邪魔してもいいの?」
エレベーターが五階へ到着し、俺は彼女の歩幅に合わせて部屋を目指した。自宅まで、あと数歩。
「いいよ。今、親もいないし」
「……え?」
「旅行に行っててさ。結婚記念日なんだ。うちの両親、すごく仲良いんだよな」
ちょうどよかったよ、と俺が笑うと、彼女は急に立ち止まった。俺も反射的に足を止める。
なぜだか彼女は、怪訝な表情を浮かべていた。
「ご両親が、いないの……?」
「そうだけど」
「他に家族は?」
「いないよ。だから、気遣わなくて済むだろ?」
「……」
彼女はおもむろに俺の手を振りほどいた。さっと背中を向け、首を大きく振る。
「だったら、帰るわ」
彼女は肩で息をしながら、廊下の手すりを掴んだ。
帰る、だって? 立っているのも辛そうなのに、今さらなにを言い出すんだ。
「そんなフラフラな状態で帰るのか?」
「あなたも少しは察して。誰もいない家に女を上げるなんて、非常識よ……?」
そう言われ、俺の心臓が飛び出そうになった。
冗談じゃないぞ。意識しないよう密かに努力していたのに、まさか彼女の口からそんな言葉が出るなんて。
流れる血が沸騰しそうになるほど、俺の全身が熱くなる。
取り乱すな。ここは、落ち着いて話をしよう。彼女を休ませてあげることだけを考えろ。
「俺がそんな悪い奴に見えるか?」
「……そういうわけじゃないんだけど」
「俺の気遣いが足りなかった。それは悪いと思ってるよ。だけど、辛そうなサエさんを放っておくなんてできない」
俺は彼女の前に立ち、じっと目を見つめた。
「ゆっくり休んでほしいから、部屋を貸すだけだよ。あとはなにもしない」
こんな状況になるなんて、俺も予想していなかった。自宅に呼び出し、好きな人と二人きりで過ごすなんて、なにか間違いが起こってもおかしくない。
と言っても、俺は恋愛経験が全くないチェリーボーイだ。その気があっても行動にする勇気なんてないんだ、悲しいことに。
だが、これだけは自信を持って言える。彼女が嫌がるようなことは一切しない。彼女のためを思って、最善のことをしてあげたいだけなんだ、と。
頭の中で並べた数々の台詞を、俺は心の中だけで留める。
彼女は、小首を傾げて弱々しくこんなことを訊いてきた。
「……どうして、イヴァンはそこまでしようとするの?」
どうしてって。そんなの決まってる。「サエさんのことが好きだから」。声にして言うことはできないが、それが一番の理由だ。
彼女に微笑みかけ、俺は別の理由を口にした。
「サエさんは今まで俺を助けてくれた。だから、今度は俺がサエさんを助ける番」