小学生の頃、私は音楽会になるたびに思ったことがある。
「私もあそこに立ちたい。」
私は、指揮台に立つ音楽の先生に憧れた。
1人だけみんなの方を向いて、大きく腕を振るその姿がとてもキラキラして見えた。早く中学生になりたいとも思った。
そして迎えた、中学生初の音楽会。1年生の時は全体統一の課題曲がなく、クラスごとに選べる・自由曲のみだったため、迷わず自由曲の指揮者に立候補した。
運よく、うちのクラスの立候補者は私だけだったため、自由曲の指揮者になることができた。
私の中学校では、音楽会練習期間が設けられる。約一週間、全ての6時間目が音楽会練習の時間となるのだ。毎日が楽しみでならなかった。
6時間目になると、颯爽とみんなの前に表れて机を下げるように指示を出す。みんなの合唱を、指揮を振りながら聞いて、アドバイスをする。伴奏者の女の子とも相談して、合唱をまとめることができる。まさに最高の時間だった。今思えば、まだあの時は平和な時代だったと思う。
1年生にはもう一つ、学年合唱というものがあった。1年生全員で、音楽教諭が選んだ曲を歌うのだ。もちろんそれには指揮者と伴奏者がいる。私はなんとなくそれもやりたくて、指揮者に立候補した。だが、そっちは運悪く、他のクラスの男子とかぶってしまった。かぶってしまった場合どうなるか。オーディションだ。
自分ができる最大限の練習をして、学年合唱の指揮者オーディションに臨んだ。
結果は敗北。選ばれなかった。もう片方の男子が選ばれたのだった。
振り返れば、あそこから私の物語は始まっていたのだと思う。
「選ばれなかったけど、まあクラスの曲があるからいいか。」
と、楽観的に捉えることができたあの頃が羨ましい。
結果的には、音楽会は成功し、私もみんなの役に立つことができた。運動音痴な私なので、音楽会で活躍できたことで、ようやくクラスの輪に入れた気がしていた。
でも、少しだけ不思議なことがあった。あの男子だ。あいつの指揮は、他の子とは何かが違う。言葉にはできないけど、何かが違う。何か、みんなが歌いやすくなる魔法がかかっている。胸がザラザラとした感触に襲われたのだ。
ここで、その男子をAくんとしよう。
次にやってきたのは2年生。少しずつ、少しずつ、私は崩れ始める。
まず、あの年も自由曲だけだった。そして、私はその曲の指揮者をまた務めることができた。一度だけ、他の女の子・Bちゃんが立候補したのだが、相手が私と知るやいなや、立候補を取り下げたのだ。
再びやってくる、最高の日々。クラスの男子たちも去年より協力的になり、新しい伴奏の子とも、もっと仲良くなった。
去年と引き続き、指揮者になったCちゃんとも、話せる話題が増えた。
問題なのは、学年合唱の指揮者だった。Dくんが行ったのだが、そのDくんが、まあ上手くないこと。いや、普通なのだろうが、去年務めたAくんを見て、目が肥えてしまったのだ。
ちなみに、Aくんも私も、『今年は自由曲に専念したいから』という理由で学年合唱には立候補しなかった。
2年生時の音楽会も無事に過ぎ去り、賞は取れなかったが、いい思い出にはなった。
だが、2年生の3学期。校歌と学園歌の指揮者と伴奏者の募集がやってきた。もちろん立候補した。全校の前でできるなんて素晴らしいと思ったのだ。
私の他に3人、指揮者は立候補者がいた。BちゃんとCちゃんもいた。そして未経験のEくんも立候補した。
流石に未経験のBちゃんとEくんに負けるわけには行かず、必死で練習した。
オーディション当日、数名の先生たちに見られるなか、なるべく大きく分かりやすいように振るようにした。
だが現実はいつも非情だ。校歌はEくん、学園歌はCちゃんに決まった。私は学園歌担当にさえなれなかったのだ。
発表された日の休み時間、トイレにこもってひとしきり泣いた。声をなるべく殺して泣いた。
あんなやつに負けた。こっちは2年間やってきたというのに負けた!
心の中で自分を殴り散らした。
始業式や終業式になるたびに、指揮台を見ずに歌った。視界にも入れたくなかった。これで、2回目の敗北だ。
ある日、学校にオーケストラがやってきた。芸術鑑賞会だ。そこで「オーケストラの指揮者体験イベント」が行われた。学年で2人、プロのオーケストラの指揮者を体験できるのだ。
なんて魅力的なイベントだろうと、またワクワクした。そこで立候補したら、なんのオーディションもなく決定してしまった。みんな立候補すると思っていたのに、決定した。なぜだろう。それは、もうひとりにあった。
Aくんだ。Aくんが立候補していたのだ。もうその頃すでにAくんの凄さはみんなが承知していて、誰もAくんとやりたくなかったのだ。自分の無力さが際立つから。
それを知ったのは当日で、時すでに遅しだった。精一杯イベントに参加したが、終わった後、全員話していたのはAくんだ。誰も私のことは気にも留めなかった。まるで、私はそのイベントに参加していなかったかのように、みんながAくんについて話していた。
そして最後にやってきた、3年生。今度は課題曲もあり、指揮者と伴奏者が2人ずつになる。
1年生も2年生も行っていたので、まあ普通に自由曲の指揮者に立候補した。校歌のことが怖すぎて、夏休み中はずっと練習した。Dくんとかぶっていたのでオーディションがあったのだ。
全力で臨んだオーディション。結果は敗北。中学生活初めて、音楽会で何の役職にも就くことができなかった。
心にポッカリと穴が空いた。
学校では平然と振る舞ったが、帰ってから、家で大変なことになってしまった。感情が爆発したのだ。
「ああああああああ!!」
帰ってきた途端、家に誰もいないのを確認して叫んだ。近所迷惑とかは考える暇がなかった。
わんわん声をあげて泣いた。涙が止まらなかった。何度も何度も自分の頭を殴った。腕を折ろうとした。
クッションを殴っていたら破れてしまい、中から綿が出てきた。机には私の爪の跡がたくさんついていた。椅子を投げ飛ばし、吊るされていた洗濯物は散乱し、机の上にあったコップは割れた。
もう風邪でもひいてしまいたくて、冷蔵庫にあったつめたく冷やされた麦茶を頭からかぶった。たっぷり入っていたのもあって、麦茶は体を滑ってから床に広がった。
我に帰ったのは、そこから30分くらい立ち尽くした後だった。
お母さんが帰ってきた時は、何事もなかったかのように振る舞った。コップは集めて捨てておいた。クッションは謝った。
お母さんは気づいていないようだった。
今まで最高だった練習期間は、嫌なものに変わってしまった。毎日が憂鬱でしかなかった。
Dくんが気持ちよさそうに前に立つ度に私の胸は締め付けられた。私が立つ場所だったのに!何回も思った。
練習初日は、歌いながら泣いてしまった。そのくらい悔しかった。
悔しすぎて、悲しすぎて、こんなことがあった。
ある日、体育で持久走の授業があった。息を切らして校庭を走った。
段々と苦しくなってきて、何か別のことを考えようとした。ふと浮かんできたのは、昨日の音楽会練習だった。一気にズシンと頭が重くなって、お腹が痛くなった。でも、足は走ろうとしていた。
気持ち悪い。そう思って、トイレに駆け込んだ。
トイレで吐いてしまった。悔しさが込み上げてきた。その時、私のタイムを測っていた友達が、来てくれた。
胃液と涙と鼻水でぐしょぐしょの私の背を、その子が触れてくれた。『大丈夫。』と何度も言いながら。
そして迎えた音楽会本番。苦しくて仕方がなかった。「緊張する〜。」とか言ってみたが、内心、やりたくなかった。
まず、歌いたくなかった。クラスの雰囲気が崩れるのを防ぐために歌ったが、嫌だった。そして本番は、他のクラスの発表を見ている時だった。
Cちゃんの指揮は綺麗だった。気持ちよさそうだった。私もそこに立ちたかった。段々と涙が込み上げてきて、合唱の感動ではなく悔しさで泣きそうだった。耳と目を塞いでうずくまってしまいたかった。
Aくんの指揮は、もはや次元が違った。やっぱり1年生の時から変わらない、素晴らしい指揮だ。間違いなく、この学校で一番指揮が上手いのはAくんだ。
音楽会前のある日、Cちゃんがオーディションの結果を尋ねた。私が落ちたことを伝えた時のCちゃんの顔を、今でも忘れない。
あの、戸惑いを凝縮したような顔は、今でもはっきりと思い出すことができる。
母には、「音楽会、来るな」とだけ伝えた。自分が歌っている姿を母に見られたくなかった。母は、不思議な顔をして了承した。
周りから見れば、私は「すぐに諦めることができて、切り替えの早い子」だったのかもしれない。何度もオーディションに落ちているのに、懲りずに再挑戦するからだ。
でも、違う。
本当は、諦めていない。諦められない。
切り替えは早くない。遅い。
何度も泣いた。心に穴を開けた。何度も、立っている指揮者を引き摺り下ろしたくなった。頭の中で何度も指揮者を殴った。
それでもまたオーディションを受ける理由は、居場所を作るため。運動音痴な私には、音楽会しかないのだ。今までもそうやって輪に入っていった。私が感じるワクワクは、「これを自分もやれば輪にもっと入れる」という期待からだったのかもしれない。
芸術に順位はつきものだ。コンクールやコンテスト、もちろんオーディションなどで、必ずつけられる。
分かっていても、それ以外にできることがないのが嫌だ。
いつか、芸術以外のできることを見つけたい。その「できること」は逃げ道ではない。私のもうひとつの武器だ。
「私もあそこに立ちたい。」
私は、指揮台に立つ音楽の先生に憧れた。
1人だけみんなの方を向いて、大きく腕を振るその姿がとてもキラキラして見えた。早く中学生になりたいとも思った。
そして迎えた、中学生初の音楽会。1年生の時は全体統一の課題曲がなく、クラスごとに選べる・自由曲のみだったため、迷わず自由曲の指揮者に立候補した。
運よく、うちのクラスの立候補者は私だけだったため、自由曲の指揮者になることができた。
私の中学校では、音楽会練習期間が設けられる。約一週間、全ての6時間目が音楽会練習の時間となるのだ。毎日が楽しみでならなかった。
6時間目になると、颯爽とみんなの前に表れて机を下げるように指示を出す。みんなの合唱を、指揮を振りながら聞いて、アドバイスをする。伴奏者の女の子とも相談して、合唱をまとめることができる。まさに最高の時間だった。今思えば、まだあの時は平和な時代だったと思う。
1年生にはもう一つ、学年合唱というものがあった。1年生全員で、音楽教諭が選んだ曲を歌うのだ。もちろんそれには指揮者と伴奏者がいる。私はなんとなくそれもやりたくて、指揮者に立候補した。だが、そっちは運悪く、他のクラスの男子とかぶってしまった。かぶってしまった場合どうなるか。オーディションだ。
自分ができる最大限の練習をして、学年合唱の指揮者オーディションに臨んだ。
結果は敗北。選ばれなかった。もう片方の男子が選ばれたのだった。
振り返れば、あそこから私の物語は始まっていたのだと思う。
「選ばれなかったけど、まあクラスの曲があるからいいか。」
と、楽観的に捉えることができたあの頃が羨ましい。
結果的には、音楽会は成功し、私もみんなの役に立つことができた。運動音痴な私なので、音楽会で活躍できたことで、ようやくクラスの輪に入れた気がしていた。
でも、少しだけ不思議なことがあった。あの男子だ。あいつの指揮は、他の子とは何かが違う。言葉にはできないけど、何かが違う。何か、みんなが歌いやすくなる魔法がかかっている。胸がザラザラとした感触に襲われたのだ。
ここで、その男子をAくんとしよう。
次にやってきたのは2年生。少しずつ、少しずつ、私は崩れ始める。
まず、あの年も自由曲だけだった。そして、私はその曲の指揮者をまた務めることができた。一度だけ、他の女の子・Bちゃんが立候補したのだが、相手が私と知るやいなや、立候補を取り下げたのだ。
再びやってくる、最高の日々。クラスの男子たちも去年より協力的になり、新しい伴奏の子とも、もっと仲良くなった。
去年と引き続き、指揮者になったCちゃんとも、話せる話題が増えた。
問題なのは、学年合唱の指揮者だった。Dくんが行ったのだが、そのDくんが、まあ上手くないこと。いや、普通なのだろうが、去年務めたAくんを見て、目が肥えてしまったのだ。
ちなみに、Aくんも私も、『今年は自由曲に専念したいから』という理由で学年合唱には立候補しなかった。
2年生時の音楽会も無事に過ぎ去り、賞は取れなかったが、いい思い出にはなった。
だが、2年生の3学期。校歌と学園歌の指揮者と伴奏者の募集がやってきた。もちろん立候補した。全校の前でできるなんて素晴らしいと思ったのだ。
私の他に3人、指揮者は立候補者がいた。BちゃんとCちゃんもいた。そして未経験のEくんも立候補した。
流石に未経験のBちゃんとEくんに負けるわけには行かず、必死で練習した。
オーディション当日、数名の先生たちに見られるなか、なるべく大きく分かりやすいように振るようにした。
だが現実はいつも非情だ。校歌はEくん、学園歌はCちゃんに決まった。私は学園歌担当にさえなれなかったのだ。
発表された日の休み時間、トイレにこもってひとしきり泣いた。声をなるべく殺して泣いた。
あんなやつに負けた。こっちは2年間やってきたというのに負けた!
心の中で自分を殴り散らした。
始業式や終業式になるたびに、指揮台を見ずに歌った。視界にも入れたくなかった。これで、2回目の敗北だ。
ある日、学校にオーケストラがやってきた。芸術鑑賞会だ。そこで「オーケストラの指揮者体験イベント」が行われた。学年で2人、プロのオーケストラの指揮者を体験できるのだ。
なんて魅力的なイベントだろうと、またワクワクした。そこで立候補したら、なんのオーディションもなく決定してしまった。みんな立候補すると思っていたのに、決定した。なぜだろう。それは、もうひとりにあった。
Aくんだ。Aくんが立候補していたのだ。もうその頃すでにAくんの凄さはみんなが承知していて、誰もAくんとやりたくなかったのだ。自分の無力さが際立つから。
それを知ったのは当日で、時すでに遅しだった。精一杯イベントに参加したが、終わった後、全員話していたのはAくんだ。誰も私のことは気にも留めなかった。まるで、私はそのイベントに参加していなかったかのように、みんながAくんについて話していた。
そして最後にやってきた、3年生。今度は課題曲もあり、指揮者と伴奏者が2人ずつになる。
1年生も2年生も行っていたので、まあ普通に自由曲の指揮者に立候補した。校歌のことが怖すぎて、夏休み中はずっと練習した。Dくんとかぶっていたのでオーディションがあったのだ。
全力で臨んだオーディション。結果は敗北。中学生活初めて、音楽会で何の役職にも就くことができなかった。
心にポッカリと穴が空いた。
学校では平然と振る舞ったが、帰ってから、家で大変なことになってしまった。感情が爆発したのだ。
「ああああああああ!!」
帰ってきた途端、家に誰もいないのを確認して叫んだ。近所迷惑とかは考える暇がなかった。
わんわん声をあげて泣いた。涙が止まらなかった。何度も何度も自分の頭を殴った。腕を折ろうとした。
クッションを殴っていたら破れてしまい、中から綿が出てきた。机には私の爪の跡がたくさんついていた。椅子を投げ飛ばし、吊るされていた洗濯物は散乱し、机の上にあったコップは割れた。
もう風邪でもひいてしまいたくて、冷蔵庫にあったつめたく冷やされた麦茶を頭からかぶった。たっぷり入っていたのもあって、麦茶は体を滑ってから床に広がった。
我に帰ったのは、そこから30分くらい立ち尽くした後だった。
お母さんが帰ってきた時は、何事もなかったかのように振る舞った。コップは集めて捨てておいた。クッションは謝った。
お母さんは気づいていないようだった。
今まで最高だった練習期間は、嫌なものに変わってしまった。毎日が憂鬱でしかなかった。
Dくんが気持ちよさそうに前に立つ度に私の胸は締め付けられた。私が立つ場所だったのに!何回も思った。
練習初日は、歌いながら泣いてしまった。そのくらい悔しかった。
悔しすぎて、悲しすぎて、こんなことがあった。
ある日、体育で持久走の授業があった。息を切らして校庭を走った。
段々と苦しくなってきて、何か別のことを考えようとした。ふと浮かんできたのは、昨日の音楽会練習だった。一気にズシンと頭が重くなって、お腹が痛くなった。でも、足は走ろうとしていた。
気持ち悪い。そう思って、トイレに駆け込んだ。
トイレで吐いてしまった。悔しさが込み上げてきた。その時、私のタイムを測っていた友達が、来てくれた。
胃液と涙と鼻水でぐしょぐしょの私の背を、その子が触れてくれた。『大丈夫。』と何度も言いながら。
そして迎えた音楽会本番。苦しくて仕方がなかった。「緊張する〜。」とか言ってみたが、内心、やりたくなかった。
まず、歌いたくなかった。クラスの雰囲気が崩れるのを防ぐために歌ったが、嫌だった。そして本番は、他のクラスの発表を見ている時だった。
Cちゃんの指揮は綺麗だった。気持ちよさそうだった。私もそこに立ちたかった。段々と涙が込み上げてきて、合唱の感動ではなく悔しさで泣きそうだった。耳と目を塞いでうずくまってしまいたかった。
Aくんの指揮は、もはや次元が違った。やっぱり1年生の時から変わらない、素晴らしい指揮だ。間違いなく、この学校で一番指揮が上手いのはAくんだ。
音楽会前のある日、Cちゃんがオーディションの結果を尋ねた。私が落ちたことを伝えた時のCちゃんの顔を、今でも忘れない。
あの、戸惑いを凝縮したような顔は、今でもはっきりと思い出すことができる。
母には、「音楽会、来るな」とだけ伝えた。自分が歌っている姿を母に見られたくなかった。母は、不思議な顔をして了承した。
周りから見れば、私は「すぐに諦めることができて、切り替えの早い子」だったのかもしれない。何度もオーディションに落ちているのに、懲りずに再挑戦するからだ。
でも、違う。
本当は、諦めていない。諦められない。
切り替えは早くない。遅い。
何度も泣いた。心に穴を開けた。何度も、立っている指揮者を引き摺り下ろしたくなった。頭の中で何度も指揮者を殴った。
それでもまたオーディションを受ける理由は、居場所を作るため。運動音痴な私には、音楽会しかないのだ。今までもそうやって輪に入っていった。私が感じるワクワクは、「これを自分もやれば輪にもっと入れる」という期待からだったのかもしれない。
芸術に順位はつきものだ。コンクールやコンテスト、もちろんオーディションなどで、必ずつけられる。
分かっていても、それ以外にできることがないのが嫌だ。
いつか、芸術以外のできることを見つけたい。その「できること」は逃げ道ではない。私のもうひとつの武器だ。