タイロンには闇がある。
その闇は深く、根強い。
その闇は一人の神によって、齎されたといえる。
その神の名は『法律の神オズワルド』
彼は神であるのに慈悲が無い。
犯罪者に対しては、特にまったくといっていい程容赦が無い。
本来神には慈悲の心が存在し、それなくしては神にはなれない。
しかし彼はそれには当て嵌らず、神と成った。
いや、成ってしまった。
どうしてなのかは、創造神にしか分からないであろう。

彼の闇は深淵。
彼はこの世の犯罪者を許すことは到底出来ない。
彼はこの先も犯罪者をとことん追い詰めることだろう。
彼は何かに取りつかれているかのように、鬼気迫る表情を浮かべている。
そしてオズワルドは、遂に触れてはならないものに触れてしまうのだった。



俺は、社長室で優雅にアイスコーヒーを飲んでいる。
様々な報告書を眺めながら、今のサウナ島の現状を把握する。
特にこれといった問題は無く、お客様アンケートも嬉しい意見が多い。
既にこのサウナ島は村では無く、街としての規模感がある。
だが俺はそれに満足はしていない。
更にブラッシュアップできることはないかと、日々アンテナを張り巡らせている。
だだ、そんな俺の思惑とは裏腹に、厄介な案件が持ち込まれようとしていた。



俺は、一通りの報告書を読み終わり、今日はどうしようかと思案中。
そこにお客が訪れた。
受付でゴンが対応した後に、ガードナーさんが社長室に入ってきた。

「失礼します」

「ガードナーさん、珍しいですね、ここにくるなんて」

「ええ、少しお話ししたくて、寄らせていただきました」

「そうですか、どうぞ掛けてください」
ガードナーさんは言われるが儘にソファーに腰かける。
そこにゴンが現れて、飲み物を尋ねてくる。

「俺はもう一杯アイスコーヒーを貰えるか?」

「では私もそれで」

「畏まりました」
軽く会釈したゴンは、社長室を出ていった。
それにしても、ガードナーさんの表情が硬い。
それに顔色も悪く見える。
何かあったのだろうか?

「それで、お話とは?」

「はい、本来島野さんにお話するような事では無いのですが、島野さんなら何かしらのアドバイスを貰えるのではないかと思いまして」
目線すら合わせずにガードナーは言った。

「・・・」

「島野さんは会ったことが無いとは思いますが、タイロンには法律の神がいます」

「法律の神様ですか、会ったことはないですね」

「何度かスーパー銭湯には連れていったことはあります」
あの神経質そうな人のことかな?
何となく覚えている。

「そいつの名はオズワルドといいます」

「オズワルド・・・」
ここでゴンがアイスコーヒー持って現れた。
会話がストップする。

「そのオズワルドなんですが、先ほどお話した通り法律の神です」

「・・・」

「そのオズワルドが、今から約百年ほど前に制定した法律を、現在タイロンでは運用しています」
また百年前か・・・
百年前に物事が集約しているのは何故なのか?・・・

「そうですか」

「その法律には他国では見られない特徴があります」

「それはどんな特徴ですか?」
ガードナーさんは眉間に眉を寄せている。
言うべきか言わざるべきかと逡巡が見受けられる。

「奴隷制度です」

「はあ?」
奴隷制度って、神が顕現しているこの世界にあっていいものなのか?
考えられないのだが・・・

「驚かれますよね?」

「ええ、この世界でそういった制度があるとは初耳です」

「だと思いました。タイロンの国民も奴隷制度については、口を開かない者がほとんどですし・・・」
そりゃあ口にしたくない話題だよな。

「その奴隷制度なんですが、犯罪者は漏れなく奴隷になります」

「それは軽微な犯罪でもですか?」

「はい、そうなります。但し十二歳以下は例外となります」

「それはそうでしょう」
子供も奴隷なんてありえないでしょう普通に。

「でも例外になったのも、二十年前の話なんです」

「え!」

「耳を疑いたくなりますよね?」

「まったくです」

「軽微な犯罪であれ、重大な犯罪であれ、等しく犯罪者は奴隷になる法律を運用しております」

「・・・」
おいおい、ほんとかよ。
なんでまた・・・

「そして、奴隷となった者はその罪の重さに応じて、国が管理する労働施設で働くことになります」

「労働施設ですか?」

「はい、鉱山での労働がメインです。そして軽微な犯罪であれば、数年で解放されるのですが、その後が問題となります」

「どんな問題があるんですか?」

「ステータスに元奴隷であることが記載され、永久的に消すことが出来ない様になります」
それは・・・更生の機会が無いということになるな。
やり過ぎだろうが。

「ああ・・・」

「島野さんなら分かるかと思いますが、タイロンで就職する時には、鑑定屋に行って履歴書を作ることが一般的です。そこに元奴隷と書かれるということです」

「就職に不利になりますね」

「そうです、一度の軽微な犯罪で一生を棒に振ることになります」
そうなるわな。
それにしても極端すぎるだろう。

「そうなると、唯一出来るのがハンターですが、そもそも犯罪に手を染める者が、ハンターをやることすら出来ず、犯罪者になった者達です」
ハンターとしてやっていけなくて、犯罪者に身を落とした者がハンターに復帰してもやって行ける訳は無い。

「そもそも、何でそんな法律を運用しているのですか?」

「百年前は今とは違い、法律が緩くその為、犯罪が多かったからです」
だから引き締めたということか・・・

「それに悩んだ当時のハノイ王が、オズワルドが持ち込んだ法律を制定させたのです」

「・・・」

「結果、犯罪は減りましたが、今の様な側面が現れたということです」

「犯罪者を更生させる様な考えはないということですね?」

「ええ、オズワルドにはその様な考えは一切なく、また結果的に犯罪者の数も減っていますので、現国王も口が出せないのです」

「なるほど」

「私は何度かオズワルドと話をしましたが、一向に取り合ってくれず、その打開策として国の警備兵の数を増やし、私の悪評を広めることにしたのです」
そういうことか、警備兵の数が多すぎると思っていたが、ガードナーさんとしては、軽微な犯罪すらも起こさせないという配慮だったのか。
俺がタイロンに感じていた違和感はこれなんだ。
やっと腑に落ちたよ。

「そのオズワルドさんは、どうしてそんなに頑ななんですか?」

「それが分からないのです。あいつは犯罪者に対して、異常とも思えるほど慈悲の心が無いのです」
神なのに慈悲が無い?
どういうことなんだ?

「実際、ステータスに手を加えるのもオズワルドの権能で行っています、その時の彼はとても神の顔をしておりません」

「犯罪者以外に対してはどうなんですか?」

「それは・・・似たり寄ったりです、そもそもクレバーで合理的な性格なんです。そんな彼を知っている者は、彼に近づこうとはしません」

「・・・」

「彼の唯一の話相手は、もしかしたら私なのかもしれません」
ガードナーさんは寂しげに下を向いた。

「エンゾさんは?」

「彼女はオズワルドには近づこうともしません、一度大きく揉めたことがありましてね」

「そうですか・・・」
エンゾさんらしいな。
あれでいて正義感が強いからな。

「私は職務上、彼と距離を置くわけにもいきませんので・・・」
ガードナーさんは随分と苦労してるようだ。
悲壮感が現れている。

「それに気になることがあるんです」

「気になることですか?」

「実は先日オズワルドと飲んだのですが、酔っぱらった彼が、ポロっと漏らしたんですが、どうやら子供の頃の記憶が無いらしいのです」

「記憶がないと?」
記憶喪失か・・・

「ええそのようです、それに親の顔も覚えてないし、居たかどうかも分からないと・・・」

「そうですか・・・」

「覚えているのは、孤児院で過ごしていたことだけらしいのです」
子供の頃の記憶だけがないとなると、子供の頃に記憶を無くす、何かがあったということだな。

「これは私の直感なんですが、子供の頃の記憶が無いことが、オズワルドの異常さに関係があるのではないかと思うのです」

「そうでしょうね、そうとしか考えられないですね」

「やはりそうですか、島野さんもそう思いますか?」

「記憶を失うということは、外的な損傷を負う事以外では、相当なストレスを感じないと滅多に起こらないことです」

「そうですよね」

「ええ、まず間違いなく子供の頃に起こったことが原因で、トラウマを抱えているということだと思います」
これ以外考えられないな。

「それで、ここのスーパー銭湯の大食堂で、たまたま出会ったロンメル達と一緒に飲んだことがあるんですが、その時にヒプノセラピーの話を聞きまして、ロンメルが言うにはレケの前世を島野さんが見せたということを聞いたのですが・・・」
正確には違うが、今はいいだろう。

「それで俺を頼ったと、いうことなんですね?」

「そうです・・・お門違いとは思いましたが、島野さんなら何とかしてくれるのではないかと・・・」
ふう、どうしたもんか・・・
他国に干渉することにはならないだろうか?
まずは確認だな。

「まず大事な事は、オズワルドさん自身に、ヒプノセラピーを受ける気があるのかということです」

「どういうことでしょうか?」

「本人の意思なくヒプノセラピーは行えません」

「・・・」

「本人の意思無く、無理やり行うことは出来ないということです」

「そうですか・・・そこは私が何とかします・・・」

「・・・」
これ以上路頭に迷う者達を増やしたくないのだろう、ガードナーさんの必死さが伝わってくる。
それにしても、本当になんとかできるのだろうか?
聞いている限りの人物像だと、一筋縄ではいかなそうだぞ。
ガードナーさんが何とかするといったからには、俺は彼に任せるしかない。
まあ健闘を祈ろう。
ガードナーさんは一人ごちながら帰っていった。



ガードナーさんがオズワルドさんを伴ってサウナ島に現れたのは、それから一週間後のことだった。

オズワルドさんは前にサウナで見かけた神経質そうな男性だった。
黒髪を後ろに束ねて、痩せ細った体形をしていた。
表情は口を引き締めており、俺を凝視している。
視線には独特な纏わりつく様なものがあり、見られていて気持ちの良いものでは無かった。
明らかに心に問題を抱えている者の目だった。
俺はこの目をした人を何度も見ている。
入島受付を終えた後、直接俺の書斎兼寝室に来てもらうことにした。

オズワルドさんが口を開く。
「サウナ島の盟主にして、多数の聖獣の主、そしてタイロンの英雄、もはや一国の王ですね。島野守」
どうやら試されているようだな。
視線があまりに挑戦的だ。

「そう思われます?」

「いろいろ噂を聞く限り、あなたは実質的にそれだけの力を持っている、それは武力のみならず財力や各国とのネットワークもしかり、違いますかな?」

「そうですか?」

「ええ」
挑戦的な視線は止まない。

「でも俺は王様になんかなるつもりはないですよ」

「では何になると?」

「そうですね、特に決めてはいませんが、ゆくゆくは神になると思いますよ」

「そうですか、やはり」
オズワルドさんはニヤリと口元を緩めた。
挑戦的な視線をまだ止めようともしない。

「オズワルド、どういうつもりだ?」
ガードナーさんが横槍を入れる。

「どういうつもりも何も、聞いてみたかっただけだ」
俺から目線を反らさず答える。

「それで、ヒプノセラピーというもので、私の記憶を蘇らせれるとは本当のことなのか?」

「ああ、そうだ、その可能性は非常に高い」

「その根拠は?」

「俺はここでは無い世界で、ヒプノセラピストをしていた、その経験からさ」
俺は今まで神様に対して、敬意を持って様呼びから始めることをしてきたし、極力敬語を使ってきたが、こいつに対してはそういった扱いをする気は無い。
あくまで対等として扱うことを俺は決意した。

「そうか、それで保証は出来るのか?」

「保証する必要がどこにある?」

「・・・」
オズワルドが顔を引きつらせた。
彼にとっては意外な答えだったようだ。

「仮に上手くいかなかったとして、今のあなたに戻るだけだ、何故保証が必要なんだ?それに俺は金銭を要求した覚えはないのだが?」
下を向くオズワルド。

ただのクレーマーみたいなことを言うなよ!
曲りなりにも神だろうが!
まったく・・

「そうだな、言われてみればそうだ、失礼した」
相当プライドが高そうだと思ったが、意外な反応だな。
自分の否をあっさりと認めたな。
どうやら理性的ではあるようだ。
ガードナーさんを見ると、驚きの表情を浮かべていた。

「始めはガードナーがあまりにしつこかったから、嫌々来てみたが、あなたの態度を見て考えを変えた。私も人を裁いてきた身だ。あなたがどれだけの人物なのかは分かる。どうかよろしく頼む」
オズワルドは頭を下げた。

「ああ、任せてくれ。でも一つ教えてくれないか?」
顔を上げるオズワルド。

「何をだ?」

「受けたいと思う動機は何なんだ?」
表情を緩めたオズワルドが呟く。

「もし、子供の時の記憶が戻るのなら、両親の顔が思い出せるのだろう?だからさ・・・」
はやりな・・・こいつも結局は人の子なんだ。
親の顔を知らないなんて、あまりに辛いだろう。
いきなり本音を語るとは・・・良い傾向だ。
オズワルドにしても、このチャンスに賭けてみたいのが本音なんだろう。

「ありがとう、言いづらい話をして貰った」
オズワルドは首を横に振った。
俺は改めて椅子に座り直した。

「じゃあ、さっそくだが、簡単な説明をしてから始める」

「よろしく頼む」
オズワルドも姿勢を正す。

「まず俺が催眠の状態へ誘導する」

「ああ」

「俺の誘導に従う様にしてくれればいい」

「・・・」

「催眠の状態とはわかり易く言えば、無意識の状態だ。無意識とは何か分かるか?」

「無意識、思わずやってしまったりすることだと思うが・・・」

「ああ、それで合っている。その無意識の状態になるが、ちゃんと意識は保っているから心配しないで欲しい」

「分かった」

「万が一、嫌だなと感じたり、不快感があるようならその都度言って欲しい」

「・・・」

「そして、この無意識に記憶が眠っていると考えていい」

「・・・」
オズワルドの視線は真剣そのものだ。

「その記憶にこれからアクセスをするということだ」

「なるほど」

「まず、質問はあるか?」

「ガードナーの話だと、私が子供の頃の記憶を見る、ということであっているか?」

「そうだ、イメージとして見るという感じで捉えてくれて構わない」
オズワルドにはテレビを見る様に、と言っても伝わらないからな。

「イメージとして見る・・・いまいちよく分からないな」

「まあ、いいだろう、やってみれば分かる。他にはあるか?」

「いや、大丈夫だ」

「そうか、じゃあそこのベットに横になってくれ。ちょっと準備する。あっ、そうだ覚えている記憶で構わないのだが、親しい者からは何と呼ばれていた?」
これは非常に大事なポイントとなる。

「シスターや、孤児院の仲間達からはオズと呼ばれていた」

「そうか、これからはオズと呼ばせて貰う」
オズワルドは少し照れたような顔をした。
これは、心の距離を近づける大事なことだ。
疑問形では無く断定として言い切る必要がある。
あえて愛称で呼ぶことで、一見でも信頼を得るテクニックだ。
オズワルドはベットに横になり、緊張で固まっていた。

俺は、カーテンを閉めて、部屋を暗くする。
決して真っ暗にはしない。薄明りは入る程度だ。
椅子をベットの脇に据えて、腰かける。

「あと、ガードナーさんは退室して貰っても構わないがどうする?」

「すまないが外して欲しい」
ガードナーさんは気にするなと、部屋を出ていった。

「じゃあ始めるか?」

「ああ、よろしく頼む」
ここで俺は声音を変える、いつもより低く響く声に、そして話すテンポをゆっくりにする。催眠声というやつだ。

「それでは・・・まず・・・呼吸に意識を向けよう」
一拍置く。

「深い呼吸を繰り返そう・・・何度も・・・何度も・・・繰り返そう」
オズの状態を見る。
大きく胸が上下している。
深く呼吸が出来ているようだ。

「吸う息は・・・鼻から・・・吐く息は・・・口から・・・何度も・・・何度も・・・繰り返そう」
もう一度オズを見る。
お腹が上下するのを確認する。
よし、大丈夫だ。

息を吐くタイミングを見計らって。
「鼻から吸う息は・・・空気中の・・・綺麗な空気・・・体に良い・・・新鮮な空気を・・・取り込むイメージをしよう・・・色は・・・金色・・・」

今度は息を吸うタイミングを見計らって。
「口から吐く息は・・・体の中の・・・悪い物・・・ストレス・・・体のコリ・・・疲れ・・・要らない物を吐くイメージをしよう・・・色は・・・黒色」
と誘導する。

「これを・・・何度も・・・何度も・・・繰り返そう」
オズを確認する。
次第に、神気がオズに吸い込まれる様に漂いだした。

「何度も・・・何度も・・・繰り返そう」

「すると・・・体が・・・どんどんと・・・金色に輝いてくるよ・・・何度も・・・何度も・・・繰り返そう・・・」
神気がオズを完全に覆いつくした。

「この呼吸を・・・繰り返すだけで・・・どんどんと・・・どんどんと・・・催眠の状態に・・・入って・・・いくよ・・・」

「深ーい・・・深ーい・・・催眠の状態に・・・ぐんぐんと・・・ぐんぐんと・・・入って・・・行くよ・・・」

「ただただ・・・呼吸を・・・繰り返す・・・だけで・・・深ーい・・・深ーい・・・催眠の状態に・・・入って・・・いくよ」

「深ーい・・・深ーい・・・催眠の状態に・・・入って・・・いくと・・・体から・・・力が・・・抜けていって・・・とても・・・リラックスした・・・状態に・・・なって・・・いくよ・・・どんどんと・・・どんどんと・・・催眠の状態に・・・入って・・・いくよ・・・もっと・・・もっと・・・力を抜いて・・・いいよ・・・」
オズの状態を確認する。
だいぶ表情が解れているが、まだまだだ。

「頭の・・・力が・・・無くなって・・・いくよ・・・顔の・・・力が・・・無くなって・・・いくよ・・・首の・・・力が・・・無くなって・・・いくよ・・・次は・・・肩の・・・力が・・・無くなって・・・いくよ・・・胸の・・・力が・・・無くなって・・・いくよ・・・腕の・・・力が・・・無くなって・・・いくよ・・・そして・・・腰の・・・力が・・・無くなって・・・いくよ・・・最後に・・・足の・・・力が・・・無くなって・・・いくよ・・・」
オズの状態を確認する。
いい具合に体の力が抜けている。

「ぐんぐんと・・・ぐんぐんと・・・催眠の・・・状態に・・・入って・・・いくよ・・・もっともっと・・・深く・・・もっもと・・・深く・・・さらに・・・深く・・・さらに・・・深く・・・」

「ぐんぐんと・・・深く・・・ぐんぐんと・・・深く・・・これから・・・私が・・・十から・・・ゼロ・・・まで・・・数を・・・数えて・・・いくよ・・・すると・・・さらに・・・深ーい・・・深ーい・・・催眠の・・・状態に・・・入って・・・いくよ」
オズが軽くコクリと頷く。
順調、ここで眠っていないことを確認した。

「十・・・さらに深ーく・・・九・・・もっと・・・もっと・・・深ーく・・・八・・・心地の良い・・・催眠の・・・世界に・・・七・・・けど・・・意識は・・・ちゃんと・・・あるよ・・・六・・・催眠の・・・世界でも・・・ちゃーんと・・・意識は・・・あるよ・・・五・・・より深ーく・・・もっともっと・・・深ーく・・・四・・・ぐんぐんと・・・ぐんぐんと・・・入って・・・いくよ・・・三・・・遠慮は・・・要らない・・・もっと・・・入って・・・いこう・・・二・・・もう・・・深い・・・催眠の・・・世界は・・・感じて・・・いるだろう・・・一・・・さらに・・・深い・・・催眠の・・・世界へ・・・次の・・・カウントで・・・最も・・・深い・・・催眠の・・・世界に・・・辿り・・・着くよ・・・ゼロ、はいスーと催眠の世界に、辿り着いた」
オズを確認する。
よし、催眠に入っている。

「今・・・どんな・・・状態か・・・教えて?」

一拍いてから、囁く様にオズが答える。
「ふわふわした・・・感じだ・・・宙に・・・浮いてる・・・みたいだ・・・心地いい・・・」

「そう・・・それは・・・よかったね・・・オズは・・・ここに・・・この・・・安全な・・・場所に・・・いつでも・・・帰って・・・くることが・・・できるよ・・・」
オズの左手を掴み、胸のところに置いた。
オズの声は優しい響きのする少年の様な声になっている。

「今の・・・様に・・・左手を・・・胸に・・・あてて・・・呼吸を・・・深く・・・繰り返す・・・だけで・・・この・・・安全で・・・心地いい・・・世界に・・・帰って・・・くることが・・・出来るよ」
オズがこくんと頷いた。

「この状態を・・・この余韻を・・・たくさん・・・味わおう・・・気が・・・済んだら・・・教えてね」
と言って。見守る。
当然俺も催眠の状態に入っている。
ここで更に能力の『催眠』を使用した。
心地よさを堪能するオズ。

数分後
「もう・・・大丈夫・・・」
とオズが呟いた。

「じゃあ・・・ここから・・・忘れられた記憶の世界に・・・入って・・・いくよ・・・」

「ああ・・・」

「目の前に・・・階段が・・・あるところを・・・イメージ・・・してみて・・・十段の・・・下りの・・・階段を・・・イメージ・・・できたかな?」
頷くオズ。表情は柔らかい。

「じゃあ・・・これから・・・合図に・・・合わせて・・・ゆっくりと・・・階段を・・・下って・・・いこう・・・一番下の・・・階段の・・・先には・・・大きな・・・扉が・・・まって・・・いるよ・・・じゃあ・・・右足から・・・ゆっくりと・・・降って・・・いこう・・・扉の・・・前に・・・着いたら・・・教えて・・・」
オズの回答を待つ。

「着いた・・・」

「OK・・・その・・・扉は・・・どんな・・・扉かな?・・・もし・・・分からなかったら・・・触れて・・・みると・・・分かるよ」

「木の扉・・・」

「ドアノブは・・・あるかな?」

「ある・・・」

「どんな・・・ドアノブ?」

「木製の・・・開くやつ・・・」

「そう・・・そのドアの・・・先には・・・川岸が・・・あるよ・・・合図と・・・共に・・・ドアを・・・開けよう・・・そして・・・川岸に・・・移るんだ・・・」

「ああ・・・」

「じゃあ・・・いこうか・・・」
オズの状態を確認する。
閉じた目の中が、ぐるぐる動いている。
ちゃんとイメージが出来ているようだ。

「今は・・・どんな・・・状態かな?」

「川岸で・・・川を・・・見てる・・・」

「立っているのかな?・・・座っているのかな?・・・」

「座っている・・・」

「何か・・・見えるかな?」

「橋が・・・見える・・・」

「他には・・・」

「特には・・・なにも・・・」

「川は・・・深いかな?・・・浅いかな?」

「深い・・・」

「川幅は・・・広いかな?・・・狭いかな・・・」

「広い・・・」

「橋は・・・どんな橋かな?」

「石造りの・・・頑丈な橋」

「そう・・・ここに・・・見覚えは・・・あるかな?・・・」

「分からない・・・どうだろうか・・・」

「そう・・・じゃあ・・・川を・・・眺めて・・・みよう・・・」

「ああ・・・」

「オズは・・・ただただ・・・川を・・・眺めて・・・いよう・・・ただただ・・・川を・・・眺めて・・・いよう・・・すると・・・周りから・・・生まれた・・・時の記憶が・・・ゆっくりと・・・確実に・・・迫って・・・来るよ・・・でも・・・オズは・・・ただただ・・・川を・・・眺めて・・・いるよ・・・生まれた・・・時の記憶が・・・オズの・・・背中に・・・ゆっくりと・・・触れているよ・・・でも・・・オズは・・・ただただ・・・川を・・・眺めて・・・いるよ・・・生まれた・・・時の記憶が・・・じわりと・・・オズを・・・包み込んで・・・きたよ・・・イメージの・・・中の・・・目を・・・瞑ろう・・・生まれた時の・・・記憶が・・・オズを・・・包み込んで・・・いるよ・・・合図を・・・したら・・・目を・・・開けよう・・・そこは・・・オズの・・・知るべき・・・生まれた・・・時の記憶だよ・・・オズが・・・感じるべき・・・生まれた時の・・・記憶だよ・・・じゃあ・・・いいかな?」

「ああ」

「じゃあ・・・目を・・・開けよう」
と言うと共にオズの肩に優しく手を添えた。
オズの眼球がぐるぐる動いている。
生れた時の記憶に入ったことが確認できた。

「何が見えるかな?」
オズが驚愕の表情を浮かべている。

「見える・・・ああ・・・なんてことだ・・・そんな・・・両親はこんな顔をしていたのか・・・とても優しい表情をしている・・・ああ・・・」

「今どんな感じで見えている?」

「上から俯瞰で見えている・・・とても穏やかだ」

「赤ちゃんの自分の中に入ることも出来るけど、どうする?」

「ああ、そうして欲しい」
懇願するかのように呟いた。

「では、俺の合図と共に赤ちゃんの中に入ることができるよ、そして、両親の想いをもっと強く感じることができるよ・・・いくよ・・・一・・・二・・・三」
三の合図と共にオズの方に手を添える。

「・・・ああ・・・なんて幸せなんだ・・・こんなにも・・・愛されていたんだ・・・」
オズの瞑られた目には大粒の涙が浮かんでいた。
今正に親の愛情を一身に受けている。
愛されることの幸福感で満たされていることだろう。

「う・・・うう・・・」
オズの涙は止まらない。

「今の満たされた心を堪能しよう」
オズが軽く頷いた。

数分後
「ありがとう、もう大丈夫」
オズは別人かと思え程に顔つきが変わっていた。
長い事彼の中に眠っていた、慈悲の心を取り戻したのだろう。
その口元には柔和な笑顔が浮かんでいる。

「そう・・・じゃあ場面を変えよう・・・」

「・・・」

「オズが知るべき過去の時間に移ろう、いくよ・・・一・・・二・・・三」
オズの肩に手を添える。
オズの眼球がぐるぐる動き、彼の見ている場面が変わったのが分かる。

「これは・・・そうか・・・思い出した。両親のお店だ・・・」

「そう・・・何のお店かな?」

「それは・・・食堂だよ・・・両親自慢のお店さ」
オズの言葉遣いが、声音が少年のものに変わっている。

「そうなんだね・・・今はどうしてるんだ?」

「お店のまかない料理をお父さんが作っていて、お母さんはお片付けしているよ。後は従業員がお皿を洗っている・・・」

「その従業員はどんな人かな?」

「ああ・・・思い出した・・・思い出したよ・・・この人は元スリの常習犯の人だよ・・・反省しているから雇って欲しいとお父さんに話していた人だ・・・お母さんは反対だったみたいだけど・・・お父さんは更生しようと頑張ってるんだからって・・・雇ったんだよ・・・」
なるほど・・・見えてきたな。
執着の問題点が・・・

「そうなんだ・・・このお店で気になることはあるかい?」

「・・・特にはないよ・・・」

「じゃあ、また場面を変えよう・・・オズにとって知るべき場面に移るよ・・・いくよ・・・一・・・二・・・三」
再びオズの肩に手を乗せて合図を送った。
オズの眼球がぐるぐる回り出す。

「う!・・・そんな・・・ああ・・・なんてことだ・・・止めてくれ!・・・なんでそんなことをするんだ!・・・更生したんじゃなかったのか!・・・」
オズが明らかに怯えている。

「何が起こってる?」

「・・・ああ・・・完璧に思い出したよ・・・そうだ・・・そうだったんだ!・・・このスリの常習犯は、お父さんとお母さんを僕の目の前で殺したんだ!・・・ちくしょう・・・ちくしょう!・・・僕は何もできなかった・・・お店の金を奪って・・・お父さんとお母さんを殺して・・・僕も頭を殴られて・・・意識を失ってしまったんだ・・・ちくしょう!・・・許せない・・・許せない!・・・この犯罪者め!・・・くっそう・・・はあ・・・はあ・・・そうだったんだ・・・そうだったんだ!・・・だから私は・・・犯罪者を許せないんだ・・・一度犯罪に手を染めた者は・・・決して更生なんかしない・・・そう断言してしまったんだ・・・ああ・・・お父さん・・・お母さん・・・ごめんよ・・・ごめんよ・・・」
俺は黙って成り行きを見守ることにした。
ここからはオズの自問自答が繰り広げられるだろう。
キリが付くまで待つしかない。

オズは過去を思い出し、そしてこれまでの自分の行いを反芻していくことになるのだろう。
原因を知ったいま、彼は間違いなく変わる。
どう変わって行くのかは彼次第だ。
神である以上の慈悲の心も取り戻すだろう。
親の愛を知ったことだしな。
そして、この先彼は後悔と懺悔の気持ちで押しつぶされることになるだろう。
これまでの行い、自分が苦しめてしまった人達への謝罪。
今度はその想いがトラウマにならないように、見守る必要がある。
どうやらこいつとは長い付き合いになりそうだ。

「そろそろ、纏まりそうかな?」

「ええ、そうですね・・・」

「じゃあ、私の合図でその体から離れて、上へ上へと向かっていこう、いくよ」
オズの肩に合図を送る。

「はい」
オズの眼球がぐるぐると動いている。

「ここでいいと感じるところで止まっていいよ、止まったら教えて」

「はい、ここで大丈夫です」

「今はどんな状態かな?」

「今は肉体を離れて、魂のような存在となって、宙に浮かんでいます」

「今見て来た過去を、どう感じたかな?」

「まだ、消化しきれてないですが、私がどうして犯罪者に拘るのかが、分かりました。でも今はそんなことよりも、両親にとても愛されていたこと、何より両親の顔を思い出せました・・・すごく嬉しい・・・ありがとう」

「そう、これから合図を送ると、少年のオズが目の前に現れるよ、いくよ、はい」
と肩に合図を送った。

「オズ少年はどんな表情をしているかな?」

「幸せに満ちた笑顔をしています」

「そう、ではオズ少年を抱きしてめてあげよう、そして、オズ少年の想いを受け取るんだ」
オズはコクリと頷くと、再び涙を流していた。
これで、彼のトラウマは解消されただろう。
オズ自身の表情も柔らかくなっている。

「満足したら教えてくれ」

数秒後
「もう大丈夫です」

「何かやり残したことはあるかな?」

「ないです」

「OK、じゃあ、あのフワフワしたところに戻るよ」
オズの肩に合図を送る。

「はい、移った」

「じゃあ、目覚めていこうか、いいかな?」

「大丈夫です」

「じゃあ、目覚めていくよ、私が一から十まで数えると、すっきり、しゃっきりと目が覚めるよ」
ここで声色を変える。大きな声にボリュームも変える。

「1、2、3、足と手を動かしてみよう!」
オズが足と手をバタバタ動かした。

「4、5、6、腰を動かしてみよう!」
腰を捩じっている。

「7、8、9、大きく伸びをして!」
背伸びをしている。

「10!お帰り!」
と言って、肩に強く手を添える。

オズが目覚めた。
カーテンを開けて、オズを見る。

「オズ、ゆっくりでいいぞ」

「ああ、まだボーっとする」
再び伸びをしている。
オズが起き上がってきた。
椅子に座るように誘導する。

オズが腰をかけると言った。
「素晴らしい出来事だった」
というオズの表情は、これまでの神経質そうな表情では無く、融和で柔らかみのある表情になっていた。

「そうか」

「ああ、やっと要らないものを手放せたようだ」

「・・・」

「島野さんとガードナーには感謝してもしきれないな」

「気にするなよ」

「私はいろいろと改めなければならないようだ」

「ああ、頑張れよ」

「ありがとう」

「それはきっかけを与えてくれたガードナーさんに言ってやってくれ。多分今もやきもきしてオズの帰りを待っていると思うぞ」
オズは鼻で笑った。
だがその笑みは見下した笑いでは無く、良き友への賛辞の笑いだった。

「島野さん、今度改めて時間を貰えないだろうか?」

「分かった」
オズは立ち上がり、深々と一礼して、俺の部屋を去っていった。

オズの未来に幸あれだな。