☆本話の作業用BGMは、『ナイト・バーズ』(シャカタク)でした。
延々繰り返していても飽きません。
締めは『別れの黄昏』(研ナオコ)。
なんと、あの甲斐御大の作であります。某ドラマのオープニングでした。家族で観ていた微かな記憶があります。珍しく、幸せな記憶。
ーーーーー
台風一過の金曜夕方。
暮れ六つ(夜六時)を過ぎた頃来店したお客さんは、年齢不詳の男性でした。
お弁当らしきビニール袋をぶら提げております。
中途半端に長いぼさぼさの頭髪、よれよれのスウェットに黄色いTシャツ。
Tシャツの胸には、平仮名で「にゅーよーく」の文字。どこかの漫画で目にしたような……。
年季の入った健康サンダルを履き、若干草臥れた感のある足取りで椅子にゆっくりと腰を下ろしました。
座るや否やTシャツのポケットにスッと右手を当てますが、壁に目をやると無表情で手を下ろします。
虚ろな視線を落とすと、説明書きとボタン群を彷徨います。
マジックミラーに映るのは、うっすらと髭剃り跡の残る真っ白なお顔。
意思の感じられない顔で暫く眺めたのち、『話し~たぁくなあーい~(byおざき)』というボタンをそっと押下しました。
ああ、「ゆたか」じゃない方ですね。というか、こちらの方が元祖では?
揉み上げがたくましい、かっけーおじさま。
で、話したくもないのにご来店ですか。ほ~う。
無意識なのか、再び右手で胸ポケットを掴むと、思い出したように手を下ろしました。
習慣になっているのですかね、二十代前半ということはなさそうです。
ライターが重いのか、胸ポケットが一瞬「わなないた」気がいたしました。
☆☆☆
【えと……こんちは】
「ツイてない御苑へようこそ」
【本当にそんな名前なんすね。看板見てちょっと笑っちゃった】
「どなたかのご紹介でしょうか?」
【あ、同僚が「厄を落としてこい」って……】
「左様で。ああ、ここで悪運を消し去ることは出来ませんよ? 多分」
【別にいいんす。ツイてないとは思ってないすから】
またもや胸ポケットに手を当てます。
「申し訳ございません。一応、ここ禁煙なので」
【ごめんなさい。我慢します。……この声誰すか?】
「ご存知ないのに押されたのですか? 「また●う日まで」という名曲をお唄いになった「尾崎●世彦さんという――」
【どんな歌です?】
え、どんな……って。イヤんバカん♥
…………歌わないと駄目かな?
うーん……。
少し気合いを入れ、
「~ふったりでードア●閉ーめーてぇぇぇ⤴」
【びっくりした! ……聞いたことないなぁ】
「…………」
ぐぬ。無駄に恥ずかしい。何故か右手の平をじっと見詰めてみたり。
仕様がありません、これも仕事……ですよね、お母さま。
いや、タブレットで聞かせればよかったのでは?
「……というワケで(何が、というワケなのか)、本日は如何されました?」
彼は何の躊躇いもなく、
【所謂、「左遷」させられちゃって……にゃはは】
何故か白い顔を薄桃色に染め、はにかんでみせたものです。
☆☆☆
「左遷?」
返したタイミングで、豆腐屋さんのチャルメラが「プゥ~ワァ~」と遠間から聞こえました。
【らしいっすね】
他人事のように漏らすと、人差し指でくいっと鼻を穿ります。
「小指でやった方が良いですよ。穴がおっきくなっちゃいますから」
【そうすか? まあ、もう手遅れだと思うけど】
「目の前のティッシュをお使いください。柔らかいやつです」
【あじゃっす】
★★★
彼の勤務先に、税務調査が入る事になったそうです。
法人としては有限会社で、社長の奥様も役員として登記しているとのこと。
【でも、一度も出社したことないんだよね】
実体の無い役員としてはマズイとのことで(役員報酬は支払われている)、念の為、調査前日から終了まで、奥様も出社することに。
【俺、奥さんには一回しか会ったことなくて】
社長からは、
「カミさんが出て来るけど、間違っても『初めまして!』とか言わないようにな!」
社員に向けて警告があったそうです(※実話)。
――調査当日。
税務署員と社長およびお抱え税理士が激しく議論を交わしているその場へ、外回りから戻った彼は奥様の姿を目にした途端、
「あ、奥さんご無沙汰でっす! 五年ぶりくらいですかね?」
明るく言い放ったのです。警告も忘れ……。
☆☆☆
【……一葉の写真みたいだったなあ。きっれーに皆さん固まっちゃって。俺、一生忘れないかもしんない】
「それで、どうなりました?」
【週明け早々、社長に「来週から×××(都合により場所は伏せます)の工場勤務な」って言われた】
「え?」
【税務調査はひと悶着あったみたい。毎年赤字決算で申告してるような会社だしね。まあ、俺のひと言が元で大炎上したらしいす。同僚から後で聞かされた。やー、何気ないひと言ってこあいよねー】
「そんな……たったひと言が……パワハラ?」
こんなこと……現実にあることなんですか? 俄には信じられません。
【一応、人手がどうのって説明はされたんすよ。社員は二人だけらしくて。工場長と経理部長。俺は「福工場長」なんだって】
「おめでたい風に仰ってますが、『副』ですよ?」
【あ、そうなの? あはっ】
ケラケラ笑う彼に当惑する私。
いつの間にか缶コーヒーを取り出し、美味しそうに傾ける彼。
悲壮感は全くありません。
【今日は一日、荷造りで終わっちゃいました。週明けから向こうの寮住まいっす】
ご実家は葛飾だそうですが、今はこの辺で独り住まいだと。
【独身・三男坊で気楽なもんです。実家には居づらくてね……兄が二人、結婚して実家で暮らしてるんで。アラサーの冷や飯食いは辛いっすよ】
言う割には楽しそうです。
白かった顔も赤味が差し、目尻を下げて子供のように笑ってみせます。
「……あのクソ社長! という感じではないですね」
【うん。寧ろ感謝してるかも……。寮の目の前が海なんだ。上手くいけば、自室の窓から釣りできるらしいよ? 部屋にもよるけど】
「それ、危なくないですか?」
【どうかなー。ダイジョブじゃん?】
楽天家、というのでしょうか。
もしかすると、少し「アホ」が入っているやもしれませんが。
「結局、『ツイてない』は無いのですね」
【ごめんね? 同僚の顔を立てなきゃと思って来ただけなんだ】
「左様ですか。こちらは無問題です、お気になさらず。ご本人が幸せそうでなによりです」
【幸せ……うん、そうだね。今は幸せかな。向こうは海の幸が豊富でさ、すっげ楽しみ】
「口にするものが美味しいというのは大事ですね」
【そうそう! きっと、こっちに居るより楽しいと思うんだよね……】
屈託の無いお顔が輝いております。
目の前の事象をどう捉えるか、その人次第だとは思います。
一般的には左遷でも、彼にしたら南の島でリゾート気分――なのかも。
正直、とても羨ましい性格です。その境遇も……。
「ゴッド・ブレス・ユー」
余計なひと言かもしれませんが、お約束ということで。
ほんとに「福」工場長かもですし。
☆☆☆
――その日の退勤後。
一人寂しく晩酌中の兄様に、私も発泡酒でお付き合いいたしました。
ツマミは薩摩揚げと、なぜか「とろろ汁」。
「とやかく言いたくはねえが、こんな時間に大丈夫か? 肥るんじゃね?」
「…………あとで散歩でもしますよ」
「左の彼」の話をポツリ。
腕組みした兄様は、
「まあ、単に『おめでたい』気質かもしれねえが……」
「ええ」
「いい歳なんだから、一拍考えて喋らねえとよ……しかし……」
「……なにか?」
湯呑みで冷や酒をぐっと呷り、
「――クラゲみてぇだな」
「はい?」
「ふわふわ流されてるだけじゃないといいな……」
同級生の心配でもしているような顔で、力無く漏らしたのでございます。
待ちわびた報告が、やっと上がってきた。
A 近所のおじさん
『あの娘を見初めた? あんたの主が? 何処の人? 池之端? ふうん……。あ、そうそう! 多分彼女、「動物ぎらい」だぜ? あっこの寺、生き物を飼うのは御法度なんだと』
B 煙草屋のおばさん
『あんた誰? 主の部下? ご苦労なこった。あの娘、将来は社長夫人かい。そっちで同居? だろうね……。あの娘いつも夕方出勤で、行き掛けにココ寄って――あ、煙草は吸わない。匂いが苦手なんだと――店番の婆ちゃんに……えーと、そうそう! 悪態ついてくよ。まあ口は悪いやね。容姿は……近頃垢抜けたねぇ。背もスラっと高いし、婆ちゃんもよく、ヅカの……いやいや、人間中身だろ? 考え直した方がいいんでないかい?』
C 名誉会長(八幡宮にて)
『ええ、彼女とはこの神社でよく会いますな。高校の頃から、学校帰りによく寄っていましたよ。ほう、貴殿の主が。惚れっぽい? ははは、左様ですか。ふーむ。……まあ、いつも下を向いて、独り言を呪文のように呟いてましたな。そうそう! 常々「ぼっち」だと卑下していました。お友達と訪れたこと? どう……でしたかな。歳なもので記憶が……。もうよろしいので? いえいえ、お役に立てず……』
☆☆☆
朝陽の差し込む三階の部屋で、私は何度も報告を反芻している。
車が玄関先に着いたようだ。
バルコニーに出て視線を落とすと、低血圧の若がよろよろ後部座席に乗り込むところだった。
★★★
若は近々、社長の後を襲うことになる。
私は従僕の身だが、若とは兄弟も同然に育った。
少々女たらしの彼は、また懲りずに誰かを見初めたらしい。
私は独自に、相手の身上調査に乗り出した。
いつだって彼の良縁を願ってやまないのだ。
今回のお相手は、浅草にも程近い、とある寺のお嬢さん。
人とナリに興味が尽きない。
☆☆☆
……動物ぎらい? ふむ。
評判を探るべく部下を動かしたが、この結果に些か釈然としないものがある。
煙草が苦手なのに煙草屋に毎日寄る?
偶然にもお三方が口にした、「そうそう!」以下が酷いな。
……何か違和感を拭えない。
私は慎重に、また報告を反芻し始めた。
——気が付けば、窓の外は薄暮。
「晩ご飯! 晩ご飯!」
部下の黄色い声が聞こえる。
☆☆☆
唐突に、調査は不要となった。
若のターゲットが変わったのだ。
子会社の新人受付嬢に一目惚れ……。
私は脱力し、深い溜息を漏らした。
ふと。
この機会に、「あの」違和感の正体を確かめてみたくなった。
☆☆☆
翌朝――若の出社を見届けた私は、バルコニーから白く光る外界へ繰り出した。
最初は、A――近所のおじさん。
朝飯後らしく、小屋の前で寛いでいた。
「卒爾ながら」
「ん? あんた、あン時の――いや、色が違うか」
おじさん――壮年と思しき柴犬は、私の真っ白い体を眩しそうに見やった。
部下の優秀さを実感した。
彼の話し方は、部下の口真似どおりだったのだ。
「真実を知りたいのです」
例の件がご破算になった事を告げると、彼はバツが悪そうに――居住まいを正して語り出した。
かの寺が生き物を飼えないのは本当らしい。
彼女自身はナンと猫派(!)
だが、
「偶に仕事終わりウチに寄って、俺っちを散歩に連れて行ってくれるんだ」
尻尾がブンブン振れている。
彼の飼い主は足が悪く、時折彼女が代わって連れ出すそうだ。
「あんたンとこ嫁いだら、もう散歩してもらえないだろ? 動物ぎらいって言っときゃさ――」
私の顔をちろと窺い、ペロッと舌を出してみせた。
「ありがとうおじさん。得心がいきました。どうか堅固で」
Bの煙草屋。
「婆ちゃんヅカの男役が大好きでさ、それ風なあの娘が来るの楽しみに夕方店番してんの。毎日、婆ちゃんの……唯一の話し相手になってくれてるんだ。あの娘が嫁いじまったら婆ちゃんボケちゃうよぅ。あたしじゃ相手出来ないし……ごめんね、嘘ついて」
誰もいない煙草屋の窓口で、薄暗い隅っこに蹲っていた三毛猫が、困り眉で話してくれた。
礼を言うと、おばちゃん安堵のため息をひとつ。
また陽を避けるように、棚の陰で丸くなったのだった。
猫が闊歩する薄暗い神社へ降り立った私は、ひと際大柄な黒猫を見つけた。
オグラ名誉会長その人。
「お忙しい中恐縮です。ウンコと申します。××インコです。主の従僕であります」
「インコのウンコさん。ほほう」
詳細をご説明申し上げると、
「なるほど。インコてぇのは、頭が切れるねぃ」
会長はくっくっと小さく笑い、愉し気に語り出した。
「ここの猫は皆、彼女とは顔見知りだ。世話になっている。惚れっぽいという相手方の身の上を聞いて、彼女の未来を危惧してしまってね、つい貶めるような偽りを……誠に申し訳ない」
会長はぺこり頭を下げ、
「私を名誉会長と呼び始めたのは彼女なんだ。実はとても……気に入っているんだよ」
にゃはは! と童のように微笑んでみせたのだ。
愛され乙女——。
どうして若はこうも見る目が無いものか。
私は両手(羽)で頭を抱えた。
☆☆☆
会長に謝辞を残し、私はとある雑居ビルを目指した。
彼女の出勤時間は、煙草屋のおばちゃんから聞いている。
どうやら間に合った。
丁度、出勤してきた彼女が裏口へ回ったところだ。
私はスッと郵便ポストに着地する。ピタリ決まった。10.00。
彼女は私を見て棒立ちになった。
日も暮れかけたが、相手の顔が見えないほどでもない。
胸前に丘がある……。
実に惜しい。良縁と巨乳はきってもきれない間柄だ(※ウンコの個人的な見解)。
私は惜別(?)の思いも込めて、ひと声鳴いた。
『リョーエン! リョーエン!』
少し驚いた顔で、彼女が呟いた。
「りょーえん……? あ、オウム?」
『ウンコ! ウンコ!』
「え? ウン……なんで?」
人間相手はじれったいものだ。
『インコ! ウンコハインコ!』
「ああ、インコさんでしたか。えーと……なんぞ、ツイてないことでもございましたか?」
彼女は変わらず無表情に近い。化粧っ気もない。
だが、なるほどの美形……つくづく惜しい。
諦めるには勿体ないオ●パイ——ゲフン、乙女ではないか……。
長身の彼女が膝を折り、
「私、これからお仕事なんです。ごめんね」
囁くと、裏口のドアノブに手を掛けた。
仕様もない。縁がなかったと諦めるよりないのだ。
『リョーエン! リョーエン!』
私は叫ぶと、諦念を振り切るよう羽ばたいた。
上空から見下ろすと、彼女はあの姿勢のまま、顔を上げてしばらく私の姿を目で追っていた。
西の空から真っ赤な夕陽が私をあおり、私は火の鳥のような姿で池之端の邸宅へと帰って行ったのだ……。
◇◇◇
……くぱあ……と瞼が勝手に開きました。
中々、ファンタジーな夢でしたね。安定の夢オチ。
まさかウンコが――じゃない、インコが私の身上調査を……。
随分な愛され乙女……殆ど嘘八百。
犬の散歩なんてしたことない……。
煙草屋の婆ちゃんて誰?
いやしかし。
オグラ名誉会長、ご壮健でなによりに存じます。
良縁と巨乳はきってもきれない間柄か……メモメモ。
……爽太くんには内緒にしておきましょうか。
液晶テレビが、誰それの婚約会見を流しております。
……知らない顔。誰だろ?
幸せそうなお二人の姿をぼーっと眺めているうち、あのインコ――もといウンコ。じゃなくて、あれ? どっち? ……の声が、耳の奥から届きました。
「りょーえん! りょーえん!」
真似て口にすると――なんとなく私も、幸せな心持ちがしたのでございます。
☆本話の作業用BGMは、『生まれ来る子供たちのために』(オフコース)でした。
オフコース、いっときハマッてました。小田さんの奇跡の高音……裏返るのもお構いなしで良く歌いました。主に布団の中で♥
高校の時、部活の送別会にて「さよなら」をアカペラで歌ったのは、黒い歴史か青春か……
引退・卒業する先輩方へ向けて、「もう……終わりだね♪」はないだろ、てなもんで。
曲のチョイスについては、思い出すだに悶えるほど後悔です。
ーーーーー
開店まもなく、店内を覗いた小さな顔を見て、私は思わずデコをぴしゃんと叩いたのであります。
やがておずおずと歩いてきて椅子に腰かけたそのお人、小学校高学年と思しき、男の子でした。
はいーただ働き決定(※中学生以下は初回無料を謳っているため)。
見覚えのあるジャージ。
「委員長」が確か、同じものを召していらしたことが……。
説明書きもろくに読むことなく、パッと押したボタンが『リアル峰●●子(※二代目)』。
これは……確かグラビア用語(?)と記憶しておりますが。違ったかな。
「二代目」……声優の二代目? というと増山さん? なのでしょうか。
【こんちは!】
「はい、こんにちは。ツイてない御苑へようこそ。学校帰りですか」
【うん。ちょっと遠回りだけど】
卓の下で、両足が忙しなく動きます。
少し猫背気味。広いおでこが艶々光っております。
【ほんとうだ。不●子ちゃ~んの声だ】
「というと、アニメの?」
【父ちゃんが昔のアニメ大好きで、よく一緒に観るんだ】
「左様で。不●子ちゃんが好きなの?」
【うん! パ●オツかいでーな女の人が好きなんだ。……内緒だぜ?】
口に指をあて、わざとらしくキョロつきます。ほっぺが少しだけ紅潮します。
パイ――お父様の言がうつった……と好意的に解釈しておきましょう。
「お●ぱい星人」というものは、こうして小さい頃から醸成されるものなのかもしれませんね。
「お父さん、ここへいらしたことが?」
【さあ? 聞いた事ない】
「どなたかのご紹介でしょうか」
【『シンユウ』がここ行ってみたら、って。何回か来た事あるんだってさ】
「……左様でございますか」
少年がやや顔を顰めて視線を落とします。
「シンユウ」ね……。
【んあ!】
「どうしました?」
【鼻ほじってもいい?】
「え。なんで? なんで、ってこともないか。……我慢してルパン♥」
【鼻ン中痒いんだもん】
「……小指で優しくお願いいたします」
【心得た!】
時代劇も一緒にご覧になるのでしょうか。
ここ(御苑)は、鼻を穿りたくなる何かがあるのですかね、お母さま。
あ、「鼻穿ってお母さま♥」という意味ではありませんよ?
☆☆☆
力加減を誤ったのか、男の子が鼻血を流したのですよ。優しくねってご忠告申し上げたのに。
今、ティッシュを詰め終わったようです。片方の小鼻がモッコリしております。
「今日はどうされたのですか」
彼はあほ顔(失礼)を上げ、口をパカッと開きました。
口で呼吸しているのか、ヒーハーという音が微かに聞こえます。
【……体育の授業、100メートル走だったんだ。整列すると一番前の小さいやつが――わりとドンくさいんだけど――めっちゃ遅いんだ。まあいつものことだけどさ】
なんとなく耳が痛い……。
「そう……」
【軽く揶揄ったら、先生がさ――『バッカもーん! 「一寸の虫にも五分の魂」だぞっ!』って言ったの】
「ははあ」
【あ! あと「バッカモーン! あいつがルパンだ! 追えー!」って言った!】
「嘘はいけない」
【うん、嘘。アハハ】
「それで?」
【……なんか鼻ン中痒い……】
「まだイッちゃダメッ!」
【我慢できないよぉ、中――】
「中はダメッ! ……ご、ごめんね、お薬とかゴムとか置いてないのココ」
ひとしきり、鼻を押したり引いたり落ち着かない様子でしたが、
【一寸て3センチ? 4センチ? くらい?】
「そうですね。そんなものでしょうか」
【五分って、五分五分の五分?】
「ええ、そうですね」
【体の半分が魂ってことでしょ?】
「……そう、ですかね」
【オレ、「魂でかくね?」って先生に言ったんだ。したら、みんなドッカーン! て……ややウケだったかな?】
「…………」
【……爆笑じゃなかったんだよなあ……】
俯いてぽっと溜息をつきます。
「……それでそれで?」
【ツイてないでしょ?】
――えーと……?
「一寸の虫にも……の意味はご存知でしたか?」
【知らなかった。そのあと先生が教えてくれた】
どんな小さな虫にも相応の魂がある――小さく弱い者でも、相当の思慮や意地を持っているのだから、小さいからといって馬鹿にしてはいけない――という意味合いだそうです。
検索してみますと、「字面からすると『魂は身体の半分』となり、魂の大きさを強調する表現となっている」とも記載があります。
趣旨としては「馬鹿にしちゃいかん」でしょうが、
「あなたの感想は、あながち的外れでもないようですね」
【え、ホント?!……そうなんだ……。「シンユウ」が言ったんだ。「ほんとだ。魂ってデカいんだね!」って。アイツだけだよ、そう言ったの。みんなバカにしたけどさ】
「左様ですか。その子は意味を全て理解していたのでしょうか」
【多分わかってたんだね。そっか……アイツ頭いいけど偉そうにしないし、誰かを馬鹿にしたり悪口言ったりしないんだ。かっけーだろ? アイツがここに行ったらって言って……】
……なるほど。わかってきましたゾ。
【わわっ?! ティッシュ真っ赤っか! 交換交換♪】
鼻に詰めたティッシュを抜き取りテンション上げたあと、新たに丸めて詰め直しております。
鼻歌混じりですよ。
血を見ても特に慌てる様子がありません。強い子ですね。
ここに来る必要があったのかなかったのか……。
「お話は以上ですか?」
【うん。以下でもないよ?】
片方の鼻の穴から、荒い空気が勢いよく飛び出しました。
「ゴッド・ブレス・ユー」
――お代をお返しすると、嬉しそうにダッシュで店を後にしたのでございます。
☆☆☆
店じまい寸前に、裏口から爽太くんがやって来ました。
明日から道場の合宿が催されるので、彼は前乗りで寺へ泊まり込むことになっております。
そう、今日は家まで一緒に帰るのです。
「恋人繋ぎ」しても、いいかな? いいともぉー! テーレッテーレッテッテッテレ~……
挨拶もそこそこに少年は私の胸に飛び込み、熱いハグ(?)を交わします。
――愛いやつめぇ。
「ああ。今日、男の子がいらっしゃいましたよ。『シンユウ』に勧められたそうで」
爽太くんは顔を上げると、微笑を向けます。
「来ましたか。彼は素直な人なんです。意外と繊細なところがあるので、神幸さんにフォローしてもらおうと思って」
「左様でしたか」
「口コミでココの評判が広まって繁盛するかもですし」
にぱっと笑うご尊顔が尊い……。もうもうもうっ!
「小学生は初回無料なんですけどね」
「あっ?! そ、そうでした。失念してました。……小学生のお客さんが増えてもアレですよね……」
軽く項垂れる彼に、
「いえいえ。お心遣いがとても嬉しいです。ありがとうございます。さすがは未来の夫です」
本心からそう申し上げますと、再び顔を上げた彼は秒で真っ赤になり、
「精進いたします。先は長いですけど、待っていてください!」
今更ですけど。
知り合った頃は、爽太くんの美しい旋毛がいつも眼下にありましたのに、今は少し見えづらくなってしまいましたね……。
光陰矢の如し、ということでしょうか。
――お待ち申し上げるのは仕様がないことなのですけど……私の体が我慢できるかとても心配なのですよ、お母さま……。
外へ出て希望どおりチョメチョメ繋ぎをしたところで、爽太くんがこちらを見上げてひと言。
「あ、あの、神幸さん……」
「はい! なんでしょう♪」
「……鼻血が……」
台無し……ぎゃふん!
☆本話の作業用BGMは、『炎のファイター ~イノキ ボンバイエ~』でした。
言わずと知れた故・アントニオ猪木氏の入場曲です。
元々、伝記映画「アリ ザ グレート」の挿入歌で、対戦を機にアリ氏から贈られたものだそうです。
「キンシャサの奇跡」と呼ばれた試合で、現地ファンが「アリ! ボンバイエ!」と声援を送ったのが「イノキ ボンバイエ」の語源だそうです。
直訳すると、「イノキ やっちまえ」。(※以上、日刊スポーツの記事より抜粋)
(※2022年に執筆したものです)
ーーーーー
事務所で一人、タブレットの動画を見ています。
元国会議員でプロレスラーだった方の動画です。
長いこと闘病されておりましたが、その闘いも終わりました。
視界がぼやけてきた頃合いで、表口の外から喚き声らしきものが聞こえてまいりました。
次第にそれが大きくなると、途端、表口が勢いよく開き、
『イ●キ! ボ●バイエッ!』
元気の良い声がフロアに響き、同時に誰かが入り込みました。
逆光を背にして立ちはだかる、少女らしき姿。
次いで、背の高い男性らしき姿が背後に立ちます。
『デデン・デン・デデン!』
可愛らしい声をあげ、少女を先頭に二人ヅカヅカ歩いてきます。
椅子の前までくると、少女は胸元へ手を入れゴソゴソやり始めました。
黒髪ロングのセーラー服姿――よく見ると、制服は上下黒、黒いネクタイを締めております。
黒のタイツに黒いミニのブーツ、背は……小柄、と申しますか。
横に並び立つアラサー風の男性は黒い短髪に精悍な顔つき、目許だけ優し気な色があります。トレーナーにジーンズとラフな装いです。
少女は懐から取り出した小さな機器のようなものを弄っておりましたが、やがて痺れを切らしたように無言で床へ投げつけました。
ギョーンと跳ね返ったそれを男性がサッとキャッチし、
『ボス、落ち着こうぜ。だから慣れない事すんなって言ったのに』
呆れた口調で宥めると、
『黙れ。もう少しオレを敬うがいい』
少女が鼻を穿りながら漏らしました。
「ボクっ娘」は承知しておりますが、「オレっ娘」は初見です。
あっけにとられて憮然とする私の前で、二人がマジックミラー越しに何かを翳しました。
ミラーに顔を寄せてよーく拝見いたしますと――
手帳のような黒い物体を、二人同時にパカッと開きます。
『警視庁捜査第百課しれいかん、刑部魔威警視だ』
少女が無表情で告げると、なぜかフロアに風が靡いたのです。
表口閉まっているのに……怪訝に思っていると、
『あ、「魔威」は平仮名でよろ』
少女が無駄に補足し、
『兵隊(部下)の英巡査です』
男性が申し訳なさそうに名乗ったのでした。
☆☆☆
これまで警察関係者が立ち寄らなかったのを奇異には思っておりましたが……。
しかし男性は兎も角、女の子はどう見ても中高生……コスプレ? 警視と名乗っていましたけど。
『む。椅子が一脚しかないな』
警視(と名乗った女の子)が、巡査をチラチラ窺いながら呟くと、
『ボス座りなよ』
『…………』
『お座りください、しれいかん』
警視がぴょんと椅子に飛び乗ります。とても嬉しそうです。
巡査が溜息を吐く前で警視はボタン群をさっと見やり、即座に硬貨を投入すると、『元気があればなんでも出来るゾ♥』というボタンを押下いたしました。
巡査が受話器に先程の機器を接続すると、徐にイヤホンを取り出して耳にあてます。
警視が受話器を持ち上げ、
【元気ですかーーーっっっ!】
顎をしゃくって叫びました。
「よ、ようこそツイてない御苑へ。警察の方が何用でしょう」
【気にするな。臨検を装ったお忍びだからな】
「はあ……」
【ミ――トメって知ってるか? アイツがいいイタコを紹介してやると言ってな】
『俺は主水きゅん(※美冬の兄)から聞いたぜ』
碌でもない人とお知り合いなのですね。
「左様で……ここにイタコは存在しませんよ?」
【なにっ?! アイツ、「迷わず行●よ。行けばわかるさ」って言ったんたぞ? 謀ったな……】
「ご愁傷さまです」
警視が派手にガックリ項垂れます。
巡査がニヤつきながら腕を組みました。
【……碌に見舞いも行かなんだから、ここで謝ろうと思っていたのに……】
青い顔で呟く少女。
「お知り合いだったのですか……警視」
【…………】
「――しれいかん?」
【おお、ずっと昔、ヤツに闘魂を注入してやって以来の付き合いだった】
「された、ではなく……」
『「闘魂」よりずっと年上なんだぜ? 笑っちゃうでしょ?』
間髪を入れず、警視が振り向きざま巡査に『虎砲』(らしきもの)を放ちました。※1
巡査は「わははは!」という笑い声を残して表口まで吹っ飛び、そのまま動かなくなりました。
闘魂より年上?
そう言えば、ミケさんは江戸時代のお生まれと(イッツ・ミケジョ~ク)……。
ははは(笑)
警視は何事もなかったように目を伏せます。
意外にも長い睫毛に、キラリ光るものが……。
「あの、巡査大丈夫ですか?」
【問題ない。自分で飛んだからハデに見えるダケだ】
「はあ……」
【心配するな。ヤツは「不死身」だ】
「……は?」
警視は長い息を吐くと、
【この声は確かに瓜二つだが、アイツと会話が出来なんだとなると……】
「はい。誠に恐縮ですが」
腕を組んで黙り込んでしまいました。
いつの間にか蘇生した巡査が背後に立っています。
じっと警視のドタマを興味深そうに眺めていましたが、
『どうするボス。もうオウチ帰る?』
旋毛に向かって囁きました。
警視は答えず――突然パッと顔を上げると、
『ぐわっ?!』
鼻頭に衝撃を受けた巡査が仰け反ります。
【……主、ひとつよいか?】
「なんでしょう」
【我儘を言って申し訳ないが……ひとつ、追善に舞ってもよろしいか?】
こちらへ向けた鋭い眼差しに、何やら青白い光を湛えているような……。
その迫力に抗えず、
「ど、どうぞ、ご自由に――」
【忝い!】
警視は被せ気味に発するとサッと立ち上がり――呼吸を整えると、どこか古風な構えをとりました。
両脇を締め、半身で直ぐ立ち……一見、棒のような姿勢。
窮屈そうなその姿から、やがてゆるりと動き出します。
蛇が地を這うようなぬるぬるの足捌きから、目にも止まらぬ神速の指突。
一転、ダイナミックに宙返りしながら旋風のような浴びせ蹴り――。
見たことがないような所作。動画で観た「骨法」に、どことなく似ている気もいたします。
静まり返った店内に、空気を切り裂く凛とした音だけが微かに漂います。
巡査は隅に立ったまま、鼻血を拭きつつじっと見入っております。
唇をきゅっと引き結び、霹靂のような力強い踏み込みを見せると、床が哀しげに鳴きました。
まるで慟哭のように――。
床に亀裂が走っております。
あじゃぱー……。
細い気を長く長く吐き出すと、天に向けて静かに一礼。
舞のような「型」といった感じでございました。
【――おしマイ~ケル】
「お見事です」
【どーもありがとう。入魂てヤツだ】
「……」
【……アイツもオレも、いつだって「魂」で闘ってきたんだ……】
寂しげに微笑みました。
「……ところで警視」
【…………】
「しれいかん……て、なぜ平仮名で『しれいかん』なのです?」
【漢字が難しい。三文字だし】
「ええー……」
『名前の「魔威」は書けるんだぜ? ウケるでしょ?』
蹴りが飛び、巡査が再びぶっ飛びます。
【「まい」は平仮名でね♥と言ったろうがッ!】
警視が吼えました。
☆☆☆
「ゴッド・ブレス・ユー……ところでしれいかん!」
『おお、なんだ?』
ネクタイを締め直す警視に、
「床の修理代は、何処へご請求申し上げればよいでしょう」
両腕をだらんと下げた警視が、ゆっくりと巡査を見やり、
『エイエイ! 後は任せた!』
「エイエイ?」
『こいつの名は英英次といってな。字面がくどいから愛称をつけてやったのだ。オレが直々に!』
『あんたがクドい名字つけなきゃ――』
『しっかり聞いとけよエイエイ。では、サバラ!』
言い置くと、警視――しれいかんは、楽し気にスキップを踏んであっけなく消えてしまいました。
私とエイエイ氏は、暫し苦い顔で見つめ合い……。
ーーーーー
ずっと、挑戦し続けることを分かりやすく体現してみせたカリスマだったと思います(個人の感想)。
最後まで、魂で闘う「燃える闘魂」でした。
☆本話の作業用BGMは、『Get down』(野猿)でした。
カラオケで歌ってみたら意外な高得点で。
と●ねるずさんと番組スタッフのユニットですね。デビュー曲であります。
テルりん(アクリル装飾担当)はいい声してました。アルバムでもソロ曲があったり……。
今でも、多摩の「野猿街道」を走るたび、当たり前のように思い出します。
ーーーーーー
先般、晋三がやって来まして。まあしょっちゅう来るんですけど。
表口脇の掲示板に写真を貼りつけやがったのですよ、お母さま。
ヤツと彼女のツーショット写真です。何故か彼女はア●顔ダ●ルピース。
『僕たち・私たちは! 御苑が縁で付き合い始めました!』なんてわざわざ韻を踏んだひと言が添えられております。方便にしてもこれはどうかと思います。
写真では二人共に目線が入っているので、ぱっと見は指名手配写真のような趣もあります。
「きっとお客さん増えますよ!」
根拠の無い自信を振り撒きつつ、ヤツはお得意のスキップ(擬き)で去って行きました。
眉唾モノではありますが、目にした兄様は気に入ったようなので、今もそのまま放置プレイ続行中です。へっ。
折角なので、店内の説明書きと同じものを、写真の隣に貼ってみました。
今更ですけどね。
☆☆☆
陽が落ちてから来店されたのは、巫女装束姿の女性でした。
赤い袴姿が脳の奥を刺激いたします。ひょっとして、矢●稲荷の関係者?
ふと、美冬ちゃんは今でも週末、神社のバイトを続けていらっしゃるのだろうか……女子高の頃は制服で窓口に座っていたと仰ってましたが、今はどのようなお姿なのか……などとぼんやり考えているうち、巫女さんは既に目の前に座り、ボタン群を眺めていらっしゃいました。
視線を落とした顔には何某かの憂いが感じられ、ボタンを見詰める視線は虚無の色が浮かんでおります。
やがて押下したのは、『関係ないネッ!(なんとな~く~ク●スタル)』というボタン。
なんとな~く……ああ、小説のタイトル―—確か映画化もされて、曲も……柴●の恭兵さんが歌ってらっしゃいましたね。
【こんばんは。お初にお目に掛かります】
「ようこそツイてない御苑へ。神社にお勤めで?」
【ああいえ、私のアバターが『大正む●め』というやつで、家にそれらしき衣装がなかったものですから】
「アバター?」
【とあるサイトで小説を投稿しているんです。未だにシステムがよく分からないんですが、そこのアバターです】
「ははあ、小説を。勿論ペンネームですよね、よろしければタイトルなど」
あれ? じゃこれはコスプレでしょうか。ふうん。
野生のラノベなら私でも読めるかもしれません。嗜好が合えばよいのですが。
彼女、一瞬ピクンと反応し、微かに身を捩ります。
【ちょっと恥ずかしいな……晴子というPNで、『はる・この部屋♥』という小説擬きを……】
「『徹・子の部屋』みたい。パクリですか?」
【そ、そうですね。そうとも言います】
テレテレモジモジ、身をくねらせるそのお姿に、何某かの違和感。
細めた目の尾っぽに薄っすら小皺があるのを、私は見逃しませんでした。
【あの……この事は何とぞ、ご内密に……】
「左様で。でも、不特定多数の方に読んでいただくために投稿されているのでは?」
【いやまあ、結果的にはそうなっちゃうんですけど。クオリティは大したことないので……】
じわじわ猫背に移行する巫女さん。
「今日はどうされたのですか?」
問い掛けるとハッとなって、
【あのう……ある日投稿した話の中で、『なん●なくクリ●タル』という曲をネタにしたんです】
「関係ナイねッ!」
【くりそつ! 恭●さんその人です! わあ、感動……】
「で?」
【ああ! その、「なんとなく」「クリスタル」って、「く」「ク」って続くでしょ?】
「しょうがナイねッ!」
【いや仕様がないんですけど。続くのがくどいから、『なんとなくりすたる』でいいんじゃね? ってネタを……】
「なんでまたそんな無茶(?)を」
【昔から思ってたんです、ほんと意味はないんですけど……何度もネタにしてたら、一部クレームが――】
「言わんこっちゃナイねッ!」
【うう……。数件なんですけど、元々豆腐メンタルなもので、いっとき参っちゃって……】
ここに至って、彼女は深~い溜息を吐き出しました。
【「お前のネタの方がクドいわ!」「『りすたる』てなんじゃい!」「アチチッ!」とかエロエロ――】
「最後の誰? GOさん?」
【今、心を整えるために、ちょっと更新を休んでいるんです。ひたすら仕事に集中してまして】
「お勤めされているのですか」
【お局ですっ! ――ゲフン、OLです。いたって普通の】
お局という役職があるのかと思っちゃいましたよ。
「いたって」のひと言に、なんぞ必死さが感じられます。
「関係ナイねッ!」
【……そんな何回も三回も……】
「万人受けする話を創るのは無理でしょう」
【……まあ、そうですよね。そりはわかってはいるのですが】
「創れちゃったら直木賞……の候補になっちゃいます」
【……はあ】
「プロを目指しているのならともかく……」
【あーそれは無理です】
「諦めないでッ!(※真矢みき風に!)」
【どうしたらイイんですか?!】
「創作を続ける理由——そもそも、どんな気持ちで書き始めました?」
【…………】
「よ~く思い出してごら~ん……」
頭の中で「イマ●ン」が流れ出します。サンキュー、ジョン。
——て、そんな曲だったでしょうか。
【……楽しいんです。キーを叩いてる間じゅう、ずっと……】
お局がポツリ漏らしました。
【下手は下手なりに……すっっごく、楽しいんです。「自由」な気持ちになって……】
犬井ヒ●シみたいに? 「自由だあああ~」って?
言葉とは裏腹に、彼女の目尻に涙が滲みます。
涙を拭くんだ、お局……ティッシュは控え目でよろ。勿体ないからね(キリッ)。
原材料高騰の折り……。
「ご自分のために、楽しくやりましょうよ。楽しくなくなったらやめてもいいのですから。もう●なんてしないなんて言わずに」
一段首を傾けて、巫女さんはこくっとひとつ、頷いたのです。
☆☆☆
頃合いと見た私は締めにかかり、
「では、ゴッド・ブレス――」
【もう一ついいですかっ?!】
被せ気味に叫ぶお局。
「お、OKユージ」
【? ああ、『あ●刑事』ですね! ユージは恭兵さんですよ?】
「間違えた! OKタカ!」
くっ、恥ず。
【私よく物真似するんですけど。あ、大体楽屋落ちネタです。この間、うちのボスの物真似を――】
彼女のオフィスは、前と後ろに出入り口があるそうで。
数日前——休憩時間に一服を終えた彼女が、後ろのドアからオフィスに戻りつつ、
【ボスのモノマネしながらドアを潜って――】
「どのような?」
【「ごくろごくろ」って、他愛のない口癖というか。みんな分かってる鉄板ネタで】
「それで?」
【言いながらオフィスに戻ったら、丁度、前のドアから「ごくろごくろ」ってボスが入ってきて】
「……」
【ハモっちゃったんです……】
「ハモっちゃったかぁ……」
ひとしきり、職場に張り詰めた空気が漂ったそうで。
【きっとバレバレです。私、どうしたらいいんでしょうっっっ?!】
「謝れば? はい、ゴッド・ブレス・ユー」
棒を飲み込んだような青い顔で目を剥いた彼女に、私は短いひと言で背中を押したのです。
久々に「ツイてないな」と思いました。
おしまい~・ける。
☆本話の作業用BGMは、『ゆうこ』(村下孝蔵)でした。
この方のお歌で初めて耳にした曲です。ので、とても印象深いです。
当時の自分は曲にばかり意識が行っておりましたが、改めて歌詞を読むと、うーん……と唸ります。
タイトルは奥様のお名前から、だそうで。その後、故あって再婚した方も「ゆうこ」さんだったんですと。ふうん……
ーーーーーー
さすがに夏は終わったようです、お母さま。
もう十月だから、と言うわけではありません。
Tシャツで近所のコンビニに行けなくなってきたのですよ。寒くって。うっふん♥
またスウェットの出番です。長らく待たせましたが。
お久しぶり、またよろしくね……この間スウェットにひと声掛けましたら、「いやなんもです」と返されました(幻聴?)。
ふと、親父(先代ハゲ)に掛けられた言葉を思い出します。
親父は――毎年この時期、Tシャツで母屋内をうろうろしている私を見掛けると、
『×××(※お母さまの名前)、風邪ひくよ? なにか上に着ないと』
何故かいつも、間違ってそう呼ぶのです。
呼び間違いはそのシチュエーションだけ。
そのくせ、お母さまに声を掛ける時は間違えないのです。
多分、お母さまはご存知なかったでしょう?
この遣り取りが、未だによく理解できません。お母さまが亡くなる前の話です。
私、そんなお母さまに似ていましたっけ?
それほどでも無かったと思うのですが……。
毎度、言い間違いに自ら気付いた先代ハゲ(注:千代萩ではない)は、決まって頬を染め、照れたように頭をツルリと撫でるのでした。
☆☆☆
夜五つ(午後八時頃)に来店したお客さんは、(恐らく)五十がらみと思われる、スーツにノーネクタイの男性でした。
シャツは淡いブルー、白髪交じりのボリューミーな七三分けで、少しだけ赤い顔をしてらっしゃいます。
まあよくあるパターンです。会社帰り、軽く一杯ひっかけて……といったところでしょう。
黒くて薄い鞄を床に置き、椅子に深ぁ~く腰掛けております。
掲示板の説明を既に一瞥してあったものか、さっとワンコイン投入、すぐに、
『しゃかりきコロンブス(大人は見えない)』
というボタンを押下します。
確か、古の某アイドルグループの曲に、そんな歌詞があったような。
【こんばんは。あのう、表の写真(晋三と彼女)——】
「ツイてない御苑へようこそ。あの手配写真が何か……あ、見当たり捜査ですか? また警察の方?」※1
【いえいえ、違います。民間人ですよ。ちょっと微笑ましいというか、羨ましいなと思って。お知り合いなのですか?】
「うらやま……左様ですか。ふうん……知り合いというか、下僕? みたいな」
【下僕?!】
少しだけ目を見開いた男性は、ふとボタン群に視線を落とし、
【あっ?! ……ごめんなさい、あのう、ボタン変えてもいいでしょうか?】
「ええ、どうぞ。まあ、男性がゲンジでもないですよね(偏見?)」
そも、「しゃかりきなコロンブス」とはなんぞ?
緩い上り坂をノーマル自転車に乗って、ガシャガシャと必死にペダルを漕ぐ——「ぼ~く~……コロン……ブス~」と荒い息で途切れ途切れに呟く中年男性——というイメージなんですけど、果たして……。
いや、(大人は見えない)という注釈は……?
【ありがとうございます。隣の……こっちにチェンジします】
先ほどとは違い、弾むような指先がボタンを撫でます。
弾いたボタンは、
『……言い出せない●は 海鳴りに似て●る……』。
「何かの歌詞でしょうか」
【そうです。思い入れのある曲なんですよ……】
微妙に上がった視線が微かに揺れました。
☆☆☆
【先般、田舎の父が上京してきましてね。数年置きにやって来るんですが、今回は私の再婚後初、でして】
「再婚——それはそれは(オメデトウございます)」(何故か小声)
カッコは不要ですよね。お祝いは声を大にするべきでした。
【年寄りなもので、朝一の新幹線で上野まで。半ば寝惚けながら私と妻は上野に迎えに行きました】
年老いた父御の脚力を考慮して、ご一行はタクシーに乗り、浅草は雷門通りへ。
【すしや通りを脇に少し入ったところに、目を付けていた蕎麦屋があるんです。そこへ向かったら――】
開店まで間があったので、厳格に入店を拒否されたそうです。
【仕方なく、時間潰しに雷門通りの洋食屋さんへ入りました。十時を過ぎたあたりでしたが、構わずジョッキを一杯。呑兵衛なんですよ、親父】
「朝から……」
【朝からがいいんです! 格別ですよ、朝早くから飲むビールは。実に健康的で】
思い出しているのか、目元に皺を寄せたお顔が綻びます。
【いい心持ちになって……ふと親父が、『(横にいるの、元関取の×××だな)』って囁いたんです】
「×××……?」
【元・三●ケ●親方です。レコードも沢山出していて、結構売れたらしいです】
「歌手もやってらした?」
【ええ。『そんな夕子に●れました』とか……】
現役時にヒットを飛ばしたそうです。
【ガタイもよくて、チラチラ窺うと確かに×××さんなんですよ。まさかの隣のテーブルで、ラッキーて感じでした。親父も嬉しそうで……。いきなり親孝行かよおいおいって。そんな風で、少し……いやかなり、気が緩んでいたのかも……】
男性が身を竦め、ガックリと項垂れました。
次いで深く深く瘧を吐き出し――。
【……つまみに頼んだ唐揚げが運ばれてきたので、妻に声を掛けたんです。「レモン搾ってくれる? ゆうこ」って……】
「? それが。なにか」
男性は――ひと息吸い込むと硬直し――傍から見れば、ちょっと滑稽なお顔に。
【その場が凍り付き……いえ、私と妻の間だけ、北風小僧のカンタロウが通り抜け――】
「それは寒そうですね(Tシャツでコンビニ、よりも)」
【妻の名前は「じゅんこ」なんです】
「ほほう。……では、『ゆうこ』とは?」
再婚前に交際していた女性の名、だそうで。
【勘の働いた妻から、デンプシーロールのように雨あられの追求を受けました……「ゆうこ? 浮気相手の名か? あああんっ?!」と】
「ご説明申し上げたわけで?」
【最初から正直に言えば良かったんですよね……】
奥様とのご結婚前(大分以前の話だそうです)なので、疚しい所はないハズなのに。
男性はひどく動揺したのか、
【ゆ、ゆうこじゃなくて「龍虎」だよ、ほら、元関取の! 料●天国出て「おいっしいですね」って言ってた……とか、いらん言い訳を】※2
「苦しい。いや見苦しいですね。ややウケです」
【親父の前で散々詰られ……恥ずかしいやら情けないやらで。必死に説明して謝って……親父の前というのが却ってよかったのか、なんとか矛を収めてもらいました】
「それはよござんした」
【黙って様子を眺めていた親父は、落ち着いたところで大爆笑でしたよ】
ライブでその光景を見ているかのよう、男性はよれよれのハンカチを取り出し、しきりに顔から首筋から拭います。
拭いても拭いても、後から後から汗が滲みます。
十月も半ばというのに……。
ちよと気の毒。
【……裕子とは一番長くて三年……優子とは僅か二か月で終わりました。局のプロデューサーに寝取られて……結子は若手歌舞伎役者の元へ走り……由子は、日本語の歌詞を英語みたいに歌うミュージシャンの男に……ゆう】
「ま?! 待て待て待てコンチキショーめぃ! 一人じゃないの? 交際した人、全部「ユウコ」かよっ?!」
合計六人、全て名前は「ユウコ」さんだそうで。
こんな事ってあるのでしょうか。どんだけだよおっさん……。
……男性は石になってらっしゃいます。
気の毒……なんて――撤回です、断固撤回いたします!
やめだやめだっ! みんな負け(?)だあっっっ!
「……ゴ、ゴッド……」
締めのセリフは、喉につっかえて表に出てはきませんでしたよ、お母さま……。
ーーーーーー
※1 容疑者の写真や絵を頼りに、街を歩きながら探し出す操作手法。熟練の技が必須。
※2 元・放駒親方。不屈の関取。TV番組「料理天国」では試食役をされてました
『ナイフ遣いが達者だなー』と、ウチの親父が感嘆しておりました(注:凄腕の殺し屋という意味ではありません)
☆本話の作業用BGMは、『タイミング』(中西圭三)でした。
ブラックビスケッツのヒット曲を、作曲のあの方(天才!)自らお歌いになっております、めっちゃ綺麗なお声で。歌詞読んでたら少し泣いちゃいました。ほんと歳取ると……。
個人的に、「お友達になってほしい」方です。一緒にカラオケしたい……恐れ多いですけど。
なんか、可愛らしいんですよね……上からで申し訳ございません。
あ、『ぱわわぷたいそう』(※お●あさんといっしょ)も良かったっす!
ーーーーーー
えーさてー(小林完吾アナ風)、小雨降る小道をすれ違う際、日本には「江戸しぐさ」のひとつ、「傘かしげ」なる所作がありますよね(確認)。
お互い傘を傾けて行き違うという、和の思い遣りともいふべき美しい姿。
当たり前のようにも思えるものですが、お国が違うと解釈が違うのでしょうか。
同じ小道で晴れの日でも、お互いが同じ方向へ避けようとして、「お見合い現象」が続くことがよくあるかと存じます。
これは「連続回避本能」という、人間特有の「本能的に、直前の行動と同じ動きを避けようとする性質」なのだとか。
これを回避するには、「立ち止まる」「大きく避ける」などが有効だそうなので、私もこの間実践してみたわけです。
霧雨の舞うその日——浅草は浅草寺・仲見世の裏道を歩いておりますと、前方より外国人観光客と思しき長身の男性がひとり、幾らか前屈みに歩いてきました。
ぶつかる直前で向こうも気が付いて、すわ「お見合い現象」勃発かと思われた一瞬、私は自信を持って仁王立ち。心の中で(プリ●ュア!)と気合を入れます。
死んだノドグロのような目をした男性は何を思ったか――こちらへ真っ直ぐ体当たりをかましたのであります。
私はなす術なくペタンと尻もちをついて、小さな水溜りにジュンと浸かります。
あれ? 有効な回避行動のハズなのに……。
呆然と見上げる私を男性が一瞥すると、
「WHYジ●パニーズピーップォーッ!」
一声叫び、そのまま(謝罪もなく)おしゃんてぃなフォームで駆け去ったのでした。
厚切りジェ●ソンでもないのに。寧ろ薄切りでしょう、情もヘッタクレもない……。
ぼーっとしている内、パンツがじわり濡れてきて慌てて立ち上がり、私は片目から温い水を一滴零すと――猛烈な勢いで悲しくなったのでございます。
ツイてない……傘かしげにも辿り着かず。
一体どうすりゃよかったのでしょう、お母さま。
☆☆☆
「ツイてない御苑へようこそ」
【お久しぶり!】
久しぶりに顔を見せた渚さん(クラブ「ホームルーム」のチーママ)は、椅子に掛けるなり、
『遠く~遠く~(フンガフンガ)』※1
というボタンを押下しました。
「これはどなたで?」
【中西●三さんね。●●●●って曲の歌詞】
「ふうん……」
あの方ですか。ホ~ホリホーリハァ~の。※2
「本日はどうされましたか」
【この間、ウチに「ニューフェイス」が入ったのね】
「ああ、P●Yとかいう小太りのラッパー(?)が歌っていた――」
【そっちじゃないの。……あたしは「ダ●ィ」の方が好きかな。あの妙な踊りがツボで】
「あの体型でよく踊れますよね」
ニューフェイス――ハタチそこそこの小柄な女子大生だそうです。
【面接はあたしと、珍しくグランマ(オーナーのお婆ちゃん)が担当したの】
「校長先生ですか」
【グランマと同郷らしくて。ビジュアルは座敷童しみたいな――前髪ぱっつん? おかっぱで……ちょっと訛のある――】
割りと野暮ったい感じだったそうです。
【独特なテンポというか、会話が上手く嚙み合わなくて】
「でも、採用になったわけですね」
【そう……あたしは、ちょっとこの感じで接客はどうかなと思ったんだけど】
「では、グランマが?」
【鶴のひと声よね……同郷のよしみもあったものか……正直、荷物を押し付けられた感はあったなあ】
浮かない顔で頬に手をあてると、無意識なのか、幸せが逃げそうな溜息が漏れます。
「えーと……訛っている娘はカワイイとも言いますし、座敷童し……も見ようによってはまあ……訛は色っぽいとも……言いませんか? 言いませんね」
【も少し頑張れ】
やがて彼女も初出勤を迎えました。
☆☆☆
顧客の年齢層高めのお店らしいですが、
【その日は比較的若いグループにヘルプで――言っても、四十代なんだけど】
ドレスアップした座敷童し似の娘さんは、端っこにちょこんと座り、
【取り敢えず、相槌だけ打ってたわ。「……ンだな」とか「ンだなは」しか言わない】
「ははあ」
【それも、なんか間が合わないのよね。ワンテンポ遅れるってゆーか】
段々、白けた空気が漂い始め、やがて場が煮詰まっていった頃合いで、
【ご高齢のグループからあたしに指名が入って。その娘も連れて、これ幸い、サッと移動したわけ】
珍しくグランマも出勤して、そのテーブルに後から付いたそうで。
【彼女はそこでもテンポ遅れの相槌を打っていたんだけど……】
なぜかそのテーブルのお客さん方は、だんだんとそのテンポに馴染んでいったようで、
【特に、グランマとその娘が会話に加わると、丁度いい感じになるの。波長が合う、というのか】
「ご老体方のリズムと共鳴するものがあったのでしょうか」
【かもね】
一番老齢のお客さんが、
【若い頃からラーメンが好きで、行きつけのお店に今も行ってるそうなんだけど、この間突然、麺が固く感じられて箸が止まっちゃったんだって】
「カロリーもアレですが、歯には堪えますね」
渚さん、急に赤い顔で、むふっと空気を漏らし、
【すかさずグランマが、「あまり放ったらかすと……」って突っ込んだら、あの娘が「まんずはあ、延びたラーメンが大好きっちゅう御仁もおりますからの」ってボソっと囁いたの】
「ま、まあ、それはそうかも……」
【ご老体連中、ドッカーンッ! て大ウケよ。……冷静になると、そんな面白い? 場の空気って凄いよね】
「……ややウケ」
【でもそこからそのテーブル、一層和やかないい雰囲気になって……なんか色々、負けたぁって思っちゃった】
ちろとこちらに視線を向けた渚さんのお顔には、言葉とは裏腹に、薔薇のような微笑が浮かんでいたのでございます。
【ああ、その子のキャラは「給食のおばさん」になったよ】
「生徒じゃないんですね」
【おばさんぽいしね。でも、ウチのカラーには合ってるみたいだし……】
ご本人はいたく気に入ったそうです。
『気取らなくてイイなは!』
とのことで。
☆☆☆
腕時計を軽く見やった渚さん。
【ああ、そうそう。関係ないけど、交通渋滞って何故発生するか知ってる?】
「……所謂、自然渋滞というヤツですか? うーん……あまり車に乗らないもので」
渋滞の先頭に興味は湧きますが。
【あれね、「車間距離」が原因なんだって。なんか偉い先生(?)が言ってたよ?】
皆が適切な車間距離を保っていれば、渋滞は起こらないのだそうで。
じゃ先頭の車両には責任がないのでしょうか。
【なんでも「間」っていうのは大事なんだね】
「左様で……」
【もうそろそろ行かなきゃ!】
少し慌てて立ち上がりかけた渚さんに、
「ゴッド……ブレス……」
【どうしたの。そんな途切れ途切れで】
「……ユー。こんな間合いで如何でしょう」
【ええー……い●こく堂の「衛星中継」みたいね。真面目に付き合ってたら遅刻しちゃうよう】
くすくす笑いながら、
【そろそろ、ウチの店にもいらして? お待ちしてまーす!】
「あの……性別もご存知ないですよね?」
【女性なのは分かるよ? バッチ来いだから! 是非!】
言い置いて、渚さんは颯爽と店を後にしたのでした。
ああ、車間距離——。
私も、あの外国人男性との間合いが適切でなかったのでしょうか。
いたずらに綿のパンツ濡らして……くちゅじょくぅ。
爽太くんになんと言ったらよいですか、お母さま。
別にどうもしないですね。うんうん。
再びのご招待。
どうしよ。まだ顔も晒してないのに。
でも、お世話になっておりますしねえ……。
これは、兄様に要相談ですね。
ーーーーーー
※1 中西さんは、良いアイデアが浮かぶと興奮して鼻息が荒くなるのだそうで(ゴ●ラのように)。昔、「ねる●ん」にゲストで出た際に仰ってました。
※2 『チケット トゥ パラダイス』というお歌。実際なんと仰っているのかわかりません(※歌詞を確認いたしました。英語だったのか……)
☆本話の作業用BGMは、『セシールの雨傘』(飯島真理)でした。
所謂、マ●ロスのミ●メイさんですね。
当時、本格的な歌手デビュー目前に声優のオーディションを受けたら通ってしまったという。珍しい経歴の持ち主。逆だったらどうだったのかなあ、と考えてみたり。
このお歌、暗い(?)曲調ですが、割と好きです。
あの「――アレ、覚えてる?(健忘なの?)」という代表曲より好きです。
ーーーーーー
二人、夢中でソフトクリームを貪った。
金髪幼女は物凄い勢いで咀嚼し、コーンの端っこを名残惜しそうに、口中へそっと放った。
無言で瞑目。眉毛が力無く垂れた。
私も一足遅れで食べ切り、再びお地蔵さんのような顔になった幼女へ、
「私、『あやめ』っていうんだけど、君は――」
名乗ってしまった。そんな必要もないと思うんだけど。
少し頭がぽーっとする。
(ぼく……眠くなってきたよ、パ●ラッシュ……)
なんでか、頭の中でネロ少年? がひと言囁いた気がした。
「偉いのう、ちゃんと自分から名乗るかえ。——ときに、どんな字じゃ?」
「えと……『い●えみ綾』の『綾』に……『女ぎつねon the Run』の『女』だよ?」※1
「マニアック過ぎてさっぱり分からんのう。ワシは……ジョセフィーヌという」
「外国の人? ハーフ?」
「ぽいじゃろうが違う」
問われるまま身の上を少し語ってしまった。なんで?
ふと肌寒くなって、思わず両腕を抱き締める。
ジョセフィーヌちゃんは膝下をぷらぷらさせてて、そのうち片方の健康サンダルがポンッと飛んで行った。
あ、と思って立ち上がりかけたら、誰かがサンダルを拾い上げた。
視線を上げると、ジャージ姿の若い男が二人、ニヤニヤしながらこちらを見ていた。
「む。噂のオラオラ系というヤツかえ?」
幼女がどんよりとした声で囁く。
「彼女ぉーカワイイじゃーん」
「高校生? 中学生? なんか暖かいもんでも飲みに行こうや」
ガニ股でゆっくり間を詰める二人。「オラオラ」という音が漏れ聞こえそう。
これナンパ? なの? カワイイってどっちのこと?
ジョセフィーヌちゃんを横目に見ると、無表情。
どうしよう。一緒に逃げた方がいい? でも彼女の保護者が――。
と、突然。二人が糸の切れた人形のように、ふいーっと頽れた。
倒れたまま白目を剥いている。
背後に背の高いシルエット。
若干逆光で見えづらいその姿——制服姿の女子高生風。ギャルっぽい風貌、何色か分からない濃い目のシュシュで髪を纏めている。
彼女はしゃがみ込み、サンダルを拾って、
「お待たせで~す、姫」
「……そりゃなんじゃ? こすぷれと申すやつか?」
ジト目のジョセフィーヌちゃんに、ギャルがサンダルをそっと渡し、
「どうでしょう? まだわたくしもイケますか?」
その場でコマのように回って見せた。
猛烈に短いスカートが花のように舞い、黒だか紫だか、そんな感じの際どい下着がチラと覗く。
足元はルーズソックスだ。
何がナンだか……座ったまま口を開けて硬直している私に、
「大事なくて良かったわぁ~お嬢さん」
「……あ、あの……今、ナニヲシタんですか?」
私の目は泳ぎまくっているに違いない。
背の高いギャルは顎に人差し指をあてると、ほんの間思案して、
「えーと」
(えーと?)
「ああ、『当て身』というやつね。時代劇でよく見るでしょ?」
「……時代劇はあんまり……」
「あらそう。平たく言うと、達人の業ね!」
ギャルがニッコリ笑った。
それを見たら、なんか一気に安心しちゃった。
突然、ジョセフィーヌちゃんがパッと立ち上がり、
「冷たいモン腹に収めたゆえ、シコリが出来ぬうちにゴーホームじゃ!」
ギャルの背にひょいっと飛び乗った。あっという間。
「あやめ、馳走になった。礼はいずれな。サバラ!」
「え、えっ?!」
あ、と思う間もなく、二人の姿が一瞬で消えた。
——気が付いたら、とっぷり日が暮れている。
夢でも見ていたような気分で頭がふわふわ、門限ヤバイけど立ち上がる気にならない。
当て身って言うのか、アレ……。
なんとゆうか——
「ギャルかっけー」
無意識に漏れていた。
数日後。
『綾女ちゃんへ Jより』
という、少し怪しげな熨斗の付いた、「箱詰めのどら焼き」が寺に届いた。
うっすら湯気が立ってて、ちょっとびっくり。
◇◇◇
試験は無事終了。
前日綾女に(無理くり)渡された地図を頼りに余裕で会場へ到着。
緊張からか3級は予想外に悪戦苦闘し、午後の1級に尋常でない暗雲が。
気合を入れ直したのが功を奏したのか、1級本番は気持ち悪いくらいスムーズだった。
——帰途、山手線に揺られながら橙色に染まる町並みをぼんやり眺めていると、ふと気が付いた。
山手線なんて何年振り? 今頃? ああ、朝はほんと慣れないことしてテンパってたんだな……。
得心がいった途端、急に体が重量を増した風に、ズルズルと椅子に沈み込んだ。
☆☆☆
年が明けましたよ皆の衆。
この寺で、おおよそ十年ぶりに迎えた正月は、特に変わり映えのないものでした。
初詣客はまばら、あまり人気のない寺なのでしょう。
☆☆
月半ば、通知が二通届きました。所謂、合否の通知。
学校から帰り着き、私はそれを目にしたまま暫く硬直しておりました。
翌日――5時間授業でいつもより早く学校を去ると、美冬さんと一緒に八幡様へ。
銀杏のカーテンの所為で年中薄暗い社。
今日は珍しくぽかぽか陽気ですが、ここは左程その恩恵が感じられません。
二人揃ってオグラ名誉会長へ恒例のご挨拶。
少し離れた社の階段上に、小さな鳥が一羽佇んでおります。
「オウム?」
「インコではないでしょうか」
ああ、左様で。
「会長のお知り合い? あ、ひょっとして晩御飯に?」
その黄色い鳥は、
「バンゴハン! バンゴハン!」
バタつきながら元気よく鳴きました。
「シュール(晩御飯が晩御飯と鳴くでしょうか?)……お友達じゃないですか、会長の」
美冬さんはお優しい。
第一感が「晩御飯」の私とは違います。
「……じゃ食べないの?」
会長は目を閉じて蹲ったまま。
ヒンヤリとした石段に二人腰を下ろし、震える手で例の通知を開封しようと――いたしますが。
「何某かの中毒症状のような……わたくしが開けましょうか?」
「い、いえいえ、ヒトリデデキルモン」
「でしょうね」
力任せにいったら真ん中で破れた。は、ははは。
「神幸さん落ち着いて」
「へあい?!」
3級はナント不合格。
「……」
「……まあ、本命はこちらですからね」
美冬さんは妙に落ち着いている。
ぐらぐら沸騰する寸前の頭の中に、あの苦闘の日々が蘇り……。
「――おめでとうございます」
抑揚のない声で、覗き込んだ美冬さんが呟きました。
——1級合格の文字。
スッと、美冬さんが私の体を抱き締めました。
ああ、すんげーいい香り……なんだろ? トイレの芳香剤とは違う感じの……。
美冬さんのどアップに腰が砕けそう。
顔を向けられなくて、でもお礼が言いたくて――私の口は音も無くパクパクするだけでした。
☆☆☆
そのまま春家にお邪魔を。
美冬さんが卓袱台に置いたのは、小さな暗黒のケーキ。
いや、ブラックホール……?
「チョコ?」
「あんこです。お好きでしたよね?」
「え、ええ、まあ」
あんこでコーティングされたケーキ……美冬さん手づからのケーキを口に入れると……。
一瞬で、あれやこれやがフラッシュバックいたしました。病気じゃ?
真正面に座った美冬さんが静かな眼差しで、
「あらためて、おめでとうございます。神幸さん、優勝です」
手にした携帯から、何やら音楽が。
あ、これ、表彰式の?
脳内に日の丸が浮かぶと、脳内評議員たちが君が代を口にします。
私は美冬さんの――整い過ぎなご尊顔を見詰め、
「あ……あり……ありがとう……ございます……」
震える唇で絞り出すと、ほろ——と涙が零れました。
美冬さんは――菩薩の如き微笑を浮かべ、男らしいサムズアップをしてみせたのでございます。
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※1 『いくえみ綾』——漫画家。『女ぎつね――』はバービーボーイズの曲。
☆本話の作業用BGMは、『アローン』(エコーズ)でした。
芥川賞作家の辻仁成氏が、若い頃(?)ヴォーカルを務めていらっしゃったバンドの曲であります。
曲調は明るめなんですが、内容は割とうじうじしてます。
ラストは結局「一人でやれるからほっといてくれ」と締めてますし。
そんな感じの曲が多かったらしいです。声は渋くていいんですけど。
手元に唯一存在するアルバムがテープのため(レコードレンタルしてしこしこダビング、という時代が……)、長い事ほったらかしでした。
「ほっといてくれ」って言ってたし……(と拗ねてみたり)。
と、こんな感じで如何でしょうか。
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開店後、兄様が大きな紙袋を提げてやってきました。
つんつるてんの作務衣姿。健康サンダルから指がにょきにょき突き出ています。
「寒くないのですか?」
「なにが? 冬でもねえのによぅ」
紙袋から取り出したのは、厚手の衣装です。
「冬用のメイド服だ!」
メイド服なんてありましたね、そういえば。
壁にぶら下がった件の服は隅っこで少し埃を被り、秋冷の気配を寂しそうに纏っております。
「せっかく着ても、誰に見せるわけでなし……」
「何をいう~川●ゆう!」※1
「? どなたです?」
「まっしか! 有名なセクシー女優だぞッ」
「……」
ハゲが一歩退って「プンプン♥」とやっています。
ああ、オーピ●クの真似っこですか。※2
「爽太に見せてやるのさ」
「むむむ……」
「もち、データも送るさ。それっ、とっとと着替えるのだ妹よ」
……ちよと葛藤しましたが、そういう事ならやぶさかではありませんね。
待っていてね爽太くん♥
☆☆☆
ちょっとした撮影会の最中、表がカランと鳴りました。
お客さんでしょうか。
二人手を止め、入り口を見やると――既にお客さんはテーブル前に立ち竦んでおりました。
中年と思しき、やせぎすの男性です。
ほんの間、動きを止めた兄様は、目を逸らさぬまま片手でアクションをとりました。
――どうも、「座ってろ」という事らしいです。
兄様がお相手してくださるのでしょうか。
ラッキー! と思いながら、冬物のメイド服のまま、私は一人用のソファに腰を下ろしてふんぞり返ってみました。
じゃあ気兼ねなくおやつでもいただきましょうか。
兄様もゆっくりデスクに陣取ります。
お客さんは席に着くと、躊躇いなくボタンを押下いたしました。
『アローン』というそれは、偶然にも昨日ユー●ューブで観たバンドの曲でしょうか。
【こんにちは】
マジックミラーに映るそのご尊顔は、妙に青白い――いえ、緑がかった色で、蝋のような光沢があります。
兄様は、暫くその顔をじっと見詰めていましたが、やがてインカムを装着し、
「こんにちは。ツイてない御苑へようこそ……本日はどうされましたかな」
静かに問い掛けたのです。
何故か身体が勝手に、ひとつ身震いをいたしました。
☆☆☆
【有楽町のガード下で、セット客専門の麻雀店を経営しておりまして】
「ほう。CEOですか」
【し……いえ、そんな大層なものでは。小さい店です】
兄様がちらと振り返り、思わせぶりな視線を投げます。
その眼は「CEOって知ってるか?」と問い掛けているようです。
まあまあ失礼ですね。新聞くらい私も読みますよ。
(「ちょっと」「エッチな」「おじさま♥」でしょ?)
……なんですかその目は。大体そうでしょ?(偏見)
【ほぼサラリーマン相手なので平日は夜から営業なのですが、土曜と祝日は昼から開けているのです。昨日の祝日は、いつもとおり昼からだったのですが、全くお客さんも来ず……】
「それはツイておりませんでしたな」
【渋い……辻さんのお声でこの枯れた口調も合いますね。来てよかった】
少しだけ、はにかんだように表情が緩みました。
【電気代も勿体無い、もう早めに閉めて帰ろうか……そんな時に、来店客が……一人だけやって来ました】
「ひとり……後からメンツが遅れていらっしゃる?」
【それが……「すみません。僕一人なんです」と。二十代後半の、背の低い、スーツ姿の若い男性でした】
「? 四人セットのお店なのですよね?」
【ええ。私も初めての経験でした。見覚えの無いお客さんで……】
お客さんはひとり隅っこの卓に陣取り、ひとしきり牌を崩しては積み――を繰り返していたそうです。
やがてビールを注文し、
【ジョッキをごくごく空けるたび、「HUUU―ッ!」って言うんですよ】
「愉快なお酒ですな」
【都合4杯、空けました】
そのうちお客さんは自動卓を稼働させ、一人で四人麻雀を始めたそうです。
「どういうことです?」
【ひとりで卓を周りながら、それぞれ自摸って捨てて――を繰り返すわけです】
「そんなんで『アガれる』んです? リーチ掛けても誰も『振り込まない』のでは?」
【……どうなのでしょうねえ】
マスターは声を掛けることもなく、ただひたすら黙ってその様子を眺めていたのだそうです。
その突飛な行動は一局で終わり――誰か(仮の?)が和了ったようで、
『あ! ローン!』
「……アローン……」
【ええ、まさに】
その男性はひとり歓声を挙げると、
『よしっ!』
力強い声をひとつ……。
☆☆☆
来店して一時間ほどで、男性はカウンターへやって来ると、
『マスター、ありがとうございました。好き勝手にやらせていただいて……これで、僕も皆も浮かばれます』
深々と腰を折り、ゲーム代を支払って店を後にしたそうです。
【――通常、一卓一時間二千円なんです。ひとりアタマ五百円ですね】
「おお! ウチと一緒です! いいですよね五百円玉!」
【え? ええ、そうですね……】
男性が困惑の色を浮かべ、愛想笑いが漏れます。
私はおやつに食んでいた饅頭の包み紙を数枚重ねて丸め、ハゲの背中へ「翔平のスプリット」風に投げつけました。
落ちたら意味ないんじゃ?
なんで「挟む」かな……。
【彼ひとりに二千円を請求するのも、と躊躇しているうちに、姿が……】
「なるほど。でも、その彼も満足されたようですし。良かったですね」
【そう……そうですね。私も、なんとなく肩の荷が下りた気がいたしました】
「肩の荷が……」
男性は細い細い気を吐くと――
【近々、店を畳むのです。譲る相手もおりませんし、家族もおりませんので……】
「……左様でございましたか」
【最後のお客さんは、ちょっと不思議な方でしたが……楽しんでいただけたなら幸いです】
顔を上げた男性は、実に弱々しい――笑みなのか何なのか――を浮かべました。
何も言わず、じっとその顔を見詰める兄様。
……いつからか。
ハゲは右手に数珠を握っていました。
私、小刻みに揺れるそれから目が離れませんでした。
☆☆☆
スッと男性が外界へと吸い込まれたのち、兄様がよろよろ立ち上がります。
「大丈夫ですか? なんかふらついてますけど」
ハゲはド●ターペッパーのプルタブを慌ただしく引っ掛けると、一気に飲み干しました。
ゲ●ップを我慢しているようです。「奇人変人」出るの?
フーッと長い溜息を吐き、
「俺ぁ霊感なんてとんと無いと思ってたが……」
「坊様のくせに?」
「ましか?! そりゃ偏見です! ……しかし、いるトコにはいるもんなんだな。『ああいうの』も」
「……ちょっと、何の話です? 悪戯に動揺させないでくださいよ」
はっと思い出したように、兄様がわたわたと意味不明のアクションを見せ、
「神幸! 今日は店仕舞いだ! さっさと帰るぞっ!」
空き缶も置いたまま、私を引っ張り上げたのでございます。
☆☆☆
外に出ると、思いのほか空気がヒンヤリ。
肩を竦めて前屈みに歩く、とっぽい作務衣姿の兄様がひもじく(寒そうに)見えて哀れになります。
なんとなく、せかせか早足の兄様に並びかけ、腕を組んでみました。
「おいおいー、誤解されねえか?」
「何をです?」
「『まあ! あそこの兄妹、禁断の関係かしら?!』 てな感じによ」
「………………」
ハゲが浮かれておりますよ、お母さま。
ふと、兄様は私をまじまじと見やり、
「……平気なんだな……」
「は? 何を――」
「メイド姿で外歩くのも」
「ああっ?!」
――先に言え! ハゲ!
「そうだ! 今度、有楽町のガード下行ってみようぜ♪」
「…………………………ひとりで行けよ」
アローン――。
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※1 有名かどうかは自信ありません(→川上ゆうさん)
※2 『超力戦隊オーレンジャー』のピンク担当。スーツアクターは存じませんが、俳優さんは「さとう珠緒」さんでした。