白鷺と銀の龍神の最愛

私が暮らす村にはある伝説がある。
大昔、悪しき大蛇の脅威に晒されていた村を龍神によって救われ、龍神の加護を受けたことで村は栄えた。
今は、龍神を敬い、平和を願う人々が多く住んでいる。
村を救ったとされる龍神が祀られている大きな神社があり、そこには村民だけでなくいろんな所から参拝に大勢やって来ていた。
龍神から癒しの異能を授かった一族である私は、龍神の巫女として祈りを捧げ、病に倒れた人や、傷ついた人達を分け隔てなく癒していた。
神社の宮司の跡取りであり幼馴染の和正との婚約は生まれた時から決まっていて、幼い頃からずっと一緒だったこともあり想い合うのも必然だった。
未来の宮司と村の平和の象徴である龍神の巫女が結ばれる事は両家と村民達の望みだった。
きっと、龍神様もそれを望んでいるだろうと勝手に思っていた。
だが、自体は一変する。
事の発端は結婚して半年経った頃。彼の口から告げられた一言。それが全ての始まりだった。
突然、和正が私の妹の玲奈を家に連れてきた。玲奈はどこか勝ち誇った様な顔で私を睨みつけてくる。
玲奈はいつもわたしのことをそんな目で見てくる。いつものことだ。わざと目を逸らす。

「どうして玲奈を連れて来たの?何かあったわけ?」

和正は申し訳なさそうに私を見ながら話し始めた。

「それなんだけど…」

どこかおどおどしている和正に何を隠しているのか問いただそうとした途端、和正は勢いよく私に向かって土下座してきた。

「俺達結婚したばかりだけど!!ごめん!!!俺と離縁してくれないか!!!!」

離縁。和正の口から出たその二文字に私は一瞬だけ意識が飛んだ。
この人は何を言っているのだろう?私達まだ新婚だよ?まだ一年も経ってないのに。
困惑で頭が真っ白になってしまった。

「……は?」
「あ、あの、そうだよな。驚くのも無理ないか…。実は…」
「お姉様ごめんねぇ?実はぁ、和正さんの赤ちゃんが私のお腹にいるのぉ♪」

もごもごとしてなかなか口を割らなかった和正に痺れを切らした玲奈が嬉しそうに真相を告げてきた。その口調に反省の色なんて微塵もなかった。

(え?は?何?赤ちゃん…?)
「お姉様が悪いのよ?巫女のお仕事が忙しいからってなかなか和正さんに構ってあげてなかったからぁ。和正さん言ってたよぉ?そろそろ子供が欲しいって?」
「うぅ…本当にすまない…」

すまないとかごめんなさいで済む問題ではない。
確かに玲奈の言う通り、私は龍神の巫女としての務めで忙しく和正に構ってあげられなかったのは事実だし、お互い分かっていた筈だ。なのに私を裏切って不倫をし子供を作ってしまうなんて。しかも、その不倫相手が私の妹だなんて。

「……お継母(かあ)様達は知ってるの?貴方達のこと…お腹の子供のこと…」
「もちろん知ってるわよ。すごく喜んでくれたし♪親不孝なお姉様に早く和正さんと離縁してもらえって言ってくれたし♪」
「そんな…」
「だからもう分かっただろう?たのむよ…」

私がいないところで話は勝手に進んでいた。
継母(かあ)様達は和正さんと玲奈の不倫を認め妊娠を喜んだ。しかも、今までずっと尽くしてきた私を罵って。
目の前が歪む。

「陽子。分かってると思うけど、龍神の巫女の力と役職を玲奈に継承してくれないかな?」
「え…?」
「だって、龍神様の神社を守る宮司が結婚していいのは龍神の巫女のみだって掟で言われてるだろ?だから陽子が玲奈ちゃんに全て継承してくれなきゃ俺達結婚できないじゃないか」

ふざけてる。どこまでもふざけてる。掟を盾にして私から全てを奪おうとする妹達が憎い。
私は居た堪れなくなり、立ち上がって外へ飛び出そうとした。
すると、玲奈達を追ってきたのかお母様達が玄関で鉢合わせした。お父様の顔を見た途端、彼に縋りながら思わず悲しみと怒りを全てぶつけてしまう。

「お父様!お継母(かあ)様!!私は絶対に和正さんと離縁なんてしたくありません!!どうして玲奈に私から全てを奪うのを許したのですか?!!私は…っ!!」

突然、右頬に強い衝撃が走り床に倒れ込む。私は呆然としながらお父様を見上げる。お父様とお継母(かあ)様の目はとても冷たいものだった。

「我儘を言うな。和正くん達の言う通りにしなさい」
「でも…っ!!」
「口答えをするな。貴様、可愛い玲奈の子から父親を奪うつもりか?」

赤く腫れた頬を抑える私をお父様の後ろにいるお継母(かあ)様は嘲笑う。そうだった。昔からこの人達は玲奈の味方だった。
目の前にいる女性(ひと)は私の本当の母親ではない。
私の母親は私と同じ龍神の巫女で、8歳の私に巫女の力を継承してすぐに病で亡くなってしまった。
母が亡くなってから日を経たずに今のお母様と玲奈がやってきてそのまま再婚となった。
きっと、お父様は私と本当のお母様に隠れてこの女性(ひと)と関係を持っていたのだろう。2人の間に生まれた玲奈にとても溺愛していた。
前妻の子である私のことなど見向きもしなかった。
後妻も私を蔑むまで見てくる。どうして可愛い玲奈が龍神の巫女じゃないのかと騒ぎ立てることもある。
孤独な私を助けてくれたのが幼馴染の和正だけだったのに遂に彼にも裏切られてしまった。
もう味方なんて誰一人いなかった。

「陽子。たのむよ。俺のことが大切なら言う通りにしてくれ」
「お姉様。この子からお父さんを奪わないでよ。それにぃ、私が巫女の異能を持った方が龍神様も喜ぶと思うの」

絶望する私に選択肢はない。抵抗しても事態は変わらない。先に宮司の子を宿した方が勝ちなのだと全員から言われている様に感じる。何も生み出さないお前に巫女である筋合いはないとも。
この後の記憶は朧げだ。
ただ、震える手で離縁状に記入した事と、紙に涙が落ちて滲んだ事だけは覚えている。

お母様が亡くなる前の優しかったお父様はもういない。
ずっとひとりぼっちで泣いていた私を明るく励ましてくれた大好きな和正は此処にはいない。私の目の前にいるのは、玲奈の可愛さに目が眩んだ男だけ。
玲奈にだけはこの力を渡したくなかったのに。龍神様とお母様が託してくれた異能を。優しくて美しいこの異能を彼女にだけには触らせたくなかった。

和正と離縁し、異能も失い、巫女でなくなった私に与えられたのは家の使用人。けれど使用人以下の扱いで酷いものだった。
今まで私の味方でいてくれた人間は全員暇に出され、周りにいるのは玲奈達に支える者ばかりになってしまった。
私が玲奈の姉であっても容赦はない。平気で殴ってくるし、罵倒してくる。
和正は玲奈とべったりで助けてくれることもない。寧ろ、私が虐げられている様子を面白がっている様に見える。
肝心の玲奈の龍神の巫女としての務めは、毎日の神社での祈りは最初はしっかり行っていたものの、今は彼女に似た者に押し付けて玲奈自身は和正にべったり。和正のお父様も内心呆れてしまっているが、異能を持つ龍神の巫女になってしまった以上口答えができなかった。
そして、予想通り、癒しの異能は位の高い人間にしか使われなくなった。
玲奈曰く「癒しの異能は下民には与えてはいけないものだと龍神様からお告げがきた。地位と富がある者にだけ与えよ」と言われたらしい。どう考えても嘘だ。
けれど、今の私では咎めることを許されない。少しでも玲奈の機嫌を損なう様なことを言えば彼女の取り巻きに酷い目に遭わされる。
病や怪我で苦しみ死至る者をただ傍観するしかできなかった。ほんの少しだけでも力が残っていたらと何度も何度も思い悔しかった。

苦しく辛い日々の中でもほんの少しだけ希望の光が残っていた。
それは、亡き母の形見である紅珊瑚の簪、そして、私を幼い頃から見守ってくれている不思議な白鷺だ。
その白鷺は私が生まれてすぐに現れる様になったと聞いている。
いつも私を慈しむ様な目で見つめて、母を亡くし悲しんでいる幼い私を慰める為に美しい花を届けてくれた不思議な白鷺。まるで守り神にも似た白鷺は私が龍神の巫女でなくなっても必ず現れてくれる。
白鷺の存在を煙たがってる玲奈寄りの使用人達は追い出そうとするけれどいつも返り討ちにあって怪我をしていた。
家にいる私の数少ない不思議な味方。
地獄のような環境でも僅かな希望のお陰で生き延びられている。死にたくなるような時もあるけれどまだ光は閉ざされてはいなかった。
だが、その僅かな光さえも玲奈は許さなかった。

「お姉様。その紅珊瑚の簪私にくださいな。前のお母様の形見なんでしょうけど、お姉様みたいな人には勿体ないわ」

玲奈に形見の紅珊瑚の簪の存在がバレてしまった。ずっと隠し持っていたのを取り巻きの一人に見られてしまったみたいだ。
私はこれだけは渡せないと拒否した。
けれど、お継母(おかあ)様と取り巻き達に乱暴されながら早く渡せと迫られた。お前にはそんな権限はない。玲奈に全て明け渡せと。

「この恩知らず!!捨てられたお前をここに置いといてあげてるのに!!!いいから早くその簪を玲奈に渡しなさい!!!」
「奥様の言う通りにするんだよ!!!のろま!!!」

私は必死に簪を握って渡さないと首を振る。

「これだけはダメなんです…!!許してください…!!」
「本当生意気な小娘ね!!この!!!」

何度も顔を叩かれたり、髪を引っ張られる。両頬が真っ赤に腫れているのが鏡を見なくても分かる。
どうしてもこの簪だけは渡したくなかった。お母様の大事な形見で唯一残った繋がり。だから死んでも渡せない。どんなに殴られる罵られようと。
すると、お継母様は取り巻きに何かを持ってこいと指示した。取り巻きが持ってきたものは鋏だった。
お継母様が私の髪を強く引っ張った。

「あんたが悪いんだよ?玲奈が欲しいって言ってるのに渡さないから。2度とその簪が使えないようにしてあげる」
「や、やめてください!!!お継母様!!」
「うるさい!!動くんじゃないよ!!!!

引っ張られていた髪が鋏で切られてゆく。
私がやめて欲しいと叫んでも私の髪を切る手を止めなかった。中には切り刻まれた髪が散乱していた。
涙を流しながら嫌がる私を嘲笑う笑い声が聞こえてくる。
最初は和正の為に伸ばしていた髪。
櫛で髪を梳かしてくれた時に黒曜石のように美しいと言ってくれてそれ以来ずっと伸ばして続けていた。嬉しそうに私の髪を触れている和正の優しい笑顔を見るのが私にとって何よりも幸せな時間だった。
今はもうその幸せな時間は消え失せた。優しかった夫も妹のモノになってしまった。残骸だけが床に散らばる。
ジョキジョキと髪を切る音が耳にこびりつく。
鳴り止んだ頃には私の髪は無惨なものになっていた。放心状態の私から取り巻きの一人が簪を奪い取った。

「最初から渡しちゃえば切られずに済んだのにね」
「あはは♪みっともない♪」
「陽子。全部貴女が引き起こした事なんだからいつまでもボーッとしてないで早く仕事に戻りなさい。いいわね?」

誰も私を慰めも謝るものもいない。
お継母様と取り巻き達は私を蔑みならその場を立ち去った。
形見の簪を奪われた私に残ったものは、切り刻まれ床に散乱した黒髪だけだった。

(こんなの酷すぎる…!!どうして私ばかり…!!)

ずっと死守していた簪は今頃お継母様が持っているのだろう。すぐに玲奈の手に渡る。

(返して…お母様の簪返して…)

悔しさと悲しさに押し潰された私はしばらくその場から動けなかった。早く仕事に戻れと言われても悲し過ぎてどうしようもなかった。
和正のそばにいられたらそれでよかった。だが、その想いも限界にきている。
もうこの家を出るべきなのかもしれない。だが、その先のことを考えると怖くなる。
弱い私は嫌でもここに留まり続けるしかないのだ。







その日の夜。ある二人の女中が白鷺に襲われ簪を紛失してしまう事件が起こる。
二人共龍神の巫女の玲奈の侍女だと言う。紅珊瑚の簪を彼女に届けようとしていた時に襲われたという。
本来は玲奈の母親が届ける予定だったものの、用事ができたからと代わりに届けてくれと侍女に頼んだそう。
一人は両目を潰され、もう一人は片目を潰され顔に深い傷を負い精神に異常をきたしているという。
玲奈に届けるはずだったの簪は事件の現場には落ちておらず、襲われた二人の血痕と無理矢理抜かれた髪の毛と破れた着物の破片が散乱しているだけだった。







玲奈の侍女が襲われて3日経った朝。
私の目の前にあの白鷺が私の枕元に現れた。嘴にはお母様の形見の簪が咥えられていた。
真っ白なはずの羽毛には赤い血が付いている。けれど、怪我をしている様子がないので白鷺自身の血ではないみたいだ。
驚いて飛び起きた私にそっと簪を返してくれた。

「これ貴方が取り戻してくれたの…?まさか私の為に…?」

私の言葉が分かるのか白鷺はどこか嬉しそうに首を縦に振った。
私はあまりの嬉しさで思わず白鷺にそっと触れようとする。触れられた白鷺は怖がることも逃げようともしない。寧ろ、ずっと私に触れられることを望んでいたかの様に目を瞑っていた。

「ありがとう」

もう簪を挿せる髪はないけれど、これは私に残された唯一のお母様の生きた証。2度と奪われまいと私は簪を強く握った。
白鷺が首を伸ばし私の顔にそっと擦り寄る。羽毛が触れて少しくすぐったい。
すると、白鷺ゆっくりと嘴を開いた。

「もう少しの辛抱だ。必ずお前を迎えにゆく」
(え…?!)
「陽子。僕の可愛い花嫁」

突然聞こえてきた男の人の声に驚くと同時に、白鷺は私から離れ満足げに空へ羽ばたいていった。一本の白い羽が落ちている。
私はその羽を拾い上げ、白鷺が飛んでいった方向をじっと見つめる。

(どういうこと?私を迎えにって…花嫁ってまさか…)

どうしてずっとあの白鷺が私のそばにいてくれたのか分からないままだったが、あの声が教えてくれそうな気がしてならない。
私は、朝日を浴びながらその声を信じると心に誓うのだった。
あの白鷺との出来事からしばらく経った頃。
村ではある噂で盛り上がっていた。それは、新たに龍神の巫女となった玲奈の事。
彼女があまり巫女としての勤めを果たしていない事と、本当に次期宮司である和正の子を本当に妊娠しているのか疑問を持ち始めていたのだ。
玲奈が妊娠を告げて結構経っているのに一向に体型に変化がない。それどころか、平気で酒を飲んだりと妊婦とは思えない行為を繰り返している。
少しでも咎めればろくな目に合わない。
村を追放された者もいれば、牢屋に閉じ込められてしまう者、玲奈に無礼を働いたとして施しを与えることを禁じたりと目に余るものばかり。だから誰も何も言えないのだ。
玲奈の実母であるお継母様もお父様も彼女に溺愛しているせいで何も言わない。すぐに別の人間に責任を押し付ける。それは夫の和正も同じだ。
この頃から私の中にあった筈の和正への想いはすでに冷め切っていた。
きっかけはやはりお継母様と玲奈の取り巻きによって簪を奪われ髪を切られたあの出来事だ。
無理矢理切り刻まれた髪は耳が見えてしまうほど短くなってしまい、他の使用人から男みたいだと揶揄われるようになった。
玲奈の味方しかいないこの家は私のことをいつまでも見下してくる。少しでも格好を変えるとすぐにそれをネタにして揶揄してくる。
けれど、その行為は使用人だけなど留まらず遂に和正さえ私を蔑み始めた。

「他の奴らに聞いたけど、本当に男みたいだな?こんな奴と結婚してなんて本当最悪だわ。それに比べて玲奈はお前と大違い。あんなに美しくて優しい子はいないよ」

完全に私の中の優しかった頃の和正は死んだ。目の前にいるのは和正の形をした何かだと思うようになった。
お母様を亡くし泣いてばかりの私を慰めて勇気づけてくれた男の子も、私の髪を優しく大事に扱ってくれた男性(ひと)も、ずっとそばにいてくれた幼馴染は私の中で死んだのだ。
離縁して欲しいと懇願してきた時は情けない声を出していたのに、私がこの家の使用人となった途端態度を変えて横暴になった。
お父様に似てきた。怒鳴る声もすぐに手を出すことも。
もうこの家に居場所なんてない。行く宛がないのがこんなにもどかしいと何度思っただろう。
いつまでこんな日々を送ればいいのだろうか。
私はあの白鷺が言った"必ず迎えに行く"という言葉を信じながら生きてゆくしかなかった。
けれど、いつまでも悲しがってるわけにもいかない。
白鷺が私を迎えに来てくれた時に泣いて顔を腫らした姿なんて見せられない。
私は、白鷺が取り戻してくれた簪を握りながら彼が飛んでいるだろう空を見つめた。


激しい雨が降る夜のことだった。
突然玲奈が私と夕食を共にしたいと告げてきたのだ。
いつもは見窄らしい姿の私と夕食を共にするなんて以ての外だと蔑んでいたのにどういう風の吹き回しなのだろうか。
断りたかったが使用人であるが故に拒否権は無いに等しい。

(また私をみんなの前で虐げる気なのね)

玲奈の思惑が手に取るようにわかってしまう。
私にとって玲奈は我儘だけど可愛い妹だと思っていた。
けれど、お母様を失った私の元に後妻としてやってきたお継母様と共にやって来た可愛らしい女の子は最初から私を嫌っていた。
その子が私の妹になったと知った時はとても嬉しかったけれど玲奈は全く違っていた。
お父様も玲奈達がやって来てからは私のことを疎ましく思う様になった。お継母様と一緒に冷たい視線を向けることが多くなった。

《玲奈の方が可愛い。前妻に似たお前が自分の娘だと思いたくない》

お父様の言葉は平気で私の心を傷つける。
本当にお母様によく似た私を自分の娘として見ていないのだろう。
私が龍神の巫女になってもお父様達は変わらなかった。
離縁された挙句異能を玲奈に奪われ使用人になってからさらに酷くなっていった。

「玲奈に感謝しろよ陽子。見窄らしいお前を憐れんで夕食を囲んでくれたんだから」
「本当よね。玲奈はどんな子にでも手を差し伸べてくれる素晴らしい娘。貴女と違って美しくて賢いのだから」
「本当に玲奈を嫁に迎えられて嬉しいよ。前の結婚は大失敗だったけど」

相変わらずお父様達は私を蔑み玲奈を持ち上げることしか言えない。元夫の和正の楽しそうに会話に参加してる。
私は聞こえないふりをしながら食事を続ける。全く美味しく感じなかった。
その時だった。

「っ……か、和正さん…、これ何か変…よ…」

突然、食事中に玲奈が苦しそうに倒れたのだ。ガチャガチャと皿と料理が畳に散らばる。
玲奈の口から赤い血の一筋が伝う。

「玲奈!!玲奈!!!!」
「い、いやぁー!!玲奈ー!!」
「早く医者を!!!」

みんな倒れた玲奈に駆け寄る。ぐったりと横たわる玲奈に応急処置を行ったり、急いで医者を呼びに行ったりはている様子を私は呆然と見ているしかなかった。
私は我に返り玲奈に近寄ろうとするが「触らないで!」とお継母様に突き飛ばされた。
突き飛ばされ倒れ込んだ私に皆冷たい目線を向ける。

「きっとコイツが玲奈様の食事に毒を盛ったんだ!!」
「そうに違いない!!玲奈様を妬んで…!!」

疑いの目が私を睨む。私じゃない。そんな物知らない。

「ち、違います!!私は何もしてません!!」
「何が違うんだ!!!ずっと玲奈を妬んでたくせに!!」
「こんな奴が俺の元嫁で玲奈の姉なんてな。お前には失望した」
「和正待って、本当に私じゃないの!!私は何もしてないのよ!!!」
「黙れ!!この女を捕えろ。処分はお義父さんと話して決める」

近くにいた男の使用人に捕らえられ引きずられる様に部屋を後にする時だった。
和正に抱えられながら運ばれてゆく玲奈の口元がニヤリと笑ったのだ。全て私を陥れるための罠だった。
珍しく私を夕食に呼んだのはこうゆう事だったのだ。

(どうしてなの…?!どうして私をこんな目に遭わすの…?!玲奈…玲奈…!!!)

私がどんなに無罪だと訴えても誰も信じてくれなかった。
とても寂しく冷たい牢に閉じ込められた私は泣きながらそう訴え続けるしかなかった。
処分が言い渡されるまでの間、尋問でいつも以上に叱責され血が出るまで殴られた。

「何を泣いている!!苦しいのは玲奈様なんだぞ!!お前が毒を盛ったせいで玲奈様のお腹の子供は死んだのだから!!」

玲奈は一命を取り留めたものの、お腹の子は助からなかったと告げられる。それが皆の怒りを買いさらに私を追い詰めていった。
身体中が痛い。誰も助けてくれない現実に私は耐えるしかなかった。
「陽子。お前をこの村から追放する。本来なら処刑されるべきなのだが、姉であるお前を憐れんだ玲奈の願いで追放に留まったんだ」

玲奈の一声で私の処罰は村の追放と決まった。
本性を知られない為に和正とお父様に言ったのだろう。
お姉様をあんな風にしたのは私のせい。私がお姉様から和正さんと異能を奪わなければこんな事にはならなかった。赤ちゃんも死なずに済んだのにと。
既に心身共にズタズタだった私にはこれ以上何も考えられなかった。
あの不思議な白鷺が現れてくれるかもしれないと牢の小さな窓から外の様子を見る。だが、白鷺は現れてくれなかった。
形見の簪もお父様に取り上げられ、今度こそ玲奈の物になってしまった。
私から全ての希望が消え失せてしまったのだ。唯一残った白鷺の羽も玲奈の取り巻き達にボロボロにされてしまった。
そして、村を追放される日を迎える。
美しい満月の夜に私は村から少し離れた森に連れて行かれた。
森に連れて行かれる時、癒しの異能を位の高い者にしか施さなくなった玲奈に不信感を抱いている村人達はまるで希望が潰えた様な言葉を口々にしていた。

「陽子様が何故」
「きっとあの妹に嵌められたんだ!」
「陽子様が巫女だった時が一番幸せだったのに…」
「玲奈様のせいがうちの人は…」

何もしてやれないもどかしさが心に突き刺さる。
せめて少しだけでも力が残っていれば村人の犠牲は多少は防げたはずなのに。
助かるはずの命を救えなかった悔しさを背負いながら私は村を後にする。


しばらく暗い森を歩み、村が見えなくなった所で置き去りにされた。

「二度と村には入らせない。玲奈と子供を殺した罰だ。早くのたれ死んでくれ」

愛していた人から言われた最後の言葉。幾ら和正への愛が冷めたとはいえ、やはり優しかった思い出達のせいでとても辛く感じる。
もう、彼との関係は完全に終わったのだ。
罪人となった私を暗い森の真ん中で置き去りにして村に帰ってゆく。私はその背中を見えなくなるまでずっと見つめていた。
彼らがいなくなった後、私は森を彷徨い続けた。
灯りも何も無い中で森を歩くのはとても危険なのは分かっている。けれど、此処に留まっていても何も始まらない。
せめて何処か人気がある様な場所に辿り着ければと私は足を進める。

(喉乾いた…どこかに川があれば…)

何も待たされないまま追放されて途方に暮れる。
まだ冬の季節が過ぎる気配はない。春が来るまでにはまだ遠い時期だ。とても寒く凍えて倒れてしまいそうな程だ。
誰も助けてくれない。あの白鷺も私の元は来てくれない。
白鷺があの言葉はもう意味を持たないものになってしまったのかもしれない。
悲し過ぎて涙が止まらない。涙が流れ濡れた顔に冷たい風が当たり更に寒気を増す。

(これからどうしたらいいの?)

このまま人里にたどり着く事なく野生動物に殺されてしまった方が幸せかもしれない。今度こそこの地獄から逃げ出せるかもしれない。そう思えてしまう。
それからしばらく歩みを進めるが途中で疲れてしまう。消えない疲労と喉の渇きと空腹が私の歩みを止めさせる。
たまたま目に留まった樹のそばに腰をかけて休息を取る。
目を瞑るとゆっくりと眠気が襲ってくる。本当はこんな寒い中で寝てしまうのは危険なのは分かっている。
けれど、今は少しだけ寝かせて欲しかった。

(少しだけ休んだら行こう。夜明けを迎えれば明るくなって少しはマシになるはず…)

眠気に身を任せようとした時。ガサガサと何かが動く音が聞こえて私はハッと意識を取り戻すが敢えて目を開けずに様子を伺う。
音がする方から出てきたのは二人組の男の様だ。ボソボソと何か話し合っている。

(だ、誰?!!)
「見つけたぞ。コイツが玲奈様の姉上様だな」
「男みたいな髪型だが顔は悪くねーな。殺すには勿体無いぜ」
「仕方ないだろう。玲奈様が殺した証とした必ず首を持って帰ってこいって言われてんだからよぉ」

男達の口から出た玲奈の名前。私は悟る。
この二人は玲奈が送り込んだ刺客。追放するだけでは飽き足らず、遂に命まで狙ってきたのだ。
餓死するか動物に殺される方がマシ。知らない誰かに殺されるなんて以ての外だ。
嫌でも頭の中で玲奈の笑顔と笑い声が響く。
私は目を開けたのに気付いた男の一人が持っていた短刀を私に向かって振り下ろしてきた。
刃から逃れようとするが避けきれず、右腕を深く切り付けられて赤い血が夥しく流れてゆく。

「うぅ…!!」

私は痛みに耐えながら男達を突き飛ばし暗い森を駆け抜けてゆく。
「待って!!!」と私に叫ぶ声を背に私はただただ走り続けた。
もうどこを走っているのか分からない。分かっていることはここで諦めたら私は殺されて生首を玲奈に捧げられてしまうことだけ。
これ以上何も奪われたくない。確かにこの地獄から抜け出せるけれどこんな終わり方はまっぴらだ。

(助けて、誰か…!!!)

ボロボロになってしまった白鷺の羽を握りしめながら逃げる。
男が投げた石が頭に当たる。その衝撃で視界が歪み足をふらつかせてしまった時だった。
此処が崖だということを暗くて周りが分からなかった。頭の痛みでふらついた拍子で足を踏み外してしまった。

「あ、いやぁー!!」

私の身体は谷底へと落ちてゆく。このまま地面に叩きつけられてしまうのだろうかと恐怖に染まる。
けれど、落ちた先は先日の大雨で増水し激しく流れる川の中だった。
ドボンと大きな音を立てながら水に叩きつけられる。
どうすることもできない私は流されてゆくしかない。息ができず苦しむ私は、心のどこかであの白鷺が助けてくれるのではないかと叶うはずのない願いを祈りながら意識を手放した。




「な、なんだこの鳥は!!」
「あっちいけ!!女が逃げちまう!!」

傷付いた陽子を追っていた刺客達は、彼女が落ちた崖に近づこうとした途端に何かに襲われた。資格の一人が持っていた灯りを地面に落としたことで襲ってきた何かの正体をようやく知ることができた。

「し、白鷺じゃねーか!!なんで俺らを襲いやがる!!」

持っていた血染めの短刀を白鷺に向かって振るうも、白鷺には届かなかった。
襲われ慌てふためく刺客に興味が失せたのか白鷺は陽子が流されて行った方向に飛び立ってゆく。

「おい!あの鳥のせいであの女を見失っちまった!!」
「あの川の流れだ。しかも暗闇じゃ捕らえられんし、どうせ助からんよ。夜明けを迎えたら川を捜索しよう」
「そ、そうだな…もし、遺体が見つからなかったら何とかこの血の付いた短刀を見せて納得してもらうしかないな」

愚かな会話を聞きながら白鷺は陽子の後を追う。
激しく流れ茶色く濁った川の中にその身を投じる。暗く冷たい水の中で白鷺の身体が眩く光り始める。
光を纏ったまま傷付いた陽子を見つけた白鷺はゆっくりと人の形へと変貌させる。

「陽子」

気絶した陽子の身体を引き寄せ、大切に抱き抱えながら勢いよく浮上した。
月を背に男は陽子を見つめる。
川から上がってきた白鷺の正体。それは銀色の髪を靡かせ龍の角を生やした美しい男の姿。
彼の腕の中にいる陽子の頰を愛おしそうに撫でる。

「遅れてすまない。ようやく君を迎えに来れた。もう二度とあんな苦しい思いをさせない。約束するよ」

銀髪の男はそっと彼女の額に唇を落とす。
男は陽子を苦しめ続けた村がある方に目を向ける。その目は陽子を見つめていた時とは違う怒りが困った目だった。

「真の龍神の巫女の命を脅かした貴様らを許すつもりはない。そして、貴様らが捻じ曲げた伝説を正す時が来たのだ」

呪詛を呟いた銀髪の男は光を纏いながら陽子と共にどこかへ消え去る。
濁流に呑まれていた陽子を助けた男と出会ったことで地獄の中を生きてきた彼女に希望が差し伸べられる。
消えていた奇跡と幸福が再び動き始めた瞬間だった。
「どうして持ってこなかったのよ?!これじゃちゃんと死んだかどうか分からないじゃない!!!」

玲奈は自室で金切り声を上げながら怒り狂っていた。理由は送った刺客達が姉である陽子の首を持ってこなかったからだ。
死んだ証として持ってこいと命令したものの、追いかけていた時に影から落としてしまった事、その先にある増水で流れが早くなった川に落ち死体を回収することができなかった。
首の代わりに差し出されたのは陽子の血が付いた短刀だけ。
当然、玲奈が納得できる結果ではなかった。
後妻の子である陽子を最初から好かなかった。
お淑やかで美しく、村中の誰からも愛され、龍神の巫女であり、癒しの異能を持っていた陽子が羨ましかった。
玲奈が欲しいモノを全てを持っている血の繋がらない姉が許せなかったのだ。

(やっぱり私の手で殺した方がよかった?それともあのまま処刑にすればよかったのかしら?アイツの首を晒してやりたかったのに!!!)

清楚な自分を演じる為に陽子を処刑という形では殺さなかった。少しでも愛する姉を憐れむ自分を村中に見せる為にやったことが仇になってしまった。
苛立ちが頂点に達し、近くにあった花瓶を壁に叩きつけて粉々に壊した。
暴れるだけ暴れて激しく息を切らしていると襖の方から声がした。

「あの…玲奈大丈夫か?すごい音だったけど…」

声の主は夫になった和正だった。彼の声を聞いた玲奈はようやく我に返り和正の元へ急ぐ。

「和正さん!!!」
「玲奈!よかった…ずっと部屋にこもっているって聞いたから心配だったんだ」

胸に飛び込んできた玲奈を抱きしめ優しく声をかけるものの、彼女の部屋の惨状を見て思わず言葉を失ってしまった。
玲奈の怒りと悲しみが相当のものだと思い知らされた。

「和正さん?どうしたの?」
「あ、いや…玲奈が無事ならそれでいい…」
「ごめんなさい…お腹の子供のことを思ったら悔しくて…!!!お姉様のせいで私と和正さんの子供が…!!」
「玲奈…っ!!ごめん、全部僕のせいだ。僕のせいで玲奈達を危険に晒してしまったんだ。だからもう自分を責めないでくれ。玲奈は何も悪くない」
「和正さん…(危ない危ない。本性がバレるところだったわ)」

愛する和正に抱きしめられた玲奈は満足感を得る。
暴れたことで本性がバレてしまったのではないかと心配していたがうまく隠すことができた。すべてあの事件のおかげだと玲奈は微笑む。
陽子を陥れた事件が起きてからの両親と和正の溺愛は増してゆく一方。玲奈は優越感に浸り幸せを噛み締めていた。
だが、本性を見られてしまったら全てが終わり。和正からも見放されてしまうだろう。

(もしまだ生きているのなら早く死んでちょうだい。お姉様)

玲奈は早く惨めに死んでいった姉の姿を見たかった。罪人となった彼女の首を見た時こそ、幼い頃に姉から感じた劣等感から解放されるのだと信じている。

(全部私のモノ。アンタの大事なものは全部私のモノなのよお姉様)

和正に裏切られた時の絶望した陽子の姿を思い出し玲奈は笑う。
刺客が告げた結果は自分が納得いくものではなかったが、取り乱した自分を大事に慰めてくれる和正達に満足していた。
玲奈の髪に飾られた紅珊瑚の簪が追放された陽子無事を願う様に悲しげに輝いていた。





巫女としてあるまじき姿を見せる玲奈を白鷺に化けていた龍神は見逃さなかった。けれど、まだ動くことはない。今はその時ではないのだと龍神は思い留める。
鉄槌と真実を告げるのは大切な人を癒し守り抜いてからだと決意し、龍神は愛する人の元へ飛び立ってゆくのだった。
酷く冷たい川の中。
罪をなすりつけられた私には打ってつけの最期の場所になった。身体も痛い、腕からは血が流れている。誰も助けてくれない。
流される中で幻聴として聞こえてくるのは和正と玲奈とお父様とお継母様、そして同僚達の罵声が響き渡る。耳を塞いでもはっきりと聞こえてくる。
身体も痛い、腕からは血が流れている。誰も助けてくれない。

「お前が僕と玲奈の子供を殺したんだ」

森に連れて行かれる前に言われた言葉。
私は必死に違うと否定しても和正には届かない。本当に違うのに。私は玲奈と子供を殺そうだなんて一度も思ったことはない。
どんなに無罪を訴えても誰も信じてくれない。
全てを奪われて泣くことしかできない自分にはもう希望も何もなかった。
このまま冷たい濁流の中で死んでしまった方がいいんじゃないかと思い始めてしまっている。

(でも…これでやっと楽になれる…お母様に会える…)

このまま死を受け入れてしまえば天国にお母様に会える。
死を受け入れようと暗闇に向かって手を伸ばした時だった。眩い光が私を照らす。あまりの眩しさに私は思わず目を瞑ってしまう。
その時、あの白鷺の声が聞こえてきた。

「陽子。遅くなってすまない。やっとお前を迎えに来れた」

簪を取り戻してくれた時に言われた約束を果たしに来たと優しく私に語りかける。
すると、光はさらに眩きを増し白鷺を包み込む。白鷺の姿がみるみる内に人の姿はを変わってゆく。
翼が人の手になって私の頰を優しく触れる。
光で顔がよく見えなかったが、銀色の長い髪が美しく靡いていた。
私は、あまりの美しさに思わず見惚れてしまっていた時だった。

「僕の愛しい花嫁」
(え?)

花嫁という言葉に驚き思わず目を見開く。
その言葉を意味を聞こうとしたと同時に目を覚ました。

(え…?夢だったの…?)

とても不思議な夢だった。あの白鷺が私を助けようとしてくれた夢だったが、最後のあの言葉が妙に引っかかってしまう。
けれどそれ以上に驚くことが私の身に起きていたのだ。
それは、最後に見ていた光景とは全く違う場所にいた事。
とても立派な屋敷の一室で私は布団に寝かされているに気付き慌てて飛び起きた。

「え?!此処はどこ?!」

私は周りを見渡すも誰もいない。
玲奈に奪われる前にいた自室よりも広い。
あるのは鏡台や箪笥や机と可愛い桜が描かれた雪洞(せつどう)、壁際には綺麗な花柄の着物がかけられた衣桁(いこう)がある。
まるで私の為に用意された部屋。私が此処に来るのを知っていたのような雰囲気に私は困惑した。
外の様子を見に行こうと立ちあがろうとした時、頭に違和感を覚えた。

「う、嘘!!髪が元に戻ってる…!!!」

玲奈達の悪意のせいで切り刻まれて男の様な髪型だった筈の髪が元に戻っている。再び長くなった髪を何度も触れて夢ではないのかと何度も見直す。
髪を切られた時にできた顔の傷も、刺客に襲われた時に負った深い刀傷(かたなきず)も痛みも全て消えていた。
崖から落ち川に流され目覚めるの記憶が無いのが更に私を混乱させた。
やはりあの声の主がそうさせたのだろうか。
環境に馴染めず慌てふためいていると、障子の方から可愛らしい声が聞こえてきた。障子の影が人間の形ではなく、小さな九尾の子供の影だった。

「失礼致します。あ!!」

挨拶をして戸を開け姿を見せた真っ白な九尾の子供は、目を覚まし起き上がった私を見て驚いた。

「お目覚めになられたのですね♪」
「えっと…あなたは?」
「申し遅れました!アタシは雪九尾(ゆききゅうび)のつららと申します♪龍神であるご主人様の(めい)で貴女の侍女に任命されました♪よろしくお願いしますです♪」
「龍神…」

まさか私を助けてくれたのは龍神なのか。
本当にそうならどうして異能(ちから)を失くした私なんかを助けてくれたのだろう。あの白鷺と関わりがあるのだろうかと考えてしまう。
考え込む私につららという可愛い雪九尾の子供は嬉しそうに近づき掛け布団がかけられた膝の上にちょこんと乗る。
彼女のあまりの可愛さに思わず手が伸びてしまった。ふわふわで雪の様に真っ白な尻尾を撫でる。不安な気持ちが少し和らいだ。

「(ふわふわ…)あ、ご、ごめんなさい!手が勝手に…」
「いえいえ。寧ろもっと撫でて欲しいです♪(寧ろもっと撫でて欲しい)」
「私も教えなきゃね。私は陽子。アナタ達に助けてもらってとても感謝しています。ありがとう」
「お礼ならご主人様に言ってください。アタシは傷ついた陽子様を治しただけですから(撫で方上手い…気持ちいい…)」
「ご主人様?」
「あ!!!陽子様が目覚めたこと教えないかなきゃ!!少しお待ちくださいね。ご主人様を呼びに行ってまいりますので!!」

撫でられて上機嫌になったつららは楽しそうに屋敷の主人を呼びに部屋を出た。

(ご主人様ってことは龍神様ってことよね。どんな人かしら)

枕元に目をやるとそこには、ずっと握りしめていたボロボロの白鷺の羽が置かれていた。
私が村から唯一持ってこれた物。必ず迎えに来ると信じて手放さなかった白鷺との繋がり。
そっと羽を手に取りこれからやって来るであろう龍神様を思う。

(もしかして貴方が私を見守ってくれていたの?)

村の救世主で守り神である龍神様が、もし本当今までずっと私を見守ってくれたあの白鷺だったら。
感謝しても仕切れないという思いと同時に、どうして私を守ってくれたのか。そして、あの言葉の意味を知りたかった。
さっきの夢が導いてくれている気がした。
すると、縁側の方からドタドタと慌ただしい足音を立てながらこちらに近づいて来る。
足音が消えると勢いよく障子が開いた。

「陽子!!」

どこかで聞いた声。声の主は長い銀髪を早した美しい男性だった。彼の足元にはつららと彼女と同い年ぐらいの子狸が支えていた。
嬉しそうに私の名前を呼んでくれた男性に子狸は冷静に諌めた。

「ご主人様。そんなに大声を出したら陽子様が驚かれてしまいます」
「だ、だって…やっと目を覚ましたんだから仕方なかろう」
「陽子様らまだ病み上がりなのですから無理させてはいけませんからね。つららお前も陽子様に粗相をするなよ」
「いーっだ!!分かってるわよ!バカ紅葉!!!」

つららと紅葉という子の痴話喧嘩を見て私は可愛さのあまり思わず笑ってしまった。
そんな私を銀髪の男性はぎゅっと抱きしめてきた。突然のことで少し驚き短くきゃっと悲鳴を上げてしまった。

「よかった…本当によかった…」

まるで居ても立っても居られない様な様子で私の頭をそっと撫でる。
あの白鷺と同じ声で私の目覚めを喜んでいた。私を抱きしめてくれる腕の力がその思いが強いことが分かってしまう。

「あ…あの…くるしい」
「す、すまない。つい嬉しくて…」

私を離して申し訳なさそうに笑うその人から嘘を感じなかった。本当に私が目覚めたことが嬉しかったのだろう。

「もうどこも痛くない?」
「あの、は、はい、もう大丈夫です」

私の無事を知ると安堵の様子を見せるその人に可愛さを感じてしまった。どこか目を離せない彼のことがもっと知りたくなってしまう。

「ああ!まだ名乗っていなかったな!僕は(しん)。この地を守る龍神。そして、あやかし達の守り手。」
(この人が…龍神…)

私が想像していた龍神とは違っていたが、あの夢で見た光に似た何かを持っていると感じた。きっとこの人だ。この人がきっと…。

「ずっと白鷺として姿を偽って君を見ていた。すぐに助けてあげられなくて本当にすまない」
「そんな謝らないでください。私はもう平気ですから」
「いや…陽子をこんな風にするまで僕は何もできなかった。謝っても謝りきれないよ」

何もできなかったなんて嘘だ。この人は何度も私を助けてくれた。私に生きる希望を与えてくれた光だった。
手に持っているボロボロの羽がその証だ。

「こうして再び貴方に会えただけで嬉しいです」
「陽子…」

ちゃんと約束を守ってくれた。私を迎えに来てくれた。それだけで十分だった。

「ご主人様。俺とつららは一旦席を外しますね。お二人だけで話したいこともあるでしょう」
「え〜!!アタシはもっと陽子様と一緒に居たい!!!」
「貴様空気を読め。それでは。何かあったらすぐにお呼びください」

紅葉くんは慣れた感じでつららちゃんのふわふわの尻尾を噛むとそのまま引っ張りながら部屋を後にする。つららちゃんはもう少し私と居たかった様だが問答無用で連れて行かれてしまった。
二人きりになってしまった部屋の中。まさか、龍神様とこうやって対話をするなんて初めての事だ。緊張してしまう。
いろいろ聞きたいことはあるけれど、一番気にかかることを聞いてみることにした。
それは、やはりあの言葉。

「あの…信様。一つ伺っていいですか?」
「ん?なんだい?」
「お母様の簪を取り戻してくれた時に言ってくれた事なんですけど…その…私の可愛い花嫁って…」

私は顔を赤ながら花嫁という言葉の意味を信様に問う。

「覚えてないと思うけど実は、君が幼い頃に一度会ったことがあるんだ。先代の巫女、陽子のお母さんが先代の龍神である親父の元に連れて来てくれたんだ。この子に龍神の巫女の名と癒しの異能を継がせると告げる為に」
「ごめんなさい。何も覚えてなくて…」
「仕方ないよ。随分前の話だし。それで、まだガキで人見知りだった僕に笑顔で手を差し伸べてくれたんだ。遊ぼうって。それがとても嬉しかった」

一度会っていることにも驚いたが、とても嬉しそうに話す信様に目を離せなかった。話の続きが気になってしまう。

「まぁ…一目惚れってやつ。大きくなったら僕の花嫁にしたいって。でも、それが叶わなくてもいい。ただ、愛する人が幸せになってゆく姿を見れるだけで十分だった」

だからあの白鷺の姿で私のことを見守ってくれていたのか。あの愛おしそうな目で見ていたのはそうゆうことだったのかとようやく理解できた。

「あの和正って男と結婚する時もきっと陽子はもっと幸せになるだろうと信じていたんだ。だが、それがあの結果だ。もっと早くに君を迎えに行けばよかった。あの男を想っているからとと躊躇ったから陽子を傷つけてしまった。すまない」
「いえ、信様は何も悪くないです。私が弱かった結果ですから」
「陽子…」

信様は再び私を抱きしめだ。さっきの勢いのある抱き方ではなく、壊れやすい大事なモノを扱う様な優しい抱きしめ方だった。

「あんな事が起きた後だ。こんなのすぐには信じられないかもしれない。でも、本当に君のことを心の底から愛しているのは本当なんだ。」
「……っ」
「二度とあんな地獄の様な日々を送らせたりしない。髪を悲しませる様な事から守り抜く。約束するよ。」

彼の白い手が私の頰に触れる。

「僕の花嫁になってくれないか?」

まだ彼のことを何も知らないし、和正と玲奈に裏切られた恐怖はまだ拭えない。けれど、彼の瞳に偽りはなかった。
村で私を見守っていた頃と同じ目だった。彼はずっと私を想い続けていたのだ。
私は一度も彼に恩を返していない。助けられてばかりだった。
異能も何もかも失った私にできることはただ一つ。
私は、彼の告白に応える様にそっと頰を触れる手に私の手を添える。

「何もない私でよければ…」

私の応えを聞いた信様は嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
私が信様の屋敷にやって来てから少し経った頃。
つららちゃんや紅葉くん、他のあやかしの子達に支えられたお陰で私は回復する事ができた。
まだ心のどこかで裏切られてしまうのではないかという恐怖が湧いてくる時がある。
だけど、怯える私な信様はいつも寄り添ってくれた。

「陽子。何かあったらすぐに飛んでくるからね」
「ふふ。ありがとうございます。その言葉だけで充分嬉しいですわ」

実家にいる頃には考えられなかった穏やかな日々。こんなに誰かに大事にされるなんて久しぶりだった。
お母様が亡くなりお継母様と玲奈がやってきてからお父様は私に関心を無くした。家族を支えるただの道具としか見ていなかった。龍神の巫女になってからも、和正と結婚してからもそれは変わらなかった。
玲奈の我儘は何でも聞くのに、私には叱責し手が出る時もあった。
玲奈の様に着物なんて新しい物を買って貰ったこともない。婚姻の儀もお継母様が「玲奈の為の金を使うな」等と反対されてしまいあげる事ができなかった。

(あの頃からおかしかった。それでも和正のそばに居られれば良かった。でも、そのせいで簪を奪われてしまった…)

もう私を裏切った和正にも家族にも未練も何もなかったが、やはり気がかりなのは、形見の簪のことはもちろん、玲奈がしっかりと龍神の巫女としての務めを果たしているのか、まだいろいろ思うところがあって悩みは尽きない。
そして、一番の悩みは本当に私なんかが龍神様の花嫁になってもいいのかということだ。

「確かに承諾したけど、癒しの異能を失った私が本当に信様の花嫁になっていいのかしら…」
「大丈夫ですって!!ご主人様は、巫女だとか異能持ちとか関係なく陽子様自身を愛してくれているのですよ。だって…前者だったらアタシ達きっと陽子様に会えなかった…」
「だから自信を持ってください陽子様。大丈夫。ご主人様は貴女を身勝手な理由で手放す様な神様じゃない」
「つららちゃん…紅葉くん…」

龍神である信様を心から尊敬し支えているつららちゃん達。
つららちゃんと紅葉くんも私の様に住処を追われ傷ついていたところを信様に助けられていた。他のあやかし達も同じ様な境遇の子が多いらしい。

(少しでもいいから異能が残っていたら…)

もし、私があやかし達の守り手である彼の手助けが少しでもできたらと考えるが足手纏いになってしまわないか不安になってしまう。
本当に私は龍神の花嫁として務まるのか、その不安が日に日に膨らんでいった。


そんなある日、信様から見せたいものがあるから出かけようと申し出があった。断る理由はないからすぐに承諾した。
つららちゃんや紅葉くん、他のあやかし達はとても張り切りながら準備をしてくれていた。
あの衣桁にかけられていた花柄の着物に腕を通す。姿見に映る私を見てつららちゃんは息を呑んでいた。

「美し過ぎます…陽子様…」
「そ、そうかな?なんか恥ずかしい…」

こんなに立派な着物を着たのは久し振りなせいかどこか恥ずかしくて長く見ていられない。
髪も綺麗に櫛で梳かしてもらい、一本の三つ編みに結ってくれた。肩にかかった三つ編みとそっと撫でる。

(こんなに御洒落をしたのなんていつぶりだろう)

信様もここの屋敷に支えるあやかし達も、私をとても大事にしてくれる。けれど、慣れないせいか今まで玲奈が手に入れていた物を私が身に付けていることに戸惑ってしまう。
この着物が私に似合っているかどうかよく分からなかった。
準備を終えて信様の元に向かおうとした時、丁度彼が部屋にやって来てくれた。

「陽子。待たせてすまな…」
「あ、信様。こちらこそ遅くなってしまって…?」

着飾った私を見て言葉を失った信様はボソッと「綺麗だ」と呟いていた。無意識からくる言葉だろう。
呆気に取られている信様に紅葉くんが慌てて話しかけた。

「ちょ、ご主人様!しっかり」
「……へ?あ、あぁ、ごめん。陽子があまりにも素敵で美しかったもんだから…」

紅葉くんに話しかけられてようやく我に帰った信様は顔を赤らめながらあたふたしていた。相変わらず可愛い人だなって思ってしまった。
信様だってとても素敵だ。龍神の証である銀髪が太陽に照らされて初めて見た時より美しく見えた。

「それじゃ行こうか」
「はい」

私は差し出された信様の手を握り玄関へ向かう。

「それじゃいってくる。そんな遅くはならんと思うから」
「分かりました。いってらっしゃいませ」
「ご主人様〜!陽子様〜!!いってらっしゃい!!」
「フフ。いってきます」

使用人のあやかし達に「いってらっしゃいませ」と暖かく見送られながら出発した。
私は歩きながらこれから見せてくれるであろうものがどんなものなのか信様に質問してみた。とても素敵なものだと思うがやはり気になってしまう。

「あの…見せたいものってなんですか?」
「すぐに分かるよ。ずっと陽子に見せたかった秘密の場所なんだ。きっと気に入ってくれる」
(秘密の場所…どんなところかしら?)
「ごめん。ちょっといいかな?」
「え?きゃ」

突然抱き抱えられて思わず小さく悲鳴を上げてしまった。顔が熱くなってくる。

(私を助けてくれた時もこんな感じだったのかな?)

信様の顔が近くて恥ずかしい。直視できない。絶対顔が真っ赤になっている。
恥ずかしさを隠す為に私は慌てて信様の肩に手を回した。

「行くよ。しっかりつかまってて」
「は、はい!」

勢いよく私を抱き抱えた信様は空へ飛び立つ。
私は怖くなってぎゅっと目を瞑ってしまった。
空へ飛び立つなんて想像もしていなかったが、よくよく考えたら龍神は空は浮上するなんて容易いことだ。

(こ、怖い…!!)

すごく怖かった。でも…。

「大丈夫。怖がらなくていい。僕がそばにいる」

耳に囁かれた信様の声で少し恐怖心が和らぐ。とても信用できる声と言葉に私は信様に身を任せた。
つい、信様につかまる腕に力がこもってしまう。
冷たい朝の風が私達に吹き当たる。

「陽子。目を開けてみて」
「ん…」

言われた通りそっと目を開けると、視界に広がっているのは言葉に言い表せない美し過ぎる光景だった。

「すごい…」

地上では見ることのできない空から見る外の世界。村に居た頃には考えられなかったものばかりだった。
朝の澄んだ青空と太陽、綺麗な緑色(そび)えた山や木木(きぎ)、穏やかに流れる川、そして、宝石みたいな海面に映る太陽の輝かしい光。
久々に見た海がこんなにも美しかったなんて。

「ありがとうございます。とても素敵です」
「よかった。この素晴らしい自然をどうしても陽子に見せてあげたかった。きっと気に入ってくれるって」

この人に会わなければ見られなかった。この人の言葉を信じて良かったと心の底から思った。
龍神の巫女になった者は一生村から出ることはできない。だから外の世界を知ることを許されなかった。
けれど、こんなに素晴らしい光景を見て巫女でなくなったことを少しだけ感謝した。

「こんなに綺麗な光景は初めて。次は夕焼けも見てみたいです」
「僕も陽子とこうしてまた空が見たい。夕焼けも夜空も」
「私も信様と一緒がいいです」

お互い恥ずかしげに話したのが少しおかしくて思わず笑ってしまった。

「よし。次は、秘密の場所だ。まだ誰にも教えていない、春にしか現れない素晴らしい所だよ」
「どんな所ですか?」
「僕と陽子の婚姻の儀を行うのに最適な場所さ。もう一度目を瞑って」

次はどんな所に連れて行ってくれるのだろうとドキドキしながら私は再度目を瞑る。きっと、この光景を同じくらい素敵な場所なんだろうと想像してしまう。
こんな風に誰かの側に居て楽しいと思ったことは久しぶりでとても幸せだった。
心地良い春の風が吹く。まるで私達を今から向かう場所へと(いざな)っている様な気がした。