アロマンティックな君に

君はあのときなんで私に自分の秘密を言ったのだろう。

「俺、恋愛出来ないんですよね。」
写真部の少し薄暗い部屋で、さらりと黒髪が揺れる。
「何?モテない〜って話?」
茶化すように言ったら睨まれた。秋になって少しひんやりした部室が彼の冷たい視線によって、さらに寒くなった気がした。目を逸らして両手をあげる。はいはい。ジョークですよ。

「恋愛感情がないってことです。」
真面目に返してくる。それもそうか、彼、鹿谷(ろくや)はモテないわけではない。サラサラで程よい長さの黒髪、きめ細かく白い肌で、目は男の子にしては大きめでぱっちりとしている。そして細身。弱そうと言ってしまえばそうだが、身長はそこそこあるし、綺麗でいかにもな草食系男子だ。近くに部室がある吹奏楽部の子たちは、彼を王子と呼んでるらしい。部室に勝手に持ち込んだ給湯器からコップにお湯を注ぐ。ココアを作るなら牛乳が良かったなと考えながらコップを傾け、ぐびりと音を立てた後、
「そういうこともあるんじゃない?」
と一言だけ返した。
「高梨先輩、適当に聞いてます?」
高梨(たかなし)先輩は私のことだ。そして、適当に聞いているわけではない。
「いや、鹿谷が気にしないならいいじゃん。」
これも本気。本人が気にしないなら恋愛は人生に必須じゃない。しかし、本人的には重大な発表だったようで、適当に流したと疑う彼の視線は他の部員が来るまでは私に向けられていた。
「高梨先輩はなんで恋人いないんですか?」
鹿谷からの重大な発表(?)の後、部室に来た部員の皇(すめらぎ)のド直球な言葉。なんだよ。みんな恋バナ大好きか?同級生同士でやりなよ。私、先輩だよ?
「別に。好きな人がいないだけだし…」
これは本当だ。私だって恋すれば積極的くらいなる…と思う。
「まぁ、先輩、1人で生きてけそうだしなー。」
私の心にグサリと突き刺さる一言。分かっている。人に頼らない気が強そうでプライド高そうな女と何度も言われている。母には「上手く頼るのが可愛い女♡」と何度も聞かされている。
「やっぱ?澄野先輩みたいな?小さくて可愛い人がいいじゃないですか〜!今日まだ来てないけど。」
「あいつ、彼氏できたから部室に来る日減るよ。」
仕返しとばかりに皇にダメージを与える。皇が机に突っ伏した。勝った。
写真部は部室に来るか来ないかは自由だ。コンテストまでに写真を撮ってきて現像する。それ以外は写真を撮りに行ってましたとでも言えば自由に動ける。8人しかいない少し廃れた部なので顧問も来ない。皇はウダウダ続ける。
「なんで澄野先輩は部室に来なくて、高梨先輩なんだろう…。見ましたか?この前の澄野先輩。寒いからって大きいマフラーしててモコモコになってて…可愛い女の子って膝掛けにもなりますみたいな大きいマフラーが定番じゃないですか?ねぇ、ネックウォーマー派の高梨先輩。」
「黙れ、皇。お前は、明日私と校内新聞用の撮影巡りの刑にする。雑用を覚悟しろ。」
「えぇ〜⁉︎オレ⁉︎それはひどいよなぁ、鹿谷⁉︎」
大変な割には学校に成果をとられるというなんとも言い難い仕事に皇は不満の声をあげるが無視する。
「高梨先輩、皇の言うこと気にしない方がいいですよ。人手足りないなら明日の撮影、俺も行きますか?」
鹿谷が皇にしがみつかれてるのを気にせず、こっちに話しかける。
「ん。頼んだ。」
「2人とも無視っすか⁉︎」
皇は結局、下校時間が来るまでうるさかった。
ここ数日の写真部は忙しい。
先日、文化祭があったので、その際に撮影した写真を校内で貼り出して、売るらしい。売ると言っても別に利益を出すとかではなく、あくまで学校側からの指示なので金銭面については詳しくない。ただ写真部は撮影した写真をボードに貼ったりしなくてはいけない。
「なんで、最上階なんかなー。」
ぼそりとつぶやく。写真部が1階にも関わらず、販売のために写真を展示する部屋は4階だ。そして必要な机などの準備も任されてしまったので、写真部は大移動を行っている最中だった。貧弱な写真部には過酷な話である。
「部長〜!椅子足りますか⁈」
「高梨、お疲れ!あと3脚はいるかも…」
「分かりました!澄野!1脚持てる⁉︎」
「いけるよー!すぐ追いつく!」
「了解!先行くね!」
机、椅子、ボードの大荷物にも関わらず、学校には階段しかない。みんな荷物の移動でバテていた。澄野と椅子を運んだ後、部室に戻るとボードが1つ残っていることに気づいた。パーテーションサイズのボードだから運ぶのが大変だ。
「ボードか…4人ほしいな…。」
「高梨先輩、どうします?」
今、戻ってきたのは鹿谷と私。2人だと正直厳しい。チラリと鹿谷の腕を見る。細い…私の方が力があるかもしれない…。不安だけど、もうあまり時間もないので持って行っておきたい。
「ごめん、重いかもしれないけど私と2人で持ってくれる?」
「分かりました。」
鹿谷と2人でボードを階段まで連れて行き、持ち上げる。想像より重い…。階段目前のところで皇に会った。
「あ!皇!手伝って!」
「うぉ!高梨先輩、鹿谷…ごめん!ちょっと担任に職員室に来るよう言われてて…先輩、絶対オレより力あるし大丈夫っすよ!じゃあ!」
皇が去っていく。しょうがないけど、余計な一言に関しては許さない。ため息をついてボードを持つ手に力を入れる。平行にして階段を登ったら鹿谷が声をかけてきた。
「高梨先輩、上持って。俺の方が下になるように傾けてください。」
「はぁ?下は脚ついてるんだから、鹿谷の方が重くなるじゃん。」
「俺、男だし、先輩より力ありますよ。大丈夫です。ほら。」
そう言って鹿谷が階段を一段降りてボードを傾けてきた。本能的に「やばい崩れる!」と体がこわばったけど、鹿谷は平気そうにボードを持っている。私の持ってる側は大分軽くなった。先輩としては情けないが、腕がもたないと思っていたので正直助かった。
「………ありがと。」
小さく言ったお礼に鹿谷は返してこなかった。もしかしたら聞こえなかったのかもしれない。
先日の大仕事が終わってから写真部は静けさを取り戻していた。

「高梨先輩、相談。」
「はい、どうぞ。」
鹿谷に声をかけられたので紙コップに紅茶を淹れて、鹿谷の前に置く。自分の分はちゃっかり大きいマグカップで用意する。
「あざす。あの…なんか最近、転校生に追いかけられてて…」
鹿谷がいうには最近クラスに転校生が来たらしく、好きだと言われて、追いかけられてるらしい。それもかなり情熱的なようだ。うーん、なんとも漫画的な展開だ。
「断ってもなんか、好きでいるのは自由ですよね⁉︎って感じで…時間あれば追いかけてくるので…あんまり話しても分かってくれないし撒くのに必死で…」
「ふぅん」
「真面目に聞いてます?」
「まぁ…」
「この前の俺の恋愛観も真面目に聞いてなかったですよね。」
「いやぁ…」
聞いてはいる。相談するくらいだから、よほど困っているんだろう。相談相手は間違ってるけど。鹿谷と視線をあわせず、マグカップを手に取る。
「「…。」」
ズズッと私が紅茶を啜る音の後、お互い無言の時間が続く。気まずいな。まさかとは思うけど、相談と言いつつ何か鹿谷が不穏なことを考えている気がして、嫌な予感がする。せっかく淹れた紅茶を一気飲みしてシンクに置く。
「いや、まぁ、大変だよね。転校生ちゃんも鹿谷以外の好きな人が早く出来たらいいよね。なんなら紹介とかしてみたらどうかな、うん。皇とかおすすめ!はい、解決。」
と皇を生贄にするように口早に伝えて部室を出ようとする…が、鹿谷が動く方が早かった。バン!と私が開けようとするドアを押さえる。私が少女漫画の主人公なら「壁ドン…(胸キュン)」となっていただろう。ただ、嫌な予感を察知していた私は白目をむいていた。ドアを見ていた鹿谷が私に目をうつす。
「…高梨先輩、俺と付き合ってください。」
なるほど…。相談を持ちかけたときから鹿谷はおそらくこれを考えていた。恋人(仮)を作って諦めてもらおう大作戦だ。
「…やだなぁ、鹿谷…」
断るしかない。面倒すぎる。紅茶の一気飲みをしたせいで火傷をした口を開くと、鹿谷がたたみかける。
「高梨先輩が俺を後輩としか見てないのも知ってます…でも諦めきれないんです…」
少し切なげな顔をした鹿谷が、さも私が開けたかのようにドアを開いた。
「「「…。」」」
ドアが開いて、目の前には皇が立っていた。それはもうトップニュースを見つけたかのように、そして少女漫画の読者かのように目の前の胸キュン展開ぶりに口元に手を当て目を輝かせている。やつは自分自身含め、恋愛・青春に飢えている。終わった。皇が口を開く。
「…えっと、オレ、聞いちゃったけど!言いふらしたりはしないから!鹿谷!お前、漢だな!壁ドンで告白なんて!オレは応援してるぜー!」
ドップラー効果を感じる退場の仕方をしながら皇は立ち去っていった。
「皇が誤解したじゃん!人を好きになれないんでしょ⁉︎ちゃんと訂正してよ‼︎」
「俺、高梨先輩が好きだから付き合ってほしいとは言ってないし。付き合ってくださいって言っただけだし、誤解でもないんじゃないですか?」
焦る私に、鹿谷は意地悪く口を歪ませて笑いながら、
「これで真面目に俺の悩みに対応しなくてはいけなくなりましたね。道連れです。高梨先輩が最初から俺の相談を真摯に聞いてくれてたらなぁ。」
と言った。こいつ、この様子を皇に見せて誤解させるのが狙いだったのか。

次の日には知り合い全員に『鹿谷が高梨先輩に告白したらしい』という噂が広まっていた。皇、言いふらさないって言ったくせに、むちゃくちゃ嘘つきじゃん‼︎
あの日から私の周りは騒がしい。冷やかしに冷やかされ、私は疲弊していた。鹿谷は恋愛感情がないという話を人に言いふらすのは流石に良くないと思ってるせいで、この前の出来事の誤解を解くことができないままだ。否定しても照れていると思われ、私の意見はガン無視である。『人の噂も七十五日』と唱え続ける。2ヶ月以上か、長いな…。

「高梨先輩、デートしましょう。」
「ごっふ!」
「きゃっ♡」
私が飲み物を吹き出す。ティーバッグが切れてたので白湯を飲んでたのが唯一の救いだ。ちなみに「きゃっ♡」と声をあげたのは皇。なんでお前が顔を赤らめるんだ。相変わらず3人程度しか集まらない部室で騒ぎが始まる。
「デート⁉︎え!遊園地?水族館?初デートなら定番がいいのかな⁉︎」
「いや、皇が盛り上がるのはおかしいでしょ…。鹿谷も勝手にそういうの言わないで!」
自由な後輩たちを睨む。私の睨みを気にせずに皇が鹿谷の肩を組む。
「分かるぜ〜。鹿谷!恋愛を期待して、約束して出掛けるのがデートだ!付き合ってる2人が出掛けるだけがデートじゃない!デートで、つれない態度の高梨先輩を射止めようってやつだよな〜‼︎」
「はいはい。デートの定義の説明ありがとう。黙ってて。」
皇の頭をはたく。皇に肩を組まれたままの鹿谷が続ける。
「高梨先輩、駅の大通りにある超人気カフェの限定ケーキ食べたいって言ってましたよね?」
「そうだけど?奢るとか言われても無理〜。整理券がないとあそこは入れませーん。」
カフェの整理券は甘党の澄野が必死になっても手に入らなかった代物だ。ちなみに私は早々に諦めた。行かないという意志で机に突っ伏した私の目の前に鹿谷がスマホを置いた。差し出されたスマホ画面を見る。
「…は…?」
『カフェの整理券』だ。それも『限定ケーキ付』の。覗き込んだ皇が騒ぐ。
「えー!高梨先輩のために取ったってやつ⁉︎愛じゃーん‼︎」
床に転がって騒ぎ始めた皇を放置して、小声で鹿谷に話しかける。
「どういうつもり?」
「ここに一緒に行って写真を撮ってください。転校生に今週末遊ぼうと言われたので『デートをするから』と断ったら、月曜日に出掛けた写真を見せてね、と言われて。」
「いいじゃん。お出掛けくらい。転校生と行ったら?」
「適当なこと言わないでくださいよ。期待させるじゃないですか。高梨先輩こそ、お出掛けくらい俺と行ってくださいよ。」
ぼそぼそと2人で言い合う。転がり続ける皇。結果、私は鹿谷の券の分を含む限定ケーキ2種類を食べるという約束で一緒に出掛けることになった。食い意地が勝った。そして話がまとまった頃には、皇が転がっていた部分だけ床が綺麗になっていた。
『日曜日、駅で13時に待ち合わせ』
私は待ち合わせには30分前に着くタイプだ。流石に人気のカフェにおしゃれしないのはどうなんだ?と悩んで決めた服は割とデート向きなワンピースで、気合いが入ってるとは思われたくないからそわそわする。学校に行く時はしないメイクも巻いた髪も落ち着かない。待ち合わせ場所を確認した後、駅付近を歩き回ることに決めた。うろうろしていると斜め後ろから少し距離をおいて人が着いてきているのを感じた。
「おねえさん、かわいいね。どこ行くの?俺ここらへん詳しいし案内するよ?」
ナンパだ。自分が話しかけられたからぴくりと反応してしまったが歩き続ける。並走してくるナンパ男を無視して早足で歩いた。ナンパ男が諦めて離れたすぐ後に、クスクスと笑う声が聞こえた。声のする方を呆れながら睨む。
「高梨先輩、強すぎ。」
「そういう鹿谷は趣味悪すぎ。」
「いや、助けようとは思ったんですけど、それよりも先輩が振り切る方が早いかなって。あんなガン無視で足はっやいし…くくっ。」
まだ笑っている。なんて趣味の悪い男なんだ。噂の転校生ちゃんは見る目がないな。改めて鹿谷を見る。普段の容姿に年相応な服装、モテモテとはいかないがバレンタインに2〜3個は本命もらいますよって感じだ。元々不親切なわけでもないし、優しくされたらコロッといっちゃう子だっているだろう。
「まぁ、いいや…早かったね。まだ待ち合わせ時間じゃないよ?」
「高梨先輩なら早く来るかなって。予想より早くて結局ちょっと待たせちゃいましたけど。」
「ふぅん。じゃ、もうお店向かおうよ。ゆっくり歩いたらちょうどいいんじゃない?」
「そうですね、行きますか。」
少し早めにカフェに着いたが、すぐ席に案内してもらうことができた。
「限定ケーキのブルーベリーとシャインマスカット!」
「高梨先輩、飲み物はどうします?」
「わたし、カフェラテ、すき!」
限定ケーキを目の前にした私は知能が下がっていた。ケーキを目の前にした人間なんてそんなものだ。キラキラとして見るだけですでに美味しいケーキが運ばれてきた。
「はい、先輩。」
鹿谷が私の目の前に2個ともケーキを置く。そこで約束を思い出した。
「写真、撮るの?」
「あ、今いいですか?顔は写さなくてもいいですよ、服と手元だけ写して、いかにもな匂わせにします。誰と行ったとは言うつもりないので。」
「嫌なやつかよ。」
鹿谷がそういうならいいか、と勝手に写真を撮らせておく。ブルーベリーもシャインマスカットも甘くてみずみずしいし、クリームの程よい甘さがここ数日で疲弊した私の頭と体に染み渡る。
「ん。」
鹿谷にケーキを差し出すと不思議そうにケーキと私を見比べる。
「全部先輩が食べていいんですよ?」
「流石に私だけ食べるのはね。鹿谷、甘いの結構好きじゃん。共有したい美味しさなんだよ。」
鹿谷が自分のフォークを持ってケーキを食べる。
「うわ、うっま…」
「だよね…これは整理券必須…」
結局、ケーキは2人で2種類を半分こずつ食べたのだった。

「美術館行きません?」
カフェを出ようとすると鹿谷が提案してきた。
「なに?写真足りない?」
転校生は何枚写真を要求してくる予定なんだと呆れた風に返事したら、鹿谷がカフェの壁に貼ってあるポスターを指差した。
「先輩、外国の絵本好きでしたよね?絵本展ですって。」
ポスターを見る。絵本展は好きだ。しかも私の好きな絵本作家の絵本展。
「行く。」
もうここまで来たらどこに行こうが一緒だ。今日一日楽しんだっていいじゃないか。
絵本展は好きだ。カラフルな色合いに懐かしさ。小さい頃には気にもしなかった作者の考えや背景を辿りながら想いを馳せる。絵本以外に騙し絵もあった。2人でなにに見えるか話す。
「私さ、こういうの、コレとコレに見えるんですよ〜って言われても自分の見える方でしか見えなくってさ。」
「頭の中で自分の視点が決まっちゃってるんですね〜。」
と話しながら歩く。小さい子供も来るからか順路があるわけでもなかったのでぐるぐると見て回っていた。『展示特別記念グッズコーナー』があったので、見てみると絵本のイメージのイヤリングがあった。カラフルな色合いで少しチープにも見えるそれはおもちゃみたいだ。耳に当ててみる。
「先輩?なにそれ見せて?…かわいい。」
少し遠くにいた鹿谷が近くに来て、イヤリングを見ようと私の髪に触れ、耳にかけた。ふ、と笑いながらこちらを覗き込む。
「あ…」
近すぎる距離になんとも言えない空気が流れる。
「…あ、すみません。イヤリング、見ようとして…」
「え、あ、大丈夫!も〜びっくりしたじゃん!ね!どこにつけて行こうって感じだけど可愛いよね!」
謎の空気を早く変えたくて少し早口で話した。鹿谷はそもそも人との距離感が近い人だから、たまたまこんな感じになっただけだし。私が過剰に反応すると気をつかってしまうだろう。
「ちょっとお手洗い行ってくるね、あと飲み物いる?私、自分の無くなっちゃったから買ってくる!」
「分かりました。俺は大丈夫です。ここら辺にいますね。」
「りょうかい!」
その場を離れる。普段、男性に触れられることがないから、耳がドキドキと熱かった。

「じゅーしゅ。」
お手洗いに行った帰りに、飲み物を買いに行くと小さい男の子が自販機を見上げていた。
「ボタンが届かないの?」
しゃがみ込んで男の子に話しかける。男の子はきょとんとしたままこちらを見る。近くに親がいる様子はない。
「うーん…どれ?」
「りんごじゅーしゅ。」
ぷくぷくした指が紙パックのジュースをさす。小銭を入れて、水とリンゴジュースを買う。ジュースを男の子に渡しながら
「お父さんかお母さんに飲んでもいい?って聞くんだよ。」
と暗に両親が一緒にいるか確認する。すると男の子は
「ありがとう。やたちいね〜。」
と言う。やたちい…やさしいね、か。舌ったらずな話し方で予想するに3、4歳くらいかな。男の子が自分の後ろを見る。
「ぱぱぁ?………いない…。」
絶望したような男の子の声を聞いて、頭をかかえる。そうだよね、1人でいる時点で迷子だよね…。男の子が自分の状況に気付き、半泣きになりかけているので焦って話しかける。
「ね、お父さん、どんな人かな?一緒に探そっか!」
「あのねぇ、ぱぱぁ、めがね…うぇぇん…」
「オッケー。大丈夫。おてて繋げる?あ、ジュースは自分で持つのね。」
説明を諦めて、手を差し出す。私の手を握りながら、反対の手でジュースをしっかり掴んでいた。私は男の子に合わせて少し中腰になりながら迷子センターまでゆっくり歩くのだった。

「ありがとうございます!!!」
迷子センターに行くとスタッフの人が館内放送をしてくれた。そんなに広い建物でもないので男の子のお父さんはすぐに迎えにきた。私に勢いよくお礼を言う。
「いや…あの勝手にジュース渡しちゃったんですけど…飲むのは許可とってねって話したけど、そもそも渡しちゃって大丈夫でしたか?」
「え⁉︎かず!ジュース買ってもらったの⁉︎」
男の子、かずくんは紙パックのジュースを見せる。
「良かったね!お姉さん、本当にごめんなさい!ありがとうございます‼︎お金、渡しますね!」
お父さんが私にワタワタとお金を渡す。かずくんはもう手放さないというようにお父さんの足を掴んでいた。
「…っ、先輩!」
「あ………」
そして、迷子ではない私のお迎えも来た。鹿谷に連絡するの忘れてた…。
「迷子放送を聞いた時にもしかしてとは思いましたけど…」
はぁ、と鹿谷はため息をついた。私があまりにも遅く、心配していたときに放送を聞いて、私が迷子センターに連れて行ったのではと考えたらしい。
「だいせいか〜い…」
「高梨先輩?」
「いや、ごめんって…」
素直に謝っておく。一言連絡は入れておくべきだった。何のためのスマホだ。
「もういいです。」
「おねえたんのおともなち?けんかだめだよぉ。」
かずくんが鹿谷に言った。かずくんのお父さんがハッとして焦って謝る。
「デートの途中でしたか!時間取ってしまって、本当にごめんなさい!」
「いや!大丈夫ですし、デートとかでは…!」
「すみません。喧嘩じゃないから大丈夫ですよ。」
私と鹿谷はお父さんとかずくんに返した。お父さんはもう一度お礼を言ってかずくんを連れて行った。かずくんは抱っこされたまま、私たちに手を振っていた。かずくん親子と別れ、帰り道を歩いていると、鹿谷が私に話しかける。
「デートって言わせておけばいいじゃないですか。」
「恋人同士のお出掛けをデートって呼びたいの、私は。」
ふくれて返す。私だって少しムキになりすぎかなって思ってる。
「別に必死に言うことじゃないじゃないでしょ。そう見えたならそれで。見え方はそれぞれだし。」
「私たちって騙し絵と同じなの?」
さっき見た絵本展の話に内容を合わせてきたのが面白くて、ふは、とつい笑ってしまった。横を見ると鹿谷はこっちを見てゆるく笑っていて。『恋愛できない』鹿谷がどんな気持ちでこんな甘い笑顔になるのか。どうせ私は私の視点でしかその気持ちを量ることは出来ない。
冬にしてはほんのり暖かい日だった。
『高梨先輩へ』
朝、下駄箱を開けると手紙があった。澄野が隣に来て手紙を覗き込む。
「えっ、高梨すごいじゃん〜!鹿谷くんから告白されたのにさらに告白?モテ期?」
「いや、これ果たし状じゃん。というか、この可愛さは女の子でしょ。」
可愛いレターセットにアンバランスの筆ペン。高校生だもんね、レターセット持ってても果たし状用の白い紙って持ってないもんね…。どこに売ってるんだ、あの紙?
『高梨先輩へ
確認したいことがあります。今日の放課後、体育館裏に来てください。』
「体育館裏ってさ…全然運動部いるよね?」
澄野がうなずく。体育館の横は柔道場だし、裏はテニス部のコートなので運動部が密集している。こういうのって人がいないところを指定するのでは…。私が眉間にシワを寄せていると、澄野が気づいて勝手に伸ばしてくる。
「澄野…今日、部活行かずに帰るわ…」
「りょうか〜い。私も彼氏と帰りたいから皇くんに鍵お願いしようかな。」
「ねぇ、普通、私の心配しない?」
澄野が全く私を心配してくれないので、私はとぼとぼと教室に向かうのだった。

放課後、約束通り体育館裏に行くと女子生徒が背を向けて仁王立ちをしていた。上靴を見ると一つ下の学年カラー。手紙の時から、もしかして、と思っていたけど予想はあっていそうだ。
「噂の転校生ちゃん…」
小さい声でつぶやく。私が来たことが分かったのか女子生徒が振り返る。そして勢いよく話し出した。
「私は鹿谷くんと同じクラスの類沢 春(るいさわ はる)です!単刀直入に聞きます‼︎高梨先輩は鹿谷くんの彼女なんですか⁉︎」
キリリと強気に上がった眉毛、目がぱっちりしていて、怒ったように尖らせた唇はぷっくりつやつや。美少女だ。こんな美少女相手に私にどうしろと言うのだ鹿谷。
「え〜っと…彼女ではないんだけど…何と言いますか…」
どうする私。この子にだけ『鹿谷は恋愛をしない』と伝える?いや、無理だ。鹿谷が秘密にしているとしたら言ってはいけない。
「はっきり言ってください!彼女じゃないならライバルですか⁉︎カフェでデートしていたのって先輩ですよね⁉︎」
美少女が詰め寄ってくる。写真にうつってるの私ってバレてるじゃん。
「写真は私とは限らなくない?顔見たの?」
「隣のクラスの皇くんが鹿谷くんに『高梨先輩とのデートどうだった?』って聞いてました!『告白して初めてのデートだな』とも言ってましたよ‼︎」
「す…皇…」
あいつは歩くスピーカーかよ。
「で!どうなんですか⁈」
胸ぐらを掴みそうな勢いの美少女に
「いや…出掛けたのは本当だけど…付き合ってはなくて…」
ギギギと顔を逸らしながら返す。あまりにも真っ直ぐ見てくるので「付き合ってるよ♡」みたいな嘘はつけそうにない。ごめん、鹿谷、私は正直者だ。
「じゃあ、高梨先輩は鹿谷くんのこと、どう思ってるんですか⁈」
「………部活の後輩。」
「ただの部活の後輩だと思ってるくせに、告白してきた鹿谷くんと出掛けたんですか⁉︎期待させるだけさせてるってことですか⁉︎この魔性の女!」
ついに胸ぐらを掴んできた。美少女、容赦ないな。好きにさせておくか…と半ば諦めていたら
「高梨先輩!」
いいタイミングなのか、悪いタイミングなのか、渦中の人が来てしまった。