私はなにも悪くない

「私は鳥籠の中にいる翼を畳んだ白い鳥、誰か私を外の世界へ導いて?」





「はぁ、今日も一日ベッドの上かぁ。何か良い事でも起きないかな…」



変わらぬ景色に普通の日常、病院のベッドで横たわる私は退屈な人生に飽き飽きしていた。



「あぁ暇すぎて死にそう、刺激的な出会いでもあれば良いのになぁ。私の話をずっと聴いてくれる物語のような運命の出会い、私をヒロインにしてくれる王子様が現れたら良いのに」



ここは病院の一人部屋、脳腫瘍の手術を終えた私こと「夏木愛」以外誰もいない。私はこの鳥籠のような病院に一人閉じ込められている。



「話し相手も居ない今。私の心を癒してくれるのはづつう、お前だけだよ…」



自宅から持ち出したサイのぬいぐるみのづつうを抱きかかえ一人寂しさを紛らわす。大掛かりとなった脳腫瘍の手術は十歳である私にとって生死に関わる手術であり。無事に成功したとはいえ身体に繋がれたチューブが手術の壮絶さを物語る。



少なくとも先生の許可が出るまでは私は一人部屋から連れ出しては貰えないのだ。



「それにしてもこの傷跡目立つなぁ、先生は大人になれば薄れていくって言ったけど、本当に薄くなるのかなぁ。『ズキッと』痛むし、はぁ、早く大人になりたいなぁ…」



頭に差し込む一本の痛々しい傷跡を優しく撫でる。乙女の顔に付けられた傷は偏頭痛と言う後遺症を残し、目立つ傷跡が刻まれる。子供の乙女にとって傷者になると言う事は死活問題であり最大の懸念材料なのだ。



「一人じゃやっぱり不安だね。早く外に出ようね、づつう」



づつうを抱き締め叶わぬ願いを祈る、子供の私は先生の許可が出るまで大人しく安静にしている他ない。子供が大人に逆らう事など出来る筈が無いのだから。



「夏木ちゃん体調の方はどう?お薬は効いている?」



一週間振りの診断、何事も無ければ私は今日通常部屋へと導かれる。



「少し偏頭痛が出る時あるけど、それ以外は大丈夫だよ?」



「なるほどねえ。血圧と脈拍も問題無いし、今日から通常部屋に移れるかな?」



「えっ、本当!王子様に会えるかな?」



「それは解らないけど、何も問題無かったら一週間後に退院できると思うよ。詳細は看護師の四季さんに聴いておいてね?」



「はぁ~い。解りましたぁ」

 

何日か偏頭痛に悩まされる事はあったが大きな異変も無かった私は通常部屋へと移される。一人部屋からの脱出、夢だった、話し相手が出来るのだ。



「通常部屋には王子様みたいな人が居ると良いね、づつう!」 



四季さんに導かれ、大人の背中を追いかける。私の持ち物は親友のづつう一人だけ。



「愛ちゃん体調良くなって良かったわねえ」



「ありがとうございます!」



「私にも愛ちゃんと同じ年齢の子がいてね?娘もいるのだけど…やっぱり愛ちゃんは見ていて心配だったから。病室ではいっぱい可愛がって貰いなさいね?」



「うん!ようやく友達が出来るもん、大人の王子様を探すの!」

 

入院してからずっと一人の私は話し相手に飢えていた。早く外の世界へと導かれ人と交わりたいと思うほどに子供は一人では何も出来ない。



「まぁ、王子様はあまり期待しない事ね…」

 

物語の扉が開かれる、この扉の向こうには私をヒロインにしてくれる王子様が。





「初めまして!今日から一週間通常部屋で過ごす事となった夏木、愛で…」

 



言葉が段々と尻窄む。



「夏みかん、なんだって?」



「ワシはキンカンの方が好きじゃのう…」



「四季さん、もうお昼の時間かい?」



私の視界に映ったのは三人の個性的なお爺ちゃん。



「王子様は居なそうだね…づつう」



運命の出会いはしばらくの間お預けとなったのだった。



「愛ちゃ~ん、そろそろ先生来るからね~」



「ふぁ~い」



通常部屋の生活も今日が最終日、私はベッドの上でみかんを食べながら正座していた。



「夏みかんや、もう一つみかん食べるかい?」



「お爺ちゃん夏木愛だよ!な つ き あ い!結局覚えてくれなかった、みかんは食べる」



「デコポンは明日退院かい?孫娘が居なくなるようで寂しくなるの」



「私も寂しい!お爺ちゃん絶対に私の事忘れないでね?私も忘れないから!」



「夏木さんご飯はまだかの?」



「あと一時間したら来るよ!私のみかんちょっとだけあげるね?」



当初は不安だった通常部屋も住めば都と言うべきか、環境に順応した私は一週間楽しく部屋に籠っていた。



「夏木ちゃんお待たせ。どう、体の調子は」



「あっ、先生!お薬飲んでるから偏頭痛も今の所大丈夫だし。みかん食べ過ぎて夜ご飯食べられるか心配なくらいかなぁ…。明日退院なんだよね?」



「問題無さそうなら明日このまま退院だね、身体の方は鈍って無いかい?」



「少し鈍って来たと思う。早く身体を戻さないとバレエの発表会に間に合わないよ~」

 

六歳の頃から踊っているバレエの発表会が三ヶ月後にコンサートホールにて開かれる。身体が鈍っていないか、今は不安で仕方ない。



「夏木ちゃんは本当にバレエが好きなんだね。将来はバレリーナにでもなるのかい?」



「なれたら良いけど…どうだろう。お嫁さんの方がなりたい!子供が沢山欲しいの!」



子宝に恵まれ暖かい幸せな家族を築く、それが私の夢なのだ。



「お嫁さんになりたい?夏木ちゃんは好きな人が居るのかな」



「居る訳ないじゃん、だってこの病院お爺ちゃんしか居ないでしょ」



小さく収まる女では無い私を鳥籠から外の世界へ導く王子様、そんな運命の出会いを私は探し求めている。



「ヒロインのように扱ってくれる王子様、そんな大人の男性に引っ張られて、リードされたい物なの!」



「大人の男性か、じゃあ十年後の二十歳になる頃だね。『悪モノ』に食い物にされたら駄目だからね?ちゃんと自分の身は自分で護らないと」



「大丈夫!先生もお金持ってるんだから、財産目当ての『悪モノ』から逃げ出してね」



「何処でそんな言葉覚えたのやら…それじゃあ明日からバレエ、頑張ってね?」



「はぁ~い!先生色々とお世話になりました!」

 

長い入院生活はこうして幕を閉じた、そして翌日。



「やっと踊れる、やっぱり体が重いよぉ~」

 

重たい足取りで指先を弾く、少しの間動かさないだけで身体はまるで鉛のよう。



「先ずは身体を慣らす所から始めないと…よ~し、頑張るぞ!」

 

目指す目標は発表会、脂肪を燃やすかのようにバレエへの熱と負けず嫌いな闘志が着火する。外の世界へと舞い戻ってきた私がやるべきことは多い。







「夏木愛」の物語、オープニングの幕が上がった。









バレエにおける重大な要素として、表現力、柔軟性、そして最後にスタイルが挙げられる。入院による長いブランクは私の全てを鈍らせるには充分過ぎる程の期間だった。



「おなかはプニプニ腕はムチムチ、脚は上がらないし…これじゃあ先生に顔向け出来ないよ、どうしよう、やる事が沢山あるなぁ…」



負けず嫌いなこの性格、同級生には病気を理由に負けたくない。今回の発表会で踊る主役はずっと片思いをしている臨時講師の先生なのだから。



ヒロイン役に選ばれ大好きな先生と踊るチャンスを掴み取る、他の子供に取られたくは無い。出来る事から着手していく自分磨きを行うのだ。



「絶対私がヒロインになるんだから、負けず嫌いの底力見せてやる!」

 

手を掲げた私の視界に大きな輝きが灯る。早起きからのランニング、入浴時にはボディーマッサージと出来る範囲での自分磨き。己の志高く美意識を持つ事こそがライバル達に負けない秘訣なのだ。



「お~~?結構落ちたか~?」

 

鏡に映る順調に絞れた身体、自分磨きを一ヶ月程続けた成果は思わぬ所で芽吹く事となる。



「ねぇ、愛ちゃんって変わったよね。前よりずっと可愛くなってない?」



「俺告白してみようかな、好きな人とかいるのかな?」



クラスの子供達が噂する声、賛美の声が私に自信を付けさせる。



「俺やっぱ告白してみるよ!愛ちゃんと付き合いたいし…」



「Aなら成功するだろ~頑張って来いよ?」

 

筒抜けの噂話、クラスで一番モテるAからのアプローチに驚きを隠せない。このスタイルと色香は第一次成長期の子供達を虜にするほど刺激が強過ぎたのだ。



「愛ちゃんって可愛いね、俺と付き合ってよ」

 



運動が得意な子供からの告白を、私は軽く見下した。





「ごめんなさい、好みじゃ無いの」

 



私の視界に小さい子供は映らない。





「えっ!A君の告白を断るって、愛ちゃんは誰が好きなの?」

 

引き立て役の雑音を流す、小学校と言う世界は私が羽ばたくにはあまりにも小さ過ぎるのだ。



「私の大好きな人は大人の王子様だよ?早く一緒に踊りたいな」



足取りが自然と軽くなる、私は踊るように小学校を後にした。



「先生おはようございます!お久しぶりだけど…忘れてないよね?」



「夏木ちゃんお久しぶり、もう身体の方は大丈夫なの?リハビリとか大変だったでしょう?」



「病気はもう大丈夫!踊りも…ほら、リハビリちゃんとしていたから問題ないよ?」



大好きな人の視界に映る私が、一ヶ月かけ戻した体型と夜中に練習した踊りを軽く披露する。



「お~!全然ブランクを感じないよ。入院中も練習を欠かさなかったんだね」



視界に映る大きな笑顔、褒められた私は頬の緩んだだらしない顔をしただろう。高ぶる気持ちを抑え気を引き締める。乙女心は、大好きな人の前では完璧な女でありたい物なのだから。



「先生と一緒に踊りたいからね!練習も欠かさず頑張ったのは全部先生の為だよ!」



恋のライバルは多い。一方的な片思いであり、憧れに近い恋の押し付けだと理解していても私は先生と並んで踊りたい。物語の主役となり王子様の隣に立つヒロインに私はなりたい。



「1,2、ステップ踏んで!3、4、ターンして!」



掛け声に合わせ脚を運ぶ、バレエとは呼吸を重ね信頼し合う競技であり、体力が削られ脚が乱れるとテンポロスが全員へと連鎖する。一人のミスが全員のミスへと繋がる団体競技なのだ。



「5,6、ステップ踏んで?タタターン、タタターン!」

 

小学生の歩幅で背を追い食らい付く。踏み出す歩幅が小さ過ぎると一人だけラインが崩れ、大き過ぎると浮いて見える。身体の造りが異なる中で常に最適解を探さねばならない。



「ふぅ…ふぅ…つっかれたぁ~」

 

前半の演目を踊り終え流れる滝のような汗。しかし表情を崩す事は許されない。バレエは表現力が要のスポーツであり、微笑みも観客を楽しませる重要なファクターなのだから。



「夏木ちゃん頑張ってるね、でも水分補給は忘れずにね」

 

先生から手渡されるコップ一杯のお水、疲れた身体を潤してくれたからだろうか、それとも先生が手渡したからだろうか。私にとってどの飲料水よりもこの水は美味しく価値がある。



「先生ありがとう。一緒に踊りたいから本番楽しみにしててね?」



傍で踊る為に最後まで努力は惜しまず全力を尽くす、反省と後悔はしたくない。負けず嫌いの私は先生と踊る為ならどんな事でもやる覚悟を持っている。



レッスン終了のチャイムが鳴るまで私は手足を動かし、微笑み続けていた。



「それでは、今日のレッスンはこれで終わりです。お疲れ様でした」



「お疲れ様でした~」



二時間のレッスンを踊り汗だくとなった私、纏わりついた気怠い服を早く脱ぎ捨て眠りたい。時刻は夜の八時、ランドセルを背負った私は真っ暗な周囲を見渡しながらも重い足取りを一歩ずつ進める。







「さ~い~た~。さ~い~た~」





 

声を出し一人暗い夜道を歩く。風の音はびゅうびゅうと鳴り、街灯はチカチカとちらつく。自宅までの道のりには私の恐怖心を増幅させる物が沢山ある。



「暗いし、怖いし、この時間嫌い。もし翼でも生えてたら家までひとっ飛びなのにな」

 

自然と早足になりテクテクと家へ向かうも、足取りが重い怯えた小学生の歩幅では家までの距離は縮まらない。何度足掻いても私の体内時計は何時もこの帰り道で狂ってしまうのだ。



「お化けでも出て来そう…どうせ出るのなら可愛い猫が良いのにな」



望まぬ願いを祈りながら、一人歩く。歩く。歩く。歯車の狂った体内時計はもうあてにならない、己を激励しながらも前を向いて歩き続ける。



「…お家見えた!怖かったぁ~」



見覚えのある外観、今日も無事に我が家へと帰る事が出来たのだ。



「ただいま」

 

玄関に揃えられた一足の革靴、傍に並べ脱衣場へと向かうと視線の先で揺らぐ暖かい人影。



「……今日はお風呂、良いや。」

 

ベタ付いた身体をタオルで拭い、着替えを済ませた私はテーブルに置かれたボンゴレパスタのお弁当を温める。お母さんはもう寝たのだろうか、視界に映る襖には一筋の光が漏れていた。



「なんだ、起きてたんだ…」



「チン」と言う音が鳴る。テーブルの上にあった一輪差し達を端に寄せ、お弁当の蓋を開ける。嗅ぎ慣れ親しんだチェーン店、ボンゴレパスタの匂いが辺り一面に広がった。



「私、パスタならカルボナーラが一番好きなのにな。いただきます。」

 

一人で食べる食事も慣れてしまえば問題無い。手早く食べ終え、生ゴミを投げ捨てる。



「ごちそうさま。」

 

端に寄せたカルボナーラのパスタとコロッケ二個、そしてビール用のグラスを中央へと戻す。何も不思議に感じる事はない。我が家に関してはこれが「普通」なのだから。



食事を終え、二階の自室でづつうに今日の話を綴る。毎日一方的に聴く事がづつうの存在意義であり、仮初の王子様の責務なのだ。





「ねえづつう聴いて?今日先生に褒められたの!今日は運が良い日だね」

 

私が強く抱きしめているせいか顔の部分が変形し、口が無いづつう。これでは話しかけても会話をする事が出来ない。何故ならづつうは口が無いのだから。





「づつう聴いてる?返事は?」



づつうを離し、口が戻ったづつう。しかし話しかけても会話をする事は出来ない。何故ならづつうはぬいぐるみなのだから。





「あぁ~もう!やっぱりづつうじゃ物足りないっ!毎日私の話を聴いてくれる王子様が現れてくれたら良いのにぃ~!」



づつうを置き、明日の準備をする私。これでは夏木愛は会話をする事が出来ない、何故なら子供はもう寝る時間、なのだから…。





「おやすみ、づつう」







私の「普通」が。日常が。一日が。終わる。








「ねぇねぇ、今日皆でゲームしない?」

 

クラスの子供が私に声を掛けて来る、きっと今流行りの奴だろう。



「愛ちゃんもゲーム持ってる?持ってたら一緒にやろうよ!」



「あぁ~、私の家はお父さんが厳しいからゲームとか買って貰えないんだ。誘ってくれたのにごめんね」



「そうなんだ、こっちこそごめんね?」



厳格なお父さんに躾けられた私はゲームをやった事が無い。あるとしたら幼稚園で遊ぶパズル程度だろうか。故にこの手の話題に参加する資格を持ち合わせていない。必然的に交友関係は限られてしまうが問題ない。私にはバレエと先生があれば充分なのだから。



先生の下でレッスンを受け、自宅でのトレーニングを欠かさぬ日々。自分磨きは怠らない、全ては大好きな先生と踊る為。私の人生、たった十年の物語であっても夢と目標は大きく抱きたい物なのだ。



「ここまで絞れたら来月の発表会には間に合いそう。待っててね、先生」

 

風呂上がりに映ろうボディーチェック。引き締まった身体がピンと伸びた背筋とくびれた腰つきを投影する。客観的に見てもこれ程までに美しいスタイルをした女性は先ず居ないだろう。努力を惜しまず尽くした成果に喜びを隠せない。





「やっぱ私って大人っぽくて色っぽい?『ましょうの女』みたい!」





鏡の前でポーズを取る。頬は緩み、愉悦に浸る。自己の肯定は己の力となり、色香を纏う微笑みは大きな武器となる。



「ねぇづつう、私って可愛いよね?」



「うん、愛ちゃんは可愛いよ?」



風呂上がりに行う自作自演の一人芝居。私の話を聴き入れて、離れず傍に居てくれる。可愛いと常に肯定し、手を差し伸べる味方となる。そんな王子様を私はずっと待っている。



「今はづつうで我慢してあげる、だから待っててね?私の王子様」

 

物語の主役まであと少し、私から逃げないよう確りと手を差し伸べるだけの準備は整った。運命の日は明日、訪れる。



「おやすみ…づつう」





ヒロインに、主役になるために。私は仮初の王子様に優しくキスをしたのだった。



「夏木ちゃんおはよう、身体の方相当絞れてるね。今日の発表会は気合が入っているのかな?」



レッスン前のご褒美。「私の身体が絞れている事に気付いてくれた!」色めき立つ心を必死に抑える。



「だってコンサートホールでしょ?大勢の人に見られる訳だから気合も入るよ」

 

今回の会場は公民館ではなく他教室と合同開催のコンサートホール、観客数の規模も違う数年に一度のビッグイベント。そんな大舞台で先生の相方になる事は私にとって特別であり、絶対に先生と主役として並んで踊りたいのだ。



「1,2,3,4、足並み揃えて~目線意識!」



先生の背中を追う二時間のレッスン、普段なら短いこの時間がとても長く感じられるかのよう。私は最後まで踊り続けたい、一分一秒を惜しんだが為に反省と後悔をしたくはない。



「それでは皆さん、今日のレッスンはこれで終了です」

 

私は最後まで微笑みながら、翼を広げ舞い続けた。



「では皆さん、配役の説明をするので集まって下さいね」

 

緊迫する時間、負けず嫌いの私がやれる事はすべてやった。



「お願いします神様、私を先生と一緒に踊らせて?」



掲示板に貼り出された配役一覧を見上げた私は、自分の名前を探し続ける。



「夏木愛、夏木愛……あっ、あった」



下から上へと見上げた私の名前は、







「 主役二名 ヒロイン役 夏木愛 」







一番上に、書かれていた。



「やぁあったあぁぁぁ~~!!」



喜び、嬉しさ、幸福、幸せの感情を全て爆発させる。王子様の傍にいるヒロイン、今の私は、世界で一番の「幸せモノ」なのだ。



「夏木ちゃんおめでとう。これから残り一ヶ月、相方として二人の練習頑張ろうね?」



「うん!これから宜しくね、私の大好きな王子様?」



この先私にとって幸せな日が毎日更新される事だろう。私の足取りは自然と軽くなっていた。







「さ~いった~ぁ!さ~いった~ぁ!」







声を出し一人暗い夜道を歩く。風の音は口笛を鳴らすように祝福し、街灯はパチパチと拍手するかのよう。自宅までの道のりには私の高揚心を増幅させる物が沢山ある。まるで翼でも生えたかのように踊り跳ねる私、歯車の狂った体内時計は分針が動かないかと思えるほどにこの幸せな時間はあっと言う間に過ぎ去ったのだった。



「たっだいま」



玄関に並ぶ靴、風呂場で揺れる人影は私の心を映すかのよう。踵を返した私は一人、食事を取りに足を運ぶ。



「今日のご飯はっと。牛丼だ、やったね。今日はやっぱり運が良い日だなぁ」



食べ慣れたチェーン店の牛丼を暖め頬張る。ゴミ箱に捨てられた二人前の牛丼とポテトサラダの容器が視界に映るも気にしない。今日の私は機嫌が良いのだ。



「づつう聴いて?今日は良い事あったんだよ!」



食後の日課である親友との会話、づつうには聴いて欲しい事が山ほどある。一日の出来事を聴き続けるづつうに拒否権はない。何故ならづつうは仮初とは言え私の王子様なのだから。



「あのねあのね!今日バレエ教室に行ってきたの、そこでなんと…じゃじゃ~ん!私が主役、ヒロインに選ばれました~!パチパチパチ。凄くない?大金星って奴?あっ、でも私ってさ、スタイル良いし?やっぱ持って産まれた才能が開花しちゃったのかなぁなんて?まぁ多少は努力したかもしれないけど?」





「と に か く !私が主役だよ?ヒロインだよ?褒めて!」





一番信頼する親友のづつうに話し続ける。回り続ける舌、年頃の乙女はお喋りなのだ。



「今日は本当に良い一日だった!また明日も私の話を聴いてね?づつう」







「私の話を聴いてくれるのはづつうだけだからさ」









何時間話したのだろうか、疲れ切った私達は抱き合うように眠りについたのだった。







「1,2、ステップ踏んで?3、4、歩幅!それに下見ない!常に観客席意識して前を向く!」



先生から飛ぶ愛の鞭、発表会まで残り一週間を切った今私達は一分一秒も無駄には出来ない。



「前向くの忘れない!笑顔を切らさない!動き小さいよ!!」



一つ一つを考えながら踊っていては、どこかで思考が止まり違和感のある挙動となる。全ての所作をミス無く完璧に魅せる為には、頭より先に身体が動くよう叩き込まなければならない。一瞬の躊躇がバレエにおいては全てを大きく狂わせる命取りとなるのだ。



「指先を伸ばして水平に、小さく纏まり過ぎないよう弧を描く。見られてる事を意識しなきゃ」



考える前に己の肉体へと反射的に繋がるよう、納得するまで教え込む。自然体な演技となる理想形を追い求め、最後まで身体を動かし続けていく。



「はい止まって~1、2、3、4、5、6、はいターン!」



「7、8、ステップ踏んで~9、10、はい笑顔!動作は綺麗に静止して~」



二人だけの居残り練習、流れるような指先は一挙手一投足が美しく魅せる自然体な演技。先生と比べたら私はまるでブリキのロボット、今はこの背中に食らい付くだけで精一杯だった。





「笑顔忘れてる!」





「すみませんでした!!!」





居残り練習を終えた足元には汗の湖が溜まる。努力の証と言えるだろう、流した量だけキレは良くなり成長する。相方として踊る以上恥ずかしい演技をしたくはない、恋する乙女は健気な負けず嫌いなのだから。



「じゃあ今日はここまで。後は細かい所作と笑顔を忘れずに意識することだね」



「はい!ありがとうございました!!」



「夏木ちゃんも夜遅くまでお疲れ様でした。夜道には気を付けてね?それと…これ、発表会の案内ポスター。親御さんに渡しておいてね」



「…はぁい、わかりましたぁ」



ランドセルの中にポスターを入れ、先生との名残惜しい時間を後にする。時刻は夜の十時、居残り練習の弊害かかなり遅くなってしまった。







「さーいーたー。さーいーたー」







声を出しなるべく不安を取り除く、沢山踊ったからだろうか足取りと身体が鉛のように重い。まるで私の身体じゃないかのように、足を運ばせながら暗い我が家へと帰って行く。



「ただいま」



消えた玄関の電気を付け、靴を並べる。そのままお風呂へと向かった私はランドセルを放り投げた。汗でベタ付き冷たくなった心と身体を、温かい温水で洗い流したかったのだ。



「はぁ…なんか疲れちゃったなぁ」



穢れた汚れを洗い流し、心に余裕が出てきた私は鏡の前でポーズを取る。今日のおさらい、納得のいく演技が出来るか噛み締めながら舞い踊る。



綺麗で細い脚。張りのあるお尻。引き締まったウエスト。年齢に見合わない発育した胸。鏡に映った女性の身体は、自分でも惚れ惚れするまでに鍛え上げられていた。



「私の身体…凄く綺麗。私ってやっぱり大人びて見える?」



跳ねるように目を凝らし観察する。大人びた身体付きは、まるで私が本当に大人となれたかのような自信を付けさせる。



「このスタイルなら先生の隣に立っても遜色無いよね。待っててね?先生」



植え付けた自信は私の活力となり原動力へと繋がる、発表会は主役の私に全て掛かっている。



磨き上げられたスタイルを確認した私はくびれに手をあて一杯の牛乳を飲み干した。一日でも早く大人になりたい、反省と後悔はしたくない。



「さ~てと。今日のご飯はなんじゃらほい…カレーだ、やったね。」

 

カレーを温める間にランドセルから発表会のポスターを取り出す。テーブルの端に置いた私は大好きな甘口カレーを頬張った。



「ふぅ美味しかった。あっ、玄関の電気消さないと殺される」



一人食べ終えた私は消し忘れた電気を消しに走る。一階はライト一つとて差し込まない。この家で今活動しているのは、私だけ。



「づつうただいま!今日は待たせたね!」

 

今日は沢山話したい。望んだ形に変形し、私の求める聴き手となるづつう。そんな私色に染め上げた仮初の王子様に対し思いの丈をぶつける。





「づつう聴いて、今日は先生と練習したんだよ?やっぱり先生は凄い人なの!私は踊っている時笑顔が消えたり手足を伸ばしきれなかったりで甘い所が多かったんだ、だからもっと完璧に踊れるようにしないとなの。次も先生と一緒に踊れるとは限らないしね、絶対に反省も後悔もしたくないからさ。責任を持って私は先生ともバレエとも向き合いたいの」







「だからさづつう、づつうだけはずっと私の味方で居てね」









完璧に踊り、一人の女性として扱われたい。私の運命は来週全てが決まるのだ。









走り、踊り、毎日怠らない自分磨き。一分一秒とて無駄にしないよう全力で励んで来た。後は今日、本番での成果を見せるだけ。



私こと夏木愛は鏡の前で一人、己を鼓舞していた。



「大丈夫、自分の実力をそのまま出せば成果なんてついて来る。そうでしょ?夏木愛」



ベッドで眠る仮初の王子様を叩き起こす、本当は誰かに私の晴れ舞台を見て欲しい。もし、この物語が少女漫画ならばヒロインのキスで王子様は大人の姿へと様変わりする事だろう。しかし、夏木愛はただの小学生。そしてづつうも小さい頃にお父さんが買ってくれた何の変哲もないサイのぬいぐるみだ。



「行ってきます、づつう。帰ったらいっぱいお話し聴いてね?」





私は仮初の王子様にお別れの、優しいキスをした。









「ららら発表会~今日は私の~晴れ舞台~」





カーテンレールの幕を開けるご機嫌な私、階段を下りる足取りも軽い。キッチンに置かれたポスターと五千円を、弧を描くような手捌きで掬い取る。



「今日は~私の~晴れ舞台~。誰かに見られたかった。晴れ舞台~」

 

軽快な自作ソングを歌い演目を披露する。まるで我が家が専用のコンサートホールかのよう。主演は私一人、そして観客も、私一人。



「今日は~私の~ は れ ぶ た い !」

 

玄関を飛び跳ねた私をスポットライトが照らし続ける。一足だけ並んだ靴を履き、扉を引くも鳴り響く拍手など一つもない。舞台の幕引き、この家には私しか居なかった。





「いってきます」





ライト一つ灯らない我が家に別れを告げる。無意識のうちに早足だった事に私は気が付きもしなかったのだった。





「さーいーたー。さーいーたー」





コンサートホールへはバスを乗り継ぐ必要がある、発表会までに歩き疲れてしまわないか、一人か細い私の心に不安が募る。



「こんな時に翼でも生えていたら、何の苦労もなく先生の所までひとっ飛びなのにな」



私の心に芽吹いた小さな願望は、脳腫瘍の入院時病院内で良く流れた曲を思い出させる。







「今~私の~、願い事が~叶う~な~らば~…」







「やっぱり願い事が叶うのなら翼よりも先生と完璧な演技を踊りたいな」



重い足取りを軽くしてくれたのは先生を思う「純愛」の力。不安だった手術も塞ぎ込んでいた苦悩も全て、私を外の世界へと導いてくれた先生とバレエのお蔭だ。



「最高の演技を見せるから、もしも完璧に踊れたら私の初めて受け取ってよね。先生」

 

バスへと乗り込む乙女の背中は翼が生え大人びて見えた事だろう。私は他の子供とは違う、夏木家の一人娘なのだから。



「夏木ちゃんおはよう、結構時間ギリギリだね」



「えへへ…ごめんなさぁい」



到着までの時間を逆算していなかった私は遅刻寸前、主役の重役出勤だ。



ここからメイクと衣装を纏い控室でのリハーサル。心が休まる暇もない。私は戦う女性の仮面を装着する。



「それじゃあ先ずはメイク室でメイクして貰って、着替えが終わったら控室に集まってね」





「『は~い』」





引き立て役達を導きメイク室へ、子供の顔から少しずつ艶めかしい大人の顔へと変貌を遂げた私は今から凛としたヒロインの仮面を身に纏うのだ。



「愛ちゃんってメイクすると色っぽいわね、メイク映えする顔付きなのかしら」



「えぇ~そうですかぁ~?」

 

人に褒められ気が緩む。凛とした大人の顔が崩れ、ヒロインの仮面が剥がれてしまう。



「いけないいけない、気を引き締めて油断しない事…」



バレエの笑むは微笑みであり、このだらしない笑顔ではない。凛としたクールな微笑みを観客に届ける事が、表現者として重要なファクターなのだ。



「は~い出来たよ~?後は着替えて最終チェックだっけ、頑張ってね」



「ありがとうございま~す」



先生に早く見て欲しい。大人びた色香とスタイルで、私の虜になって欲しい。



「先生、おまたせ!」



「おっ、夏木ちゃん大人びて見えるね。凄く綺麗だよ?」





「で~~しょ~~~??先生女を見る目ある~~!」





女性として扱われた事に思わず胸が「キュン」と鳴る、今の私は少女漫画のヒロインとは無縁の顔をしているだろう。しかし先生に褒められた今、そんな事はどうでも良くなった。



「よ~し!やる気出てきた!本番まで突っ走るぞ~」



「そうだね、みんなも発表会に向けてラストスパート頑張ろうね?」





「『えいえいお~』」





主役の二人が引き立て役達を控室へと導く。本番前の最終チェック、先生の隣に並ぶのはこの私。何故ならこの物語の主役はヒロイン役である「夏木愛」なのだから。



「1、2、3、4、回転ターン!回転ターン!!」



私達の歩幅に合わせ、引き立て役が舞い踊る。主役は演技の軸であり、全ての視線を釘付けとする。



「目線は前、顎を引いて、手足は伸ばす。呼吸は常に乱れないように意識して…っと」

 

一つ一つの演技を呟きながら確かめる。失敗は、許されない。



「考えるな…自然と身体が動くようにしないと」



先生ほど上手くは踊れない、私に出来る事は楽しむ事。そして反省と後悔をしない事。観客席へと私の微笑みを、この気持ちを差し伸べる。



「…はいストップ!皆よかったよ。夏木ちゃんも完璧じゃないかな?」



「でしょ~私もそう思う!この調子で本番もがんばるからね?」

 

最終チェックを終え、私の心に自信が溢れる。一歩前へと踏み出す足は力強い。会場のボルテージは最高潮、私達の踊りが観客席を釘付けにするのだ。





「ねぇ、先生?」





「どうしたの?夏木ちゃん」

 



「もし私が完璧に踊れたら、ファーストキス。貰ってね?」





「えっ、急に何を…」



狼狽える先生を見上げ、夏木愛は優しく微笑んだ。









「返事は全て踊り終えたら教えてね?私の相方!」









絶対に失敗できない人生初の大勝負、物語の幕が上がった。





眩い明りは私達を照らし、鳴り響く拍手は主役達を迎え入れる。一寸の狂いもないよう相方の背中を追いかけ舞台の中心、スポットライトの灯る場所へ。

物語の始まりだ。

音楽が流れ私達が踊りだす、向かい合い手を繋がれ微笑み合う。私達に連動し、引き立て役達が模倣する。ラインは二本、綺麗な直線が揃っている。

「うん、出だしは完璧」

相方の手を取り軸の中心がブレないように己の身体を回転させる、手足はだらけず静止して、観客一人一人に微笑みかける私はきっと、艶めかしい大人の表情をしているのだろう。表現力は相手が、そして自分が楽しむ事を忘れてはならないのだ。

「ここまでは完璧、大丈夫。練習の成果は出てる」

相方に支えられ手足を伸ばし片足立ちで静止する。辛い表情は見せられない、地に足一つでも付いているのなら人は立つ事が出来るのだから。

「やる事が沢山ある…ひぃぃぃい」

脳内の夏木愛がパニックを起こす。しかし、身体を動かす夏木愛はミスなく演技を続けている。相方のお蔭か自分の努力か、答えは出ないが今はがむしゃらに身体を動かしていたかった。

「私今すっごく輝いてる。楽しくて…幸せ!」
 
ずっと背中を追い続けてきた相方と、ようやく対等に同じ目線で傍に居る。この瞬間初めて私は相方に認められ、大人の仲間入りが出来たのだ。
 

「あぁ、今の私は『幸せ者』だな」


天高く羽ばたいた私はきっと翼の生えた白い鳥のように見えただろう。観客席に向けた微笑み、一番見て欲しい「大好きな人」には、届かないのがもどかしい。

私達を照らすライトが、音が消えていく。舞台の幕が降りる、「前半戦」が終わったのだ。

「着替える人は着替えちゃって!水分補給忘れずにね!」

演目が切り替わる数分間、舞台裏は殺伐とする。

「夏木ちゃん水分補給ちゃんとした?ここから休憩ないからね?」

「はい、ちゃんと飲みました!それより私の踊りどう?」


「完璧!」


その一言だけで充分だ、ドーパミンが止まらない。


「行くよ!相方!」


私の背中は先生の視界に大きく大人びて映っただろうか、次は私が追わせる番。時に乙女は引っ張って、リードしてみたい物なのだ。
 
前半戦と異なりヒロインが主導権を握る後半戦。私は一人前に出る、最初の大きな見せ場だ。

一回転、二回転、三回転。目まぐるしく回る私の視界に大きく映る相方。まるでこの世界には二人しか居ないかのように、流れゆく景色の中で相方だけが傍を離れない。

「楽しい!楽しい!楽しい!!」
 
観客達は主役である私達の演技を見に来ている。艶めかしい微笑みを浮かべた私は一人一人、アイコンタクトを投げ掛ける。

「この人も、この家族連れも、みんな私を見に来ている!」

観客席に送る愛情。しかし、何故か誰も返してはくれない。

「あれ、なんで?誰も私を見て……いない?」

一方的な愛情の押し付け、観客席の家族連れは可愛い我が子の「引き立て役」を愛していた。

「どうして!?私が一番偉いのに!主役なのに!ヒロインなのに!私が一番頑張ってるのに!」

怒り。憎しみ。憎悪。様々な感情が私の身体を「傷者」にする。

「もっと私を見て!」その焦りは私から「微笑み」を奪った。

「しまった、急いで笑顔作らないと」
 
身体より先に頭で考える、一瞬の躊躇がバレエにおいては全てを狂わせる命取りとなる。


「…やっちゃった!相方とのラインがずれた!」


二人しか居ない歪なラインは観客席から見たらさぞ目立つ事だろう。少しばかり斜め向いた相方との向かい合わせがその悲惨さを物語る。私は、失敗したのだ。

「せっかくここまで完璧だったのに」
 
チラつく視界、行き渡らない酸素、その後の事は覚えてない。物語の幕が無情にも降りる。


人生初の大勝負に敗北した私は、ただの小学生になったのだ。

「いや~皆お疲れ様、とっても演技良かったよ!」

「先生ありがとう」
 
暖かい家族に見て貰い幸せ者の引き立て役、私はこの輪の中に入る事は出来ない。どの面下げて入れば良いのかも、解らない。

「いいな幸せそうで、私は主役なのに。台無しにしちゃったな」

合同開催の発表会、自分の子供を楽しみに待つ暖かい家族からしたらヒロインどころか引き立て役ですら無い私なんて「邪魔モノだ」。

「じゃあこれで解散しま~す。皆さんお疲れ様でした!」

「お疲れ様でした~!」

演技を終え魔法が解けた私は、一人寂しく冷たいコーラを飲む。

「ねぇねぇ、お父さん!発表会見てくれた?」

「ちゃんと見てたよ、よく踊れてて偉いね」

名前も知らない引き立て役がぐしゃぐしゃと頭を撫でられる。幸せそうな笑顔が、憎い。

「えへへ~ありがとう!お母さんは私の踊りどうだった?」

「モネちゃん良かったわよ~!よく踊れていたし、今日はステーキにしましょうね」

「えっ!ステーキ?やったぁ!モネ、ステーキ大好き!」

引き立て役が暖かい家族に導かれる、きっとコイツは家に帰ると主役に格が上がるのだろう。


「私が主役なのに…」


飲み干した空ゴミを満たされない感情と共に投げ捨て「傷モノ」の頭を一人、優しく撫でる。


「…帰ろ。」


私は何て「不幸モノ」なのだろうか、軽かった足取りが嘘のように重くなる。バス停へと重い身体を引きずると、見覚えのある顔が視界に映った。

「あれ、夏木ちゃんもバス?お母さんは?」

「あっ、先生…私は一人だよ」

普段なら泣いて喜ぶ二人の時間、しかし今の私にとってはこの時間が居心地悪く、怖い。

「夏木ちゃんさ、最後皆で抱き合った時に一人だけ輪に入らなかったのは。どうして?」

沈黙にじれったさを感じたのか、先生からのアプローチ、大人が子供に手を差し伸べた。

「私のせいで失敗したから。全部、台無しにしたから」

「したから…輪に入らなかったって事?」

大人しく先生の手を取った、しかしあの時は取れなかった。

「私には輪に入る資格が、無かったから…」

言葉に詰まりながらも少しずつ、弱音と共に吐き出していく。

再び続く沈黙、目の前に止まるバス、大きい大人の背中と丸まった子供の背中が二人、並ぶ。

「隣空いてるよ?座って」

大人の肩幅。狭い座席。触れ合う脚。纏う香水の匂い。大人の優しい手がボタンへと伸びる。

「夏木ちゃん良かったら一緒にご飯食べてくれる?反省会もしたいしさ」

大人の微笑みが視界に大きく映る。子供の私は、小さく頷く事しか出来なかった。

ファミリーレストランへ導かれた私の前に並ぶオムライス、先生の前にはコーヒーとポテト、誰かと食べる食事は久し振りだ。財布から五千円を取り出すも「子供がそんな心配しなくて良いの!」と突き返されてしまう。

やはり私は大人からしたらまだ子供、どうにもならない現状が歯痒くて、苦しい。

「夏木ちゃん前半は完璧だったね、凄く良かったよ?」

「やっぱり前半『は』良くて後半はボロボロだったんだね」

甘酸っぱいケチャップの味がより酸っぱく感じられるほどに、手厳しい意見が刺さる。

「後半の途中までは自然な微笑みで良かったけどね。一瞬顔が強張ったのはどうして?」

ずっと一緒に踊っていた相方は、私の異変に気付いていた。

「余計な事、考えちゃったから」

「余計な事って?」

私は大きく息を吸い。小さなSOSを吐く。

「観客席の家族が私じゃなくて後ろの子を見ていたの、主役は私なのに。きっと私の事なんて」



「誰の視界にも映らないんだ」



子供の背中を上回る苦悩が押し潰す、大粒の涙が、抑えていた感情が溢れ流れて止まらない。

「愛ちゃん?」

「なぁに?」

「傷モノ」の頭をぐしゃぐしゃと撫でる、大きくて暖かい大人の「愛」が私を優しく包み込む。

「先生は愛ちゃんが主役として頑張る背中をず~っと見ていたよ?それに今日の愛ちゃんは今までで一番輝いてた。だから今日はい~っぱい話そ?それとも先生じゃ『役不足』かな」

人に撫でられる幸せは、私の心に今まで味わった事の無い感情を植え付ける。

「先生…あのね、私…」

「どうしたの?ゆっくりで良いからさ、話してみて?」



「………うわあぁぁぁぁぁぁぁぁあああん」



周囲の奇特な目など気にしない。大人に甘え、話を聴いて貰えるのは子供の特権なのだから。

私はなにも悪くない

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