呪法奇伝ZERO・平安京異聞録~夕空晴れて明星は煌めき、遥かなる道程に月影は満ちゆく~

 藤原忯子の死により、彼女の父である藤原為光も花山天皇と同様に深い悲しみを抱いた。彼にとって、彼女はただの出世の道具ではなく、彼の栄華を支える大切な娘であった。忯子が花山天皇の子を身籠った際も、彼は娘の父として孫の誕生を大いに喜び、何よりも無事に生まれてくることを願っていた。しかし、その願いは叶わず、身籠った孫と共に大切な娘を失ってしまった。この出来事以降、藤原為光は出世の野心を失い、ただ娘を弔うための生活を送ることとなった。
 ――そして、それはかの藤原兼家にとっては、あまりに醜いことであるが何よりの喜びであった。
 兼家の屋敷の一室で、当の兼家は心底嬉しそうにほくそ笑む。

「ふふふ……、もはや抜け殻になった為光は敵ではなく、すでに権力を失いつつある関白・頼忠の地位も風前の灯。あとは上手く帝を出家させることができれば……」

 この時、藤原兼家はさらなる巧妙な策略を巡らしていた。兼家は自身と親交の深い僧侶に接触し、花山天皇が出家を望むように働きかけたのである。その結果、花山天皇はこの世を儚むようになり、兼家の思惑通り出家を望むようになった。多くの人々が彼の決断を止めようとしたが、花山天皇はそれを無視し、出家を常に言葉に出すようになり、彼のその思いは日増しに高くなっていったのである。そして、その後の一連の流れは、すべてが藤原兼家の望む通りに進展していくのである。

「さて……、未だ帝様は完全な結論には達していない様子。それを後押しするべく……息子を差し向けるか? 確か道兼が蔵人であったな……」

 平安京の地にはまだ焔病が猛威を振るい、その厳しい現実に人々は苦しみと恐怖を抱いていた。しかし、その光景を目の当たりにしても、兼家は一人で喜びに打ち震え、自身の野望に心を奪われていた。
 彼の心の中には、苦しむ人々の姿など微塵も映っておらず、ただ自身が一刻も早くこの世の全てを手中に収め、頂点に立つことだけを強く望んでいた。そのためにはどんな手段も厭わない、そんな彼の強烈な欲望が、彼自身を突き動かしていたのである。

「――」

 兼家が笑っているその姿を、一つの目が静かに見つめていた。それは兼家自身には感じられないが、それは恨めしそうな深い闇を秘めた瞳であった。
 その瞳は、まるで何かを訴えかけるかのように兼家を見つめ続ける。明らかに生きていないその存在の瞳は、彼の全ての行動を見透かすかのように感じられた。

【兼家様――】

 そのモノがそっと呟いた言葉は、兼家の耳には届かなかった。それはまるで、音が風に運ばれて消えていったかのようだった。しかし、その言葉が届かなかったとしても、そのモノの怨念のこもった瞳は確かに兼家を見つめている。そして、それは明確に兼家の心にまで届き、その心を腐敗させていたのである。


◆◇◆


「……師よ、先の藤原忯子様の事だが……」
「何か?」

 道満のその言葉に晴明が聞き返す。

「やはりなにか不信な点が多い――」
「ほう? どういうことですか?」

 道満は少し思案しながら答える。

「それまで――、そしてそれ以降、かの焔病の呪詛に変化した兆しはない。ただ、この藤原忯子様の病だけが、明らかな異物として存在している」
「ふむ……確かに。その病い以降に起こった全ての焔病で、平癒法が効果があったことは証明されています。それなのに……」
「その通りだ師よ、かの藤原忯子様の病気だけが、平癒法の効果を受け付けなかった」

 その言葉に何かを思いついてハッとした顔になる晴明。

「それでは、まさかその病は……」
「そうだ、その病は焔病ではない可能性がある」

 その考えに至った時、晴明も道満と同じく嫌な予感に囚われる。

「焔病に似た病を藤原忯子様が患って――、そうとはしらず勝手に焔病と思い込んで、誤った治療を施して死なせてしまった? あるいは――」
「はじめから焔病に似せて……藤原忯子様を”暗殺”した……」
「まさか……そのような話――」

 さすがの晴明も困惑の表情を浮かべる。道満は顔を歪めて晴明に質問する。

「藤原忯子様は誰かに恨まれていた?」
「いや……穏やかで優しいお方であったゆえにありえぬ話――。まあ、帝様の寵愛を一身に受けていたがゆえに、それで嫉妬されることはあったかもしれませんが」

 晴明と道満はお互い顔を見合わえて考え込む。そして二人は一つの結論に至った。

「藤原忯子様の件が別の呪詛……、あるいは毒物などによる暗殺と仮定した場合。この状況を利用して人を殺める事を良しとするものが居ることになる」
「師よ……誰がそれかを行ったかは分からぬが、同じことが繰り返される可能性は大いに有り得る。これは焔病とは別に警戒すべきだ」
「そうですね……。焔病の調査と並行して、そちらの調査も進めましょう」

 そう言う晴明の宣言に、道満は深く頷いた。

(――藤原忯子様に恨みを持つものの仕業……、あるいはその死によって利益を得るものの仕業……か?)

 そう考える道満の思考の片隅に、ふと一人の男の顔が浮かぶ。
 その時の道満は、根拠も証拠もないその予感が、明確な正解であった事に気付いてはいなかったのである。

◆◇◆

【――ああ、兼家様……】

「ククク……、なんとも恨めしそうな声であるな」

 平安京の端にあって、黒い毛並みの狐が空を漂う光を見つめる。

【兼家様……私は】

 その漂う光からは、恨めしそうな声が途絶えることなく溢れ、そして月下の空へと消えてゆく。

「その恨めしい気持ちを、もっと吐き出すが良い。わしはそのために貴様をここまで連れてきたのだ」

【あ……】

 黒い狐は亀裂のような笑顔を光に向けて呟く。

「お前の恨みは果てしなく……、彼の地を汚染しておったからな。わしとしては彼の地の人々を救うためにもお前をここに連れてきた」

 ――そして……、

「この平安京が此奴に呪われるのは自業自得……、此奴の恨みの根源がこの都にはあるのだから。だからこそわしはもはや貴様を滅する気もなく……」

【ああ……安倍晴明……蘆屋道満……】

「――勝手に呪い……勝手に殺すが良い。それで貴様が滅せられることになっても、わしにとってはどうでも良いことよ」

 黒い狐にとっては恨めしく漂う光も――そして、それに呪われて嘆く人々も、この世を蝕む害悪な小蟲にしか見えない。ただ害虫同士が殺し合う姿にしか見えない。
 だから笑う――、嘲笑う。かつて人に懐いた想いはすでに枯れ果て、ただ絶望と憎悪のみがこの狐の心には残されている。

「さあ……その恨みを存分に吐き出せ。そのために貴様はその姿となったのであろう?」

【ああ……兼家様――、なぜ】

 その狐の言葉に反応するように光はその輝きを増した。

【なぜ……私を見捨てたのか――。兼家様……。憎い――。許さぬぞ――、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ――】

 その輝きは周囲の闇を照らし出し、それを眺める黒い狐を白く染め上げた。

「カカ……、恨み持つ魂――、怨霊……、乾重延(いぬいしげのぶ)よ……、その恨みの果てを自身の目で見届けるが良い」

 そうして煌々と輝く光は、ある時から一つの形を取り始める。そうして現れたのは、古びた狩衣を着た乾重延だった。彼の身体は炎のように燃えていたが、その姿は人間そのものだった。彼はその人間の姿を保ったまま、平安京の闇の中へと静かに進んでいった。
 それを見つめるのは、闇夜を身に纏った黒い狐と、静かに夜空に輝く月だけであった。
乾重延(いぬいしげのぶ)

後の時代――、『呪法奇伝』本編において初登場する怨霊。
その時点では長野県砂和市にある蘆屋一族の傍流、天藤家の祖である天藤一成(てんどうかずなり)がその地で封じて、その魂を鎮めるために先祖代々祀られていた。
この『呪法奇伝ZERO』においては、第一章の時点でその悪事を道満と晴明に暴かれ、その後ろ盾であった藤原兼家にも見捨てられた挙げ句に、失意のうちに信濃国は砂和へと流されている。
それ以降の流れは『呪法奇伝』本編に描かれている通りであり――、恨みを持って復讐を誓った重延は、こともあろうに当時人工的な怨霊の制作法を研究していた死怨院乱道の口車に乗り、とある異能の少女を犠牲にして自ら怨霊となっている。
当然、彼本人はそもそも怨霊になるつもりはなかったが、頼った相手が死怨院乱道という最悪な人物であり、それに騙されて命を落とした形となる。
その後、どういう流れで雅辰と出会い、どのような形で平安京へと赴いたかはこれから判明するかもしれない。
その能力は、犠牲となった異能の少女の力を受け継ぎ炎を操ることとされているが、現状は直接炎を操る姿は見られずただ熱病の如き呪詛を周囲に振りまく事しかしてはいない。
この後、どのような流れで『呪法奇伝』本編に繋がるのかは、これから判ることであろう。

藤原兼家(ふじわらのかねいえ)/生没:929~990
平安時代中期の公卿であり、藤原北家・右大臣・藤原師輔の三男。後の時代にも悪名の轟く、かの有名な藤原道長の父親である。
兄である藤原兼通(ふじわらのかねみち)との確執を始めとして、様々な政治闘争の果てにその謀略によって花山天皇を廃位、摂関家の嫡流としての地位を確立して、それ以後、摂関は兼家の子孫が独占することとなる。
政治家としては極めて優秀な人物ではあるが、その野心は果てしなく、かの帝すら自身の出世の駒と見なすほどの野心家であり、多くの人々から恨みを買っている。
それでも、道長に続く一族の天下の基礎を築いた人物としてもあまりに優秀な政治家であり、それ故に安倍晴明は彼を平安京の平穏を守るために必要な存在とみなしている。

藤原為光(ふじわらのためみつ)/生没:942~992
異母兄の伊尹・兼通から可愛がられ、一時は兼家を越す地位を得たこともある公卿。
天元元年に兼家が復権した後は、その地位が再び逆転するが、後も摂関を巡って政争を繰り広げた。
仕えていた師貞親王(もろさだしんのう)が花山天皇として即位すると、その要望に従い藤原忯子を入内させ、彼自身も藤原伊尹の五男で花山天皇の叔父・藤原義懐(ふじわらのよしちか)と二人で帝を補佐した。
しかし、娘である藤原忯子が亡くなり、兼家の策謀で花山天皇が退位すると、それまでの野心は失われてそれ以降娘を弔うために生きた。
その後、権力争いを続けた兼家によって歴史の表舞台へと引き戻されるが、最後までその野心は失われたままであったという。

藤原頼忠(ふじわらのよりただ)/生没:924~989
藤原北家小野宮流の祖である藤原実頼の嫡男であり、最終的には関白太政大臣にまで登り詰めた人物。
藤原兼家の兄・兼通が晩年に重態に陥って伏していた時、当の兼家がその見舞いもせず自邸の門前を素通りした事に兼通は激怒し、そのために後継の関白に頼忠が指名される事となった。
それ以降、関白として帝を支えることになるが、帝との外戚関係が無いゆえにその政治的基盤は不安定でり、さらには源雅信(みなもとのまさのぶ)、後に復権する藤原兼家、そしてさらに後に藤原義懐(ふじわらのよしちか)すらも権力図に加わったことで政治権力が複雑化、政治の停滞を招いて頼忠以下諸大臣が天皇から糾弾される事態にすらなった。
彼は結局最後まで”よその人”と見なされ、完全な権力を握れずに兼家との政争に敗れ、かの『寛和の変』を切っ掛けに藤原義懐等とともにその政治権力を失って失意のうちに亡くなることとなる。

花山天皇(かざんてんのう)/生没:968~1008
永観ニ年に円融天皇(えんゆうてんのう)からの譲位を受けて十七歳で即位。しかし、在位はたったのニ年であった。
当時の政治は複雑化を極め停滞しており、何より花山天皇の即時退位を望む兼家との対立、さらには女性問題も手伝って平安京の政治が大きく変わるきっかけとなってしまう。
寵愛していた女御・藤原忯子が亡くなると深く嘆き悲しみ、出家すら考えるようになるが、それは彼の気性からすると一時的なものであったようで、退位を望まない義懐らによって出家しないように説得される。
――が、兼家の策謀によって、一時の迷いであるはずの出家願望を利用されて退位してしまい、それを止められなかった義懐らもまた彼に続いて出家し、かくして後の兼家一族による政治の掌握につながってしまう。

藤原忯子(ふじわらのよしこ)/生没:969~985
藤原為光の娘であり花山天皇に深く愛された女性。
帝より深い寵愛を受けた忯子は懐妊するが、寛和元年七月十八日に十七歳という若さで死去した。
これにショックを受けた帝は、僧の説教を聞いているうちに「出家して忯子の供養をしたい」と言い始めることとなり、それを兼家に利用されることとなる。
物静かで優しい性格であり、父である為光との間も良好で、とても父親想いの娘であった。そのため、その死は帝だけでなく、父である為光の心にすら影を落とし、それ以降為光は一切の政治的野心を失うこととなる。

懐仁親王(やすひとしんのう)=一条天皇/生没:980~1011
円融天皇の第一皇子にして、藤原兼家の孫。
兼家の陰謀によって花山天皇が早期退位すると、齢七歳という若さで一条天皇として即位することとなる。
無論、幼いゆえに摂政が立てられたが、当然のごとくそれは兼家本人であり、それ以降の兼家による政治支配の始まりとなってしまった。
 ――聞いたか? また……だそうだ――。
 またか? それは……なんとも解せぬ話だな――。
 やはり、この焔病……、兼家様と――。
 こら! 滅多なことを申すでない――。

 しかし――。

 藤原忯子がその若い命を散らしてから半月後、平安京の内裏内に妙な噂が広がり始めていた。
 それは『焔病を平安京に広めたのは兼家様ではないのか? そもそも藤原忯子様が亡くなったのも……』という話であり、どこから広がったものかは分からなかったが、急速に内裏に広がりすでに兼家本人の耳にすら届いていた。

(……どういうことだ?! 何が起こっておる?)

 その日も内裏を歩きながら兼家は唇を噛む。
 周囲の公卿たちが、自分を見て何やらヒソヒソ話す様を、憎々しげに睨みながらその間を黙って歩いてゆく。

(おかしい! 何かがおかしい!! ……藤原忯子の件は――、密かに誰にも気づかれぬように配慮したはず。気付いたとしても証拠もなく……、それで収まるはずであった)

 ――しかし、内裏内に広がる噂は、当の兼家を窮地に追い込み始めている。この噂が帝の耳にでも届いた場合、彼が帝からどのような扱いを受けることとなるか……。

(なぜじゃ――、なぜ?!)

 この噂は……実のところ、根も葉もないわけではなかった。なぜなら……、

「ああ……聞いたぞ? この間、兼家様に意見したあの方が焔病にかかったそうな」
「そうか――、またか。確か兼家様とは異なる意見を述べた、あの方もそうであったはず」
「……ここ最近、兼家様の周囲に焔病が起こり続けておる。それもだいたいが……」

 そう……、ここ半月の間に、兼家の周囲で焔病が立て続けに起こっていたのだ、それも反兼家派と目される貴族・公卿ばかりその犠牲となっていた。
 そして――、

「聞いた話では……、平安京で焔病が起こった場所も、兼家様がその前に訪問なされた場所ばかりであるという」
「それでは――、やはり焔病を広めているのは」

 そこまで来ると、根拠も証拠もないただの噂であったが、一度噂が広まり始めると、それを止めることは誰にもできない。
 噂はさらなる噂を呼び、不確かな情報が混乱を引き起こして、兼家に対する周囲の意見は急激に悪化していった。
 兼家は顔を青くしながら考える。

(マズイ……このままではマズイ――。藤原忯子の件は……。だがしかし、それ以外はまろが広めたものでは決してない)

 根も葉もない噂は広がり続け、そしてそれは一つの真実を世に暴き出そうとしている。

(このままでは藤原忯子の件が明るみに出ないまでも……、まろの策であるということが内裏に広まってしまう)

 兼家は困惑し、頭を抱えて顔を歪めていた。その苦悩が深いほど、暗闇の中からその姿を嘲笑う何者かの笑いは深くなった。
 その何者かは兼家の悩みを楽しむかのように、影からこっそりとその姿を見つめていた。

【兼家様――、もっと苦しんでください……】

 それは、その場にいる誰にも見えない、形状も形もない、ただ空気のように存在しているだけの存在であった。
 しかし、その存在は、兼家の魂を見透かすかのように深く、強く、そして冷たく兼家を見つめ続けていた――。

【あなたは――、自分が行った策謀で、自ら首を絞めてすべてを失うのです。それこそが……、あなたへの私の復讐――】

 ただ嘲笑う、それだけが怨霊・乾重延の満足であり、その表情からは悪意の深さが滲み出ていた。
 だからこそ――、彼はあえて兼家自身には焔病を感染させてはいない。焔病は兼家にとって致命的な疾患となって彼の命を奪うだろうが、それは乾重延にとっては楽しみを奪うものでしかない。
 兼家を中心に広まった根も葉もない噂は、その起源を追えば、兼家に対する強い恨みを抱く誰かが作り出したものであった。そして、その噂が広まることで、皮肉にも兼家自身の行動が、自身の首を絞める結果を生み出してしまった。
 兼家がこれまでに行ってきた行為が、結果的に自身の信用を失墜させ、逆に自分自身への攻撃となって返ってくる、そう――、まさしくそれこそが、怨霊・乾重延が望む結果だったのである。

【兼家様……、わたしはこの無限地獄であなたが来るのを待っております。早く……早く――】

 彼がそっと呟いた言葉は、兼家の耳に直接届くことなく、まるで霞のように静かに消えていった。
 しかし、その言葉に込められた強い意志は、兼家自身を内側から蝕んでいたのである。


◆◇◆


「やはりそうなのか?」
「――」

 道満は顔を歪めながらそう呟き、それを晴明が黙って見つめる。
 内裏の噂は当然のごとく蘆屋道満と安倍晴明の耳にも届いていた。

「やはり藤原忯子様を暗殺したのは兼家であり――、そして焔病自体も……」
「そう考えるのは早急ですよ」

 道満の言葉に晴明は反論する。

「証拠自体はありませんが、藤原忯子様の暗殺が兼家様の策だとしても、焔病まで彼の仕業だとすることはできません」
「しかし……、噂の通り、兼家が出向いた場所に焔病は広がっていて……」
「それ以外にも焔病は広がっています。決して兼家様の周囲だけではない」

 道満の考えに明確に反論する立場にあった晴明であったが、彼自身もまた一つの明確な結論に達しつつあった。

「おそらく藤原忯子様の件は……、兼家様によるものでしょう」
「師よ……」

 その晴明の言葉に目を見開いて驚く道満。

「証拠がない……証拠がないゆえに、真実を知る手段も、彼の罪を裁く手段もありませんが。だからとて彼とは無関係な罪まで、彼に被せるのは間違っています」
「……しかし――」
「道満……、彼を嫌う気持ちはわかりますが、彼にすべての罪を被せることは、真犯人の罪を他人にかぶせて、それを見逃すことに繋がります」
「……む、確かに」

 さすがの道満も考えを改める。
 確かに兼家には藤原忯子を暗殺した罪がありそれを裁く必要はあるが、それ以外の罪を犯した真犯人と混同することなどできない。

「……しかし、ならば、だ。焔病を広めている真犯人は……、拙僧(おれ)のような考えを内裏に広めるために行っている?」

 深く思考を巡らせた後、道満は自分の頭の中を整理して晴明に問いかける。その質問に対し、晴明は落ち着いて、しかし心からの笑顔で応えた。

「そうですね……、ここまで慎重に暗殺を行った兼家様が、まさか自分の首を絞めるような行動を取るとは思えません」
「嫌な信頼だが……、確かにそうだな。拙僧(おれ)は兼家の所業に目がくらんで、真実を見逃すところだったか……」
「ええ、このまま噂が広まって、帝様の耳に入れば最悪の事態になるのは必定。真犯人の望みはまさにそれでしょう」

 晴明は深く思考しながら話を続ける。

「考えてみてください。噂は噂でしかなく、論理的に考えれば兼家様の仕業ではないことは明白。でも……それまでの兼家様の所業、そしてそれで買った恨みの数々が、この状況を利用して兼家様を追い落とそうと動くはずです」
「証拠がない……証拠がないからこそ噂は広がり――、兼家の首を絞める……か、なんとも皮肉な話だな」
「さて……ならば、今真犯人は兼家様を追い落とすべく全力をかけている筈」

 その晴明の言葉に道満は深く頷く。

「ならば……兼家の周囲を探れば――真犯人はおのずと見つかる!」

 道満のその言葉に晴明も頷く。
 かくして、絶望が渦巻く平安京を救うべく道満と晴明は立ち上がる。その進む先にいるのは怨霊・乾重延であるが今の彼らはそれを知らない。
 しかし、進む先の見えぬ漆黒の闇の中で、彼らは確かに未来を切り開くための一歩を踏み出したのである。
 蘆屋道満と安倍晴明は、事態を引き起こしている元凶が藤原兼家の周囲に居ると考え、早速その周囲の探索を始めた。
 兼家の親族・関係者に始まり、兼家を支持する者・支持しない者に至るまで捜査対象として証言を集め、認識眼で異常を調べていったのである。
 そして、最後に二人は兼家本人の調査に進んでいく。彼を後回しにせざるおえなかったのは、普段、兼家公は重要な政務で忙しく、会う機会がなかったからからである。
 その兼家公と対話をしている晴明を尻目に、道満はその卓越した認識眼を兼家に向ける。

(……今までの者たちには薄い(けがれ)が見えるだけだが。コイツの身からはただならぬ穢が見えておる)

 人間は生きてゆく過程で多少の穢は身に浴びるものであり、それが理由で怪しいとなることはない。だが兼家の身にある穢は、あまりに深く濃いものである。

(人殺しならこの程度の穢は浴びるものだが……、兼家は直接手を下すような人間には思えぬ。ならば……)

 道満はさらにその認識深度をあげてゆく。
 それによって兼家の心の波すら見えるようになり……、そして、そこにある異常を道満は知覚したのである。

(……わずかに心の波がおかしい。これは精神への侵食――、異能の影響で心が普段とは違う動きをしている証……)

 そこまで見た道満は深く思考を始める。

(でもこれは催眠と言うほどでもない。普段の考え方をさらに大胆に……、理性のタガを外すようなカタチか?)

 道満はそこまで思考して……、今の兼家が何らかの異能の支配下にある事を理解した。

「道満……」

 兼家と会話を終えた晴明が道満に声をかける。道満は静かに頷いて兼家の元を去る晴明の後に続いた。
 兼家から離れた晴明は道満に向かって問う。

「どうでしたか?」
「うむ……拙僧(おれ)の見立てでは、兼家は何らかの精神侵食を受けておる」
「精神侵食……ですか。それ以外には――」

 その晴明の言葉に道満は頷いて答えた。

「兼家の周囲には怪しい影は見えぬ。てっきり何らかの妖魔か死霊辺りが取り憑いているのかとも思ったが」
「うむ……、確かに、私も同じ見立てです」

 その時、ふと道満が眉を歪めて考え込む。それを見て晴明は何事かと問うた。

「どうしましたか? 兼家様に何か?」
「いや……そちらではなく――。まさかと思うが……、兼家を精神侵食しておる輩は、こちらの動きを見て姿を隠しておるのでは……と」
「ふむ? それはどうしてそう思ったのです?」

 晴明の問に道満は答える。

「兼家の精神侵食は、呪詛のような遠距離で効果を発揮するモノではなく、近距離で発揮されるような一時的なもののように見えた。ならば、精神侵食を続けるならその輩は傍に居らねばならぬ。でも今は兼家の周りには怪しい者はおらぬ」
「遠距離からの呪詛ならば、確かにその呪詛の霊糸から仕掛けたモノを辿れるハズですし……確かにそのとおりですね」

 遠距離から仕掛ける呪詛というのは便利なぶん、その仕掛けた相手をたどるのは容易である。
 必ず呪詛を仕掛けた側と、仕掛ける側には霊的な繋がり”霊糸”が生まれるからである。無論、霊糸はそれを不可視に近くして発見し辛くすることも出来る……が、その程度で晴明や道満の眼をごまかせるほど甘くはないのである。
 何より、晴明と道満はその道では上位から数えた方が良い者であり、それをごまかすことが出来るのは、かの賀茂光栄ぐらいであった。

「そうですか……、ならばこれからやるべきは一つですね」
「ああ……、師よ、兼家の周辺に徹底的な捜査の手をいれるぞ」
「ええ……、兼家様を精神侵食している輩は、必ず彼の前に戻って来るでしょうからね」

 晴明の言葉に道満は深く頷く。そうして、二人が次に行うべき行動は決まったのである。


◆◇◆


「……ふう」

 今日も藤原兼家はため息を付く。
 夜も更けゆく平安京おいて、牛車に乗って屋敷へと向かう兼家。その表情は暗く少し青ざめてもいた。

「気分が落ち込むと……、何やらその身も重く感じるのう」

 誰ともなく呟く兼家の耳に、小さな羽音が聞こえてくる。

「む? ……鳥、か――」

 なんともなしに牛車の外を覗き、そしてそれがただの鳥だと見ると小さくため息をついた。

【……兼家様】

 その時、不意に兼家の背筋に寒いものが走る。
 最近、体調も悪く、気分が落ち込みつつある兼家は、さらに妙な視線すら感じるようになっていたのである。

「気のせい……きのせいじゃ。しかし、まさか……まさか、これまで追い落とした者たちの恨み……」

 そう言葉を発してから兼家は首をふる。

「今更それを恐れて何となる……、まろは平安京の頂点に」
【そうはいきませんよ兼家様……、あなたは自分の罪を背負って絶望に堕ちるのです】

 兼家の耳にはその声は聞こえない。しかし、背筋を走る悪寒、そして精神を蝕んでゆく呪詛として、彼を確かに追い込みつつあった。

 そうして屋敷を目指す兼家がある地点へとたどり着いた時、不意にその心を蝕んでいた何かが消える。

「?」

 何事かと周囲を見回すが、何もその眼に映ることはなかった。


◆◇◆


【……】

 黙って兼家を見送る怨霊・乾重延は、静かに空を舞う鳥を見た。

【なぜだ……、この結界を張ったのは、貴様か……】
「そうだとしたらどうする?」
【なぜ邪魔をする? 貴様の心にも我と同じ想いが有るのは判るぞ?】

 そう言って鳥を睨む怨霊の、その背後から蘆屋道満が現れる。怨霊は静かに振り返って道満に問うた。

【蘆屋道満……この我を追い詰めた憎き陰陽師。しかし、その兼家への考えは我と同じだと考えていたが……】
拙僧(おれ)を馬鹿にするなよ? 確かに兼家に思うところはあるが、それと貴様の所業は別の話だ」

 道満は怨霊を睨みつけながら懐へと手を指し入れる。

拙僧(おれ)は、兼家こそ平安京を蝕む者だと思っているが、それを正すのは平安京の者たちの役目だとも思っておる。少なくとも貴様のように呪詛を用いて排除を図るなど……、今は考える事はない」
【今は……か、正直だな蘆屋道満】
「そうだな……、兼家より、何より大切な者たちが拙僧(おれ)には居るのだ」

 その言葉に――、怨霊は怪しげに笑った。

【もしそれが失われれば?】
「――……、そのようなことはさせぬ」

 その瞬間、道満の纏う霊力が爆発する。
 夕闇に明星が輝く時、蘆屋道満は怨霊・乾重延と対峙する。闇は次第に二人を包み込み、そしてその輝く瞳だけが夜に映えていたのである。
 月光の下、ゆらゆらと焔の如き瘴気を周囲に放つ男がいる。
 それはかつて、愚かしい策を弄し、それ故に道満たちに阻まれ、自らの罪をその身で贖った愚か者である。
 しかし、その精神性故に道満達を逆恨みすること甚だしく、その身を怨霊に窶してこの平安京へと舞い戻った。
 その裏には、かの藤原満忠――、すなわち死怨院乱道の影があったが、それは道満たちはこの時点で知ることはなかった。

【あああ……、こうなればもはや全てはどうでもよいこと。このまま兼家が自らの責で死ぬさまを見たかったが】
「ふん……、今までは手加減していたとでも言うつもりか?」
【だとしたらどうする?】

 道満は慎重にその認識眼で乾重延を見つめる。
 かの怨霊の言葉が決してハッタリばかりでないことは、彼にははっきりと理解できた。

(――しかし、おかしい。何だ? コイツの身に感じる違和感は……)

 道満はその怨霊の霊質に妙な違和感を覚えていた。
 そもそも、目前の乾重延から、怨霊独特の狂気をそれほど感じなかったからである。

(怨霊というのは、一つの感情を死を超えるほどの強さで得たゆえに生まれる存在――、この男のような半ば理性的な言動を行えるのは明らかにおかしい)

 ――そう、実はそれこそが死怨院乱道によって生み出された、人造怨霊ゆえの特性であったが、このときの道満はその事情を気づくことはない。

【はははは……、我はもはやそのために行動する以外に道はない。そう――、このような浅ましい姿になったからには】

 乾重延はかつてを思い出す。
 自らがこのような姿に成り果てた……、その時の全てを。

【ああ……乱道法師――】


◆◇◆


 それは、もはや彼自身覚えてはいないかつてのあの日、乾重延は”あの男”と偶然出会った。
 無論、それは彼だけが偶然だと考えているだけで、その”男”にとっては必然でしかなかったが――。

「乾重延……様ですね?」
「む……お主は、どこかで?」
「いえいえ……、私はただの旅の僧。乱道法師……そうお呼びだされ」

 その男――、乱道法師は、そこそこ若く見える男であり、そのニヤケ顔にはなにか含みが見えたが、それでもその時の上手な口車に乾重延は乗ってしまったのである。

「なるほど……、そのような事で平安京を追われて……、それはお労しい」
「く……、あの安倍晴明も、蘆屋道満とかいう若造も――、私をいざと言うと切り捨てた兼家も、どうにかして恨みを晴らせぬものか
「くくく……それは好都合でございます」

 そう言って乱道法師は笑う。

「わが秘術にあなたの恨みを晴らせる絶好の術がございます。私の策に乗ってみる気はありますか?」

 その時、もはや全てがどうでも良くなっていた乾重延には、乱道法師の言葉が好ましいものに聞こえたのである。
 そうして乾重延は、そのどこの誰とも分からぬ男の策に乗ってしまう。その先にどのような末路がるのかも知らず。


 その”少女”は砂和の地の名もなき村で生まれ育った。少女は一見普通に見えたが、彼女は生まれつきある能力を持っていた。
 それは火をともすこと。彼女の両親は、彼女のことを神がくださった神の子だと考えた。
 しかし――、

 ある日、少女は能力のことで、近所の子供たちにいじめられたことがあった。その時つい使ってしまったのだ、火をつける能力を。
 それ以来、近所の子供はかりんのことを化け物と呼んで近づかなくなった。
 両親は彼女のことをあからさまに疎むようになった。
 そうして、少女は独りぼっちになった。

「おい! ……だ! ……が来たぞ!」
「げ……ほんとだ。逃げようぜ、燃やされるぞ」
「……まって! 私そんなことしないよ? 一緒に遊んでよ」
「やーだね! お前と遊ぶなってかーちゃんに言われてるからな!」
「逃げろ逃げろ! 化け物が来たぞ!!」
「私、化け物じゃないよ……。なんで……」

 少女はその場にうずくまって涙を流す。それが、少女の日常だった。
 そんな彼女を家の影から覗く者たちがいた。

「法師殿……本当にあの娘がそうなのですか?」
「ええ、間違いないですよ。彼女がいれば例の術は完成いたします」
「そうですか。ならば話は早い……」

 二人の影のうち一人が少女に近づいていって話しかけた。

「君は……という名なのかね?」
「え?」

 少女は突然話しかけられて驚いていた。
 この村には、わざわざ少女と話をしようなどと思うものはいなかったからである。

「おじさんはだれ?」

 少女はおずおずとそう答える。その男は努めて優し気に微笑むと言った。

「ああ、私は乾重延。君の事を助けに来たんだよ」

 「君を助けに来た」男は確かにそう言った。少女はなんのことだかよくわからなかった。

「君……。他の人にはない能力を持っているね?」
「あ……」

 少女は顔をひきつらせた。その能力は自分にとって忌むべきものだったからである。

「ああ……そんな顔をしなくてもいい。私は実は陰陽師でね」
「おんみょうじ?」

 少女は陰陽師を知らなかった。慌てて、男は言い変える。

「ようするに……と同じ力を持つ仲間なのだよ」
「仲間?」

 少女は驚いた。仲間などと呼ばれたのは初めてだった。

「もし、その能力で困っているなら。私が何とかしよう」

 少女は自分のこの忌むべき能力を何とかできるならしたかった。だから、すぐに答えてしまった。

「おじさん! 私の能力を消してください!」
「ああ、そうかい? わかった。ではついておいで」

 男は少女の手をつかむと村はずれに向かって歩き出す。

「おじさん。本当に力を消してくれるの?」

 少女はもう一度男に聞いてみた。男は答える。

「ああ、任せてくれ大丈夫だよ」

 男は彼女の手をつかんだまま速足で歩いていく。
 彼女はそれに一所懸命ついていった。すると――、

「連れてきたようですね重延殿……」

 家の影から知らない男が現れた。

「おお、法師殿、早速儀式をとり行ってくれ」
「はい、それでは準備に入りましょうか」

 少女はその男から妙な気配を感じた。だから、重延に聞いてみた。

「あの、その人は?」
「この方は、君の能力を消してくれるありがたいお方だ」

 重延はそう言ってにやりと笑う。嫌な予感がした。

「やっぱり私帰ります」

 少女はそう言って男たちから離れようとした。しかし、重延は彼女を握った手を離さない。
 重延はいやらしい顔で笑った。

「……ダメだよ? もう遅い」

 突然重延が彼女を担ぎ上げる。少女は悲鳴を上げようとした。しかし――、

「急々如律令」

 その言葉が聞こえたかと思うと。突然少女の意識が遠のいた。

「お父さん……お母さん……」

 それが、そのとき少女が発した最後の言葉になった。
 こうして少女は村から姿を消した。そして二度と戻ってくることはなかった。


 それから行われた儀式は、もはや語る口を持たぬほど残酷極まりないものであった。
 その少女は、生きたまま全身を刻まれ――、術によって意識を失うことも、死ぬことすらも許されず、絶望的な苦しみを受け続けたのである。
 その光景は、悪辣な乾重延すら吐き気を催すほどであり、その儀式の果てにその少女はその身に濃縮された絶望を宿すに至り、そして――-、

「ナウマクサンマンダボダナンアギャナテイソワカ――」

 乱道法師は儀式の最後に、乾重延の胸に刃を突き立てる。

「が――?!」

 重延は突然のことに言葉もなく倒れた。

「フフフ……これで、儀式は完了です」
「法師……様、なぜ……」
「そういえば言っていませんでしたか? この儀式にはあなたの命も必要なのですよ……」
「が……は……」
「よかったではないですか。これであなたは、その身を怨霊と化して、憎き相手を祟り殺すことができますよ」
「法師……騙した……な」
「何も騙していませんよ? 初めから、私にとってあなたも『実験』の材料だっただけです」
「ら……乱道……ほぅ……し」

 少女と重延、両者の体から光が立ち上り一つになっていく。

【ああああああああああああああ!!】
【アアアアアアアアアアアアアアア!!】

 その時になってやっと少女は死ぬことが出来た。


◆◇◆


【ああ……、苦しい――、憎らしい】

 その虚ろな瞳を道満に向ける乾重延。その身に宿る焔は、その魂の奥に縛り付けられている少女の炎である。

【うらめしい……、生者共よ――、我が炎で焼き尽くす。全てを灰に変えてくれよう】

 道満はその声を聞いて鼻で笑う。

「てめえで罪を犯して平安京から追放されただけのことで、何をそんなに恨むか愚か者が。そう言うのを自業自得っていうのだ」
【蘆屋道満――、許さぬ! 貴様も我が呪いを受けよ】
「は――」

 その瞬間、乾重延の言葉を聞いた道満はニヤリと笑った。その笑顔を不審な様子で見る乾重延。

「今の俺には貴様の焔病は効かんよ」
【なに?!】
「愚か者が――、この結界を誰が張っているのか、その足りない頭で理解するんだな」
【あ……】

 道満の言葉で全てを理解した乾重延は周囲を見回した。
 そして、その眼で周囲に漂う二つの神気を見たのである。

拙僧(おれ)の師、安倍晴明の十二天将――、貴人、そして玄武……、お前の焔病はもはや無に帰した。さあ尋常に勝負と行こうぜ」
【……く】

 懐から呪符を数枚取り出す道満に、乾重延は憎々しげな目を向けた。

「てめえがどんなに苦しんでその姿になったかはしらねえ。だが――、都の罪なき人々の平穏を脅かす貴様を許しはしない」
【おのれ……晴明……、おのれ……道満】

 乾重延はその身にまとう瘴気を全力で解き放つ。それをまともに受けても道満は平然として笑う。

「急々如律令!!」

 道満のその叫びとともに無数の呪符が宙を舞う。
 かくして、月下の平安京に怨霊と陰陽師の一騎打ちが始まる。

 ――果たしてその勝者は?
 平安京の市街地――、月灯りに照らされながら、無数の呪符が空を舞う。
 それは蘆屋道満の周囲を一周すると、目前にあって瘴気を撒き散らす怨霊へと飛翔したのである。

「ナウマクサンマンダボダナンバルナヤソワカ――、水天の御業……、雨竜の嘆き――、轟々たる水流をもって伏陣と成れ!」

 その瞬間、無数の呪符が無数の水滴へと姿を変える。それは次第に集合し巨大な水流へと姿を変えた。
 水流はそのまま怨霊の周囲を囲み、そのまますべてを飲み込もうとした。

【下らぬ……】

 そう呟いた怨霊は、しかし水流に飲み込まれて姿を消す。それを道満は静かに見守った。
 ――と、その時……、

 ドン!!

 渦巻く水流が弾け飛び蒸発する。もうもうと水蒸気が立ち上り、その場を完全に白く塗り替えてしまった。
 だが蘆屋道満は慌てる様子もなく、水蒸気の向こうを睨みつけている。不意にその背後から声が聞こえてきた。

【ふふふ……、愚かな……、わざわざ自分で視界を狭めるとは】
「ち……、あの程度の水陣は効かんか」
【そもそも我が怨嗟の炎を、たかだか水程度でどうにかしようというのが無駄な話よ。アレからしばらく経って、我も理解したぞ?】

 その怨霊の言葉に首を傾げて道満は問う。

「何を理解したと?」
【水は火を制する。五行相剋とか言うのもので――な。だが我が持つ怨嗟の炎は並の水では制することが出来ぬ。それを……相侮(そうぶ)そう呼ぶのであろう?】

 その言葉を聞いた道満は、一瞬驚いた表情をしたあと――、

「くく……はははははは!!」

 大きな声で笑い始めたのである。それを見て怨霊は顔をしかめて問う。

【貴様……何を笑う?】
「は――、生兵法は大怪我の元……、その言葉を貴様に送ってやるぞ?」
【何を言う――、事実貴様は……】

 その瞬間、炎の弾丸が怨霊の声のする方角とは、まったく別の方角から飛んできた。
 その接近に気付いた道満は、そのまま地面に転がってそれを避ける。

【――かか、避けたか】
「不意打ちかよ……卑怯者が」
【殺し合いに卑怯も何もあるまい?】

 その怨霊の言葉に、一瞬笑って道満は答えた。

「まあ……そうだな」

 道満がなんとか立ち上がって体勢整えたその時、今度は周囲の三方向から火炎弾が飛翔してきた。

「ち……」

 道満は軽くステップを踏んで、その場で火炎弾を避けてゆく。そうしてから悪態をついた。

「どういうことだ?! 貴様……そうも早く周囲を移動できるのか?」
【だとしたらどうする?】

 そう言葉をかわす瞬間にも、周囲の三方向からさらに火炎弾が飛来する。

「くそ……、何がどうなってる? ――水蒸気で周りが見えん」

 その言葉に怨霊は声を上げて笑った。

【はははは!! これは貴様がやたんだろうに! なんと愚かな……】
「む……、たしかにそうだが。もうそろそろ水蒸気が消えてもいい頃合いだろう?」

 その言葉に怨霊が再び笑う。

【は……しらんな。少なくとも我は知ったことではない。こちらに有利である以上このままでも構わんくらいだ】
「ち……、初手水陣は失敗したか――」

 そう言って苦しげに呻く道満の耳に怨霊の嘲笑が響く。

【ははは……、このまま怨嗟の炎に巻かれろ――。お前が不用意に作ったこの状況で……、愚かな自分を呪って灰となるがいい】

 水蒸気の向こう、三方向に黄色い光が見える。それは渦巻く炎の軌跡にほかならず……、

「なるほど――、貴様は分身体を生み出せるのか。だから違う方向から同時に攻撃できた」

 その道満の言葉に怨霊は嘲笑で答えた。

【そのとおりだが――、もはや遅い。我が最大の炎をもって貴様を――、この平安京を焼き尽くそう】

 その三つの輝きが際限なく巨大になってゆく。それにつれて道満が感じる瘴気も巨大になっていった。

「最大の火炎中でここら一体を焼き尽くすつもりか!!」
【ははははは!! その通り! 我が”火怨躙(かえんりん)”によって、ここら一体――、全ての屋敷が炎に巻かれ、灰となるのだ!!】
「ち……」

 蘆屋道満は苦しげな表情を浮かべてその指を剣印にする。

【無駄だ……、さっきの水陣で、我が怨嗟の炎には、貴様では対抗できぬことが理解できていよう?】

 その怨霊の嘲笑に答えず、呪文を唱え始める道満。

「ナウマクサンマンダボダナンバルナヤソワカ――、水天の御業……、雨竜の嘆き――、轟々たる水流をもって伏陣と成れ」

 それは先程と同じ呪文――、それを聞いて怨霊は今度こそ、道満を大きな笑いで嘲笑した。

【愚か――、なんと愚か……、お前のような愚か者に、かつては負けたかと思うと、情けなくなってくるぞ!】
「……」

 道満はその嘲笑に答えない。

【まあいい……、受けるがいい、わが火怨躙(かえんりん)――、我が憎悪の全てを!!】

 ドン!!

 紅蓮炎が天高く吹き上がり、平安京の市街地を朱色に染め上げる。その炎の熱量が空気に流れを生み出して、周囲の水蒸気を打ち払っていった。

【燃えろ!! 全て灰と化せ平安京!! 我が怨嗟を……】

 ――と、不意に怨霊が言葉を止める。その瞳が驚愕に見開かれていた。

「うむ……ご苦労――。静葉」
「はい……、お安い御用です道満様」

 水蒸気が完全に消え去り、その向こうに蘆屋道満の笑い顔が見える。
 怨霊は道満を中心に、三方向から取り囲むように本体と分身体二人を配置していたが――、それをさらに囲むように、輝く方陣が敷かれていたのである。

【これは……、安倍晴明?! いや奴の気配は全く感じなかった】
「まあ……師は現在進行系で結界を張り続けてるから、このような方陣を作る暇はないさ」
【では……貴様――】

 蘆屋道満は笑って答える。

「そもそも、貴様がどのような力を持つのかは、ある程度予想はできても直接見なければわからない。そして、その瘴気の強さからこちらの呪が効かぬ可能性ももちろんわかっていた」

 道満のその言葉に目を見開く怨霊。

「だからこそ拙僧(おれ)はお前と直接相対し――、あとは時間稼ぎ……だな」
【あ……】

 その時やっと理解する。あのなぜか消えなかった水蒸気の雲、それを維持していたのは蘆屋道満本人であったのだ。

【ということは……】
「全てははじめから――、この方陣を敷くための演技だ」

 それを聞いて怨霊は悔しげに顔を歪める。

【だがしかし……、我を――、我が炎を貴様の水陣では越えられぬのは同じはず】
「は……、だから生兵法は大怪我の元だと言うのだ。その程度のことを本職の陰陽師である拙僧(おれ)が知らぬと思うのか?」

 不意にポツリと道満の頬に水滴が堕ちる。それは――、

【あ……雨?!】

 その怨霊の呟きに道満はニヤリと笑った。

「これぞ”雨竜の涙”よ」
【!!】

 その瞬間、その場所に特殊地形効果が発現する。水滴が周囲に渦巻いて、そして、その大量の水に反応するように、怨霊の身を包む炎が小さくなっていった。

【あああ!! 我が火怨躙が……】

 その呻きを聞きつつ道満は小さく呟く。

「雨竜水旺陣完成……。もはやこの陣がある限り、この土地では火行の気はすべからく”死気”となりその力は立ち消える」

 それはその土地内での炎の術を禁止する絶対の方陣。

「たかが怨霊が……拙僧(おれ)に勝てると本気で思っていたのか?」
【ぐ……】

 道満の言葉に怨霊は悔しげな顔を作る。

「さあ……貴様のその罪をその雨で洗うがいい――乾重延」

 その言葉に反応するように、周囲に立っていた怨霊の分身体が消える。残るは本体ただ一つ。

【おのれ――、おのれ!!】

 怨霊は叫びながら道満へと走る……が、

 ズドン!!

 その道満の高速の拳が一閃されて、その怨霊は動きを止めたのである。

「このまま貴様を野放しにはできん。悪いが……消えろ」

 その瞬間、輝く二対の腕が道満の周囲に現れる。そして――、

【あ……】

 流星のような軌跡を描いて、無数の光拳が空を奔ったのである。
 そして、それが怨霊・乾重延の、”その時見た”最後の景色となった。
 平安京の外れ、広葉樹が生い茂る林にて玄狐・雅辰はひとり佇んでいた。

「ふむ――、あの怨霊……あっさり負けてしもようじゃな。まあ――、これもまたわしの見た未来への伏線であろうが」

 雅辰がそう呟きながら平安京の方に手を差し伸べると、その手のひらに上に小さな炎が生まれた。

「ふふ……、まさに風前の灯――、もはやこのまま滅びるが定めか? 怨霊よ――」
【お……のれ……、どう……まん】
「かか――、今更呪っても無駄であろうな。そもそも宿命のあるかの男と違って、お前にはなにもない――」

 雅辰は全てを理解していたかのように笑う。

「わしは――、本当は宿命に逆らって平安京を滅ぼすつもりであった。それがどのような破滅の未来をもたらすのか――、それすらどうでもよかったのだ」

 そこまで言うと雅辰は目を瞑って思い出す。

「しかし――、わしは見てしまった。訓子(さとこ)が望んだ世界……、妖魔も人間も争わず共に暮らす国。かつてのわしですら有りえぬと考えていた国」

 雅辰は小さく笑って目を開く。

「宿命の人間――、蘆屋道満。お前はこれからも苦しみ絶望するであろう……。その果てに愛するものとすら決別することになる。しかし――、しかし……だ」

 ――それら全ては、来たるべき未来への試練なれば……。

「さあ――進むいがよい蘆屋道満、おのれの心を信じて進むがよい。その先にわしはあって、その時こそ再び相対するとしよう。この国が未来へ進む価値があるのか? それとも滅びるべきなのか? その未来をわしらの相対で決めるとしようぞ」

 ――それまでにわしの足元まで追いついてくるがよい――。

 雅辰は笑いながら天を仰ぐ。その先に来たるべき運命の戦いが確かに見えていた。
 雅辰は滅びを望む――、それが正しい未来を壊す行いであろうとも。大切なものを失った心が滅びを望んでいるのだ。しかし、その大切なものが望んでいた未来の片鱗を彼は見てしまった。
 だからこそ――、彼はあえて相対を望む。彼の憎悪の炎は消えず――、今も心のなかに燃え続けている。――彼は未来なき滅びを望んでいる。
 でももし――、彼が見た未来の片鱗を蘆屋道満が実現できるのなら?
 今はまだかの者を信頼することは出来ない。自身を乗り越えられるほどの意志を示さなければ信じることが出来ない。
 ――だから雅辰は蘆屋道満との相対を望む。

 こうして、未来をかけた最後の戦い――、その宿命がここに決定づけられたのである。


 ふと雅辰は手のひらの炎を見る。

「――ふむ? 貴様……、どうやらおかしな呪をかけられているようだな? これは――」

 崩壊しかけている怨霊の命の炎を手にしたことによって、雅辰はその怨霊の秘密を知ることが出来ていた。

「なんと――、貴様……、他の虚ろな魂を取り込んでおるのか? これは……なんと哀れな」

 怨霊に取り込まれている小さな魂を感じてそれを悲しげな表情で見つめる雅辰。

「うむ……開放してやるか? このままではこの愚か者と心中するだけであるからな」

 しかし、その小さな魂に触れた瞬間、雅辰は一つの未来の片鱗を見る。

「――ふ、ははは……、なるほど。これもまた宿命か――。ならばよい、わしが力を与えてこの怨霊ごと残してやろう。再び活動するには時間が必要になるが」

 雅辰は意思を込めてその手のひらの炎に妖力を送り込む。炎は力を取り戻して空へと舞い上がった。

「さあ――、貴様が元いた場所へと帰るがいい。もしかの男がわしの試練を乗り越えられたら、おそらくその子孫がお前を封じに来るであろう。その先にお前が進むべき未来がある――」

 怨霊の炎は遥か西へと飛び去る。
 それを雅辰は――、”幼子を慈しむような優しげな表情”で見送ったのである。


◆◇◆


 永観二年――、円融天皇が花山天皇に譲位したことで【藤原義懐】が外叔父として補佐、花山天皇の乳母子で信頼が厚かった【藤原惟成】とともに権勢を奮うようになっていた。
 彼らはその権威を持って様々な政策を打ち出すが、他の【藤原頼忠】【藤原兼家】らとの確執を招き、政治そのものが停滞するようになっていた。
 しかし、寛和元年七月十八日――、寵愛していた【藤原忯子】を亡くした花山天皇は供養すべく出家を望むようになる。
 そこに陰謀をめぐらせたのが、早く次女・詮子が生んだ懐仁親王を皇位につけたい【藤原兼家】であった。
 本来は一時の気持ちであった出家を、息子らを使って本当に出家する気になるように仕向けさせた兼家は、翌年六月二十三日にその出家を実行に移すに至る。
 ――そして、兼家の全ての陰謀は成り、花山天皇は出家するにいたり――、懐仁親王の即位が決まってしまったのである。
 そして、花山天皇の補佐役だった藤原義懐は、翌朝に元慶寺に駆け付けるが、出家した天皇の姿を見て自らも出家。藤原惟成も花山天皇に従って出家。かくして兼家の政敵はことごとく消えることになる。

 全てはまさに【藤原兼家】の望み通り――、その日から兼家とその息子たちの全盛の時代が始まることとなる。
 この事件の事を、後の書では【寛和の変(かんなのへん)】と称することになる。


 ――結局、兼家の裏の陰謀は表に出ることはなかった。
 藤原忯子の死の真相も何もかもが、兼家が手に入れた巨大な権力の前に”存在しないもの”とみなされ、それはこれ以降も平安京の闇を生み出す原因となるのである。
 果たして、それを見た蘆屋道満はどのように思ったのであろうか?

 その結果は――、遙か未来に明かされることになる。
「夜、天下に大風。皇居の門・高楼・寝殿・回廊及び諸々の役所、建物、塀、庶民の住宅、神社仏閣まで皆倒れて一軒も立つもの無く、木は抜け山は禿ぐ。又洪水高潮有り、畿内の海岸・河岸・人・畑・家畜・田この為皆没し、死亡損害、天下の大災、古今にならぶる無し、云々」

 永祚元年八月十三日――、平安京をはじめ、畿内一円をかつてないほどの暴風雨が襲った。
 奈良、東大寺の南大門が倒壊したのをはじめ薬師寺金堂など著名な社寺の建物の倒壊が相次ぎ、比叡山東塔の大鐘が南側の谷に吹き飛ばされた。都でも、内裏、大内裏の官舎や大門の多くが倒壊、賀茂上下二社をはじめ石清水、祇園天神堂などの大建築物が倒壊し、同時代の歷史書「日本記略」には“左右京人家。転倒破壊。不可勝計”とある。また大風だけでなく、“洪水高潮。畿内海浜河辺民烟。人畜田畝。為之皆没。死亡損害。天下大災、古今無比”という大災害となったと記録されている。
 ――これこそ後に「永祚の風」と呼ばれる当時最大級の台風災害であった。

※ 参考・出典元:防災情報新聞/防災情報機構 NPO法人


◆◇◆


 ――絶望が広がる……、絶望が広がる。
 家屋は倒壊し、人々は嘆き――、そして理不尽な死が広がってゆく。
 ――ああ、行き場のない絶望……、怒りや悲しみがそこにある。我はソレを喰らい力を得る――。

 ――我は人の心を力へと変えるもの……、その嘆きが多いほど、その絶望が多いほど、我の目には目指すものへの道がはっきりと見えてくる。

「乱道よ――、我の意志を喰らうがヨい……、ソレでお前の未来は決マる――。後はヒトの絶望を喰らイ……、悲しミを喰らい――、永遠の生命を得るがヨい」

 我は――今こそ、新たな神としての力を得る。永遠の生命を得てその果てに我は――……、

 ”カミの真実をこの手にする――”


 ――死怨院呪殺道……、それが目指す悲願――。
 その研究は、初め呪法の類を極めるものが、知恵ある生命に限られることに疑問を抱いたことに発する。
 高い知性を持たない魔なる者の中にも強大な異能を持つ者はいるが、それはあくまで腕を持つがゆえに腕を振るえる、程度の意味でしかない。
 腕を持たないものが、腕を生み出す技術を生み出し、腕を扱えるようになる──、それこそが呪法──。
 そうするのには、どうしてもある程度の知性を必要とした。

 そんなこと当たり前ではないか?
 たいていの者はそう言うが、彼らは疑問に思ってその疑問を捨てることはなかった。
 そして、そのうちに一つの仮説をその心に抱く。

「知恵ある生命とそれ以外を隔てる壁──、それは、強い自我(エゴ)──」

 いわゆる動物などの生命は、知恵ある生命に比べ『怨霊』となる可能性が低い。その理由こそ、知的生命が持つ強すぎる自我(エゴ)にあると彼らは仮説を立てた。
 そしてその通り、人間の自我(エゴ)は、多くの強い感情の原因となり、その感情の爆発が『怨念』──そして『怨霊』の生まれる根源となっている。
 それは、時に他の生命すらも『怨念』に引きずり込むのだ。

 彼らは人の心の研究を進めた。そして、その人としての生涯でですら解明できない命題に取り組むために、自らの寿命を無限に延ばすことを考えた。
 それこそが――、今から始めようとしている儀式。多くの悲劇と絶望をもって、その心を回収し自身の魂を組み替える大呪法。
 これは乱道にとって果てなき探求の旅路の始まりに過ぎない。その果てにこそ彼らの得るべき叡智はあるのだ。

 ――乱道がこれより行う探求……。
 結局、呪法とは、知恵ある生命がココロにい抱く空想──、それを世界に浸透させ、自由に自然を組み替える技術ではないのか?
 ならば、その呪法を司るカミもまた、空想が生み出したもの──、ヒトのココロより出でたものではないのか?

 ――カミの存在証明――。

 彼らにとって、カミの真実の前では、人など実験動物でしかない。

「さあ――、絶望をもって我の糧となるがいい」

 死怨院乱道は闇に一人佇み嘲笑する。それが見るのは平安京――、今は絶望と嘆きが渦巻き溶け合う溶鉱炉。
 暴風がうずまき――、大粒の雨が顔を打つ。その中にあって、乱道の瞳だけが強く輝き――、そしてその笑いは突風に溶けていったのである。


◆◇◆


「酷いものだ――」

 翌朝、蘆屋道満は苦しげな表情で平安京の町中に立っていた。
 昨晩は多くの人の救助に駆り出されて、彼自身一睡もしていない状態であった。それでも彼は休まずに町を見て回っている。
 多くの家屋が倒壊し――、今まさにその下にあって助けを望むものがいるからである。

(……そういえば、師は妙なことを言っていたな)

 道満は町を歩きつつ、先ほど師である安倍晴明の言葉を思い出す。

【今回の大風――、風の中に濃い瘴気……呪詛を感じました】

 それが事実なら――、何処かの何者かがこの未曾有の大災害を生み出した……。この「永祚の風」は誰かによって生み出された悪意あるものだということであり――。

(師やかの賀茂光栄は――、今陰陽寮に籠もってその調査にあたっている。果たしてその先にどのような事実があるのか……)

 蘆屋道満は、その先に何やら嫌な予感を感じずにはいられなかった。
 これから――、この大災害を越える何かが起こりそうな……、そんな予感を感じていたのである。
 蘆屋道満は、その未来予知に関しては師を超えるほどの力を得つつある。それが――未来に起こり得るナニカを的確に感じ取っていた。

「――道満様!」

 不意に誰かから声がかけられ、道満は声のした方に振り返った。そこに妹弟子の梨花がいた。

「どうした? 梨花――、お前は師の助手として内裏に出向いていたはず……」
「その師様からの伝言でございます!」
「? なんだ?」

 その青ざめた表情に道満は何かを察する。

「先ほど――、師様と賀茂光栄様の行った占術で……」

 そこから先は――、蘆屋道満にとっても驚愕すべき事実が語られた。

「――平安京に……、再び昨晩と同じ規模の大風が迫っております……、それが直撃すれば――」

 その言葉を聞いて道満もまた顔を青ざめさせる。

「復興ままならぬこの状況で――再び?! そうなれば平安京は……」

 ――平安京は”死の街”と化す――。

 その事実は――平安京にさらなる混乱と絶望……、そして”憎悪”を呼ぶきっかけになるのである。

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