大江山より帰還した道満が、晴明宅に戻るとその一室で晴明が一人思案していた。

「師よ――大江山の茨木童子は……長らく幽閉され、殺人を実行できる状態ではなかったようだ」
「ふむ――なるほど、やはりそうですか……。とりあえずはそちらの線はこれで完全に消えましたね」
「それで? そちらは――、光栄と話をしてきたのか?」
「――」

 黙って頷く晴明に、道満は何やら不審な影を見る。道満は疑問を口にした。

「師よ――何を考えている? やはり今回の事は光栄が――」
「いいえ――それはありませんでした」
「ふむ?」

 晴明は道満の方を振り返って話す。

「彼は――今回の件とは無関係であるようです。――そもそも彼が私を追い落とそうと策を巡らせるなら……このような雑で早急な方法はとらないでしょう」
「――そうか」

 晴明の言に頷く道満であったが――、

「ならばこの事件の首謀者は――、再び闇の中か?」
「――いえ、一人気になる人物がいます」
「ふん? それは?」
「――乾重延」

 その名を聞いて――道満は思い当たる節もなく、困惑の表情を造った。

「それは――初耳だが、一体――」
「最近、従三位に叙せられた人物です――、かの藤原兼家公の強い推挙によって――ね」
「従三位とは――かなりの地位だな……、その乾重延とやらがどのように気になるのだ?」
「――光栄殿は、彼に……私の事をしつこく聞かれたようでして――、さらには……」

 その次の言葉に道満は驚きの表情をつくる。

「――私の事を……気にいらぬと――、そう言って光栄殿に取り入ろうとした――と」
「そのような者が、なぜ師をそのように思う?」

 その道満の疑問に晴明は頷いて答えた。

「――それは、そのような身分であるから――かもしれません」
「ほう――」

 なるほど――、そう道満は納得を得る。急速に力と地位を得た者なら、当然裏で何やら策謀――政争を行い……、それによって後ろめたいこともしているだろう。

「あるいは――師に、策を潰されたことがあると?」
「まあ――聞いた話、相当強引な事もなさる気性であるようで――、そうなのでしょうね」
「ならばどうする? 妖しいと思うなら、直接話をつけにいくか?」
「いいえ――、たとえ事件の首謀者が彼であったとしても明確な証拠がありません。下手なことをすれば、こちらが一巻の終わりとなるでしょう」

 そう呟く晴明を見て、道満もまた悩み始める。

(――仮に、その乾重延が黒幕であったとして、占術を使えばある程度の証拠もつかめよう――、でも、あくまでもそれは拙僧(おれ)たちが一方的に出すもの。下手に追及されれば奴にとっては思うつぼとなる――か)

 その通り――、晴明や自分が提示する証拠では、いざこちらの不備を突かれたときに返す言葉がなくなる。乾重延を追い落とすために証拠を捏造したなどと言われる可能性もあろう。
 それでは駄目なのだ――。

 二人がどうしたものかと思案していると。晴明宅の門前に何やら人の気配がした。

「晴明様!!」
「うん? 誰ですかな?」
「私です――、源頼光でございます」

 ほう――、と晴明は答えて立ち上がる。その来訪者は――、晴明たちに一つの光をもたらす事となる。


◆◇◆


「なるほど――それが……”これ”ですか?」
「ええ、その通りです」

 つい先の夜更けに、とある貴族が殺害されかけるという話があった。その手口は間違いなく連続吸血殺人と同じものであり、それを寸でのところで阻止したのは――。

「ほんの偶然――その屋敷の前を通った”金太郎”が、家人の悲鳴を聞きつけて助けに入ったのです」
「ああ――あの……」

 二年ほど前から源頼光の下で働いている使用人に、そのような名の者がいたと晴明は記憶していた。

「――で、それを撃退した折、逃走する人影から符術による攻撃を受けたらしく――」
「それは――、その人は無事なので?」
「はい――、やたら頑丈な奴ですから……。で――、その符の破片を金太郎が持ち帰ったのです」

 源頼光が、大事そうに布に包んだ”それ”を示す。

「これは――、在野の術師の扱う符で間違いないですね」
「やはり――」
「――どうも、かの連続吸血殺人は、在野の術師が”実行犯”であったようですね」

 晴明の言葉に、近くで見守る道満もまた頷く。

「これがあれば――、その術師の社を特定し――追い詰めることも可能……」

 それは全くの朗報である。実行犯を捕らえることが出来れば――あとは首謀者への道は容易に開くであろう。

「すぐに出立しましょう――、下手をすればこちらの動きに気づかれ……証拠隠滅を図る恐れも――」
「そうですね――、すぐに検非違使も呼びましょう」

 道摩と晴明――そして頼光は、ともに頷くと屋敷を急いで出る。それが目指すは実行犯である術師の社。

(――でも、もし私なら……、このような事態になったら――やはり)

 晴明は心の中でそう思考する。そう考える晴明の懸念は明確な形となって目前に現れることとなる。


◆◇◆


「ま――まて――」

 都のはずれの廃屋に一人の男がうろたえた様子で後退る。それに相対するは顔を布で隠した貴族風の男。

「――こうなったからには……仕方がないだろう?」
「いや――、だからと言って俺の所まで奴らがこれるとは――」
「奴は――腐っても陰陽師であるぞ?」

 貴族風の男は黙って腰の刀を抜く。それを見た男は、顔を歪ませて――、懐に手を入れた。

「この――」
「無駄だ……」

 男が符を取り出す前に、その腕が宙を舞う。それは、あまりに鋭い刀筋――。

「フン――、私に在野の術師風情が勝てると?」
「ああ――命だけは……」
「は――」

 貴族風の男は一息笑って――、その刃を振り下ろした。
 かくして――、連続吸血殺人の実行犯である男は――その生を終える。

「ふふ――、少々困ったことになったが――これで……」

 自分へつながる明確な証拠は失われた――。刃の血を拭きながらその男は闇に笑う。
 空にのぼり始めた月だけが――、その嘲笑を聞いていた。