「天音、これ」
先月までと変わらず僕の部屋に入り浸っている天音に、手に持っていたものを差し出した。
「あれ、向日葵がガーベラに化けてる」
「向日葵はそこに飾ってあるじゃん。これは此間のお返し」
「よく保ってるね。数も揃えたんだ」
「うーん、うん、まぁ、なんとなく」
「はっきりしないなぁ。でも、ありがとう」
はにかみながらも嬉しそうに笑う天音を見て、ほっと息を吐き出した。
天音が帰ってから、向日葵の意味とか本数の意味とか散々考えていたのだけど、杞憂だったようだ。
「ねぇ愛空、お願いがあるんだけど」
「なに?」
「ギター。もう一回弾いて」
「なんだ、そんなことか。良いよ」
「一緒に歌っても良い?」
「勿論」
壁に寄り掛けてあるギターを取り出しながら答えると、やったーと声を上げて天音が楽しそうに笑った。
ギターを抱えて弦を一本ずつ弾いていると、天音の口からメロディが零れ出ていた。
「洋楽だ」
「うん。これ好きでよく歌うんだ」
「待って。いまコード表出すから。なんて曲だっけ?」
そう問うと、天音が流暢な英語で題名を口にした。
「ごめん、発音良すぎて聞き取れない」
「駄目だなぁ。リスニング問題、点取れないよ」
「取れないんだよ」
やっぱりね、と笑って、もう一度天音が題名を言ってくれた。タブレット端末でコード表を検索して、スクロールしながら曲を口ずさんでいく。
「うん、いけそう。やってみようか」
「よっしゃー」
僕がギターを奏で始めると、拍に合わせて天音がゆらゆらと揺れ始めた。
11月頃に弾いたJ-POPとは打って変わって、ゆったりとしたテンポの曲だ。
狭い部屋に、天音の綺麗な歌声と、柔らかいギターの音色が響く。
曲が終わると、温かい余韻が花火の光みたいにゆっくりと消えていった。
「やっぱり歌上手いね」
「そう?ありがとう。愛空もギター上手いよ。愛空は歌わないの?」
「僕はあんまり歌わないかな。天音の歌聞けるだけで満足だし」
「おー、褒めてもらえると嬉しいな。私の声好き?愛空は」
「うん」
「え?」
「好きだよ、天音の声」
にっと笑うと、天音の顔がみるみるうちに真っ赤になった。
「え、えぇ?そう?愛空が珍しく素直だから吃驚したよ、照れるなぁ」
早口で、声が僅かに裏返っている。
「ふぅん?」
おーおー照れてる、と愉快に思いながら僕は頬杖をついた。
そんな僕の心中を察してか、天音が悔しそうに此方を見る。
「うわぁ恥ずかしい。じゃあ私も挙げてみよう、愛空の好きなところー」
「悔しくて選ぶ話題じゃない」
「うーん、まず、優しいところでしょ。あとはね、不器用なのに自分の気持ちはちゃんと伝えたがるところ。なんか可愛い。それから、何かあった時にすごく私のこと心配してくれるのも嬉しいしありがたい。更にギターも上手い。すごい。かっこいい」
「うん、分かった、ありがとう、ストップ」
僕が手を挙げて制止すると、天音は勝ち誇ったように笑う。僕の顔が一気に火照っていた。
「じゃあ次、僕の番」
「うわぁあ止めて今度こそ死んじゃう」
「恥ずかしくて?」
「うん」
「そんなので人は死なないから大丈夫」
「大丈夫じゃない」
「じゃあ、行くよ。えーっとね」
「待って待って待って」
「じゃあ一個だけ」
「...なに?」
「......やっぱいいや」
「何だよもー!」
天音が不満げな声を上げる。
一個だけ、と言って、迷わず「可愛い」と言おうとした僕は、何だか軽率すぎるだろうか。そんなことを思いながら、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
「ねーねー愛空ー」
「なに?」
「もしも明日死んじゃうなら、何食べたい?」
「なに急に?明日僕を殺すの?」
「違うよー。ifの話だよー」
うーん、と唸り声を上げた。
一応僕は、余命3ヶ月と言われている身ではあるけど、確かに明日死なない確証はどこにもない。
「ご飯と味噌汁、かな」
「えー普通ー」
「悪かったな普通で。天音は?」
「うーん。死神はごはん食べないけど、もし食べるなら...何だろうな。きつねうどんかな」
「きつねか。美味しいよね」
「うん」
「じゃあ、いつか食べるか」
「え?」
「いつか、一緒に食べよう」
「...うん、楽しみにしとく」
そう言って、寂しそうに、泣き出しそうに、でもどこか嬉しそうに、天音は笑った。その目に映った光がどんな感情なのかよく分からなくて、僕はなんだか物悲しく思った。
蝉が、窓の外で鳴いている。
「もう7月かー」
「そうだね」
7月に入って1週間経つけど、天音は僕の部屋にいる時間が桁違いに長くなっていた。出掛ける時もいつもついて来たがる。
「どうしたの?甘えたなの?ひっつき虫なの?」
「虫呼ばわりは酷くない?」
「ここまで付きまとわれると困惑する」
「お願い、あと3日だけ。ところで愛空、今日はどこか出掛けるの?」
「そろそろアイス買いにコンビニ行こうかと思ってるけど」
「...今度にしない?」
「今日はまだ涼しい方だから、今日行っておきたいんだよ」
「じゃあ私も行く」
「...好きにしろ」
いつになく真面目な顔をして立ち上がった天音を見て、僕は心の中で首を傾げた。
家を出て少し歩くと、比較的大きな道路がある。そこの信号機のある横断歩道を渡れば、コンビニまでは10分足らずで着いてしまう。
「さっきまで涼しかったのに、暑くね?」
「クーラーの効いた部屋に居たからじゃない?」
暑さに項垂れる僕の横を、死神の彼女は平然と歩いていく。
「赤信号は渡っちゃ駄目だよ」
「はいはい」
「車来てないかよく見るんだよ」
「僕は子供なのか?」
「いや、そうじゃないけど」
「そうじゃないなら」
僕が天音の顔を見ると、彼女の顔には微かに怯えのような色が浮かんでいた。
「僕が今日、事故か何かで死ぬ?」
天音の表情が一瞬固まって、すぐにふわりと柔らかい笑顔になった。
「まさか。そんなことは起きないよ、絶対」
『絶対』。妙だ。天音は、絶対なんて言葉は好まない。未来に確定要素なんてないんだから、『絶対』なんてありえない。いつもの彼女なら、そうやって否定するだろう。
横断歩道の信号が、赤から青に変わる。
歩き出した僕の数歩後ろを、天音がゆっくりと付いてくる。
「ねぇ、天音」
そう呼び掛けながら振り向くと、彼女は横を向いていた。僕も導かれるように、天音が見ている方向に目をやる。
走ってくる白い軽トラックを見て、天音の目が大きく広がった。
「愛空」
名前を呼ばれて、振り返る。
「なに」
彼女の両手が、僕の胸の辺りに伸びてくるのが見えた。
先月までと変わらず僕の部屋に入り浸っている天音に、手に持っていたものを差し出した。
「あれ、向日葵がガーベラに化けてる」
「向日葵はそこに飾ってあるじゃん。これは此間のお返し」
「よく保ってるね。数も揃えたんだ」
「うーん、うん、まぁ、なんとなく」
「はっきりしないなぁ。でも、ありがとう」
はにかみながらも嬉しそうに笑う天音を見て、ほっと息を吐き出した。
天音が帰ってから、向日葵の意味とか本数の意味とか散々考えていたのだけど、杞憂だったようだ。
「ねぇ愛空、お願いがあるんだけど」
「なに?」
「ギター。もう一回弾いて」
「なんだ、そんなことか。良いよ」
「一緒に歌っても良い?」
「勿論」
壁に寄り掛けてあるギターを取り出しながら答えると、やったーと声を上げて天音が楽しそうに笑った。
ギターを抱えて弦を一本ずつ弾いていると、天音の口からメロディが零れ出ていた。
「洋楽だ」
「うん。これ好きでよく歌うんだ」
「待って。いまコード表出すから。なんて曲だっけ?」
そう問うと、天音が流暢な英語で題名を口にした。
「ごめん、発音良すぎて聞き取れない」
「駄目だなぁ。リスニング問題、点取れないよ」
「取れないんだよ」
やっぱりね、と笑って、もう一度天音が題名を言ってくれた。タブレット端末でコード表を検索して、スクロールしながら曲を口ずさんでいく。
「うん、いけそう。やってみようか」
「よっしゃー」
僕がギターを奏で始めると、拍に合わせて天音がゆらゆらと揺れ始めた。
11月頃に弾いたJ-POPとは打って変わって、ゆったりとしたテンポの曲だ。
狭い部屋に、天音の綺麗な歌声と、柔らかいギターの音色が響く。
曲が終わると、温かい余韻が花火の光みたいにゆっくりと消えていった。
「やっぱり歌上手いね」
「そう?ありがとう。愛空もギター上手いよ。愛空は歌わないの?」
「僕はあんまり歌わないかな。天音の歌聞けるだけで満足だし」
「おー、褒めてもらえると嬉しいな。私の声好き?愛空は」
「うん」
「え?」
「好きだよ、天音の声」
にっと笑うと、天音の顔がみるみるうちに真っ赤になった。
「え、えぇ?そう?愛空が珍しく素直だから吃驚したよ、照れるなぁ」
早口で、声が僅かに裏返っている。
「ふぅん?」
おーおー照れてる、と愉快に思いながら僕は頬杖をついた。
そんな僕の心中を察してか、天音が悔しそうに此方を見る。
「うわぁ恥ずかしい。じゃあ私も挙げてみよう、愛空の好きなところー」
「悔しくて選ぶ話題じゃない」
「うーん、まず、優しいところでしょ。あとはね、不器用なのに自分の気持ちはちゃんと伝えたがるところ。なんか可愛い。それから、何かあった時にすごく私のこと心配してくれるのも嬉しいしありがたい。更にギターも上手い。すごい。かっこいい」
「うん、分かった、ありがとう、ストップ」
僕が手を挙げて制止すると、天音は勝ち誇ったように笑う。僕の顔が一気に火照っていた。
「じゃあ次、僕の番」
「うわぁあ止めて今度こそ死んじゃう」
「恥ずかしくて?」
「うん」
「そんなので人は死なないから大丈夫」
「大丈夫じゃない」
「じゃあ、行くよ。えーっとね」
「待って待って待って」
「じゃあ一個だけ」
「...なに?」
「......やっぱいいや」
「何だよもー!」
天音が不満げな声を上げる。
一個だけ、と言って、迷わず「可愛い」と言おうとした僕は、何だか軽率すぎるだろうか。そんなことを思いながら、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
「ねーねー愛空ー」
「なに?」
「もしも明日死んじゃうなら、何食べたい?」
「なに急に?明日僕を殺すの?」
「違うよー。ifの話だよー」
うーん、と唸り声を上げた。
一応僕は、余命3ヶ月と言われている身ではあるけど、確かに明日死なない確証はどこにもない。
「ご飯と味噌汁、かな」
「えー普通ー」
「悪かったな普通で。天音は?」
「うーん。死神はごはん食べないけど、もし食べるなら...何だろうな。きつねうどんかな」
「きつねか。美味しいよね」
「うん」
「じゃあ、いつか食べるか」
「え?」
「いつか、一緒に食べよう」
「...うん、楽しみにしとく」
そう言って、寂しそうに、泣き出しそうに、でもどこか嬉しそうに、天音は笑った。その目に映った光がどんな感情なのかよく分からなくて、僕はなんだか物悲しく思った。
蝉が、窓の外で鳴いている。
「もう7月かー」
「そうだね」
7月に入って1週間経つけど、天音は僕の部屋にいる時間が桁違いに長くなっていた。出掛ける時もいつもついて来たがる。
「どうしたの?甘えたなの?ひっつき虫なの?」
「虫呼ばわりは酷くない?」
「ここまで付きまとわれると困惑する」
「お願い、あと3日だけ。ところで愛空、今日はどこか出掛けるの?」
「そろそろアイス買いにコンビニ行こうかと思ってるけど」
「...今度にしない?」
「今日はまだ涼しい方だから、今日行っておきたいんだよ」
「じゃあ私も行く」
「...好きにしろ」
いつになく真面目な顔をして立ち上がった天音を見て、僕は心の中で首を傾げた。
家を出て少し歩くと、比較的大きな道路がある。そこの信号機のある横断歩道を渡れば、コンビニまでは10分足らずで着いてしまう。
「さっきまで涼しかったのに、暑くね?」
「クーラーの効いた部屋に居たからじゃない?」
暑さに項垂れる僕の横を、死神の彼女は平然と歩いていく。
「赤信号は渡っちゃ駄目だよ」
「はいはい」
「車来てないかよく見るんだよ」
「僕は子供なのか?」
「いや、そうじゃないけど」
「そうじゃないなら」
僕が天音の顔を見ると、彼女の顔には微かに怯えのような色が浮かんでいた。
「僕が今日、事故か何かで死ぬ?」
天音の表情が一瞬固まって、すぐにふわりと柔らかい笑顔になった。
「まさか。そんなことは起きないよ、絶対」
『絶対』。妙だ。天音は、絶対なんて言葉は好まない。未来に確定要素なんてないんだから、『絶対』なんてありえない。いつもの彼女なら、そうやって否定するだろう。
横断歩道の信号が、赤から青に変わる。
歩き出した僕の数歩後ろを、天音がゆっくりと付いてくる。
「ねぇ、天音」
そう呼び掛けながら振り向くと、彼女は横を向いていた。僕も導かれるように、天音が見ている方向に目をやる。
走ってくる白い軽トラックを見て、天音の目が大きく広がった。
「愛空」
名前を呼ばれて、振り返る。
「なに」
彼女の両手が、僕の胸の辺りに伸びてくるのが見えた。