「ねぇ天音、気になったんだけど」
「なに」
天音のくぐもった声が聞こえる。
「てかさ、何その格好。そこ僕のベッドの上だよ」
天音は、僕のブランケットの中に潜り込んでいた。
「愛空の匂いがするー」
「...気持ち悪い」
「酷い」
天音が不満気に身体を丸めて、横向きに寝転がった。
「一応同年代の男子に寝起きを見られたら恥ずかしいじゃん、私もJKなんだから」
引っ付いて寝たのはノーカンなのか、と思いながら僕は手を伸ばして、天音からブランケットを引き剥がそうと試みる。
「僕は他人の布団に潜り込む方がよっほど恥ずかしいよ」
「価値観は人それぞれでしょー。で、何?気になったことって」
天音と一対一で綱引き、ならぬ布引きをしながら、僕はあぁ、と声を上げた。
「僕ってなんで死ぬの?と思ってさ」
「病院行ってないの?」
「行ったよ、健康体だってさ」
「ふーん」
「いや、今はその話をしてるんじゃなくてさ。天音、何か知らないの?」
「知ってる」
「え?」
「ような気がするし、知らないような気もする」
「何だよ」
「それよりもさ、さっきからブランケットみしみし言ってるけど大丈夫?」
「大丈夫な訳あるか。天音、離してよ」
「やだー!愛空が離してよー」
「僕も嫌だ」
軽やかに会話を展開させながら、僕は不思議な感覚を覚えていた。
天音は死神だ。今はもう人間じゃない。
だけど、彼女の隣は居心地が良い。
余命なんてものがなければ、もしも彼女が死神じゃなかったら。
僕は、天音にーーー
「...ゔーーん」
「え、何怖い、どしたの愛空」
急にブランケットの端を握ったまま唸り声を上げた僕に、天音は驚いたように目を見開いた。
「...天音」
「なに」
「僕、座禅でも始めようと思う」
「どうしたの急に、仏教に目覚めたの?」
「...煩悩が。煩悩の中でもかなり面倒な煩悩が」
うわぁ、と天音が顔を顰めて呟く。
「愛空が壊れた」
そう言って、少し困ったように、でもどこか楽しそうに、彼女は笑った。
学校から帰ってきて自分の部屋に入ると、珍しく天音が勉強机(一応言っておくが、僕の机である)を占領して何かを書いていた。
「ただいま」
声を掛けると、天音はびくっと身を震わせて机の上の何かに覆い被さった。
白い紙に、2、3行の文字が書かれている。隙間から覗いただけだが、まだ書き始めたばかりらしい。
「...おかえり」
「学校から帰ってくるの恐ろしく早くないか?何書いてるの?」
「だって死神だもん。幾らでも速く動けるよ」
「何でもありだな、死神って」
そう言うと、天音が得意げに笑った。
「で、何書いてたの?」
「あー、えー、年賀状?」
「もう終わったよ」
「えーとえーと、クリスマスカード」
「それも終わったよ」
「じゃあ寒中見舞い」
「じゃあって。ふぅん、誰に出すの?」
「愛空」
「僕?」
「そうだよ」
「じゃあ見して」
僕が覗き込もうとすると、天音は再びばっと机に覆い被さった。
「駄目」
にっと笑って、上目遣いで此方を見てくる。僕は反応に困って目を逸らした。
「...そう。じゃあ、楽しみにしてるよ」
僕がそう言うと、ふふ、と彼女は嬉しそうに笑った。
「うん。楽しみにしといて」
僕もつられてふっと笑った。
【やぁやぁ、久しぶり】
「げ」
1人で部屋にいると、久しぶりに自称・神が現れた。
【げとは何だ。わざわざ神が直々に来てやってるんだぞ、頭を床に擦り付けてひれ伏しても良いくらいだ】
「はいはい、ご用件は」
胡座をかいてスマートフォンを手に持ったまま、自称・神にそう訊いてやる。
【態度が全く改善されないのだが】
「良いでしょ別に」
ったく、と盛大に溜息を吐いてから、自称・神はやっと本題に入った。
【実は、死神の担当を変えようと思ってね】
僕のスマートフォンがガシャンと音を立てて床に落ちる。
「え?」
【死神・スズネは、いや、死神・アマネと言った方が良いかな。彼女は、君と仲良くなり過ぎたようだから】
「...天音」
【本来、死神は依頼者に深入りしてはならないんだよ】
「初耳だな」
【死神・アマネも、それはきちんと理解していて、今までは必要最低限の接触、つまり魂の狩り取り時のみ姿を見せていたから、そこは信用していたんだけどね。どうやら君と死神・アマネは相性が良すぎたみたいだから】
「...これ、抗議ってできるのか?」
【と言うと?】
「最期に僕の魂を狩り取る死神は、天音が良い」
【...我々は、君たちのことを一応依頼者と呼んでいる。ただ、君は我々に依頼した覚えはないだろう?我々もそうだ。私は今ここで、君を力尽くで従わせることもできるんだよ】
「話が見えないな。つまり、抗議はできないと?」
【理解が早くて助かるよ。私も残り時間が少ない君の時間を更に縮めるような真似は、したくはないからね】
「...ここで僕が、はいそうですかって引き下がると思うか?」
【そうだったら有難いがね】
「残念だけど、僕はそこまでお人好しじゃない。従順でもない。天邪鬼なんだ」
自称・神の表情が険しくなった。
僕は挑発的な笑みを浮かべて言い放った。
「とことん足掻かせてもらうよ」
【...君は阿呆か】
「知らないの?人間、大事な人と一緒にいる為なら阿呆にでもなるんだよ」
【みたいだな】
「じゃあ先ず質問だ。...天音は今どこに居る?」
神の眉がぴくりと動いた。
「いつもなら、呼んでもいないのに彼奴は勝手にやってくる。なのに今は呼んでも来ない。何かあった以外考えられない」
【君たちは本当に仲良くなり過ぎたようだね】
神は呆れたようにそう言って、頭の上に手を伸ばした。まるで、何かを掴んで引っ張り出すみたいに。
ごとん、と音がして、後ろ手に縛られた天音が空中から降ってきた。
「天音」
僕が思わず大声を上げると、神が僕の額に人差し指を当てた。たったそれだけで、僕は前に進めなくなってしまう。
神は気絶しているの天音の襟首を掴んだまま、ゆっくりと口を開いた。
【死神の採用について、君は死神・アマネから聞いているよね】
何故ここでその話が出てくるのか、理解が追いつかずに困惑した。僕が答えあぐねていると、神が続けて口を開く。
【死神・アマネは、ここでは人質だ。私がここで彼女を馘にすれば、死神・アマネは人間だった時の肉体に戻る。良いかい、変わるんじゃない、戻るんだ。そうなるとどうなるか、想像に易いだろう?】
人間に変わるのではなく、人間に戻る。
人間だった時の肉体に、戻る。
僕の喉がひゅっと音を立てた。
「お前」
僕が弾かれたように立ち上がったのを、神は片手で押さえ込んで楽しそうに笑った。
【瀕死の人間を採用する理由はそこにある。簡単に辞められちゃ、困るからね】
「お前の、それは、支配だ。採用でも雇用でも何でもない」
【可哀想な人間たちが生きたがっていたから、我々はその道を用意したまでだよ】
「それじゃあ、死神は永遠に逃れられないじゃないか」
【永遠なんてことはない】
僕は目を瞬かせた。どういうことだ?
【遠山愛空くん。君はどうやら誤解をしているようだ。死神は万能だと。違うか?】
神が冷酷な瞳で続ける。
【死神は、採用と同時に人間の時の肉体ではなくなる。だから体温もない、中途半端な肉体の具現化が成されている。でもね、身体の構造は人間だった時と変わらないんだ】
「何が言いたい」
【簡単だよ、死神を死神のまま辞める方法さ。
もう一度死ねば良い】
自分の頭がぐらりと揺れた。
自分が息をしているのか分からない。
喉が、からからに乾いていた。
【大丈夫か?君の方が死にそうな顔をしているぞ】
神の声が、どんどん遠くに離れていく。
視界が薄暗くなって、自分の血液が身体の中を流れる音だけが聞こえる。
どさりと音を立てて、僕は床に倒れ伏した。
【あ、起きた】
目を開けると、薄ぼんやりとした視界の中に神がいた。
【君、大丈夫かい?突然気絶しちゃうんだもの、吃驚したよ】
「...天音は」
【大丈夫、まだ馘にはしてないよ】
神が指差した先には、天音が壁に寄りかかって眠っていた。
ほぅと息を吐いたものの、神はもう一度僕を気絶させたいらしかった。
【これから馘にするかどうかはまだ決まってないけどね】
僕はぼうっとする頭を無理矢理叩き起こして、訊いた。
「天音が死神で在り続けるには、どうすれば良い」
【担当を変える】
神がぴっと人差し指を立てた。
歌を歌っている時の天音の仕草と似ている。
【若しくは】
僕は顔を上げた。
【深入りし過ぎないように我々が監視をする、または死神として在る期限を設ける】
ふぅ、と神が息を吐く。
【取り敢えずはこの3つだな】
「...分かった」
「3つ目にします」
聞き馴染みのある声が唐突に聞こえて、僕は頭が取れそうな勢いで振り返った。
天音が目を開いて、神をしっかりと見据えている。
【いつまでにする?】
「10月5日」
【分かった。あと237日か。まぁ、せいぜい楽しむことだ】
神が蔑むように笑って、ふっと姿を消した。それと同時に、天音の拘束も解かれたようだ。
「天音」
「あ、愛空」
僕は立ち上がった天音のところに駆けていった。
「怪我は?」
「ない」
「体調は?」
「大丈夫」
「良かった...」
思わず天音を抱きしめて、安堵の溜息を吐く。
「...愛空」
「ごめん、嫌だった?」
「ううん、それは、ない、けど」
ちらりと目をやると、天音の耳が赤くなっているのが見えた。体温はなくても、血は巡っているらしい。
「じゃ、もう少しこのままで居させて」
「ん、良いよ」
僕が彼女の肩に顎を乗せて呟くと、少し笑いを含んだ、柔らかい声が僕の耳に届いた。
「...そういえばさ、さっきの日付」
「あぁ、あれ?あれはね」
「僕の命日だよね」
天音がほぅと息を吐いた。
「...知ってたんだ」
「うん、前に数えた」
「わざわざ300日以上を?」
「だって気になるじゃん」
「...うん、そうだね」
天音の声が、少し悲しげな響きを伴って聞こえた。
「ねぇ、神」
僕が空中に向かって声を掛けると、なんとも言えない微妙な表情をした神が現れた。
【ねぇ神とはなんだ】
「聞きたいことがあってさ」
僕は神の文句を聞き流して続けた。
【何だ】
「僕の余命ってさ、覆ることあるの?」
【どう言う意味だ?】
「例えば、僕の死因が事故だとするでしょ。もしもその事故を回避したら、僕の余命は白紙に戻るわけ?」
【回避するのは不可能に等しいと思うが、もし回避できたとしても、宣告された残り時間が覆ることはない。苦しむ・苦しまないの違いはあろうがな】
「...そう」
【生き物の時間はな、吊り橋に似ている】
「吊り橋?」
【予測不可能の事故とか、大怪我とかは、吊り橋の橋桁に瓦礫が積み上がっているようなものだ。奇跡的に回避できたら死ぬことはない。ただ、予測ができないから、神も宣告できない。一方で、神が宣告できる余命は、その吊り橋が途中でふっと途切れているイメージだ。そうだな、月並みな例えになるが、運命と言い換えられるような】
吊り橋が途中で途切れている。
そんなの、どうしようもないじゃないか。
「分かった、ありがとう」
【それにしても、なんで急にそんなこと聞いてきた?死にたくない理由でも出来たか?怖気付いたか。】
「理由なんてないよ。ただ、少し、ほんの少しだけ、怖くなっただけだ」
【そうか】
神はふっと顔を背けると、煙のように消えていった。
「愛空」
「なに...ゔ」
天音の声が耳元で聞こえて顔を上げると、背中にずしりと重みを感じた。
「...重い」
「JKに重いって感想はブッ刺されるよ」
「そう、気を付ける」
僕はふぅと息を吐いた。
「...聞いてた?」
「何が?」
天音がきょとんとして此方を向く。
「...ううん、何でもない」
雪が降りそうに冷えた窓の外を、体温のない彼女と眺めながら、僕の心が確かに温まっていくのを、僕はゆっくりと感じていた。
「天音はさ」
「ん?」
「寒いの好き?」
「どうだろう。どうだったかなぁ」
「え?」
「死神には体温がないじゃない?だから、暑さ寒さも感じなくなるの。人間だった時は、とにかく身体が動かなくなるから嫌いだった気がするよ。暑くても倒れるから嫌だったけど」
「...全部嫌じゃん」
苦笑いしながら呟くと、あははっと天音が楽しそうに笑った。
「愛空は?寒いの、好き?」
僕の肩に腕を乗せて、天音が訊いた。
「前は嫌いだったけど、今は好きかな」
僕は、窓の外のどんよりと曇った寒空を見上げて、息を吐いた。
「生きてるって感じがするから」
ふふ、という天音の笑い声が聞こえる。
「そっか。生きてる感じがする、ね」
僕の背中に額を押し当てて、天音が嬉しそうに呟いた。
ねぇ、と僕は口を開く。
「さっきからさ、背骨が悲鳴をあげてるんだけど」
僕がそう呟くと、彼女は僕の背中に額をぐりぐりと押し付けてきた。
「痛い、いたいイタイ痛い止めろ!」
大声を上げた僕に、ごめんごめん、と笑いながら謝ってくる。蹲って彼女を睨み上げた僕の頭を、わしわしと撫でてきた。
「ごめんね、ちょっと悪戯したくなった」
「...暴力反対」
「ごめんごめん」
天音がのんびりとした調子で呟く。
僕はむくりと起き上がると、天音に正面から向き直って口を開いた。
「...天音」
「なぁに?」
「誕生日おめでとう」
「...あれ?今日だっけ?」
「2/14だろ。今日だよ」
「そっか。へへ、ありがとう」
天音がふっと表情を緩ませたのを見て、僕の胸がぽうと温かくなったような気がした。
「お祝いになんか一緒に食べる?」
「死神はご飯食べないよ。代わりにさ、愛空ともうちょっと一緒にいても良い?」
「ダメって言ったら?」
「...お願い」
僕は、なんだか彼女のせいで押しに弱くなったような気がする。はぁと息を吐いて、頬杖をついた。
「...もう少しだけだよ」
「うん」
背中に微かに残る痛みも、このなんとも言えない楽しさも、安心感も、僕の生存を告げる証拠となっているようで、僕は少しだけほっとしていた。
「もうすぐ新学期かー」
「もうあと半年ないのかー」
天音と僕は、部屋に寝転がってそれぞれ声を上げた。
「...さらっと余命の話折り混ぜてくるの止めて?反応に困る」
「だって、天音だってあと半年弱で死神終わりだろ、変わんないじゃん」
「残念、人間の私はもう死んでるから全っ然違うよ」
「そっちこそ反応に困るんだけど」
「お返しだよ」
「胸糞悪いお返しだな」
「え、口わっる...」
天音がげんなりとした顔で此方を見る。
「良いだろう別に口が悪くたって」
「まぁ、まぁ、うん、そうだね」
複雑な笑みを浮かべて、天音がそう呟いた。
「あ」
「どうしたの?」
戸棚の中を整理していた僕の後ろから、天音が顔を覗かせた。
「いや、線香花火が出てきて。そのまま捨てるわけにもいかないから、一人で...」
そう言いかけて、思いとどまった。
「...え?なに?」
「夏になったら一緒にやろうか、線香花火」
そう言うと、彼女はぱぁっと顔を輝かせた。
「うん!」
力強く頷いて、弾けるように笑う。
「ねぇねぇ、立夏っていつだっけ?」
「まさかその日にやろうとか言わないよね?」
「楽しみなんだもん、早い方が良いじゃん」
「えー、待って。今調べるから」
床に放り投げてあった鞄の中からスマートフォンを取り出して、インターネットに繋げる。
「...あ、5/5だって」
「じゃああとひと月弱ぐらいか。楽しみだなぁ」
「8月とかじゃなくて、良いの?」
「...うん、早い方が良い」
「そう、じゃあ5月あたりにやるか」
僕がそう言うと、やったー、と声を上げて天音が笑った。
「愛空、今度何かあるの?」
夕飯を食べながら、母が僕に話しかけてきた。
「明日の夕方から夜にかけて、ちょっと出掛けてくるよ、9時までには帰ってくると思うけど。...なんで?」
「ううん、妙に楽しそうだから。天音ちゃんと?」
「...うん、まぁ」
「わぁ、デートだ、青春だ。楽しんでらっしゃい、遅くなり過ぎないようにね。ご飯先に食べてて良い?」
「うん」
デートじゃないよ、と言いかけたけど、わざわざ訂正する必要もないかと、一つ頷くに留めておいた。
翌日の日没直前。
家のインターフォンが鳴ったので玄関を開けると、浴衣姿の天音が立っていた。
「...なんか違和感あると思ったら、普段インターフォンなんて鳴らさないじゃん、天音」
「そこ?服装じゃなくて?頑張ったのに」
「...うん、似合ってる、可愛いよ」
僕がそう言うと、天音は嬉しそうに笑った。
「僕、思いっ切り普段着だけど大丈夫?浴衣で合わせられないよ」
「良いよ良いよ、私が突然思い立って浴衣にしただけだし。花火持った?」
「あ」
「おい」
「なんてね、持ってるよ。行こうか」
「どこ行くの?」
「公園」
「また夢のない...海とかじゃないの?」
「安全第一、近場でやりましょう」
「はーい」
天音がそう言って、てくてくと僕の先を歩いていく。
「ねぇ」
僕は天音が手に持っているものに気づいて声を掛けた。
「それなに?」
「ん?」
「手に持ってるやつ。それなに?」
「あぁ、これ?向日葵だよ」
天音がガサガサと音を立てて取り出したそれは、残光の中でも眩しいくらいに咲き誇っていた。
「向日葵?まだ早くない?」
「最近の生花業界はすごいんだねぇ。売ってたよ。だから買ってきた」
「へぇ、良いね」
3本の向日葵を抱えて、天音が嬉しそうに笑った。
ふわりと風に乗って薫った匂いに、僕は首を傾げた。
「これ、向日葵の匂いなの?なんか菊みたいな...」
「そうだと思うけど...私は分かんないや、鼻いいね。てか、なんで菊の匂いが分かるの」
「前に嗅いだことがあって。なんか鼻がいいって褒められてもあんまり嬉しくないのはなんで?」
さぁ、と言って天音がくるりと回る。
「ほら、着いたよ」
陽が沈んだ公園に、人気はなかった。
花火を取り出して、バケツに水道の水を汲む。
戻ってくると、天音は向日葵の花を近くのベンチに置いて戻って来たところだった。
「ライターは?」
「ここ」
「ローソクは?」
「要らないでしょ。じゃ、はい」
花火の袋を手渡すと、天音はガサゴソと音を立てて袋を探り、一本の線香花火を取り出した。僕がライターを持って火を点けると、夜の静寂の中に柔らかい破裂音が響いた。
「これ、なんて名前の花火?」
「...線香花火?」
「そうじゃなくて。聞いたことがあるんだけどさ、線香花火にも柳とか松葉とか、名前があるんじゃないの?」
あぁそれか、と思う。
天音が言っているのは、線香花火の種類ではなくて、花火の火花の散り方の話だろう。
「これが松葉」
ぱちぱちと音を立てる線香花火を指差して、僕は静かに言った。
「へぇ、これが」
「で、これが柳」
「え?」
「火花の散り方の名前なの。さっきよりも少し静かでしょ。だから柳」
「へぇ。花火の種類じゃないんだ」
「うん。...で、これは、散り菊」
ちりちりと微かに火花を散らす線香花火は、不思議な美しさに満ちていた。
派手でもないし、大きな音が鳴るわけでもない。でも、これほどに目が離せなくなるのは何故だろうか。
「あ、落ちた」
天音の声で我に返ると、紅葉色の火の玉がシュウと音を立てて地面に落ちるところだった。
「もう一本やる?」
花火の燃え殻をバケツに投げ込みながら問うと、天音が目を輝かせて頷いた。
「やる!愛空も一緒にやろ」
「うん」
2人で並んで、線香花火が儚く美しい花を咲かせるのを、黙って見ていた。
「終わったね」
「もうないの?」
「うん、終わり」
僕が空になった袋を畳んでポケットに入れた見ると、天音は少し寂しそうに「終わりかぁ」と呟いた。
「でも、楽しかった。ありがとう」
「此方こそ」
「あ、そうだ、バケツどうするの?」
「家で捨てるよ」
「ふーん、じゃあ、一緒に帰っても良い?」
「うん」
そう答えると、天音が嬉しそうに笑った。
「天音、今日はどうすんの?帰る?」
「うーん、そうだね。もうすぐ9時だし、帰ろうかな。じゃあこれだけ渡しておくよ」
天音は僕の手に3輪の向日葵を押し付けると、くるりと身を翻らせて行ってしまった。
「...よく分かんないやつ」
そう呟きながら抱えた向日葵は、相変わらず小さな太陽みたいに咲き誇っていた。
「天音、これ」
先月までと変わらず僕の部屋に入り浸っている天音に、手に持っていたものを差し出した。
「あれ、向日葵がガーベラに化けてる」
「向日葵はそこに飾ってあるじゃん。これは此間のお返し」
「よく保ってるね。数も揃えたんだ」
「うーん、うん、まぁ、なんとなく」
「はっきりしないなぁ。でも、ありがとう」
はにかみながらも嬉しそうに笑う天音を見て、ほっと息を吐き出した。
天音が帰ってから、向日葵の意味とか本数の意味とか散々考えていたのだけど、杞憂だったようだ。
「ねぇ愛空、お願いがあるんだけど」
「なに?」
「ギター。もう一回弾いて」
「なんだ、そんなことか。良いよ」
「一緒に歌っても良い?」
「勿論」
壁に寄り掛けてあるギターを取り出しながら答えると、やったーと声を上げて天音が楽しそうに笑った。
ギターを抱えて弦を一本ずつ弾いていると、天音の口からメロディが零れ出ていた。
「洋楽だ」
「うん。これ好きでよく歌うんだ」
「待って。いまコード表出すから。なんて曲だっけ?」
そう問うと、天音が流暢な英語で題名を口にした。
「ごめん、発音良すぎて聞き取れない」
「駄目だなぁ。リスニング問題、点取れないよ」
「取れないんだよ」
やっぱりね、と笑って、もう一度天音が題名を言ってくれた。タブレット端末でコード表を検索して、スクロールしながら曲を口ずさんでいく。
「うん、いけそう。やってみようか」
「よっしゃー」
僕がギターを奏で始めると、拍に合わせて天音がゆらゆらと揺れ始めた。
11月頃に弾いたJ-POPとは打って変わって、ゆったりとしたテンポの曲だ。
狭い部屋に、天音の綺麗な歌声と、柔らかいギターの音色が響く。
曲が終わると、温かい余韻が花火の光みたいにゆっくりと消えていった。
「やっぱり歌上手いね」
「そう?ありがとう。愛空もギター上手いよ。愛空は歌わないの?」
「僕はあんまり歌わないかな。天音の歌聞けるだけで満足だし」
「おー、褒めてもらえると嬉しいな。私の声好き?愛空は」
「うん」
「え?」
「好きだよ、天音の声」
にっと笑うと、天音の顔がみるみるうちに真っ赤になった。
「え、えぇ?そう?愛空が珍しく素直だから吃驚したよ、照れるなぁ」
早口で、声が僅かに裏返っている。
「ふぅん?」
おーおー照れてる、と愉快に思いながら僕は頬杖をついた。
そんな僕の心中を察してか、天音が悔しそうに此方を見る。
「うわぁ恥ずかしい。じゃあ私も挙げてみよう、愛空の好きなところー」
「悔しくて選ぶ話題じゃない」
「うーん、まず、優しいところでしょ。あとはね、不器用なのに自分の気持ちはちゃんと伝えたがるところ。なんか可愛い。それから、何かあった時にすごく私のこと心配してくれるのも嬉しいしありがたい。更にギターも上手い。すごい。かっこいい」
「うん、分かった、ありがとう、ストップ」
僕が手を挙げて制止すると、天音は勝ち誇ったように笑う。僕の顔が一気に火照っていた。
「じゃあ次、僕の番」
「うわぁあ止めて今度こそ死んじゃう」
「恥ずかしくて?」
「うん」
「そんなので人は死なないから大丈夫」
「大丈夫じゃない」
「じゃあ、行くよ。えーっとね」
「待って待って待って」
「じゃあ一個だけ」
「...なに?」
「......やっぱいいや」
「何だよもー!」
天音が不満げな声を上げる。
一個だけ、と言って、迷わず「可愛い」と言おうとした僕は、何だか軽率すぎるだろうか。そんなことを思いながら、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
「ねーねー愛空ー」
「なに?」
「もしも明日死んじゃうなら、何食べたい?」
「なに急に?明日僕を殺すの?」
「違うよー。ifの話だよー」
うーん、と唸り声を上げた。
一応僕は、余命3ヶ月と言われている身ではあるけど、確かに明日死なない確証はどこにもない。
「ご飯と味噌汁、かな」
「えー普通ー」
「悪かったな普通で。天音は?」
「うーん。死神はごはん食べないけど、もし食べるなら...何だろうな。きつねうどんかな」
「きつねか。美味しいよね」
「うん」
「じゃあ、いつか食べるか」
「え?」
「いつか、一緒に食べよう」
「...うん、楽しみにしとく」
そう言って、寂しそうに、泣き出しそうに、でもどこか嬉しそうに、天音は笑った。その目に映った光がどんな感情なのかよく分からなくて、僕はなんだか物悲しく思った。
蝉が、窓の外で鳴いている。
「もう7月かー」
「そうだね」
7月に入って1週間経つけど、天音は僕の部屋にいる時間が桁違いに長くなっていた。出掛ける時もいつもついて来たがる。
「どうしたの?甘えたなの?ひっつき虫なの?」
「虫呼ばわりは酷くない?」
「ここまで付きまとわれると困惑する」
「お願い、あと3日だけ。ところで愛空、今日はどこか出掛けるの?」
「そろそろアイス買いにコンビニ行こうかと思ってるけど」
「...今度にしない?」
「今日はまだ涼しい方だから、今日行っておきたいんだよ」
「じゃあ私も行く」
「...好きにしろ」
いつになく真面目な顔をして立ち上がった天音を見て、僕は心の中で首を傾げた。
家を出て少し歩くと、比較的大きな道路がある。そこの信号機のある横断歩道を渡れば、コンビニまでは10分足らずで着いてしまう。
「さっきまで涼しかったのに、暑くね?」
「クーラーの効いた部屋に居たからじゃない?」
暑さに項垂れる僕の横を、死神の彼女は平然と歩いていく。
「赤信号は渡っちゃ駄目だよ」
「はいはい」
「車来てないかよく見るんだよ」
「僕は子供なのか?」
「いや、そうじゃないけど」
「そうじゃないなら」
僕が天音の顔を見ると、彼女の顔には微かに怯えのような色が浮かんでいた。
「僕が今日、事故か何かで死ぬ?」
天音の表情が一瞬固まって、すぐにふわりと柔らかい笑顔になった。
「まさか。そんなことは起きないよ、絶対」
『絶対』。妙だ。天音は、絶対なんて言葉は好まない。未来に確定要素なんてないんだから、『絶対』なんてありえない。いつもの彼女なら、そうやって否定するだろう。
横断歩道の信号が、赤から青に変わる。
歩き出した僕の数歩後ろを、天音がゆっくりと付いてくる。
「ねぇ、天音」
そう呼び掛けながら振り向くと、彼女は横を向いていた。僕も導かれるように、天音が見ている方向に目をやる。
走ってくる白い軽トラックを見て、天音の目が大きく広がった。
「愛空」
名前を呼ばれて、振り返る。
「なに」
彼女の両手が、僕の胸の辺りに伸びてくるのが見えた。
「愛空」
名前を呼ばれて振り返った直後、身体に衝撃を受けた。
よろけて倒れ、路面を滑って、肘に焼け付くような痛みが走る。
「バイバイ、またね」
僕を思い切り突き飛ばしたらしい天音は、優しい笑顔を浮かべて、そう言った。
景色が、スローモーションに見える。
軽トラックが天音に向かって突っ込んでくる。彼女は大きく目を見開いたかと思うと、ぎゅっと目を瞑った。
周りの景色はゆっくりに見えるのに、僕だけは石になったかのように動けなかった。見えているのに。間に飛び込むことだって出来そうなのに。
天音の身体に、トラックの車体が触れた。
耳を塞ぎたくなるような音が響いて、周りの景色の動く速度が元に戻った。
目の前で火花が散って、鮮烈な緋色が道路を濡らしていく。トラックが歩道沿いのポールに突っ込んで、耳をつんざくような音が腹の底に響く。
「...あ」
天音、と呼ぼうとした。叫ぼうとした。
でも、言葉は喉に張り付いて出てこなくて、なんとか口から零れた声らしい何かも、情けないほどに震えて、掠れていた。周りの音が、潮が引いていくように遠ざかっていく。自分の心臓の音と、血液が身体の中を流れる音だけが五月蝿いほど聞こえた。
「...天音?」
天音の側に、震える身体を無理矢理動かして、這うように向かった。
彼女の額を、腕を、血が濡らしている。
ひゅうひゅうと息をする天音は、今さっき僕を突き飛ばした死神とはまるで別人物に思えた。
「天音」
体温のない、彼女の頬に触れた。僕の額を、頬を伝って落ちていく雫が、汗なのか涙なのか、それとも別の何かなのか、僕には判別がつかなかった。
「...あい、ら」
虚ろな目が、僕を見る。
「だい、じょうぶ?」
微かな声が、震えた息と一緒に天音の口から零れ出た。
「うん、大丈夫、生きてる」
声が震える。
ありがとう、なんて、言えなかった。
なのに、この莫迦は。
どうして、僕の声を聞いて、ほっとしたように笑うのだろうか。
痛いだろうに、苦しいだろうに。
ばか、と呟きながら、彼女に縋り付いた。僕が死ぬときには、天音が魂を狩り取るんじゃなかったのか。一年は、仲良くさせて貰うんじゃなかったのか。
「ばか、ばか、置いていかないでよ」
情けない声を上げる僕を見て、天音は笑って血だらけの右手を差し出した。
「一緒にいかせてよ、殺してよ」
「...嫌だ」
彼女の優しい手が、僕の頬に触れる。
「愛空、ひとつ、賭けを、しよう」
「...賭け?」
「ルー...ル、は、神に、預け、てある、から」
「え」
思わず目を見開いた途端、僕と天音の周りが真っ白になった。
【莫迦はいるものだな】
「あ」
【死神・アマネ、試合終了だ】
「お願い神、天音を、」
【無理だ】
震えながら声を上げた僕に、神は無慈悲な一言を放った。
【神も死神も、万能だと思わないことだな、遠山愛空】
「...そんなの、知ってる」
【死神・アマネの残り時間は残り僅かだ。人間の病院に行くことはできないから、彼女は此方で預かろう】
「...ちょっと待って、確認したいんだけど」
【何だ】
「天音と、僕は、一緒にいることはできる?」
【出来ない。お前は天界には入れない】
「え?じゃあ、ここは」
【私が作った結界の中だ。天界ではない】
「神、さま」
「天音」
【何だ、まだ生きていたか。死神・アマネ】
「愛空、の、担当、の」
【引き継ぎだろう。既に伝えてある。お前がこんな暴挙に出るのはある程度想像していたことだからな。まぁ、想定はしていなかったが】
「...すみ、ません」
【遠山愛空。お前の余命がひっくり返ることはないが、莫迦な死神が命を張ったお陰で、お前が苦しみながら死ぬことはなくなったようだ。新しい死神の担当が決まっているから、落ち着いたら挨拶するように】
「...はい」
【何か状況が動くことがあれば伝えるから、そのつもりで。じゃあ、お前の家に戻すから、身構えておけ】
「え、あの」
【行くぞ】
「え、...わっ!」
僕が座っていた床が急に煙のように消えて、僕は自分の部屋のベッドの上にボスンと音を立てて落ちてきた。
「いった...」
背中と後頭部、肘の痛みに顔を顰めながら、僕は天井に手を掲げた。
天音がいつも突然現れていた、この部屋。最初は必要最低限と言っていたのに、段々と天音がこの部屋にいる時間が増えていって、僕にとってかけがえのない存在となって。
そして、元からいなかったみたいに、ふっといなくなってしまった。
天音の血で汚れていたはずの僕の手にも、頬にも、どこにもそんな汚れは見当たらなかった。
ニュースサイトをどれだけ漁っても、僕の家の近所で起きたトラックの事故で、少女が怪我をしたという記事は見つからなった。部屋の中でブルーライトを浴び続ける僕を嘲笑うかのように、僕の家の近所で起きた「トラックの単独事故」の記事は幾つか出てきた。これだけのスピードで青信号の横断歩道に突っ込んで、1人も怪我人が出なかったのは奇跡だと。
それから僕は、あの横断歩道に行くことも、ニュースサイトを見ることも、出来なくなった。
【おい、遠山愛空】
「...」
【飯は食っているのか?ただでさえ短い寿命が縮むぞ】
「...あんたには関係ないでしょ」
あの事故から、1週間が経った。
母さんに、夕飯食べる?と聞かれても、要らないと答え続け、学校に行っても授業を受けて帰るだけの生活に、生気と呼べるものは皆無だった。1日2つのおにぎりで、なんとか生命を保っている状態だった。
学校に行っても鎌代紗音の席はなくて、まるで最初からいなかったみたいに、誰も覚えていないのが辛かった。
【死神・アマネが、昨日、亡くなった】
「え?」
僕は目を開けた。
「なんでよ。10月の初めまで生きてるんじゃないの?」
【お前と死神・アマネでは、身体の作りも違うし、事故に遭った時の体勢も違う。そんなものだ、人生における災難と呼ばれるものに遭って生きるか死ぬかなんて、紙一重の差なんだよ。それこそ、誤差と呼べるくらいの】
話し続ける神に、ぱんと大きな音を響かせたのは、僕だった。神の頬を打つ、なんていう暴挙に出たのは、僕の子供のような八つ当たりだった。神に原因があるわけでもない。
分かっていたけど、当たらずにはいられなかった。
【...私にはどうすることもできないんだ】
「...知ってる、解ってるよ」
ごめん、という僕の声が、空気の籠った薄暗い部屋の中にゆっくりと溶けていった。
【お前には、死神・アマネの声を届けに来た】
「...声?」
神の陶器のように白く滑らかな手指が、真っ白な封筒を僕に差し出してくる。
【死神・アマネの、寒中見舞いだ】
それを受け取りながら、目を見開いた。
天音が僕の机で書いていた、何か。
年賀状だ、と言った後に、クリスマスカードだ、と言い出して、どうして時期を戻していくんだろうかと僕は疑問に思って、最後に寒中見舞いだと言った、あの紙。
これだったのか。
震えながら封を切って、便箋を開くと、綺麗に並んだ、彼女らしい文字が見えた。
《こんにちは!久しぶり、かな?
そうでもなかったりするかな?
これは、遺書です。そうだよ、愛空に向けて。
まずは、今まで本当にありがとう!一年にも満たない短い期間だったのに、愛空と過ごした時間は私の死神としての10年間の中で、1番充実していたような気がするよ。最初は私に怯えて離れていっていたのに、いつの間にか部屋から追い払わなくなってて、挙句の果てに躊躇なくハグしてくれるんだもの、びっくりしたけどすごく嬉しかったなぁ。》
自分の行動を、こうやって言葉にされると本当に恥ずかしい。自分の顔が熱くなっていくのを感じた。神に何か言われるかと思ったけど、神は何も言わなかった。僕は改行されたその先の文字を追いかける。ペンのインクの色が僅かに変わっているから、先ほどの部分とは別の日に書いたものなのかもしれない。天音の軽やかな声が聞こえてくるようだった。
《実はね、愛空と初夏にやるまで私、線香花火ってやったことが無かったの。松葉に、柳に、散り菊。線香花火の火花の名前を、愛空はひとつひとつ教えてくれたよね。線香花火の綺麗さと同じくらい、私、あの時の愛空の顔が印象に残っているの。火花に照らされて笑う愛空は、本当に綺麗だった。
なんて、こんなことを書いているうちに私は恥ずかしさで死にそうになっている訳だけど、お気づきかな?うーん、こんな所だし書いてしまおう。えーい。私ね、愛空が初恋の人だったんだよ。死神になってから初恋ってどうなってるんだよ、って自分でも言いたいけどさ。本気で恋をし始めたのは愛空の死神になってからだけどね、クラスメイトとして同じ空間にいた時からずっと、私は貴方のことが気になっていたの。友達がいないわけじゃないのに、どこか一歩引いて、周りの話を聞いているような人。静かな人なのかな、と思ったよ。どうやら間違いではなかったようだけど、しっかりと自分の意見も意思も持っていて、そして意外と口が悪い。うわぁ、いくらでも惚気られるなぁこれ。惚気なの?って突っ込まれそうだけど、そうだよ、一応。でもね、私は、この気持ちを面と向かって伝えるつもりはないんだ。聡明な愛空なら分かると思うけど、私たちには時間がないでしょう?それに、愛空は人間で、私は死神。問題しかないわけですよ。私はね、あのまま友達以上恋人未満の絶妙な距離感を続けていられればそれで良かったの。でももしも、愛空が私に恋をしていたらどうしてたかなぁ。まさかとは思うけどね。えへへ、妄想が捗る。》
「...そのまさかだよ」
僕がそう呟くと、照れたような天音の笑顔が頭に浮かんだ。
部屋の隅に立っていた神は一瞬僕の方を見たけど、何も言わなかった。
《おっと、惚気話に夢中になって大事なことを書き忘れるところだった。「賭け」の話。これは私が愛空に直接伝えているよね。「ひとつ、賭けをしよう」って私が言っているはず。
賭けっていうのはね、愛空。
悠久の時を生きてきた私よりも、限りある16年を思い切り生きた愛空が「素敵な景色、色々な気持ち」を多く知ることができたら愛空の勝ち。愛空のそれよりも私のそれが上回ったなら私の勝ち。
どうかな?私は愛空に勝って欲しいな。人生の価値は長さじゃないって、証明して見せてよ。》
そう来るか。
人生の価値は長さじゃない。
きっとそうだ。人生の価値は、「濃さ」だろう。
《今は愛空は、もしかしたら私がいなくなったことにショックを受けているかもしれないね。愛空の最期に立ち会えないのは申し訳ない。でもね、私との賭けに勝つためでも、美味しいご飯を食べるためでも、今日をより良く生きるためでも、何でも良い。理由は何でも良いから、とにかく思いっきり生きてほしいなぁ。それができたら本当に100点満点。いっぱい褒めてあげる。お土産話いっぱい持ってきてね、待ってるから。
私が言いたいのはそれだけかなぁ。ううん、それだけなはずないんだけど、ここに書きたいのはそれだけかな。
それじゃあ、またね、愛空。
ごめんね。それから、大好きだよ。》
僕の頬に、とうに涸れたと思っていた涙が伝った。
「...神」
【何だ】
「ありがとう。あとさ、これ。貰っても、良いかな」
【死神・アマネがお前に遺したんだ。好きにしろ】
「ありがとう」
僕はそう言って、あの事故があってから、初めて微笑んだ。
【遠山愛空】
「なに?」
【お前の担当死神を紹介しても良いか?】
「担当死神って初めて聞いた。良いよ、ありがとう」
【...】
「どうしたの?」
【妙に素直になったと思って】
「神も、前はそんな口の聞き方しなかったのに。気遣いを覚えたね」
【そんなんじゃない。ほら、死神・リオン、来なさい】
はぁい、というような間延びした返事が聞こえて、小学2〜3年生ぐらいの女の子が姿を現した。
「凛音です。谷村凛音。よろしくね」
「...よろしく」
僕はてっきり、若くても僕と同年代ぐらいの死神が来ると思っていたので、少し呆然としながら呟いた。
「ねぇ、神」
【なんだ】
「死神はさ、名前に『音』が入ってないといけない決まりでもあるの?」
【そんな決まりはない。死神・リオンが死神・アマネから字を貰っただけだ】
「...そう、なんだ」
「愛空お兄ちゃん」
顔を上げると、僕の新たな死神がにっこりと笑って言った。
「天音ちゃんと仲良くしてくれて、ありがとう。天音ちゃんね、お兄ちゃんと会ってからすごく楽しそうだったよ」
「...此方こそ、ありがとう。僕も、楽しかった」
そう言って笑うと、凛音も、誰かとよく似た優しい笑顔を浮かべた。
「母さん」
自分の部屋を出て声を掛けると、少し驚いたように母が僕の方を見た。
「愛空、貴方、大丈夫?まともにご飯食べてないでしょう。体調悪い?」
母が僕の額に手を当ててくる。
そのひんやりとした感触に、僕は不思議な安心感を覚えて目を閉じた。
「そういえば、天音ちゃん、最近来てないわねぇ。大丈夫、喧嘩でもした?」
はっと目を開けると、母は当たり前のように僕の顔を覗き込んで首を傾げている。
「母さん」
「ん?」
「天音は、ね」
口を開く。声が震える。
涙が声を遮って、とめどなく溢れた。
「あら、愛空、どうしたの?話聞くわよ。天音ちゃんと、何かあった?」
「母さん」
「なぁに?」
「信じてもらえるか、わからないけど。多分、信じたくないし、信じられないとは思うんだけどさ。...聞いてくれる?」
僕が鼻を啜りながらそう言うと、母は優しく笑って、こくりと頷いた。
聞くよ、と優しい声が聞こえた。
貴方のお話、聞かせてちょうだい。
ダイニングの椅子に、母と向かい合って座った。
「...あのね、天音はね。僕の死神だったんだ。それで、僕を庇って、いなくなっちゃった」
呆然とした様子で、母が僕を見る。
「最初から話すね」
僕が笑ってそう言うと、僕の頭の中の鮮やかな思い出が、少しずつ色を取り戻していった。死神に初恋を盗られた僕だけど、流石の彼女も色彩までは盗めなかったようだ。
できるだけ簡潔に説明しようとしたけど、どうしても気持ちが乱れてしまって支離滅裂な僕の言葉を、母は最後まで聞いてくれた。
僕が話し終えると、母は目に涙を浮かべながら僕を優しく抱きしめてくれた。
「話してくれてありがとう。愛空、頑張ったね」
「...うん」
母の腕の中で、僕は小さな子供のように泣いた。
「正直、信じられない部分も、信じたくない部分もあるけど...愛空が頑張って話してくれたんだもの、信じてあげたいわ」
「うん、ありがとう」
僕は母の目を見て、少し笑った。
「あ、そうだ母さん。
例の神と、死神さん。母さんに会わせたいんだけど、良いかな?完全に物理法則無視して不法侵入してくるけど、卒倒しないようにね」
「...頑張るわ」
「だってさ。来てくれる?」
【お前も説明が雑だなぁ】
「本当に。お兄ちゃんは横着者ですね」
とん、と軽い音を立てて、神と凛音が僕の横に立った。
「うわっ」
母も身構えていたものの、思わず大きな声を上げた。
「えっと...愛空の母です」
「愛空お兄ちゃんの死神の凛音です」
【神です】
「...もうちょっとマトモな自己紹介はないものかね、お二方」
【簡潔で分かりやすいだろう】
「『神です』はないですよ、神さま」
【お前もな。死神ですはないだろう。脅しか?脅迫なのか?】
「はい、そこまで」
僕がぱんぱんと手を打ち鳴らすと、神と凛音が揃って此方を向いた。
「母さんの信頼材料になれば良いなと思って呼んだんだけど...騒がしいね、失敗だったみたい。帰って」
【「えーー!」】
「あ、愛空」
母の声が聞こえて、僕はふっと振り向いた。
「神さまと死神さんには、訊きたいこともあるから、帰って頂かなくていいわよ」
目を見開く僕を見て、母は首を傾げた。
「僕、神を神だと信頼するには3ヶ月掛かったんだけど。母さん、適応早くない?」
「愛空が話してくれたことだもの。それに自分の目でも見てしまったし、信じないわけにはいかないじゃない」
3ヶ月は時間かけすぎよ、と笑う母に、こんなに早く適応してしまうのか、という驚嘆の気持ちと、この人やばい宗教とかに引っかからないだろうか、という心配とが3:7ぐらいの割合で湧いてきた。
「お兄ちゃん、素敵なお母さんだね」
【話を信じてくれる方で安心した】
「...僕は不安だよ、かなり。まぁ良いや、座ってよ」
そう言うと、神と凛音は大人しく椅子に収まった。
神と死神が、母と僕と向かい合って自宅のダイニングの椅子に座っている、というシュールな光景に笑ってしまいそうだったけど、なんとか耐えた。
「愛空の、余命のことなのですが、本当なのですか?」
母の静かな声が、ぴんと張り詰めた空気を震わせていく。
【残念ながら、本当です】
神が敬語を使っている。
「残念ながら」なんて、他人に気遣いの心を見せている。
神の隣にいる凛音の肩が小刻みに震えているのは、大方その強烈な違和感のせいだろう。気持ちは分からなくはないが、場違いな反応だ。
「その時は、凛音さんが」
「はい、魂を狩り取ります。元々は天音ちゃんの役割だったんですけど、出来なくなっちゃったので、あたしがやることになりました」
小学校低〜中学年の見た目とは裏腹に、凛音がはきはきと答えた。凛音も天音と同じように、何年も死神をやっているのかもしれない。胸が締め付けられるように痛んだ。
「...そう。覆ることはないのよね?」
「ええ、申し訳ありません」
「分かりました。では次に、天音さんについてなのですが」
僕は驚いた。神と凛音も、少し驚いたように母を見ている。
「会わせて頂くことは可能ですか」
【現在、生存されている人間は、天界に入ることはできないので...
ただ、いつかこちら側にいらっしゃった時に、お会い頂くことは可能かと思います】
「そうですか、分かりました。
ありがとうございます」
母がにこりと笑って、そう言った。
長々と引き留めてしまって申し訳ありません、みたいなことを言って頭を下げる。
神と凛音もぺこりと頭を下げたかと思うと、ふっと椅子から消えていた。
「愛空」
顔を上げると、涙を浮かべて笑っている母の顔が見えた。
「会わせてくれてありがとうね」
「ううん。此方こそありがとう。
...ごめんね、振り回しちゃって」
何言ってるの、と母は笑った。
「愛空はちっとも悪くないじゃない。本当のことを言うと、母さんも受け入れられないわよ、こんなこと。愛空があと3ヶ月しか生きられないなんて」
「...ごめん、もっと早く話せば良かった」
「話せなかったのよね、怖いもの。信じたく、ないもの」
「そうだね」
母の言葉を聞いた途端、気持ちが溢れた。
「...もっと生きていたいよ」
「うん」
「死にたくないよ」
「うん」
「...怖いよ」
「...そうね、怖いわね。母さんも、怖い」
「うん」
「ねぇ愛空、これから...どうしたい?」
「これから?」
「これから3ヶ月、みんなと学校行くでもよし、どこか出掛けるんでもよし、母さんもやりたいこと言っていくから、ありきたりだけど、好きに過ごしてみなさい」
「うーん...」
《「素敵な景色、色々な気持ち」を多く知ることができたら愛空の勝ち》だと天音は言った。抽象的すぎて、天音には申し訳ないがよく分からない。
目を瞑る。
今までに見た素敵な景色。何だろうか。
普段見ない景色?
貴重な、歴史に残るような瞬間?
夢に出てくるような、強烈な体験?
あぁ、それとも、もしかしたら。
馬鹿げた神に余命宣告されてから、毎日「生きてる」と思いながら過ごした、温かく輝かしい日常、だろうか。
母がいて、僕がいて、友達がいて。
何よりも、彼女がいた、あの日常。
「学校に行きたい。それから、毎日母さんとご飯が食べたい」
「そう。じゃあ、ご飯食べましょうか。愛空、貴方、まともにご飯食べてないでしょう。痩せたわよ」
「嘘、痩せた?うーん、喜ぶべきか悲しむべきか」
「悲しむべきよ。これ以上寿命縮めてどうするの」
「母さん、神と同じこと言ってる」
ははっと笑った僕を見て、母は安心したように笑った。
「何?」
「ううん。愛空が今日、初めてちゃんと笑ったなと思って」
「そうだった?」
「そうよ」
2人で顔を見合わせて、笑った。
こんな些細な瞬間が、幸せだ、と思った。
入道雲が、天色の空をそこだけ白く切り取っている。
「愛空お兄ちゃん」
凛音に呼ばれて振り返ると、凛音が少し寂しそうに笑った。
「もう8月だね」
「そうだね。暑いなぁ」
蝉時雨が、僕の耳の奥に反響している。
「...寂しくないの?お兄ちゃんは」
「寂しくない、わけないよ」
僕が笑うと、凛音は心配そうに眉を下げた。
「でも、毎日生きてるって思いながら生きるのって、思いの外悪くない」
「...そうだね」
目の前の入道雲が鰯雲に変わって、いつかの紅葉が真っ赤に色付くのを、僕はもう見ることは出来ないのだろう。
「そうだ、凛音」
「なに?」
「凛音はさ、どうやって僕の魂を狩るの?」
「...頭をごっつんこする」
「え?」
「あたしの額と、お兄ちゃんの額で、熱を測る時みたいに」
凛音は自分の額に手の甲を当てて、その動きをなぞって見せた。
「...また随分と風変わりな」
「しょうがないじゃん、自分で決められる訳じゃないんだから」
頬を膨らませる凛音を見て、思わず笑ってしまった。
「まぁ、良いんじゃない。...最期まで、あったかくて」
僕がそう言うと、凛音が此方をちらりと見て、ふふっと笑った。
「愛空お兄ちゃんは、これからどうするの?」
「...そうだね。僕は...うん、日常を限界まで輝かせてみるよ」
「お兄ちゃん、簡単そうで難しいこと言ってるよ」
「うん、知ってる」
僕は額の汗を拭って、真っ白な入道雲に向かって手を伸ばした。
「でも、やるだけやってみるよ。天音が向こうで待ってるらしいから」
そう、と呟いた凛音の表情は、先程よりも晴れやかに見えた。
僕と凛音が佇む木陰に、ざぁと風が吹き抜ける。何処からか、涼やかな風鈴の音色が聞こえた。
いつの日だったか、向日葵を抱えて笑っていた彼女の姿が、風の隙間に見えたような気がした。
こんにちは!霜原 佐月です。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
ここでスピンオフ作品の紹介をさせて頂きます!
題名は「救済 タナトス-thanatos- スピンオフ」です。
只今お読みいただいた「タナトス-thanatos-」の最後の方に出てきました死神・リオンこと、谷村凛音の視点でお話が進んでいきます。凛音の過去、さらに「タナトス-thanatos-」完結後のお話も出てきますので、こちらも併せて楽しんでいただけたらと思います。
よろしくお願い致します。