【君の[残り時間]は、あと8,544時間だ】
秋の陽が差し込む自室で、壁にもたれかかって座っていた僕の前に突然現れた、自称・神がそう言った。
僕の部屋にいきなりふっと現れて、【突然すまないね】と言った直後にこれである。訳がわからない。
「は?」
8,544時間。ぴんとくる数字ではない。
スマートフォンの電卓機能を呼び出して計算すると、356日。ほぼ一年後の、10月の初め頃になる。
「残り時間...って、何?余命ってこと?」
【人間の言葉に置き換えると、そうなる】
「何、僕が病気だって言うの?」
【原因がそれとは限らないけど、気になるなら調べれば良いさ。ただ、私が言えるのはそれだけだ。君の残り時間は、あと8,544時間。その時になったら、そこにいる死神(タナトス)が君の命を狩り取るから、よろしくね】
「そこって、誰も」
誰もいないじゃん、と言いかけて、息を呑んだ。
女の子が1人、膝を抱えて床に座っている。
ここは僕の家で、僕の部屋だ。誰かを家に上げたわけではない。
自称・神は何らかの超常現象で家に入ってきたと考えられなくもないが、目の前にいる女の子は、僕のクラスメイトである、鎌代(かねしろ)紗音(すずね)だ。ぽかんとする僕の目を覗き込むように眺めながら、鎌代さんがにこりと笑う。
「よろしくね、愛空(あいら)君」
「...おい、自称・神」
【自称とはなんだ。私は神だよ。正真正銘、神だ。それを君は...】
「良いから聞け。鎌代さんまで巻き込んで、なんの冗談だよ?」
【理解力ないなぁ。やっぱり人間は莫迦(ばか)だね。まぁ、そこがどうしようもなくいじらしくて愛おしいんだけど。
つまりね、彼女は死神(タナトス)なの。人の振りして紛れ込んでるだけ。他にも死神(タナトス)は人間社会のそこここに紛れ込んでる。人間は君含めて、簡単に騙せるからね。私は神だから、世界中の人間を騙すなんて瞬きするよりも簡単なことだ】
「...神でも無駄口を叩かないのは難しいみたいだね。とりあえず話の大筋を理解はしたよ。信じるか信じないかは別としてね。...気になったんだけど、彼女はこれからずっと僕の家に居座り続けるわけ?」
「必要に応じて。普段は姿を見せないようにするから、好きに過ごしてもらって構わない。呼んでもらったら基本いつでも行くよ」
「僕は自称・神に聞いたんだけどな。
それに、構わないって言うけど、ここは僕の家だから、君に何言われてもとりあえず好きに過ごさせてもらうよ。用があるときは有り難く呼ばせてもらうかもしれないけど」
【それなら善し】
自称・神がにっと笑った。
【それなら私は帰るよ。忠告をしに来ただけだし。じゃあ死神(タナトス)・スズネ、後はよろしくね】
「はい」
自称・神が空中に向かって一歩踏み出すと、彼の姿はふっと消えた。

「ねぇ、...鎌代、さん」
2人取り残された静寂の中で、僕はそっと口を開いた。
「なに?」
「聞いても良い?」
「うん」
鎌代さんが柔らかい声で応える。
「タナトスって、何?」
「へぇ?」
彼女が素っ頓狂な声を上げた。
「愛空君、知らなかったの?」
「うん。何、それ?」
「ギリシャ神話に出てくる死神だよ。死を擬人化した神」
「死神...?」
「うん。あとは、死に向かう本能そのもののことでもあるかな」
「...へぇ」
「いま神様が言ってた死神(タナトス)・スズネっていうのは、私のこと。神様は私達のこと、そんな風に呼ぶの」
「そっか、何人も居るんだっけ、その...死神(タナトス)、っていうのは」
「うん」
「で、僕、死ぬの?一年後に」
「そうだね、そうなってるみたい」
「で、その時は君がさくっと僕の首を落とすわけ?鎌か何かで」
「ううん、私が愛空君の心臓に触れる」
「え?」
「お医者さんが聴診器を当てるみたいにね。私が人差し指で愛空君の心臓に触れれば、貴方はことりと死んじゃう」
「っ...」
冷たい汗が、背中を伝った。
「つっても、それをするのは一年後だから。そんなに距離取らなくても大丈夫だよ」
じりじりと後ろに下がっていく僕を見て、鎌代さんは安心させるように言った。
いや、全然安心できない。
鎌代さんが僕を殺す方法を話した時、彼女の瞳には一欠片も嘘がなかったように見える。
「とりあえず、一年間は仲良くさせてもらうよ、よろしくね」
「...出来れば帰ってもらいたいな、早急に」
「それは無理」
爽やかな笑顔でそう言われて、僕は目眩を覚えた。
「手始めに、私のことは名前で呼んでよ。仲良くなりたいしさ」
「...死神と仲良くする趣味はないよ」
「いや、鎌代さんって呼ぶの長いでしょ。紗音の方が遥かに呼びやすい」
「紗音、さん?」
「紗音」
「...紗音」
「うん、よろしくね、愛空」
鎌代さん改め、紗音が嬉しそうに笑う。僕はと言えば、生きた心地がしないという状況を、身をもって学んでいた。