枯れ花のように恋をした

 一 一歩とたりとも触れない
 二 余命を口外しない
 三 引き止めない

「私はこれくらいでしょうか」
「分かった。引き止めないって一年後の?」
「はい」
「それは心配しないでくれ。君が納得しているなら俺は賛成派だし、深く訊くつもりない。じゃ次は俺の番」

 彼も成約書を開いた。

 一 俺に触れない俺の詮索なし
 二 願いは全力で叶える
 三 最後は笑顔で

 願いって。
 会ったばかりなのに、なぜ彼は全力で私にぶつかってくるの? 昔に私が何かした覚えはない。それとも、余命を阻止するつもりで? ヒーロー気取ってるとか!

「書かなくたって触れませんよ。詮索もありません。言っておきますが私の考えを変えようとするなら、直ぐに離れますからね」
「女子って何かとタッチしてくるじゃん。あれ嫌なんだよね。だから俺も玲衣が嫌がる事はしないから」
「私もしませんから安心して下さい」
「あははは、冷たいね玲衣は」

 玲衣ね。
 なんか違和感があるんだよね。

「すみませんが下の名で言われるのはちょっと」
「嫌?」
「嫌とかではないと思うのですが」
「あーね、慣れていないんだよ。嫌でないなら続行するけど、どうする?」

 ぐいぐい来られる。でも拒否するような事なのかが微妙。彼の言う通り慣れていなだけなのかも。

「俺は苗字以外ならなんでも。玲衣は、ちゃんでも付ける?」
「どうぞお好きに。きっとちゃんが付いていようが無かろうが、不慣れは変わらなさそうなので」
「了解。じゃ俺と玲衣の成約は成立って事で良いかな」
「はい。良いです」

 ボールペンで互いの苗字を書いた。連絡先も交換した。さっそく明日会う約束もした。


「玲衣、終わった?」
「本当に朝から会うとは」

 いつものようにお供えとお掃除を終えたところだった。

「なんだ、玲衣が寂しいかと思って朝にしたのになー」
「そうですか。夕方にはここに戻って来ないとです」
「あははは、相変わらず流しますな」

 今日の彼はネイビーのシャツに白いパンツ姿。前髪は横に流して耳にかけていた。
 ツンと出た鼻先が真横の顔をすっきりさせている。肌も綺麗だし、毛穴がない。ケアーしていそう。

「うん? どうした、俺の顔に付いてる?」

 男性を近くで見ないせいか抗体ができていない証が現れてしまった。物珍しい眼になっていたはず。

「いえ、付いてません。ただ」
「ただ?」

 ただ? の次なんて考えてもない。口から勝手に出てしまった。
 
「もしかして、俺を」

  私を覗き込む彼の眼とあってしまい雷に打たれたような衝撃に顔を上げた。

「ただ! 今から何を考えているのかと思っただけです」
「そっか。今日は散歩だよ」
「散歩後、解散ですか?」
「そうなるかな」

 なんだ良かった。ちょっと安心した。

「でもただの散歩じゃないんだな」
「え? 意味深ですね」

 横顔の彼は凛としているけれど企む笑みが口に現れている。

「なあ、玲衣。この道には行き止まりがあるんだ。そこをゴールとして、到着するまで玲衣を攻めてもいい?」
「せっ攻める!」

 さっきよもニタつきが増しているような。

「そう。質問攻め。無言は無し。必ず答えること」

 脅かさないでほしい。表情が態とらしいから勘違いしてしまうから。

「質問ですね」
「その顔、もしかして如何わしいとでも思った?」
「思ってませんから」

 そっちが変な顔するから、ああなってこうなったんじゃんか。
 先が見えない道は広めの土手。ここを歩いた事はないけれど、ゴールは海につながっているのは知っている。

「玲衣は夢とかあった?」
「ありませんね」
「即答だね」
「なかったので」
「じゃ、残りの一年で何かをやり遂げなければならないとお告げがあったら、何する?」
「そうですね、定番をやってみたいです」
「定番って?」
「夏祭りに行くとか海に行くとか秋は芋焼いたり、冬は雪だるま作って炬燵にプリン。春は花見したり」
「ふーん、なるほどね。玲衣はできてないんだな」
「誘われる、と言いますか誘う友達がいませんので私には縁がありせんでした」
「友達か。いじめでも経験した?」
「こうゆう事を直球に訊いてくるんですね。虐めではないと思います。私が人払してしまう雰囲気を持っているので入学式から誰も寄り付きませんでした」
「あはは、オーラー的な。まあ人の運が悪かっただけだろ。どっちかと言うと玲衣は可愛いくない方だよな?」
「はぁ? 急に言いますか」
「いや、美人って言われた事ない?」
「わわわ私が? ないです」

 あるわけないよ。全力で首を振った。

「玲衣は可愛いくない。玲衣は美人なんだよ。俺はそう見えた。美人ってある意味、不利でさ。ギャップを持ってないと、敵を作りやすいよ。気苦労が絶えないかもね」
「ギャップ?」
「そう。クールなオーラーがあるからさ、先ずは自分から行動を仕掛けて、話し掛けやすい雰囲気を自分で作る。例えば美人だけど気さくで笑い上戸とか、後は崩すとかね」
「笑う……ですか。崩したくないから笑わない訳ではありませんが」

 一番苦手。そもそも面白いが分からない。

「大丈夫、俺が笑わせてやるから。一年もあれば一回は笑うって」
「あ、はい」

 他愛もない質問が続いた。好きな色から始まり、プロフィールに書かれているよな質問ばかりだった。
 歩き始めて三十分経った頃、ようやく質問攻めは終わった。

「玲衣はさ、歩いているようで歩いてないよな」
「どう言う意味ですか?」
「じゃ今、相当な距離だったけど疲れなかった? 俺は今にでも影に入って地面に大の字になって炭酸が飲みたい。でも玲衣はクーラーガンガンの車で来ましたが何か? 状態だ」
「一緒に歩いて来ましたよね」
「自分をさらけ出しなよ。玲衣は気づかない内に無心の玲衣ってゆう人形に入っているんだ。だから崩れない、無表情、無愛想イコール近づけない雰囲気というか高嶺の花を纏ってるんだって」

 なんでそこまで言われなきゃならないの。最後は感情も存在も無くなるのは分かってるけど、その前に傷つけられて終わりたくない。

「帰ります」
「そっか、良いよ。じゃまたね」

 呆気ない別れだった。
 同じ道を速度を落として歩いた。
 考えたくないの彼の言葉が耳鳴りのように響いてくる。
 きっと心当たりがあったから、だから答えられず逃げるように帰って来てしまった。

 小学生の頃までは友達は私にもいた。
 ある日をきっかけに私は殻に閉じ籠った。

 小学五年生の頃、公園で幼稚園生の弟と遊んでいた時、おやつの飴玉を落としてしまった弟。コンクリートだったし、ふうふうすれば大丈夫だと思って私は口に入れた。汚れてもいなかったし、勿体無いから何気ない行動だった。
 それを同級生の男子が見ていた。翌日には拾い食いの玲衣ちゃんとちゃかされた。
 その後は拾い食いの玲衣ちゃんに追加され、気持ち悪い、臭い、そして友達が消えた。

「その時からだよね。私は玲衣ちゃん人形に入ってしまったんだよ」

 灼熱でも雪女のような顔して、極寒でさえも。
 賛成も否定も、もちろん意見だって持たなくなった。
声を失ったと言って良いかな。
 昨日会ったばかりの肇さんに気付かれてしまうなら、他でも私のダメなところに気づかれているかもしれない。そもそもダメなところに今になって知るとはね。
 これじゃ恥ずかしい私を自ら放出じゃん? 
 
 一年だし……気にしたって…

 そうだよね、残り一年なんだから羞恥心に取り憑かれたって気にするのはおかしい。それならがむしゃらに恥をかいてみたい。できる事をやってみたいかも?
 どうせなら違う私を見てみたいな。

 ポケットに入ったiPhoneを取り出して、肇さんに文字を打った。

(人形から出てみたいです)

 直ぐに既読になった。

(了解)
 

 
 今日、神社の手伝いは休み。彼からの二日ぶりの連絡は美容室で待ち合わせ。

「お、定刻通りに来てるね」
「はい。今日は朝ではなくて夕方なのですね」
「今日は玲衣には変身してもらうからね」
「変身?」

 美容室の看板を見上げてた。

「もしかして髪を切りますか?」
「さあーお楽しみに」

 ポケットに入っていた手を店内に振る彼の背中が楽ししげにみえる?
 出て来た店員さんは知り合いなのか、彼と親しげに話し始めた。

「電話のこの子ね。こんにちは、肇の友達でここでスタイリストしている真衣です。今日は宜しくね」
「っあ、はい、こちらこそ宜しくお願いします」

 言われるがままに私は挨拶した。

「じゃこちらにかけて」

 真衣さんが映る鏡は綺麗に磨かれていた。
 彼は入り口にあった椅子に座って雑誌を開いていた。
 ここからは私が要望を言わないといけない気がする。でも切る予定も染める予定も無いから、何も考えていない。

「緊張してる?」
「はい、少し」
「大丈夫だよ。玲衣ちゃんだっけ? 肇の言うとおり、綺麗な眼を持っているね。顔の形も美形だし、前髪で隠すのはもったいないよ」
「いええ、これで大丈夫です。あまり目立つのは苦手で」
「そっか、でも今日に似合うお洒落を提案させてもらうからね」
「っあ、はい」

 声に力が入らない。代わりにケープに隠れた結んだ手に力が入る。
 真衣さんは手のひらに付けたワックスのような液体を私の髪に塗布した。
 肩まで伸びた髪を束ねては、余った髪はコテで巻かれた。髪は切らないらしい。セットをしているみたい。
 前髪に手をかけた。

「あっ、待って下さい」

 真衣さんは細い唇を緩ませて首を振った。

「任せて」

 久々にお披露目になったおでこ。前髪は横に流して、波のようにうねらせた形を作り固められた。
 
「この髪型やってみたかったのよ。美少女じゃなきゃできなかったら今日は念願が叶ったわ」

 真衣さんの眼がキラキラしているが、出来上がりの私を直視出来なかった。
 そのままカーテン内に案内された。

「はい、完成」
「すごい」

 菫色の浴衣を着付けてもらった。
 姿見に写った私。恥ずかしい。化粧も色付きのリップぐらいだったから、今日は初めて自分の肌に色を塗ってもらった。

「デート楽しんでね」
「デートではありません。肇さんが勝手にしている事で」
「じゃ肇は喜んでいるみたいだから、今日は少しだけ付き合ってあげて。ね」
 
 ウインクを飛ばされてしまった。

「じゃーん。完成したよ〜」

 から、一分か二分経過した。彼は眼を見開いただけで、停止している。

「おお、真衣の技術に恐れいったか。それとも見惚れるてるでしょ。肇は分かりやすいね」

 耐えられなくて、私は顔を床に落とした。

「ありがとう真衣。じゃ行ってくる」

無言と足音と彼の広い背中。私から話題を振った方が良いのかな? 空気が重くで中々口を開けない。

「肇さん、この後は何処に行くんですか?」

 初歩的な質問をしてみた。

「やっと名前を呼んだな」

 返事が返ってきた。歩くスピードもゆっくりなり、私は彼の横に並んだ。

「でしたっけ?」
「うん、今初めて聞いた。玲衣」
「はい」
「浴衣、似合ってるよ。綺麗だな」
「……ありがとうございます」
「神社の手伝いが休みな理由を知ってるか?」
「知らないです」
「あれだよ」

 遠くを一直線に指した先には橙色の灯りがぶら下がりいつもの神社と違う雰囲気があった。

「祭神?」
「そう、夏祭り。これで玲衣の普通が一つ叶っただろ」

 うん、叶った。何気なく言ったのに、彼は覚えてくれていたなんて。

「この日のために浴衣を?」
「祭りと言ったら浴衣だろ。俺も見たかったし」
「ありがとう、ございます」

 慣れない下駄に彼は私の歩調に合わせて歩いてくれた。
 鳥居を潜った左右には出店があって、彼は目立つのか進む度に声をかけられている。見た事がある人もいる。ご近所さんだ。

「肇君の彼女?」
「美人さんだね」

 そればかりで、多分、誰も私だと気がついていない気がする。

「肇!」

 祭りの賑わいに負けない声が彼を呼んだ。

「あおいも来ていたのか」
「おう。珍しいよな。肇、人混み苦手なのに。てか誰だよ。美人連れてさ、紹介は」
「あ、ああ」

 申し訳ない感が否めない。私と居るところを知り合いに見せたくなかったはずなのに。
 小さく会釈をしてから、彼から一歩下がった。

「この子は玲衣。俺が見つけた俺の大切な人」

 え?

「へぇ〜そっか。肇が女の子と歩く姿からして夢かと思ったら、そうかよ、現実だったんだな。まあ、宜しく」

 彼の友達の片手が前に来た。
 これは握手した方が良いのかな?

「真衣の代わりに俺が」

 彼の手が友達の手を握った。

「お前の手を握るとは」

 楽しげに二人は笑っている。どこが楽しいのか分からない。

 ベビーカステラを買ってから土手に出た。
 小川を撫でた風が首筋に冷感を齎せてくれる。

「大丈夫でしたか?」
「何が?」
「肇さん、人混みが苦手だってお友達が言っていましたから」
「あーあれね。今日は平気だったんだよな。それより玲衣は楽しめたか?」
「はい。楽しかったです」
「なら良かった」
「あの」

 訊いて良いものか分からない。でもこの先の被害拡大を抑えておかないと。

「どうした?」
「私を紹介した時に大切な人って。あれは勘違いされますよ。私は近所の人でかまいません」
「彼女? 玲衣は変な心配するな。誤解させてとけば良いよ」
「駄目ですよ。肇さんはこの先に大切な人ができるのに、私のせいでその方が現れなかったら大変です」
「玲衣には先がないからの意味をこめて言ってる?」
「はい。私の事は空気と思って接して下さい。肇さんの人生において消えてしまう人は誰にも見えない方が良いんです」

 余命は私の勝手。彼の人生に汚点を付けたくない。成約はあくまでも二人だけの決まり事。世間に広めてしまえば私は肇さんの一生に存在を曝け出してしまう事になる。

「無理かな。俺は俺の好きなとおりに生きてる。サボりたいなら休むし、腹空いたならバイキングに行くし、玲衣に会いたいなら行く。俺の幼馴染、真衣とあおいに玲衣を見せたいと思ったから自慢しただけだ。消えるとか、俺の人生とか、そんな面倒な心配は要らねぇよ。玲衣、あと一年なんだ。そんな面倒なところを見るなら、明日の楽しみを見つけろ。分かったな」

 まただ、頭を撫でるようにポンポンとされる。

 っあ!

「触った! 成約に反してます」
「あ、確かに。ついな。はあああ」

 明日を楽しみと思った事はないけれど、今なら明日を待ち遠しくさせる事はできる。

「じゃ罰に、明日私の手伝いに参加してもらいます。朝五時集合ですからね」
「はーい」

 罰なのに彼は喜んで手を挙げている。
 明日は一人じゃないんだ。私。


 
 お祭り後の神社は昨夜の余韻が残っていた。
 今日は一人じゃなくて良かった。
 彼は箒を持って懸命に塵を集めてくれている。顔を上げる度に手を振ってくれるが私は振りかえさず会釈で終えてみる。

 彼って……
 
 就寝前の天井に彼の顔が浮かんできた。
 今村肇さん。名前と友達二人、人混み苦手しか彼の事を知らない。 
 彼の成約情、質問は詮索に当てはまるから訊けない。昨夜のように私が苦手とする行動をしなければ、彼の情報が手に入らない。
 
 私から誘うのは……

 気が引ける。誘い文句すら思いつかないのに。
 そうこうする内にお供えもお掃除も終わった。

「今日はありがとうございました。良かったら飲んで下さい」

 炭酸飲料を渡した。

「俺の好きなやつ。何で知ってた?」
「ゴールの海に着いた時に大の字になって、炭酸を飲みたいと言っていたので」
「おー言ったわ! 玲衣は気が利きくな。ありがとう」
「じゃ、これで」
「もう帰る感じ?」
「はい」
「そっか。じゃな」

 彼の背を見送って。
 違うでしょ!
 私から行動しなきゃ。
 重い足を動かして、喉に力を託した。

「肇さん」
「どうした?」

 ペットボトルを口につけたままの彼が振り向いてくれた。

「ゆゆゆ、夕方もお願いできますか? 此処に集合です」

 彼の声を待つだけなのに心臓が外れそう。
 不安で堪らない。

「あいよ」

 ほっ、ほっとして良いのかな。どんと力んだ分だけの体力が膝に来てその場に崩れた。
 
 
 その夕方はすぐに来た。
 緊張してしまって昼ご飯の味が分からなかった。
 彼は箒を持つ。私も朝と同じ。これじゃ空色が変わっただけで何も変わらないよ。

「玲衣。今から海に行こっか?」
「今からですか? でも夜になりますよ」
「行こう」

 行きたくないわけではない。反対だった。誘われたのが嬉しくて、行きたいが素直に出てこなかった。
 家に連絡を入れて私は彼の背を追いかけた。

「夜道は危ないからさ、今だけ成約破りしない?」
「成約を破る?」

 空いた口が治らない。
 彼は有無を言わずに私の手を握った。

「もし落とし穴とかあったら危ないだろ。夜道だし」
「ありませんよ、そんなの」

 私もどうかしている。その手を握り返してしまっている。
 深く考えないようにしよう。きっと私だけだよね。慣れていないから。こうゆうの。

 海が近く感じた。
 静かな空気に音色を奏でるような波音が心地いい。はらはらする心臓に一定のリズムを刻み込んでくれるような気がする。

「俺、明日から会えないんだ。家の用があってさ。でも秋には帰ってくるから、玲衣待っててくれる?」

 そうなんだ。そっか。秋、長くいないんだ。肇さん。

「遠くへ行くんですか?」
「海外だよ」
「帰り待っていますね」
「……よかった……」

 良かった? 彼は小声で言った。その言い方が彼らしくない。なんだか胸騒ぎがした。
 色がついた落ち葉のようなマフラーを巻いた彼がニカ月ぶりに私の前に現れた。

「ただいま玲衣」
「おかえりなさい肇さん」
「持ってきたぞ」

 紙袋を抱えて彼はいつもの笑みで私に見せた。

「もしかして」
「そうだよ。玲衣が言っていたよな。秋は焼き芋だって」

 なんだか肩の力が抜けて口が緩みそうになった。

「芋、確かに言いましたね。私も丁度良い物を持っていますよ」

 箒で集めた落ち葉の山を作って見せた。

「玲衣は気が利くな」

 アルミホイルを巻いた焼き芋を落ち葉に埋めた。
 二人で横並びになって煙を見つめる。

「海外はどうでしたか?」
「うん。世界は広かったよ」
「そうですか」
「玲衣は何かした?」
「此処への往復以外、変わった事はありません」
「そっか」

 久々なのに会話が弾まなかった。パチパチはぜる音が目立っている。

「焼けたかな?」
「多分」

 彼の声に返答するだけの私が惨めに見えてきた。どうしていつも私は待つばかりなの。もっと話したいのに頭が真っ白になってしまう。
 焼き芋はほくほくに出来上がってしまった。
 半分に割った湯気を揺らしてふーふー。

「美味しいですね」
「そうだな。上手い」

 風が冷たくなってきた。空色も暗くなってきている。
 発展がない空気に焦ってきた。

「玲衣、明日から俺のマンションに来なよ」

 突拍子もない言葉に芋を落としそうになった。

「マンションでしたっけ? 肇さんのお家」
「実家はあるよ。でも俺が住んでいるのはマンションなんだ」
「私がお邪魔しても宜しいのでしょうか?」
「良いに決まってる。玲衣の事だから断るかと思ったよ」

 確かに断る内容だったかも。なんでかな、口が滑ったのかな? 気持ちが先走っていた。要するに、行きたいが優った。

「誰かの家に行くのは小学生ぶりだったので、なんか嬉しくて」
「嬉しく思ってくれるなら、毎週来なよ。俺、朝は不在だけど昼間はいるからさ」
「え? そんなに通っても」
「これ家の鍵」
「あっ、はい」

 受け取ってしまった。
誰かの家の鍵を預かるのは初めて。


 
 本当に毎週午後から私は肇さんの家にお邪魔した。
 今日もこたつに足を入れて、二人でプリンを食べている。
 肇さんは一人暮らしをしていた。テレビ、机、ベッド、緑のカーテン。たまに開け閉めするクローゼットから見える洋服がお洒落な物ばかり。

「冬になってしまったな」
「今年は寒いですね」
「だな。来年も寒いかもな」
「ですかね」

 私と肇さんはだんだん老夫婦のような心地よい会話が主流になった。無言もあるけれど、その間は二人だけの暖かい春のような空間でふわふわ飛んでいるような感覚が私は好き。

「玲衣」

 彼は机に頬を付けたまま私と視線を合わせた。

「はい」
「次は春だな」
「春が来ますね」
「春なんか来なければ良いのにな。このまま時が止まってほしい」

 彼の眼差しが寂しく見えた。洞穴に逃げ込んだ雪兎のように小動物が私の膝に丸まってくるような、弱々しい姿が見え隠れする。
 
「肇さん」
「でも服の上からだから、これは大丈夫な範囲だろ」
「……」
「嫌か?」
「嫌じゃありませんけど……」
「なら続行な」

 私の太ももには彼の顔が乗った。彼は躰を横にして、眼を閉じている。

「玲衣はこの世に残される人を考えた事あるか? 俺はあるんだよ」
「私は、言える立場でないとゆうか」
「枯れ花だ。水を出し切った花に肥料を与えようが、色褪せ萎れ最後は土に帰る。跡形を残さない終わり方は、可憐だった頃の面影を生きる人に刻み込む。同じ花を探し求める人にとってはドライフラワーにしない限り同じ花を手元に置けないんだ。花を人間に置き換えたら残酷だよな。俺は残酷な事をしている気がするんだ」
「どうして肇さんが残酷なのですか?」
「なんだかね、ふと我に返った時にそうなのかと」
「大丈夫ですよ。肇さんのそのままが良い人ですから」

 たまに彼は彼らしくない不安な言葉を口にする。
 最近それが多くなっている気がする。
 春はなかなか来ない。
 それなのに彼が明日は花見しようって。

「おじゃまします」

 部屋の扉を開ける前に花弁型の紙? が一枚落ちていた。
 拾う間に扉が開く。

「玲衣、こっちにおいで」
「はい」

 顔を上げた瞬間だった。
 春が眼前に来ていた。

「桜ですか?」
「河津桜の枝を買えるだけ持ってきた」
「わあーすごい。凄く綺麗です」
「良かった。花瓶が足りなくてさ、急遽手作りの花瓶を作ったんだ」

 いくつかペットボトルに生けられている。

「座って」
「用意があるなら私もお手伝いできたのに」
「それじゃ意味がないからさ。サプライズにしたかったんだ。予想もつかないだろ」
「はい。全く分かりませんでした」

 こたつがあった場所には風呂敷が敷かれていて、サンドイッチやケーキが並べてあった。
 
「お花見ですね」
「早いけど先取りの春って事で」
「本番の花見は外に行きませんか? ね」
「行きたいな。でも俺は行けないわ」
「え? また海外へ行くんですか?」
「俺、春には死んでるんだよ」

 へえ? 何を言っているの。彼の眼を見た。

「死、ぬ……」
「だから玲衣の最後の叶えたい花見は間に合わないから、今日に決めたんだ」

 頭が真っ白になった。
 彼が普通に話すから、態度だっていつもと変わらないから、聞き間違いかと疑ってしまえる。彼は白い紙を私に渡した。

「癌って書いてる」
「そう。実は海外は嘘なんだ。抗がん治療で入院してただけ」
「それなら癌は治ったのでは?」
「癌はリンパに転移してしまってさ、若年性は転移してしまったら回るのが早いらしい。で、余命をね。最近は体力に自信なかったから、此処へ玲衣に来てもらっていたんだよ」

 私の首が横に振っていた。

「本当に生きられないんですか?」
「生きられない。生きたくとも俺は消えてしまうよ」
「そんなの嫌です!」
「いや?」
「だって、まだ出会ったばかり、これから色々を一緒にしようと思って……」
「玲衣も先が無いだろ。お互い、これからじゃなくて、残り、だったはず。悲しみの感情は消えるだろ? 玲衣が生き続けなければの話だがな」

 そうだけど、そうだとも、私も消える、絶対に消える。だから悲しみなんか感じないのに、でも、でも、どうしても

「肇さんを失いたくない。そんな風に思えてしまって」

 彼の腕が私の肩に回った。
 ふわり香水の香りと彼の首筋の温度が頬に伝わる。

「俺も同じだよ。玲衣を失いたくない。玲衣を誰かに奪われたくない。この先も玲衣と同じ道を一緒に歩みたい。初めはこんな風になると思っていなかったんだ。ただ眼前で死を待つ人がいたから助けたかった。ヒーローになってみたかった。でも、玲衣を好きになってしまって、生きたくても生きられなくて、このままでは玲衣を置いてけぼりにしてしまう罪悪感が日が追う事に苛まれてさ、俺、最低だよな」
「肇さん」
「ごめんよ、俺は最後に枯れ花を玲衣渡す事になる。ごめん」

 彼の腕の中は心地よいくて忘れられない暖かさがある。これが最後だと思うだけで、涙が止まらなくなった。

「枯れた花でも私は嬉しいです。受け取ります。姿形が無くなっても、私の心で咲いていてくれるなら私はずっと水やりします」

 忘れない。肇さんを忘れたくない。
 ぎゅっと力が入った腕。私も彼を強く抱きしめ返した。

「じゃ、水やり宜しくな」
「任せてください」

 肇さんの前に手を出した。

「うん?」
「約束の握手です」
「あ、ああね。はいよ」

 肇さんの手を握ったら、頬が暖かくなった。
 
「あ、玲衣が笑ってるな」
「なんだか自然と笑えて」
「玲衣の笑いのツボが今に知れるとはな」
「すみません」

 涙が止まらないまま肇さんの前で私は崩れながら笑った。

「こんな俺だけど、玲衣、愛して良いかな」






 
 私は生きている。
 余命は撤回。肇さんにもっと簡単に生きて良いんだよと言われてから私は変われた気がする。

 学校も行き出して、気がつけば肇さんに行動力を付けてもらったみたい。だから玲衣ちゃん人形から出られた。
 出てみれば、私が生きている感じがした。
 当たって砕けて再生して再び当たる精神を身につけた。
 ようするに、ダメなら諦める。気にするなら遠ざける。一見、逃げにも見えるけれど、人は逃げて身を守る事を知った。
  結局自分を大切にできるのは、私しかいないから。

「私は肇さんの面影を探してしまう。でもね、肇さんが言った残酷は残らなかったよ。色が薄まるだけで、想い出として残って宝物になった。ありがとう、私の命に花を咲かせてくれて」

 私の恋はパッと咲いて枯れたけれど、私は又その土に花を咲かせてみたい。
 肇さんという土台が良いから今度は盛大に咲かせてみせるね。はあああ

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