わたしは翌日にも、その次の日にも、美空総合病院に足を運んだ。あの日と同じようにまつりのお見舞いをして、その後中庭に通い蓮を探す。その繰り返し。
今日は休日だからと時間をずらし昼間から訪れたものの、期待薄だ。初日以降、彼に会うことはなかった。
「はあ……」
「ちょっと、人のお見舞い来て溜め息吐かないでよね」
「ごめんごめん、ちょっと、会いたい人に会えてなくて……」
「えっ、なになに、恋話?」
興味を持ったまつりに詰め寄られ、何と無く気恥ずかしくて言えずにいた蓮への恋心を、観念してぽつぽつと話す。まつりの恋話も毎回聞いているのだ、今更わたしだけ隠すのもおかしな話だろう。
誰にも言っていなかった秘めた想い。言葉にする度に、わたしはどうしようもなく彼に恋をしているのだと実感した。
「つまり、桜花は愛しの蓮くんに会うために通ってるんだ? 私のお見舞いじゃなく?」
「えっ、ちが、勿論まつりのお見舞いメインだから!」
「はいはい、そういうことにしておくよ」
言葉とは裏腹に、気分を害した様子もなく楽し気に笑うまつり。今日の手土産の星屑ゼリーを頬張りながら、窓の外へと視線を向けた。
「でもさ、この病院結構広いし、探すの大変かもよ?」
「だよね……本名も知らないし」
「まあ桜花の見立て通り外科じゃないとして……他に情報とかないの?」
「えっと……」
そういえば蓮は、以前窓から西日が入ると言っていた。つまり、西側に窓がある病室だ。それから、あの青い建物が見切れる高さの階と角度。
「ねえ、まつり。この条件で、何となくでもわかる?」
「ふふん、名探偵まつりちゃんに任せなさい!」
早速引き出しから館内マップを取り出し条件に合う病棟を調べてくれるまつり。ベッドからも満足に動けない親友は、それでもこんなにも頼もしかった。
*****
「……よし」
まつりに調べて貰い、おおよその目星がついた。西日がよく当たる西向きに窓のある三階以上の病棟。青い建物が見切れる角度にあるのは、おそらく血液内科か循環器科だ。
それでも病室も本名もわからないため、わたしは手当たり次第に病室を覗き込んで行く。完全に不審者だった。
「……どうされました? 迷子ですか?」
そんな行動を見咎められるように、何件目かを覗いていると不意に後ろから肩を叩かれる。思わずびくりとして恐る恐る振り返ると、そこにはこの間帰り際に声を掛けてくれた、初恋泥棒さんが居た。
「おや、先日の」
「あ……この間は、どうも」
「あの後、大丈夫でしたか?」
「はい、おかげさまで何ともないです!」
毎日何百何千人と出入りするであろう病院で、たった数分話しただけの患者でもないわたしを覚えているなんて、さすがの記憶力だ。
彼の首から下がるネームプレートへとちらりと視線を向けると、そこにはなんと、ここ数日幾度も聞いた名前が記されてた。
「あっ、あなたが蓮見先生!?」
「え……はい、研修医なので、まだ先生呼びは気恥ずかしいですね。僕のことをご存知で?」
「あー……あはは、わたし、紫藤まつりの友達で、三雲桜花といいます」
「おや、紫藤さんの。……彼女、毎日友達がお見舞いに来てくれると喜んでいましたよ。あなたのことでしたか」
まつりが一目惚れするのも納得のその笑顔に、ついわたしまで照れてしまう。
しかしながら、お見舞いを喜んで貰えてると知ると、ここに来る目的がまつりのためだけでないことが何と無く申し訳なく感じてしまった。
「ところで、紫藤さんの病室からは遠いですが……迷子ですか?」
「あ……その、実は……」
人当たりの良さそうな蓮見先生の雰囲気に、わたしは思わず、名前も知らない人探しをしていることを白状する。
詳しい事情は伏せて、先日中庭で失礼をしたお詫びに来たのだと説明すると、蓮見先生は少し考えたように口元に手を添えた。
「うーん……成る程。その特徴の患者さんに心当たりはあります」
「本当ですか!?」
「ええ、ただ……お知り合いではないようですし、病室を勝手に教えることは僕には出来ないんです。すみません」
「ですよね……個人情報保護とかそんな感じの……」
目に見えて肩を落としたわたしに、蓮見先生は笑みを浮かべて言葉を続ける。
「教えることは出来ませんが、彼に伝言をすることなら可能です」
「えっ」
「僕から伝えておきますよ。……でも、三雲さんは彼に直接伝えたいんでしょう?」
「は、はい……」
「なので彼には『あなたがお詫びに来ていた、あと三十分は中庭に居ると言っていた』と伝えておきます。彼にも会う意志があるのなら、中庭に行くはずですよ」
「……! ありがとうございます! 三十分どころか三時間でも待ちます!」
「さすがに夏の屋外で三時間待たせるのは、医者の卵として見過ごせませんね……?」
「う……じゃあ心だけ三時間残していきます……」
「生き霊的なあれですかね……」
優しい蓮見先生の提案に深々と頭を下げて、わたしは中庭へと向かう。
彼が会ってくれるかはわからない。けれど、それでも可能性が繋がったのだ。それだけで充分だった。
*****
わたしは中庭のベンチに腰掛けて彼を待った。この位置なら出入口がよく見える。
来るかもしれない、来ないかもしれない。まだ蓮見先生と別れて十分程度しか経っていないのに、落ち着かなかった。何度も前髪を指先で直したりしながら、そわそわとしてしまう。
きっちり三十分待って、来なかったら諦めよう。でないと本当に、何時間でも待ってしまいそうだった。
そう思っていると、不意にポケットの中のスマホが震える。この震え方はメッセージの通知だ。今は蓮を待っているのだ、メッセージは後で返そう。そう思い通知を切ろうとスマホを取り出すと、表示されたのはその想い人の名前だった。
『リボン』
「え……?」
たったそれだけのメッセージに、訳がわからず戸惑う。誤送信だろうか。
何と返したらいいかわからずに画面を見詰め悩んでいると、不意に目の前に影が出来る。
雲でも流れてきたのだろうかと見上げると、そこにはスマホを片手に持った彼が立っていた。
「れ……!?」
「……あんたが待ってるって、聞いてきた」
「あ……えっと、はい、この間はその……逃げちゃってすみません」
思わず名前を呼んでしまいそうになり、慌てて口を閉じる。わたしはスマホをポケットにしまい、立ち上がり勢いよく頭を下げた。
「それはいいけど……何で逃げたのにまた来たの」
「ええと……それはですね、何と言えばいいか……」
頭の中が真っ白で、上手く言葉にならない。目の前に蓮が居る。わたしに会いに来てくれた。その事実だけで、胸が一杯だった。
「……また、会いたかったから」
「俺に?」
「はい……」
何とか絞り出した言葉に、蓮は少し間を置いてから、溜め息を吐いてその場にしゃがみ込んだ。
「はー……」
「えっ!? だ、大丈夫ですか!? 具合悪いとか……」
「いや、平気……。よかった」
「よかった……? 何が……」
「あんたに、嫌われたかと思った」
慌てて彼の前にしゃがみ様子を伺うと、眉を下げて笑うその表情に心臓が跳ねる。
何よりその言葉に、動揺を隠せない。わたしに嫌われたくなかったとでも言うような、その口振り。勘違いしてしまいそうになる。
「き、嫌うわけないです。そもそも会ったばかりで、話したのもほんの一瞬で……嫌う要素なんて……」
しどろもどろになりつつもそう伝えると、蓮の視線が真っ直ぐわたしに向けられる。その澄んだ瞳がとても綺麗だと、つい見惚れてしまう。
「そう。ならいい……俺も、あんたに用があった」
「わたしに用、ですか?」
「……これ」
グレーのカーディガンのポケットから彼が取り出したのは、あの日ほどけた小瓶のリボンだった。そういえば芝生に落ちてそのままだった、拾っていてくれたのか。
しかし桜色のそれを摘まむ指先を見て、ようやく先程のメッセージの意味を理解した。
「あ……リボン……」
「あんた、サクラだろ」
名前を呼ばれて、硬直してしまう。彼に正体がバレていたのだとわかり、じわりと冷や汗が滲んだ。
そういえば、今日の蓮は敬語じゃない。最初からわたしを認知して話し掛けていたのだ。
素直に名乗り出る前にバレていた上、会ったばかりだなんて他人のふりまでしたのだ。心証最悪にも程がある。
「あの……この状況でも入れる保険はありますか……」
「……そこになければないですね」
いつも通りの気軽な会話。少し笑って立ち上がったのは、何度も想像した、画面の向こうの蓮だった。
*****
今日は休日だからと時間をずらし昼間から訪れたものの、期待薄だ。初日以降、彼に会うことはなかった。
「はあ……」
「ちょっと、人のお見舞い来て溜め息吐かないでよね」
「ごめんごめん、ちょっと、会いたい人に会えてなくて……」
「えっ、なになに、恋話?」
興味を持ったまつりに詰め寄られ、何と無く気恥ずかしくて言えずにいた蓮への恋心を、観念してぽつぽつと話す。まつりの恋話も毎回聞いているのだ、今更わたしだけ隠すのもおかしな話だろう。
誰にも言っていなかった秘めた想い。言葉にする度に、わたしはどうしようもなく彼に恋をしているのだと実感した。
「つまり、桜花は愛しの蓮くんに会うために通ってるんだ? 私のお見舞いじゃなく?」
「えっ、ちが、勿論まつりのお見舞いメインだから!」
「はいはい、そういうことにしておくよ」
言葉とは裏腹に、気分を害した様子もなく楽し気に笑うまつり。今日の手土産の星屑ゼリーを頬張りながら、窓の外へと視線を向けた。
「でもさ、この病院結構広いし、探すの大変かもよ?」
「だよね……本名も知らないし」
「まあ桜花の見立て通り外科じゃないとして……他に情報とかないの?」
「えっと……」
そういえば蓮は、以前窓から西日が入ると言っていた。つまり、西側に窓がある病室だ。それから、あの青い建物が見切れる高さの階と角度。
「ねえ、まつり。この条件で、何となくでもわかる?」
「ふふん、名探偵まつりちゃんに任せなさい!」
早速引き出しから館内マップを取り出し条件に合う病棟を調べてくれるまつり。ベッドからも満足に動けない親友は、それでもこんなにも頼もしかった。
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「……よし」
まつりに調べて貰い、おおよその目星がついた。西日がよく当たる西向きに窓のある三階以上の病棟。青い建物が見切れる角度にあるのは、おそらく血液内科か循環器科だ。
それでも病室も本名もわからないため、わたしは手当たり次第に病室を覗き込んで行く。完全に不審者だった。
「……どうされました? 迷子ですか?」
そんな行動を見咎められるように、何件目かを覗いていると不意に後ろから肩を叩かれる。思わずびくりとして恐る恐る振り返ると、そこにはこの間帰り際に声を掛けてくれた、初恋泥棒さんが居た。
「おや、先日の」
「あ……この間は、どうも」
「あの後、大丈夫でしたか?」
「はい、おかげさまで何ともないです!」
毎日何百何千人と出入りするであろう病院で、たった数分話しただけの患者でもないわたしを覚えているなんて、さすがの記憶力だ。
彼の首から下がるネームプレートへとちらりと視線を向けると、そこにはなんと、ここ数日幾度も聞いた名前が記されてた。
「あっ、あなたが蓮見先生!?」
「え……はい、研修医なので、まだ先生呼びは気恥ずかしいですね。僕のことをご存知で?」
「あー……あはは、わたし、紫藤まつりの友達で、三雲桜花といいます」
「おや、紫藤さんの。……彼女、毎日友達がお見舞いに来てくれると喜んでいましたよ。あなたのことでしたか」
まつりが一目惚れするのも納得のその笑顔に、ついわたしまで照れてしまう。
しかしながら、お見舞いを喜んで貰えてると知ると、ここに来る目的がまつりのためだけでないことが何と無く申し訳なく感じてしまった。
「ところで、紫藤さんの病室からは遠いですが……迷子ですか?」
「あ……その、実は……」
人当たりの良さそうな蓮見先生の雰囲気に、わたしは思わず、名前も知らない人探しをしていることを白状する。
詳しい事情は伏せて、先日中庭で失礼をしたお詫びに来たのだと説明すると、蓮見先生は少し考えたように口元に手を添えた。
「うーん……成る程。その特徴の患者さんに心当たりはあります」
「本当ですか!?」
「ええ、ただ……お知り合いではないようですし、病室を勝手に教えることは僕には出来ないんです。すみません」
「ですよね……個人情報保護とかそんな感じの……」
目に見えて肩を落としたわたしに、蓮見先生は笑みを浮かべて言葉を続ける。
「教えることは出来ませんが、彼に伝言をすることなら可能です」
「えっ」
「僕から伝えておきますよ。……でも、三雲さんは彼に直接伝えたいんでしょう?」
「は、はい……」
「なので彼には『あなたがお詫びに来ていた、あと三十分は中庭に居ると言っていた』と伝えておきます。彼にも会う意志があるのなら、中庭に行くはずですよ」
「……! ありがとうございます! 三十分どころか三時間でも待ちます!」
「さすがに夏の屋外で三時間待たせるのは、医者の卵として見過ごせませんね……?」
「う……じゃあ心だけ三時間残していきます……」
「生き霊的なあれですかね……」
優しい蓮見先生の提案に深々と頭を下げて、わたしは中庭へと向かう。
彼が会ってくれるかはわからない。けれど、それでも可能性が繋がったのだ。それだけで充分だった。
*****
わたしは中庭のベンチに腰掛けて彼を待った。この位置なら出入口がよく見える。
来るかもしれない、来ないかもしれない。まだ蓮見先生と別れて十分程度しか経っていないのに、落ち着かなかった。何度も前髪を指先で直したりしながら、そわそわとしてしまう。
きっちり三十分待って、来なかったら諦めよう。でないと本当に、何時間でも待ってしまいそうだった。
そう思っていると、不意にポケットの中のスマホが震える。この震え方はメッセージの通知だ。今は蓮を待っているのだ、メッセージは後で返そう。そう思い通知を切ろうとスマホを取り出すと、表示されたのはその想い人の名前だった。
『リボン』
「え……?」
たったそれだけのメッセージに、訳がわからず戸惑う。誤送信だろうか。
何と返したらいいかわからずに画面を見詰め悩んでいると、不意に目の前に影が出来る。
雲でも流れてきたのだろうかと見上げると、そこにはスマホを片手に持った彼が立っていた。
「れ……!?」
「……あんたが待ってるって、聞いてきた」
「あ……えっと、はい、この間はその……逃げちゃってすみません」
思わず名前を呼んでしまいそうになり、慌てて口を閉じる。わたしはスマホをポケットにしまい、立ち上がり勢いよく頭を下げた。
「それはいいけど……何で逃げたのにまた来たの」
「ええと……それはですね、何と言えばいいか……」
頭の中が真っ白で、上手く言葉にならない。目の前に蓮が居る。わたしに会いに来てくれた。その事実だけで、胸が一杯だった。
「……また、会いたかったから」
「俺に?」
「はい……」
何とか絞り出した言葉に、蓮は少し間を置いてから、溜め息を吐いてその場にしゃがみ込んだ。
「はー……」
「えっ!? だ、大丈夫ですか!? 具合悪いとか……」
「いや、平気……。よかった」
「よかった……? 何が……」
「あんたに、嫌われたかと思った」
慌てて彼の前にしゃがみ様子を伺うと、眉を下げて笑うその表情に心臓が跳ねる。
何よりその言葉に、動揺を隠せない。わたしに嫌われたくなかったとでも言うような、その口振り。勘違いしてしまいそうになる。
「き、嫌うわけないです。そもそも会ったばかりで、話したのもほんの一瞬で……嫌う要素なんて……」
しどろもどろになりつつもそう伝えると、蓮の視線が真っ直ぐわたしに向けられる。その澄んだ瞳がとても綺麗だと、つい見惚れてしまう。
「そう。ならいい……俺も、あんたに用があった」
「わたしに用、ですか?」
「……これ」
グレーのカーディガンのポケットから彼が取り出したのは、あの日ほどけた小瓶のリボンだった。そういえば芝生に落ちてそのままだった、拾っていてくれたのか。
しかし桜色のそれを摘まむ指先を見て、ようやく先程のメッセージの意味を理解した。
「あ……リボン……」
「あんた、サクラだろ」
名前を呼ばれて、硬直してしまう。彼に正体がバレていたのだとわかり、じわりと冷や汗が滲んだ。
そういえば、今日の蓮は敬語じゃない。最初からわたしを認知して話し掛けていたのだ。
素直に名乗り出る前にバレていた上、会ったばかりだなんて他人のふりまでしたのだ。心証最悪にも程がある。
「あの……この状況でも入れる保険はありますか……」
「……そこになければないですね」
いつも通りの気軽な会話。少し笑って立ち上がったのは、何度も想像した、画面の向こうの蓮だった。
*****