「リン、僕らに話してないことがまだあったんだね」
とりあえず鈴心を部室内に招き入れて座らせてから、永はまるで詰問するように言った。
「申し訳ありません……」
「妹って、どういうことだ?」
俯いて謝る鈴心に、蕾生は逸る気持ちで問うたが、永に先を制された。
その雰囲気は少し、恐ろしい。
「その前に、何故、黙っていたんだ?」
その剣幕に、鈴心は躊躇いながら答える。
「ハル様には言うべきだと思っていたんですが、常に星弥が側にいたのでお話する機会がありませんでした……」
「ふうん? 弁解の言葉としては弱いね」
永の言葉は驚くほど冷たい。
その雰囲気に飲まれた鈴心は、何も言うことができずに俯いて黙ってしまった。
「おい、永。鈴心に怒ってる場合じゃねえだろ」
蕾生が取りなしても永は静かな怒りを隠さずに、鈴心に言い聞かせた。
「それはわかってる。けど、リン、お前はいつもそうだ。何か大事なことを抱えて、一人で苦しんでる。おれがそれに気づいていないとでも思った?」
「……」
黙ったままの鈴心の肩を優しく掴んで、今度は目線を合わせながら永は穏やかに言った。
「いつか話してくれる、ってずっと待ってるんだよ? 言っただろ? お前の分もおれが考える──おれが全部守るって」
「ハル様……」
その声は震えていた。潤む瞳で永を見つめる様は、いつもよりも年齢相応に見えた。
「よし。じゃあ、話を聞こうか」
「はい。実は日曜日に家に帰った後、星弥と少しだけ会話したんですが──」
永がにっこり笑って促すと、鈴心は少し辿々しくも三日前の状況を話し始めた。
◇ ◇ ◇
「すずちゃん、おかえり」
「ただいま戻りました」
鈴心が永達と別れて帰宅すると、星弥は玄関で立って待っていた。先程よりだいぶ時間が経ってしまっているのにずっとここにいたのだろう。その姿に健気さを感じて鈴心は苦笑した。
「あの……周防くん、まだ怒ってた?」
おずおずと聞くので、鈴心は穏やかに言ってやる。
「お怒りは少し収まっているはずです。貴女の好きにしていいとおっしゃっていました」
「え、と、唯くんは?」
「ライですか? ライは別に……怒ってないと思いますけど」
蕾生のことまで気にするとは、永に責められたのがよほど堪えていると鈴心は思った。
「そう。でも明日もう一回謝るね」
「それがいいと思います。できれば貴女にはもう少し協力して欲しいので。中立の立場で構いませんから」
星弥が永を怒らせたままなのは鈴心にとっても辛い。それに星弥はあの蕾生の鵺化を止めた。これから先はどうしても星弥が必要になる。
それをどうやって永と蕾生に伝えようかと鈴心が思案していると、星弥はその場で少しふらついた。
「う、ん……」
「星弥?」
「あ、れ? ごめんね、なんか、ふわふわする……」
微かな声でそう言った後、星弥は突然昏倒した。
「星弥! 星弥!」
鈴心が大声で叫んでも、その意識が回復することはなかった。
「突然意識を失って、今も目覚めないんです」
鈴心の説明を聞いて蕾生は驚くしかなかった。あの晩にそんなことが起こっていたなんて、想像もしていなかった。
「原因は? わかってるのか?」
永の方は冷静で、腕組みをしながら真剣な表情で鈴心に続きを促す。
「すぐにお兄様を呼んで診てもらいました。その見立てでは、キクレー因子が暴走しているようだ、と」
「──ハ?」
永は意外そうに驚いて声を漏らす。蕾生にはその意味もよくわからなかった。
「なんでキクレー因子が出てくるんだ? あれはツチノコが持ってるDNAなんだろ?」
永の問いに、鈴心は首を振って説明する。
「いえ、そもそもキクレー因子は鵺が保有しているDNAです。詮充郎が若い頃に銀騎家の持つ鵺のサンプルから発見しました。その後ツチノコもこれを持っていることが判明したんです」
「嘘だろ……」
唐突な真実に永は二の句が告げなかった。つまり、詮充郎は鵺由来であることを隠してキクレー因子を世界に発表したことになる。永がそれまで信じてきた知識の根幹が崩れてしまったのだ。
「こんな重大なことを報告しなかったお叱りは後で幾らでも。ですが、まずは話を聞いてください」
「……わかった。で? 鵺のDNAが何故彼女に?」
なんとか心の折り合いをつけて、永は続きを急かす。
すると鈴心が意を決して新たな事実を語った。
「星弥と私は銀騎詮充郎が作った、キクレー因子を生まれながらに保有するデザインベビーです」
「──!!」
「なっ──」
永も蕾生もそんなことは想像もしていなかった。
言葉を失った二人に、鈴心は後ろめたさを押し殺して淡々と説明した。
「詮充郎はキクレー因子を持つ受精卵を二つ製造することに成功しました。最初にできたのが私、次にできたのが星弥です。最初の受精卵にリンの魂を憑依させるのが難航したため、先に星弥が代理母を経て産まれました。その後、二年遅れて私が誕生したんです」
「それで妹って言ったのか……」
蕾生はとんでもない事実に息を飲む。これで鈴心が何故二歳下なのかも説明がついた。
だが、もはやそんなことはどうでもよくなった。永が恐ろしい顔で鈴心に確認したからだ。
「つまり、やっぱりリンは詮充郎に捕らえられて、挙げ句、実験台にされたってことだな?」
その勢いに圧倒されて、鈴心は弱々しく頷いた。
「そう、です……」
「──」
永の瞳は憤怒に燃えていた。
蕾生はその肩を掴んで宥めるようにさするけれど、自らも怒りがふつふつと湧き上がるのがわかった。
「外道だ……」
蕾生がそう呟いたことでなんとか平静を保った永は、鈴心に疑問をぶつける。
「それで? キクレー因子が暴走するとどうなるんだ?」
「それはまだ研究段階なんです。星弥と私は体内にキクレー因子を持つ人間として経過観察の身でした。ただ、星弥の方は早いうちに因子が活発ではなくなったので、普通の子どもと変わらない生活をしてきました」
「ああ、それで彼女はあまり詮充郎の関心を得られてないんだ」
いつだったか、星弥は「わたしはお祖父様には可愛がられていない」と言っていたのを永は思い出す。その理由が実に詮充郎らしくて反吐が出ると思った。
「その通りです。ですからお兄様もこのような事態は予想していなかったようで、今も化学・陰陽術の両方面で調べています」
「俺達に助けてと言ったのは?」
蕾生が聞くと、鈴心ははっきりと答えた。
「それは、ハル様とライにもキクレー因子があるからです」
「──やっぱり」
そう聞いた永は肩で息を吐いた。
「俺達にも?」
「まあ、道理だね。僕らは鵺の呪いを直接受けている。ライくんは特に、だ」
「そう……か」
先日、二体の鵺の遺骸を見て、何か同じものを感じたのはこれだったのかと蕾生は思い至った。
「恐らく、ライの中にある因子が最も活発であるとお兄様はみています。銀騎研究所にあるものはどれも遺骸などから抽出したサンプルばかりで……」
「僕らの持ってる因子の方が、活きがよくてピチピチしてるって?」
「はい。私達三人の力があれば、星弥の中の暴走した因子を鎮めることができるとお兄様は考えています」
そこまで聞くと、永は軽蔑をこめた声音でその続きを当ててみせた。
「それで僕らに彼女の所へ来て欲しいって訳か」
「はい……このままでは星弥は目覚めないかもしれない。お願いします、ハル様、ライ。星弥を助けてください!」
必死な鈴心を見るのはこれで二度目だ。蕾生の時と、今度は星弥の危機。鈴心にとってはどちらも同じくらいに重要なのだろう。その様子を見れば蕾生には断る理由が見つからなかった。
「永──」
当然永も行くものだと思って蕾生が呼ぶと、永は恐ろしいほど冷たい声で言い放った。
「嫌だね」
「!」
「永!?」
永の「嫌だ」と言う答えにショックを受けた鈴心は固まってしまった。蕾生もぎょっとして狼狽える。
そんな二人に冷たい視線を投げて永は言った。
「僕らに彼女を助ける義理はないし、詮充郎の実験に手を貸すのも御免だよ」
「詮充郎にはまだ報告していません! 全てお兄様が主導でなさっています」
鈴心の必死の訴えは、更に永を苛立たせた。
「そのさあ、『お兄様』って言うのなんなの? あいつは詮充郎の孫だろ? おれ達の敵だ」
「あ……」
「おれは不安なんだよ、リン。お前は今回銀騎の家に心を寄せすぎている。身内として生まれてしまったからある程度は仕方ないと思ってたけど、今のお前を見てると嫌な想像をしてしまう」
きっとずっと我慢していたのだろう、永は不満を意地悪く吐き出した。
「私が、銀騎側につくと……?」
鈴心は驚いて永の思惑を反芻する。鈴心にしても永がそんなことを考えていたとは思っていなかったから、驚きとともに落胆していた。
「永、それは──」
言い過ぎだ、と蕾生が言う前に鈴心は悲痛な声で言う。
「ハル様、星弥を助けてくれたら私は銀騎と訣別します。皓矢……も敵とみなすと、誓います」
そんな言葉を言わせるな。
蕾生は鈴心が不憫でならなかった。
だが永が無表情で鈴心を追い詰める。
「その証は?」
「それは──」
鈴心が正解を懸命に探して言葉に詰まる。
その姿に蕾生の中で何かが、切れた。
「永、いいかげんにしろ!」
「!!」
蕾生が力任せに机を叩きヒビが入る。その音と蕾生の大声に永は肩を震わせた。
「リンをあいつらに良いようにされて悔しいのはわかる! でもそれとリンを疑うのは違うだろ!」
「……」
だってそれはどうしようもない。自分達は運命に翻弄され続けている。それを永は充分わかっているはずなのに。
「リンまで信じられなくなったら、お前は終わるぞ……?」
何故、こんな責めるような言葉しか出ないのだろう。
これは永の救援信号だってわかっている。
それでも、永には前を向いて欲しい。俺達の導であって欲しい。
「……」
黙ったままの永と蕾生に、鈴心はなんとか言葉を紡ごうとした。
「ライ……私は──」
「んんん、ごめんっ!!」
すると永が突然手を合わせて頭を下げた。
鈴心は驚いて出かけた言葉を引っ込める。
「リン、ごめん! 今のナシ! 僕の浅はかなジェラシーでした!」
「え、あ……」
鈴心はまだ困惑しているが、蕾生は永の様子に安心して息を吐いた。
さすが永だ。もう大丈夫。
「よし、じゃあ、行くな?」
蕾生が確認すると、永は耳を赤らめて言った。
「う……醜態をさらしたからね、仕方ないな。あ、ジジイには会わないからね!? 役目が終わったらすぐ帰るからね!」
「はい……はい!」
鈴心は涙目になって何度も頷いた。
「行くぞ」
蕾生の言葉に力強く永は言う。
「眠り姫を助けに、ね」
「今更かっこつけんな」
「えー、厳しいッ!」
いつも通り永がおちゃらければ元通りだ。蕾生は笑いながら少し泣いた。
永はいつもそうやって俺達を鼓舞し続けてくれる。だから、踏ん張れる。
「──ありがとう」
鈴心が背中に向けて言った言葉も、もちろん届いている。
気にするなと改めて言う必要はない。
俺達はずっと仲間なのだから。
星弥を助けると決めた永と蕾生は急いで学校を後にし、鈴心に連れられて銀騎家の邸宅に着いた。玄関のドアを開けて鈴心が促す。
「どうぞ、お入りください」
「驚いたな、自宅で処置をしてるの?」
てっきり研究機材が完備されている研究所だと思っていた永は驚いた。
「詮充郎が一番関心のない場所がここなので」
鈴心の説明は短いのに、永は完全に納得した。要するに、この自宅は詮充郎にとって必要のない存在をまとめて置いておく場所だったのだ。最大の効率を求める詮充郎らしいやり方だ。だが、そのやり方を永は軽蔑する。
「特に星弥の部屋は詮充郎による監視の目がないので、そこに機材を運んでおに──皓矢が診ています」
鈴心は先程の永の感情を慮って、言葉に詰まりながら言った。皓矢に対する呼び方が気になっていたのは単純に永の嫉妬だ。それを正されると永は恥ずかしさを思い出してしまう。
「いいよ別に、言いにくかったらお兄様でも。しかしあれだね、彼女は結局実験の失敗作として詮充郎に見放されたんだ?」
「はい。でもその方が幸せな人生を送れるだろうと、お兄様も奥様も星弥を慈しんできました。なのに……」
言い淀む鈴心に蕾生がはっきりと聞いた。
「今になってこんなことになったのは、俺達と関わったからか?」
「さあ……そこに因果関係があるかは私にはわかりませんが」
「まあ、全く無関係ってこともないだろうね」
永もそう言えば、鈴心は少し俯いて応接室の扉を開けた。
「その辺については私では知識が乏しいので、お兄様から説明があると思います」
家の中には重苦しい雰囲気が漂っていた。元々あまり外部の人間が寛げるような家ではなかったけれど、今日は格別に居心地が悪いと永も蕾生も感じていた。
数分待ってようやく皓矢が部屋に入ってきた。
「ああ、来てくれたんだね。ありがとう」
永達を見て少し安心したような表情を見せた皓矢だったが、顔色は白く、目元に隈も薄く見える。ひょっとするとこの三日間はろくに寝ていないのかもしれない。
けれど、同情する気はさらさらない永はぶすっとした顔で皓矢を睨んでいた。蕾生はそんな永の態度から受けられる印象を緩和するべく、皓矢に会釈で挨拶する。そんな二人の対照的な態度に皓矢は少し笑った。
「星弥はどうですか?」
鈴心が詰め寄るように聞くと、その頭をそっと撫でて穏やかに皓矢は言った。
「特に変化はないよ。良くもなっていないし、今のところ悪化の兆候もない。母さんが側についてる」
「そうですか……」
顔を曇らせている鈴心の肩を叩いた後、皓矢は永と蕾生の対面に腰掛けた。平静を装っているが、声は少し弱々しい。
「さて、君達に協力を仰ぐには──詳しい説明が必要だろうね?」
「そうだな、『誠意』ある対応を頼むよ」
永は腕を組んで尊大に言う。鈴心にされた仕打ちを思えばこれがせいいっぱいの譲歩だった。
「もちろんだ。星弥と鈴心が研究所のキクレー因子実験体だと言うことは聞いたね?」
そう切り出した皓矢に、永はぶすっとしたまま頷いた。
「まあ、簡単にはね」
「この計画、我々はウラノス計画と呼んでいるが、始まったのは二十年以上前──君達の前世においてお祖父様といざこざがあった後だったと聞いているのだけど、覚えていることはあるかい?」
前世と言うと、前回の転生のことだろう。蕾生は前回に何があったのかは全く聞かされていない。永の様子を伺うと、少し逡巡した後ぶっきらぼうに答えた。
「そりゃ、前回にあったことぐらいは覚えてるけど、この件に関しては全然知らなかったね。リンの魂をお前達が誘拐してその実験に使ったなんてのはさっき聞いたよ」
「そうかい。さぞ憤慨したんだろうね。僕はその頃四歳で、当時のことは何も見ていないのだけど、君の仲間の魂を奪取したお祖父様と亡き父に代わって謝罪するよ。すまなかった」
「形式的な謝罪はいい。その先の説明をしろ」
突っぱねる永に皓矢は苦笑しながら話し始めた。
「手厳しいね、わかった。この実験は当初お祖父様と父が、父の死後は佐藤という研究員がお祖父様を手伝って進められた。僕が具体的に関わったのは、すでに星弥も鈴心も生を受け、さらに星弥は不適合と判断されたずっと後だから、正直言ってわからないことが多い」
「なんだよ、頼りないな」
「それでも、実験記録はお祖父様から全て見せてもらったから、頭ではおおまかなことはわかっているつもりだ」
「ふうん、それで?」
素っ気ない永の態度を気にする風もなく、皓矢は淡々と説明を続ける。
「簡単に言うと、星弥の体内にはキクレー因子とそれを活発化させる術式が組み込まれている。これは父の術式で、化学と陰陽術……というか父独自の呪術を融合させた、ある意味常識外れの技術だ」
「なるほど。息子は天才だって、そう言えばジジイが自慢してたな」
星弥と皓矢の父。蕾生は前に見かけた写真立ての人物を思い出した。それは以前同様に奥の棚にひっそりと飾られている。あの時、永は「よく知らない」と言っていたけれど、まだ蕾生が鵺化の事実を知る前だったので、余計な情報は黙っていたんだろうと蕾生は心の中で結論付けた。
「ああ、君達は父にも会っているんだね。父は銀騎が始まって以来の超天才陰陽師だった。同時にお祖父様から化学者としても育てられたハイブリッドな人だったんだよ」
「お前もそうなんだろ?」
永が意地悪く言うと、皓矢は自嘲するように笑っていた。
「どうかな。確かに銀騎の次期当主ではあるけど、能力はごく普通で父には遠く及ばないし、化学者としてもお祖父様の足元にも……」
その皓矢の言葉は蕾生には謙遜としかとれなかった。自分も永も手玉にとってみせた能力がありながら、遠く及ばないなどと言わせる程の実力をその父親は持っていたことになる。
そんな相手と対峙したのならば、前回はどれだけ壮絶なことが起こったのだろう。永が詳しく言いたがらないのはそこに理由があるかもしれないと蕾生は思った。
「ようするにどうなんだよ? 銀騎さんの容体をお前はわかってるのか? それとも超天才の親父が作った術式なんて理解できないって言いたいのか?」
皓矢の説明に回りくどさを感じた永は少し苛立って結論を急く。
「どちらかと言えば、後者かな。父の術式は精巧かつ複雑で、父でないと全てを理解するのは不可能だろうね」
「そんなんで大丈夫なのか?」
鈴心に聞いていた印象とは逆に自信無さげな皓矢に、蕾生も思わず口を挟む。
「天才に凡人が報いるためには試行錯誤を繰り返すしかない。そのために君達を連れてきてもらったんだ」
「具体的にはどのような処置をお考えなんです?」
鈴心の問いに、皓矢は視線を蕾生に定めて言った。
「僕が考えているのは、共鳴だ。先日、蕾生くんが鵺化する運命を聞かされて、一瞬だけど我を失ったことがあったよね?」
「ああ……」
「だけど、星弥がかけた言葉を聞いて君は冷静を取り戻した──様に僕には見えたのだけど」
「……よくわかんね。あの時は頭が真っ白だったから」
実は蕾生もそう思っているのだが、なんとなく肯定するのが気恥ずかしくてはぐらかしてしまった。
そんな蕾生の気持ちもわかっているのか、皓矢はそれを前提においた説明を始める。
「あの時、星弥と君のキクレー因子が共鳴したんじゃないかと僕は考えている。キクレー因子同士がリンクすることでお互いを正常に戻す作用があるのではないかと思うんだ」
「……」
永はそれまでツチノコ特有のものだと思っていたキクレー因子の真実がどんどん示されていくので、知識を更新するべく考え込んでいる。
「さらに言うと、蕾生くんが我を失った時、永くんと鈴心も君に縋りついてなんとか鵺化させないようにしていたよね。あれも同様の効果を本能的に君達が行ったんだと僕はみている」
「なるほど……」
キクレー因子に関しては永より基礎知識がある鈴心は納得して頷いた。
「キクレー因子には恐らく正負両方の作用がある。因子保有者の永くん、鈴心、星弥が君を止めようとしたから君は止まることができた」
「つまり、私達が星弥に戻って欲しいと願えばいい、ということですか?」
鈴心の少し希望を持った問いかけに、永はまったをかけるように懐疑的な意見を示す。
「そうは言っても、念じるだけで戻るとは思えないな。僕らはこれまでキクレー因子のことなんて気にしたことなんかないし、あんた達みたいな不思議な力はないけど?」
「ははっ、目に見える力だけが全てではないよ。君達は充分に不思議な力を持ってる。ただ、その使い方を知らないだけだ。今回は僕がそれを引き出して使わせてもらう」
そう言われて永は複雑な顔をした。皓矢に自分の中の何かを委ねることに抵抗があるのだ。
「俺達は何をすればいいんだ?」
蕾生が聞くと、皓矢は簡潔に答えた。
「星弥に触れて、あの子を想ってくれればいい。その道筋は僕が示す」
「──わかった」
蕾生が大きく頷くと、永は慌て出した。
「ちょっと、ライくん、即答なの?」
「だって銀騎を助けるためにここに来たんだろ?」
蕾生らしい単純思考なのだが、永はぶつぶつ文句を呟く。
「そうだけどさ、もっとこう取引をさあ、せっかく恩に着せられるチャンスがさあ……」
「そんな駆け引きやってるヒマなんかないだろ。早く処置しないと、悪化したらどうするんだよ」
完全に蕾生の方が正論だったので、余計な損得を考えていた永はため息混じりに渋々頷いた。
「わかったよ、じゃあ銀騎さんが無事に目を覚ましたら、うんと恩着せてやろうっと」
「ありがとう。君達の好意に感謝するよ」
やっと皓矢は心から微笑んだ。そのまま一同は二階に上がり、星弥の部屋を目指した。
「母さん、入るよ」
ノックとともに部屋のドアを皓矢が開けると、憔悴した顔でベッドの横に座る婦人がこちらに向かって顔を上げた。
「ああ、皓矢。この方達が……?」
「うん、きっと星弥を助けてくれる。これから処置を始めるから、母さんは下で休んでいて」
「どうか、よろしくお願いします……」
深々と頭を下げて部屋を出るその姿はとても儚げで、今にも消え入りそうだった。
ベッドに寝かされた星弥を見ると、穏やかに眠っているだけのように思える。死に瀕しているなんて到底見えなかった。それが却って痛々しい。
そんな母娘を見て、蕾生は絶対に助けると意を決した。
「じゃあ、二人は手を握って。後……」
皓矢が指示する前に、鈴心が星弥の右手、それに倣って永が左手を握った。
蕾生はどうしたものか、あと女の子の体で触っていい所はどこだ、と懸命に考えた結果、額に手を添えることにした。額から感じる体温も特に熱くもなく、平常な温度に思えた。
「うん、それでいい。では始めよう。目を閉じて、元気な時の星弥を思い出してほしい」
三人は言われた通りに目を閉じて、各々の抱くありし日の星弥の姿を思い浮かべる。戻ってきて、と願いながら。
「沈幽鴇送……」
皓矢がほとんど聞き取れないくらいの声量で何か言葉を唱え始める。
「……紅至……」
けれどその言葉が体中を巡っていくかのような感覚があった。
「……心緒──ッ!」
皓矢が力強く右手を振ったのが空気圧でわかった気がした。術が終わったのだと直感した三人はゆっくりと目を開ける。
「……星弥?」
一瞬だけその体がぼうっと光ったがすぐに消え、鈴心の声にも反応がない。星弥は目覚めなかった。
「だめだ、足りない。僕の力不足だ。父の術式まで君達の因子を届けられない……」
肩で息をしながら、苦しげに皓矢は吐き捨てるように悔しさを吐露した。額には汗が滲んでいる。力を出しきったのは蕾生の目からもよくわかった。
「銀騎はどうなるんだ?」
「このままでは……」
疲れが滲んだ顔を更に白くして皓矢が焦る。それを見て永は最悪の結果を考えた。
「まさか──」
その後の言葉は恐ろしくてとても口にできない。
「星弥、起きて……目を覚ましてください!」
鈴心が泣きながら星弥の体を揺する。けれど眠ったまま動くことはなかった。
「萱獅子刀……」
「え?」
「お祖父様の萱獅子刀があれば届くかもしれない」
「なんで?」
呟くような皓矢の言葉に永が問うと、皓矢は眉をひそめ少し迷った後、観念して白状する。
「お祖父様は君達に嘘をついている。先日見せたものは本物の萱獅子刀ではない。お祖父様がキクレー因子の制御装置として新たに造ったレプリカなんだ」
それを聞いた鈴心も蕾生も驚いた。
「なっ……」
「マジかよ」
だが永だけは「またか」と溜息を吐いた後、怒りを露わにした。
「ああもう、ほんっと大人って汚いよねえ!? ジジイは絶対ぶっ殺す!!」
「本当にすまない……」
術が失敗したこともあって、皓矢は力無く項垂れて謝った。
「でもお兄様、それではお祖父様にこの事を報告しなければならないのでは?」
「そうだ。仕方ない……」
「でも、ハル様は──」
鈴心が不安げに永を見たが、永は勢いよく拳を握って宣言した。
「心配するな、リン。あのジジイをせめて一発ぶん殴るまでは帰らない!」
「そうだな、落とし前つけてもらわねえと」
蕾生も拳で左手を叩いて永に賛同する。
「殴らせる訳にはいかないけれど、では皆でお祖父様の所へ行こう」
少し悲壮な雰囲気を漂わせ、それでも瞳に光を灯して皓矢は立ち上がった。
皓矢は永達三人を連れて、急ぎ足で詮充郎の執務室に向かった。
もうすぐ日が暮れようとしている。空は曇天で、いつ雨が降ってもおかしくないほどに辺りの空気は湿っていた。
あっという間に結界を越えて、白い扉を通る。玄関は誰もおらず、静まり返っていた。皓矢はどんどん奥へと進み、先日と同じ部屋にたどり着いた。
「お祖父様、皓矢です」
ノックをするとすぐに掠れた声で返事が聞こえた。
「入りなさい」
「あの……他にも連れが……」
「わかっている、みな入りなさい」
ゆったりと朗々と言うその言葉は、急いでいたため上がっている息を整えて礼儀正しく入らなければならないと、一同を脅迫しているような圧があった。
「よお、クソジジイ」
だが永はそんなことは構わず、一人先にずんずんと部屋へ入っていった。詮充郎の机目掛けて歩く。
「──三日ぶりだな」
読んでいる新聞から視線を離さずに、次のページをめくりながら詮充郎は言った。
負けじと永も軽口で答える。
「なあに、指折り数えて。そんなに僕らに会いたかった?」
「もちろん。私は何十年と待っていたのでね」
「ぬかせ」
唾でも吐きそうな勢いの永を蕾生が嗜める。
「永、口喧嘩してる場合じゃないだろ」
言われた永は口を尖らせて蕾生がいる位置まで戻った。代わりに皓矢が一歩進んで申し出る。
「お祖父様、お願いがあって来ました」
「ああ、わかっている。星弥のことだろう?」
言いながら詮充郎は読みかけの新聞をたたみ、積まれた書類の一番上の用紙を手に取って言った。
「ご存知だったんですか?」
皓矢が驚いて聞けば、詮充郎はかけていた老眼鏡を外し、皓矢の方を向いて冷たい表情で言う。
「報告はきておるよ。お前がどう対処するか見定めていた。その様子ではできなかったのだな?」
「申し訳……ありません」
皓矢が項垂れると、詮充郎は落胆を隠さずに大きく息を吐いた。
「当主になる者が情けないぞ。外部から助けを呼んだ挙句、失敗するとは」
「……」
「星弥を連れてきなさい」
「ですが、お祖父様──」
皓矢が言いかけた言葉を遮って、詮充郎は苛立たしげに威圧をかけて命令した。
「星弥を、ここに、連れてきなさい」
「はい……」
従うしかない皓矢が力無く返事をして振り返った時、部屋のドアを開けて入ってくる者がいた。