転生帰録──鵺が啼く空は虚ろ

「ライくん、それは違う」
 
 蕾生(らいお)の抱えた靄を(はるか)は一刀の下に切り払った。鈴心(すずね)も同じことを言う。
 
「そうです、ライ。私達を殺しているのはあくまで(ぬえ)であって、貴方ではありません」
 
「でも、元は俺だろ?」
 
 蕾生の問いに、はっきりと首を振って永は言った。
 
「君が鵺になったことイコール君は鵺に殺されたってことだ。何故なら鵺になった後、僕らはそれと意思の疎通ができたことはない。ただの破壊を繰り返す化け物なんだ。だから、君の内に秘められている鵺は一番最初に君を殺している。そして僕らはその仇を取ってる──残念ながら良くて相打ちなんだけどね」
 
「そう、考えてもいいのか?」
 
 それは必ずしも事実ではないことは蕾生も気づいている。だが永と鈴心がそうやって、ある意味こじつけて考えてきた事を、愚かだと断じることは誰にもさせない。
 二人がそう結論付けたのならそうなんだろうと信じることが、二人のこれまでに報いることなのだ。
 
「もちろん! ていうか、そうなんだよ」
 
「ライが悩む必要なんてないんです」
 
 明るく笑う二人に、蕾生は心の底から安心した。
 
「わかった──ありがとう、お前らがいてくれて良かった」
 
 蕾生の言葉に、永も鈴心も満足そうに頷いた。
 これでまた、明日を生きることができる。
 前を向いて、運命に立ち向かっていく。

 
  
「さあて、薄暗くなってきたから今日はオヒラキにする?」
 
 緊張が解けた永はうんと伸びをして言った。
 
銀騎(しらき)の爺さんの提案はどうするんだ?」
 
「んなもん、無視に決まってるじゃん! まさかライくん、取り引きに応じようとか思ってないよね?」
 
「呪いを解く方法があるって言うなら、俺は別にいい」
 
 蕾生が素直にそう言うと、永はあり得ないと一蹴して語気を強める。
 
「そんなのハッタリだよ! ジジイの所に行ったら絶対帰って来れないから!」
 
「鈴心もそう思うか?」
 
 あの時、鈴心は少し揺れていた。そこの所を確認したくて蕾生が聞くと、鈴心は少し考えて答える。
 
「可能性はゼロではないと思います。でも改めて考えるとやはり信じられません。詮充郎(せんじゅうろう)はそんなに単純な人物ではない」
 
 仮に呪いを解く方法が銀騎にあったとして、蕾生を預けた後本当に呪いを解いてくれるのか。そこの所が信用に値しないと鈴心は言う。
 
「だからね、今日はさっきリンが言ってた通り、萱獅子刀(かんじしとう)の在処がわかっただけ良しとする」
 
「じゃあ、あれを取り返す方法を考えるんだな?」
 
「うん。一晩考えてみるよ。だから今日は解散」
 
 そうして永が立ち上がると、鈴心がおずおずと尋ねた。
 
「あの、ハル様……星弥(せいや)の処遇は……」
 
「うん? いや僕が処断できる訳ないでしょ。今日はしてやられたけど。まあ、今後の彼女の出方次第かな」
 
 すっかり忘れていたような顔をして、永は興味なさそうに答えた。どうやらまだ腹に据えかねているらしい。
 
「引き続き協力してくれるように頼みます」
 
 懇願するように言う鈴心に、永は困ったように口を曲げて言った。
 
「いや、お前が頭を下げる必要はない。彼女の自由にさせてやれば?」
 
「わかりました。では、私は戻ります」
 
「うん。また明日ねー」
 
 永がそう言うとすぐに振り返って駆け出し、あっという間に姿が見えなくなった。そんな鈴心の背中を見送って永がぽつりと呟く。
 
「不安だなあ」
 
「何がだ?」
 
 蕾生が聞けば、永は困った顔でその心情を打ち明けた。
 
「リンの気持ちが、だよ。今回は銀騎の身内に生まれてしまったせいか、銀騎に心を寄せすぎている気がする。特に銀騎(しらき)星弥(せいや)にね」
 
「それは、仕方ないだろ?」
 
 二人の姉妹のような雰囲気を思い返す。その間には永も蕾生も入れないような家族の絆を感じる。けれどそれは血縁として生まれてしまったからには抗い難いことだ。
 
「うん……これが悪い方に影響しないといいけど。ここまで銀騎(しらき)詮充郎(せんじゅうろう)が計算していたとしたら、本当に厄介なクソジジイだよ」
 
「そうだな……」
 
 永も蕾生も、その漠然とした不安に少し身震いした。
 
 公園の電灯が点る。その光に気づいたことで、辺りの闇に気づかされた。





 翌日、(はるか)蕾生(らいお)は普通に登校していた。学校へ来ると退屈で平和な時間が流れていく。つい昨日、あんな体験をしたことが嘘のように思えるほど、ここは現実離れしている。

 だが、本来はこちらが現実のはずだ。なのに異世界のような違和感を抱く。学校は永と蕾生にとって夢のような、甘い毒のような、楽園だ。そこが現実なのだとすれば、自分達が身を置く環境こそが異世界なのだろう。そんな気持ちを抱くようになるとはと、蕾生は同級生がはしゃぐ声の中で、自らの心境の変化に驚いた。
 
 星弥(せいや)鈴心(すずね)にはまだ会えていなかった。隣のクラスだということもあり、部活動以外で彼女達と親しくすることをしてこなかった永と蕾生が、二人とも欠席していることを知ったのは放課後になってからだった。


 
「まーったく、あの女休みやがって!」
 
 コレタマ部の部室で永は机をバンバン叩いて当たり散らす。そんな永の状態を見れば、二人が来ないことは蕾生でもつい納得してしまっていた。
 
「風邪だって話だろ?」
 
「ならリンまで休む必要ないじゃん! ぜーったい僕らに会うのが気まずいんだよ!」
 
「まあ、お前にあそこまで言われちゃな」
 
 冷静に言う蕾生の言葉に、永は大袈裟な身振りで尚も奮起した。
 
「ええ!? だって騙したのはあっちでしょ? 僕悪くないもん!」
 
「ああ、うん、まあそれでいいけど」
 
 今日の永はだいぶ面倒くさい、と蕾生は思った。星弥と鈴心がちゃんと学校に来て、殊勝に再度謝れば永の溜飲も下がったのだろうが、やはり女子は扱い辛い。
 
「ったく、こんなことなら小細工なんかせずに、昨日は堂々とジジイと会ってくれって言えば良かったんだよ!」
 
「お前、そう言われたって聞かねえだろ」
 
「それは聞いてみないとわかんないじゃん。僕ってば話せばわかるタイプの男だしぃ」
 
 口を尖らせてぶーたれる永をあしらうのもとても面倒くさかった。蕾生は短く結論付けて話題を変える。
 
「ま、結果論だな。それよりも萱獅子刀(かんじしとう)を取り返す方法、思いついたか?」
 
「ぐぬぬ、ライくんのくせに……」
 
 永は悔しそうに歯噛みした後、気を取り直して椅子に座り直した。
 
「わかったよ、建設的な話をする。昨夜考えたんだけど、まずもう一度、あの要塞みたいな建物に入る必要があるじゃん?」
 
「その時点で詰んでるな」
 
 蕾生は頬杖をついて宙を見上げた。
 永も肩を落として項垂れる。
 
「だよねえ。不可視の呪術が施されてる時点で、僕らには入る術がないよね」
 
「あそこに入れるのは、銀騎(しらき)の爺さんと兄貴と、秘書っていうあの女の人だけなんだろ?」
 
「うん。ていうか、ジジイと秘書ってどうやって入ってるんだろうね。皓矢(こうや)は術を使えるけど、あの二人はできないと思うんだ」
 
 永は昨日目の当たりにした皓矢の術を思い出すように、その手振りの物真似を交えて疑問を口にした。
 
「ああ、そうか。昨日見た兄貴の入り方だと、普通の人間はできねえな」
 
「と言うことは、そういう力のない人間でも入れる方法があるかもしれないってことだよね」
 
 永の言葉に、蕾生は少し考えて自信なさげに答える。
 
「わかんねえけど、あの二人に兄貴が特殊な術で入れるようにしてる可能性は?」
 
「それも充分に考えられる。生体認証の陰陽師バージョンみたいなのがあるかもってことでしょ?」
 
「そう」
 
 するどい、と言わんばかりに蕾生を指差して、永は更なる疑問を提示する。
 
「それだと結局僕らが入るのは絶望的だけど、ジジイはいいとして秘書にまでその術を使うかね?」
 
「あー、どうだろうな」
 
 あの赤い口紅の女性は結局何者なのだろう。銀騎の縁者なのか、ただの雇われ研究員なのか、それによって仮説が大きく変わる。蕾生はもう一度宙を見つめて唸った。永も同じように考えながら言う。
 
「あの人がただの研究員だとして、もし、秘書用に特殊な鍵みたいなアイテムがあるとしたら?」
 
 それを奪えばいい。その可能性は──
 
「なくはない、な」
 
 一応蕾生は頷くが、それは仮説に仮説を重ねた希望的観測としか言いようがなかった。
 もちろん永もそれをよくわかっており、結局癇癪が戻ることになる。
 
「あー! 何にしてもその辺の情報が足りないぃぃ! それを聞きたいのにあいつら休みやがってぇぇ!」
 
「落ち着け、永。わかった、明日は学校に来るように俺から銀騎にメッセージ送っとくから」
 
 蕾生がそう宥めると、永も散々騒いで発散できたからか、ようやく落ち着いた。
 
「そうだね、ライくんの言う事なら聞くだろうから。頼んだよ、ほんとにもう」
 
「お、おう……」
 
 そうして永立ち会いの下、蕾生が星弥にメッセージを送る。今日のところはそれで我慢するしかなかった。





 ところが、次の日になっても、また次の日になってもメッセージには既読がつかず、結局星弥(せいや)鈴心(すずね)は三日間学校を休んだ。
 
「嘘でしょ、あの優等生かぶりが三日も休むなんてあり得る?」
 
 信じられないと目を丸くして、永は部室で頭を抱えていた。
 
「一昨日送ったメッセージにまだ既読がつかねえ……なんかあったよな」
 
 ダメ元で蕾生(らいお)はもう一度携帯電話の画面を確認する。一昨日から何度やったことか。何も変わらない画面にいい加減うんざりだった。
 
「確実にそうだよね。まさかジジイから外出を止められてるのかな」
 
「鈴心だけならそうかもしんねえけど、銀騎(しらき)までか?」
 
「だよねえ、あー、こんなことならリンの番号交換しておけば良かった!」
 
 永が大袈裟に悔しがる。鈴心のものは皓矢(こうや)に見張られているかもしれないので、四人の通信手段は専ら星弥と蕾生の携帯電話だった。
 
「完全に裏目に出た。多少のリスクはあっても、ホットラインは確立しておくべきだった」
 
「けどよ、メッセージまで読めない状況ってどんなだよ?」
 
 蕾生の問いに答えながら、永は少し恐ろしい想像をする。
 
「そこだよ。携帯電話を取り上げられたのか、もしくは──」
 
 本人の意識がない──とは蕾生の前で言うのを憚られた。考え過ぎだ、とそれをかき消すように永は頭を振る。


 
 二人の間に言いようのない不安が渦巻いた頃、突然部室の窓が大きな音を立てて開けられた。
 
「ハル様! ライ!」
 
 窓から頭だけひょっこり出しているのは、息を切らせた鈴心だった。
 
「リン!」
 
 永が驚いて声を上げる。蕾生が更に驚いたのは鈴心の顔色が真っ青だったからだ。
 
「何があった?」
 
 尋常ではない様子に蕾生が問いかけると、鈴心は息を整えることも忘れて掠れた声のままに訴えた。
 
「星弥を、星弥を助けてください」
 
「え?」
 
 震えた声に永が怪訝に聞き返すと、なんの前置きもなく鈴心はとんでもないことを口にした。
 
「星弥は、あの子は、私の妹なんです!」
 
「──」
 
 予想もしない言葉に、蕾生の思考は一瞬停止した。
 永は額に手を当てて眉をひそめている。何か嫌な予感が的中した時のような顔で、「最悪だ……」と呟いた。





「リン、僕らに話してないことがまだあったんだね」
 
 とりあえず鈴心(すずね)を部室内に招き入れて座らせてから、(はるか)はまるで詰問するように言った。
 
「申し訳ありません……」
 
「妹って、どういうことだ?」
 
 俯いて謝る鈴心に、蕾生(らいお)は逸る気持ちで問うたが、永に先を制された。
 その雰囲気は少し、恐ろしい。
 
「その前に、何故、黙っていたんだ?」
 
 その剣幕に、鈴心は躊躇いながら答える。
 
「ハル様には言うべきだと思っていたんですが、常に星弥が側にいたのでお話する機会がありませんでした……」
 
「ふうん? 弁解の言葉としては弱いね」
 
 永の言葉は驚くほど冷たい。
 その雰囲気に飲まれた鈴心は、何も言うことができずに俯いて黙ってしまった。
 
「おい、永。鈴心に怒ってる場合じゃねえだろ」
 
 蕾生が取りなしても永は静かな怒りを隠さずに、鈴心に言い聞かせた。
 
「それはわかってる。けど、リン、お前はいつもそうだ。何か大事なことを抱えて、一人で苦しんでる。おれがそれに気づいていないとでも思った?」
 
「……」
 
 黙ったままの鈴心の肩を優しく掴んで、今度は目線を合わせながら永は穏やかに言った。
 
「いつか話してくれる、ってずっと待ってるんだよ? 言っただろ? お前の分もおれが考える──おれが全部守るって」
 
「ハル様……」
 
 その声は震えていた。潤む瞳で永を見つめる様は、いつもよりも年齢相応に見えた。
 
「よし。じゃあ、話を聞こうか」
 
「はい。実は日曜日に家に帰った後、星弥と少しだけ会話したんですが──」
 
 永がにっこり笑って促すと、鈴心は少し辿々しくも三日前の状況を話し始めた。

 

 
 ◇ ◇ ◇

 

 
「すずちゃん、おかえり」
 
「ただいま戻りました」
 
 鈴心が永達と別れて帰宅すると、星弥(せいや)は玄関で立って待っていた。先程よりだいぶ時間が経ってしまっているのにずっとここにいたのだろう。その姿に健気さを感じて鈴心は苦笑した。
 
「あの……周防(すおう)くん、まだ怒ってた?」
 
 おずおずと聞くので、鈴心は穏やかに言ってやる。
 
「お怒りは少し収まっているはずです。貴女の好きにしていいとおっしゃっていました」
 
「え、と、(ただ)くんは?」
 
「ライですか? ライは別に……怒ってないと思いますけど」
 
 蕾生のことまで気にするとは、永に責められたのがよほど堪えていると鈴心は思った。
 
「そう。でも明日もう一回謝るね」
 
「それがいいと思います。できれば貴女にはもう少し協力して欲しいので。中立の立場で構いませんから」
 
 星弥が永を怒らせたままなのは鈴心にとっても辛い。それに星弥はあの蕾生の(ぬえ)化を止めた。これから先はどうしても星弥が必要になる。
 それをどうやって永と蕾生に伝えようかと鈴心が思案していると、星弥はその場で少しふらついた。
 
「う、ん……」
 
「星弥?」
 
「あ、れ? ごめんね、なんか、ふわふわする……」
 
 微かな声でそう言った後、星弥は突然昏倒した。
 
「星弥! 星弥!」
 
 鈴心が大声で叫んでも、その意識が回復することはなかった。





「突然意識を失って、今も目覚めないんです」
 
 鈴心(すずね)の説明を聞いて蕾生(らいお)は驚くしかなかった。あの晩にそんなことが起こっていたなんて、想像もしていなかった。
 
「原因は? わかってるのか?」
 
 (はるか)の方は冷静で、腕組みをしながら真剣な表情で鈴心に続きを促す。
 
「すぐにお兄様を呼んで診てもらいました。その見立てでは、キクレー因子が暴走しているようだ、と」
 
「──ハ?」
 
 永は意外そうに驚いて声を漏らす。蕾生にはその意味もよくわからなかった。
 
「なんでキクレー因子が出てくるんだ? あれはツチノコが持ってるDNAなんだろ?」
 
 永の問いに、鈴心は首を振って説明する。
 
「いえ、そもそもキクレー因子は(ぬえ)が保有しているDNAです。詮充郎(せんじゅうろう)が若い頃に銀騎(しらき)家の持つ鵺のサンプルから発見しました。その後ツチノコもこれを持っていることが判明したんです」
 
「嘘だろ……」
 
 唐突な真実に永は二の句が告げなかった。つまり、詮充郎は鵺由来であることを隠してキクレー因子を世界に発表したことになる。永がそれまで信じてきた知識の根幹が崩れてしまったのだ。
 
「こんな重大なことを報告しなかったお叱りは後で幾らでも。ですが、まずは話を聞いてください」
 
「……わかった。で? 鵺のDNAが何故彼女に?」
 
 なんとか心の折り合いをつけて、永は続きを急かす。
 すると鈴心が意を決して新たな事実を語った。
 
星弥(せいや)と私は銀騎(しらき)詮充郎(せんじゅうろう)が作った、キクレー因子を生まれながらに保有するデザインベビーです」
 
「──!!」
 
「なっ──」
 
 永も蕾生もそんなことは想像もしていなかった。
 言葉を失った二人に、鈴心は後ろめたさを押し殺して淡々と説明した。
 
「詮充郎はキクレー因子を持つ受精卵を二つ製造することに成功しました。最初にできたのが私、次にできたのが星弥です。最初の受精卵にリンの魂を憑依させるのが難航したため、先に星弥が代理母を経て産まれました。その後、二年遅れて私が誕生したんです」
 
「それで妹って言ったのか……」
 
 蕾生はとんでもない事実に息を飲む。これで鈴心が何故二歳下なのかも説明がついた。
 だが、もはやそんなことはどうでもよくなった。永が恐ろしい顔で鈴心に確認したからだ。
 
「つまり、やっぱりリンは詮充郎に捕らえられて、挙げ句、実験台にされたってことだな?」
 
 その勢いに圧倒されて、鈴心は弱々しく頷いた。
 
「そう、です……」
 
「──」
 
 永の瞳は憤怒に燃えていた。
 蕾生はその肩を掴んで宥めるようにさするけれど、自らも怒りがふつふつと湧き上がるのがわかった。





「外道だ……」
 
 蕾生(らいお)がそう呟いたことでなんとか平静を保った(はるか)は、鈴心(すずね)に疑問をぶつける。
 
「それで? キクレー因子が暴走するとどうなるんだ?」
 
「それはまだ研究段階なんです。星弥(せいや)と私は体内にキクレー因子を持つ人間として経過観察の身でした。ただ、星弥の方は早いうちに因子が活発ではなくなったので、普通の子どもと変わらない生活をしてきました」
 
「ああ、それで彼女はあまり詮充郎(せんじゅうろう)の関心を得られてないんだ」
 
 いつだったか、星弥は「わたしはお祖父様には可愛がられていない」と言っていたのを永は思い出す。その理由が実に詮充郎らしくて反吐が出ると思った。
 
「その通りです。ですからお兄様もこのような事態は予想していなかったようで、今も化学・陰陽術の両方面で調べています」
 
「俺達に助けてと言ったのは?」
 
 蕾生が聞くと、鈴心ははっきりと答えた。
 
「それは、ハル様とライにもキクレー因子があるからです」
 
「──やっぱり」
 
 そう聞いた永は肩で息を吐いた。
 
「俺達にも?」
 
「まあ、道理だね。僕らは(ぬえ)の呪いを直接受けている。ライくんは特に、だ」
 
「そう……か」
 
 先日、二体の鵺の遺骸を見て、何か同じものを感じたのはこれだったのかと蕾生は思い至った。
 
「恐らく、ライの中にある因子が最も活発であるとお兄様はみています。銀騎(しらき)研究所にあるものはどれも遺骸などから抽出したサンプルばかりで……」
 
「僕らの持ってる因子の方が、活きがよくてピチピチしてるって?」
 
「はい。私達三人の力があれば、星弥の中の暴走した因子を鎮めることができるとお兄様は考えています」
 
 そこまで聞くと、永は軽蔑をこめた声音でその続きを当ててみせた。
 
「それで僕らに彼女の所へ来て欲しいって訳か」
 
「はい……このままでは星弥は目覚めないかもしれない。お願いします、ハル様、ライ。星弥を助けてください!」
 
 必死な鈴心を見るのはこれで二度目だ。蕾生の時と、今度は星弥の危機。鈴心にとってはどちらも同じくらいに重要なのだろう。その様子を見れば蕾生には断る理由が見つからなかった。
 
「永──」
 
 当然永も行くものだと思って蕾生が呼ぶと、永は恐ろしいほど冷たい声で言い放った。


 
「嫌だね」





「!」
 
(はるか)!?」
 
 永の「嫌だ」と言う答えにショックを受けた鈴心(すずね)は固まってしまった。蕾生(らいお)もぎょっとして狼狽える。
 そんな二人に冷たい視線を投げて永は言った。
 
「僕らに彼女を助ける義理はないし、詮充郎(せんじゅうろう)の実験に手を貸すのも御免だよ」
 
「詮充郎にはまだ報告していません! 全てお兄様が主導でなさっています」
 
 鈴心の必死の訴えは、更に永を苛立たせた。
 
「そのさあ、『お兄様』って言うのなんなの? あいつは詮充郎の孫だろ? おれ達の敵だ」
 
「あ……」
 
「おれは不安なんだよ、リン。お前は今回銀騎(しらき)の家に心を寄せすぎている。身内として生まれてしまったからある程度は仕方ないと思ってたけど、今のお前を見てると嫌な想像をしてしまう」
 
 きっとずっと我慢していたのだろう、永は不満を意地悪く吐き出した。
 
「私が、銀騎側につくと……?」
 
 鈴心は驚いて永の思惑を反芻する。鈴心にしても永がそんなことを考えていたとは思っていなかったから、驚きとともに落胆していた。
 
「永、それは──」
 
 言い過ぎだ、と蕾生が言う前に鈴心は悲痛な声で言う。
 
「ハル様、星弥を助けてくれたら私は銀騎と訣別します。皓矢(こうや)……も敵とみなすと、誓います」
 
 そんな言葉を言わせるな。
 蕾生は鈴心が不憫でならなかった。
 だが永が無表情で鈴心を追い詰める。
 
「その証は?」
 
「それは──」
 
 鈴心が正解を懸命に探して言葉に詰まる。
 その姿に蕾生の中で何かが、切れた。
 
「永、いいかげんにしろ!」
 
「!!」
 
 蕾生が力任せに机を叩きヒビが入る。その音と蕾生の大声に永は肩を震わせた。
 
「リンをあいつらに良いようにされて悔しいのはわかる! でもそれとリンを疑うのは違うだろ!」
 
「……」
 
 だってそれはどうしようもない。自分達は運命に翻弄され続けている。それを永は充分わかっているはずなのに。
 
「リンまで信じられなくなったら、お前は終わるぞ……?」
 
 何故、こんな責めるような言葉しか出ないのだろう。
 
 これは永の救援信号だってわかっている。
 
 それでも、永には前を向いて欲しい。俺達の導であって欲しい。

 
  
「……」
 
 黙ったままの永と蕾生に、鈴心はなんとか言葉を紡ごうとした。
 
「ライ……私は──」
 
「んんん、ごめんっ!!」
 
 すると永が突然手を合わせて頭を下げた。
 鈴心は驚いて出かけた言葉を引っ込める。
 
「リン、ごめん! 今のナシ! 僕の浅はかなジェラシーでした!」
 
「え、あ……」
 
 鈴心はまだ困惑しているが、蕾生は永の様子に安心して息を吐いた。
 さすが永だ。もう大丈夫。
 
「よし、じゃあ、行くな?」
 
 蕾生が確認すると、永は耳を赤らめて言った。
 
「う……醜態をさらしたからね、仕方ないな。あ、ジジイには会わないからね!? 役目が終わったらすぐ帰るからね!」
 
「はい……はい!」
 
 鈴心は涙目になって何度も頷いた。
 
「行くぞ」
 
 蕾生の言葉に力強く永は言う。
 
「眠り姫を助けに、ね」
 
「今更かっこつけんな」
 
「えー、厳しいッ!」
 
 いつも通り永がおちゃらければ元通りだ。蕾生は笑いながら少し泣いた。
 永はいつもそうやって俺達を鼓舞し続けてくれる。だから、踏ん張れる。
 
「──ありがとう」
 
 鈴心が背中に向けて言った言葉も、もちろん届いている。
 気にするなと改めて言う必要はない。
 俺達はずっと仲間なのだから。





 星弥(せいや)を助けると決めた(はるか)蕾生(らいお)は急いで学校を後にし、鈴心(すずね)に連れられて銀騎(しらき)家の邸宅に着いた。玄関のドアを開けて鈴心が促す。
 
「どうぞ、お入りください」
 
「驚いたな、自宅で処置をしてるの?」
 
 てっきり研究機材が完備されている研究所だと思っていた永は驚いた。
 
詮充郎(せんじゅうろう)が一番関心のない場所がここなので」
 
 鈴心の説明は短いのに、永は完全に納得した。要するに、この自宅は詮充郎にとって必要のない存在をまとめて置いておく場所だったのだ。最大の効率を求める詮充郎らしいやり方だ。だが、そのやり方を永は軽蔑する。
 
「特に星弥の部屋は詮充郎による監視の目がないので、そこに機材を運んでおに──皓矢(こうや)が診ています」
 
 鈴心は先程の永の感情を慮って、言葉に詰まりながら言った。皓矢に対する呼び方が気になっていたのは単純に永の嫉妬だ。それを正されると永は恥ずかしさを思い出してしまう。
 
「いいよ別に、言いにくかったらお兄様でも。しかしあれだね、彼女は結局実験の失敗作として詮充郎に見放されたんだ?」
 
「はい。でもその方が幸せな人生を送れるだろうと、お兄様も奥様も星弥を慈しんできました。なのに……」
 
 言い淀む鈴心に蕾生がはっきりと聞いた。
 
「今になってこんなことになったのは、俺達と関わったからか?」
 
「さあ……そこに因果関係があるかは私にはわかりませんが」
 
「まあ、全く無関係ってこともないだろうね」
 
 永もそう言えば、鈴心は少し俯いて応接室の扉を開けた。
 
「その辺については私では知識が乏しいので、お兄様から説明があると思います」
 
 家の中には重苦しい雰囲気が漂っていた。元々あまり外部の人間が寛げるような家ではなかったけれど、今日は格別に居心地が悪いと永も蕾生も感じていた。
 数分待ってようやく皓矢が部屋に入ってきた。
 
「ああ、来てくれたんだね。ありがとう」
 
 永達を見て少し安心したような表情を見せた皓矢だったが、顔色は白く、目元に隈も薄く見える。ひょっとするとこの三日間はろくに寝ていないのかもしれない。
 けれど、同情する気はさらさらない永はぶすっとした顔で皓矢を睨んでいた。蕾生はそんな永の態度から受けられる印象を緩和するべく、皓矢に会釈で挨拶する。そんな二人の対照的な態度に皓矢は少し笑った。
 
「星弥はどうですか?」
 
 鈴心が詰め寄るように聞くと、その頭をそっと撫でて穏やかに皓矢は言った。
 
「特に変化はないよ。良くもなっていないし、今のところ悪化の兆候もない。母さんが側についてる」
 
「そうですか……」
 
 顔を曇らせている鈴心の肩を叩いた後、皓矢は永と蕾生の対面に腰掛けた。平静を装っているが、声は少し弱々しい。
 
「さて、君達に協力を仰ぐには──詳しい説明が必要だろうね?」
 
「そうだな、『誠意』ある対応を頼むよ」
 
 永は腕を組んで尊大に言う。鈴心にされた仕打ちを思えばこれがせいいっぱいの譲歩だった。





「もちろんだ。星弥(せいや)鈴心(すずね)が研究所のキクレー因子実験体だと言うことは聞いたね?」

 そう切り出した皓矢(こうや)に、(はるか)はぶすっとしたまま頷いた。
 
「まあ、簡単にはね」
 
「この計画、我々はウラノス計画と呼んでいるが、始まったのは二十年以上前──君達の前世においてお祖父様といざこざがあった後だったと聞いているのだけど、覚えていることはあるかい?」
 
 前世と言うと、前回の転生のことだろう。蕾生(らいお)は前回に何があったのかは全く聞かされていない。永の様子を伺うと、少し逡巡した後ぶっきらぼうに答えた。
 
「そりゃ、前回にあったことぐらいは覚えてるけど、この件に関しては全然知らなかったね。リンの魂をお前達が誘拐してその実験に使ったなんてのはさっき聞いたよ」
 
「そうかい。さぞ憤慨したんだろうね。僕はその頃四歳で、当時のことは何も見ていないのだけど、君の仲間の魂を奪取したお祖父様と亡き父に代わって謝罪するよ。すまなかった」
 
「形式的な謝罪はいい。その先の説明をしろ」
 
 突っぱねる永に皓矢は苦笑しながら話し始めた。
 
「手厳しいね、わかった。この実験は当初お祖父様と父が、父の死後は佐藤という研究員がお祖父様を手伝って進められた。僕が具体的に関わったのは、すでに星弥も鈴心も生を受け、さらに星弥は不適合と判断されたずっと後だから、正直言ってわからないことが多い」
 
「なんだよ、頼りないな」
 
「それでも、実験記録はお祖父様から全て見せてもらったから、頭ではおおまかなことはわかっているつもりだ」
 
「ふうん、それで?」
 
 素っ気ない永の態度を気にする風もなく、皓矢は淡々と説明を続ける。
 
「簡単に言うと、星弥の体内にはキクレー因子とそれを活発化させる術式が組み込まれている。これは父の術式で、化学と陰陽術……というか父独自の呪術を融合させた、ある意味常識外れの技術だ」
 
「なるほど。息子は天才だって、そう言えばジジイが自慢してたな」
 
 星弥と皓矢の父。蕾生は前に見かけた写真立ての人物を思い出した。それは以前同様に奥の棚にひっそりと飾られている。あの時、永は「よく知らない」と言っていたけれど、まだ蕾生が(ぬえ)化の事実を知る前だったので、余計な情報は黙っていたんだろうと蕾生は心の中で結論付けた。
 
「ああ、君達は父にも会っているんだね。父は銀騎(しらき)が始まって以来の超天才陰陽師だった。同時にお祖父様から化学者としても育てられたハイブリッドな人だったんだよ」
 
「お前もそうなんだろ?」
 
 永が意地悪く言うと、皓矢は自嘲するように笑っていた。
 
「どうかな。確かに銀騎の次期当主ではあるけど、能力はごく普通で父には遠く及ばないし、化学者としてもお祖父様の足元にも……」
 
 その皓矢の言葉は蕾生には謙遜としかとれなかった。自分も永も手玉にとってみせた能力がありながら、遠く及ばないなどと言わせる程の実力をその父親は持っていたことになる。
 そんな相手と対峙したのならば、前回はどれだけ壮絶なことが起こったのだろう。永が詳しく言いたがらないのはそこに理由があるかもしれないと蕾生は思った。