「──という訳で、美少女転入生の御堂鈴心ちゃんです!!」
説明し終わった星弥はやぶれかぶれの勢いで、もう一度明るく鈴心を紹介した。
その様に鈴心も蕾生も溜息しか出ない。
「……おっかしい」
永が首を傾げて言うと、星弥はにこやかに凄んで言う。
「すずちゃんが美少女ではない、と?」
「いやそれに異論はないけど」
──ないんだ、と蕾生は心の中でつっこんだ。永と星弥は蕾生の手の届かない次元で言葉を交わしている。こういう時は放置が正解だろうと最近は思うことにしている。
「どうせ罠なんだろ? 絶対おかしいよ」
「デスヨネー」
永の疑いは当然で、星弥もそれを棒読みで肯定した。その空気感に耐えられなくなったのだろう、やっと鈴心が口を開く。
「まあ、タイミングがあれなんで、私もそう思います」
「鈴心はなんか聞いてんのか?」
蕾生が尋ねると鈴心は小さく首を振った。
「いえ。ほんの数日前にお兄様から『学校に行く気はあるか』と聞かれたので、ある、と答えたらトントン拍子に」
「あのジジイ、何考えてんだ……」
永は歯噛みしながら宙を睨んでいた。
「家の外に出られさえすれば、中学に行くふりをしてハル様の所に馳せ参じることができると思ったので承知したら、まさか──」
「全部お膳立てされたって訳ね」
「はい」
そこまで聞いて蕾生からも感想が漏れる。
「バカの俺でもなんかあると思うな」
「そうですね……」
鈴心の相槌になにか含みを感じた蕾生は、思わず掘り下げてしまった。
「おい、今バカを肯定したか?」
「ああ、はい」
悪びれずに頷く鈴心に頭にきて、挑発に乗ってしまう。
「クソガキ、そこに座れ。説教だ」
「冗談でしょう。貴方に説かれる教えなんてある訳がない」
スンとした態度の鈴心に、どうしてくれようかと蕾生が歯を食いしばった所で星弥からタオルが投げられる。
「ストップ、ストーップ! 興奮しないの! すずちゃんたら、いつになくご機嫌だね?」
「すみません、つい」
今のがご機嫌? わかりにくい! ──と蕾生がやり場のない苛立ちを持て余していると、やっと冷静な声音の永が戻ってきた。
「つまりは、向こうも動き出したってことか」
すると鈴心も蕾生を華麗に無視して永に向き直る。
「はい、真意は掴めていませんが。早急に探ります」
「うん、でもあまり目立つなよ? しばらくは大人しく銀騎さんと一緒に学校に通うだけにしな」
「御意」
このガキには後で必ず思い知らせてやると蕾生は密かに誓う。
「駆け引きはもう始まってる。ライ、気を抜くな」
蕾生に向ける永の目はいつにも増して主君然としていて、それだけで蕾生の気を引き締めるには充分だった。
「ああ、わかってる」
おそらく罠なのだろうが、リンがこちらに帰ってきたことを今は喜んでいよう、と言う永に従い蕾生はまた誓いを改める。
鈴心と星弥も含めて四人で協力していく。そして自分は皆の盾になる、と。
この時期にしては珍しく晴れた日の放課後。コレタマ部の面々は裏庭に集合していた。
「第一回、ボランティアたいかーい!」
永が威勢よく宣言すると、星弥もそれに乗って歓声とともに拍手を送る。
そんな二人をよそに、ジャージ姿の蕾生と鈴心は気がのらず白けていた。
「やっぱ、こういうのもやるのか」
蕾生が肩を落として溜息を吐くと、軍手を手渡しながら永が軽快にそれを打ち消そうとする。
「まあね、たまにはやっとかないと部室取り上げられたら大変じゃない──と言う訳で、今日は校内草むしりをしまーす!」
「さすがハル様、尊い精神です」
言葉と裏腹に鈴心の顔は強張っている。
「お前、真顔でお世辞言うのやめろ」
「失礼な。私は本心から言ってます」
憮然とした表情で睨み合う蕾生と鈴心の間に星弥が割って入った。
「すずちゃん、わたし達はあっちの植え込みやろう」
「いえ、私はライと組みます」
「──は?」
思いもよらない鈴心の言葉に、蕾生は思わず声がうわずった。
驚いたのは星弥も同様だったが、意外にもすんなり納得して蕾生の二の腕を叩く。
「そっか、わかった。唯くん、くれぐれもよろしくね!」
「あ、ああ……」
蕾生がとまどっていると、鈴心が顎でついて来いとでも言うように歩き出す。
「僕らは組まなくてもいいか」
あてが外れたのは永も同様で、星弥と目が合ったけれども特に感情を出さずに確認した。
「うん、そうだね」
星弥も短く返答して、永とは別の方向を目指す。
そんな二人のやり取りを見た鈴心は心配そうに蕾生に尋ねた。
「ライ、二人は仲が悪いんですか?」
「いや……合わないだけだろ」
その話題を掘り下げることはなく、鈴心はしゃがんで草をむしり始めた。蕾生もそれに倣って隣で草を摘んでいった。
「で? 何か用かよ」
蕾生は視線は地面に置いたままで、鈴心に自分と組んだ意を問う。
「ええ。貴方と認識の擦り合わせをしたくて」
「ふうん」
「今回はどうなんですか、力の方は」
「なんでお前知ってるんだ?」
唐突に直球で聞かれて、思わず蕾生は手を止めて鈴心の方を向く。
「あ、すみません。ハル様はそれもまだ貴方に伝えてないんですね。ええと、大丈夫ですか?」
鈴心も些かの驚きを隠せずに、やや動揺した後蕾生を気遣った。
「何が? 永もお前も心配し過ぎじゃねえの?」
「まあ、それは慎重にやらないといけないので。でも、そうですね、大丈夫そうですね。ハル様には後で謝らないと」
永も同じようにそうやって蕾生をいちいち気遣うが、当の本人は食傷気味になっている。だが不満を言っても仕方ないので、蕾生は続きを促した。
「で? 俺の怪力って毎回出てる力だったのか?」
「いえ、最初からではありません。私達の尺度ですけど、あなたが剛力を持って生まれてくるようになったのはごく最近です」
「へえ、そうなのか」
永から聞かされていない情報が聞けるかもしれないと、蕾生は少し緊張した。
「最初は人より少し力が強い程度でしたが、ここ数回の転生のうちにどんどん力が強くなってきていました」
「へー」
それでも永に釘をさされているので、蕾生は平静でいようと努める。指先で雑草を摘みながら相槌を打った。
「今回もだいぶ強そうですね」
そんな蕾生の作業を見ながら鈴心がそう評する。
「まあな、俺は比較できねえし、だいぶ前に永に力は使うなって言われてここまできたからマックスはわかんね」
「一番古い記憶では?」
「ええ? そうだな、ガキの頃──親父の単車くらいは余裕で持ち上げたかな」
そこまで掘り下げるかと思いながらも蕾生は古い記憶を辿る。幼少の頃、父親のオートバイをふざけていじり、自分に倒れてきたので思わず掴んで放り投げた事を思い出した。
おかげでバイクは大破してしまったが、父はそんな蕾生の力を恐れることもなく、真っ当にこっぴどく叱って夕飯を食べさせてもらえなかった。
「親御さんはそれをご存知で?」
「ん。まあ、でも、別に普通に暮らしてる。しょっちゅうドアとか壊すけど」
思えば両親は蕾生の怪力に困ることはあるが恐れることはない。だから蕾生は永に会うまで自分の力が人と違うことを知らなかった。それはきっと幸せなことなんだろうと思う。
「そうですか。前にハル様を片手で持ち上げていたので、今回も強そうだなとは思っていました」
「ああ、あん時な。そういえば、途中ででかい植木はどかしたな」
鈴心の言葉に初めて会った時の事を思い出す。あんなに焦ったのはバイク事件以来かもしれないと蕾生は思った。
「重かったですか?」
「全然」
植木の重さなど今となってはさっぱり思い出せない。
「そうですか……」
鈴心はそう相槌を打った後、押し黙った。
「俺からも聞いていいか?」
「ものによりますが、なんです?」
蕾生は、永に聞く機会を逃していることを鈴心に聞いてみた。
「雷郷ってどんなヤツだった?」
「──気になるんですか?」
鈴心は少し目を丸くして聞き返す。
「そりゃあな。俺は記憶がねえんだ、前世の情報は聞けるもんなら聞きたい」
「ライは今のままでいい、とハル様ならおっしゃると思いますよ」
「そういうことじゃねえ。俺はこれからどう行動すればいいのか、その根拠になり得る事実を少しでも知っておきたいんだ。永のために」
はぐらかそうとする鈴心の瞳を見据えて、蕾生はそう主張する。
その心を汲み取ったのか、鈴心は息を吐いて少し笑った。
「私に聞いて正解ですよ、ライ。ハル様のため、と言われたら教えない訳にはいかない」
「おう、教えてくれ」
「ハル様には内緒ですよ。少しだけですからね」
そう念を押すと、鈴心は思い出を語るように少しずつ話し始めた。
「雷郷は──確か当時の私より四つか五つ程年上でした。私と同じ境遇で治親様に仕えるようになったと聞いています」
「ああ、それは永から少し聞いた。戦争孤児だったんだろ?」
「そうですね、農民の出だとも言っていました。ですが、私が治親様に拾われた頃にはすでに郎党衆の筆頭のような位置にいました」
「それってすごいのか?」
少し蕾生が期待をこめて聞くと、鈴心は言いにくそうに語る。
「まあ……治親様は変わり者だったので、私達のような後見のいない者でも、功を立てればそれなりの待遇を与えてくださいましたから。ただ、腕っぷしで上がっただけなので、私達に武家の部下のような発言権はありませんでした」
「そりゃそうだな」
けれど、と前置いて鈴心は柔らかな表情で言う。
「雷郷は常に治親様のお側に仕え、どんな戦場でも必ず武勲を上げていました。事実上、貴方は右腕だったんです──今のように」
「──そっか」
その言葉に蕾生は満足感を覚える。
「だからそんなに変わりませんよ。貴方は常にハル様のために行動してきた。今回もそれをすればいいだけです」
だが、漠然と「それ」と言われても、蕾生にはピンと来なかった。
「その行動ってのを具体的に知りてえんだ。で、その後は?」
「その後、とは?」
鈴心が小首を傾げているので、蕾生はもどかしくなって急かす。
「だから、鵺が出てきた後は?鵺を倒した時のことも教えろよ」
すると鈴心の表情が途端に曇った。
「……貴方が止めを刺したことは聞いていますね?」
「ああ、だから俺が一番呪いを強く受けてるんだろ?」
「ならば、私から言えることはまだありません」
突然の遮断だった。このまますんなり聞けそうだと思っていた蕾生はあてが外れて落胆する。
「えー、お前までそれかよ」
「それ以上はハル様がお話してくださるのを待ちなさい」
「いつまでだよ?」
「さあ、それは……」
鈴心が言葉を濁していると、後方から永の声が聞こえた。
「おーい、そろそろ終わりにしようかー」
「──時間切れですね」
それを受けて鈴心は立ち上がり、膝についた泥を払った。
「おい、結局たいした話は聞けてねえぞ」
蕾生が不満をぶつけると、涼しい顔で鈴心は答える。
「そうですか? 私は一応満足ですが」
「くそぉ」
悔しがる蕾生に、よく通る声で付け加える。
「時が来ればいずれ知ることになります。それまでにもっと強くなりなさい」
「はあ?」
「その時、貴方がどうするかで私達の運命が決まる」
「それ、どういう……」
酷く抽象的な言葉の意味を蕾生が理解できるはずもなく、もっと聞き出そうと思った所で星弥がこちらに駆けてきた。
「すずちゃん、お疲れ様! お膝汚れちゃったね、着替えよ?」
「星弥、子ども扱いしないでください。草むしりしたんです、膝くらい汚れます」
あからさまに嫌がる鈴心にも、星弥は動じずに笑顔でその肩を掴んで連れていこうとする。
鈴心も結局は諦めているのだろう、それ以上文句を言うこともなく星弥に従った。
「うんうん、わかった。じゃあ唯くん、また後でね」
「あ、ああ……」
鈴心が連れ去られる姿を見送りながら呆けていると、永がニヤニヤしながら近づいてくる。
「有意義なおしゃべりはできたかな?」
「いや、全然」
「そう? リンは楽しそうだったよ?」
「あの仏頂面でか?」
蕾生が憎まれ口を叩いても、永は笑顔で返す。
「うん、とっても」
「──俺にはわかんねえな」
わからない。
永を守るにはこれからどうしたらいいのか。
鈴心が言う「強くなれ」とはどれくらいなのか。
鵺は、どこまで近づいているのか。
蕾生にはまだ何もわからない。
雨が続く週の半ば。ここ最近の天気は部室に引き篭もるには最高だと言う理由で、コレタマ部の会議が開かれた。
「さあて、野外活動も一回やったし、しばらく部室に引きこもっても大丈夫だろう、ということで……これからの本格的な話し合いをします!」
永は部長らしくその場を仕切り、クラブ発足人の星弥も笑顔で返事をするなど付き合いの良さを発揮している。
鈴心は背筋を延ばして前のめりで永の言葉を真面目に聞いていた。
自分の隣でそんな姿勢でいられると少し窮屈さを蕾生は感じる。そもそも部室も机も椅子も、蕾生にはどれもサイズが小さい。
「まず何をするんだ?」
蕾生が問うと、永は明るい調子で答えた。
「ライくんには少し話したけど、まずは萱獅子刀を探します!」
「って言うと、あれか、英治親が鵺を退治した褒美にもらったっていう──」
「そう、その刀!」
まるでクイズ番組の司会のような仕草で蕾生を指さす永の隣で星弥が首を傾げていた。
「カンジシ……?」
「漢字ではこう書きます」
鈴心は阿吽の呼吸でノートを取り出し、文字を書いて星弥に見せた。チラと目に入ったノートが小学生の雑誌のおまけでつくような可愛過ぎるもので、それを見た蕾生は思わず目を逸らす。ふと永の方を見ると口を開けて笑いを堪えていた。
「へー」
それを買い与えたであろう人物は、何でもないような顔をして鈴心が書いた文字をしげしげと見つめていた。
「その刀はなんで必要なんだ?」
ノートをいじっても話題が進まないので、蕾生は余計なことは無視して永に続きを促した。
「うん、萱獅子刀の存在は『鵺を退治した』っていう事象の完結を表していてね」
「ジショウのカンケツ……?」
今度は蕾生が首を傾げる番になった。その予想はしていたのだろう、永はゆっくりとした口調で説明する。
「噛み砕いて説明すると、『鵺を退治した』から萱獅子刀を持ってる──ということは、言い換えれば『萱獅子刀を持つ』ことは『鵺を退治した』ことを意味しているんだ」
「全然わからん」
だがそれもむなしく、蕾生には何を言ってるのか理解できなかった。
「つまり、『鵺を退治した』という未来をその刀を持つことで引き寄せる──ってこと?」
星弥が言い換えてみせると、永もにっこり笑って答える。
「当たり。そういうアイテムを僕らが持つことで鵺の弱体化を図ろうってわけ」
「う……ん?」
蕾生が理解に苦しんでいると鈴心も助け舟を出す。
「呪術ではよくそういう考え方をします。私達も昔ある方にそう教わって、できるだけ慧心弓と萱獅子刀を揃えようとしてきました」
「ケイシン、何だって?」
理解する前にもう新しい単語が出てきて、蕾生の頭はさらに混乱した。
「リン! いきなり新しいワードを出さないの!」
「申し訳ありません……」
シュンとして縮こまる鈴心を他所に、星弥が興味津々で聞く。
「キュウっていうと、弓かな? もしかして鵺を射抜いた弓?」
「そうそう、さすがは銀騎サマ! 慧心弓は英治親が持っていた弓で、鵺を射抜いたもの。こっちの方がわかりやすいかな?」
永が蕾生に向き直り尋ねる。鵺を最初に仕留めたのは弓矢だったことを蕾生は思い出した。
「鵺を倒した武器ってことか? それがあったら倒せるってのはなんとなくわかる」
「そうそう。つまりね、鵺を倒した弓と鵺を退治した証の刀、手段と結果を手にすることで、もう鵺は滅ぶしかないよねっていう状況を作ろうってこと」
「ふうん?」
どうしてそんなにややこしい言い方をするんだと思うが、自分以外はわかっていそうなので蕾生はわかったような振りを試みる。
「──なるほど」
星弥は落ち着いて頷いていた。やはり本物の陰陽師の末裔と、オカルトを聞きかじっただけの一般人とは、天と地ほどの差がある。
「ようするに、その弓と刀でもって鵺と戦ったら勝てるってことだな?」
「シンプルに言えばそう」
「なら最初からそう言ってくれ」
蕾生はなんだかどっと疲れた。その姿を見て永は苦笑いしていた。
「唯くんの言うことももっともだけど、武器の背景を知ってた方がそれを扱う時の力がより強くなると思うよ」
「そういうもんなのか?」
「うん」
普通の女子高生に見える星弥が、時折見せる「普通じゃない」雰囲気。それを改めて蕾生は感じていた。
「で、銀騎が持ってる可能性が高い萱獅子刀からまず探したいって思ってるんだけど」
「そういえば、何回か前の転生で銀騎に奪われたって言ってたな」
蕾生は記憶を辿りながら、永に確認した。
「うん。で、リンと銀騎さんに聞きたいんだけど、何か知ってる?」
永がそこで尋ねると、星弥は首を振って答えた
「いや、わたしは。萱獅子刀なんて初めて聞いたもの」
「ああ、さっきの君の反応でそうかなって思ったけど、やっぱり。リンは?特に御堂の家で」
そう永が言うと、鈴心は少し挙動不審に目を泳がせて探るように口を開く。
「御堂の、ですか。ハル様は御堂の関与を疑ってると……?」
「鈴心の実家か? 銀騎の分家っていう」
「うん。実は前回、銀騎と揉めるついでに御堂とも揉めたんだよねー」
てへへ、と永が笑う。実は、というパターンは今までに何度もあったので蕾生もいちいち驚くのをやめた。
「御堂の家では……見たことはありません」
「そうかー」
鈴心の答えに残念そうにしながら、永は椅子の背もたれに軽く寄りかかって眉を寄せた。
「でも、永は刀は銀騎研究所にあるって思ってるんだろ?」
「そうだねえ、その可能性が一番高いとは思ってる。御堂から取り返すのは簡単だろうからね」
「刀は一度御堂ってヤツの手に渡ったのか?」
蕾生の疑問に、永は言いにくそうに答えた。
「ああ……うーん、なんか成り行きでね。ただ僕らは萱獅子刀がどうなったか見届ける前に鵺に殺されたから、よくわからないんだ」
「そうだったのか……」
生々しい表現に蕾生の口調も沈んでいく。
永は過去のことは何でも知っているのかと蕾生は思っていたが、死の間際のことを覚えていろと言うのは無理だし辛過ぎる。
今後はそういう話題も増えるだろう。永が辛い過去を思い出す必要性も重要性もわかってはいるが、なんとか緩和できないかと蕾生は考えを巡らせるが、良いアイディアが浮かばない自分に嫌気がさした。
少しの沈黙の後、星弥が少し明るい声音で話し出す。
「えーっと、すずちゃんの前で言うのもなんだけど、御堂の家は分家の中でも一番格下で弱い立場なの。もしそんな大事な刀を御堂が手に入れたとして、すずちゃんが見たことがないなら、お祖父様が取り上げたっていうのが私も自然だと思う」
「……」
星弥の説明を聞きながら、鈴心は俯いてしまっていた。少し顔色が悪くなっている気もする。
蕾生は少し気になったが、それを言ったところで上手い説明ができる自信がないので放っておくことしかできなかった。
「だとすれば、やっぱり銀騎研究所のどこかに隠してある──っていうのが濃厚な線かな。ちなみに、リンは研究所では見なかった?」
「はい。見たことはありません」
「そっかー」
御堂について聞かれた時よりも鈴心はきっぱりと答えた。その違いに永は気づいていないようで、むむむと口をへの字に曲げて腕を組み考え込む。
「ねえ。さっきから刀のことばかりだけど、お祖父様の懐に入るような行為は今は危なくない? 先に弓を探すとかは?」
「ああ、それはもっと難しい」
星弥の問いに永があまりにもあっさり答えるので、蕾生は思わず聞き直した。
「なんでだ?」
「慧心弓は──おそらく消失してる」
永はまるで失敗談を話すような深妙な面持ちだった。
「ふたつ前の転生の時なんだけど、鵺と戦った時に焼けてしまった……と思う」
「言い方が曖昧なのは、結果を見届ける前に死んだからか?」
蕾生がそう聞くと、永も鈴心も瞼を落として悲しそうに答える。
「そう。ただ、僕は弓が燃えたのは見た。その後どうなったかは知らないけど、あれはもう……」
「……」
二人は過ぎた過去に思いを馳せて、そこで黙ってしまった。
星弥が黙ってしまった永と鈴心の雰囲気を割って疑問を投げかけた。
「待って、弓と刀が揃わなかったらどうなるの? 鵺に勝てるの?」
至極当然の疑問だった。永はとうとう気づかれたか、という顔で観念して言った。
「さっきライくんには勝てるって言ったけど、シンプルに言い過ぎたね。正しくは勝てる確率が上がる、だ」
「実は過去に弓と刀が揃ったこともありました。でも──」
「そう。二つ揃えても勝てなかった」
永と鈴心だけが共有している悲しみと虚しさ。それを目の当たりにした蕾生は息を呑んだ。やはり運命は自分が考えていたよりも残酷な事実を突きつける。
「マジかよ……」
蕾生すらそれだけ言うのがせいいっぱいで、星弥にいたっては一言の慰めも出ない。どんな言葉を紡ごうと、永と鈴心の苦しみを和らげるのは不可能に思えた。
「弓と刀、それに後何が必要なのか。それは未だにわからない。後ろ向きな表現はしたくないけど、弓と刀と、他に必要なものがあっても、それで勝てるのかすらもわからない」
永の言葉を聞いて、わからないのは自分だけではなかったのだ、と蕾生は驚愕した。
「それは……だいぶしんどいね」
星弥もせめて共感するしかなかった。
「例えば今回も失敗したとして、次の転生に有用な情報が取得できればいいのかもしれない。でも、果たして次も転生できるのか? さあ、それも確かじゃない」
永が初めて不安を吐露する。
「……絶望するよね」
これまでの試行錯誤の経験はあっても、実は手探りだし、確証も得ていないまま記憶のない蕾生を導きながら光の見えない闇を進んでいく。
それは途方もないことで、その状態を九百年も過ごしている永と鈴心の不安は蕾生の比ではないだろう。
それを思うと、どうして最初から全部教えてくれないんだと駄々をこねる自分が情けなくなってくる。
それでも。
それなら。
空っぽのバカな自分にできることは。
「なら、これが最後だな」
永が真実を見つけてくれると信じて、がむしゃらに進むしかない。
「今回で絶対に鵺に勝つ。次回の転生のことなんて考えねえ。一期一会、だ!」
その場の全員に、自分の決意を表明するように蕾生は拳を握って宣言した。
すると最初に笑ったのは鈴心だった。
「──微妙に意味が違いますが、気持ちはわかります」
続けて永も大袈裟に笑う。
「ハハッ、だから僕らには君が必要なんだ、ライ」
こいつらが笑顔になれるなら、バカでも何でもい。
「まっさらな記憶の唯くんだから出る結論だね」
「バカってことか?」
「褒めたんだよう」
星弥も重い空気を変えようと少しふざけて笑う。そんな場に従って永も更に明るく笑った。
「弱音吐いてゴメン! 今度こそ頑張ろう!」
その決意が悲壮なものだったとしても、笑って言えば希望に変えられる。
これは誤魔化しではない、きっと変えられると信じる。信じて進んでいく。
そういう決意を、今、ここでしたんだ──と頷き合って皆互いを勇気づけた。
「──で、銀騎研究所の身内が一応二人もいる。これを大いに使わせてもらおう」
仕切り直すように、永が机に体重を乗せて前のめりになりながら一同を見回した。
それにいち早く反応したのは鈴心だった。
「研究所内の詳細が必要ということですね」
「そう。リンは研究所に顔パスなんだろ? 最初に会った時も公開されてない場所にいたしね」
「ああ、あの温室ですね。確かにあそこはお祖父様から特別に許されて出入りしていましたが──」
鈴心が少し考えている間に、星弥は自嘲するように笑って言った。
「私は役に立たないかも。研究棟の方にはほとんど行ったことがないの」
「まあまあ、それでも僕らよりは情報持ってるでしょ。どんな小さなことでもいいから」
「うん……」
あまり乗り気ではない星弥の気持ちをわざと無視して、永はカバンから薄い冊子を取り出した。
「で、これが一般に向けて銀騎研究所が出してるパンフレットね。これが表向きの見取り図。実際はどうなんだい? リン」
「ここに書き足してもよろしいですか?」
「もちろん」
永の承諾を得ると、鈴心はパンフレットを自分の机に引き寄せてボールペンで四角形をいくつか足したり、線で囲ったりして見せる。
「このA棟からF棟の建物は図の通りで間違いありません。研究員だったら自由に出入りできるエリアです。秘されているのはこう……」
書き加えた四角形をボールペンで指しながら鈴心は説明していく。
「まず、ハル様とライが最初に立ち入ったのはここの温室です。ここには研究途中の植物標本が植えられています」
「なるほど」
永の視線はパンフレットに注がれているので、星弥もそこを指さして丸くなぞる。
「それから自宅はこの辺かな。薮の中を隔ててね」
星弥の説明を受けて、鈴心が代わりに自宅の場所を書き加えた。
「そうですね。後は私も場所は知らないのですが、お祖父様専用の研究施設があると聞いたことがあります」
「じゃあ、そこだろ」
今までの図解が茶番だったとでも言うような鈴心の決定打に、蕾生は反射的につっこんでいた。
永もそれに賛成して頷く。
「──確かに。他人が往来できる場所に萱獅子刀を保管してるとは思えないし。場所に心当たりは?」
「そこに出入りできるのはお兄様とお祖父様の秘書だけで、お兄様をつけた事も何度かありますがいつも見失ってしまって──」
鈴心の答えに蕾生は訝しんでまたつっこむ。
「ええ? 広いったって街の中じゃねえんだから」
すると星弥が真面目な顔で蕾生の疑問に答える。
「結界が張ってあるのかも。兄さんを見失うっていうことは目眩しの術かなんか使ってるんだと思う」
「皓矢を見失うのはどの辺?」
永が聞くと、鈴心は首を振って申し訳なさそうに答えた。
「それが……いつも場所が違うんです」
「──念が入ってるなあ」
「さすがに敷地内のどこかにはあると思うんですが……」
言いながら鈴心はパンフレットの地図を睨みながら考えていた。だが星弥が身も蓋もないことを言う。
「結界の中なら多分目視はできないと思うよ」
「じゃあ、やっぱりそこに刀があるのは確定だな」
蕾生がそう結論づけると、鈴心は少し何かを考えていた。