続けて永はやや遠慮がちに語った。
「ライくんは初めてのことで違和感があると思うけど、あえて現在の僕達のことを『今回の転生』って呼ぶけど……」
「ああ、それでいい」
「今回の転生では、リンの合流が遅れていたんだ」
「確かに、昨日会ったアイツはそういう雰囲気じゃなかったな」
出会った事だけを考えれば今回も矛盾はないように思えたが、蕾生は昨日拒絶されたことを思い出した。
「僕もうまく説明できないんだけど、いつもだったら『そろそろリンが来そうだな』って思うんだ」
永にしては珍しく感覚的な物言いだった。
「だけど、今回の転生では『リン遅いな』って思ってしまった。そんなこと考えたことがなかったのに。これは十分異常事態なんだよ」
だから自ら銀騎研究所に乗り込んで調べようとしたのか、と蕾生は思った。
「結果として僕達はリンに会えたけれど、合流には至っていない。それどころか、このままじゃリンは合流しないかもしれない。それに昨日会ったリンはとても僕達と同い年には見えなかった」
昨日見たリンの姿は高校生には見えなかった。せいぜい中学生か、小学校高学年といったところだ。
その姿を思い出すとともに、蕾生はあの時ひどく永が狼狽したことも鮮明に思い出した。
「だから、永はあんなに取り乱してたんだな」
「ええっと、話を少し戻すけど、リンが遅いって思った時に、少し思い出したことがあって」
へへ、と照れくさそうに笑った後、真面目な顔になって永が続ける。
「銀騎詮充郎。あいつが前回の転生でリンに異常な興味を示していたんだ」
登場した人物の名に、蕾生はやはり何かあったのだと思った。説明会で「できれば二度と会いたくなかった」と言っていた永の呟きを思い出した。
「あのVTRのじいさんか? 異常な興味って?」
昨日の銀騎詮充郎の姿を蕾生は思い出す。
皺が深く刻まれた顔の中に、落ち窪んだどす黒い目。しゃがれているのに心の奥深くまで突き刺さる声。
まるで死神のような威圧感で睨まれたらきっと身がすくんで動けないだろう。あんな存在とこれから関わらなければならないと思っただけで背筋が寒くなる。
「ちょっとそれはまだ言えないな……」
永の更なる隠し事に、蕾生の苛立ちがますます大きくなった。大袈裟に睨むことで意思表示を試みる。
「だから、言えないことがあるのはゴメンって! とにかくリンと銀騎詮充郎の間に何かあったのかもしれないと思って、僕は昨日君を連れて研究所に行ったって訳」
永は蕾生の目の前で両手を合わせて謝った。ここまでしても教えてくれないなら、次の機会に期待するしかない。
「……まあ、わかった」
「リンのことは確信があった訳じゃないから、本来の僕の目的は刀の方だった。だけど、いざ研究所に入ってみたらリンの気配を感じたもんだから、僕も驚いてしまって」
「そうか……」
永にしてみたら、九百年もずっと仲間だと思ってきた相手に昨日突然拒否されたことになる。
蕾生にはその時間の重みはまだわからないけれど、もし、永にあんな態度を自分がとられたらと思うと、昨日あんなに永が取り乱したのもわかる。
永に自分以外にもそんな相手がいたことは少しショックだし、嫉妬のような感情と相まって、蕾生にはリンに対する怒りのようなモヤモヤした感情が生まれていた。
「で、ミッションの話をするよ?」
「お、おう」
「まずは、もう一度リンに会いたい」
蕾生がリンに感じている不信感など欠片も持っていないとわかる真剣な表情で永は訴えた。
そんな澄んだ目をされては、自分の持ってる感情が子どもっぽいものに思える。
「でも、どうやって? 昨日のはただラッキーだっただけだろ? それに──」
「うん。リンははっきりと僕達を拒絶してきた。もう、嫌になってしまったのかも。とても酷い運命だから」
永のこれまでの苦労はとても測れるものではない。酷い、と言い切る程の経験を永とリンはしてきたのだろう。
「それでも!」
永は自ら奮い立たせるように、きっぱりと蕾生に訴える。
「僕はもう一度リンに会いたいんだ」
少しだけ声が震えている。揺らぐ瞳の中にはリンに対する純粋な思いがある。それを感じ取ったからには、蕾生が戸惑う理由はない。
「わかった。絶対にお前をリンに会わす」
「ありがとう、ライ」
やっと安堵したように破顔した永を見て、蕾生の心は決まった。
「で、具体的にはどうするんだ?」
「うん。それなんだけど」
急に永らしい余裕の笑みを浮かべて、というかワルくニヤリと笑って言い放った。
「ライくんに、女の子をナンパして欲しいんだよね!」
「──ハア!?」
突拍子もない言葉に蕾生は思わず声を上げる。
同時に昼休み終了のチャイムが甲高く鳴り響いた。
放課後になって、蕾生と永は昇降口で身を潜めながらある一団の様子を伺っていた。
「どれだよ?」
蕾生が柄にもない小声で尋ねると、正門へと向かう通路の脇にある花壇を指差して、やはり小声で永が答えた。
「あの、ボブカットの子!」
その視線の先にはジャージ姿の女生徒が数人。花壇の花を植え替えている。
さらにその指が示しているのは、肩にかかるくらいのふわふわの髪に笑顔をたたえる女子がいた。周りの女子達と親しそうに話しながら花の世話をしている。
「あれが──?」
「銀騎星弥。銀騎研究所の関係者。詮充郎の孫で、皓矢の妹」
件の人物を認識した蕾生は、それまでに抱いていた銀騎研究所のイメージを覆すような雰囲気の彼女に感嘆の声を漏らした。
「へえ……」
「可ン愛いよね?」
「べ、別に普通じゃね?」
永に言われて思わず頷きそうになった所を堪えたので、蕾生はどもってしまった。
「ああ、ライくんの好みなんだね」
「べ、別に普通じゃね?」
それ以外の言葉が浮かんでこない蕾生をニヤニヤと見ながら永は説明する。
「あの子さあ、園芸部じゃないんだよ。なのにお手伝いで花植えたりしてんの。普通する? そんなこと」
「さあ……花が好きなんだろ」
永の言い方にトゲのようなものを感じて、蕾生は首を傾げる。
「僕の調べでは、入学してから今まで、彼女を悪く言う人がいない。それどころかクラスの中ではぶっちぎりの好感度を獲得してるらしい」
「一ヶ月かそこらでか?」
「確かに可愛いけど、彼女より可愛い子は他に何人もいる」
「はあ……」
どんどんトゲを増してくる永の言葉。女子には平等に優しい永が珍しいなと蕾生は思った。
「容姿はそこそこなのに、性格がずば抜けていいんだって。実家が超絶金持ちなのに全然嫌味がないって」
「お前、すごいな……」
別のクラスの女子にそこまで、と蕾生は半ば呆れてしまった。
「乙女ゲームの主人公みたいって言えばわかる?」
「いや、ますますわかんね」
永のたとえはわからないが、とにかく稀有な女子であることは伝わった。
確かに永はそういう人物は好かないかもしれない。結局、自分より完璧な人物の存在が気に食わないのだろう。
欠点がない人間は逆に不気味だということだ。ただ、彼女の場合は銀騎憎しで永が冷静ではない可能性もあるが。
「とにかく、あの子とお近づきになって、オトモダチとしてあの子の家に遊びに行く。それが最初のミッション!」
永の唱える穴だらけの計画に、蕾生はかなり不安になっていた。
「なんで俺が? 口のうまいお前の方が適任だろ?」
「いやあ、彼女、僕みたいに胡散臭いのは嫌いだと思うんだよねえ」
「自覚あったのか……」
永はとにかく弁が立つ。そのせいで男子の受けはあまり良い方ではない。
その代わり女子にはそのトーク力で結構人気があるのだが、男子から見れば口先だけの胡散臭いヤツというのが永の総評だ。
そして図体がでかくて怖い蕾生を従えていることで、中学時代はまあまあ煙たがられていた。
「目が笑ってない僕よりも、ちょっと不良っぽいけど純朴なライくんの方がウケがいいはず!」
「今、話しかけるのか?」
蕾生は心底気が進まないのに、永は構わずに作戦を述べる。
「いや、とりあえず、一人淋しそうにあの集団の前を横切って。視線は花に。なんかちょっと可愛いものを見るような目で!」
「えええー」
それに一体なんの意味があるのか。蕾生は本当に嫌だった。
「ほら、早く行って!」
背中を押されて蕾生は渋々歩き出した。
花壇の前まで行くと、蕾生はとりあえず指示通り女子達の前で立ち止まる。
「?」
それまで花に集中していた女子達は突然現れた大きな人影に気づいて顔を上げた。
女子達から一斉に視線を浴びた蕾生は、緊張で顔が強張った。客観的に見て「ガンを飛ばす」ような状態である。
「!」
一人は驚愕し、また一人は明らかに怯えていた。だが、銀騎星弥だけは物怖じせずに蕾生をじっと見つめていた。
「──!」
目があったものの、どうしていいかわからず、蕾生はプイとそっぽを向いて花壇を通り過ぎ、正門の方へ向かった。
「何、今の」
「たしか隣のクラスの……」
「やだ、怖い……」
口々に女子達が蕾生に嫌悪の感情を向ける。ただ、銀騎星弥だけは目を丸くさせながらも肩で風切って歩いていく蕾生の背中を見送っていた。
「だめかも……」
一部始終を見届けた永は肩を落とした後、急いで裏門を通って外から蕾生の待つ正門へと向かったのだった。
「な? ダメだったろ」
永と合流した蕾生はすっかり不貞腐れていた。
「うーん、怖そうに見える男子が実は草花好きで意外と可愛いところがあるのね作戦だったんだけどなー」
永はがっかりと肩を落として見せる。そのわざとらしい仕草から、もしかして遊ばれたかもとも思って蕾生はますます不機嫌になる。
「周りくどすぎるだろ! お前が得意のおしゃべりでいけ」
「どうかなー、自信ないなー」
蕾生が詰め寄っても永はのらりくらりとしてあまり積極的ではない。
「なんでだよ、しゃべりで女子と距離つめるの得意だろ?」
「うーん、そこらの女の子なら楽勝なんだけど、彼女の雰囲気が苦手っていうか……」
「好感度のかたまりみたいなヤツなんだろ?」
「いやー、なんか苦手な気がするんだよね。話したこともないんだけど」
全く煮え切らない態度の永は初めて見た気がする。いつもの大胆で口八丁に相手を丸め込む手口を出そうとしないことが蕾生は不思議で仕方ない。
「じゃあ、どうすんだよ。さっきので俺の印象最悪になってんぞ。どうやって挽回すんだよ」
「やっぱり、ねえちゃん俺と付き合えよ、キャー助けてそこの怖そうな男子作戦かなあ」
さらに穴が空いた作戦を口にする永に蕾生は呆れた。
「絶対、やだ」
「えー」
「真面目にやれよ。もう直接話しかければいいだろ」
「ライくんが?」
期待を込めた視線を向けた永を蕾生はばっさりと切り捨てた。
「俺が女子と話せると思うか? お前が銀騎博士のファンなんですーって軽めにいけばいい」
「えー、ライくんに指示された。いつもと逆だあ」
「逆じゃない、口での攻撃はお前の領分!」
蕾生の言葉が最後通告になった。永は観念したように頷く。
「……そうだったね。僕が頭でライくんは腕」
「ん」
やっと腹をくくったらしい永に、蕾生も満足そうに頷いた。
「じゃあ、とりあえず下校するのを待ち伏せ──」
「あのー」
永が時刻を確認しながらこの後のプランを立てようとしたその時、蕾生の後ろからひょっこり顔を出す人物がいた。銀騎星弥だった。
「ヒエッ!」
突然の本人登場に、さすがの永も素っ頓狂な声が出た。
蕾生も反射的に後ろを振り返る。完全に不意をつかれて蕾生の方は声も出なかった。
「ああ、よかった、追いついて。えっと、三組だよね?」
銀騎星弥は蕾生の方を見て、屈託なく尋ねる。
「あ、ああ……」
まさか向こうの方から話しかけてくるとは夢にも思わないので、蕾生は頷くことしかできなかった。
「三組の学級委員の人に伝えて欲しいんだけど、生徒会が配った一年生のアンケートがまだ出てなくて──」
「あ、学級委員ならこいつ」
奇跡的に永にバトンタッチできるキーワードが彼女から紡がれたので、蕾生は反射的に話題を振った。
「ああ! そう、ハイ、僕です」
永もまだ面食らった表情のまま慌てて手を上げる。
「そうなの? わあ、ちょうどよかった。クラスで集めて明後日くらいまでに生徒会に出してくれる?」
銀騎星弥は両手をパンと叩いて晴れやかな笑顔を見せる。
「ああ、遅れてゴメンナサイ。でもなんで銀騎さんが?」
「あ、わたし、役員じゃないんだけど、たまにお手伝いしてるの。一年生の連絡係みたいな」
「へえー、そうなんだー!」
予定にない出来事が起きたせいで永も舞い上がってしまったのだろう、人をくったような皮肉はおろか女子限定の褒め言葉すらも出てこない。
この調子では今日のうちにお友達になるなんて無理だな、と蕾生は思った。
「じゃ、じゃあ、集めたら銀騎さんに渡せばいいかな?」
それでもなんとか明日に繋げようと永はどもりながら尋ねる。
「え? あ、うん、それでもいいよ。えっと……」
「あ、僕、周防永。こっちのでっかいのは唯蕾生っていうの」
自己紹介にこぎつけたところで、永にやっと余裕が出てきたのがわかった。それで蕾生も少し冷静になり、軽く頭を下げた。
「周防くんと、唯くん……だね。それじゃよろしくね。呼び止めてごめんね」
「いいええ、どうもお疲れさんです」
永が愛想よく手を振ると銀騎星弥も軽く手を振って足早に花壇へと戻っていった。
その姿を見送って、蕾生はやはり彼女の何が永を混乱させるのか実際に会話してみてもよくわからなかった。
「はあー! やっぱだめだ、あの子、僕苦手」
永はどっと疲れたような顔で、肩で息を吐く。
「永、どうした? いつもの余裕が全然なかったな」
「……なんだろうね、銀騎の関係者だって思うから変に緊張するのかな」
「そうなんじゃねえの? とにかくもう一度話しかける機会ができたな」
「そうだね、ラッキー。じゃあ、帰りながら明日の対策をたてようか」
永は蕾生との会話で元の落ち着きを取り戻していた。
「なるべく自然なやつな」
「わかってるって!」
もうすぐ陽が落ちる。明日こそはこっちが主導権をとってやるんだと永は意気込んでいた。
今日の永は朝から忙しく動いていた。放課後までに銀騎星弥と約束したアンケートの回答をクラス全員分揃えるためだ。
休み時間の度にまだ提出していないクラスメイトに話しかけていく。クラス全員の名前を覚えていない蕾生と違って永は流れるように声をかけていく。
まだ教室内は人間関係がぎこちないので学級委員に話しかけられて無下にするような者はいない。永は立候補で学級委員になったので「やる気あります」という雰囲気を全面に出してクラスの覇権をとろうとしている。
高校では最後まで本性がバレないといいと蕾生は思うが、多分無理だとも思っている。よくやるなあと感心しながら永を眺める一日が終わろうとしていた。
「ブツは揃ったぜ」
全員分のプリントの束を蕾生の目の前でビラビラとさせながら、少し低めの声で永は自慢げに言った。
「そうか、ご苦労さん」
「──ノリが悪いな!」
悪いもなにもどう乗ってやればいいのか、アニメもドラマもあまり見ない蕾生はよくわからない。
「まあいいや、漫才がしたいわけじゃないし。昨日の打ち合わせ覚えてる?」
永の問いかけに、蕾生は昨日帰り道で話したことを思い出しながら口にする。
「ええと、まずそれ持って話しかける、お前がポケットから銀騎研究所のパンフレットを落とす、研究所の話で盛り上がる、家に招待される──大丈夫か、これ?」
口で言うのは簡単だが、そんなにトントン拍子に行くことがあるだろうか。蕾生は改めて不安になった。
「大丈夫も何も、下手な小細工せずに真っ向勝負だって言ったのライくんでしょ」
「まあ、そうだけど」
「僕の調べでは、銀騎星弥はいい人過ぎて頼まれたら断れない性格なんだ。多少強引でもやるしかない! 大丈夫、覚悟は決めたから昨日みたいな下手は打たないよ」
その性格を利用して土下座でもするんだろうか、と蕾生は想像して、見たいような見たくないような複雑な気分になったが、永は鼻息荒くとてもやる気になっているので、なんだかんだをひっくるめて二言だけ言う。
「わかった。がんばれ」
「そこは頑張ろうでしょ!」
永は蕾生の腕を掴んで教室を出た。
壁を一枚隔てただけなのに、隣のクラスは別世界のような違和感がある。永と蕾生は入口付近で控えめに中をうかがった。
「いるかな?」
「──あ」
銀騎星弥を見つけたのは蕾生の方だった。するとその視線に気づいたのか彼女の方も蕾生を見定めて席を立ち、こちらへ向かってくる。
「唯くん、周防くん。集めてくれたの?」
早足で息を弾ませながらやってきた彼女の雰囲気には悪い印象など微塵も感じられなかった。人当たりの良さは完璧だと蕾生は思った。
「ごめんね、遅くなって」
「ううん、全然。ありがとう」
にっこり笑った笑顔には見返りを求めない純粋さがあり、その対象に安心感も与える。永調べの「好感度ぶっちぎり」というのも頷ける。
「じゃあ、これよろしく……」
永は紙の束を彼女に渡そうとしつつ、その一番下に潜ませていた用紙を床に落とした。
「あ、ちょっとまって、一枚落ち──?」
「あ、ごめん、違うのが混ざってた!」
いささかわざとらしい声音で言う永は、その落ちた用紙を拾わない。
「これ、うちの研究所のパンフレットだね」
代わりに銀騎星弥がそれを拾い、正体に気づく。少し声の調子が落ちた。
「そうそうそう! この前、見学会に僕達行ったんだ」
獲物がかかった、というような弾んだ声で永は想定通りの台詞を言った。
「そうなの? 二人とも、こういうのに興味あるんだ」
「そりゃあ、あの銀騎博士の研究だもん! 僕達UMAファンからしたらスーパースターだよ、ねえ、ライくん?」
「あ、ああ……」
二人とも、と括られたのは蕾生には不本意だが、乗っておかないと目的は果たせないので渋々頷く。
「唯くんも好きなの? その……未確認生物、みたいの」
「ま、まあ、少し……?」
「そうなんだ、若いのに珍しいね。お祖父様が脚光を浴びた頃ってわたし達まだ生まれてないのに」
言いながら銀騎星弥は苦笑している。お祖父様と呼ぶ様が少しよそよそしくて、あまり喜んではいないように思えた。
「だからさ、この前の見学会はすごくためになったよ。詮充郎博士だけじゃなくて、皓矢博士にも会えたし!」
「兄さん、緊張しいだから頼りなく見えたんじゃない?」
永も彼女の微妙な雰囲気を察したらしく、兄の話題をつけ足してみると、幾分か顔を綻ばせ始めたので、少しほっとした。
「そんな事なかったよ! 皓矢博士のキメラ細胞の研究、医療への実用化に向けて着々と進んでるって聞いて、夢みたいな話だなあって思ったんだよね!」
「うん……最近はそれでずっと研究室にこもっててあんまり会えないの」
寂しそうな顔を見せる彼女に、永は話を畳み掛ける。
「キクレー因子、だっけ? 特殊なDNAで、それを解明すると生物学の根幹が変わるかもしれないんでしょ?」
「すごいね、そんな専門用語まで知ってるなんて」
「そりゃあ、両博士の論文は全部読んだから」
嘘やはったりではなく、永のことだから全部読んだんだろうなと蕾生はこっそりあきれた。
「そうなんだ。論文て全部英語なのに、ますますすごいね」
「僕は銀騎両博士の大ファンだからね!」
両、の部分に力を込めて永は笑った。すると、銀騎星弥は少し言いにくそうに喋り始める。
「あの……もしよかったらなんだけど」
「うん」
もしかして作戦通りのことが起ころうとしているのでは、と永と蕾生の間に緊張が走った。
「周防くんがお祖父様の研究で知ってることを教えて欲しい子がいるんだけど……」
「──うん?」
二人が想像していなかった角度の話が来て、永は思わずうわずった声を上げた。
「あのね、親戚の子を今うちで預かってるんだけど、その子がお祖父様や兄さんの研究についていろいろわたしに聞くの」
「ハア」
遠慮がちに話し始める銀騎星弥を他所に、永は会話の到達点を見失ってしまった。
「でもね、わたし、兄さんみたいに生物学とかさっぱりでよくわからなくて。全然答えられないから、その子に冷ややかな目で見られちゃって……」
「ほう」
永の相槌はなんだか間が抜けてしまっている。会話の行方を懸命に頭の中で試行錯誤しているからだ。
「わたしの代わりに周防くんにその子の話し相手になってもらえたらいいなって思ったんだけど……どうかな?」
「そ、それはつまり、銀騎研究所に行ってってこと?」
「あ、うん。自宅も研究所の敷地内にあるから、もちろん」
──きた、と蕾生は心の中で拳を握った。
永を見ると、目が喜んでいた。即答しそうになる気持ちをぐっとこらえて一応謙遜してみせる。
「いやあ、でも、身内の銀騎さんを差し置いて、僕なんかができるかなあ」
「そんなに深い内容じゃなくていいの。その子、まだ十三歳だから。外部の人が知ってるような基本的なこともわたしはうまく説明できなくて……」
「そう? それならお邪魔させてもらおうかな」
わざとらしく飄々と永は言ってのける。銀騎星弥は嬉しそうに声を弾ませた。
「本当? ありがとう! ──それと、唯くんも一緒に来てくれる?」
「あ、ああ、俺も行ってみてえな」
自分も無事に呼んでもらえた安堵で蕾生は思わず前向きな回答をしてしまった。嬉しそうな彼女の笑顔につられたのだ。
「よかった! じゃあ、今度の日曜日はどうかな?」
「いいよな、永」
「もちろん」
二人が頷くと、銀騎星弥は上着のポケットから携帯電話を取り出した。
「じゃあ、時間とかは調整してから……連絡先交換しない?」
「あ! 僕、携帯電話カバンの中だ。ライくん持ってるでしょ、交換しといて」
「お、おう……」
永に言われて蕾生はズボンのポケットから携帯電話を取り出す。
「じゃあ……」
銀騎星弥は自分の携帯電話を蕾生の携帯電話の上にかざした。軽快な電子音が番号の交換が成功したことを伝える。
画面の中に女子の名前が入ったのを見て、蕾生は気恥ずかしい心地がした。
「じゃあ、後で連絡するね」
「おう、また」
満足げに笑った銀騎星弥は、プリントの束を持ってその場から立ち去った。
「ちょっと、ライくーん? 初めて女の子の連絡先記録したんじゃない?」
永はニヤニヤしながら蕾生の腕をツンツン突いて揶揄う。
「うっせ! てか、お前携帯持ってないって嘘だろ」
常に情報を取得できる状態にいないと気が済まない永が、携帯電話を携帯していないなどあり得ない。
「バレてたか」
永はペロと舌を出して目を逸らした。
「あいつの番号、俺から教えても大丈夫な雰囲気だったよな?」
「あ、僕はいいです。知りたくないので」
永はきっぱりと冷たく断った。その態度に蕾生もさすがに首を傾げる。
「お前、あいつに関しては徹底してるな……」
「だから、彼女との連絡係はライくんってことで」
「まあ、いいけど」
「別にイイのよ? それ以外でも使っても!」
「しねえよ!」
「ハッハッハ、青春だねえ」
「永!」
ムキになって声を上げてしまったことと、それを永に見透かされている恥ずかしさで蕾生の手の中の携帯電話は汗まみれになってしまっていた。
少し曇り空の日曜日。待ち合わせ時間通りに家から出てきた蕾生に、永は落ち込んで息を吐いた。
「えええー……」
蕾生は、一週間ずっと同じ調子の永に辟易している。さらに今日は不憫な目で見られたので自然と文句がでた。
「お前なあ、ここんとこ毎朝同じ顔してるぞ。そんな顔で迎えられる俺の身にもなってみろ」
「大丈夫? 寝た?」
それでも永は不安そうな表情をやめない。
「寝たよ、大丈夫だよ」
蕾生にとっては言い飽きた台詞だ。ここ一週間は夢も見ることがなく、自分でも驚くくらいに朝起きた時の頭はすっきりしている。けれど永は疑いの眼差しで首を傾げた。
「ほんとかなあ」
「ていうか、昨日は土曜だから、いつもより寝てるからな。それに今日だって早朝ってほどじゃないだろ」
「えええっ、そんな自己管理ができる子じゃなかったのに!」
永は大袈裟に後ずさって衝撃を受けたような顔を見せたが、声が明るいのでふざけはじめたな、と蕾生は面倒くさくなった。
「もういい、行くぞ」
プイとそっぽを向いて先に歩き出す蕾生に、永は慌ててついて行った。研究所は学校と公園を越えた先にあるので、歩く景色はいつもとほぼ変わらない。ただの休日なので若干歩いている人が少なかった。
「あー、めんどくさいなー」
道中の半分を過ぎた頃、永がかったるそうにぼやく。
「え?」
正気かこいつ、と蕾生は怪訝な顔で聞き返してしまった。
「リンのことを探らなくちゃいけないのに、親戚のクソガキの話し相手させられるんでしょー」
「そのクソガキがいたから家に行けるんだろが」
「そうなんだけどさぁ……」
永は口をへの字に曲げたままため息を吐いた。
「まあ、ただ部屋で話すだけじゃ、リンのことなんか探れねえけど、どうするんだ?」
「うん……、例えばその親戚のお子様に取り入って、話を盛り上げて、研究施設見たーいって言ったら見せてくれるかなあ?」
「どうだろうな。銀騎の雰囲気なら頼めば少しは見せてくれるか?」
蕾生は学校での銀騎星弥を思い返す。少し意識を向けるだけで、校内のどこでも彼女の姿を確認することができた。
休み時間は教師の手伝いをしているし、放課後になれば校内清掃をしていたり、蕾生が永に無理矢理押し付けられた監査委員会という死ぬほどつまらない会議にも出席し、一年生の議長までやっていた。
とにかく忙しなく誰かのために動いている。しかも嫌な顔もせず、常に笑顔のままで。彼女なら何を頼んでも快く受けてくれると学校の誰もが思っているようだった。
「だからさ、僕はそのクソガキじゃなくてお子様頑張って洗脳するから、ライくんは銀騎さんを頼むよ」
「ええ!? どうやって?」
永が使った物騒な言葉に蕾生は戸惑った。女子と話すこと自体がほぼ無理なのに、洗脳だなんて月まで飛べと言われる方ができそうだ。
「基本的にはいつも通りのライくんでいいよ。なんか彼女、ライくんのこと気に入ってるみたいだし」
「そんなことねえだろ」
銀騎星弥は誰にでも優しくにこやかに接する。自分だって例外ではないと蕾生自身も疑ってはいなかった。
「んもう、朴念仁はこれだからしょうがない! 口下手なりに一生懸命会話してみ? 多分それで結構いいセンいくと思うな」
人の観察眼にかけて、永より優れた人物に出会ったことはない。永の分析がそう言うならそうなのかもしれない、と蕾生は思い直して自分に向けられた彼女の笑顔を思い出す。
「会話、会話か……」
「頼むよー、自然でいいからね!」
「お、おう……」
ほんとかよ、ついでに揶揄ってんじゃねえだろうなと蕾生は半信半疑だった。だが自分が銀騎星弥と話すしかないのはその通りなので、蕾生はにわかに緊張が増した。