転生帰録──鵺が啼く空は虚ろ

「ようするにどうなんだよ? 銀騎(しらき)さんの容体をお前はわかってるのか? それとも超天才の親父が作った術式なんて理解できないって言いたいのか?」
 
 皓矢(こうや)の説明に回りくどさを感じた(はるか)は少し苛立って結論を急く。
 
「どちらかと言えば、後者かな。父の術式は精巧かつ複雑で、父でないと全てを理解するのは不可能だろうね」
 
「そんなんで大丈夫なのか?」
 
 鈴心(すずね)に聞いていた印象とは逆に自信無さげな皓矢に、蕾生(らいお)も思わず口を挟む。
 
「天才に凡人が報いるためには試行錯誤を繰り返すしかない。そのために君達を連れてきてもらったんだ」
 
「具体的にはどのような処置をお考えなんです?」
 
 鈴心の問いに、皓矢は視線を蕾生に定めて言った。
 
「僕が考えているのは、共鳴だ。先日、蕾生くんが(ぬえ)化する運命を聞かされて、一瞬だけど我を失ったことがあったよね?」
 
「ああ……」
 
「だけど、星弥(せいや)がかけた言葉を聞いて君は冷静を取り戻した──様に僕には見えたのだけど」
 
「……よくわかんね。あの時は頭が真っ白だったから」
 
 実は蕾生もそう思っているのだが、なんとなく肯定するのが気恥ずかしくてはぐらかしてしまった。
 そんな蕾生の気持ちもわかっているのか、皓矢はそれを前提においた説明を始める。
 
「あの時、星弥と君のキクレー因子が共鳴したんじゃないかと僕は考えている。キクレー因子同士がリンクすることでお互いを正常に戻す作用があるのではないかと思うんだ」
 
「……」
 
 永はそれまでツチノコ特有のものだと思っていたキクレー因子の真実がどんどん示されていくので、知識を更新するべく考え込んでいる。
 
「さらに言うと、蕾生くんが我を失った時、永くんと鈴心も君に縋りついてなんとか鵺化させないようにしていたよね。あれも同様の効果を本能的に君達が行ったんだと僕はみている」
 
「なるほど……」
 
 キクレー因子に関しては永より基礎知識がある鈴心は納得して頷いた。
 
「キクレー因子には恐らく正負両方の作用がある。因子保有者の永くん、鈴心、星弥が君を止めようとしたから君は止まることができた」
 
「つまり、私達が星弥に戻って欲しいと願えばいい、ということですか?」
 
 鈴心の少し希望を持った問いかけに、永はまったをかけるように懐疑的な意見を示す。
 
「そうは言っても、念じるだけで戻るとは思えないな。僕らはこれまでキクレー因子のことなんて気にしたことなんかないし、あんた達みたいな不思議な力はないけど?」
 
「ははっ、目に見える力だけが全てではないよ。君達は充分に不思議な力を持ってる。ただ、その使い方を知らないだけだ。今回は僕がそれを引き出して使わせてもらう」
 
 そう言われて永は複雑な顔をした。皓矢に自分の中の何かを委ねることに抵抗があるのだ。
 
「俺達は何をすればいいんだ?」
 
 蕾生が聞くと、皓矢は簡潔に答えた。
 
「星弥に触れて、あの子を想ってくれればいい。その道筋は僕が示す」
 
「──わかった」
 
 蕾生が大きく頷くと、永は慌て出した。
 
「ちょっと、ライくん、即答なの?」
 
「だって銀騎を助けるためにここに来たんだろ?」
 
 蕾生らしい単純思考なのだが、永はぶつぶつ文句を呟く。
 
「そうだけどさ、もっとこう取引をさあ、せっかく恩に着せられるチャンスがさあ……」
 
「そんな駆け引きやってるヒマなんかないだろ。早く処置しないと、悪化したらどうするんだよ」
 
 完全に蕾生の方が正論だったので、余計な損得を考えていた永はため息混じりに渋々頷いた。
 
「わかったよ、じゃあ銀騎さんが無事に目を覚ましたら、うんと恩着せてやろうっと」
 
「ありがとう。君達の好意に感謝するよ」
 
 やっと皓矢は心から微笑んだ。そのまま一同は二階に上がり、星弥の部屋を目指した。





「母さん、入るよ」
 
 ノックとともに部屋のドアを皓矢(こうや)が開けると、憔悴した顔でベッドの横に座る婦人がこちらに向かって顔を上げた。
 
「ああ、皓矢。この方達が……?」
 
「うん、きっと星弥(せいや)を助けてくれる。これから処置を始めるから、母さんは下で休んでいて」
 
「どうか、よろしくお願いします……」
 
 深々と頭を下げて部屋を出るその姿はとても儚げで、今にも消え入りそうだった。
 ベッドに寝かされた星弥を見ると、穏やかに眠っているだけのように思える。死に瀕しているなんて到底見えなかった。それが却って痛々しい。
 そんな母娘を見て、蕾生(らいお)は絶対に助けると意を決した。
 
「じゃあ、二人は手を握って。後……」
 
 皓矢が指示する前に、鈴心(すずね)が星弥の右手、それに倣って(はるか)が左手を握った。
 蕾生はどうしたものか、あと女の子の体で触っていい所はどこだ、と懸命に考えた結果、額に手を添えることにした。額から感じる体温も特に熱くもなく、平常な温度に思えた。
 
「うん、それでいい。では始めよう。目を閉じて、元気な時の星弥を思い出してほしい」
 
 三人は言われた通りに目を閉じて、各々の抱くありし日の星弥の姿を思い浮かべる。戻ってきて、と願いながら。
 
沈幽(ちんゆう)鴇送(ときにおくる)……」
 
 皓矢がほとんど聞き取れないくらいの声量で何か言葉を唱え始める。
 
「……紅至(くれないにいたれ)……」
 
 けれどその言葉が体中を巡っていくかのような感覚があった。
 
「……心緒(しんのしょ)──ッ!」
 
 皓矢が力強く右手を振ったのが空気圧でわかった気がした。術が終わったのだと直感した三人はゆっくりと目を開ける。
 
「……星弥?」
 
 一瞬だけその体がぼうっと光ったがすぐに消え、鈴心の声にも反応がない。星弥は目覚めなかった。
 
「だめだ、足りない。僕の力不足だ。父の術式まで君達の因子を届けられない……」
 
 肩で息をしながら、苦しげに皓矢は吐き捨てるように悔しさを吐露した。額には汗が滲んでいる。力を出しきったのは蕾生の目からもよくわかった。
 
銀騎(しらき)はどうなるんだ?」
 
「このままでは……」
 
 疲れが滲んだ顔を更に白くして皓矢が焦る。それを見て永は最悪の結果を考えた。
 
「まさか──」
 
 その後の言葉は恐ろしくてとても口にできない。
 
「星弥、起きて……目を覚ましてください!」
 
 鈴心が泣きながら星弥の体を揺する。けれど眠ったまま動くことはなかった。
 
萱獅子刀(かんじしとう)……」
 
「え?」
 
「お祖父様の萱獅子刀があれば届くかもしれない」
 
「なんで?」
 
 呟くような皓矢の言葉に永が問うと、皓矢は眉をひそめ少し迷った後、観念して白状する。
 
「お祖父様は君達に嘘をついている。先日見せたものは本物の萱獅子刀ではない。お祖父様がキクレー因子の制御装置として新たに造ったレプリカなんだ」
 
 それを聞いた鈴心も蕾生も驚いた。
 
「なっ……」
 
「マジかよ」
 
 だが永だけは「またか」と溜息を吐いた後、怒りを露わにした。
 
「ああもう、ほんっと大人って汚いよねえ!? ジジイは絶対ぶっ殺す!!」
 
「本当にすまない……」
 
 術が失敗したこともあって、皓矢は力無く項垂れて謝った。
 
「でもお兄様、それではお祖父様にこの事を報告しなければならないのでは?」
 
「そうだ。仕方ない……」
 
「でも、ハル様は──」
 
 鈴心が不安げに永を見たが、永は勢いよく拳を握って宣言した。
 
「心配するな、リン。あのジジイをせめて一発ぶん殴るまでは帰らない!」
 
「そうだな、落とし前つけてもらわねえと」
 
 蕾生も拳で左手を叩いて永に賛同する。
 
「殴らせる訳にはいかないけれど、では皆でお祖父様の所へ行こう」
 
 少し悲壮な雰囲気を漂わせ、それでも瞳に光を灯して皓矢は立ち上がった。





 皓矢(こうや)(はるか)達三人を連れて、急ぎ足で詮充郎(せんじゅうろう)の執務室に向かった。
 もうすぐ日が暮れようとしている。空は曇天で、いつ雨が降ってもおかしくないほどに辺りの空気は湿っていた。
 
 あっという間に結界を越えて、白い扉を通る。玄関は誰もおらず、静まり返っていた。皓矢(こうや)はどんどん奥へと進み、先日と同じ部屋にたどり着いた。
 
「お祖父様、皓矢です」
 
 ノックをするとすぐに(かす)れた声で返事が聞こえた。
 
「入りなさい」
 
「あの……他にも連れが……」
 
「わかっている、みな入りなさい」
 
 ゆったりと朗々と言うその言葉は、急いでいたため上がっている息を整えて礼儀正しく入らなければならないと、一同を脅迫しているような圧があった。
 
「よお、クソジジイ」
 
 だが永はそんなことは構わず、一人先にずんずんと部屋へ入っていった。詮充郎の机目掛けて歩く。
 
「──三日ぶりだな」
 
 読んでいる新聞から視線を離さずに、次のページをめくりながら詮充郎は言った。
 負けじと永も軽口で答える。
 
「なあに、指折り数えて。そんなに僕らに会いたかった?」
 
「もちろん。私は何十年と待っていたのでね」
 
「ぬかせ」
 
 唾でも吐きそうな勢いの永を蕾生(らいお)が嗜める。
 
「永、口喧嘩してる場合じゃないだろ」
 
 言われた永は口を尖らせて蕾生がいる位置まで戻った。代わりに皓矢が一歩進んで申し出る。
 
「お祖父様、お願いがあって来ました」
 
「ああ、わかっている。星弥(せいや)のことだろう?」
 
 言いながら詮充郎は読みかけの新聞をたたみ、積まれた書類の一番上の用紙を手に取って言った。
 
「ご存知だったんですか?」
 
 皓矢が驚いて聞けば、詮充郎はかけていた老眼鏡を外し、皓矢の方を向いて冷たい表情で言う。
 
「報告はきておるよ。お前がどう対処するか見定めていた。その様子ではできなかったのだな?」
 
「申し訳……ありません」
 
 皓矢が項垂れると、詮充郎は落胆を隠さずに大きく息を吐いた。
 
「当主になる者が情けないぞ。外部から助けを呼んだ挙句、失敗するとは」
 
「……」
 
「星弥を連れてきなさい」
 
「ですが、お祖父様──」
 
 皓矢が言いかけた言葉を遮って、詮充郎は苛立たしげに威圧をかけて命令した。
 
「星弥を、ここに、連れてきなさい」
 
「はい……」
 
 従うしかない皓矢が力無く返事をして振り返った時、部屋のドアを開けて入ってくる者がいた。





「お嬢様をお連れしました」
 
「!!」
 
 秘書の佐藤が軽く会釈をした後、移動式ベッドを押しながら部屋に入ってくる。そこには星弥(せいや)が寝かされていた。
 (はるか)蕾生(らいお)も突然のことに驚いて一瞬動けなかった。鈴心(すずね)は佐藤の澄ました顔に嫌悪感を表している。
 
「佐藤さん! あなた、家に行ったんですか!? いくらあなたでもこれは過干渉だ!」
 
 皓矢(こうや)は我を忘れて怒鳴った。だが、佐藤は無表情を崩さずに一礼して、感情のない声で謝った。
 
「申し訳ありません。博士のお時間の無駄を省くために出過ぎた真似をいたしました」
 
「ああ、いい。手間が省けた。皓矢も落ち着きなさい」
 
 詮充郎(せんじゅうろう)と佐藤の間では普通のことなのか、逆に皓矢を嗜めながら詮充郎は立ち上がる。
 
「……」
 
 皓矢は何も言えなかったが、顔をしかめ続けていた。
 ふとすると佐藤はその場から離れて部屋のドア付近で待機している。足音も聞こえず、一瞬の出来事だった。

 
 
「なるほど。とうに諦めていたこの子に発現するとはな……やはり奥が深い」
 
 昏睡を続ける星弥の側まで来て、その顔をしげしげと見つめながら詮充郎は笑った。
 
「お祖父様、星弥は──」
 
周防(すおう)よ、そちらの相棒が(ぬえ)化する条件はなんだったかな?」
 
 皓矢を無視して永に向き直った詮充郎は、半ば試すように話しかける。
 
「それは、ライが精神的に、あるいは肉体的に大きな衝撃を受けた時に……」
 
「そうだな、まあ、間違ってはいない。星弥にも同じことが起こったのだろうよ」
 
 永の答えに満足げに頷いた後、込み上げる喜びに肩を震わせながら詮充郎は続けた。
 
「星弥はお前達を友達と言った。『お友達』を欺いて私に会わせた精神的ストレス、ここで鵺の遺骸を目の当たりにし、(ただ)の運命を知った衝撃……」
 
「まさか……」
 
 蕾生から信じられない気持ちが口をついて出る。そんな蕾生に詮充郎はニヤリと笑いかけた。
 
「条件が揃っているだろう?」
 
銀騎(しらき)さんは、やっぱり……」
 
 その結論に先に辿り着いていた永は絶望感のままに呟く。
 
「お祖父様! それ以上は──」
 
 皓矢が大声で阻止しようとするも叶わず、詮充郎は高らかに謳うように恍惚な笑みとともに言い上げた。
 
「そう、星弥は鵺化しようとしている! 素晴らしい! ついに私は鵺を作り出すことに王手をかけたのだ!」
 
「こ、の──」
 
 蕾生は言い知れない怒りを感じていた。孫として育ててきた者に対する仕打ちにしても、その孫が人でなくなろうとしていることを喜ぶのも。目の前の老人の全てが不快だった。





「なんてこと……お兄様はご存知だったんですか!?」
 
 鈴心(すずね)が責めるように問いただすと、皓矢(こうや)は苦々しげに歯を食いしばった。
 
「ああ……だからなんとしても星弥(せいや)は目覚めさせなければならない」
 
 その言葉を聞いた詮充郎(せんじゅうろう)は烈火の如く怒り叫ぶ。
 
「馬鹿を言うな、皓矢! この子はその為に生まれた子だ! 実験は成功しようとしているのに!」
 
「お祖父様! 星弥の実験は凍結したはずです! この子には普通の人生を送る権利がある!」
 
 食い下がる皓矢にますます怒りを増して、詮充郎は興奮しながら言い放つ。
 
「では、その凍結を今ここで解除する。ウラノス計画は再び動き出すのだ!」
 
「お願いします! 星弥だけは見逃してください! 萱獅子刀(かんじしとう)を使わせてください、因子の沈静化を図るんです!」
 
 皓矢の態度は詮充郎にとっては醜態以外の何者でもない。そんな皓矢に向けて大きく息を吐いた後、詮充郎はまた机に戻りながら冷たく言った。
 
「……あまり失望させるな、皓矢よ。そもそもあのレプリカは(ぬえ)化を促すためのものだ。逆の用途に使うなど言語道断!」
 
 そうして机のボタンを押しながら、怒りに任せて叫ぶ様は鬼のようで、それまで必ず余裕を垣間見せていた詮充郎はもうどこにもいなかった。
 
「ついにこれを使う時が来たのだ……」
 
 後ろに現れた棚から萱獅子刀を取り出し、その刀身を引き抜く。鈍く光る刃には非情な鬼の姿が映っていた。
 
「力を持たないお前が使えるのか? それは呪具なんだろ?」
 
 時間を稼ぐつもりで(はるか)が尋ねると、詮充郎は常軌を逸した笑みで、机の引き出しから白く光る何かを取り出して見せた。
 
「案ずるな。私にはこれがある」
 
 その手にあったのは小ぶりの乳白色の石のついたアクセサリーのようだった。青白い線が光るその石の周りは異国風の蝶のようなモチーフで飾られている。
 それを見た瞬間、鈴心は肩を震わせて激しく動揺した。だが、詮充郎の狂ったように怒り喜ぶ様に気をとられていたのでそれに気づく者は誰もいなかった。

「それは?」
 
 冷静に永が問えば、自尊心の塊である詮充郎は得意げに説明する。
 
「銀騎家に代々伝わる家宝、幽爪珠(ゆうそうじゅ)──その成れの果てだ。これには我が息子がこめた術式が施されている。私でも扱える、な」
 
「そんなことが? 考えられない。呪力なしに発現する術なんて」
 
「皓矢よ、お前の父は偉大な陰陽師だったのだ。その血を引いているお前が、小娘一人の命乞いなど恥を知れっ!」
 
 もはや詮充郎は妄執的な感情に囚われており、皓矢の言葉など耳に入っていなかった。
 
「お祖父様──」
 
「皓矢、結界を張りなさい。これから偉大なる鵺が顕現する」
 
「お願いします、お祖父様……星弥を、星弥を……」
 
 諦められない皓矢はそれでも祖父に懇願を続ける。悲痛な声が部屋中に響く。
 
「この腑抜け者めが」
 
 それを煩わしそうに顔を歪め、舌打ちとともに詮充郎は部下へと目配せをした。
 
「──承知致しました」
 
 入口付近で控えていた佐藤は短い返事とともになんの前振りもなく、素人の永や蕾生(らいお)にもわかるような堅牢な結界を部屋中に張った。
 
「佐藤さん、あなたは──何者なんですか!?」
 
 皓矢すらも初めて見たのだろう、驚いて言えば佐藤は無表情のまま静かに答える。
 
「わたくしは博士の忠実なる(しもべ)でございます」
 
 やはり只者ではなかった、と永は心の中で舌打ちする。先日ここで会った時はもちろん、説明会で初めて見た時もどこか異質な雰囲気を感じていたのに。だが、今はそれを悔やんでいる時間はない。
 
「さあ、始めよう! 鵺との逢瀬を!」

 歓喜に震える詮充郎の声が、室内に響き渡った。





 舞台俳優のような仰々しさで詮充郎(せんじゅうろう)は高らかに宣言し、萱獅子刀(かんじしとう)に白い石飾りを掲げ合わせる。すると石が白く光り、続いて刀身が輝き始めた。
 
「うっ──」
 
星弥(せいや)!?」
 
 その声をいち早く察知して鈴心(すずね)が寝ている星弥に駆け寄った。
 
「あ、あ、あああああ──!」
 
 意識もないまま、苦痛に顔を歪ませて叫ぶ星弥を見て、鈴心は金切り声を上げる。
 
「星弥ァ──!」
 
 このまま何も出来ずに星弥を失うしかないのか。皓矢(こうや)(はるか)も打開策を必死に考える。その間も星弥は悲鳴とともに苦しみ続けた。
 その苦痛を与えているのは、祖父であるという残酷な事実。そこに星弥も詮充郎も気づかない。悲劇を通り越して地獄のようだった。
 
「ふふ……いいぞ、もうすぐだ」
 
 期待を込めて星弥を見守る詮充郎の腕を、突然力強く掴む者がいた。
 
「どうした? ケモノの王よ」
 
 蕾生(らいお)は詮充郎の手首を、骨が軋むほど握る。
 
「ふざけるな……あいつの生命(いのち)はお前のものじゃない……」
 
 その顔は怒りに燃えており、髪の毛が逆立つほどのオーラを放っていた。黒く、とても禍々しい。
 
「いけない、ライくん! 落ち着け!」
 
 しまった、と永は思った。
 星弥を助けることに集中し過ぎて蕾生に気を配ることができていなかった。優しい蕾生がこんな状況下で何をするかは、容易く予想できたのに。
 
「ぐああっ!」
 
 詮充郎が痛みのあまり刀を握る力を緩めると、蕾生はそれを奪い取って力任せに床に投げ捨てた。
 
「なっ──」
 
「あいつの生命(いのち)も、俺達の運命も! お前が好きにしていいものじゃない!」
 
 蕾生は怒りに任せて怒鳴り散らす。眼前の詮充郎に対してどんどんとそのボルテージを上げていった。
 
「ライ!!」
 
「お前は、許さないッ!!」
 
 もう、永の声も届いていなかった。蕾生を取り巻く黒いオーラは次第に(もや)のようにはっきりと目に見えるようになり、雲のような形を成していく。
 
「ライ! よせ!」
 
「ダメ、ライ!」
 
 永と鈴心は同時に蕾生の元へ走る。
 
「うわあっ!」
 
「ああっ!」
 
 だが、既に蕾生の全身は黒雲に覆われてしまい、その黒雲に二人とも弾かれた。

 
  
「お祖父様!」
 
 蕾生のすぐ側にいた詮充郎をタックルするように皓矢が覆い被さり、そのまま数メートル離れる。
 
「あ、ああ……」
 
「これは──」
 
 詮充郎は苦しげに喘ぎながらも目の前で晴れていく黒雲に歓喜の眼差しを投げた。
 皓矢は初めて感じるソレの禍々しい気配に顔を強張らせる。
 
「ああ、これだ。私が待ち望んだ……遂にもう一度まみえることができる。ケモノの王!」





 頭は猿、胴体は猪、尾は蛇、手足は虎。
 そこにいる獣は紛れもなく、(ぬえ)だった。
 
「──」
 
 鵺は怒りをたたえた瞳で詮充郎(せんじゅうろう)をじっと睨んでいる。
 
「ラ、ライ、くん……」
 
「そんな、今回も──」
 
 (はるか)鈴心(すずね)が絶望して足から崩れ落ちる。
 
「あ、う……」
 
「──ッ!」
 
 鵺の顕現と同時に星弥(せいや)から苦しみが消え、もう一度ベッドに倒れ込んだのを見た皓矢(こうや)は、式神の青い鳥を飛ばして星弥のベッドを包む結界を張った。
 
「星弥の鵺化が……!? オリジナルが顕現したせいか?」
 
 動揺しながらも詮充郎は分析することを止めない。そんな詮充郎の態度にますます怒りを表し、鵺は低く唸る。
 
「ああ、これだ、この姿だ! 黒い毛、燃えるような紅い目、白く煌めく爪──私が、いや私達が焦がれていた鵺の姿がもう一度ここに!」
 
 歓喜とともに興奮して叫ぶ詮充郎の前に、皓矢が立ちはだかった。
 
「お祖父様、お下がりください。後は僕が」
 
 その冷静な物言いを聞いて、詮充郎は満足気にしていた。
 
「ふ。鵺が現れてようやく肝が据わったか」
 
握虚(あくきょ)……」
 
 皓矢が鵺を見据えて言葉を唱え始める。すると鵺の身体が石のように固まった。
 
「──ガッ」
 
 動きを止めた鵺はその場で踏ん張るように立ち、小刻みに身体を震わせながら皓矢を睨む。
 
「お兄様、何を!?」
 
 鵺となった蕾生(らいお)が息苦しそうにするのを見て、鈴心が皓矢に向かって叫ぶ。
 
「あまり話しかけないでくれ、鵺に集中したい。僕はこの時のために一族が研磨してきた対鵺の術を仕込まれたんだ。こいつを生け取りにするためにね」
 
 鵺から視線を外さずに言う皓矢の言葉を詮充郎が続ける。
 
「そう。我らには鵺の遺骸しか手に入らなかった。サンプルとしては不十分。生きたままの情報こそが! ──新たな世界への扉を開けるのだよ」
 
 比喩表現にも聞こえた最後の言葉が永は妙に気になった。だがそんな揚げ足を取っている暇はなかった。
 
「ライを生きたまま、研究材料に!?」
 
「ふざけるな! そんなことはさせない!」
 
 鈴心も永も憤然と抗議したが、皓矢は二人には目もくれず鵺を注視しつつ会話を続ける。
 
「では死ぬか? また来世に望みを繋げて?」
 
「そうだ! ライは僕らが連れて逝く!」
 
「……っ」
 
 はっきりと言ってのける永に対して、鈴心が言葉に詰まる。その様子に皓矢は少し笑った。
 
「転生できる確証は?」
 
「それは──」
 
 皓矢の言葉に永も一瞬戸惑いを見せる。そんな二人に向けて皓矢は力強く言い放った。
 
「君達のやっていることはただの先延ばしだ。もう終わりにしよう。いや、呪いはここで終わらせる! 芯絶胆(しんぜつたん)!」
 
 叫ばれた言葉が鵺にかけた術を強めたのがわかった。鵺は雷に打たれたように大きく身体を震わせ苦悶の表情を見せる。
 
「ガアァッ!」
 
「ライ!!」
 
 永は考えた。これまでの九百年間を振り返って考える。
 何か、何かないか。鵺をライに戻す方法? いやせめて、鵺となったままでもいい、ライの自我を呼び覚ます方法を。
 
 ──九百年だぞ!? おれは何をしていた! どうして何も思いつかない!!
 永がそんな後悔に取り憑かれかけた時、星弥を守っていた青い鳥が甲高く鳴いた。
 
「ルリカ!? どうした!」
 
「う……ん」
 
 昏睡状態だった星弥が少し身じろいだ後、目を覚ました。





星弥(せいや)! 気がついたんですね? 気分は?」
 
 鈴心(すずね)がベッドに駆け寄ったが、皓矢(こうや)が張った結界のために近づけなかった。だが、声は届いている。
 
「うん……なんか、まだちょっとボーッとする──。えっ!? 何あれ?」
 
 起き上がった星弥は目の前で兄が黒い獣と対峙しているのを見て驚いて声を上げた。
 
「ライが(ぬえ)化したんです。貴女への仕打ちにとても怒った後……」
 
「ええ? なんで? ……あれ? なんか周りが変」
 
 事態が飲み込めていない星弥にとっては、整理がつかないような光景だった。更に自分の周りに厚いガラスのような壁を感じて首を傾げる。
 
「お兄様が貴女の周りに結界を張りました。危険ですから動かないように」
 
 鈴心が説明すると、星弥は納得がいかずにもう一度確認した。
 
「どうしてわたしだけ!? ねえ、あれは本当に(ただ)くんなの?」
 
「そう、です……」
 
 鈴心は俯きながら答える。絶望に塗れた顔で。
 そんな痛々しい鈴心の姿を見た星弥は、結界の壁をまるでガラス窓を叩くようにドンドンと打って皓矢に訴えた。
 
「兄さん! 出して! わたしをここから出してよ!」
 
「星弥! じっとしていなさい!」
 
 皓矢は鵺に術をかけながら、余裕のない声で星弥に向けて怒鳴る。少しでも気をとられたらこちらが殺されると直感していた。
 
「兄さん! 唯くんが、唯くんが泣いてる! 苦しいって泣いてるんだよ!」
 
「……ガッ、アァ……」
 
 鵺の苦しむ姿と星弥を見比べて、鈴心は目を丸くした。
 
「星弥、わかるんですか?」
 
 星弥は更に苛立って結界を拳で叩き続ける。
 
「すずちゃんにはわかんないの!? 周防(すおう)くんはわかるんでしょ? ねえ、泣いてるよ、側にいてあげなくちゃ……」
 
 そんな星弥の姿に永は鳥肌がたった。
 
「何なんだよ、お前──」
 
 どうしても破れない結界に頭を押しつけて、星弥がその名を呼ぶ。

 
  
蕾生(らいお)くん……」

 
 
「ガアアァ──」
 
 その声の方向に耳を傾けて、鵺は大きく息を吐いた。
 
「ライ──?」
 
 永が注視していると、鵺の目が真っ赤に光り、皓矢にかけられた術を破った。
 
「アアアアッ!!」
 
「──しまった!」
 
 星弥に気を取られ過ぎた。皓矢は次の術を発動しようとするが、鵺の怒りの咆哮はそれをたやすく跳ね返す。
 
「オアアアアッ!!」
 
 鵺は咆哮し続け、身体中の毛を逆立てている。
 鵺は叫び声だけで後方の壁を破っていた。上辺が剥かれるとガラス張りの水槽が顔を出す。
 皓矢の危険を察知した青い鳥は星弥の結界を解き、すぐさま皓矢の下へ飛んだ。その青い大きな羽が主人を壊されていく壁の破片から守った。
 
「アアアアアア──!」
 
 それは詮充郎(せんじゅうろう)が万全を期した防弾ガラスだったのだが、いとも容易く割れた。その中から鵺の遺骸が二体、鵺を取り巻くように宙を彷徨い始める。
 
「なんと──!」
 
 目の前の光景に詮充郎は目を見張った。
 二体の遺骸は、鵺を囲みグルグルと回った後突然弾けて跡形もなく消えた。床に石のようなものと何かの破片が乾いた音を立てて落ちる。
 
「ガハアッ──!」
 
 残された鵺は咳き込むように息を吐いた。
 その口元から同じような鋭い形の石が飛び出して床に落ちた。その何かはわからない三つの物体がチカッと光った次の瞬間、鵺の身体が金色に光り始めた。
 
「あれは──」
 
 その物体三つに、永は見覚えがあった。しばしそれに目を奪われていたが、鈴心が叫ぶ声で我に返り鵺の方を見やる。
 
「ハル様! ライが!」
 
「え──」
 
 それまで禍々しいほどに漆黒だった毛並は全て金色に、瞳も黄金に煌めき、まるで気高い狒々のように穏やかな表情で立つ鵺の姿があった。





「ライくん、なのか?」
 
 おずおずと(はるか)が手を伸ばすと、金色の(ぬえ)は怒る素振りを全く見せず、永をじっと見つめている。
 
「お、黄金の鵺だと? そんな、そんなものは文献にも載っていなかった。そんなものがあるとは……」
 
 詮充郎(せんじゅうろう)も狼狽えながら鵺に手を伸ばした。
 
「ガアアッ!!」
 
 すると鵺は詮充郎を見た途端に怒り猛って飛びかかり、その老体を組み敷いた。
 
「うわあああっ!」
 
「お祖父様!」
 
 皓矢(こうや)が青い鳥とともに詮充郎を助けようと身を挺するも間に合わず、鵺の鋭い牙が詮充郎に迫る。
 
「お祖父様!」
 
 星弥(せいや)もまたよろめく足をおして駆け寄って詮充郎を庇おうとその体に縋りついた。
 
「ライくん! もういい! ……こっちへおいで?」
 
 永がそう叫ぶと、鵺はピタリと動きを止め、詮充郎の上からどき、ゆっくりとした足取りで永の側に座った。
 
「ライくん、本当にライくんなのか?」
 
 永が呼びかけると、鵺は黄金色の瞳をくるりと動かして主人だと認めるように永を見つめていた。
 
「ライ、あなた──」
 
 鈴心(すずね)も側に寄ろうとした時、詮充郎が(かす)れた声で息を荒らげながら言う。
 
「皓矢、何をしている。とても珍しい鵺が顕現したのだ、あれを何としても我々の手に! 落ち着いている今が好機、術をかけろ!」
 
 懲りない詮充郎の言葉に、永も鈴心も鵺を庇うように立ちはだかる。
 しかし皓矢は静かに首を振った。
 
「いいえ、お祖父様。もうやめましょう」
 
「馬鹿を言うな! 絶好の機会ではないか!」
 
「先程までの黒い鵺ならそれもできたでしょう。ですが、あれはダメです。勝てる気がしません」
 
 予想に反した皓矢の言葉に詮充郎は我が耳を疑った。
 
「な──んだと?」
 
「お祖父様、少しお怪我をされています。手当を……」
 
 星弥がその腕を気遣うと、詮充郎はその手を振り払って当たり散らした。
 
「黙れ! 元はと言えばお前が鵺化出来なかったのが悪い! この出来損ないめが!」
 
「……ッ」
 
 星弥が傷ついたような表情を見せると、鈴心は瞳に暗い光りを宿し、低い声を出す。
 
「詮充郎、星弥を愚弄するなら、今ここで貴方を殺します」
 
「グルルル……」
 
 それに呼応して鵺もまた低く唸る。
 
「生意気な口を聞きおって……」
 
 詮充郎がわなわなと震えながらも次の言葉が出てこない隙に、皓矢は打ち捨てられた萱獅子刀を拾って鵺に近づいた。
 
「何を──」
 
 永が鵺を庇おうとしたが一歩遅く、皓矢は萱獅子刀の切先を鵺の額に当て何かを述べた。
 
鎮虚(しずむうつろ)温子(しをたずね)……(かえれ)
 
 するとその刃がまた鈍く光って、鵺の身体を黒雲が包んだ。
 
「てめえ! 何しやがった! 油断を誘ったんだな!?」
 
 永が怒ってくってかかると、皓矢は抵抗せずに静かに言った。
 
「よく見ていなさい」
 
「え?」
 
「ああっ!」
 
 鈴心の歓喜の声が響く。黒雲が徐々に晴れていく。そこには人間の姿に戻った蕾生(らいお)がいた。