小雪は黒い睫毛を素早く瞬かせる。聞きなれないその言葉は明らかに英語っぽく無い発音であり、何ならどこの言語かすら予測できなかったからだ。

「コユキ、言ってみて。『テュ、ム、フェ、クゥラケ』」

「え、えっと……? テュ……ム? フェ? 何?」

「クゥラケ」

「クラ、ケ?」

小雪はどこの言語なのかを聞こうとしたが、トニーの後に続いてゆっくりと発音する。トニーが復唱する単語を、彼の唇の動きを見ながら発音するものの、最後だけが上手く行かずに困惑する。二人が発音を何度か繰り返した後、彼は唸って顎に手を当てた。

「うーん、やっぱ難しいか。Rの発音はボクも苦労した気がするもんね」

トニーがうんうんと首を縦に振りながらブツブツ言うが、小雪は何のことだかさっぱり分からずに首をひねる。

「よし、じゃあクゥラケじゃなくてクラケって言ってみようか。ラは聞こえなくてもいいし、日本語のラでもいいから」

彼が何を納得したかは不明だが、彼が方針転換をして発音を簡略化してくれたおかげで、何とか彼に及第点をもらうことができて小雪はホッとする。20回ほど覚えた発音を繰り返す彼女だったが、聞きそびれたことがあるのを思い出して彼に尋ねた。

「ねえトニー、これって英語じゃないよね? もしかしてトニーのおばあちゃんの……?」

「うん。流石だよコユキ。これはフランス語なんだ。またねって意味だよ。ボクは祖母が大好きで、祖母の家から帰るときに良く泣いていたんだ。その時にかけてくれた祖母の温かいその言葉をよく覚えててね。さよならって言われると嫌だけど、またねだったら終わりじゃないからボクは好きなんだ。ボクはコユキとの関係を終わらせたくない。だからまたねって言ってほしいんだ」

懐かしむように灰青色を細めていたように見えたが、灰青の奥に潜む何か熱いものが小雪を射抜いている気がした。だがきっとこれも小雪の願望の見せる錯覚なのだろう。

「うん……確かにまたねの方がいいね。さよならだとこれっきりになっちゃうもん。トニー、テュ、ム、フェ、クラケ。ありがとう」

小雪は目元と鼻の奥からこみ上げてくる熱をぐっと押しとどめ、精一杯の笑顔を作る。上手く笑えていたら良いなと願いながら。

「コユキ……こちらこそありがとう。こんな遅くまで練習に付き合ってくれて嬉しいよ。でももう寝ないとね。二人でゆっくり話せて良かった」

トニーは目元に徐々に盛りあがってくる熱を感じて、小雪の手を取ってスマホのライトをつけてリビングを後にし、小雪の部屋の前まで彼女を導いて自身も割り当てられた彼女の兄の部屋に戻った。