【改訂版】弱者が悪を目指した黙示録 〜野生のスライムにも勝てないクソザコナメクジな底辺冒険者の獣族の少年が最強の仲間と共に最高の悪を目指す物語〜




「左の電球が切れていたんでした。え? 取り替えてくださるんですか? まあ、なんて善人ぶったお客様でしょう」

「お掃除はこの建物全体を磨き上げる勢いでやらなければならないんです。まあ! これもやってくださるのですか! お客様はまさに神様ですね!」

「洗濯物はキチンと分別をしなくてはなりません。白いものとそうでないものと薄汚れたものと……どこへ行く気ですか?」

「ゴミ出しって大変ですよね。か弱い乙女には地獄のような労働です。あらお客様、自ら持ってくださるなんてとても心優しいのですね。私は今感動しております」

「自ら持ってねえしいい加減解放してくれこの鬼畜女ぁあああ!!」

 不燃物、と書かれた巨大なゴミ袋を腕に抱え、ジルは腹の底からそう叫んだ。

 結局、シーツ運びから始まり電球の取り替え、店内の清掃、洗濯、ゴミ出しまで全ての業務を押し付けられたジル。文句を言いながらもやり通すところがなんとも言えず彼らしいが、まず彼が客の立場であることを忘れてはいけない。
 えっちらおっちらと己の目の前を必死で歩いて行くジルを視線で追いかけながら、二ルディーは手にしたメモ帳を確認。やるべき仕事が記されたそれに、赤ペンで一つ一つチェックをいれながら、彼女は告げる。

「お客様。それが終わったらお皿洗いもお願いします」

「客って言ってるくせに客の扱いじゃねえよなこれ!!」

 しかし動かす体は止めない。さすがはジルだ。オルラッドがこの場にいたなら笑顔で彼の行いを褒めたたえていたことだろう。解せん。

 ゴミ置き場と指定された箇所に不燃物の袋を放り、一仕事を終えたと言いたげに額を拭うジル。次は皿洗いかとげんなりしつつ踵を返した彼は、ふとその足を止めて背後を振り返った。

 その行動に意味などなかった。

 音が聞こえたとか、気配を感じたとかではない。ただなんとなく、本当になんとなく振り返ってみただけだ。しかし、そのなんとなくが幸をなしたらしい。

 まだ人の少ない、薄暗い通り。その向こうから高速でこちらに向かってくる何かを目視したジルは、ほぼ条件反射にその場を飛び退いた。それと同時に彼が先程まで立っていた場所に突き刺さったのは、見覚えのあるガラス片。
 先日襲われた時に見たものと酷似しているそれを見下ろし、ジルは全神経を集中させながら辺りを確認。額に浮かんだ汗が頬を流れると同時、第二弾の攻撃が彼の視界に飛び込んできた。

「くっそ!」

 次々と襲いくるガラス片を交わしながら、思考を回す。
 相変わらず敵の姿は見えず、探すにしてもこう攻撃を続けられたのでは見つかるものも見つからない。ここはオルラッドとミーリャを起こすのが最善だろう。

 しかし、確かこの建物には全体的に防音加工が施されていると、昨日ベナンから説明された気がする。だとしたらここから叫んでもなんの意味もない。寧ろ叫び損だ。となると、方法は一つ。直接呼びに行くしかない。
 結論を出したジルは己の背後を振り返った。

「二ルディーさん! オルラッドとミーリャをおこ……って、いないだとぉおおお!!?」

 忽然と消えた二ルディーの姿にジルは驚愕する。

 まさか、俺を放って逃げたのかあの野郎。なんて女だ。これからは緑の悪魔と呼んでやる。心の中で。

 ひくりと口元を引き攣らせる彼のすぐ側で、人を嘲笑うような、実に不愉快な笑い声があがる。

「なになにぃ? お前、もしかして見捨てられちゃった感じぃ? うっわ、かわいそー。おねーさんが慰めてあげよーかぁ?」

 ぷ、なんて吹き出されるものだから、状況が状況とはいえ腹が立つというものだ。振り返ったジルの視界の中で、かなり際どい服装の女が腹を抱えてケラケラ笑う。

 身長は百六十センチ程。見た目的に二十代半ばくらいの女だ。サイドテールにされた金髪が緩やかに揺れており、茶の瞳は警戒するジルを見下ろし醜く歪む。

「持つべき者は友だちとはよく言ったものだよ全く。全然役立たずじゃないか。お前も哀れだよねぇ。もうちょっと人見る目育てた方がいーんでない?」

 なんて言いながら、女は片手を前へ。構えるジルなど眼中にないと言いたげに、その掌から赤子の拳と同じ大きさのガラス片を発生させ、彼を攻撃。ギリギリ避けたものの、少年の頬には赤い筋が一つ走る。

「昨日はしてやられたが今日はそうもいかないんでね。まずは耳の良い君を殺させてもらうよ。目標(ターゲット)はその次でもいいや。期限なんて定められてないしね」

「……目標(ターゲット)?」

「そこは企業秘密ってことでヨロシク」

 無邪気にウインクをして見せた女。その周りに巨大なガラスが形成されていくのを、ジルは焦ったように見つめる。

「じゃ、死ね」

 歪んだ笑みと共に残酷に告げられた一言。向かってくる巨大ガラスを避けることだけを、ジルはどこか、諦めすら浮かぶ脳内の片隅で考える。

 だが、そんな思考も──。

「やめときなさい」

 殺伐としたこの空気の中、凛と響いた一つの声により、停止することとなった。

 まさかの登場人物に、場は一瞬固まった。
 向けられる驚きの視線すら気にすることなく、この混乱に満ち溢れた空気の中、彼女──ベナンは腕を組み、仁王立ちの状態でジルと敵を見比べている。
 その背後には隠れるように身をかがめる二ルディーの姿があった。察するところに、彼女がベナンを呼びに行ってくれたのだろう。疑って悪かった。しかしこの状況が好転するとは到底思えない。

 女の意識が戻る前に、ジルはそろそろと退却。バレないようにベナンと二ルディーの元まで後退した。

「大丈夫?」

「あ、大丈夫です、はい……あの、それよりこの状況……」

「任せて。問題ないから。二ルディー、その子のほっぺた治してあげてて。敵は私が片付けるわ」

 まあ、なんて勇ましい。
 未知の能力を使う敵にすら臆することなくベナンは言う。その姿はまさに正義のヒーロー。悪を目標とするジルですらちょっぴり憧れを抱いてしまう。

 二ルディーはベナンの指示に頷くと、ジルの襟首を引っ掴みさらに後方へと移動。そこで地に膝をつき、片手を咳き込むジルの頬へとかざす。

「ゴッホゲッフ! え? なに? なに?」

「動かないでください雑魚さん。治療できません」

「あ、はい、すみませ、雑魚じゃない!」

「動かないでください」

 ジル相手だとどうも強気になるらしい。二ルディーの鋭い睨みを受け、少年は獣耳をそっと垂れる。
 逆らわない方が身のためだ。彼の長年の経験がそう言った。

 一方、そんな二人を背にするベナンは、漸く意識を現実へと引き戻した女を前、喧嘩前によく見る骨鳴らしを行う。まさか拳で戦うというのか。
 特に恐れる様子のないベナンを睨みつけ、女はどこからか取り出した真っ白な絹のマントをその身にまとった。と同時に、彼女の姿は見えなくなる。

「ええ!? どこの額に傷のある魔法使い!!?」

「ダンジョンアイテムね。透明になるやつなんて初めて見たわ」

「ダンジョンにそんなもんあんの!!?」

 この世はまだまだ知らないことばかりだ。
 敵の姿が消失し焦るジルとは裏腹に、ベナンは余裕綽々といった様子で己の腰に手を当てる。

「ちょっとは楽しめそうじゃない。二ルディー、アレちょうだい」

「はい、ベナン」

 応答の声と共に投げ渡された『アレ』なるもの。よくよく見れば、それは真っ黒な棒切れではないか。さすがにシンプルすぎるためか、申し訳程度に銀色の装飾が施されている。洗濯物を干す竿くらいの長さはあるだろうか。かなり長めだ。
 まさかの武器に唖然とするジルをよそ、ベナンは振り返ることもせずに受け取ったその武器を構える。

 スーツ姿の女がなんに使用するかもわからぬ棒を構えているとはこれはまた……。

 なんだかミスマッチ感が半端ないながこれはこれでいけるかもしれない。既に考えることを放棄したジルは、どこか遠い目で戦いの行く末を見守る。

 先に動いたのはベナンだった。
 彼女は慎重に辺りを見回していたかと思うと、突如として駆け出したのだ。その視線の先には何も無い。だが恐らく、敵がいる。
 確証はないが直感がそう言った。

「はっ!」

 短い声と共に突き出すように振るわれる棒。かと思えば、突き出したその部分を突如として地面に突き刺し、ベナンは軽やかにジャンプする。そのまま勢いをつけて棒を軸に回転。硬い何かがぶつかる音と共に軽く足を曲げながら、彼女は笑みを浮かべて棒のてっぺんへと着地した。
 一体どうやって立っているのか。それはもはやジルには理解できない領域である。

 敵がベナンの攻撃を食らったのか、地面の一部が音をたてて砂埃をあげた。それは凄まじい勢いで移動したかと思えば、建設途中と書かれた古びた看板の前で停止。しかし看板は音を立てて倒れてしまう。

 二ルディーが感激したように両手を合わせ、さらに瞳を輝かせた。治療はいつの間にやら終了したようで、ジルは呆気にとられながらも己の頬へと片手を当てる。

 痛みはない。血もつかない。
 これは完全に完治してるやつだ……。

 呆けるジルなど露知らず、二ルディーは無邪気にはしゃいで見せる。

「さすがですベナン! 相も変わらず素晴らしくカッコイイです! 輝いています! ああベナン! 私のベナン!」

「はいはい、わかったわかった。わかったから大人しくしてて」

 片手をあげて応対するベナン。その背中は確かにかっこいい。

「まだ終わってないんだから」

 棒の上から飛び降りた彼女は、片足でその先を蹴り、長いそれを空中で回転させた。かと思えば回る軌道に合わせて棒の笹部分に片手を添え、その動きを強制停止させる。つまりは掴んだわけなのだが。
 素晴らしい動きに、二ルディーとジルの目が感動に輝く。あまりにも純粋な眼差しのためか、さすがのベナンも少々照れくさそうだ。軽く頬をかき、それから飛んできたガラス片を一つ残らずたたき落とす。

「昨日といい、今日といい……ほんっと、わりに合わないってのこの仕事ッ!!」

 地団駄を踏む勢いで叫んだ敵は、今の衝撃で外れてしまったマントを着直すことなくそのまま跳躍。両手を合わせ、空中で大きく息を吸う。

「ベルディーダ!!」

 叫ぶ彼女の声に呼応するように、上空にいくつもの巨大ガラスが出現。バラバラの位置にあるその中の一つに着地した女は、腰に手を当て、忌々しいといいたげな表情を浮かべながらベナンを指さす。

「まずはお前を殺してやるよ! 覚悟しなクソビッチが!!」

 それは見た目的にお前だろ、と二ルディーが呟いたのでジルは同意するように頷いておいた。

「ベルシャ・ベイン!!」

 どこぞの錬金術師の如く小気味よい音をたてながら再び合わせられた女の両手。叫ぶ彼女の声に従っているのか、空中にあるガラスたちが一斉にその尖端をこちらへと向けた。

「二ルディー!」

「はい、ベナン」

 焦るハーフ少年など眼中にもない。
 勇敢なる女性二人は恐怖という言葉を知らないのか、果敢にも前へ。ベナンが地面を蹴り跳躍し、二ルディーが両手を広げ小さな声で何かを紡ぐ。

「イルディーナ」

 柔らかな声と共にふわりとした風が吹き、それは優しく少年の頬を撫でた。
 二ルディーとジルを中心とした半径2メートル前後の地点。地中から生えるように出現した薄い膜が、二人を覆うようにドーム状になる。

 これはもしや、結界……?

 ゲーマー少年は過去何度か見てきた様々な種類のアニメーションを思いだす。その中のいくつかのアニメーションには、確かこのような形の結界地味たものが現れたはずだ。だとしたらこれは、この危険な場所に残る二人を守るためのものなのだろう。

「これは勝つる!」

 少年が勢いよく拳を握った直後、二ルディーが突如反転。そのまま己の方に向かい駆けてくる彼女に、ジルは目を丸くする。

「雑魚よ。逃走しなさい。今すぐに」

「え? は?」

「死にたくないなら早くする」

「死にたくないんで従います!!」

 立ち上がったジルは真横を過ぎって行った二ルディーの後を急ぎ追う。その背後では凄まじい音と砂埃をあげながら巨大ガラスが硬い地面に突き刺さっていた。

「おいおいおい!? あれ結界じゃなかった系!?」

「結界を張ろうとしたんですがうっかり呪文を間違えてしまい『鼻の奥をスッキリさせる魔法』を発動してしまいました。テヘペロ」

「なにその魔法!? なんか期待裏切られた気分なんですけど!? つーか確かに鼻の奥スッキリしてる!!」

 例えるならば妙に強いハーブ系ののど飴を舐めた時のような感じ。いや、それ以上のスッキリ感はあるかもしれない。
 なんとか逃げ切り建物の入口までやって来た二人は、上空に浮かぶ巨大ガラスの上にて対峙する、もはや人間の領域を超越しだした女性二人の戦いへと目を向けた。

「はあっ!」

 相も変わらず気合いの入った掛け声と共に跳躍するベナン。そんなベナンに舌を打ち相対する女は、軽やかな動作で彼女の繰り出す攻撃を避けていく。見た感じは両者互角といったところか。
 持節飛んでくるガラス片を気にした様子も見せず破壊するベナンを見て、いややっぱり彼女の方が少し上かもしれないとジルは思う。

「見た目に反してすばしっこいの、ねっ!」

「っ!? しまっ!!」

 新たなガラスの上に飛び移る際に軽く滑ってしまったらしい。逃げ遅れたらしく、女の腹部には棒の先がめり込んでいる。これは勝負あったな。
 衝撃により吹き飛び、自分で作り出したガラスを何枚かその体でぶち抜いた後に地面に落下していく哀れなる敵。落ちた場所はここからそう遠くないビルのようだ。降りてきたベナンが言っているので間違いはないだろう。

「このままだとまた襲われる可能性あるわよね。……よし。私ちょっと始末してくるから二人は留守番よろしく。あ、二ルディー! 仕事押し付けちゃダメよ!」

 始末とかなにそれ怖い。
 片手をあげて笑顔で駆けて行くベナンの背を見送りつつ、ジルはそっと息を吐き出す。

 まあ、恐らく、この分なら問題ないだろう。ベナンはあの敵よりも強いし。でも、なーんか死亡フラグ臭い気もするんだよなぁ……。

 ヒョコヒョコと獣耳を動かす少年は、考え込むように腕を組んで瞳を閉じる。次にそれを開いた時、彼の視界には見覚えのない場所が映し出されていた。
 


 そこは緑生い茂る、自然豊かな小さな箱庭。レンガをはめ込み作られた、ゆるやかに流れる小川のように滑らかに曲がりくねった道をスキップ混じりに進みながら、少女は隣を歩く男性を見上げ、無邪気に笑う。
 男性の顔は見えない。モヤがかかったように彼の顔は隠れている。いつものことだ。少女の世界にはいつもこうやって、見たいものを見せないように邪魔をする何かがいる。付きまとっている。

「あのね、私ね、おっきくなったらすっごく強くなるんだ! そしたらね、このお病気ともお別れするの!」

 少女のこれはどうやら病気らしい。親に連れられ向かった病院にて、彼女はそう診断を受けたのだ。
 実に特殊で奇異なる病気。世はこれを、奇病と呼んでいる。

「うん、そうだね」

「お医者さまがね、言ってたの! 私が強くなれば自然と体も強くなる! そしたらお病気吹っ飛ぶんだって! 珍しいお病気でも関係ないんだって!」

「うん、そうだね」

 無邪気に語る少女に返事を返しながら、男は歩く。歩き続ける。ただひたすらに。
 そんな彼の隣を、少女は置いていかれまいと必死について行く。短い足を懸命に動かして。

「あのね、お病気が消えたらね、私、まずパパたちのお顔見るんだ! パパたちにかかるこのモヤが取れたらね、絶対見るの! それでね、お礼を言うんだ!」

「……お礼?」

「そう! あのね──」

 少女が何かを言いかけたと同時、世界は変わる。

 変化したそこは既に美しい箱庭ではなかった。自然もなく、レンガの道もない、薄暗く、どこか物悲しい部屋。電球は取り外されているのか、部屋の天井にある電気は一切の明かりも灯さない。
 そんな電気のかわりに、この部屋を照らしているのは薄型テレビから漏れる明かりであった。漫才番組が放送されているらしく、画面内ではスーツを着た狼頭の獣族が二人並んでコントを繰り広げている。

 面白いのかちょっとよくわからないコントを視界、成長し、大人の風貌になりつつある少女が、ソファーに座って膝を抱えていた。視線は真っ直ぐにテレビ画面を見てはいるが、しかしその瞳は酷く暗く、感情が見えない。

「……見えるの、私」

 ぽつりと零されたのは、己の病が消え去ったという事実を教えてくれる言葉。

「お医者さまがね、褒めてくれたの。よくがんばったねって。初めて見たあの人の顔は優しかった。けど、その周りに浮かんだ言葉は優しくなかった」

 なんのことを言っているのか、それは恐らく少女にしかわからぬ事柄だろう。
 少女はたてた膝に顔を埋める。そのまま眠るように瞳を閉じた。

「見えるのよ、私。見えるの……」

 そんな少女を見下ろすように、明るい光を放つテレビの隣で、首をつった二つの死体が揺れていた。


 ◇◇◇


「──死亡フラグぅうううう!!」

 ハッと覚醒した直後、ジルは頭を抱えてそう叫んだ。かと思えば全力疾走で『なんでも売買店』の中へ。置いてけぼりを食らった二ルディーが「は?」と口にしたことにすら気づいていない。

 今し方見た光景は恐らく、少女の容姿から察するにベナンに関係していることは間違いない。彼女の幼い頃の話、といったところか。
 エレベーターのボタンを連打し、全然降りてくる気配のないそれに舌を打ってから階段の方へ。持ち前の素早さを生かし、長いそれを駆け上がるジル。

「過去話とかまじ死亡フラグだから! 勘弁してくれよほんと!!」

 さすがに優しくしてくれた女性を見殺しにするわけにはいかない。いやまだ死ぬと決まったわけではないが。

 宿泊していた部屋が存在する階までやって来たジルは、そのまま速度を保ち与えられた部屋へ。飛び込んだそこで、音に驚き跳ね起きたミーリャから渾身の一撃(物理)を食らう。
 しかしめげないジル。彼は若干フラフラになりながらも、ちょっと引き気味のミーリャへと詰め寄った。

「き、聞いてくれ、ミーリャっ! 敵が襲ってきてベナンがぶっ飛ばしてぶっ飛ばされたそいつをベナンが笑顔で追いかけて死亡フラグたてて死にそうであと二ルディーの策略により俺の鼻の奥が超スッキリしてて大変なんだ!!」

「……わけがわからないのね」

「とりあえず大変なんだって!!」

 慌てていたため余計なことまで口走ってしまったのでとりあえず簡易的に説明しなおす。
 ミーリャは納得しているのかしていないのかよくわからぬ表情で頷いた。

「早く助けに行かないと死亡フラグ回収してベナンさん死んじゃうから! まだそうだと決まったわけじゃないけどでも多分高確率でやばいから! 語彙力の欠如によりうまく伝えらんないけどとにかく力貸してくれお願いしますミーリャ様!」

「……ミーリャは別に構わないのね。でも、そういうことだったらミーリャより適任の奴がいると思うのよ」

「オルラッドぉおおおお!!」

 床を蹴り跳躍。そのまま未だ夢の中のオルラッドの上へと着地した彼は、聞こえた呻き声など気にすることなく彼の胸ぐらを掴み激しく揺する。

「頼むオルラッドお前の力が必要だ手を貸してくれお願いしますっ!!」

「ジル、落ち着きなさい。オルラッドが死ぬのよ」

「へ? あ、ちょっ、オルラッドぉおおおお!!?」

 胸ぐらを掴まれたまま目を回す彼を前にし、焦るジルの背後。ミーリャは先が思いやられると言いたげに額に手を当て、ゆるく首を振っていた。


 ◇◇◇


 オルラッドの回復までには五分程の時間を有した。どうやら彼は朝──というよりは寝起きが非常に弱いらしい。未だ完全に目覚めていない状態でジルの話を聞いている。

 一番頼りになる奴が一番助けて欲しい時に一番頼りない。

 本当に大丈夫だろうかと内心彼を疑い、そして彼の意外な弱点にシメシメと思いつつ、ジルはニヤニヤとしながら彼の長い髪を結い上げているミーリャに視線を向けた。

「ミーリャ、それ絶対怒られる」

 艶のある赤毛を両サイド──所謂ツインテール状態にしようとしたミーリャに一応の忠告をしておく。ミーリャは「ちぇっ」と不満そうにするも、すぐに気持ちを切り替えたらしい。彼の髪をサイドテールにしようと奮闘し出す。

 まあそれならいっか。
 ジルはオルラッドを見捨てた。

「──とにかく、そんなわけだから急いでついて来てほしいんだ。二ルディーに聞けば多分場所わかるだろうし、わからなければ俺がどうにかこうにかそこを特定してだな……って、聞いてる?」

「うん、あー……うん」

「ダメだこりゃ……」

 少年はガックリと肩を落とした。



 眠りの波に乗り船を漕ぐオルラッド。その腕をジルとミーリャで片方ずつ掴んで引っ張れば、彼は逆らうことなく足を動かす。現時点での最強人物大丈夫かおい。歩く度に揺れ動くサイドテールを見詰めながら、ジルは不安を増させていく。

 エレベーターを使用して降りた一階。そこには外から建物の中へと戻ったらしい二ルディーがおり、彼女は欠伸をこぼしつつ受付に立っている。相変わらずのやる気のなさに笑うことしか出来ない。が、今はそんな状況ではない。
 ジルはオルラッドを待たせ、受付の方へ。カウンター越しに二ルディーを見上げる。

「二ルディーさん! ベナンさんが大変なんだ! 確証はないけど! 急いできてくれ!」

「ベナンが? まさか……」

「死亡フラグがビンビンなんだって語彙力ちょっと!」

「死亡フラグ……」

 二ルディーは考え込む。軽く下げられた眉尻は明らかなる不安を表していた。彼女もベナンが心配なのだろう。答えはすぐに弾き出される。

「……わかりました。理由はどうであれ、例え確証がなくともベナンのことは心配です。雑魚について行ってさしあげましょう」

「すっごい上から目線だけどまあいいや! ベナンさんの行先わかります!?」

「もちろんです。年がら年中休むことなく彼女の後を追いかけてきた二ルディーに死角はありません」

 実は二ルディーを連れて行くのが一番危険だったりして……。

 悩むジルなどガン無視対象。二ルディーは気にした風もなく店内の電源を操作し出入口を開かないように設定。一応の防犯だけをして従業員専用出入口まで三人を案内する。

「本来ならば従業員──つまり私とベナンくらいしかここを使えないのですが致し方ありません。ああ、お許しを、ベナン……」

「待って。ここの従業員二人だけ?」

 なんてブラックな場所なんだ。個人経営にしてももう少しくらい人を雇ってはどうだろう。さすがに二人だけではこのどでかいビルをどうこうするのは厳しいだろう。

「なんで雇わないんです?」

「ベナンと私の二人きりの時間をクソッタレな第三者に邪魔されるわけにはいかないので」

「早くベナンさんの所に向かおうか!」

 聞いてはいけない事柄だったと少年は理解した。

 建物を後にし向かったのは高層ビルの建ち並ぶ街中だ。まだ朝早いためか、車通りの少ない道路を過ぎったり、路地の壁を這い上がったりして時間削減したお陰か十分足らずで目的地に到着。
 そこは窓ガラスなどが取り外された、今にも壊れそうな程におんぼろの廃ビルだ。耳をすませば中から微かに金属音が聞こえてくる。どうやらここで間違いないらしい。

 危険を察知しオルラッドの背後に隠れる二ルディーとジルを冷めた目で見つつ、ミーリャが先頭を歩く。
 特に難もなく入り込んだ屋内は、ひどくカビ臭く、獣族の血が流れるジルにとってはかなり辛い場所であった。思わず鼻を抑える彼を尻目、まだどこかボンヤリとしているオルラッドが静かな動作で上を向く。

「……五階かなぁ」

 やはりこ奴はすごい。

 彼の寝ぼけた呟きに従い、四人は薄汚れた階段を駆け上がる。
 階を増していく度に、耳に届く音は大きくなっていった。そして例の五階までたどり着いた瞬間

「はぁあああっ!!」

 大きく手にした武器を振るったベナンの姿が、彼らの視界に写り込んだ。その先では手を合わせて佇む女の姿がある。

「っ!? ベナン!! 避けて!!」

 何かに気づいたようだ。オルラッドの背後から飛び出した二ルディーがそう叫ぶ。しかし、その声がベナンに届くより、女が行動に出る方が早かった。

「──死に腐れクソビッチ」

 歪に弧を描いた口元。白い歯を覗かせながら、女はその呪文を紡ぎだす。

「ベル・ベルダ」

 直後、耳を覆いたくなるような甲高い音と共に、辺りは眩い光に包まれた。
 


 それは、なんと表現するのが正しいのか……。

 空中から飛び出た透き通る透明ガラスの欠片。それらが幾多も連なり、まるで鎖のような形となっていた。長く、細いそれらは彼女の豪奢な体を貫き、真っ赤な液体をその身に受けて尚輝いている。
 囚われ人。操り人形。その姿を表す言葉が、自然と頭の中に浮かんでくる。それはきっと、現実を逃避しようとしているからなのだろう。

「べっ……」

 誰も動けず、誰も口を開けない中、二ルディーが震える足を一歩前に踏み出した。伸ばされた白い手が、離れた位置にいる彼女を掴もうと虚しく動く。

「ベナン……?」

 小さく発されたそれは、疑問を含んでいた。目の前に突きつけられた現実を理解できない、したくないというように。

「──下がれ!!」

 突如として張り上げられた声に、ジルはハッとした。直後、彼の方へと二ルディーを放ったオルラッドが、剣を引き抜き輝く刀身で風をなぐ。舞い散るガラスの欠片たちが、美しくも残酷に輝いた。

 駆け出した赤髪の剣士にかわるように、ミーリャがその背をジルと二ルディーに向け前を見据えた。片手をあげた彼女の体の周辺には、先日盗賊たちとの騒動の際に目にした不可思議な文字が纒わり付いている。

「ボル・オーラ!」

 紡がれた呪文と共に、彼女の周りを彷徨いていた文字が空中へ拡散。グルリと巨大な輪を作り、その中へ、殺意を抱き飛んでくるガラスたちを吸収していく。

「べ、ベナン、ベナンが、う、うそ、ベナンがっ……」

 震える二ルディーを一度見て、ジルは貫かれ、沈黙したベナンへと顔を向ける。目は開いておらず、出血は酷い。生きているのかもはや定かではないが、しかし……。

「……死んでいるとも限らない」

 嘆く二ルディーの肩から、彼女を支えるように添えていた手を離し立ち上がるジル。ミーリャが彼を見れば、それに気づいたジルが小さく頷く。
 それだけで少年の意図を汲み取ったようだ。ミーリャはいつものように、呆れたと言わんばかりに息を吐く。

「あのガラスの鎖は特殊な術で作られているのね。恐らく強度は他のチンケな物とは比べ物にならない。ミーリャの呪術ならなんとかできるかもだけど、ミーリャはこのやかましい女とお前を守るので精一杯なのよ」

「つまりオルラッド頼りってことね。あんがとミーリャ。サイドテールにしたことは一緒に怒られてやるよ!」

 親指をたて無邪気な笑みを一つ。それから彼は地面を蹴り、飛んでくるガラスたちを素早く交わしながらベナンの元へ。
 敵と対峙するオルラッドがそれに気づいたのか、小さく振り返りながら懐から取り出した数本のナイフを放る。声をかけずとも察したようなこの動き。さすがである。

 オルラッドが何か施したのか、その刀身を淡く光らせながら、ナイフたちはガラスを破壊。息を止め、飛び散る破片を吸い込まぬよう注意しながら、少年は崩れ落ちるベナンをキャッチ。
 そのまま、いわゆる火事場の馬鹿力というもので、力ない彼女を二ルディーの元へ運ぶ。ジルの知る限り、この場で治癒術などというホワイティングな魔法を使えるのは彼女だけだ。
 ベナンを運んでいる最中、飛んでくる攻撃は全てミーリャの呪術により防がれていた。彼女といい、オルラッドといい、ジルの仲間は本当に頼りになる。

「ベナンっ、ベナンっ!」

 息を切らせた少年が意識のない彼女を地面に横たわらせれば、弾かれたように反応した二ルディーがその名を口にしながら彼女の体に手をかざす。柔らかに漏れる淡い光は恐らく、治癒系魔法にちがいない。やはり連れて来て正解だった。
 ジルは悲痛な声をあげる二ルディーから顔を逸らした。そして、未だ激しくぶつかり合っているオルラッドとガラス女に視線を向ける。

「っ、なん、なんだよくそがっ!!」

 女は既に満身創痍であった。彼女の魔法とオルラッドの剣技は相性が合わなかったらしい。
 地面に崩れ落ちた女を見下ろし、その喉元に剣を突きつけ、彼は問う。

「目的は?」

「んなこと言うわけないね!」

「依頼主は?」

「無駄なこと聞くなようっとうしい!」

「答えなければ殺すぞ」

「はっ! やれるもんならやってみればいいじゃん! 正義気取りのバカが調子こくなって──」

 女の、やかましいと思えるほど甲高い声は、そこでふと消失した。そのかわりと言わんばかりに辺りに響いたのは、剣が鞘に仕舞われる音と、重い何かが地面に落ちる音。
 何をしたのかなど、目にしなくともすぐに理解できた。

「……悪め」

 吐き捨てるように紡がれた小さな言葉。どこか悲しみを帯びたそれは、ジルの耳に暫くの間残っていた。
 


「……ベナン」

 女性の脱力しきった声が響く、そんな一室。

 柔らかな新緑色が目に優しい、小さなワンルームだ。家具はほとんどなく、殺風景。本来であれば室内を照らす朝日が射し込んでいるであろう窓すら、そこには存在しない。
 そのかわりというように、室内の片隅にポツンと真っ白なベッドが置かれていた。柔らかなその上には、治療を施されたベナンが、静かな寝息をたてて眠っている。その目は固く閉ざされており、当分開きそうにない。恐らく、暫くはこのままだろう。

 ベッドの傍らに椅子を置き、眠る彼女を見守る二ルディー。落ち込んだように肩を落とす彼女の背中を、部屋の入口近辺に集うジルたちは無言で見つめる。
 なんと声をかければいいのか。彼らにはわからないのだ。

「……死亡フラグは、折れたっぽいんだけどな」

 最悪の事態は免れた。しかし、これではどうも納得がいかない。
 ジルが難しい顔をしている隣、ミーリャが己の髪の先に指を絡ませながら口を開く。

「死んでないだけマシなのよ。普通なら生きてることがおかしいのね」

「それはまあ、そうだろうけども……」

「大体、お前は甘すぎなのね。悪になりたいだなんだと言っておきながら真逆の行動をとりすぎなのよ。自重というものを覚えるといいのね」

 それは自分でも気にしていることである。
 何も返せぬジルに、ミーリャは一度だけ視線を向け、以後、口を閉ざす。言うことはもう何も無い。そういうことだろう。

 ジルはため息を吐いた。それから、どことなく気落ちしているオルラッドへと声をかける。

「ところでオルラッド。その髪そのままでいいのか?」

「え?」

 ジルの指摘にオルラッドは目を瞬いた。それから、己の頭部へと手をやり、一度停止。何かを考えるように眉を顰め、部屋から一度退出する。

「……逃げといた方がいいかな?」

「お前って、なんてバカなのかしらね……」

 元凶が何を言うか。

 近づいてくる足音に肝を冷やしながら、ジルはいつでも逃げられるように小さく身構える。

 足音は扉の前で停止した。扉の向こうには気配がひとつ。恐らく足音の持ち主だろう。
 その持ち主はオルラッドで間違いないと予測しつつ、ジルはゴクリと生唾を飲み込む。

 ゆっくりと開いた扉の隙間。そこから鬼の形相をしたオルラッドが、自分たちの名を恨めしく呼びつつ怒りを露わにしているシーンを想像してしまった哀れなる少年。頭上にある獣耳を頭部にピタリと貼り付けながら、彼は情けなくも大量の冷や汗を流し、心の中でこう呟く。

 ──俺の命日は今日かもしれない……。

 自業自得ではあるがなんとも哀れな呟きだ。

 そんなジルの心情を知ってか知らずか、扉の前の気配が僅かに動いた。ついに入ってくるかと逃走準備に入る少年を嘲笑うがごとく、室内にノックが二回、鳴り響く。

 ──……ノック?

 ジル、それからミーリャの二人は目を瞬いた。

「失礼。デラニアス殿は居られるか?」

 扉の向こう側からそんな問いかけが降ってきた。なんとなく、聞き覚えのある声だ。
 はてさて一体どこで聞いたか。そんなことを考える間もなく、獣族の少年はほぼ条件反射で口を開き答えを返す。

「あ、はい、ここにいます」

「……失礼」

 小さな声と共に、扉が開かれた。
 その向こうから姿を現した人物を見て、ジルの表情が驚愕の色に染まる。

「な、なんっ……」

 震える少年の指先が、あまりにも予想外の登場人物へと向けられた。

 短めの黒髪に赤い瞳。特徴的な片眼鏡と漆黒の神父服。そして愛想の欠けた表情。市役所でジルたちを相手にした役員だ。
 真っ白な手袋をはめた手で片眼鏡の位置を軽く調整する彼に、疑問の声を紡いだのはミーリャ。

「……なぜお前がここにいるのよ」

 ジルを庇うように一歩前に出た彼女を片手で静し、男は室内の奥へと目を向ける。それから、改めてと言うようにジル、それからミーリャを見て、一言。

「ここで話しては迷惑となるでしょう。廊下で構いません。少しお時間を頂戴したい」

 それは眠るベナンを前にし、項垂れる二ルディーを気遣っての言葉か……。

 なにはともあれ、危害を加えに来たわけではなさそうだ。
 悪意のない男の表情を見据えつつ、ジルは軽く頷く。それから、納得のいっていない様子のミーリャを引き連れ廊下へ出た。

「……で、何の用でしょうか?」

 二ルディーとベナンのいる部屋から少し離れた位置にある喫煙コーナー。真四角のスペースには目に優しい緑色の長椅子とどこにでもありそうな自動販売機が存在している。
 椅子に腰掛け問いかけるジルを見下ろし、男は軽く瞳を細めた。その瞳は何かを探るように、小さな少年の姿を見つめている。

「いえなに。あなたに少し、頼みたいことがありましてね……」

「頼みたいこと? 俺なんかに?」

「ええ、あなたでなくてはならないのです」

 俺でなくてはダメ?
 自分で言うのもなんだが、俺は世界最高最弱の獣族なのに?

 よくわからない展開に、ジルの目が点になる。ミーリャも訝しげな表情だ。

「……お前、自分が何言ってるかわかってるのかしら? この恐ろしく雑魚なジルになにかを頼むなんて……頭のネジが外れたとしか思えないのね」

「ミーリャさんひどい」

 しかし事実なので言い返せない。それだけ彼は自分の弱さを理解している。
 だが、男はその言葉を否定するように軽く首を振るだけ。物事を頼む人物を変える気はないようだ。
 ミーリャの呆れた視線すら気にすることなく、彼は戸惑うジルへと目を向ける。

「デラニアス殿」

 紡がれた名。そして、続けて吐き出されたのは衝撃的な問いかけ。

「──貴殿は、前世の記憶を保持しておられますね?」

 それは疑問というより、己の中にある結論を明確にするための質問に近かった。


 
 ◇◇◇


 ──一体どれほどの時間が過ぎたのだろうか。

 あまりにも衝撃が大きすぎて、呼吸すらままならずにジルは時間の感覚を消失する。実際にはさほど経過していない時の流れ。しかし、今の彼にとって、それは酷く長いもののように感じ取れた。

「……な、なに言ってんすかパイセン?」

 やっとのことでどこかへ旅立ちかけていた意識を戻したジル。その口から発されたのは驚愕と混乱を合わせたような震え声だ。
 パイセンという単語を知らないのか、神父服の男は1度小首を傾げてから、ダラダラと汗を流すジルを見据える。射抜くような鋭い色を灯す赤い瞳に、既にビビリ少年は逃げ腰だ。

「やはり、間違いはなかったか……」

 小さく紡がれたそれは、小柄な少年の耳には届かない。聴覚の優れた獣族でありながらそのずば抜けた能力を発揮できぬとは。それほどまでに、彼にもたらされた混乱は大きなものなのだろう。

 見ているだけで悲しくなるほどに情けない少年。そんな少年とは裏腹に、今現在のこの状況を不審気な顔で見守る少女は、しっかりとその呟きを聞いていた。聞いていたために、その眼差しは敵を見るような目に変化している。
 どこか気の抜けた様な瞳の奥に、確かに見える敵対心。神父服の男はそれに気づいているのかどうなのか、一度瞳を伏せてから言葉を続ける。

「今の問いの答えが『YES』であるならば、なおさらあなたに頼まねばならない。これは、あなたに課せられた運命といっても過言ではないのですから……」

「……運命? 何言って──」

「デラニアス殿。あなたに託す願いは二つ」

 男の口が、弱き少年の言葉を遮り、その内に秘めたる願いを告げる。

「一つは『悪代表を捕らえる』こと。そしてもう一つは『未開の森に住む番人を葬り去る』ことです」

「待つのよ」

 少年が疑問の声を紡ぎ出す前に、ミーリャは彼を庇うように前へ。自分よりも背の高い男を勇ましくも見上げる。

「ジルはしがない旅人もどき。悪代表のことはこいつには関係ないのね。それによう……未開の森の番人を葬り去れ? バカバカしくて笑えるのよ。こんな雑魚が番人を倒せると思ってるの? 天地がひっくり返ってもありえないのね」

「ミーリャ……」

 些か言い過ぎな気はするが間違っていないので訂正は不可能。庇いたいのか、はたまた貶したいのかよくわからないミーリャの言葉のお陰で、ジルはようやく落ち着きを取り戻していく。
 だが、だからと言って男が言葉を止めるわけもなく。彼は次なるセリフを口にする。

「言ったはずですよ。これはデラニアス殿に課せられた運命だと……」

「運命だろうがなんだろうが、無理なものは無理なのよ。諦めて他を当たるといいのね」

「ふむ……では問いましょう」

 男の視線と、ミーリャの視線がぶつかり合う。

「あなた方は私がこの願いを口にせずとも、悪代表の元へ行く気ではなかったのですか? 未開の森を目的地としてはいなかったのですか?」

「……」

「これは決められた道筋であり天命なのです。デラニアス殿は決して逃げられない運命にある。だからこそ、彼にその能力は与えられた」

 ジルに与えられた能力。訊かずとも、それが何であるかを二人は悟った。
 突然目覚めた予知夢の力。恐らくそれに違いない。
 苦々しい顔で、ミーリャは眉間にシワを寄せる。

「反吐が出るのよ」

 少年はそっと同意した。

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