異端の魔導師は辺境の地で第二の人生を送りたい

「コハク、貴様! 今度という今度は許さんぞ! この論文は何のつもりだ!」

 魔法省の一室に老人の怒号が響き渡る。

「末席とはいえ、偉大なるアイオニア王国の魔導師ともあろう者が! よりにもよってこんな妄言を!」

 怒っているのは魔法省大臣、トベラ特級魔導師。

 怒られているのは、もちろん僕だ。

 自他共に認める三流魔導師の立場で、王国の魔導師の中でもトップクラスの人物に呼び出されたうえ、情け容赦ない叱責を受けている――こう説明すれば、僕が置かれている状況の酷さが伝わるだろうか。

「な……何のつもりだと言われましても……二年に一度の論文提出は魔導師の義務でしょう」
「内容が問題だと言っているのだ! 『誰にでも使える魔法』の基礎理論だと!? 貴様、魔法を何だと思っている!」

 弁明も虚しく、トベラ大臣の説教がどんどん激しさを増していく。

 声の圧力があまりに強すぎて、今にも吹き飛ばされてしまいそうな気分だ。

「我々のように選ばれた者だけが持つ力、それが魔法だ! 生まれ持った才能と弛まぬ鍛錬があってこそ、魔法を身に付けることができる!」
「で、ですが、正直なところ、魔法の助けを求める人の数に対して、魔導師の数が少なすぎます。魔導師を増やすか、簡単な魔法を誰にでも使えるようにすれば……!」
「くどい! 貴様の主張は魔導師全てへの侮辱に等しいと知れ!」

 トベラ大臣はデスクに置かれていた論文をグシャグシャにしてつかみ上げた。

 そして、僕に見せつけるように破り捨てる。

 取り付く島もないとは、まさにこのことだ。

 交渉の余地も説明の機会も一切なし。ただ全否定するためだけの呼び出しだった。

「……コハク・リンクス下級魔導師。今回の処分として、貴様に転属を命じる」

 大臣は深々と溜息を吐き、デスクの椅子に体重を預けた。

 大声で怒鳴り散らして多少はすっきりしたのか、それとも叫び過ぎて疲労困憊になったのか。

 どちらにせよ、これ以上は相手をする気がないということだろう。

「転属先はマクリア地方。王都から遠く離れた辺境の地で、ゆっくり頭を冷やすがいい」
「王都からは追放……ということですか」
「辺境で十分に反省し、考えを改めたなら、王都に呼び戻してやらんでもない。貴様が言った通り、魔導師は常に人手が不足しているからな」

 何が人手不足だ。内心で呆れ返る。
 希少価値を出したいからって、毎年の採用を絞りまくっているくせに。

◇ ◇ ◇

 肩を落として大臣室を後にした僕を、独特の口調をした同僚の魔導師が呼び止める。

「あら! いつもに増して酷い顔ですわね! 相当手酷く絞られてしまったのかしら?」
「……なんだ、ルリか」

 ルリ・ディアマンディ。僕の同期にあたる魔導師だ。

 見た目も喋り方も、これでもかってくらいに典型的(テンプレート)なお嬢様。

 魔法の名家と言われる貴族ディアマンディ家の令嬢として、幼い頃から魔法の訓練を受けてきたとのことで、同期の中でも一番早く上級魔導師に昇格した出世頭だ。

 年齢は、僕と同じ二十代前半だということは知っている。
 具体的な数字は聞いた覚えがない。

「あの論文、本当に提出なさいましたのね。上層部を怒らせるだけだと申し上げたではありませんか。特権を守ることばかり考えている方々なのですから」
「まさかここまで酷いとは思わなかったんだよ。満足できる試作品も作れたし、机上の空論じゃないと示せたら、理解を得られるかと思ったんだけど」
「読みが甘かったですわね。これだから、未だに下級魔導師止まりなのではないですか?」

 余計なお世話だ。
 魔導師を五年もやっているくせに、中級にすら昇格できていないことの情けなさは、自分が一番良く分かっている。

「それで、処分の内容はどのような? 厳重注意止まりではないでしょう?」
「地方に転属。しばらく頭を冷やせってさ」
「あら。意外と温情のある措置ですわね」
「そうかなぁ」
「免職されてもおかしくないと思っていましたわ。魔導師たるもの、地方派遣は当然の職務ですし、良い機会だと思うべきでしょうね」

 このアイオニア王国では、魔法省に務める魔法使いのことを魔導師と呼ぶ。

 魔導師は安定した報酬を受け取れる代わりに、様々な公務を請け負う義務がある。

 要は半分役人の魔法使いだ。

「ところで、派遣先はどちらになるんですの?」
「マクリア地方」
「……はい?」

 ルリが青色の目を見開いて硬直する。

「な……なんですって!? マクリアなんて、辺境にも程がありますわ! 人間世界の果て、この世の最末端も同然です!」
「それはさすがに言い過ぎじゃない?」
「言い過ぎではありません! 亜人種の生息域とも隣接する、辺境の中の辺境! そんな場所に転属だなんて、島流しも同然ですわ! いくらなんでも酷すぎます!」

 他人事のはずなのに、ルリはパニック寸前なくらいに慌てていた。

 昔からルリはこういう奴だ。
 名家の令嬢らしい上から目線で見下してきたかと思うと、たまに妙な気遣いを見せるときがある。

 そのうえ、同僚からは対等の態度で接してもらいたい、なんて言い出す変わり者。

 たまに言動が鼻につくことはあるけれど、総合的には悪い奴じゃない――ルリに対する同期の評価は、だいたいこんなところだろう。

「仕方がありませんわね。もしも貴方が、どうしてもと望むのでしたら、わたくしが父上に掛け合って差し上げます。父上の口添えがあれば、処分を軽くすることなど簡単に……」
「ありがとう。でも必要ないよ。転属は受け入れるつもりだからさ」
「え……ええっ!?」

 ルリは信じられないものを見るような目で僕を見た。

「明らかにこれは左遷ですわ! 追放と変わりませんのに! どうしてそんな!」
「良い機会だからね。前々からそうじゃないかと思っていたけど、魔法省のお偉方とは馬が合わないみたいだ」

 廊下の壁にもたれかかって、窓の外の風景に視線を向ける。

 王都はこのアイオニア王国でも最大規模の都市で、その発展ぶりは文字通り世界有数だ。

 けれど、王国のあらゆる場所がこれくらい発展しているのかというと、全くそんなことはない。

 僕の故郷の村と比べれば、王都の裏路地すら大都会に思えてしまうくらいだ。

「どうせ出世なんか望めないんだし、このまま王都にいても息苦しいだけだろ? だから心機一転、環境を変えて第二の人生でも送ってみようかなって、そう思ったわけ。おえらいさんの目が届かないところで、のんびりとね」
「それはそう、かも、しれませんが……」
「心配しなくても大丈夫だって。これでも田舎生まれの田舎育ちだからね。辺境暮らしにもすぐ慣れるさ」

 大臣にこっぴどく罵倒されたせいだろうか。
 王都での生活や、魔法省での仕事に対する未練はすっかり薄れていた。

 僕は自分でも不思議なくらいに前向きな気持ちで、まだ見ぬ辺境の地での生活に思いを馳せるのだった。
 辺境への転属命令から一週間後。

 旅の準備を終えた僕は、いよいよ王都を離れてマクリア地方へ向かうことにした。

 移動手段は定番の水路だ。
 王国中に張り巡らされた運河や天然の川を使えば、陸路よりもずっと速く目的地に到着することができる。

 トラブルがなければ一日半くらいだろうか。
 陸路ならその倍は軽く掛かってしまうはずだ。

「さて、そろそろ出発するか」

 一人乗りの船の上で気合を入れ直す。

 王都から一番近い運河には、大小様々な種類の船が集まっていた。

 僕が乗っている小船みたいな小型船もあれば、まるで城が水に浮かんでいるかのような大型船もある。

 そして、ここにある舶の大部分の動力源は、自然のエネルギーではなく魔法だ。

風を受けて走れ(ナーウィガー・ウェント)

 簡単な手振りを交えて呪文を唱えると、小船の周りにちょうどいい強さの風が吹き、帆を膨らませて小船を前進させ始めた。

「んー……左へ向かえ(アド・シニストラム)……」

 小船が運河の岸を離れて左へ進み――

「これくらいで、右へ向かえ(アド・デクストラム)……」

 適度に岸から距離を取ったところで、今度は右に船先を傾け――

「よし、直進せよ(ワーデ)!」

 ――魔法の風を満帆に受けながら、船でごった返す運河をまっすぐ進んでいく。

 下っ端の下等魔導師とはいえ、小船一つ動かすくらいの魔法はお手の物だ。

 まぁ、これが一流の航海魔導師なら、僕みたいに細かな呪文をあれこれ唱えなくても、たった一言で巧みに船を操ったりするのだけれど、それはそれ。

 帆のある大型船は僕の船と同じように魔法の風で動き、帆のない大型船は魔法で操られた水流に乗って進む。

 周囲を見渡せば、他にも魔法が社会を支えている様子が目に映る。

 例えば、石材を操って橋を直す魔法使い。

 例えば、植物を操って畑の作物を収穫する魔法使い。

 空を仰げば、郵便鞄を肩に掛けた魔法使いが、杖にまたがって低空を飛んでいる姿も見えた。

 これまでの歴史上、色々な道具や機械が造られてきたけれど、魔法の便利さに敵うものはない。現代社会の常識だ。

 しかしそれは、言い換えれば『魔法の恩恵に預かれない人々は、とてつもない不便を強いられる』ということでもあって――

「さて……とりあえず、今日のところはここで一泊、と……」

 運河沿いの宿で夜を越し、マクリア地方への船旅の後半に突入する。

 今までは都会とその近郊だったけど、ここから先は田舎の風景(カントリーサイド)

 運河に掛かる橋は魔法で作られた石橋ではなく、修理も手作業の木製の橋。

 畑では大勢の人々が働いていて、収穫も耕作も魔法ではなく全て人力。

 川沿いの水車は小麦を粉にするためのもの。
 もちろんこれも、魔法があればこんなに大袈裟な設備は必要ない。

 空を飛ぶ魔導師の姿はなく、王宮の紋章がペイントされた古びた郵便馬車が、運河沿いのでこぼこ道をゆっくり走っている。

 王都近郊で活躍していた魔法の数々は、ここでは全くと言っていいほど見られない。

 田舎育ちの僕にとっては、ある意味で懐かしさすら感じる光景だった。

「やっぱり、好き好んで田舎に来る魔法使いなんか、そうそういないよな。だから魔導師を増やすべきだって言ってるのに……うちのお偉方ときたら……」

 船旅が暇すぎて、ついつい益体もない思考に耽ってしまう。

 この国で魔法を習得するためには、大枚を叩いて家庭教師を雇わない限り、魔法省管轄の王立魔導アカデミーに入学しなければならない。

 だが、こいつがまた問題だらけ。
 入学も卒業も難しく、僕が卒業できたのは奇跡も同然だった。

 トベラ大臣が言っていた通り、魔法の習得には『生まれ持った才能』が必要不可欠。

 しかし才能さえあれば入学できるわけではなく、希望者の半数以上は入学すらできずに足切りされてしまう。

 この時点で相当に厳しい条件なのだが、アカデミーは在学中にも容赦なく厳しい選別を課してくる。

 能力不足を理由に退学させられる生徒は数知れず。
 入学した生徒のうち、卒業できたのが一割にも満たない世代すらあったという。

 無事に卒業できた一握りの生徒は魔導師に。
 途中で脱落してしまった退学者が民間の魔法使いに。

 アイオニア王国の魔法使いの大部分は、この二つのどちらかに該当する。

 ……問題は、民間の魔法使いが都会に集中してしまう、ということだ。

 理由はいたって単純明快。都会の方がたくさん仕事にありつけて、儲かる。
 あと娯楽が多くて生活も快適。以上。

 アカデミーが入学基準を厳しくしすぎているせいで、魔法の需要の割に魔法使いがまるで足りていない。

 そして限られた人材の争奪戦になってしまえば、田舎よりも都会の方が圧倒的に有利。

 魔導師の地方派遣はこの格差を補うためなのだが、肝心の魔導師が少なすぎる。
 正直なところ焼け石に水である。

「さて、そろそろ船着き場だと思うんだけど……」

 時刻は昼過ぎ頃。
 目的地も近くなってきたはずなので、無意味な思考を打ち切って周囲を見渡す。

「おいおい……まさか、アレがそうだって言うんじゃないよな……?」

 地図に船着き場と記載されている場所にあったのは、朽ち果てた残骸の山だった。

 無造作に放置されたあの廃墟は、もしかして水車小屋なのだろうか。

 あんなに大事な設備が壊れたままにされているなんて。

 何とか岸辺に船を寄せ、小船をロープで係留させてから、草の生い茂る土手を登る。

 全く手入れがされていないのが丸分かりで、登るだけでも一苦労だ。

「ふぅ、やっとてっぺんに……って……」

 土手の頂上からの風景は、荒れ地としか表現できない状態だった。

 砂漠というわけではないが、地面に生えているのは背の低い草木くらいで、背の高い木はまばらに生えている程度。

 しかも、ところどころに湿地があり、地平線の向こうには手つかずの森と岩山が広がっている。

 まさしく辺境。ルリが言っていた通りだった。

「いやいや、いくら何でもこれは……前任の魔導師がいるはずなんだし、こんなにボロボロのはずが……」

 愕然としながら周囲を見渡し、どこかに集落がないか探してみようとする。

「ん? あれは……荷馬車か? ……って、まずい! 狼だ!」

 土手の下を必死に逃げる荷馬車。それを追う狼の群れ。

 更に、荷馬車は不運にも荒れ放題の道で横転し、乗っていた人間が地面に投げ出されてしまった。

 今から駆け下りても間に合わない。

 僕は咄嗟に、土手の上から呪文を詠唱した。

射撃魔法(サギッタ・マギカ)三連火弾(トレース・イグネース)!」

 三つの火球が僕の手元から矢のように発射され、狼の群れを目掛けて降り注ぐ。

 地面に着弾、炸裂。
 狼達は突然の爆発に驚いて足を止め、散り散りになって逃げ出していった。

 これで充分だ。命中に拘る必要はない。

「おーい! 大丈夫かー!」

 狼の群れが遠ざかったのを確かめてから、土手を駆け下りて馬車から振り落とされた人に駆け寄る。

 怪我をしていたら手当が必要だ。
 治癒魔法は得意じゃないけど、何もしないよりはマシだろう。

 そんなことを考えながら、倒れていたその人を抱き起こす。

 深く被っていたフードが外れ――次の瞬間、僕は驚きのあまり硬直してしまった。

「獣人!? ほ、本物……なのか……?」

 露わになったのは、少女の体に犬か狼の耳と尻尾を生やした、年若い獣人の姿だった。

 バサバサに荒れた毛並みは、目を見張るくらいに鮮やかな赤色だ。

 魔導師になってかれこれ五年。こんなに近くで獣人を見たのは初めてだ。

「う、うーん……ハッ! うわわっ! お、狼は!?」

 獣人の少女が勢いよく起き上がる。

 その子が発した言葉は、僕が使っているのと同じアイオニア語。

 言葉が普通に通じると分かってホッとしながら、できるだけ落ち着いた声で話しかける。

「大丈夫。狼なら追い払ったよ」
「え? あ、ありがとうございます! ええと……」
「コハク・リンクス。王都から派遣された魔導師だ。君は……この辺りの子だよね?」
「まどうし……ええっ!? ほ、本当に魔導師様なんですか!? やったぁ!」

 少女は大袈裟なくらいに目を輝かせて喜んだ。

 その目元には、何故かうっすらと涙が浮かんでいる。

 狼に襲われたのが怖かったとか、助かって安堵したとか、そういう理由ではないようだ。

 根拠はないけど、そんな気がする。

「私、クレナイって言います! ペトラ村のクレナイです! よかったぁ……ずっと魔導師様がいらっしゃらなかったから、このままだと皆死んじゃうんじゃないかって……」
「魔導師が、いない? そんな馬鹿な。僕の前任者が派遣されてるはずじゃ」

 当然の疑問をぶつけると、獣人の少女――クレナイは困ったように頬を欠いた。

「その、ですね。前にいた魔導師様、逃げちゃったんです」
 ――その後、僕はクレナイに案内されて、一番近い集落のペトラ村に到着した。

 想像していた通り、ペトラ村は廃墟同然の荒廃ぶりだった。

 建物はボロボロ。道はガタガタ。畑も荒れ放題で人が住んでいるのか怪しい有様だ。

「おーい! みんなー! 魔導師様が来てくれたよー!」

 クレナイが大声を張り上げると、無人の廃屋にしか見えなかった建物から、何人かの村人が恐る恐る姿を現した。

 大勢の、とはお世辞にも言えない。
 村として機能しているのかも怪しい人数で、みんな一様に期待の眼差しを僕に向けている。

 種族構成は人間と獣人がおおよそ半々。
 獣人といっても、クレナイと同じく動物の耳や尻尾がある程度。
 頭や手足が動物になっているようなタイプは見当たらない。

 僕の近くにいるのは中高年や老人で、建物の中から若い女性や子供達が様子を伺っている。

「あなたが魔導師様ですか! 私がペトラ村の村長でございます!」

 総白髪の老人が一歩前に進み出て、深々と頭を下げた。

「この度は本当に、ほんっとーに! よくいらっしゃいました!」
「え、ええと……色々と聞きたいことがあるんですが……」
「はい! 何なりと!」

 こんなに激しく頭を下げられてしまうと、嬉しさよりも困惑が強くなってしまう。

 とりあえず、何から尋ねようか。
 若い男の村人が見当たらないことも気になるけど、やっぱりまずは仕事に関わることからだ。

「前任の魔導師が逃げてしまったと聞きました。一体何があったんですか?」
「理由は分かりません。ある日突然、でしたので。ただ……親しかった村人に『このままだと死んでしまう』と漏らしていたそうです」

 ごくりと生唾を飲む。

 魔導師が命の危険を感じるほどの『何か』――そんなものが、ここにあったのだろうか。

「あれから一年! マクリア地方の住人は魔法の恩恵を受けられぬまま、どうにか暮らしてまいりました! どうかお力添えを!」
「いや、まぁ、それが仕事なので……」

 皆の期待の眼差しが重い。重すぎる。

「……その、他の田舎町みたいに、手作業で仕事をするというのは……」
「もちろんやってきました! しかしながら、この地方は土地が痩せていて作物が育ちにくく、しかも若者は『要塞』に動員され、労働力にも事欠く始末! 壊れた建物を直すことすらままなりません!」
「要塞?」

 何気なく聞き返すと、村長は地平線の向こうの山と森の方角を指さした。

「あちらに大きな要塞がございます。百年前の大きな内乱の頃に使われ、長らく打ち捨てられていたのですが、先代の領主様が修理させて軍隊を置くようになりました。言うまでもなく、兵士達は周辺の村落から集められた若者です」
「動員ってそういう……道理で若い男が見当たらないと思ったら。でもどうして、今更そんな要塞を?」
「亜人と魔獣の脅威に対抗するためです。要塞よりも西の山と森は、亜人と魔獣の巣窟です。なので、私共も要塞の存在には感謝をしておるのですが……」

 村の運営に人手を回せば防衛力が足りなくなる。
 防衛力を充実させれば村の運営の人手が足りなくなる。

 まさに、あちらを立てればこちらが立たず、という奴だ。

「しかし! 魔導師様さえいらっしゃれば、この地域も息を吹き返すに違いありません! 何卒、何卒……!」
「分かってますって! 分かりましたって! 任せてください!」

 しつこく頭を下げまくる村長を宥めながら、とんでもない貧乏くじを引かされてしまったものだと嘆息する。

 僕が思い描いていたのは気楽な田舎暮らしだった。

 こんなに強烈な期待とプレッシャーを背負った復興事業なんかじゃない。

 けれど考えてみれば、僕のことを毛嫌いしていた連中が、僕の望み通りの平穏無事な生活を提供してくれるはずがなかった。

 前任者の逃亡も把握していたはずだし、ちょうどいいから厄介事を押し付けてやろうと考えて、左遷先を決めたに違いない。

「……トベラ大臣……さすがに恨むぞ……!」

 僕は小声で恨み節を零しながら、遠い空を仰ぐことしかできなかった。

◇ ◇ ◇

「うう……疲れた……」

 粗末なベッドに頭から倒れ込む。

 結局、僕はマクリア地方に到着した初日から、ボロボロになった建物や水路の修繕に忙殺されることになってしまった。

「……前任者が逃げた理由、分かったかも。これは死ねるわ……せめて魔導師がもう一人……贅沢を言えば二人か三人は……数合わせの魔法使いでもいいから……」

 村人から感謝されるのは嬉しいけど、明らかに僕一人でこなせる役目じゃない。

 このままじゃ、いつか疲労で死んでしまうんじゃないだろうか。本気で心配になってしまう。

 とにかく足りないものが多すぎる。

 まず物資が足りない。
 交通網が陸運も水運も壊滅的だから、他の村や地域から持ってくるのも一苦労だ。

 次に時間が足りない。
 冬を越す蓄えのことを考えると、無駄に時間を掛けてダラダラと作業を進めるのは自殺行為だ。

 そして何よりも、人手が足りないのが大問題だった。
 要塞に動員された連中を呼び戻すわけにはいかないし、かといって老人や子供に無理をさせるわけにもいかない。

 このしわ寄せを受けるのは、地域唯一の魔導師である僕一人。

 ……うん、死ねる。過労死待ったなしだ。
 前任者の職務放棄は魔導師失格かもしれないけど、生物としては正解だったのかもしれない。

「お疲れ様です、魔導師様。これ、疲れによく効く薬草のお茶です。こんなものしか出せなくて、ごめんなさい」

 クレナイがベッドの横の小さなテーブルにコップを置く。

 ちょうど喉が乾いていたので、ベッドから身を起こして有り難くいただくことにする。

 ……味についてはノーコメント。

 一口だけ飲んで渋い顔をしてしまったのは、見なかったことにしてもらいたい。

「それにしても、コハク様! さっきの魔法、本当に凄かったです! 壁の破片がふわーって浮かび上がったと思ったら、パズルみたいにかちかちーってくっついて!」
「僕なんか全然まだまだ。専門の魔導師はもっと効率的にやるよ。たったあれだけで体力使い果たすなんて、修行が足りてない証拠だな」
「またまたぁ。謙遜なんかしなくたっていいんですよ」

 嘘偽りのない本音だったのだけれど、クレナイにはマトモに聞き入れてもらえなかった。

 何気なく窓の外に視線を向けると、ちょうど外が真っ暗になりつつある頃だった。

「やっぱり、田舎の夜は真っ暗だな」

 軽く手を動かして照明魔法を発動させ、空中に小さな光の球体を生成する。

 今回は詠唱を省略したので、光球の大きさは指で摘める程度だが、狭い部屋を照らすならこれだけで充分だ。

「都会の夜は明るいんですか?」
「こっちと比べたらね。街のそこら中に街灯があって、夜でも出歩ける程度には明るいんだ」
「そんなに!? 燃料とかどうしてるんです?」
「油とか薪とかは使わないんだよ。魔法で明かりを灯すからね。腕の良い魔法使いなら、一度の詠唱で一区画分の街灯に灯せるんじゃないかな」

 王都を離れてまだ二日しか経っていないのに、もう既にあの夜景が懐かしく思えてきてきた。

 眠らない街。絢爛たる都市。光の都。
 民間の魔法使いが王都を離れたがらないのもよく分かる。

 この村を悪く言うつもりはないけれど、客観的に考えて住みやすさは天と地だ。

「……あの、コハク様」

 不意に、クレナイが真剣な面持ちで口を開いた。

「私も魔導師に……魔法使いになれませんか? そうすれば、魔導師様の負担も減らせると思うんです」

 クレナイの目は本気だ。

 もしもそうできれば、どんなに助かることだろう。

 半人前の魔法使いが一人加わるだけで、僕の仕事は間違いなく楽になる。

 けれど、ハッキリ言って現実的な考えじゃない。

「……手を出してみて」
「えっ? あ、はい」

 僕はクレナイが差し出した手を握り、軽く気合を入れて魔力を流し込んだ。

 魔力の燐光が僕の腕を介してクレナイの体に行き渡り、そしてあっという間に霧散して消えていく。

「残念だけど……多分、君に魔法は使えないと思う」
「い、今ので分かるんですか!?」
「ある程度はね。魔法を使うためには生まれつきの才能が……いや、正確には『体質』が必要なんだ。こればっかりは、努力や工夫じゃどうにもならない。ああ、でも、こんな体質はない方が当たり前なんだ。落ち込んだりする必要は……」
「やっぱり、都合良くはいかないんですね。村の皆が魔法を使えたら、すぐに復興させられるかもって思ったんですけど」

 クレナイの呟きを聞いた瞬間、頭の中を稲妻のような閃きが駆け巡った。

 ああ、僕は今まで何をしていたんだ。
 こんなことにすら気が付かないなんて、三流にも程がある。

 僕は即座にクレナイとの会話を打ち切って、村に来てから放置していた荷物の中身をひっくり返した。

「コハク様! いきなりどうしたんですか!?」

 慌てふためくクレナイ。悪いけど説明は後回しだ。現物を見せるのが一番手っ取り早い。

 どうして僕がここにいるのかを思い出せ。足りないものは増やせばいい。
 魔法省のお偉方も、どうせこんな辺境までは監視していないのだから。

「……よし、こいつを軽く調整してやれば……!」

 細長い袋の中から『それ』を引っ張り出す。

 先端が尖った杖、というか杭。
 頭の方にはスイッチやダイヤルが付いた箱と、透明で黄色い石が取り付けられている。

「杖……ですか?」

 クレナイは意味が分からないと言わんばかりに首を傾げる。

 期待通りの質問だ。自然と口元が緩んでしまう。
 少しくらい自慢したってバチは当たらないだろう。

 なにせ、こいつは――

「誰にでも使える魔法の道具さ。魔導師の代わりになる道具だから、さしずめ『魔導器』ってところかな。まだまだ試作品だけどね」
 誰にでも使える魔法の基礎理論。
 論文の中では、小難しく『万人のための魔法基礎理論』と書いていた。

 僕は魔導師の定期資格審査のため、これを綴った論文を提出し、魔法省の上層部の怒りを買って辺境のマクリア地方に左遷され、今に至る。

 けれど、こいつは机上の空論なんかじゃない。
 僕なりに検討を重ね、試作品を幾つか仕上げたくらいに練り上げたアイディアだった。

 世の中には魔法使いが足りていない。魔導師はもっと足りていない。

 魔法の才能自体が希少なうえ、民間の魔法使いの多くは都会を離れたがらないし、魔導師は上層部の方針で採用が絞られている。

 だったら、特別な才能がなくても使える魔法を開発すればいい――そんな発想で生まれたこのアイディア。

 人手不足に喘ぐペトラ村のために使わない理由はない。

「それではさっそく、整地耕作用魔導器の試作品の運用テストを始めたいと思います。皆さん、説明した通りの配置についてください」

 ペトラ村で一夜を明かした次の日の朝。

 僕は村外れの荒れ果てた畑に村人を集め、魔導器の試作品を実際に使ってもらうことにした。

 テストの概要は次の通り。

 四本の魔導器の『杭』を四人に一本ずつに持たせ、大きな正方形を描くような配置で畑に突き立ててもらう。

 範囲はおおよそ十メートル四方。

 理論上はもっと広い範囲でも大丈夫だけど、今回はテストなので少し狭めに設定しておく。

 魔導器が設計通りに機能すれば、この範囲内の地面は僅か数十秒で掘り返されて、しっかりと耕された畑に姿を変えるはずだ。

「位置につきましたか? それじゃあ、次はダイヤルを指示書の通りに設定して……」

 準備を進めている間、テストに参加していない他の村人達が、遠巻きにヒソヒソと囁き合う。

「誰にでも使える魔法って本当か?」
「魔導師様はそう仰っていたけどな……いくら何でもありえんだろう」
「もしも本当なら、儂らにも魔法が使えるってことだろう?」
「そいつはとんでもないね。夢みたいだよ」

 杭型魔導器の一本を担当するクレナイも、半信半疑といった様子で隣の僕に横目を向けている。

「あの、コハク様。魔法を使うためには、特別な体質が必要なんですよね。普通の人にも使える魔法なんて、一体どうやったら……」

 そういえば、昨日は会話を中途半端なところで切り上げてしまった。

 他のテスト担当は準備に時間が掛かりそうだし、簡単に説明をしておくことにしよう。

「そいつの正式名称は、魔力貯蔵適性と言ってね。要するに、自然の魔力を体内に溜め込める体質のことだ。この体質を持たない場合、体に魔力を注ぎ込まれても、すぐに抜けてしまうんだ。底の抜けたバケツみたいにね」
「あっ、昨日のアレってそういうことですか!」

 クレナイが驚きと納得の声を上げる。

 昨日の夜、僕は魔法を学びたいと言ったクレナイに、魔力貯蔵適性の有無を確かめる簡単なテストをした。

 理屈は単純。体に触れて魔力を注ぎ込み、すぐに抜けなければ見込みアリ、というだけである。

「ただし、この適性だけじゃ魔法は使えない。もう一つ別の適性が必要になる」
「溜めてるだけじゃ意味がない、ってことですね」
「そういうこと。こっちの正式名称は、魔力加工適性。魔力に属性と特性を与えられる能力だ」
「属性の方は何となく分かりますけど……特性って何ですか?」
「火の玉を出す魔法で喩えるなら、炎を生み出すのが属性で、その炎を球状にしたり速度を与えて発射したりするのが特性だね。専門用語だから、普段はあまり来にしなくても大丈夫だよ」

 実際、僕も属性の方は『火属性の魔法』や『風属性の魔法』みたいな文脈で使うけど、特性の方は学術的な論文を書くときくらいにしか使わない。

 魔力の貯蔵と魔力の加工。
 この二つが魔法使いに求められる才能だと覚えておけば、それ以外を忘れてしまっても問題はないだろう。

「で、ここからが本題だ。魔法使いは体内の魔力を、感覚的に……つまり、自分の体を動かすのと同じ感覚で加工できる。理論上は頭でイメージするだけで魔法を使えるわけだ」
「えっ? じゃあ、呪文とか魔法陣って何のためにあるんです?」
「……理解が早いね。誰かさんとは大違いだ」

 自分が魔導アカデミーにいた頃はどうだったのかを思い出しかけて、慌てて記憶に蓋をする。

 当時の僕よりもクレナイの方がよほど優秀な生徒じゃないだろうか。

「もちろん現実的には難しいよ。あくまで理論上の話だからね。だからほとんどの魔法使いは、足りない分を補うために呪文を唱えたり、身振り手振りを交えた儀式をしたり、魔法陣や魔法の杖みたいな道具に頼るんだ」
「……ええと、それってつまり、魔力の加工を道具でやってるってことですか?」

 どうやらクレナイも、以前の僕と同じ発想に至ったらしい。

 仲間が増えたと喜ぶべきか、あっさり追いつかれたと悲しむべきか、判断が難しいところだ。

「大正解。魔力の加工は魔法陣なんかでもやれるし、魔力の貯蔵は魔石でどうにかなる。ということは、色んな素材や部品を組み合わせて、魔法の発動プロセス全体を再現することができれば、道具だけで魔法を発動できるんじゃないか……そう考えたってわけ」

 万人のための魔法基礎理論――それは即ち、魔法の発動を補助する道具を発展させ、道具だけで魔法を発動できるようにすること。

 僕は自他共に認める三流の魔導師だ。

 ルリみたいな一流に置いていかれないように、足りない実力を補うための道具を研究した結果、最終的にこんな発想に至ったのである。

「まぁ今のところ、再現できたのは魔法の初歩の初歩だけ。既存の魔法に追いつくのは夢のまた夢だね」

 ちょうどそのとき、テスト担当の村人が魔導器の準備を済ませ、声を上げて合図を送ってきた。

「魔導師様! 準備できました! 遅れて申し訳ない!」
「よし! それじゃあ始めましょうか! スイッチを入れてください!」
「は、はい!」

 クレナイを含めた四人の村人が、畑に突き立てた杭型魔導器のスイッチを一斉に入れる。

 迸る金色の魔力。四つの魔導器を結ぶ正方形を描くように閃光が駆け抜け、その内側の地面に魔力が浸透していく。

 杭の頭付近に取り付けられた黄色く透明な石は、土属性の魔力を溜め込んだ魔石。

 本来、魔石は魔導師が外付けの魔力タンクにしたり、不得意な属性の魔力を扱ったりするときに使われるものだ。

 魔石から溢れた魔力は、スイッチやダイヤルが付いた箱を通過して下に流れる。

 箱の中には幾何学的に圧縮した魔法陣が仕込まれていて、そこを流れる魔力に簡単な加工を施せる仕組みになっている。

 更にダイヤルを回すことで、内部の魔法陣の形が歯車仕掛けで切り替わり、加工の内容をある程度まで切り替えることもできる構造だ。

 そして杭本体は魔法の杖と同じ素材。

 魔力を先端に収束させることで、適切な場所にきちんとピンポイントで魔力を注ぎ込むことができる。

 ――魔力の貯蔵と属性の付与は魔石に。
 ――特性の付与は内部に組み込んだ魔法陣に。
 ――そして、適切な場所に狙いを定める技術は、魔導器の素材と形状に。

 魔導師が魔法を発動するプロセスのことごとくを、物理的な素材の組み合わせだけで再現する――万人のための魔法基礎理論。

 これが成功すれば、きっと世界が変わるはず――

「あっ……! コハク様! 畑が!」

 クレナイが畑を指さして叫ぶ。

 荒れ果て硬くなっていた畑の表面が、まるで波打つように形を変えていく。

 やがて魔導器が設定通りに動作を停止し、魔力の輝きが消えた後には、(うね)まで備えた畑が残されていた。

 田舎育ちで畑を見慣れた僕から見ても、文句のつけようもないくらいに立派な畑だった。

「や、やった! やりましたよ、コハク様! 本当に魔法が! 魔法が使えちゃいました!」

 クレナイは喜びに飛び跳ね、勢いよく僕に抱きついてきた。

 その力強さに押し倒されそうになりながら、僕も拳をぐっと握って喜びを噛みしめる。

 実験は成功だ!
 一人前の魔導師にとっては初歩的にも程がある魔法だが、それでも確かに、普通の人達が魔法を使うことができたのだ。

 歓喜に湧くペトラ村の人達の声を背に、僕は王都がある方角の空に顔を向けた。

 どうだ、やってみせたぞ! そんな勝利宣言を、王都のお偉方に投げつけてやりたいくらいに、気持ちが昂ぶって仕方がなかった。
 耕作魔法の魔導器の成功は、僕の活動方針を大きく変化させた。

 着任した当初の方針は、魔導師が東奔西走して村の問題を解決するという、力尽くにも程があるやり方だった。

 当然、魔導師である僕の負担は完全に度外視。

 前任者が逃げたのも納得の過重労働だ。

 けれど、魔導器があれば話は変わってくる。

 僕自身は新しい魔導器の開発に集中して、完成品を村人達に使ってもらう――この方針なら、僕への負担を最低限に抑えながら、なおかつ復興を順調に進められるはずだ。

 もちろん、急いで解決する必要があるトラブルや、魔導器を作れる見込みがない問題は、これまで通りに僕が魔法で対応していくことになるだろう。

「……ということを、考えたりしてるんだけど。クレナイはどう思う?」

 畑の修繕を終えたその日の午後。

 住宅代わりの小屋で遅い昼食を取りながら、今後の方針についてクレナイに相談を持ちかける。

 食事のメニューは雑穀のお粥(ポリッジ)とチーズの切れ端。

 農村にありがちな硬いパンですらない。
 チーズもきっと大奮発して添えてくれたものだろう。

 王都暮らしに慣れきった魔導師なら、きっと一日で音を上げていたに違いない。

「凄くいい考えだと思います。村の皆も喜んで協力してくれますよ。どんな魔導器を作るおつもりなんですか?」
「そうだなぁ。井戸は生きてるみたいだし、まずは塞がってる水路を整備して、畑に水を撒きやすくするところからかな。土木工事の類なら、さっきの耕作魔導器を改造して出力を上げればいいはずだ」

 地属性の魔法にも色々あるが、地面の形を大雑把に変えるだけなら、技術的にはあまり大きな違いはない。

 あくまで、技術的には。

「まずはそのためにも、魔石を大量に確保しておかないとな」
「そんなに必要なんですか?」
「ああ。地属性の魔法はインフラ整備にめちゃくちゃ有用だけど、規模が大きくなればなるほど魔力をバカ食いする弱点があるんだ。重い土の塊を動かすんだから、それだけ消耗も激しいってわけだね」

 理論上は一夜で城を建てることも不可能ではないが、そんなことをするためには非現実的な量の魔力が要る――これが土属性の魔法の基本性質だ。

 世間で『土魔法は地味』なんて揶揄されがちなのも、単独の人間の魔力ではやれることに限りがあるため、第三者が想像していたよりも規模が小さくなりがちだからだろう。

 実際には、複数人の一流魔導師が充分なバックアップを受ければ、それこそ奇跡みたいな地形操作だって実現できるのだが。

 まぁ、今の僕には関係のない話である。

「水路の次は、建物の修理……は、複雑過ぎて難しいかな。今のところ、魔導器でやれるのは初歩的な魔法の再現くらいだ。魔法でやるのも時間が掛かるし、他の地方から大工を雇ってきた方が手っ取り早いかも」
「村の復興が進んだら、人を呼んでくる余裕もできそうですね」
「となると……うん、なるべく早めに、公衆浴場でも作った方がよさそうだ」
「ええっ! 私、そんなに臭います!? 水浴びはしっかりしてきたんですけど!」

 慌てふためくクレナイ。今のは僕の言い方が悪かった。

「違う違う。あくまでこれから先の話だよ。ここは涼しくて乾燥してるから、水浴びや湯浴みが最小限でいいのは分かってる。だけどこれからは、村の皆にも復興を頑張ってもらうんだ。土や泥の汚れをしっかり落とせる設備を作って、清潔さを保てるようにしておかないと駄目だろう?」
「な、なるほど……でもそれは……」
「燃料が足りないから難しい、かな?」

 クレナイはコクリと小さく頷いた。

 このペトラ村の周囲には荒涼とした土地が広がっている。

 薪に使える植物が少なく、森はかなり離れている上に、野生の動物どころか亜人や魔獣まで潜んでいるときた。

 燃料の調達に苦労するのも当然の状況である。

「大丈夫。それも魔法で何とかできるよ。王都の公衆浴場なんか、どこも燃料なんか使ってないくらいだからね」
「本当ですか!?」
「開店前に魔導師が火種を用意して、後は魔石と魔法陣で火を維持するんだ。村に一つの公衆浴場を夜だけ開く程度なら、魔石の消費もあまり多くはならないはず。最初はそんなところから始めればいいんじゃないかな」
「熱々のお風呂……いいですよねぇ……たまーに入れることがあるんですけど、骨まで蕩けちゃいそうな気持ちよさで……」

 クレナイは両頬に手を当てて、うっとりとした顔で笑った。

「同じやり方で料理に使う火も起こせるぞ。むしろ煙が少なくなるから、薪を使うよりも便利かもだ」
「温かいお料理……いいですよねぇ……」
「……整地用魔導器の次は、火起こしの魔導器で決まりだな」

 どんどん蕩けていくクレナイの表情に、思わず苦笑を零してしまう。

 完全に語彙が崩壊している。何かもう色々と駄目っぽい雰囲気だ。

「決まりですね! 善は急げです、コハク様! まずは何をしたらいいんでしょうか!」
「食いつき凄いなぁ」

 握り拳を振り回して気合を入れるクレナイ。

 こんなにやる気を出されたら、詳細は後で考えるつもりだったなんて、とてもじゃないが言えそうにない。

「とにもかくにも、魔石の調達が第一だ。僕が王都から持ってきた分はほとんど使い切ったからね。他にも調達しておきたい材料はあるけど、魔石だけは替えが利かない。街の方から買い付けてもいいんだけど……現地調達できるなら、それにに越したことはないかな」

 粗末な椅子から立ち上がり、ガラスも嵌っていない窓越しに外の風景を見やる。

 荒涼としたマクリアの平原。その向こうにうっすらと見える険しい山々。

 同僚のルリは『人間世界の果て』だとか言っていたけれど、実はそれもあながち間違いじゃない。

 ここはアイオニア王国の西の果て。ここから先に人の国はない。

 あの山々はまさに、人間が住む土地とそれ以外とを隔てる境界線なのだ。

「そうだな。手始めに、まずはあの山に行ってみようか」
「えっ! あそこは亜人や魔獣がたくさん……」
「魔石は魔力が豊富な土地でよく採れる。魔石鉱山は魔獣の生息地にあるのが普通だよ」

 都会の次に魔導師が多いのは魔石鉱山だと言われている。

 採掘に使う魔法を担うため。鉱山を魔獣から守るため。
 過酷だが儲かる仕事が目白押しだ。

 もしも、あの山を魔石鉱山にすることができたら、そこから得られる恩恵の大きさは計り知れない。

「昔から『竜の卵は竜の巣に』って言うだろ? 危険を冒すだけの価値はあるさ」
 ペトラ村から徒歩二時間余り。
 荷馬車に乗れば一時間と少し。
 そして、空を飛べば更に半分。

「うわぁ! 凄い、ほんとに飛んでます!」

 背中にしがみついたクレナイが興奮の声を上げる。

 僕達は今、木製の魔法の杖にまたがって、マクリア地方の空を飛んでいた。

 ただし空と言っても、高度はせいぜい十数メートル。

 王都によくある三階建ての集合住宅と同じ高さの低空飛行だ。

「初めて空を飛んだときって、大抵は怖がるものなんだけどなぁ」
「そうなんですか? こんなに気持ちいいのに!」

 本当、色んな意味で僕より魔導師に向いていそうな子だ。

 僕なんか、初めての飛行訓練のことは思い出したくないくらいなのに。

「コハク様が王都からいらっしゃったときも、魔法でビューンって飛んできたんですか?」
「さすがにそこまで長くは飛べないな。魔力的にも体力的にもね。風魔法で船を走らせる方がずっと楽だよ」
「馬に乗るより馬車に乗る方が楽、みたいな感じですね。分かります分かります」

 納得しているところ申し訳ないんだけど、僕は馬に乗れないからイマイチ共感できない喩えだった。

「その気になれば、雲より高く飛べたりするんでしょうか」
「鍛錬次第だね。できた人は何人かいるみたいだよ。会ったことはないけど。そんなことより、本当に良かったのか?」
「……? 何のことです?」
「魔石探しについて来たりして。亜人に魔獣に、色々と危険なんだろ?」
「平気ですよ。村の皆に恩返しする良い機会です」
「恩返し?」

 今度は僕の方がオウム返しに聞き返す番だった。

「実は私、まだずっと子供だった頃に、森で拾われたんです。それなのに皆、本当の家族みたいに育ててくれて。だから恩返しです。コハク様が魔導器をどんどん作ってくれたら、その分だけ皆の生活も楽になりますから!」

 自分の出生について語るクレナイの声には、辛い過去を口にしたときのような物悲しさは全く感じられない。

 底抜けに明るくて、底抜けに前向きだ。

 きっとクレナイにとって、ペトラ村の住人に拾われた過去は、悲話ではなく素晴らしい出来事として記憶されているんだろう。

 だからこその恩返し。多少の危険は物ともしないくらいのモチベーション。

「そっか……君は立派だね。僕なんか、自分が楽になることしか考えてないのに。こうやって動いてる動機も、魔導器を広めれば仕事が減るかもって魂胆だよ。身につまされるなぁ」
「そんなことありませんよ! 皆が幸せになるんだから、凄く立派なことだと思います! 先生も『きっかけより何をするかが大切だ』って言ってました! あっ、先生っていうのは、村に通いで来てくれた教師の人です」
「良いこと言う先生だな……っと、あれが要塞か。思ったより大きいな……」

 クレナイとそんな会話を交わしているうちに、目的地のすぐ手前までたどり着いていた。

 まさに要塞と呼ぶに相応しい無骨な城だ。

 居住性は二の次三の次。防衛力を第一に考えた軍事施設。
 サブノック要塞というネーミングからも自身の程が伺える。

 神話において、人類に魔法をもたらしたとされる『最初の魔法使い』――サブナックはその直弟子の一人で、土や金属を操る魔法を得意とし、瞬く間に城塞や大量の武器を生み出したと伝えられている。

 その名前を与えるくらいに本気で作り上げた要塞というわけだ。

 辺境の地にこんな代物があるなんて、王都の一般市民は想像もしていないだろう。

「さすがに無許可で飛び越すのはマズいよな。ひとまず降りようか」

 飛行魔法の出力を少しずつ落とし、要塞の正門前にふんわりと着地する。

 それから間を置かず、正門を警備していた兵士の一人が慌てて駆け寄ってきた。

「待て! 何者だ! ……って、なんだ、ペトラ村のクレナイじゃないか」
「久しぶり! 元気してる?」
「まぁな。んで、そっちの人は? ていうかお前、一体どこから出てきたんだ。いきなり湧いてきたかと思ってびっくりしたぞ」
「ふっふっふ、聞いて驚け! こちらの方は、王都から来た魔導師様なのです!」
「な……! 魔導師様だって!? ちょっと待ってろ、司令官に報告を……ああいや、外では待ってなくていい! 要塞の中に入って、そこでお待ちいただけ!」

 慌てて走り去っていく見張りの兵士。

 さすがは地元民。僕が口を挟むまでもなく話が纏まってしまった。

 とりあえず、肌寒い屋外で待っている理由もないので、お言葉に甘えて要塞の中にお邪魔する。

 その途端、大勢の兵士が一気に集まってきた。

「魔導師様が来たって本当か!?」
「俺、ペトラの出身ッス! お袋からの手紙で色々聞いてます!」
「ペトラ村だけズルいじゃないですか! うちの村にも来てください!」
「誰でも魔法が使えるって噂、嘘じゃないですよね!」

 四方八方から興奮の言葉を投げかけられ、思わず気圧されてしまう。

 人の噂が広まるのは早いものだ。

 僕がこの地方に来て数日しか経っていないのに、もうこんな遠くまで噂が届いている。

 評価されるのは、もちろん嬉しい。

 だけどこんな大勢に囲まれていたら、身動きもろくにできそうにない。

 そんな状況を変えたのは、抑えのきいた重々しい男の声だった。

「お前達、何をしている。早く持ち場に戻れ」
「司令官! す、すみません! 今すぐ!」

 蜘蛛の子を散らすように走り去る兵士達。

 声の主は、厳格な威容を湛えた白髪交じりの騎士だ。

 司令官ということは、この人物が要塞のトップなのだろうか。

「魔導師コハク・リンクス殿だな。ようこそ、我がサブノック要塞に。私は要塞司令官のリョウブ・レオンだ」
「ど、どうも。マクリア地方の担当魔導師として……」
「把握している。アルゴス山脈に立ち入りたいとのことだったな」
「はい。魔石が採取できるか、確かめたいと思いまして。ええと、通行許可は……」

 サブノック要塞司令官リョウブ・レオン。
 堅物という概念が服を着ているような雰囲気だ。

 こういう人物を相手にするときは、できるだけ事務的な態度で接するに限る。

 魔法省のお偉方もそうだったけれど、下手にフレンドリーな素振りを見せたら逆効果になりかねない。

 威厳を大事にする人というのは、往々にしてそういうものだ。

「通行すること自体は問題ない。魔石鉱脈の有無についても、それらしいものを目撃したという報告がある。だが推奨はできんな」
「えっ? どうしてですか?」

 そう訪ねたのは、僕ではなく隣にいたクレナイだ。

「アルゴス山脈とその周辺の大森林は、文字通り魔獣と亜人の巣窟だ。しかも、魔石鉱脈が発見された場所はコボルトの巣穴。安易に送り出せるわけがあるまい」

 コボルト。
 最初に亜人がいると聞いたときに、どうせゴブリンはいるんだろうと予想していたが、まさかコボルトときたか。

「あの、コハク様? コボルトってゴブリンとは違うんですか? ゴブリンならたまに森の外でも見かけますけど」
「うーん、同じとも言えるし、違うとも言えるかな。元々は、どちらも小鬼タイプの亜人全般を指す言葉で、地方によって呼び方が違うだけだったんだ」

 クレナイの小声の質問に、ヒソヒソと囁き声で返答する。

「だけど、ここ百年くらいで亜人の研究と分類が進んできてね。学術的な呼び名としては、ゴブリンとコボルトがそれぞれ違う亜人を指すようになったんだ。ゴブリンは一般的にイメージされる小鬼タイプで、コボルトは……いや、直接見るのが一番分かりやすいか」

 コボルトは能力も外見も特徴的な亜人種だ。

 一度でも見れば、普通のゴブリンと見間違えることはないだろう。

「レオン司令。途中の森は飛行魔法で飛び越えられますし、コボルト程度なら問題ない程度の魔法戦闘術は修めています。通行許可をいただけますか」
「……責任は取りきれんぞ」
「構いません。魔石の確保が第一です」
「そうか……ならば護衛を一人連れて行け。それが通行許可を出す条件だ。聞こえたな、ホタル」

 司令官の言葉と同時に、物陰から一人の平服姿の騎士が現れる。

 女騎士だ。女性と呼ぶには若すぎる。美少女と言ってもいいかもしれない。

 生真面目さが滲み出た顔立ちで、何となく司令官と似た雰囲気を纏っている。

 短い黒髪を綺麗に整えたその少女騎士は、鋭い眼差しでこちらを一瞥してから、レオン司令に向かって口を開いた。

「お呼びですか、父上」

 その一言が聞こえた瞬間、クレナイが心底驚いた様子で司令官の方に振り返る。

 どう見ても顔に『こんな強面に美少女の娘!?』と書いてある反応だ。

 いくら何でも露骨過ぎるぞ。気持ちは分かるけど。
 なにはともあれ、要塞の通行許可は得ることができた。

 目的地のアルゴス山脈との間に広がる大森林も、飛行魔法でひとっ飛び……のつもりだったのだけれど。

「狭いな。もう少し前に詰められないのか?」

 魔法の杖の最後尾にまたがった少女騎士ホタルが、真ん中に横座りで乗ったクレナイに注文をつける。

 ちなみに騎士というのはあくまで肩書で、今は騎士らしい鎧を身につけていない。

 そんなもの着用されていたら、きっと飛び立つことすらできなかっただろう。

「無茶言わないでよ。この杖、どう見ても三人乗りできる長さじゃないでしょ」

 クレナイが僕の背中に密着しながら反論する。

「民間人は要塞で待っていろと言っただろう。探索は私と魔導師殿だけで充分だ」
「私にだって、試作品のテストっていう大事な仕事があるんですぅー」
「背負っている袋の中身はそれか……道理で固いわけだ。試験なら私にも可能だろう」
「ちょっとだけ戦闘魔法の心得があるって言ってたじゃない。じゃあダメよ。魔法が全然使えない人でも使えるのか、実際に確かめるためのテストなんだから」

 現状、僕達は一本の杖で三人まとめて飛行するという、かなり強引な力技に打って出ていた。

 先頭は僕で後ろにクレナイ、そのまた後ろにホタル。

 飛ぶこと自体はどうにかできているが、高度は森の木々の背丈よりも少し高い程度、速度も生身で走ったくらいにまで落ちている。

 足を伸ばせば木の枝に触れそうな低速低空飛行だ。

 こうなった理由は二人が話している通り。

 最終的にホタルも連れて行くと決めたのは僕なので、狭さに文句を言うつもりは全くないが、それでもやっぱり三人乗りの飛行は大変だ。

「ところで、魔導師殿。領主様に赴任の挨拶はなさいましたか?」

 ホタルがクレナイの肩越しに、何気ない素振りで質問を投げかけてきた。

 それを聞いた瞬間、頭の中を色んな情報が一気に駆け巡る。

 領主? 赴任? 挨拶?

 ……数秒の間。それから質問の意図を理解して、思わず「げっ」と声を零しそうになってしまう。

 しまった。完全に忘れていた。

 僕はあくまでマクリア地方に派遣されたのであって、ペトラ村に派遣されたわけではない。

 村長に話を通しただけで満足している場合ではなかったのだ。

「ええと……その、アレだ。上層部の嫌がらせだと思うんだけど、前任者の失踪について何も聞かされてなくってさ。引き継ぎも何もできなかったから、まずは自力で現状把握と問題解決の準備をしたんだけどね……それにちょっと手間取ってたんだ」

 早口気味にこちらの言い分を並べ立てる。

 嘘は吐いていない。
 ここ数日、僕が忙しなく右往左往している原因は、色んな意味で前任者の失踪だ。

 前任者を恨むつもりはないけれど、予定通りに進められていない理由は何だと聞かれたら、こうとしか答えようがない。

「理由は尋ねていません。現時点では未報告なのですね」
「……ハイ、マダシテナイデス、スミマセン」
「何故謝罪を? 私はただ、現状を把握しておきたいだけだったのですが……未報告なのでしたら、ひとまず私の方から到着を報告しておこうかと……」

 心底不思議そうに小首を傾げるホタルを、クレナイが呆れと納得混じりに評価する。

「あー、生真面目が行き過ぎて敬遠されるタイプかぁ。いるよね、こういう人。部下の兵隊さんからも圧が強くて怖いって言われてるでしょ」
「な、何故それを。どの部隊の兵から聞いたんだ。後で厳重注意せねば」
「聞かなくっても分かるってば」

 クレナイの言う通り、ホタルは良くも悪くも真面目で愚直な性格のようだ。

 そのせいかは知らないが、相手に与える印象を考慮して言葉を選ぶといった気遣いは、あまり得意ではないらしい。

 遠回しで婉曲的な話し方より、端的で率直な表現を好む。
 軍人らしいといえば確かその通りだ。

 ――そんな会話を交わしながら、森の上をまっすぐ飛ぶこと数十分。

 三人乗りの魔法の杖は、予定通りアルゴス山脈を構成する岩山の中腹に着陸した。

 振り返ってみると、要塞が森の向こうに小さく見える。

 徒歩なら直線距離でも一時間、道なき道であることを考えればその数倍は掛かるであろう森林を、たったこれだけの時間で飛び越えたのだ。

 僕の魔法もなかなか捨てたものじゃないだろう。

「空を飛ぶ魔法も魔導器に落とし込めたらいいんだけどな」
「難しいのですか。戦略的に有効な移動手段だと思ったのですが、残念です」
「今後に期待ってことで。そんなことより、魔石が見つかったっていう洞窟は?」
「あちらです。ついてきてください」

 ホタルに道案内をされながら、未舗装の岩山を歩いていく。

 しばらく進んだ先に、それらしい洞窟が見えたかと思った矢先――突然、狼のような咆哮と共に、四体の獣人が洞窟から飛び出してきた。

 クレナイのような獣の耳と尻尾だけの獣人じゃない。

 完全に二足歩行の狼としか言いようがない姿形で、革製の鎧と粗雑なポールウェポンを携えている。

 その四体の獣人達は、僕達の存在に気が付くや否や、武器を振りかざして猛烈な攻撃を仕掛けてきた。

「ようやく来たか! 遅かったな、亜人!」

 ホタルが素早く剣を抜き放ち、先頭の二体を瞬く間に切り払う。

 だが残り半分は、一体ずつ僕とクレナイに。

「魔導師殿!」
「分かってる!」

 要塞の司令官に『戦える』といい切ってここに来たのだ。

 この程度で怯んでいられるものか。

装甲魔法(アルマトゥーラ)!」

 かなり省略して唱えた呪文が、前腕部に魔力の装甲を作り出し、ポールウェポンの刺突を防ぎ止めて受け流す。

 詠唱が万全ならもっと堅牢な守りになっていたけれど、今は速さの方が重要だ。

 受け流した勢いのまま獣人の懐に潜り込み、片方の掌を獣人の胴体に押し当てる。

雷光(フルグル)!」

 迸る閃光。注ぎ込まれた電流の衝撃で、獣人が大きく後ずさる。

 有効打には程遠いが、怯ませるだけなら充分だ。

「……クレナイは……!」

 騎士(ホタル)は剣で、魔導師(ぼく)は魔法で獣人を退けた。

 そしてただの村娘だったクレナイは――

「いきます!」

 背負った袋から棍棒のような形状の魔導具を取り出して、先端を獣人に振り向ける。

 全長はパン生地を伸ばす延し棒(ローリング・ピン)と同程度。

 先端から三分の二程度は太い筒状で、残る三分の一が棒状の持ち手。

 持ち手の根本にはクロスボウから流用した引き金がひとつ。

 そしてクレナイの細い指が引き金を引いた瞬間、筒の奥で小さな魔力の爆発が発生し、その爆風が筒を通じて獣人の顔面に浴びせかけられた。

「ガアアアアッ!?」

 慌てふためいて逃げ出していく獣人達。

 ホタルに斬られた二体も、深手は負っていなかったらしく、傷口を押さえながら岩山の麓へ駆け下りていった。

 深追いは厳禁だ。僕達の目的は亜人の討伐ではないのだから。

 ホッと胸を撫で下ろした横で、クレナイがへなへなと地面にへたり込む。

 その手には煙を噴く魔導具を抱えたままだ。

「よかったぁ……コハク様! やりましたよ! ちゃんとできました!」

 クレナイは持ち手だけ残った魔導器の残骸を誇らしげに掲げながら、無邪気で屈託のない満面の笑顔を僕に向けてきた。
 僕がマクリア地方に到着したとき、ちょうどクレナイは野生の狼に追われていた。

 またあんなことが起きたときに使える魔導具を――そう思って作ったのが、この使い捨ての威嚇用魔導器だ。

 コンセプトは単純明快。
 爆発、つまり熱と閃光と炸裂音で相手を驚かせるだけだ。

 本体が筒状をしているのは、最低限の爆発でも効果を得られるようにするため。

 試作中は爆発が小さくて効果が薄かったり、魔石を増やしすぎて重くなりすぎたりと大変だったが、とりあえず実用レベルには盛っていくことができた、といった状態だ。

 これだけでも獣を追い払うには充分だし、人間相手でも不意打ちで使えば優位に立てるだろう。

 まだまだ作りが荒いのは百も承知。ここからどんどん改良を重ねていくための叩き台だ。

「お見事です、魔導師殿。近接戦闘も卓越しておられるとは」
「そんな大袈裟な。護身術もアカデミーの必修科目だっただけだよ。これくらいは魔導師なら誰でもできるさ」
「ご謙遜を。ところで、あの亜人がコボルトなのですか?」

 ホタルの口から予想もしない質問が飛び出してきて、思わず面食らう。

 何と返答すればいいか悩んでいると、クレナイが僕と同じ疑問を言葉にしてくれた。

「何言ってるの? どう見てもただの獣人でしょ」
「獣人? 君とは似ても似つかない外見をしていたが」
「私もあいつらも種族は同じよ。要塞の騎士ならこれくらい分かって……」
「不明は率直に詫びよう。私はつい最近、王都から赴任したばかりだ。よって、この地方の亜人の生態を把握しきれていない。魔導師殿、ご教授願えるか」

 とことん生真面目な返答だ。

 あの要塞に勤めている騎士なら、先程の亜人がコボルトでないことは一目瞭然のはず。

 さっきはそこが引っかかっていたのだが、事情を説明されたら納得するしかない。

 要するに僕と同じ。慣れた土地を離れ、新たな土地について勉強している真っ最中というわけだ。

「マクリア地方の獣人については、僕よりも地元の人の方が詳しいと思うよ。クレナイ、説明頼めるかな」
「あー、もう。しょうがないなぁ。他所の獣人がどうなってるかは知らないけど、少なくともこの地方の獣人の外見は、大きく分けて三つのタイプがあるの」

 露骨に渋々といった様子で、クレナイはホタルに向き直り、獣人の区分について指折り説明し始めた。

「一つは、二足歩行の動物に近い見た目。つまりさっきの連中ね。獣人達の間では獣貌(じゅうぼう)って呼ばれてる。二つ目は半獣……獣人の時点で半分獣だろって言わないでね。獣人の視点で見た呼び方なんだから。個体差はあるけど、半獣は耳や尻尾に加えて、両手両足も動物みたいになってるのが一般的じゃないかな」

 人間から見れば、獣人の方が人間プラス動物の亜人だが、獣人から見れば自分達の姿こそが普通の形。

 その特徴を半分しか持っていないのなら、確かに半獣と呼びたくなるのかもしれない。

「最後の三つ目は……薄血(はくけつ)。説明は要らないかもしれないけど、私みたいなタイプのことを、他の獣人はこう呼んでる。由来は想像つくでしょ?」
「血が薄い、か。領内で見かける獣人は三番目だけだな。他の姿は見たこともない」
「でしょうね。獣人社会の中心は、動物頭の獣貌連中だもの。そうじゃない獣人は脇に追いやられるか、最悪の場合は生まれてすぐに殺される。人里に住んでる獣人は、そんな扱いに耐えかねて逃げ出したか、森の外に捨てられた子供のどっちか、ね」

 クレナイは可愛い顔を苦々しく顔を歪めた。

 ちなみに僕が魔導アカデミーで受けた授業によると、いわゆる『血の濃い』獣人から『血の薄い』獣人が生まれることはあっても、その逆はまずありえないらしい。

 獣人社会の主流派が純血主義じみた価値観になるのも、この辺の事情が影響しているんだろう。

「……二人とも、お喋りはそこまで」

 僕が声を潜めてそう言うと、クレナイとホタルは揃って口を噤んで押し黙った。

「洞窟の方から足音がする。多分、コボルトだ」

 身構えるホタル。静かに後ずさるクレナイ。

 足音は一つ。裸足とも靴とも違う硬い音。

 それから十秒と経たないうちに、一体の亜人が洞窟の外に姿を現した。

 端的に表現するなら、人型のトカゲだ。

 顔立ちはトカゲそのものというわけではなく、ドラゴンをデフォルメしたような印象で、何となく犬に似た愛嬌が感じられる。

 頭から後ろに伸びた二本の角も、見方によっては犬の耳のように見えなくもない。

 体格はかなり小柄。一般にイメージされるゴブリンと大差はない。

 革製の大雑把な服に身を包んでいることからも、ある程度の知性を備えた生物であることが伺える。

「コボルトだ。やっぱり洞窟に棲んでたんだな」
「確かに……ゴブリンのようでゴブリンではなく、獣人のようで獣人ではない……小型のリザードマンとでも言うべきか……」

 そのコボルトは周囲を用心深く見渡し、少し離れた場所にいる僕達の存在に気がつくと、奇妙な声を上げて洞窟の中に引き換えしていった。

「あっ、逃げた! コハク様!」
「魔導師殿、追いますか?」
「追いかけよう。警戒は絶やさないように。クレナイ、灯りは頼んだ」
「了解です!」

 クレナイは背負っていた袋から、手持ちのランタン型魔導器を取り出して灯りを点けた。

「魔導師殿、これも魔導器ですか?」
「一応ね。火の代わりに魔石を光らせてるだけで、後はただのランタンだよ」

 こいつは僕が最初に作った魔導器だ。

 構造は極めて単純だけど、個人的な思い入れはかなり強い。

「調査隊の報告によると、悪天候を避けるため洞窟に立ち入ったところ、魔石の鉱脈とコボルトの棲家を発見したとのことです」

 慎重に警戒しながら、少しずつ洞窟の奥へと進んでいく。

「コハク様、あれ……!」

 クレナイがランタンを掲げて小さな声を上げる。

 洞窟の先に小柄な人影が一つ。

 間違いない、あれもコボルトだ。
 入り口で見た個体よりも少しばかり大柄で、人間の子供くらいの背丈がある。

 腰の剣に手をかけるホタル。
 僕はそれを止めて、暗闇の中で目を凝らしてコボルトの様子を観察した。

 武器は持っていない。身につけているのも鎧ではなさそうだ。

 それどころか、目の前のコボルトは両手を肩の高さに上げていた。

 まさか降伏のジェスチャーか? 知性が高いタイプか? 油断させようというつもりなのか?

 予想外の展開に驚く僕達に、もっと驚くべき出来事が襲いかかった。

「オレのコトバ、ワかりますか!」
「しゃ、喋ったぁ!?」

 悲鳴も同然の声を上げるクレナイ。

 コボルトの非人間的な口から発せられた言葉は、紛れもなくアイオニア語だった。

「ま、魔導師殿、これは一体……!」

 ホタルは何とか叫ぶのを堪えたようだったが、表情からは完全に余裕が失われている。

 どうやら、この場で冷静さを保っているのは僕だけらしい。

「ゴブリンもコボルトも、個体によっては言語能力があるそうだよ。実際に見るのは初めてだけど……ゴブリンの場合は、言葉で人間を騙して油断させるんだったかな」
「ダマしません! ハナシをキいてください!」

 そのコボルトは、両手を上げたまま必死に呼びかけてきている。

 何も聞かなかったことにするか、それとも耳を傾けるか。

 洞窟を調べたいと言ったのは僕なのだから、判断するのも僕の役目だ。

 楽をするための下準備が、ここまで大変なんて。楽をするのも楽じゃないな。

「とりあえず、事情を聞かせてくれ。詳しい話はその後にしよう」
 ――ガルヴァイスと名乗るそのコボルト曰く、アルゴス山脈の亜人種は一枚岩の集団ではなく、大小合わせて百前後の部族の寄せ集めなのだという。

 人類側は『敵対する亜人の集団』で一括りにしているが、実際は全ての部族が仲間同士というわけではない。

 この辺りは人間の国々と同じだ。

 協力して異種族と、つまり人間と戦うこともあれば、亜人の間で争うことも珍しくない。

 そして彼らの一族であるガル族は、犬型の獣人を中心とした集団に目をつけられ、執拗な攻撃を受け続けていた。

 僕達が入り口で戦った連中もその構成員だ。

 現状だと勝ち目は全くないが、このまま一方的にやられ続けるわけにはいかない。

 追い詰められたガル族は、ある大胆な作戦を思いつく――

「おネガいします! オレたちとトリヒキをしてください!」
「取引?」
「ニンゲンのブキがホしい! ヨロイがホしい! それさえあればタタカえる!」

 ――この作戦を思いつくきっかけになったのは、洞窟に迷い込んだサブノック要塞の偵察部隊だったという。

 彼らが身につけていた装備さえあれば、獣人達に抵抗することができるに違いない。

 そう考えたガル族は、人間と接触する機会を伺い続け、そして遂に僕達が現れた――ということらしい。

「魔導師殿、いかが致しましょう」

 ガルヴァイスの事情説明が終わったタイミングで、ホタルが僕に耳打ちをしてきた。

「少なくとも、この洞窟のコボルトが獣人と敵対している……それは間違いないはずです。洞窟の入口に武装した獣人がいた件にも説明がつきます。我々の来訪は予測不能だったはずですから、騙すための演技ということもないでしょう」
「どうしますかって聞かれても、僕が決められることじゃないと思うんだけどなぁ。亜人との取引だろ? 権限もないのに返事なんか……」

 ホタルと小声でヒソヒソ話していると、ガルヴァイスは焦った様子で懐から何かを取り出した。

「これ! タイカはこれです! ニンゲンはホしがるってキきました! ホカのイロもたくさんあります!」
「……っ! そいつは……!」

 深い赤みを帯びた半透明の石。間違いない。火属性の魔石だ。

 僕がこの洞窟を訪れた本来の目的。魔導器の動力源とするための魔石の確保。

 まさかこんな形で発見してしまうなんて想像もしなかった。

 ――いや、ただ魔石を発見できただけじゃない。

 魔石を取引の対価にするということは、コボルト達が採掘して人間側に渡すということだろう。

 つまり『鉱脈があるのは亜人の勢力圏の真っ只中なのに、一体どうやって採掘をするつもりなのか』という、これまでずっと先送りにしてきた問題を解決できるのだ。

「……悪いけど、僕の一存じゃ返事はできない。だから一度引き返して、こっちの偉い人に相談してみるよ。それでも構わないかな」

 逸る気持ちを抑えて、どうにか冷静な返答を絞り出す。

 本音を言えばこの場で了承したいくらいだったけど、いくらなんでもそれは拙い。

 後で大問題になること請け合いだ。最悪、首が飛ぶかもしれない。物理的に。

「あ、ありがとうございます! おネガいします! これで『メガス・キーオン』のヤツらとタタカえます!」
「だから気が早いよ。まだ決まったわけじゃないんだから。それにしても、一体どこで人間の言葉を覚えたんだ?」

 これはただの知的好奇心からの質問だ。

 言葉を覚えた経緯を突き止めて云々、なんてことは微塵も考えちゃいない。

「ジュウジンにオソわりました。ニンゲンとトリヒキするなら、やっぱりコトバをオボえないと!」
「獣人から?」

 ホタルが怪訝そうに眉をひそめる。

 そこにすかさず、クレナイが解説を加えた。

「半獣のことでしょ。顔は人間だから獣人社会では爪弾き。手足は毛むくじゃらで爪も牙も鋭いから、私達みたいに人間社会には溶け込めない。そういうタイプの獣人は、生き残るために何でもするの。コボルトに言葉を教えて日銭を稼ぐ奴もいるでしょうね」

 不快感を噛み殺しているような声だった。

 今の流れの一体どこが、クレナイの神経を逆撫でしたのだろうか。

 何となく予想はできるけれど、断定はやめておこう。

 クレナイも軽々しく踏み込まれたくないはずだ。

「と、とにかく。今回は一旦話を持ち帰るということで。それでいいかな? 個人的には大歓迎だから、偉い人を説得できるように、できるだけ頑張ってみるよ」
「は……はい! よろしくおネガいします!」

 繰り返し頭を下げるガルヴァイスに見送られ、僕達はひとまずガル族の洞窟を立ち去ることにした。

 さて、もう寄り道をしている暇はない。

 まずはサブノック要塞のレオン司令に報告。
 その次は、マクリア地方の領主に話を持っていくことになりそうだ。

 きっと領主も驚くに違いない。
 派遣された魔導師がようやく挨拶に来たかと思ったら、コボルトとの取引なんていう、とんでもない案件を持ち込んできたのだから。

 そんなことを考えながら、往路と同じように三人乗りの魔法の杖で低空飛行をしていると、一番後ろのホタルが真ん中のクレナイに話しかけてきた。

「『メガス・キーオン』だったかな。文脈から察するに、ガル族と敵対しているという獣人の組織名なんだろうけど、君とも関わりのある集団なのか?」
「何? どうしてそう思ったの?」
「コボルトが『メガス・キーオン』という名を口にした瞬間、妙に辛そうな顔をしたように見えた。それが理由だ。改めて尋ねるが、お前とメガス・キーオンとやらの間に、一体どんな関係が……」
「……その質問、何か意味ある?」

 クレナイの声は露骨に刺々しかった。

 現状、クレナイは僕の背中にしがみつく形で杖に乗っているので、僕の視点からでは表情を窺うことはできない。

 だけど、不機嫌な顔をしているのは間違いなさそうだ。

「関係があってもなくても、どっちにせよ『ない』って答えるに決まってるじゃない。亜人のスパイみたいに疑われたくないんだから。いくら獣人だからってさ」
「い、いや、そんな風に疑っているわけでは……」

 想定外の反応に焦るホタル。

 クレナイはむすっと押し黙り、ホタルとの会話を打ち切ってしまった。

 ……気まずい。とても気まずい。

 ホタルの質問は確かに不用意だった。
 本人にはそんなつもりはなかったのかもしれないが、あれでは亜人側との内通を疑って追及しているように聞こえてしまう。

 けれど、クレナイの態度もさすがに過剰だ。
 疑われたと感じて不愉快になるのは分かるけど、こんな風に突っぱねてしまったら弁明も何もあったものじゃない。

 僕は杖の飛行速度を精一杯に上げながら、二人の不器用さに嘆息するのだった。

◇ ◇ ◇

 サブノック要塞に到着してすぐ、僕は一連の出来事をレオン司令に報告した。

 幸いなことに、司令は驚きながらも僕の意見に――コボルトのガル族との取引を行うという案に賛同を示してくれた。

 現状、この要塞で雇われている魔法使いは二人だけらしい。

 どちらも戦闘特化の傭兵的な連中で、戦闘以外の魔法の需要には全く応えられていないそうだ。

 もしも魔導器が実用化したなら、すぐにでも要塞の設備に採用したいので、魔石は潤沢に確保しておくべき――それがレオン司令の返答だった。

 司令の賛同は得られた。
 次に必要なのは領主の許可だ。

 とはいえ、さすがに相手が相手だ。事前連絡もせずに押しかけるわけにはいかない。

 レオン司令がその手続きをしてくれている間に、僕は要塞の一室を借りて、領主に見せる資料の準備を進めていた。

 そんなときだった。ホタルが神妙な表情で部屋を訪ねてきたのは。

「あの、魔導師殿……個人的な問題で申し訳ないのですけど、折り入って相談したいことが……」
「来るだろうと思ってたよ。クレナイが怒った理由を知りたいんだろう?」
「……参りました。魔導師殿に隠し事はできませんね」

 困ったように目を伏せるホタル。

「恥を忍んでお願いします。どうすればクレナイとの関係を改善できるのか、助言をいただけないでしょうか」