異端の魔導師は辺境の地で第二の人生を送りたい

 人体がまるで投石のように、高く、遠く、宙を舞う。

 頭から落ちれば首を折って死にかねない――頭では分かっていても、一瞬のことに反応が追いつかない。

 走ったって間に合わない。

 呪文を。魔法を。ああ、駄目だ。

「クレナイ!」

 追突直前のクレナイと地面の間に、細見のシルエットが滑り込む。

 落下の衝撃を受け止めるクッションとなったその人物は、ここにいるはずのない、ホタルだった。

 ありえない。ホタルはサブノック要塞にいるはずだ。

 唐突な展開に驚く僕を他所に、何台もの軍用車輌が次々に現れては急停止し、僕達を守るような陣形を構築する。

「弩弓部隊、射撃用意! 射て!」

 隊長の号令一下、車輌から降りた兵士達が一斉にクロスボウを発射する。

 しかもあのクロスボウは普通じゃない。

 本来、クロスボウは一発発射するごとに、ハンドル式の巻き上げ機で弦を引いてから、次の矢弾を(つが)えなければならない。

 高威力の代償として、弦があまりにも固くなり、素手では矢弾を装填することができないのだ。

 再装填に掛かる時間こそ、クロスボウ最大の弱点。

 だが、これは違う。
 レオン司令のリクエストで開発した魔導式自動巻き上げ機を搭載し、高速の再装填と連射を可能とした改良型なのだ。

 絶え間なく射出される矢弾が、次から次にイリオスの肉体に突き刺さる。

「オノレ……人間風情ガ、薄血(ハクケツ)風情ガ、コノ俺ヲオオオオオッ!」

 イリオスは全身からおびただしい量の血を噴き出しながら、怪物じみた跳躍力で森の中へと逃げ去っていった。

「射ち方、止め! 周辺の警戒に移れ!」

 僕が唖然としている間に戦いは終わっていた。

 何故? どうして? どんどん疑問が浮かんできて、しかも全く答えが見えない。

「コハクさん、これは一体……」

 ルリが疲れた体を引きずって近付いてくる。

 ガルヴァイスも突然現れた兵士達に驚き戸惑い、結局見知った人間の近くが安全だと思ったのか、大慌てで僕の傍に駆け寄ってきた。

「僕が聞きたいくらいだよ。どうして要塞の兵士がこんなところに……」
「あんな爆発があったんです。何かあったと思わない方がおかしいでしょう」

 そう答えたのは、他ならぬホタル自身だった。

「すぐに動ける人員で急行してみれば、この有り様です。何があったのか聞きたいのは私の方ですよ。まさかコハク殿が襲われていたとは、さすがに想像もしていませんでした」

 ああ、なるほど、そういうことか。
 僕が自動車を爆破したことで、要塞にも異常事態が伝わったのだ。

 怪我の功名というか何というか。良くも悪くも、偶然に振り回される戦いだった。

「ディアマンディ様。クレナイに治癒魔法を。あの高さからの落下です、内臓を痛めているかもしれません」
「治療が必要なのは貴女もでしょう!? ほら、動かないで!

 ホタルは砂と土で汚れた服のまま、ぐったりとしたクレナイに肩を貸して、フラフラした足取りで歩いていた。

 人間一人の落下を体で受け止めた側と、受け止められたとはいえあの高さから落ちた側。

 どちらも見た目以上のダメージが入っていてもおかしくない。

「ルリ。悪いけど、ここは任せていいか? 僕はさっきの奴の跡を……」
「お待ちなさい! 治療が必要なのは貴方もです!」
「僕も?」
「貴方も、ですっ! 顔中血塗れですわ! 鏡があったら見せつけて差し上げたいくらいに!」

 あ、本当だ。道理で前が見にくいと思ったら。

 どうやら車を爆発させたときに、破片で額を深く切っていたらしい。

 額は切れやすくて派手に出血しやすいと聞くけれど、こんなにたくさん血が出ているのは、さすがに軽い傷ではなさそうだ。

 三人まとめてルリの治癒魔法を受けながら、僕は隣にへたり込んでいるクレナイに話しかけた。

「大丈夫か、クレナイ」
「えへへ……途中までは、上手くいったと思ったんですけど……すみません、結局こうなっちゃって……」
「お陰で助かったよ。それより、あの獣人は……」
「はい、私の父親みたいです」

 クレナイは困ったように笑った。

 やっぱりそうだったのか。

 ということは、イリオスが口にしていた『フォティア』というのは、ひょっとしたらクレナイが獣人の里にいた頃の名前だったのかもしれない。

 それを本人に問い質すのは、何となく(はばか)られた。

「十歳くらいで森に捨てられるまで、親らしいことなんか全くされませんでしたけどね。でもまぁ、汚点とか言って毛嫌いするくらいですし、親なのは本当だと思いますよ」

 あまりにあっけらかんとした態度に、思わず困惑してしまう。

 本人は気にしていない……ということはないだろう。

 そうでなければ、あんなに怒りを露わにして立ち向かったりはしないはずだ。

「あ、ちなみに。十歳まで育てられたのはですね。それくらいまでなら、後天的に毛皮が生えて半獣になる可能性があるから、とか何とかで。半獣ならギリギリ手元に置いてやってもいい、みたいな価値観らしいですよ。毛が生えたってそんなのお断りですけどね!」

 クレナイは子供みたいにケラケラと笑い、それから大きく息を吸い込んで、吐息と共に静かな声色で言葉を続けた。

「……ありがとうございます、コハク様」
「それは何に対してのお礼なのかな。心当たりがないんだけど」
「色々です。私……ずっと前から、もしもアイツとまた出くわしたら、思いっきりぶっ飛ばしてやろうって思ってたんです。でも、見ての通りすっごく強かったでしょ? だから無理だと諦めてたんですけど……」
「魔導器のお陰で実現できたって?」

 悪いけどそいつは買い被りだ。

「あんな使い方は想定してなかったよ。だから、あれは君自身の頑張りだ。おめでとう、でいいのかな」
「だとしても、お礼を言いたいんです」

 真っ直ぐな笑顔でそう言われてしまい、気恥ずかしさに思わず視線を逸らす。

「コハク様が来てくれたから、私も、村の皆にも……希望が……すぅ……」

 クレナイは軍用車輌の車体に寄りかかったまま、すやすやと寝息を立て始めた。

 慌てるホタルに、クレナイが眠ってしまったのも仕方ないことだと説明する。

「疲れて眠くなったんだよ。魔導アカデミーで教わる治癒魔法は、治される側も体力を使うタイプだからね」

 治癒魔法や回復魔法とひとまとめにされがちだが、そのやり方は流派によって様々だ。

 自然治癒力を活発化させるもの。
 実体化した魔力で傷口を埋め、自然に治るまでの鎮痛に徹するもの。
 中には、人体の組織を擬似的に生成して、その場で元通りにしてしまう離れ業を使える人もいるらしい。

 魔導アカデミーが教えている治癒魔法は、自然治癒力を利用したスタンダードなものである。

 習得が比較的簡単で――治癒魔法にしては、だが――大袈裟な準備をしなくても使える一方で、治療対象も体力を消耗しながら自然治癒力を働かせることになるため、衰弱しきった相手には逆効果になってしまう欠点がある。

 多用しすぎると寿命が短くなるという説もあり、この手の魔法を忌避する人も少なくはないけど、実際のところはよく分からないし、今考えるようなことでもないだろう。

「言われてみれば私も眠く……って、いえ! その前に、コハク殿! お伝えすることがあります!」
「お伝えすること?」
「査察官殿が、コハク殿と直接お話したいと仰っています」

 思考が一瞬フリーズする。

 しまった、すっかり忘れていた。
 魔石鉱山を飛び出して要塞に急いでいたのは、急遽交代したという新しい査察官に対応するためだった。

「……ああー……」
「そうでしたわ……結局、対策は何も練られていませんが……」
「私達が現場に急行できたのも、そのために車の準備をしていたタイミングだったからです。ほら、ちょうとあちらに」

 ホタルが視線を動かして、兵士に指揮を飛ばす隊長の方を見やる。

 前に要塞で見かけたことがある隊長の隣に、全く見覚えのない男が一人。

 堅物と厳格を絵に描いたようなその男は、ホタルの視線に気がつくと、隊長とのやり取りを打ち切ってこちらに歩み寄ってきた。

「お初にお目にかかる。私は王室近衛兵団第一小隊隊長のメギ・グラフカだ。貴君が魔導師コハク・リンクス殿で相違ないな」
 マズいマズいマズい。ヤバいヤバいヤバい。

 焦りが際限なく腹の底から湧いてくる。

 魔法使いにして軍人。魔導と軍事のエキスパート。

 その豊富な知識と経験を悪用すれば、魔導器の研究を邪魔する口実くらい簡単に捻り出してしまうだろう。

 どんな方向性から攻めてくるつもりだ? 一体どうすれば凌ぎ切れる?

 ここにマクリア伯がいれば、領主権限であれこれとやり返すことができたかもしれないが、いくら何でも無理な相談というものだ。

 さっきの獣人(イリオス)みたいに命を狙ってくる敵だったら、手段を選ばずに抵抗すれば凌げたかもしれない。

 けれど、この手の敵に強硬手段は逆効果。

 査察を暴力で拒んだということで、却って立場を危うくしてしまう。

 つまり言葉だけでやり合うしかないわけだが、三流魔導師の僕でどれだけ抗えるものか。

 ルリも口惜しそうに唇を結んでいる。

 友達であるマクリア伯の力になれないことを悔しがっているんだろう。

 今回ばかりは、ルリの助けは期待できない。

 あいつも魔法省側の査察官という立場、つまり表向きにはトベラ大臣の使者という扱いだったから、下手にこちらの肩を持てば逆に付け入る隙を与えかねないのだ。

「……魔導師コハク。まずひとつ聞きたい。何故、魔導器なるものを研究し始めたのだ。魔導師としては異端の研究だと分かっていただろう」

 冷徹な声が問いかけてくる。

 一瞬、どう答えれば安全だろうかと思考して、すぐに止めた。

 考えるだけ無駄に決まっている。
 取り繕えば取り繕うだけ、辻褄合わせが苦しくなるだけだ。

 だから、心からの本音を返す。

「最初は……自分自身のためでした。僕はアカデミーを卒業できたのが奇跡みたいな三流魔導師です。実力も何も足りていない。だから、少しでも足りない分を補うために、道具を改良し続けて……その末に、簡単な魔法であれば道具だけで行使できると気付きました」

 軍用車輌にもたれかかって座り込んだまま、顔を上げて長身のメギ・グラフカの顔をまっすぐ見据え返す。

 決して目は逸らさない。恥じるようなことは何一つないのだから。

「現状、この国は魔導師が……魔法使いが全く足りていない。だけど、この技術を使えば足りない分を補える。そう思って大臣に論文を提出したんですが、結果は御覧の通りです」
「……魔導への侮辱であると糾弾され、辺境に左遷された」
「まぁこの時点では、魔法省にアイディアを採用してもらうつもりであって、自分が研究開発をするなんて思いもしていませんでしたけどね」

 万が一にも採用されていたら、間違いなく大規模なプロジェクトになる。

 僕みたいな三流が主導することはなく、上級魔導師か特級魔導師の誰かが舵を取るだろう……なんてことを考えていたのも、今となっては懐かしい。

「マクリアに着いたときは本当に驚きました。何もかもボロボロで何もかも足りていない。僕一人だけが馬車馬のように働いても到底間に合いそうにないし、そんなことをしたら過労で死んでしまうなって思うくらいに。だから魔導器の試作品を使いました。僕が楽をするために」

 聞こえのいい言葉なんか使わない。

 なんて自分勝手な奴だ、と思われたって知るものか。

 魔法も『楽をしたい』という願望を叶えるために頼られるのだ。

 違いがあるとすれば、頼る相手が魔法使いか意志のない道具なのかというだけで。

「だけど、僕が思っていた以上に、マクリアの人達は喜んでくれました。足りなかったものが満たされた、見捨てられたと思っていたけど救われた……そんな風に思ってもらえることが嬉しくって、もっと皆の為になるものを作りたくなった。理由はこれだけです。納得してもらえましたか?」

 ああ、すっきりした気分だ。

 何もかも包み隠さずにぶちまけてやった。

「査察官殿。僭越ながら、私からも口添えをお許しください」

 僕の隣で治癒魔法を受けていたホタルも声を上げる。

「魔導器のお陰で、マクリア地方の情勢は飛躍的に改善しました。サブノック要塞の戦力は高まり、戦力供出で疲弊していた村落も回復しつつあります。全てはコハク殿の研究の賜物。どうかご一考を」

 ルリも治癒魔法を発動しながら、しきりに頷いている。

 メギ・グラフカは気難しそうに押し黙ったまま、しばらく考え込むような素振りを見せて、それからゆっくりと口を開いた。

「……先程、サブノック要塞を視察させてもらった。加えて、偶然の産物ではあったが、魔導器を用いた作戦行動も観察することができた。貴君への聞き取りも含め、判断を下すには充分な知見を得たと言えるだろう」

 つまり、この男の中では、とっくに結論が出ているということだ。

「結論から言おう。私は魔導器の研究開発を『有用である』と判断する」

 その一言に、迷いはなかった。

「魔法を用いることなく火を起こし、熱を生み、冷気を作り出し、明かりを灯す。畑を拓き、人を運び、物を送る。どれも人々が必要としているもの、心から望まれているものばかりだ。それを切り捨てるなど、できるわけがあるまい」

 予想もしなかった宣告に頭が追いつかない。

 都合の良い幻でも見ているんじゃないだろうか。

「軍事省と近衛兵団も、魔法省の方針には頭を悩ませている。魔法の使い手の不足に悩まされているのは、何も民衆だけではないのだ。魔導師の派遣の可否を交渉材料にされることも、決して珍しいことではないのでな」
「……いいんですか? トベラ大臣に歯向かうことになるんじゃ……」
「私は軍事省の人間であり、陛下をお守りする近衛兵だ。協力はしても服従はしない。我々自身の利益を損なうようなら、協力の対象外だ。軍事省(こちら)の大臣と兵団長もそう仰っている」

 メギ・グラフカの発言は一言一言が力強く、強固な意志が込められているようだった。

「魔導器は近衛兵団のためにもなる技術だ。これを握り潰すということは、近衛兵団の利益を損なうということ。ひいては国王陛下に背く行いに他ならない。我々は精強であらねばならんのだ! 陛下の御為にも! ……という理由で、御納得頂けたかな?」

 ここに来て初めて、メギ・グラフカの口元に微笑が浮かぶ。

 厳格さがほんの少しだけ緩み、その隙間からメギ・グラフカという人物の人間味が覗いたような気がした。

「正直なところ、トベラ大臣のやり口は前々から気に入らなかったのだ。判断に私情を挟んだつもりはないが、個人的には溜飲が下がった思いだよ」

 メギ・グラフカは軽く手を振って踵を返し、一番遠くに停められた軍用車の方へ歩き去っていった。

 まだ頭がついてこない。何が起きたのか飲み込みきれていない。

 研究を認められた……そう受け止めてもいいのか?

 ようやく喜びの実感が湧き上がってきたかと思ったところで、左右からルリとホタルが肩を掴んで思いっきり揺すってきた。

「やりましたわ! これで貴方……もユキカも安泰ですわね!」
「コハク殿! おめでとうございます! 一時はどうなることかと……!」
「ちょ、なんで君らの方が喜んでるんだよ」

 呆れながらも、唇が緩んでしまうのが止められない。

 緊張の糸がぷっつりと切れてしまって、しばらくは立ち上がることすらできそうになかった。

◇ ◇ ◇

 ――深夜。王都、魔法省庁舎、大応接室。

 コハク・リンクスとメギ・グラフカの邂逅から数日後、魔法省大臣のトベラ特級魔導師は、豪奢な内装の応接室で別の老人と対面していた。

「失礼。もう一度、お聞きしてもよろしいかな?」

 トベラ大臣の発言は、露骨に苛立ちを噛み殺したような響きを帯びていた。

「軍事省は魔導器の研究開発を全面的に支持する、と申し上げた。大臣としての権限で、この私が下した決定だ」

 面談の相手――軍事省の大臣は平然とそう答えた。

 怯む様子もなければ臆する気配もない。

 自然体のままの堂々とした応対であった。

「……ご協力頂けると伺っていましたが?」
「お恥ずかしながら、魔導器の有用性を見誤っておりましてな。いやはや、なにせ魔法には疎いもので。部下からの報告がなければ、せっかくの新技術を危うく見逃してしまうところでした」

 トベラ大臣から無言で睨みつけられながらも、軍事省の大臣は平然とした態度のまま席を立った。

「では、これにて失礼。マクリア地方伯に送る書状の準備がありますので」

 軍事省の大臣が立ち去り、応接室に沈黙が訪れる。

 トベラ大臣は怒りに身を震わせ、魔力の籠もった拳を応接室のテーブルに叩きつけた。

 真っ二つに砕け割れる応接テーブル。

 それでもなおトベラ大臣の怒りは収まらず、無言のまま歯を食いしばり、握り締めた拳を膝の上で震わせ続けていた。
 メギ・グラフカの査察からしばらく経ったある日のこと。

 僕はクレナイが運転する自動車に揺られて、久し振りにペトラ村を訪ねることになった。

 車を降りて早々、変わり果てた村の風景に言葉を失ってしまう。

「凄いな! もうこんなに復興できたのか」
「皆で頑張りましたから! もちろん、コハク様の魔導器のお陰です!」

 ペトラ村はまるで別物のような復興を遂げていた。

 周囲の道路は綺麗に均され、畑は見事に蘇り、廃屋同然だった家々も着々と再建が続いている。

 この様子なら、運河の船着き場と水車小屋も立派に直されているに違いない。

 廃村としか思えなかったこの村が、たった数ヶ月でこんなに立派な姿を取り戻すなんて。

 感慨深さに浸っていると、奥の建物から村長が大慌てで駆け寄ってきた。

 トラブルが起こって慌てている……わけではさそうだ。

 むしろ喜色満面。これ以上ないくらいに喜びを露わにしている。

「これはこれはっ! お久しぶりです、魔導師様! ご活躍の程はクレナイから常々伺っております!」
「復興の順調なようで何よりです。まさかここまで好調だとは思いませんでした」
「魔導師様のお力添があってこその成果です。あの便利な乗り物を贈ってくださったお陰で、あらゆる作業が順調に進みました」

 村長が言っている『便利な乗り物』というのは、サブノック要塞製の輸送用自動車だ。

 荷台を広く取った縦長の車体。長距離を走れる大容量の魔石ストレージ。

 きっと建物の再建に使った資材も、あの車で他所から運んできたものだろう。

「ところで、クレナイはよく働いておりますか。以前からお手伝いをさせていただいておりましたが、このたび正式に助手としてお迎えいただけるとのこと。村民一同、ご迷惑をお掛けしないか不安で不安で……」
「ちょ……ちょっと! 大丈夫だって言ってるでしょ!」
「ええ、クレナイには何度も助けられていますよ。彼女がいなかったら、僕も今頃どうなっていたことか。だからこそ助手になってくれと頼んだんです。お陰で新しい護身用魔導器も開発できましたしね」

 僕が正直にそう伝える横で、クレナイは自慢気に胸を張っていた。

 さっきから年相応の反応ばかりで、なんだか微笑ましくなってきてしまう。

 こんなことを本人に言ったら、きっと『子供扱いしないでください』と唇を尖らせてしまうのだろう。

◇ ◇ ◇

 コハクがペトラ村を訪ねているちょうどその頃、領都リーリオンのアラヴァストス家邸宅で、領主のユキカは待ち望んだ客を迎え入れていた。

「お帰りなさい、ルリ。思っていたよりも早かったですね」
「そこはいらっしゃいませ、でしょう。わたくしを何だと思っているんですの?」

 来客こと、ルリは呆れた様子でユキカの反対側のソファーに腰を下ろした。

 獣人襲撃事件の後、ルリは査察官の仕事を完遂したということで、ひとまず王都に帰還していた。

 王都で何かしら動きがあったら報告する――そうユキカに伝えた上での帰還だったが、これほど早く戻ってくることになるとは、ルリもユキカも想像すらしていなかった。

「とりあえず、現状を報告いたしますわ。ひとまず魔法省は、矛を収めて経過観察に徹する構えのようです。もちろん魔導器を容認したわけではありません。上級貴族に介入できる大義名分を得られず、あまつさえ軍事省まで寝返ったわけですから、戦略を練り直す必要に迫られたのでしょうね」

 ルリは一連の報告を一気に済ませてから、あらかじめ用意されていた紅茶で喉を潤した。

「それで、ルリの扱いはどうなったんですか? 需要なのはそこですよ」
「……わたくしは監督官として、マクリア地方に駐在することになりました」
「やった!」

 ソファーの上でぴょんと跳ねるユキカ。

「でも、意外ですね。ルリが私達と懇意なのは分かりきっているでしょうに。どうして監督官を任せてくださったのでしょう」
「トベラ大臣お得意の策略ですわ。監視役はわたくしだけではありません。様々な角度から情報を収集し、万が一わたくしが貴女達の肩を持つようなら、わたくしごと糾弾して失脚させるつもりでしょう」
「なるほど。だったら心配する必要はありませんね。ルリは本当に真面目な人ですもの」
「またそんなことを言って。計算ずくでわたくしを送り出したのでしょう? この結果も狙い通りなのでは?」
「ふふっ。さて、どうかしら」

 ユキカは無邪気に微笑んで、ルリからの追求を軽やかにかわした。

 この可憐な少女の判断のうち、一体どこまでが計算のうちで、一体どこからがアドリブ的な対応だったのか、ルリはずっと測りかねている。

 少なくとも、コハクが派遣されたことは偶然の幸運だったようだが、以降の展開を全て読み切っていたとしても、あるいは全て運任せの勝負師だったとしても、ごく自然に納得できてしまう――そんな気がしてならなかった。

 だが、一つだけ確かなことがある。

「それはそうと! 本当に良かったですね、ルリ! コハク様とまた一緒に過ごせますよ!」
「ぶはっ!?」

 思わず紅茶を吹き出しそうになる。

「ななな……! 何をおっしゃっているんです! どうしてここでコハクさんが出てくるんですの!」
「だってルリったら、いつもコハク様を気にかけているでしょう? 端から見ているだけで丸分かりですよ」
「同期だからです! 厳しいアカデミー生活を乗り越えた者同士だけの関係というものがですね! ちょっと、聞いていますの!? 目を輝かせるのはお止めなさい!」

 ユキカ・アラヴァストスという少女は、他人の浮いた話が大好きだ。

 そこだけは、貴族という家柄も領主の地位も関係なく、ただの年相応の少女として。

◇ ◇ ◇

 ペトラ村を後にした僕は、続いてサブノック要塞の方へと車を走らせた。

 普段は要塞の兵士と、補給品を運んでくる領民くらいしか寄り付かないはずの、辺境中の辺境に位置する無骨な軍事要塞。

 ところが、どういうわけかその正門の前に、普段見ないような雰囲気の人々が長蛇の列を成していた。

 商人、職人、錬金術師。当然ながら魔法使いらしき人もいる。

 何なんだろうと首を傾げながら、正門以外の出入り口を通って要塞に入る。

 車を降りると、すぐにホタルが出迎えに来てくれた。

「おはようございます、コハク殿」
「正門前に凄い行列ができてたけど、何かあった?」
「何かも何も! あれはコハク殿にお会いしたいと集まっている人々です!」
「……はい?」

 突拍子もないことを言われた気がして、気の抜けた返事をしてしまう。

「魔導器の噂は既に他の地域にも広まっています。その上、魔法省と軍事省の共同査察までクリアしたとあって、是非とも協力したいという雇用希望者が殺到しているんです。お陰様で朝から大わらわですよ」
「な、なんだか大変なことになってるな」
「コハク様も当事者ですよー?」

 クレナイの冷静な突っ込みが突き刺さる。

 僕だって、いつかは人を雇わなければと考えていた。

 単純に僕一人でやれる作業量には限りがあるし、技術的にできないことは自動車のエンジン開発のときみたいに専門家を頼るべきだ。

 けれど、まさかいきなり、こんなにたくさん押しかけてくるとは思わないじゃないか。

「早く要塞の中に。コハク殿が見つかったら大騒ぎになってしまいます」
「そこまで大袈裟な話?」
「そこまで大袈裟な話ですとも。今やコハク殿は王国中の注目の的なのですから」

 そこまで大袈裟な話なのか? と、心の中で繰り返しながら、クレナイとホタルに背中を押されて裏口から要塞の中に入る。

 裏口に繋がる狭い廊下を歩きながら、軽く溜息を吐く。

 これも嬉しい悲鳴という奴なんだろう。

 人材不足に悩まされることがなくなりそうなのは喜ばしいことだし、評価されるのは純粋に嬉しい。

 だけど、これからしばらくは忙しい日々が続きそうな――

「――え?」

 いつの間にか、目の前にフードを被ったローブ姿の人影が佇んでいた。

 背筋がぞわっと粟立つ。

 視線を真正面から逸らしていたのは、ほんの一瞬のことだ。

 しかもこの廊下に人間が隠れられる場所はない。

 だったらどうして。一体どこから。

 周囲に兵士の姿は見当たらない。
 普段から人通りが少ない場所なうえ、正門の騒動への対応に人手が割かれているせいだ。

 つまり、これから何が起きたとしても、助けを求めることはできない。

「久しいな。リンクス下級魔導師」
「……っ! その声は!」

 恐怖が驚愕に塗り潰される。

 目の前の人物はもはや正体不明の存在ではない。

 嫌になるくらいに良く知っていて、それと同時に、今ここにいることが到底信じられない人物。

「トベラ大臣! どうしてここに――」

 最後まで叫び終えることはできなかった。

 完全な無詠唱で発動した転移魔法に飲み込まれ、僕の存在そのものが廊下から消え失せてしまったからだ。
 一瞬のホワイトアウトの後、僕は屋外のどこか開けた場所に立っていた。

 足元には土と草。少しばかり離れたところに、鬱蒼とした木々の壁。

 どうやら森林の中の、開けた広い草地に放り出されたようだ。

「ここは……アルゴス大森林の……?」

 要塞付近の森といえばそこしかない。

 でも、一体何のために?

 困惑する僕の前で、トベラ大臣がローブのフードを外して素顔を露わにする。

「貴様と二人で話したいことがある。誰の邪魔も入らないところでな」

 トベラ大臣がそう言うと、草地全体を覆う規模の巨大な魔力防壁のドームが、瞬き一つの間に生成された。

 間違いない。この人物は誰かの変装なんかじゃなく、明らかにトベラ大臣本人だ。

 高等技術の転移魔法に、こんなにも大規模な魔力防壁。

 どちらも無詠唱で、魔法陣はおろか杖や身振り手振りすら使うことなく、息をするくらい簡単に発動させられるなんて、魔導師の中でもほんの一握り。

 その中の一人が、特級魔導師トベラ。
 魔法の腕前まで成り済ませる奴なんて、この国に十人もいやしない。

「話……ですか?」
「結果論だが、私の過ちは()()だ。貴様の思想が異端である理由、許されざる理由の説明を怠った。それが貴様の暴走を招き、事態を悪化させた。つまりは指導の不手際だ。私も衰えたものだな」

 勝手なことを並べ立てられ、思わず眉をひそめる。

 暴走? 事態の悪化? 一体何が言いたいんだ。

 念の為に持ち歩いていた護身用魔導器をいつでも取り出せるよう、さり気なく右手を上着の懐に近付ける。

「世の中には魔法使いが足りていない。魔導師を増やすべきだ。以前、貴様はそう言ったな」
「ええ、言いました。今も意見は変わっていません」
「それはもう失敗した。百年も前にな」

 ……今、この人は何と言った?

「百年前に大規模な内乱が起きたことは知っているだろう。サブノック要塞もその時期に建てられた砦だ」
「それくらいは歴史として知っています。要塞の成り立ちも、ペトラ村の村長から教わりました」
「よろしい。では、この内乱の原因は何だ?」
「当時の国王の無謀な改革で国が荒れたからでしょう。こんなところで歴史の授業ですか。一体何が言いたいんです」

 無意味な雑談なんかじゃないはずだ。きっと何か意味があるに違いない。

 しかしどれだけ頭を働かせても、トベラ大臣の意図は予想することもできなかった。

「暗愚なる王が犯した、数え切れないほどの過ち。その一つが『魔導師を増やす』というものだった。貴様が主張していたようにな」
「なっ……!」
「最初はよかった。数少ない善政の一つだと思われていたほどだ。しかし間もなく、致命的な欠陥が浮き彫りになった! 地獄の釜の蓋が開いたのだ!」

 トベラ大臣の声が段々と感情的になっていく。

「魔導師が、魔法使いが増えすぎたのだよ! 魔法を求める声よりも、魔法の使い手の方が多くなった! 人々が魔法使いに助けを乞うのではなく、魔法使いが人々に仕事を乞う有り様になったのだ! そこに敬意はなかった! 尊厳はなかった! 尊敬されるべき技を修めた同胞達が、飢餓と貧困の中で死んでいった!」

 怒りだ。言葉の端々に、燃え滾るような怒りが込められている。

「……そんな、見てきたような……」
「見てきたとも。最前線で、この目を潰したくなるほど、まざまざとな」
「は……?」
「アカデミーの同期だった男が、不平魔導師を糾合して内乱に合流した。奴を討ち取ったのは、この私だ。大臣の地位も、そのときの功績で与えられたものだ」
「百年前の……内乱でしょう?」
「老いた魔導師が見た目通りの齢だとは思わんことだ」

 常識的に考えれば、信じられない。

 だけど大臣の目に浮かんだ悲しみの色は、とても嘘だとは思えなかった。

「故に、私は決意した。同じ轍は決して踏ませないと。同じ悲劇は起こさせないと。魔法は特別であるべきなのだ。魔法使いには相応の敬意が払われるべきなのだ。誇り高かった同期の(ともがら)が、地に額を擦り付けて一切れのパンを乞うなど、二度とあってはならんのだ」

 もしもルリがそうなってしまったら――頭に浮かんだ想像を振り払う。

「コハクよ。貴様もこの土地では尊敬を集めただろう? 魔導師だというだけで敬意を払われただろう? それは魔法が特別だからだ。今の貴様があるのも、私が魔法使いを増やさぬように心を砕いてきたからだ。貴様はそれを踏みにじるのか?」
「……魔法が貴重だから有難がられた。最初は間違いなくそうでした。それは否定しません」

 最終的には魔導器を作ったことで評価されるようになったとはいえ、最初に諸手を上げて歓迎されたのは、間違いなくトベラ大臣が言った通りの理由だ。

 その時期があったからこそ、後に魔導器で評価される土台が生まれたのだと言われたら、否定することはできない。

「だけど、それでも僕は、同じことを言い続けます」
「……ほう?」
「マクリアの人達は苦しんでいました。他の地域にも同じ境遇の人が大勢いるはずです。魔法があれば助かった命がたくさんあるはずです」

 目を逸らすことなく、百年以上を生きた魔導師と正面から対峙する。

 ここから一歩も退くつもりはない。

 魔導器を喜ぶ人の声を聞いてきたから。
 喜びの裏にある、これまでの苦しみを垣間見てきたから。

「貴方はやりすぎた。魔法使いが増えすぎた悲劇を恐れる余り、魔法使いを減らしすぎたんだ。それを正すことが間違いだっていうのなら、僕はこれからも間違え続けます。永遠に異端の魔導師であり続けます」
「……若造が。よく言ったものだ」

 そのときだった。

 地面を揺るがす振動が駆け巡り、魔力防壁のドームに衝撃が走った。

「な、なんだ!?」

 トベラ大臣から視線を切って周囲を見渡す。

 ほんの少し前までは、魔力障壁の外には鬱蒼とした森林だけが見えていた。

 しかし、今は違う。

 ひしめき合う亜人の群れ。
 禍々しいオーガ。醜いオーク。巨大なトロール。数え切れないほどのゴブリン。
 様々な動物の姿をした獣人もいる。鳥人間もいる。魚人もいる。リザードマンも。

 それら全てが、魔力障壁のドームをあらゆる方向から取り囲み、突き破らんと容赦のない攻撃を繰り返している。

「ふむ、どうやら要塞への攻撃を準備していたらしいな。我々はちょうどそこに乗り込んだ形になったのか。運が良かったのか悪かったのか」
「言ってる場合ですか! どうするんです、これ! 早く転移魔法で……!」

 次の瞬間、凄まじい雷撃が透明なドームの周辺に迸った。

 時間にすれば一瞬の出来事。

 たったそれだけの間に、ドームを取り囲んでいた無数の亜人が、残らず黒焦げの死体と化してしまった。

「これでよし。邪魔者は片付いた」

 ……驚きの余り、声すら出ない。
 規格外にも程がある。人間を辞めているんじゃないだろうか。

 トベラ大臣はそれきり周囲の亜人への興味を失い、何事もなかったかのように僕へと向き直った。

 だから、僕もトベラ大臣も気が付かなかった。

 雷撃を逃れた一体の獣人が、焼け焦げた仲間の死体の山を駆け上り、ドームの頂点まで上り詰めていたことに。

「えっ……?」
「……む」

 魔力防壁の頂点部が切り裂かれ、一体の獣人が僕達めがけて急降下する。

 大臣はまるで蝿を追い払うかのように雷撃を放ち、その獣人を一瞥もすることなく迎撃した。

 普通なら、これで終わっていたんだろう。

 だが獣人の()()()()は雷撃を霞のようにかき消し、直下にいたトベラ大臣を肩口から腰に掛けて両断した。

「――――」

 声もなく倒れ伏すトベラ大臣。

 その背後に立つ、満身創痍の赤毛皮の獣人。

「イリオス!」
「■■■■■■■■――――ッ!」

 理性の欠片もないケダモノじみた咆哮が響き渡る。

 僕が後ずさるよりも遥かに速く、正気を失ったイリオスは大剣を振り上げ、ほんの僅かの間合いを詰め切った。

 ああ、ほんの少しだけ。一秒にも満たない瞬間だけ。僕の方が速かった。

 懐に隠していた護身用魔導器を抜き放つ。

 細い金属の筒にクロスボウのグリップとトリガーを取り付けた、簡素極まりない魔導器。

 原型はクレナイがやってみせた咄嗟の応用。

 筒の奥で生じた爆発が一点に収束し、筒の先端から一粒の金属球を高速で解き放つ。

 炸裂音。
 イリオスの眉間に指先ほどの穴が穿たれ、反対側の後頭部から潰れた金属球が突き抜ける。

 たった一瞬の攻防でイリオスの命は刈り取られ、振り上げられた大剣が振り下ろされることは永久になくなった。
 物言わぬ死体が、突進の勢いを保ったまま僕に激突し、容赦なく下敷きにする。

「ぐあっ! ……っつ! どうにか……なったか……?」

 必死に体を捩って、大柄な獣人の死体の下から脱出する。

「……クレナイのお陰で思いついた魔導器だ。こいつで死ねるなら、あんたも本望だろ」

 肩で息をしながらイリオスを見下ろす。

 死体に鞭打つ趣味はないけれど、これくらいの皮肉は言ってやっても許されるだろう。

 爆発で相手を脅すのではなく、何かを筒の中で加速させて標的に叩き込む。

 クレナイが適当な破片で成功させたやり方を、筒に合わせて精巧に作った金属球で試みた――まだ名前すらない護身用魔導器。

 装填数はたったの一発限り。再装填には解体が必須。

 失敗すれば命がない状況で急所を穿つことができたのは、幸運だったと言うより他にない。

「トベラ大臣……貴方のことは嫌いでした。だけど、こんな形で死んでいい人じゃなかったはずだ……」

 きつく目を瞑り、理不尽な死を迎えた男を悼む。

 あの人はやりすぎた。魔導師の不幸を減らしたい余り、他の人達の不幸を膨らませてしまった。

 けれど、まだやり直せたはずだ。今からでも遅くはなかったはずだ。

 そんな可能性が根こそぎ奪われてしまったことが、今は無性に物悲しかった。

「ひょっとしたら、大臣に魔導器を認めさせてやりたかった……のかもしれない、な」
「光栄だな」

 ――聞こえちゃいけない声が聞こえた気がした。

 目を瞑ったまま顔を引きつらせる。
 幻聴か? 幻聴だな? どうか幻聴であってくれ。

「しかしそこは、認めてもらいたかった、ではないのかね? 貴様の七倍は生きた魔導師への態度ではあるまい」

 恐る恐る薄目を開け、油が切れた金属歯車細工のようなぎこちない動きで、声がした方に首を動かす。

 トベラ大臣が立っている。

 右の肩口から腰にかけて断ち切られたはずの傷口が、実体化した魔力の塊らしき何かで糊付けしたように接合され、再び人間の形を取り戻している。

「うわあああああっ!?」
「どうした、幽霊でも見たような顔をして」
「幽霊よりヤバいモノがいるんですが!? 目の前に!」
「目上の者に対する言葉遣いがなっておらんな。この程度で死ぬようなら、百年前の内乱で息絶えておるわ。せめて脳天から垂直に断ち切るべきだったな」

 いやいやいやいや、それはもう治癒魔法の域から完全にぶっ飛んでいるだろう。

 魔法を極めたらこんなことになるなら、いくら魔導器が発達しても魔法はなくならないんじゃないだろうか。

「それに、今となっては死んでも死にきれん。私の手でやらねばならんことが山積みになったばかりだ。コハク・リンクス、貴様のせいでな」
「僕の……?」
「……魔導器を野放しにすることはできん。開発と運用を統制するための法整備が必要だ。魔導師の数を適正にするための方策も練らねば。まったく、アカデミーの制度変更にどれだけ苦労するか、少しでも考えたことがあるのか?」
「えっ、それって……」

 トベラ大臣が心底忌々しげに吐き捨てた内容は、誰がどう聞いたって、魔導器が世間で使われることと、魔導師を増やすことを前提にしていた。

 言葉にならない感情が湧き上がってくる。

「ええい、気色の悪い顔をするな! 貴様がどうあっても諦めないことは理解した! それに、だ! たとえ貴様を殺したところで、マクリア伯と軍事省は魔導器を諦めんだろう! ならば法を整え、魔導師への悪影響を抑えるより他にあるまい! 貴様にも手伝ってもらうぞ! 覚悟するがいい!」

◇ ◇ ◇

 ――その後、トベラ大臣は宣言通り、魔導器が適切に使われるための法整備に奔走した。

 安全性を名目に、基本的な魔法の再現に限定するべきだとか。
 研究開発と製造に王室の……というか魔法省の認可を必要とするべきだとか。
 魔導師一族の相伝の魔法は法律で保護するべきだとか。

 まぁとにかく、魔導師を守りつつ一般市民も幸せにするための議論を、王国議会で精力的に重ねているらしい。

 ほとんどはまだ審議されている段階で、これからどうなるのかは誰にも分からない。

 僕もトベラ大臣が出している法案に対しては、賛成半分反対半分といった感想で、応援したい気持ちもだいたい半々だ。

 一方で、そんなトベラ大臣と喧々諤々の議論を重ねている相手が、他ならぬ軍事省だった。

 軍事省は魔導器をどんどん採用していきたい方針らしく、規制しようという意見にはだいたい全部反論しているとか何とか。

 こちらも僕にとっては有難半分、迷惑半分といったところだ。

 魔導器を積極的に推してくれるのは助かるけど、何分あちらは魔法の素人。

 実現不可能なプランを持ち込んできては「こんな魔導器を作ってはくれないか」なんて粘ってくるものだから、断るだけでも一苦労だ。

 最近はメギ・グラフカ隊長が間に入って、どう考えても無理なリクエストは弾いてくれるようになったから、最初と比べれば割と楽にはなっている。

 ……とまぁ、ここまでは王国の『中央』の話。

 僕が現在も拠点を置くマクリア地方伯領は、相変わらずの独立独歩が続いている。

 やる気満々なマクリア伯と、真面目な監督官のルリの下、各地から集まった人材が日進月歩で研究開発の真っ只中だ。

 自分の知識と経験を魔導器に落とし込む魔法使い。
 新素材の合成に余念がない錬金術師。
 各種部品の性能向上に明け暮れる機械技師。

 この調子なら、領都のリーリオンが『魔導の都』なんて異名で呼ばれるのも、そう遠い未来の話じゃなさそうだ。

 そうやって作られた試作品は、テストのためにサブノック要塞に持ち込まれることが多い。

 だけど次から次に持ってこられるものだから、最近は順番待ちが増えてきて困っている、とホタルが愚痴をこぼしていた。

 研究熱心なのも考えものだ。

 今度、マクリア伯にテスト専門の部署でも作れないか、相談でもしてみよう。

 サブノック要塞といえば、コボルト達の魔石鉱山。

 魔導器の研究が盛んになるということは、魔石の需要も右肩上がり。

 ガル族以外にも鞍替えする亜人が増えてきて、最近はちょっとした博覧会みたいに色とりどりで賑やかだ。

 仮想的だった百眼同盟は近頃ちょっと大人しい。

 大攻勢の準備がトベラ大臣に吹き飛ばされたのもあるだろうけど、何やら内輪揉めで忙しくなっていて、人間にちょっかいを出している暇があまりなくなってきたのだとか。

 ……さて、皆の近況はこんなところだ。

 肝心の僕が今どうしているのか。これまで何をしてきたのか。

 全部を説明するのはちょっと難しい。というか内容が多すぎる。

 ばっさりと一言でいうなら、いつも通りにやっている。

 思いついたアイディアを形にしてみたり、誰かの悩み事を解決できる魔導器を考えてみたり、その過程で大事件に巻き込まれては命からがら切り抜けたり。

 近頃はマクリアやその周辺地域に留まらず、あまり縁のない遠くの地方まで足を伸ばしたりしてみている。

 お陰で三流魔導師と赤毛の獣人少女の二人組は、色んな土地でちょっとした語り草だ。

 そうやって好き勝手していたら、遂にとんでもない厄介事に――

「なーにがとんでもない厄介事ですか。当然の評価ですよ。むしろ遅いくらいです」

 少し背が伸びたクレナイが、元気に笑いながら肩越しに僕の手元を覗き込む。

 手元にあるのは、最近気まぐれで書き始めた手記のノートと、やたらと豪華な装飾が施された一枚の手紙。

「その申し出、受けるんですか? 受けるんですよね? 受けましょうよ!」
「でもなぁ。あんまりガラじゃないっていうか」
「何言ってるんです。そんなことありませんよ。いいじゃないですか!」

 クレナイは僕の手元からその手紙を取り上げると、テーブルに腰掛けて高らかに読み上げた。

「差出人、アイオニア王国叙勲審議会! コハク・リンクス殿の大いなる功績を讃え、名誉騎士の爵位と魔導卿の称号を与える!」
「未だに下級魔導師なのに魔導卿ってどうなのさ」
「魔導器の魔導に決まってるじゃないですか。こんなのコハク様しか名乗れませんよ? すっごく似合ってると思うんだけどなぁ」
「いいからいいから。それより、今日は雲一つない快晴なんだ。アイツを動かすにはもってこいだろ」
「それもそうですね! 準備してきます!」

 ノートを閉じて作業小屋の外に出る。

 小屋の前には、僕とコハクが取り組んでいる最新魔導器の試作品。

 かつては無理だと諦めたけれど、今ならきっと実現できる。

 空を飛ぶための魔導器。今は世界でただ一つ、飛行機のプロトタイプ。

「さぁ、飛行試験だ! 今度こそ成功させるぞ!」
「おーっ!」

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