異端の魔導師は辺境の地で第二の人生を送りたい

 なにはともあれ、要塞の通行許可は得ることができた。

 目的地のアルゴス山脈との間に広がる大森林も、飛行魔法でひとっ飛び……のつもりだったのだけれど。

「狭いな。もう少し前に詰められないのか?」

 魔法の杖の最後尾にまたがった少女騎士ホタルが、真ん中に横座りで乗ったクレナイに注文をつける。

 ちなみに騎士というのはあくまで肩書で、今は騎士らしい鎧を身につけていない。

 そんなもの着用されていたら、きっと飛び立つことすらできなかっただろう。

「無茶言わないでよ。この杖、どう見ても三人乗りできる長さじゃないでしょ」

 クレナイが僕の背中に密着しながら反論する。

「民間人は要塞で待っていろと言っただろう。探索は私と魔導師殿だけで充分だ」
「私にだって、試作品のテストっていう大事な仕事があるんですぅー」
「背負っている袋の中身はそれか……道理で固いわけだ。試験なら私にも可能だろう」
「ちょっとだけ戦闘魔法の心得があるって言ってたじゃない。じゃあダメよ。魔法が全然使えない人でも使えるのか、実際に確かめるためのテストなんだから」

 現状、僕達は一本の杖で三人まとめて飛行するという、かなり強引な力技に打って出ていた。

 先頭は僕で後ろにクレナイ、そのまた後ろにホタル。

 飛ぶこと自体はどうにかできているが、高度は森の木々の背丈よりも少し高い程度、速度も生身で走ったくらいにまで落ちている。

 足を伸ばせば木の枝に触れそうな低速低空飛行だ。

 こうなった理由は二人が話している通り。

 最終的にホタルも連れて行くと決めたのは僕なので、狭さに文句を言うつもりは全くないが、それでもやっぱり三人乗りの飛行は大変だ。

「ところで、魔導師殿。領主様に赴任の挨拶はなさいましたか?」

 ホタルがクレナイの肩越しに、何気ない素振りで質問を投げかけてきた。

 それを聞いた瞬間、頭の中を色んな情報が一気に駆け巡る。

 領主? 赴任? 挨拶?

 ……数秒の間。それから質問の意図を理解して、思わず「げっ」と声を零しそうになってしまう。

 しまった。完全に忘れていた。

 僕はあくまでマクリア地方に派遣されたのであって、ペトラ村に派遣されたわけではない。

 村長に話を通しただけで満足している場合ではなかったのだ。

「ええと……その、アレだ。上層部の嫌がらせだと思うんだけど、前任者の失踪について何も聞かされてなくってさ。引き継ぎも何もできなかったから、まずは自力で現状把握と問題解決の準備をしたんだけどね……それにちょっと手間取ってたんだ」

 早口気味にこちらの言い分を並べ立てる。

 嘘は吐いていない。
 ここ数日、僕が忙しなく右往左往している原因は、色んな意味で前任者の失踪だ。

 前任者を恨むつもりはないけれど、予定通りに進められていない理由は何だと聞かれたら、こうとしか答えようがない。

「理由は尋ねていません。現時点では未報告なのですね」
「……ハイ、マダシテナイデス、スミマセン」
「何故謝罪を? 私はただ、現状を把握しておきたいだけだったのですが……未報告なのでしたら、ひとまず私の方から到着を報告しておこうかと……」

 心底不思議そうに小首を傾げるホタルを、クレナイが呆れと納得混じりに評価する。

「あー、生真面目が行き過ぎて敬遠されるタイプかぁ。いるよね、こういう人。部下の兵隊さんからも圧が強くて怖いって言われてるでしょ」
「な、何故それを。どの部隊の兵から聞いたんだ。後で厳重注意せねば」
「聞かなくっても分かるってば」

 クレナイの言う通り、ホタルは良くも悪くも真面目で愚直な性格のようだ。

 そのせいかは知らないが、相手に与える印象を考慮して言葉を選ぶといった気遣いは、あまり得意ではないらしい。

 遠回しで婉曲的な話し方より、端的で率直な表現を好む。
 軍人らしいといえば確かその通りだ。

 ――そんな会話を交わしながら、森の上をまっすぐ飛ぶこと数十分。

 三人乗りの魔法の杖は、予定通りアルゴス山脈を構成する岩山の中腹に着陸した。

 振り返ってみると、要塞が森の向こうに小さく見える。

 徒歩なら直線距離でも一時間、道なき道であることを考えればその数倍は掛かるであろう森林を、たったこれだけの時間で飛び越えたのだ。

 僕の魔法もなかなか捨てたものじゃないだろう。

「空を飛ぶ魔法も魔導器に落とし込めたらいいんだけどな」
「難しいのですか。戦略的に有効な移動手段だと思ったのですが、残念です」
「今後に期待ってことで。そんなことより、魔石が見つかったっていう洞窟は?」
「あちらです。ついてきてください」

 ホタルに道案内をされながら、未舗装の岩山を歩いていく。

 しばらく進んだ先に、それらしい洞窟が見えたかと思った矢先――突然、狼のような咆哮と共に、四体の獣人が洞窟から飛び出してきた。

 クレナイのような獣の耳と尻尾だけの獣人じゃない。

 完全に二足歩行の狼としか言いようがない姿形で、革製の鎧と粗雑なポールウェポンを携えている。

 その四体の獣人達は、僕達の存在に気が付くや否や、武器を振りかざして猛烈な攻撃を仕掛けてきた。

「ようやく来たか! 遅かったな、亜人!」

 ホタルが素早く剣を抜き放ち、先頭の二体を瞬く間に切り払う。

 だが残り半分は、一体ずつ僕とクレナイに。

「魔導師殿!」
「分かってる!」

 要塞の司令官に『戦える』といい切ってここに来たのだ。

 この程度で怯んでいられるものか。

装甲魔法(アルマトゥーラ)!」

 かなり省略して唱えた呪文が、前腕部に魔力の装甲を作り出し、ポールウェポンの刺突を防ぎ止めて受け流す。

 詠唱が万全ならもっと堅牢な守りになっていたけれど、今は速さの方が重要だ。

 受け流した勢いのまま獣人の懐に潜り込み、片方の掌を獣人の胴体に押し当てる。

雷光(フルグル)!」

 迸る閃光。注ぎ込まれた電流の衝撃で、獣人が大きく後ずさる。

 有効打には程遠いが、怯ませるだけなら充分だ。

「……クレナイは……!」

 騎士(ホタル)は剣で、魔導師(ぼく)は魔法で獣人を退けた。

 そしてただの村娘だったクレナイは――

「いきます!」

 背負った袋から棍棒のような形状の魔導具を取り出して、先端を獣人に振り向ける。

 全長はパン生地を伸ばす延し棒(ローリング・ピン)と同程度。

 先端から三分の二程度は太い筒状で、残る三分の一が棒状の持ち手。

 持ち手の根本にはクロスボウから流用した引き金がひとつ。

 そしてクレナイの細い指が引き金を引いた瞬間、筒の奥で小さな魔力の爆発が発生し、その爆風が筒を通じて獣人の顔面に浴びせかけられた。

「ガアアアアッ!?」

 慌てふためいて逃げ出していく獣人達。

 ホタルに斬られた二体も、深手は負っていなかったらしく、傷口を押さえながら岩山の麓へ駆け下りていった。

 深追いは厳禁だ。僕達の目的は亜人の討伐ではないのだから。

 ホッと胸を撫で下ろした横で、クレナイがへなへなと地面にへたり込む。

 その手には煙を噴く魔導具を抱えたままだ。

「よかったぁ……コハク様! やりましたよ! ちゃんとできました!」

 クレナイは持ち手だけ残った魔導器の残骸を誇らしげに掲げながら、無邪気で屈託のない満面の笑顔を僕に向けてきた。
 僕がマクリア地方に到着したとき、ちょうどクレナイは野生の狼に追われていた。

 またあんなことが起きたときに使える魔導具を――そう思って作ったのが、この使い捨ての威嚇用魔導器だ。

 コンセプトは単純明快。
 爆発、つまり熱と閃光と炸裂音で相手を驚かせるだけだ。

 本体が筒状をしているのは、最低限の爆発でも効果を得られるようにするため。

 試作中は爆発が小さくて効果が薄かったり、魔石を増やしすぎて重くなりすぎたりと大変だったが、とりあえず実用レベルには盛っていくことができた、といった状態だ。

 これだけでも獣を追い払うには充分だし、人間相手でも不意打ちで使えば優位に立てるだろう。

 まだまだ作りが荒いのは百も承知。ここからどんどん改良を重ねていくための叩き台だ。

「お見事です、魔導師殿。近接戦闘も卓越しておられるとは」
「そんな大袈裟な。護身術もアカデミーの必修科目だっただけだよ。これくらいは魔導師なら誰でもできるさ」
「ご謙遜を。ところで、あの亜人がコボルトなのですか?」

 ホタルの口から予想もしない質問が飛び出してきて、思わず面食らう。

 何と返答すればいいか悩んでいると、クレナイが僕と同じ疑問を言葉にしてくれた。

「何言ってるの? どう見てもただの獣人でしょ」
「獣人? 君とは似ても似つかない外見をしていたが」
「私もあいつらも種族は同じよ。要塞の騎士ならこれくらい分かって……」
「不明は率直に詫びよう。私はつい最近、王都から赴任したばかりだ。よって、この地方の亜人の生態を把握しきれていない。魔導師殿、ご教授願えるか」

 とことん生真面目な返答だ。

 あの要塞に勤めている騎士なら、先程の亜人がコボルトでないことは一目瞭然のはず。

 さっきはそこが引っかかっていたのだが、事情を説明されたら納得するしかない。

 要するに僕と同じ。慣れた土地を離れ、新たな土地について勉強している真っ最中というわけだ。

「マクリア地方の獣人については、僕よりも地元の人の方が詳しいと思うよ。クレナイ、説明頼めるかな」
「あー、もう。しょうがないなぁ。他所の獣人がどうなってるかは知らないけど、少なくともこの地方の獣人の外見は、大きく分けて三つのタイプがあるの」

 露骨に渋々といった様子で、クレナイはホタルに向き直り、獣人の区分について指折り説明し始めた。

「一つは、二足歩行の動物に近い見た目。つまりさっきの連中ね。獣人達の間では獣貌(じゅうぼう)って呼ばれてる。二つ目は半獣……獣人の時点で半分獣だろって言わないでね。獣人の視点で見た呼び方なんだから。個体差はあるけど、半獣は耳や尻尾に加えて、両手両足も動物みたいになってるのが一般的じゃないかな」

 人間から見れば、獣人の方が人間プラス動物の亜人だが、獣人から見れば自分達の姿こそが普通の形。

 その特徴を半分しか持っていないのなら、確かに半獣と呼びたくなるのかもしれない。

「最後の三つ目は……薄血(はくけつ)。説明は要らないかもしれないけど、私みたいなタイプのことを、他の獣人はこう呼んでる。由来は想像つくでしょ?」
「血が薄い、か。領内で見かける獣人は三番目だけだな。他の姿は見たこともない」
「でしょうね。獣人社会の中心は、動物頭の獣貌連中だもの。そうじゃない獣人は脇に追いやられるか、最悪の場合は生まれてすぐに殺される。人里に住んでる獣人は、そんな扱いに耐えかねて逃げ出したか、森の外に捨てられた子供のどっちか、ね」

 クレナイは可愛い顔を苦々しく顔を歪めた。

 ちなみに僕が魔導アカデミーで受けた授業によると、いわゆる『血の濃い』獣人から『血の薄い』獣人が生まれることはあっても、その逆はまずありえないらしい。

 獣人社会の主流派が純血主義じみた価値観になるのも、この辺の事情が影響しているんだろう。

「……二人とも、お喋りはそこまで」

 僕が声を潜めてそう言うと、クレナイとホタルは揃って口を噤んで押し黙った。

「洞窟の方から足音がする。多分、コボルトだ」

 身構えるホタル。静かに後ずさるクレナイ。

 足音は一つ。裸足とも靴とも違う硬い音。

 それから十秒と経たないうちに、一体の亜人が洞窟の外に姿を現した。

 端的に表現するなら、人型のトカゲだ。

 顔立ちはトカゲそのものというわけではなく、ドラゴンをデフォルメしたような印象で、何となく犬に似た愛嬌が感じられる。

 頭から後ろに伸びた二本の角も、見方によっては犬の耳のように見えなくもない。

 体格はかなり小柄。一般にイメージされるゴブリンと大差はない。

 革製の大雑把な服に身を包んでいることからも、ある程度の知性を備えた生物であることが伺える。

「コボルトだ。やっぱり洞窟に棲んでたんだな」
「確かに……ゴブリンのようでゴブリンではなく、獣人のようで獣人ではない……小型のリザードマンとでも言うべきか……」

 そのコボルトは周囲を用心深く見渡し、少し離れた場所にいる僕達の存在に気がつくと、奇妙な声を上げて洞窟の中に引き換えしていった。

「あっ、逃げた! コハク様!」
「魔導師殿、追いますか?」
「追いかけよう。警戒は絶やさないように。クレナイ、灯りは頼んだ」
「了解です!」

 クレナイは背負っていた袋から、手持ちのランタン型魔導器を取り出して灯りを点けた。

「魔導師殿、これも魔導器ですか?」
「一応ね。火の代わりに魔石を光らせてるだけで、後はただのランタンだよ」

 こいつは僕が最初に作った魔導器だ。

 構造は極めて単純だけど、個人的な思い入れはかなり強い。

「調査隊の報告によると、悪天候を避けるため洞窟に立ち入ったところ、魔石の鉱脈とコボルトの棲家を発見したとのことです」

 慎重に警戒しながら、少しずつ洞窟の奥へと進んでいく。

「コハク様、あれ……!」

 クレナイがランタンを掲げて小さな声を上げる。

 洞窟の先に小柄な人影が一つ。

 間違いない、あれもコボルトだ。
 入り口で見た個体よりも少しばかり大柄で、人間の子供くらいの背丈がある。

 腰の剣に手をかけるホタル。
 僕はそれを止めて、暗闇の中で目を凝らしてコボルトの様子を観察した。

 武器は持っていない。身につけているのも鎧ではなさそうだ。

 それどころか、目の前のコボルトは両手を肩の高さに上げていた。

 まさか降伏のジェスチャーか? 知性が高いタイプか? 油断させようというつもりなのか?

 予想外の展開に驚く僕達に、もっと驚くべき出来事が襲いかかった。

「オレのコトバ、ワかりますか!」
「しゃ、喋ったぁ!?」

 悲鳴も同然の声を上げるクレナイ。

 コボルトの非人間的な口から発せられた言葉は、紛れもなくアイオニア語だった。

「ま、魔導師殿、これは一体……!」

 ホタルは何とか叫ぶのを堪えたようだったが、表情からは完全に余裕が失われている。

 どうやら、この場で冷静さを保っているのは僕だけらしい。

「ゴブリンもコボルトも、個体によっては言語能力があるそうだよ。実際に見るのは初めてだけど……ゴブリンの場合は、言葉で人間を騙して油断させるんだったかな」
「ダマしません! ハナシをキいてください!」

 そのコボルトは、両手を上げたまま必死に呼びかけてきている。

 何も聞かなかったことにするか、それとも耳を傾けるか。

 洞窟を調べたいと言ったのは僕なのだから、判断するのも僕の役目だ。

 楽をするための下準備が、ここまで大変なんて。楽をするのも楽じゃないな。

「とりあえず、事情を聞かせてくれ。詳しい話はその後にしよう」
 ――ガルヴァイスと名乗るそのコボルト曰く、アルゴス山脈の亜人種は一枚岩の集団ではなく、大小合わせて百前後の部族の寄せ集めなのだという。

 人類側は『敵対する亜人の集団』で一括りにしているが、実際は全ての部族が仲間同士というわけではない。

 この辺りは人間の国々と同じだ。

 協力して異種族と、つまり人間と戦うこともあれば、亜人の間で争うことも珍しくない。

 そして彼らの一族であるガル族は、犬型の獣人を中心とした集団に目をつけられ、執拗な攻撃を受け続けていた。

 僕達が入り口で戦った連中もその構成員だ。

 現状だと勝ち目は全くないが、このまま一方的にやられ続けるわけにはいかない。

 追い詰められたガル族は、ある大胆な作戦を思いつく――

「おネガいします! オレたちとトリヒキをしてください!」
「取引?」
「ニンゲンのブキがホしい! ヨロイがホしい! それさえあればタタカえる!」

 ――この作戦を思いつくきっかけになったのは、洞窟に迷い込んだサブノック要塞の偵察部隊だったという。

 彼らが身につけていた装備さえあれば、獣人達に抵抗することができるに違いない。

 そう考えたガル族は、人間と接触する機会を伺い続け、そして遂に僕達が現れた――ということらしい。

「魔導師殿、いかが致しましょう」

 ガルヴァイスの事情説明が終わったタイミングで、ホタルが僕に耳打ちをしてきた。

「少なくとも、この洞窟のコボルトが獣人と敵対している……それは間違いないはずです。洞窟の入口に武装した獣人がいた件にも説明がつきます。我々の来訪は予測不能だったはずですから、騙すための演技ということもないでしょう」
「どうしますかって聞かれても、僕が決められることじゃないと思うんだけどなぁ。亜人との取引だろ? 権限もないのに返事なんか……」

 ホタルと小声でヒソヒソ話していると、ガルヴァイスは焦った様子で懐から何かを取り出した。

「これ! タイカはこれです! ニンゲンはホしがるってキきました! ホカのイロもたくさんあります!」
「……っ! そいつは……!」

 深い赤みを帯びた半透明の石。間違いない。火属性の魔石だ。

 僕がこの洞窟を訪れた本来の目的。魔導器の動力源とするための魔石の確保。

 まさかこんな形で発見してしまうなんて想像もしなかった。

 ――いや、ただ魔石を発見できただけじゃない。

 魔石を取引の対価にするということは、コボルト達が採掘して人間側に渡すということだろう。

 つまり『鉱脈があるのは亜人の勢力圏の真っ只中なのに、一体どうやって採掘をするつもりなのか』という、これまでずっと先送りにしてきた問題を解決できるのだ。

「……悪いけど、僕の一存じゃ返事はできない。だから一度引き返して、こっちの偉い人に相談してみるよ。それでも構わないかな」

 逸る気持ちを抑えて、どうにか冷静な返答を絞り出す。

 本音を言えばこの場で了承したいくらいだったけど、いくらなんでもそれは拙い。

 後で大問題になること請け合いだ。最悪、首が飛ぶかもしれない。物理的に。

「あ、ありがとうございます! おネガいします! これで『メガス・キーオン』のヤツらとタタカえます!」
「だから気が早いよ。まだ決まったわけじゃないんだから。それにしても、一体どこで人間の言葉を覚えたんだ?」

 これはただの知的好奇心からの質問だ。

 言葉を覚えた経緯を突き止めて云々、なんてことは微塵も考えちゃいない。

「ジュウジンにオソわりました。ニンゲンとトリヒキするなら、やっぱりコトバをオボえないと!」
「獣人から?」

 ホタルが怪訝そうに眉をひそめる。

 そこにすかさず、クレナイが解説を加えた。

「半獣のことでしょ。顔は人間だから獣人社会では爪弾き。手足は毛むくじゃらで爪も牙も鋭いから、私達みたいに人間社会には溶け込めない。そういうタイプの獣人は、生き残るために何でもするの。コボルトに言葉を教えて日銭を稼ぐ奴もいるでしょうね」

 不快感を噛み殺しているような声だった。

 今の流れの一体どこが、クレナイの神経を逆撫でしたのだろうか。

 何となく予想はできるけれど、断定はやめておこう。

 クレナイも軽々しく踏み込まれたくないはずだ。

「と、とにかく。今回は一旦話を持ち帰るということで。それでいいかな? 個人的には大歓迎だから、偉い人を説得できるように、できるだけ頑張ってみるよ」
「は……はい! よろしくおネガいします!」

 繰り返し頭を下げるガルヴァイスに見送られ、僕達はひとまずガル族の洞窟を立ち去ることにした。

 さて、もう寄り道をしている暇はない。

 まずはサブノック要塞のレオン司令に報告。
 その次は、マクリア地方の領主に話を持っていくことになりそうだ。

 きっと領主も驚くに違いない。
 派遣された魔導師がようやく挨拶に来たかと思ったら、コボルトとの取引なんていう、とんでもない案件を持ち込んできたのだから。

 そんなことを考えながら、往路と同じように三人乗りの魔法の杖で低空飛行をしていると、一番後ろのホタルが真ん中のクレナイに話しかけてきた。

「『メガス・キーオン』だったかな。文脈から察するに、ガル族と敵対しているという獣人の組織名なんだろうけど、君とも関わりのある集団なのか?」
「何? どうしてそう思ったの?」
「コボルトが『メガス・キーオン』という名を口にした瞬間、妙に辛そうな顔をしたように見えた。それが理由だ。改めて尋ねるが、お前とメガス・キーオンとやらの間に、一体どんな関係が……」
「……その質問、何か意味ある?」

 クレナイの声は露骨に刺々しかった。

 現状、クレナイは僕の背中にしがみつく形で杖に乗っているので、僕の視点からでは表情を窺うことはできない。

 だけど、不機嫌な顔をしているのは間違いなさそうだ。

「関係があってもなくても、どっちにせよ『ない』って答えるに決まってるじゃない。亜人のスパイみたいに疑われたくないんだから。いくら獣人だからってさ」
「い、いや、そんな風に疑っているわけでは……」

 想定外の反応に焦るホタル。

 クレナイはむすっと押し黙り、ホタルとの会話を打ち切ってしまった。

 ……気まずい。とても気まずい。

 ホタルの質問は確かに不用意だった。
 本人にはそんなつもりはなかったのかもしれないが、あれでは亜人側との内通を疑って追及しているように聞こえてしまう。

 けれど、クレナイの態度もさすがに過剰だ。
 疑われたと感じて不愉快になるのは分かるけど、こんな風に突っぱねてしまったら弁明も何もあったものじゃない。

 僕は杖の飛行速度を精一杯に上げながら、二人の不器用さに嘆息するのだった。

◇ ◇ ◇

 サブノック要塞に到着してすぐ、僕は一連の出来事をレオン司令に報告した。

 幸いなことに、司令は驚きながらも僕の意見に――コボルトのガル族との取引を行うという案に賛同を示してくれた。

 現状、この要塞で雇われている魔法使いは二人だけらしい。

 どちらも戦闘特化の傭兵的な連中で、戦闘以外の魔法の需要には全く応えられていないそうだ。

 もしも魔導器が実用化したなら、すぐにでも要塞の設備に採用したいので、魔石は潤沢に確保しておくべき――それがレオン司令の返答だった。

 司令の賛同は得られた。
 次に必要なのは領主の許可だ。

 とはいえ、さすがに相手が相手だ。事前連絡もせずに押しかけるわけにはいかない。

 レオン司令がその手続きをしてくれている間に、僕は要塞の一室を借りて、領主に見せる資料の準備を進めていた。

 そんなときだった。ホタルが神妙な表情で部屋を訪ねてきたのは。

「あの、魔導師殿……個人的な問題で申し訳ないのですけど、折り入って相談したいことが……」
「来るだろうと思ってたよ。クレナイが怒った理由を知りたいんだろう?」
「……参りました。魔導師殿に隠し事はできませんね」

 困ったように目を伏せるホタル。

「恥を忍んでお願いします。どうすればクレナイとの関係を改善できるのか、助言をいただけないでしょうか」
 ホタルは真剣な面持ちで、ぽつりぽつりと心情を語り始めた。

「子供の頃から、私は他人の心情を察することがとても苦手でした。もちろん開き直るつもりはありませんし、改善しようと努力はしているつもりです。しかし、一朝一夕では如何ともし難く……」
「分かるよ。性格を変えるってのは簡単じゃないよな」
「ですが、せめて怒らせた理由だけでも理解しなければ、また同じことをしてしまうかもしれません。それだけは避けなければ」

 本当、ホタル・レオンという少女は真面目な子だ。

 今回はそんな性格が裏目に出てしまったが、それでも自分の失敗を真剣に見つめ直し、同じ過ちを犯さないように腐心している。

 だったら僕も真剣に応えないと、年長者として格好がつかないというものだ。

「そうだね……敵対勢力のスパイだと疑われた気がして不快に感じた……これも確かに理由の一つなんだろうけど、多分それだけじゃない。君もそう思ったから、わざわざ僕に聞きに来たんだろう?」
「はい! どうしてあんなに悲しそうな顔をしたのか、ただそれを知りたくて……」
「……クレナイはね。子供の頃に森で拾われて、ペトラ村の人達に育てられた。迷子になっていたんじゃない。捨てられてしまったんだそうだ」

 僕はゆっくりと噛み砕いて聞かせるように言葉を続けた。

「一体どこの誰が捨てたのかは知らないけど、予想はできるんじゃないかな」
「……『メガス・キーオン』の獣人が、クレナイを森に捨てた。クレナイはそれを覚えていたから、この名前を聞いたときに……そういうことだったんですね」

 後悔の念を滲ませるホタル。

「不覚です。彼女のことをよく知りたいと思うあまり、過去の傷を不用意に掘り起こしてしまうとは」
「よく知りたい? それはつまり、仲良くなりたいってことだと思ってもいいのかな」
「名のある騎士の娘……という立場のせいか、どうも同世代の相手と接した経験に乏しいもので……軍学校でも、共に学んだのは上の世代の学生ばかり。結局、卒業するまで友人と呼べる相手を作ることはできませんでした」

 クレナイと同世代なのに、軍学校を卒業したということは、十代の前半くらいで入学したことになる。

 明らかに早すぎる。もしかして、とんでもなく優秀な子なんじゃないだろうか。

「これが不健全な状態だということは、自分でも分かっています。だからこそ、この機会に友人を得ることができれば……そう思ったのですが……ままならないものです」

 ホタルはどこか悲しそうに首を振った。

 仲良くなりたい。友達になりたい。
 そんな風に思って、相手のことを知ろうとするのは、誰だって当たり前にやることだ。

 例えばアカデミーに入学したばかりのとき、同期の入学者に出身地を尋ねたりして、距離を近付ける取っ掛かりにしたりするだろう。

 本質的にはそれと同じだ。
 ホタルはクレナイのことを知ろうとして、しかし話題の選択を間違えた。
 
 端的に言ってしまえば、たったそれだけなのだ。

「だったら、クレナイにも同じことを伝えればいいと思うよ」
「同じこと……ですか?」
「友達が欲しいって思ってること。だからクレナイと仲良くなりたいって思ってること。その辺を丸ごと直接ね。相手を知るのはもちろん大事だけど、自分のことを知ってもらうのだって同じくらいに大切なんだからさ」

 まるで学校の先生みたいな言い草だな、と内心で自嘲する。

 アカデミーでは下から数えた方が早い劣等生だったくせに、一丁前の指導者みたいなことを言っているじゃないか。

 しかし、そんな僕の言葉でも、ホタルの心には響くものがあったようだ。

「まずは私のことを……ありがとうございます、魔導師殿! 光明が差したような心地です! それでは失礼いたします! クレナイを探して参りますので!」
「大袈裟だなぁ」

 疾風のように走り去っていくホタルを見送って、ふうっと大きく息を吐いてから、部屋の片隅に積まれた木箱の山に視線を向ける。

「もう行ったよ。これでよかったかな?」
「……お手数、お掛けしましたぁ……」

 その木箱の陰から、心底気まずそうな顔をしたクレナイが姿を現した。

 実は、クレナイは最初からずっとこの部屋にいた。

 後学のためということで、クレナイはプレゼンテーション資料の準備を手伝ってくれていたのだが、ホタルが訪ねてきたと気付くや否や、扉が開くよりも先に木箱の陰に隠れてしまった……という経緯だ。

「ええと、ですね。言い訳していいですか?」
「どうぞ」
「私……たまに街の方に行ったりすると、獣人だからって変な目で見られることがあるんです。森の獣人の仲間なんじゃないか、みたいな。もちろん村の皆は違いますよ? でも、王都から来たばかりって聞いて、今回もそういうアレかなと思って、内心イラッとしたからああいう態度になりまして……まさか『お友達になりましょう』的なアプローチだとか分かるわけなくってですね……」

 しどろもどろな割に猛烈な早口で、クレナイは延々と弁明を並べ立てた。

 頭に浮かんだ言葉を片っ端から投げつけたような焦りっぷりだ。

 つまるところ、クレナイはホタルの態度を『獣人だからという理由で、メガス・キーオンと繋がりがあると疑っている』のだと受け止めて、不快感を覚えて距離を取ろうとしていた。

 だが、ホタルの本音はさっき分かった通り。

 仲良くなりたいから自分のことを知ろうとしていただけだった、と気付いた結果、無駄に敵対的な態度を取っていたことが猛烈に恥ずかしくなってしまった……といったところだろう。

 まったく、世話の焼ける子供達だ。

「僕から言えることは一つだけ。ホタルにも同じことを伝えればいいと思うよ。早とちりして刺々しい反応をしてしまったけど、そういう事情なら満更でもありませんってね」
「う……やっぱりそうなりますよね……頑張ります……!」

 クレナイは気恥ずかしさを噛み殺した顔で、ホタルの後を追って部屋を出ていった。

 本音を打ち明けるのは恥ずかしいものだ。
 こればっかりはしょうがない。僕だってそうだ。誰だってそうだ。

 だけど、今はお互いに勇気を出した方がいい。
 すれ違いはなるべく早いうちに正しておかないと、修復不能なまでにこじれてしまうかもしれないのだから。

「……って、いよいよ教師みたいな思考回路になってきたな。まさか魔導師より向いてるとか言わないよな……?」

 独り呟きながら苦笑する。
 もしそうだったら、さすがに泣くぞ。そんなの人生設計大失敗じゃないか。
 洞窟探索の翌日。僕はマクリア地方の領主に面会するべく、この地域の最大都市リーリオンを訪れた。

 都市……といっても、王都とは比較にならない。
 他の村よりは大きな街。城壁に取り囲まれた運河沿いの市街地。

 今回は、クレナイやホタルは来ていない。僕一人での訪問だ。

 二人とも同行を申し出てくれたのだが、どちらも他にやるべきことが――クレナイには村の道路や畑の整備が、ホタルにはサブノック要塞の騎士としての職務が――ありそうだったので、ひとまずはそちらに専念してもらうことにした。

 案内された先は、中央の丘に建てられた領主の館。

 街で一番大きな建物だが、城と呼べるほどの規模ではない。

 警備がやたらと厳重な豪邸といった雰囲気だ。

「ふぅ……緊張するな……」

 応接間の扉の前で呼吸を整える。

 魔導師という職業柄、貴族から招かれて仕事をすることはあったけれど、何回やってもなかなか慣れないものだ。

「失礼します!」

 館の従者が扉を開けたのに合わせて、応接間に足を踏み入れる。

 室内にいたのは二人の女性。
 応接室のテーブルを挟んで談笑に花を咲かせている。

 一人は服も髪も真っ白で、年齢は少女と呼んで差し支えないくらい。
 穏やかに微笑んだその神秘的な姿は、まるで絵画から抜け出てきたかのようだ。

 そしてもう一人は――

「あらあら! お久しぶりですわね、コハクさん!」
「ルリ!? どうしてここに!」

 ――ルリ・ディアマンディ。

 お嬢様の典型例(テンプレート)を地で行く、青い目の女魔導師。

 王都で別れを告げたはずの同期の女が、さも当然のような顔をしてそこにいた。

「勘違いなさらないでくださいませ。ただの休暇ですわ。ここ一年ほど働き詰めでしたから、一ヶ月ほど長めの休養を取ろうと思いましたの」
「休暇? 辺境だとか色々言ってたじゃないか。何でそんなところに」
「都会の喧騒を離れてゆっくりしたかっただけです。職務として派遣されるなら島流しも同然ですが、静養目的ならむしろ快適ですわ。貴方の様子が気になったなんて、これっぽっちも考えたりはしていませんから、勘違いなさらないように!」
「何の話だよ……」

 呆れと一緒に懐かしさが湧き上がってくる。

 魔導師のアカデミーに通っていた頃は、毎日のようにこんなやり取りを繰り返していたものだ。

「そんなことより、領主様は? ここで面会する予定だったんだけど……」
「領主様? それでしたら、目の前にいらっしゃるではありませんか」

 何だって? ここにいるのは僕とルリと、あと一人……おしとやかに微笑む白い少女だけで……

「ま、まさか」
「はじめまして、魔導師様。マクリア地方伯、ユキカ・アラヴァストスと申します」
「えええええっ!?」

 僕の驚きっぷりが面白かったのか、ルリとマクリア伯はクスクスと笑った。

 だって無理もないだろう。
 普通、領主と聞いたらそれなりの年齢の人物を思い浮かべるものだ。

 まさかこんなに若い女の子が領主だなんて、一体誰が想像できるというのか。

「魔導師様のお話はリョウブ卿とホタル卿から伺っています。誰でも魔法を使えるようになる道具を発明なさったとか。本当に素晴らしい発明だと思います」
「リョウブ卿……あっ、レオン司令のことですね」

 貴族の敬称は領地の名称に『伯』をつけ、騎士への敬称は個人名かフルネームに『卿』をつける。

 マクリア地方を治めるユキカ・アラヴァストスなら、マクリア伯。
 騎士に叙されたリョウブ・レオンなら、リョウブ卿かリョウブ・レオン卿、といった具合だ。

 ちなみにルリも貴族の家柄の出身ではあるが、本人が爵位や領地を持っているわけではないから、伯とか卿とかをつけて呼ばれることはない。

 何か敬称をつけるなら『嬢』あたりだろう。

「お褒めに与り光栄です。それにしても、うちの失礼な同僚が押しかけてしまったみたいで、本当に申し訳ありません」
「失礼な同僚? まさかわたくしのことですの?」
「さっきから、人様の領地を辺境だの島流し先だの、失礼なこと言いまくりだろ」
「ふふっ、迷惑なんかしていませんよ」

 今のやり取りのどこが面白かったのかは知らないが、マクリア伯は口元に手をやってくすりと笑った。

「ここが辺境の地だということも、都会の方々にとっては左遷地に等しいことも、単なる事実です。私自身もそう思っていますからね。それに、ディアマンディ家の魔導師の方とお近付きになれるのは光栄ですし、何より楽しくお喋りできました」
「まったく……わたくしのことよりも、まずはご自分の用件をお済ませになっては? ユキカとお話がしたかったのでしょう?」

 そうだ、僕はルリと駄弁りに来たわけじゃないんだ。

 やるべきことをちゃんと済ませてしまわないと。

「マクリア伯。実は……」

 ここに来た理由を、マクリア伯に一つ一つ詳細に説明していく。

 魔導器の開発と量産のために大量の魔石が必要になること。

 供給源としてアルゴス山脈に目をつけていること。

 そして、現地の下見に赴いたところ、コボルトのガル族から取引を求められたこと。

 一連の出来事を伝えている間、ルリは信じられないものを見たような顔で絶句し、マクリア伯は興味津々に目を輝かせていた。

「呆れて言葉も出ませんわ! 例の研究を実行したのみならず、魔石欲しさに亜人との取引まで!?」
「大変興味深いお話です! 考えたこともありませんでした!」
「考える方がおかしいんですの!」

 酷い言い草だな。全くもってその通りだけど。

「……それにしても、驚きました。まさかこんなに好意的な反応が貰えるとは。説得のための資料も作ってきたんですが、取り越し苦労でしたね」
「資料、ですか?」
「どのような魔導器を考えているのか、一通り書類にまとめておいたんです。もしも反対されたときは、これを見せて説得しようかと」
「えっ!? そ、それ、見せていただいても!?」

 マクリア伯は応接机の椅子から立ち上がり、綺麗な顔を僕にぐいっと近付けてきた。

 予想以上の食いつきように思わずたじろいでしまう。

「構いませんが……単なるアイディアスケッチみたいなものなので、実現性は期待しないでいただけると……」
「ありがとうございます!」

 これはあくまで僕の夢想を描いたもの。

 ずっと前から書き溜めていた、いつかこんなものが作りたいという構想図を、万が一の場合の説得材料としてまとめ直したものに過ぎない。

 正直、他人に見せるのは恥ずかしいくらいだ。

 けれどマクリア伯は、そんな代物にすっかり目を輝かせて魅入っていた。

 例えば、クレナイにも話していた、魔力による加熱装置。
 魔法使いが少ない地域では、火を起こすのもお湯を沸かすのも、手作業で地道に調達された薪や木炭、あるいは泥炭に頼り切りになっている。
 これを魔石に置き換えることができれば、人々の生活もぐっと楽になるだろう。

 例えば、魔石ランタンを発展させた照明システム。
 王都のような都会なら、魔法使いが街中の街灯に灯りをつけてまわることもできるが、片田舎ではそんなことすら難しい。
 夜になったら自動的に点灯する魔導器を作ることができたら、集落の中どころか、村と村を繋ぐ道を照らし続けることだってできるかもしれない。

 例えば、水晶玉を使った遠隔会話を応用した通信器。
 正直、こいつは前の二つと比べたら夢物語だ。
 というか僕自身、この手の魔法は得意じゃない。
 自分でも使いこなせない魔法を魔導器に落とし込むのは、どう考えても現実的とは言い難い。
 だけど万が一、本当にこれを作ることができたら、間違いなく世界が一変するはずだ。

 そして、例えば――

「あら、自動車ですか。懐かしいですわね」

 ルリがマクリア伯の肩越しに視線を落とす。

 自動車――呼んで字の如く、馬や人間が引っ張らなくても動く車のことだ。

「ご存知なのですか?」
「わたくしが魔導アカデミーの学生だった時期のことです。あの頃、男子学生の間で妙な遊びが流行していました。車体だけの荷馬車に乗り、魔法を使って走らせることを『自動車』と呼び、その速さを競っていましたの。実に魔導師らしくない遊戯でしたわ」

 懐かしい話だ。

 それぞれが一番得意な属性の魔法を使って車を加速させ、他の奴より一秒でも速くゴールにたどり着く――たったそれだけのことがとても楽しくて、夢中になって繰り返していたものだ。

 今になって思えば、この経験が魔導器というアイディアの源流になったのかもしれない。

「もっとも、最終的には金銭を賭けた賭博にまで発展した挙げ句、アカデミーから厳しく禁止される末路を辿ったわけですが。根こそぎ退学にならなかったのは、当時の理事長の温情ですわね」
「ちょ……人聞きの悪いこと言うなよ! 僕は賭けてなかったからな!?」
「ええ、貴方はもっぱら賭けられる側でしたものね。賞金は賭け金から出ていたんでしたっけ? 昨日のことのように思い出せますわ。これで当面の学費を稼げた、などと喜んでいた貴方の顔も」
「若気の至りを掘り返さないでもらえるかなぁ!」
「ふふっ。お二人とも、仲がよろしいんですね」

 クスクスと笑うマクリア伯。

 相手が相手だけに事実誤認だと言い返しにくい。

「さて、コハク様。貴方がご提案なさった魔導器の数々、どれも素晴らしいものばかりでした。一個人としても、この地方を預かる領主としても、強い関心を抱かずにはいられません」
「それじゃあ……!」
「ガル族との魔石の取引を承認します。この件は私に任せて、コハク様は魔導器の研究に専念してください」

 思わず溢れそうになる喜びの声をぐっと飲み込み、領主の御前に相応しい態度を取り繕おうとする。

 だけど無駄な抵抗だった。口元が緩んで仕方がない。

 魔石の取引を許可してもらえただけでなく、実務的なあれこれはマクリア伯に丸投げさせてもらえた上に、魔導器の研究に専念する許可までもらうことができた。

 僕にとっては紛れもない満額回答。
 これ以上の結果は想像すらできないくらいだ。

「よろしいんですの、ユキカ。研究に専念させるのでしたら、魔導師としての現場仕事をさせる余裕はなくなりますわ。両方やらせて馬車馬のように働かせるのも手ではありますけど」
「構いません。たった一人の魔導師様に無理をさせ続けるよりも、領民に魔法を授けていただく方が、長期的にはずっと良い結果を生むはずです。前領主の失敗は繰り返したくありませんから」

 前領主の失敗というと、前任の魔導師が仕事を放棄して失踪してしまったことだろう。

 僕に対して同じような扱いをすれば、また同じような結果になるかもしれない、ということか。
 実に合理的で、非常にありがたい発想だ。

「はぁ……領主としては適切な判断なのかもしれませんが、魔導師としては頭が痛いことこの上ありませんわね。これも地方伯の自治権の範疇でしょうし、魔法省も表立っては文句を言えないと思いますけど……果たしてどうなることやら、ですわ」

 喜びに胸を躍らせる僕と、期待に胸を膨らませるマクリア伯の傍らで、ルリだけは眉をひそめて頭を悩ませていた。

「そもそも、コハクさん? 貴方、また魔法省に喧嘩を売るような真似をして、本当に平気なんですの? 今度こそ魔導師の公認資格を取り消されるかもしれませんのよ?」
「もしクビになったら、そのときは民間の魔法使いにでも転職するよ。研究は魔導師じゃなくてもできるからね」
「貴方という人は……昔から変わっていませんのね」

 魔法省のトベラ大臣あたりがこのことを知ったら、僕を左遷したとき以上に怒りまくるに違いない。

 だけどルリの言う通り、地方伯クラスの領主が決めたことなら、魔法省もそう簡単には手や口を出すことはできない。

 これから先、色んな意味で楽しくなりそうだ――僕は不謹慎な興奮を抑えることができなかった。
 その後、僕はマクリア伯ことユキカ・アラヴァストスのリクエストに従って、魔導器の研究と開発に専念することにした。

 研究開発といっても、そんなに大袈裟な話じゃない。

 魔法の発動補助に使われる素材を加工して細かい部品を作り、それを組み合わせて試行錯誤を繰り返し、魔導器を作り上げる。

 これまでに魔導器の試作品を作ってきた過程と全く同じだ。

 違う点があるとすれば、環境だけ。

 王都にいた頃は、人目を忍んでこっそり作業をしていた。
 素材を手に入れるだけでも一苦労だし、試作品のテストも大っぴらにやることができない有り様だった。

 そして何とか試作品を仕上げて、論文にして有用性を示せば理解を得られると考えていたら、お偉方の怒りを買って左遷されてしまった……のだが、それも過去の話。

 今はもう、僕の研究はマクリア伯のお墨付きだ。
 マクリア地方伯領の内側にいる限り、素材の調達も試作品のテストも大手を振ってすることができる。

 もし魔法省のお偉方に魔導師認定を剥奪されたとしても、きっとマクリア伯は民間の魔法使いとして僕を雇い直してくれるだろう。

 快適だ。信じられないくらいに過ごしやすい。

 こんなにモチベーションが湧いてきたのは、一体いつ以来だろうか。

 僕は領都に用意された工房に腰を据え、自由気ままに研究できることの楽しさに酔い痴れて、昼も夜もなく魔導器の開発に没頭し続けた。

 そして半月後の今日、最初の大きな成果物のテストにこぎつけたのだった――

「コハク様! 完成おめでとうございます!」

 領都リーリオンの一等地に作られた急拵えの試験場に、よく見知った二人の少女、クレナイとコハクが連れ立って訪ねてきた。

「本日はお招きいただき感謝します。コハク殿直々にお招きいただけるとは」
「私達が一番乗りで本当に良かったんですか? 喜んで参加しちゃいますけど」
「気にしなくていいよ。何せ、領主様直々の推薦だからね。魔石の確保に貢献した方々が最初に楽しむべきです、だってさ」

 さっそく二人を試験場の中に招き入れる。

 便宜的に試験場と呼んでいるけれど、実際はいわゆる『公衆浴場』そのものである。

 リーリオンにあった数件の公衆浴場のうち、たまたま一軒が休業状態になっていたので、その建物を借り上げて魔導器式のボイラーを組み込んでみた。

 薪ではなく魔力を燃料とする公衆浴場。
 以前クレナイに話した今後の展望、そのうちの一つが実現できたというわけだ。

 たった半月でこんな設備を作ったのか? ……と、色んな人に驚かれたが、むしろ僕としては「半月も掛かってしまった」というのが、正直な感想だった。

 まず、建物は既存の浴場をそのまま流用しているから、わざわざ新しく建てる必要はない。これだけで大きな時間短縮だ。

 次に魔導式ボイラーだが、こちらも基礎理論は王都にいた頃にほとんど完成させていた。

 ただし、当時は大規模な装置を作れなかったので、実際に試作できたのはやかん(ケトル)サイズが精一杯。

 風呂に使おうという発想はまだなく、飲み物を用意するのが楽になるという程度の代物だった。

 半月も掛かってしまった理由はただ一つ。
 そいつの大型化に手間取った。これだけだった。

「建物は昔のままだから、ちょっと古いかもね。その辺りは気にせずに、お湯の具合の感想だけもらえるかな」
「了解です! ほら、行こ! ホタル!」
「ま、待て、引っ張るな!」

 ホタルは困ったように笑いながら、ご機嫌なクレナイに引っ張られていった。

 おや? と思わず小首を傾げる。

 この二人、前からこんなに仲が良かっただろうか。

 確かに『本音を打ち明けろ』とアドバイスはしたけれど、その直後は以前とあまり変化がなかったと記憶している。

 だとすると、僕が魔導ボイラーの調整に集中していたここ数日間で、一気に関係が改善したということか。

 クレナイもホタルも、僕とべったり行動を共にしているわけじゃないんだから、知らないところで親交を深めていたって当然だろう。

 まぁ何にせよ、打ち解けることができたなら何よりだ。

 獣人という出自のせいで、敵に寝返るのではと疑われることに神経質だったクレナイ。

 本心からクレナイと親しくなりたいと思っていたが、率直すぎる言い方で誤解を招いてしまったホタル。

 お互いの本音を聞きさえすれば、きっと誤解も消えてなくなるだろうと思っていたが、どうやら僕が思っていた以上に効果的だったらしい。

 そういえば、ホタルが僕を呼ぶときの言い方が、いつの間にか魔導師殿からコハク殿に変わっている。

 相談に乗ったことで親近感を抱いてもらえたのか、それとも単にルリが来たから『魔導師殿』だとややこしくなってしまうからか。

 もし前者だったら嬉しいけど、実際には後者なんだろう、多分。

「さて、と。仕事の続きといきますか」

 二人の関係改善を喜ぶのはひとまず切り上げて、魔導ボイラーの実運転試験のモニタリングに取り掛かる。

 ボイラー本体は浴場の下、地下階に設置してあるのだが、温度や圧力などの測定は地上からでもできるように作ってあった。

 浴場から見て、ちょうど壁を挟んだ外側。
 公衆浴場の外壁に張り付くようにして、地下から伸びた数本のパイプが露出している。

 それに取り付けられたメーター類を確認すれば、ボイラーがちゃんと動いているかどうか判断できるというわけだ。

 ちなみに、このメーターは僕の発明ではない。
 旧来の燃料式ボイラーにも使われている既存技術で、仕組みも魔力や魔法とは関係ない単純な原理である。

 もちろんメーターを魔導器で作ることだって普通にできた。

 けれど魔導式ボイラーに限らず、魔導器を実用化し普及させるためには、僕以外の人達にも使えるようにすることが必要不可欠。
 整備も可能な限り自力でやれた方がいい。

 そう考えると、魔導器の使い勝手を従来の道具に近付けるのは、普及にあたって大きな強みになるはずだ。

「うん、各数値どれも正常っと」

 手元のチェックシートに測定データを記入していく。

 その間にも、浴場からはクレナイとホタルの声が漏れ聞こえてきた。

「ホタルって意外と凄い体してるよね」
「こ、こら! 触るんじゃない!」
「服着てたら痩せてるっぽく見えるのに……こういうのも着痩せっていうのかな」
「クレナイこそ、私からすれば羨ましい体型をしてるじゃないか。例えばこことか」
「ひゃっ! くすぐったいってば!」

 何やら意味深なやり取り。バシャバシャと水の跳ねる音。

 ……うん、気にしないことにしよう。

 もしも僕が十代半ばの子供なら、今の言葉だけですっかり冷静さを失って、必死に耳を傾けていたかもしれない。

 だけど、そういう年頃は何年も前に通り過ぎた。

 こんなことで心を乱すのは、いくらなんでも年甲斐がないというもの――

「でもホントに凄いって。ホタルの筋肉!」

 ――筋肉!?

「さすがは現役騎士。引き締まった体してるよねぇ。ムキムキってわけじゃないけど、毎日鍛えてますって感じ」
「私としては、お前みたいにしなやかな体に憧れるな。獣人だからか? 無駄のない細身でありながら、柔軟で力強い。生まれ持った素質だけでこれとは恐れ入る」
「農作業の手伝いとかはしてるよ? 昔っから体力には自信あり!」
「だろうな。特にこの辺りの肉付き、武器を振って鍛えたものじゃないぞ」

 ちょっと待て。一体何の話をしているんだ。

 思わず作業の手を止めて、声が漏れてくる場所――外壁のやや高い場所に設けられた採光窓を見上げてしまう。

 こんなシチュエーションで筋肉の品評を始めるなんて、誰が予想できるというのか。

 困惑に言葉を失っていると、不意に敷地の外から聞き覚えのない声が投げかけられた。

「コハク・リンクス殿。少々お時間をいただいても?」

 声の主は若い兵士だった。

 服装からして領都リーリオンの防衛兵ではなく、サブノック要塞の兵士のようだ。

「レオン司令からの伝言です。折り入ってお願いしたいことがあるので、明日にでも要塞に出向いてはいただけないでしょうか」
「お願いしたいこと?」
「はい。詳細は聞き及んでおりませんが、リンクス殿に開発していただきたい魔導器があるとのことです」
 翌日。僕はレオン司令から要請された通りに、サブナック要塞を訪れた。

 しかし少々早く着きすぎてしまったらしく、レオン司令はまだ要塞に戻ってきていないとのこと。

 そこで、ホタルに勧められて兵士用の食堂で昼食を取ることになった。

「あまり美味ではありませんが、空腹を満たせるだけの量はあると思います」

 ホタルはそう言って謙遜しているが、御馳走してもらえるだけでありがたいというものだ。

 メニューは定番の固いパンと、魚肉を入れた不透明なとろみのあるスープ。

 量の嵩増しのためか、大粒の豆が多めに入れられていて、汁物よりも煮物に近い印象を受ける。

「北部のヒオニ湖で捕れた魚です。ただ……あまり新鮮ではありませんね」
「塩漬け、かな」

 口に運ぶ前に、スプーンで魚肉をほぐしてみる。

 新鮮な魚を煮込んだという感じはしない。

 長期保存のため、しっかりと塩漬けにされているようだ。

「ヒオニ湖は人間の領域である平地と、魔獣の領域である森林の境界にまたがって広がっています。そのせいで、水棲の魔獣が沿岸の村の近くに現れて、しばらく漁ができなくなることがあるんです」
「だから塩漬けにして長持ちさせている、と」
「はい。ただ、塩もあまりたくさんは使えませんから、不漁が長引いくと痛み始めてしまって……いえ、これは大丈夫です、多分」

 ホタルは聞かれてもいないことに言い訳をしつつ、魚肉のひとかけらをスプーンですくって口に入れた。

 そして、何とも言えない微妙な表情を浮かべる。

「ギリギリだった?」
「……ギリギリでした」

 僕もスープを一口食べてみる。

 うん……食べられるかどうかで言えばギリギリセーフ……捨てるかどうか迷う一歩手前の塩漬けを、大急ぎでスープに仕立て上げたといった味わいだ。

 最前線の要塞ですらこの有り様なのだから、小さな集落の食糧事情が劣悪なのも当然としか言いようがない。

 この辺りの問題も、魔導器で何とかできないものだろうか。
 後でアイディアを練ってみるとしよう。

◇ ◇ ◇

 食事を終えて、ホタルに案内された先は会議室。
 普段から作戦会議に使われていそうな、本格的な作りの一室だった。

 そこで僕を待っていたのは、峻険な面持ちのレオン司令。

 司令の雰囲気を見る限り、一刻を争う緊急事態というわけではないらしかったが、気楽に聞いていられる用件でもなさそうだ。

「よく来てくれた。まずは我々が置かれている状況から説明させてもらおう」

 この率直すぎる話題の切り出し方。
 まさしくホタルの父親だと納得させられる。

「現在、我々はアルゴス山脈のコボルト……その一部族であるガル族との交易品の輸送任務に従事している。大森林を横断して武器と防具を運び、対価として魔石を持ち帰るという単純なものだが……少々厄介な問題が発生した」
「問題ですか?」
「そうだ。端的に言えば『百眼同盟』の妨害工作だ」
「百眼同盟……?」

 聞き慣れない単語に思わず首を傾げる。

 何のことだと尋ね返すより先に、ホタルがすかさず補足説明を入れてくれた。

「私達と敵対している亜人の総称です。より正確には、亜人達自身による自称ですね。アルゴス山脈に棲息する百以上の亜人の部族のうち、人類側と敵対する者達が結成した同盟……そう認識していただければ問題ありません。つまりは我々の敵です」

 頭にアイオニア王国の地図を思い浮かべる。

 アイオニア王国はほぼ内陸国だ。
 南西の方がちょっとだけ海に面しているので、厳密には内陸国の定義を満たしていないのだが、今はそんな細かい話はどうでもいい。

 東と南は人間が支配する文明国と隣接し、北はいわゆる蛮族の国と面している。

 そして、このマクリア地方伯領がある西部地方は、人間が暮らしている領域の西の果て。

 サブノック要塞よりも西には広大な森林地帯が広がり、それを東西に貫くようにアルゴス山脈がそびえ立ち、数え切れないくらいの亜人や魔獣の住処となっている。

 アルゴス山脈に棲息する亜人は人間に敵対的で、このサブノック要塞はそれらに対抗するために築かれた――これが僕の知りうる範囲の情報だ。

「なるほど……『人里の近くに棲んでるゴブリンが人間を襲う』みたいな、よくある亜人被害の延長線上かと思ってたけど、まさか同盟ときたか。想像以上に組織的な攻撃だったんだね」
「だからこそ、ここまで大規模な要塞が必要になったわけです。ちなみについ最近までは、アルゴス山脈の亜人の全てが百眼同盟の一員だと考えられていました。それが間違っていたと知ることができたのも、ガル族と接触で得られた成果の一つです」

 亜人は大陸中に分布しているが、アルゴス山脈は特にその密度が高い。

 他の地域では見られないような社会が発達していても、別におかしくはないだろう。

「それで、レオン司令。亜人勢力の妨害ということは、輸送部隊が攻撃を受けたということでしょうか」
「うむ。ただし今のところ、大きな人的被害は出ていない。奴らは物資を積載した馬車や荷車だけに狙いを定め、一撃離脱の奇襲を仕掛けてきている。兵士を殺すよりも、物資を破壊する方が最優先……明らかに統率された攻撃だ」

 輸送ルートは大森林の横断コース。
 当然ながら周囲は見通しの効かない森林で、しかも亜人の方には土地勘がある。

 ただでさえ、いつどこから襲撃があるのか分からない上に、いきなり襲いかかってきては物資を攻撃して逃げていく。

 なんて厄介この上ないやり口だろう。想像するだけで頭が痛くなってくる。

「……魔導器の開発を要請したいとのことでしたが、もしかして亜人を撃退する武器の開発を……?」
「いや、武器ではない。奴らはこちらが反撃を試みるよりも速く離脱することを徹底している。どんな武器があったとしても、使う前に逃げられたのでは意味がない」
「道理ですね。それでは、何を開発すれば?」
「新たな輸送手段を。可能な限りの速度を実現し、可能な限り移動時間を短縮できるものが必要だ」

 意外な要請だ……と思ったのは最初だけ。冷静に考えれば妥当な要求事項だ。

 輸送部隊の移動時間が短くなれば、必然的に敵が襲撃を仕掛けるチャンスも少なくなる。

 仮に襲撃されたとしても、速度に物を言わせて逃げ切ることだって可能だろう。

「なるほど、要望は分かりました。問題はどうやって実現するかですが」
「以前、空を飛ぶ魔導器は作れないと仰っていましたね。それは今でも……」
「変わってないね。色々と試行錯誤はしてるんだけど、まだ取っ掛かりも掴めてないんだ」

 前にもホタルに言った通り、空を飛ぶ魔導器は作りたくても作れない代物である。

 実現できれば最高の輸送手段になるが、今から完成を目指すのはいくらなんでも無謀というものだ。

「近くに川があれば船で運べるんだけどなぁ。いっそ整地の魔道具で運河でも切り開くか……いや、いくらなんでも時間もコストも掛かりすぎるし、どう考えても全力で妨害してくるに決まってる……やっぱり輸送部隊の移動速度そのものを高めるしか……」

 記憶の中から魔導器のアイディアを引っ張り出し、検討しては投げ捨てる。

 それを十回ほど繰り返したところで、一つの妙案が頭に浮かんだ。

 ああ、これならきっと上手くいく。

 もっと大胆に言い切ってしまえば――こいつはとっくの昔に成功した、いわば保証書付きのやり方なのだ。

「レオン司令。輸送ルートは『馬車が通れる程度』には整備されているんですよね」
「必要最低限の整地は済ませてある。街道とは比べ物にならん程度だがな」
「充分です。馬車が走れるなら問題ありません」

 森をかき分け、道なき道を進む必要があるのなら、さすがにお手上げだったかもしれない。

 だが、道があるなら話は別だ。
 それならいくらでもやりようがある。

「まずは機械に詳しい職人を手配してください。最低でも、水車小屋の歯車仕掛けを作れるくらいの技量が望ましいですね」
「承った。何をするつもりなのかは知らんが、その顔を見る限り、よほど自信があるようだな」
「任せてください。若気の至りにも使いようがあったみたいです」
 魔導師コハク・リンクスが、要塞司令官リョウブ・レオンからの魔導器開発要請を受けてから、およそ二週間。

 コハク・リンクスが研究開発に勤しむ一方その頃、要塞付近の街道を、三台の馬車が列を成して走っていた。

 このうち二台は兵士を乗せた護衛車両。
 列の前と後ろに位置取って、中央の三台目――精緻な装飾が施された貴族用の馬車を守っている。

 そして、厳重に護衛された貴族用の馬車の中には、二人の高貴な少女の姿があった。

 マクリア地方領主、ユキカ・アラヴァストス。
 宮廷伯ディアマンディ家令嬢、ルリ・ディアマンディ。

 二人の少女は同じ馬車に相乗りし、良く言えば雄大で牧歌的な、悪く言えば閑散とした辺境の平原の散策を楽しんでいた。

「人間世界の西の果て。魔導師が赴任を拒否する辺境中の辺境。中央ではそんな風に言われていますけど、仕事を忘れて静養する分には快適ですわね」
「ありがとうございます。だけど定住するとなると、苦労の方が大きくなってしまうんですけどね」

 ユキカは以前と変わることなく、自分の領地に対するネガティブな評価を、顔色一つ変えることなく平然と受け入れている。

 本音を隠し笑顔を取り繕っている、というわけでもない。

 むしろ心から同意しているようにも見えた。

「……わたくし、最初は社交辞令の類だと思っていましたわ」
「え、何のことですか?」
「領地を貶められても怒らない、それどころか同意すらしているでしょう。てっきり、わたくしに話を合わせているのだとばかり」
「もちろん本音ですよ。だって私、この領地のこと、嫌いですから」

 ユキカは満面の笑顔でそう言い切った。

「あっ、もちろん全部が嫌いってわけじゃないですよ。自然が綺麗だなって思うことはありますし、領民の人達は素朴で良い人ばかりですし」

 唖然とするルリに対して、ユキカは焦った様子もなく言葉を続けた。

「だけど、生活が不便なところは嫌いです。お店や娯楽がほとんどないのも嫌いです。美味しいケーキ屋さんがないのも嫌いです。嫌いな理由は数え切れないくらいにありますけど、一番の理由は……」

 一拍の間。そして、真剣な声。

「……領民の人達を幸せにできない土地だっていうことが、心の底から大嫌いです」
「ユキカ、貴女……」
「この土地には、足りないものが多すぎます。しかも足りないだけならまだしも、百眼同盟なんてものがあるせいで、なけなしの余裕も防衛に吸い上げられてしまう……そうしなければ何も守れない……」

 車窓の外を眺めるユキカの瞳は悲しげで、どこか遠くを見つめているようだった。

「もちろん、変えようと頑張りました。この土地の環境は嫌いでも、ここに済む人達のことは好きですから。だけど無理でした。どれだけ頑張っても、乾いた砂漠に水を撒くようなものだったんです」

 しかしその眼差しは、すぐに希望の色へと塗り替わる。

「コハク様と出会ったのは、私にできることをやり尽くして、領主として行き詰まりを感じ始めたときでした。そして思ったんです。誰にでも魔法が使える道具……魔導器こそ、私達を救ってくれる希望。これはきっと運命なんだって」
「運命ですか? わたくしの目には偶然の積み重ねのように見えますけれど」
「それを運命って言うんですよ」

 心の底から嬉しそうに笑うユキカ。

 全ては偶然の積み重ね――コハクが魔導器の研究を始めたのも、魔法省の大臣が左遷先としてマクリア地方を選んだのも、ユキカの苦境を救おうとしたからではない。

 赴任したコハクが魔導器を製造したのは自分の負担を減らすためで、そうせざるを得なかったのは前任の魔導師が行方を晦ましたから。

 一連の流れに関わる誰一人として、マクリア地方とユキカを救おうとは考えていなかったにもかかわらず、全てが絶妙に噛み合った結果、偶然にも救いの手となってユキカの前に差し出されたのだ。

 これを運命と言わずに何と言う。
 ユキカは言葉と眼差しの両方でそう断言していた。

「コハク様の研究が成就すればするほど、この土地に足りないものを補える……領民の人達の生活に余裕が生まれて、今よりもずっと幸せにしてあげられる……実際、あの方がほんの数日滞在しただけで、あのペトラ村がすっかり復興してしまったくらいですから」
「はぁ……やっと合点がいきましたわ。どうして貴女が魔導器を受け入れたのか。ただの友人としては喜ばしいことですが、魔導師としては忸怩(じくじ)たる思いですわね」

 ルリは短く溜息を吐いた。

「それにしても、貴女の責任感には感服しますわ。先祖代々の領地とはいえ、並の人間ならとうの昔に諦めていてもおかしくないでしょうに」
「あ、実はですね……この土地、先祖代々の領地というわけではないんです」
「……はい?」

 余計に困惑を深めるルリに、ユキカは笑いながら自分の事情を説明した。

「元々、マクリア地方はゼフィロス家の親戚が治めていたんです。だけど先代領主が跡継ぎを決めずに亡くなって、こんな辺境を誰に引き継がせるのかっていう押し付け合いが始まって……巡り巡って、ほとんど他人みたいな遠縁の私にお鉢が回ってきたんです」
「ゼフィロス家……四大貴族のゼフィロス公ですか!? それはまた……大変なところから押し付けられてしまったものですわね……」
「とんだ貧乏くじですよね。お父様ったら、下級貴族の我が家から地方伯が! なんて大騒ぎしてましたけど、私の気苦労も少しは考えてほしいものです」

 このアイオニア王国の貴族制度は、大きく分けて三つのグレードに分かれている。

 まず一つ目は、単に『伯』あるいは『諸伯』とだけ呼ばれる下級貴族。
 領地は狭く、権力も弱く、国王や上位の貴族の下請けとして、限られた範囲を代理統治しているという意味合いが強い。

 二つ目は『伯』の前に何らかの装飾語がつく上級貴族。
 重要な軍事拠点とその周辺を治める『城塞伯』や、領地内に大都市を抱えた『都市伯』の他、領地を持たず王宮で政治に携わる『宮廷伯』などが存在する。

 ユキカの肩書である『地方伯』は、上級貴族における序列第一位の『宮廷伯』に次ぐ第二位の格が与えられている。

 ……ただし、これはあくまで社会的な格付けの話であり、領地が豊かであるかどうかは別問題。

 小国並の経済力を持つ地方伯もいれば、ユキカのように苦労を重ねる地方伯もいる。

 そして三つ目は、国王に次ぐ権勢を誇る最上級貴族、いわゆる四大貴族である。

 王国の東西南北にそれぞれ広大な領地を有し、他の貴族には許されない『公』の敬称で呼ばれる四つの一族。

 下級貴族にとっては文字通り雲の上の存在。

 これほど地位の高い人物から領地を任せたいと言われて、断れる下級貴族などまずいないだろう――それがたとえ、我が子を生贄に差し出すようなものだったとしても。

「北方支配のヴォーリオス公と比べれば、西方支配のゼフィロス公は穏健派だと聞きますわね」
「穏健派というより無関心なんですよ。口出しはしない代わりに手も貸さない、なんて言って、援助のひとつもしてくださらないんです。まぁそのお陰で、コハク様の研究を全力で支援できるんですけど」

 ユキカは拗ねたように唇を尖らせた。

「そうだ! せっかくですから、サブノック要塞に立ち寄って、コハク様の仕事ぶりを見学していきません?」
「ど、どうしてそうなるんですの!?」
「ルリも気になりませんか? コハク様が次にどんなものを作るのか! 確か今は、レオン司令の要請で……」

 二人を乗せた馬車は、閑散とした丘陵地帯をゆっくりと進んでいく。

 周囲に人里はなく、馬車の車輪の音だけが響いている……はずだったのだが。

「あら? ユキカ、何か聞こえませんこと?」
「え? そういえば……うっすらと、聞こえなくもないような……他の馬車でしょうか」
「それにしては速すぎます。馬車だとしたら、明らかに暴走していますわ」

 どんどん大きくなっていく異音。

 ルリとユキカが音の聞こえる方の窓に体を寄せ、外の様子を伺おうとした次の瞬間、大きな影が丘の頂上から勢いよく空中に飛び出した。

 二人の馬車の上を飛び越えていく謎の影。

 まるで、馬が繋がれていない馬車のような形。

 普通なら走るはずなどない代物が、とんでもない速度で丘の頂上から離陸して、街道を挟んだ反対側に墜落――否、着地する。

 バラバラになってもおかしくない勢いの着地だったが、墜落寸前で風属性の魔法が発動して空気のクッションを生成し、破壊的な落下を未然に防いでいた。

「なななな、何が起きたんです!?」
「まさか……!」

 唖然とするユキカを車内に残し、ルリは自分達の馬車を飛び出して、正体不明の馬なし馬車に駆け寄った。

 馬なし馬車の扉が開き、乗員がフラフラと外に出る。

「あー……酷い目に遭った……」
「やっぱり! コハクさんでしたのね!」

 それはまさしく魔導師コハクだった。

 御者席には獣人のクレナイの姿があり、憔悴したコハクとは正反対に、何やら恍惚とした顔で笑っている。

「はあぁ……! 最っ高ですね、これ! 気分爽快です……!」
「……一緒に空飛んだときも思ったけど……君さ、危険な乗り物ほど好きだったりしないか?」

 少し遅れて、我に返ったユキカと護衛の兵士も追いついてくる。

「コハク様!? 一体何が……!」
「おっと。奇遇ですね、マクリア伯」

 すぐさま襟を正すコハク。

「実は、レオン司令から依頼された魔導器のテスト走行をしているところなんです。だけどクレナイに最高速度を試してもらっていたら、うっかり限界を越えてしまいまして」
「魔導器? まさか、これは……あの資料にもあった……」

 驚きから一転。ユキカの表情が輝く。

「自動車ですね! 凄い、凄いです! あんなに速く走れるなんて!」

 掛け値なしの称賛を受けて、照れ笑いを浮かべるコハク。

 その後ろで、ルリは溜息を吐いて首を横に振っていた。
 僕がレオン司令に提示した解決案――それは『自動車』だった。

 百眼同盟による輸送部隊への妨害を回避する手段。
 条件は陸路であること。そして、移動時間の短縮による回避であること。

 レオン司令の要求仕様を満たすためには、陸上を高速で移動する乗り物を作るしかなかった。

 普通に考えれば無理難題。
 僕以外なら完全にお手上げだったかもしれない。

 だけど、僕は最初から答えを得ていた。

 学生時代に打ち込んだ趣味。
 馬が繋がれていない馬車を魔法で走らせる陸上競技。

 これを魔導器に落とし込んでやれば、馬車よりも遥かに速く荷物を運ぶことができるようになるはずだ。

 僕はそう考えて、実車での走行テストにたどり着けたのだが――

「呆れましたわ。まさかまた自動車に手を出すなんて。一体どれだけ好きだったんですの」
「他に手段がなかったんだよ。趣味を優先したとか、そういうのじゃないから。本当に」

 ルリがジトっととした目で僕を見ている。
 多分、学生時代に揉めまくったことを思い出しているんだろう。

 加熱するスピード比べが原因の事故。
 いつしか始まった賞金とギャンブル絡みの金銭トラブル。

 当時を知るルリにしてみれば、魔導アカデミー時代の厄介な思い出の一つに違いない。

 けれど、いや、だからこそ。
 僕は自動車(これ)なら百眼同盟の妨害に対抗できると確信していた。

「馬車が使える道なら問題なく走れて、なおかつ速度は馬車以上! 魔石が枯れるまでトップスピードを維持できる! これなら多少の妨害なんか振り切れるさ!」
「はぁ……リョウブ・レオン卿が構わないというなら、わたくしが口出しすることではありませんわね。ところで、一体どのような魔法で走らせているのですか? 風魔法で? それとも車輪を直接操って?」
「どっちも学生時代に試したけど、あまり魔力の効率が良くなかったんだよ。だから、この原理で走らせてる」

 僕は車内から筒状の魔導器を取り出してみせた。

 水筒くらいの大きさで、筒の中を上下に動く蓋がついた中空構造。

 要するに、いわゆるピストンという奴だ。

「蓋を筒の底まで押し込んでから、中に魔力を注ぎ込んで、小さな爆発を起こすと……!」

 ポンッ! と音が鳴って、蓋が筒の端まで押し上げられる。

「……それが何か?」
「こいつを使って車輪を回すんだよ。粉挽き小屋の水車の仕組みは知ってるだろ?」
「いえ、よく知りませんけど」

 しまった。ルリは貴族な上に根っからの魔導師だった。
 田舎の人間が使う魔法の代用品の仕組みなんて、知ってる方がおかしい。

 だけどまぁ、頭のいいルリのことだ。
 簡単に説明すればすぐに理解してくれるはずだろう。

「川の流れを水車で受け止めて、内部の歯車を回転させるっていうのは分かるよな。この回転をそのまま使って石臼を回すタイプと、歯車なんかを駆使して回転運動を縦の上下運動に変換、自動的に杵を動かすタイプがあるんだけど、今回使ったのは後者の仕組みだ」
「回転運動を上下運動に……ああ、なるほど」

 ルリはさっそく合点がいったようだった。

「その仕組みを逆に動かせば、上下や前後の動きを回転運動に変換できますわね。その筒の中で魔力を爆発させれば、蓋が上下に動く。この動きを歯車仕掛けに伝えて回転運動に変換すれば、車輪を回転させることができる……理屈は通っていますわ」
「風を操るよりも小規模な爆発を起こす方が簡単だからね。火球魔法はどこの流派でも基本中の基本だ。当然、魔導器で再現するのも楽だったよ。比較的に、だけど」

 レオン司令にお願いして、歯車仕掛けの機械に強い技術者を紹介してもらったのも、これが理由だ。

 僕も色々な魔導器を自作してきたけれど、機械技師としてはさすがにアマチュアの域を出ない。

 これほど複雑な仕組みを作るためには、専門家の助けが必要だった。

 自分だけで全部作ろう! なんてことは最初から考えちゃいない。

 コハク・リンクスという男の能力を、この世で最も信頼していないのは、他でもない僕自身なのだから。

「まぁ、いいでしょう。ユキカとレオン司令が納得なさったのでしたら、わたくしが口を挟む余地などありませんわ。ちなみに、乗り心地はどうなんですの?」
「拷問」
「真顔で即答しないでくださいまし」

 そんなこと言われたって。

 こいつに使われている動力技術は、およそ前例と呼べるものがない代物なのだ。

 まずはちゃんと輸送できるかどうかが最優先。
 今のところ、乗り心地は二の次にせざるを得ない。

 前々から構想や設計を考えていたとはいえ、半月やそこらでテスト走行ができただけでも運が良かった。

「速さも乗り心地も、基本的には馬車と同じだよ。生き物に頼ってる馬車と違って、全速力を長時間維持しやすいから、総合的には移動時間を短縮できるっていうだけさ。でもそんな速度で荒れた道を走ったらどうなるか、簡単に想像できるだろ?」
「説明されるまでもありませんわ。本当に大丈夫なんですの、それ」
「レオン司令は『軍用だから快適性は求めない』ってさ。常時全速力で走るわけじゃないんだし、危なそうなときだけ我慢すればいいって判断なんじゃないかな。試しに乗ってみる?」
「断固としてお断りします!」

 にべもなく断られてしまった。

 いやまぁ、僕もルリの立場なら断固拒否しているんだろうけど。

「でも、マクリア伯は興味津々みたいだぞ」
「えっ? あっ! 何をしているんですの、ユキカ! クレナイさんもお止めなさい!」

 僕とルリが話し込んでいる間に、マクリア伯は目を輝かせて馬なし馬車――自動車の運転席に乗り込んで、クレナイから動かし方のレクチャーを受けていた。

 私も運転してみたいだとか、絶対にお止めなさいだとか、押し問答が繰り返された末にマクリア伯の方が根負けして、露骨に渋々といった様子で車から降りてくる。

「まったく……ユキカの好奇心には参りますわ。コハクさんからも強く言ってやってくださいませ」
「無茶言うなよ。領主相手にどうしろって?」
「わたくしと同じように接すればいいでしょう」
「それはルリが特別だからだよ。他の貴族相手にできるわけないだろ」

 僕がルリ相手に気安く接することができるのは、本人がそうするように言っていたのと、魔導アカデミーの同期の間柄だからだ。

 マクリア伯はここの領主で、僕にとっては資金提供者にして後ろ盾。
 いくらなんでも力関係に差がありすぎる。

 ルリもそのことを思い出したのか、唇を尖らせてそっぽを向いてしまった。