場所は王宮・謁見の間。
 沢山の貴族たちが参列するその場所で、父王《ふおう》から突然言われた言葉に思わず耳を疑った。

「お前には失望したぞ。まさかあの様な場で偽りを述べ、自らの婚約者を陥れようとするとはな」
「……は?」

 何を言ってるんだ、この人は。
 正直言って、そう思った。
 

 俺は先日、沢山の者が集まっているパーティーで婚約者の悪行を暴露した。

 やらかしたのは、国を裏切る大罪だった。
 だから「王太子の妻としてふさわしくない」として、婚約破棄も視野に入れるとその場で言った。

 事実として、勿論そうする気でもいた。
 だから今日ここに呼ばれた時、その話をしようと思って――否、その話が出来ると思って気を引き締めて足を運んだというのに、失望とは何だそれは。

 もうビックリも通り越して啞然である。


 そもそも俺は、自分の婚約者が金遣いの荒いヤツだという事には前々から気付いていた。
 それが更に酷くなったのが、婚約して以降の事だ。

 最初の内はドレスや宝石などの度重なる催促にもまだ耐えていたが、魔の手が遂に予算外の国庫にまで及んだと気付いたのが、一か月前。
 調べて見ると半年も前から少しずつ着服していたらしく、日を追う毎にその頻度や一度に引き出す相当額も増えていた。

「彼女の金の使い込みは事実です!」
「バレリーノはあくまでもまだ婚約者、彼女に国庫をどうにかする権限は無い」
「だからこそ問題なのではないですかっ!」

 権限が無いのに実際には引き出されていた。
 それが示す事実は一つ、王宮内のどこかに甘い汁を吸っている人間が他にも存在する事である。


 俺はソレを独自に調査し、掴んだ証拠を前に一度父に渡して厳正なる調査と措置を願い出た事がある。
 がその時は、重い腰を決して上げてはくれなかった。

 ただ、握りつぶしたのではなく、話題を逸らされナァナァにされたという感じだった。
 だから俺は、そこに活路を見出し賭けたのだ。

 俺が動けば、それに続いてくれるだろうと。


 しかし、賭けとは言っても信じていた。

 父はとっても忙しい。
 だから親子としての時間など、それほど多くは取れなかったが、それでもたまに取れたその時間は、俺に「父は国を愛し未来を憂いている人だ」と信じさせてくれるものだったから。

 だからきっと、ここまで事が大きくなれば流石の父も重い腰を上げざるを得ないだろうと踏んでいた。
 もしかしたら騒動を起こした事に関しての責任を取らされるかもしれないが、俺の謹慎程度で国の病魔を取り除けるんなら安いと思ってもいた。
 それなのに。

「陛下! 確かにバレリーノの家は貴族界に多大な影響力を持つ家です! しかしこれは、だからと言って見過ごして良いレベルの事ではありません!」

 どうかご再考くださいと、俺は言った。
 
 父もきっと、できるだけ事を荒立てたくないのだろう。
 それは分かる。
 が、それではダメなのだ。
 国庫が完全に食いつぶされてしまってからでは、もう全てが遅いのだ。

 それくらい、分からない父ではない筈だった。
 それなのに。

「その様な事実は存在しない」

 そんな風に突っぱねられる。
 表情からは感情が全く読めない。

 為政者の冷たい瞳だ。
 そこに親子の情は無い。
 それをつい先程までは「決して公私混同などしない」と誇らしくさえ思っていたのに、信じていた父が幻想だったと知った今はそれがただただ悲しく思えた。

 そして同時に、自分の詰めを後悔した。

「……それはきちんと調べての事ですか」

 裏切られた悲しみの中、それでもほんの一滴だけ残っていた父への信頼を絞り出して聞いたのがソレだった。
 しかし現実はどこまでも俺に冷酷で。

「お前は私の采配を疑うのか」

 目の前の父は、威圧的に聞き返してくる。


 結局俺は、父を無条件に信じすぎたのだ。

 少なくとも父に最初に直談判しに行った時、俺は直接『決定的な証拠』ちゃんと手渡していた。
 それに父が目を通した事もきちんと、俺はこの目でちゃんと見てる。
 なのに彼は「不正の事実は無い」と言った。
 それこそが、彼の意思表示だった。


 俺はゆっくり息を吸う。
 既に未来が閉じたと知って、自分に引導を渡すための一種の確認作業の為に最後に一つ、短く尋ねる。

「――陛下、本当にそれでよろしいのですね?」

 最後にそう、父に訪ねた。
 すると父は、無表情のまま「意味が分からん」と応じてくる。
 

 それを聞いて、ゆっくりと目を閉じて。

「ならばもう、私が陛下にお話するべき事はありません」

 俺は彼に静かに告げた。



 今まで胸に秘めていた「王太子として国のために必ず良き王になってやろう」という気概は、そっくり冷めて消えてしまった。
 そんな俺に、王が沙汰を下す言葉を重ねる。

「多くの貴族の前で虚偽の発言をして混乱を招き、バレリーノを貶めようとした罪により、アルドの王位継承権を剥奪。今後は第二王子のグリントを王太子とする。またアルドには伯爵家への臣籍降下と、一年間の社交界への出入り禁止を申し渡す」

 臣籍降下をした上での、一年間に及ぶ社交界への出入り禁止。
 かなり重い措置である。

 しかしバレリーノは公爵家令嬢。
 その名誉を毀損した罪となれば、本来ならば国外追放になってもおかしくはない筈だった。


 そうならなかった事実の裏に、俺は王の「最低限の生活水準は保証してやる」という温情を感じ取った。
 しかし、そんなものは要らない。
 むしろ自分で俺を突っぱねておいてせめてもの罪滅ぼしをしようなんて、そんな恩の押し売りは御免である。

 ついでに言えば、臣下という立場になって一生この国に飼殺されるのも、ふざけんなという話だった。
 だから俺は提案したのだ。

「――恐れながら陛下、私を罪に問うのでしたらいっその事『ただの平民』にしていただきたい」

 と。

 その申し出に、周りが空気ごとザワリと揺れた。



 俺のこの提案に、周りが驚くのも無理はない。
 だって、せっかく罪を軽く見積もってやると言われているのにわざわざ自分から重い措置を望んだのだ。
 普通ならば、絶対にあり得ない事だろう。


 しかし俺は、もう王太子や王族という地位どころかこの国そのものに未練を全く感じていない。
 多分国民への思いはちゃんとあるが、俺が伯爵位に落ちて出来る事など高が知れてるし、策謀などの暗躍事はそもそも得意なんかじゃない。

 ならば俺が出来る事如きは他の伯爵に任せてしまって、むしろすべての柵《しがらみ》を一掃し外国で平民として暮らした方が余程気持ちが良いだろう。
 せっかく国と縁を切る機会を得たのだから、この底が抜けた泥船からは逃げてしまおうではないか。


 そう思えば、話は早い。

「これはお前の為を思っての特例だぞ……?」
「いいえ陛下、真に私の事を思ってくださるのならば、どうか厳正なる措置をお取りください」 

 善は急げ。
 そう思って、軽くなった頭を下げて俺は国王にそう乞うた。

 そしてその結果。

「……良いだろう」

 この一言で、無事に願いは叶えられた。


 ***


 自ら追放される許可を得た俺は部屋に戻ると、早々に出立の準備を開始した。
 クローゼットの奥に隠していたカバンを引っ張り出して、最低限必要になる物だけをカバンの中に詰めていく。

 詰めるカバンは、王族が持つには相応しくない粗悪な皮のカバンだった。
 以前「機会があれば、お忍びで城下に下りたい」と思った時に、とある秘密ルートから手に入れたものである。

 その他にも同じ用途の為にずっと前に用意していた服や小さなナイフなど、旅に必要なものはそれなりにある。
 ちょっと足りないものもあるが、それについては途中で買っていけばいい。
 王が用意するだろう馬車の御者も、ちょっと買い物をするくらいなら寄り道してくれるだろう。

 そんな風に思ったところで、開けたままだった筈のドアのノック音が聞こえてきた。
 思わず手を止めて振り返れば、見知った者の姿があった。

「グリント」
「もうお前は王太子でもなければ貴族でもない! そんな奴に僕の名を呼び捨てにして欲しくはないな!」

 ドアに持たれて腕を胸の前で組んだ弟が、人を蔑む笑みを浮かべてそう言った。
 彼は俺の異母兄弟で、ずっと仲は良くなかった。
 いつもどうやってマウントを取ろうかと考えている節さえあるようなヤツで、俺は仲良くしたかったのだが相手が俺にライバル意識を燃やしていたから上手くいく筈が無かった。

 その関係も今日を持って切れると思うと、どうにも清々しい気持ちで一杯だ。
 父にはもう愛想が尽きたし、血の繋がった母は既に他界している。
 義母に関しては顔を合わせようともしない人だったから、どんな顔をしてたかも今となってはうろ覚えだ。

「で? その『もう何でも無い俺』に一体何の用なんだ?」

 荷造りの手を再び動かし始めながらそう尋ねれば、俺の問いに彼は愉しそうに笑った。

「いえね? これから僕はこの国の為に、様々な改革案を実行していかなければなりません。もうこの部屋は誰の使う事は無いでしょう? だからここの物を軍資金代わりにしようと思って」

 国の資産は一円たりとも無駄になど出来ません。
 そう言った彼に、俺は「なるほど」と独り言ちる。

 つまりコイツは、俺が国の金で買ったものを何一つ持ち出す事が無いように釘を刺しに来たのだろう。
 しかし俺には、国の金で買ったものを持ち出す気など元々皆無だ。

 というのも、実は俺、前にひょんな事から稼いだ金が結構あるからその辺の物を持っていく必要はない。
 今後は当分それを使って生活するつもりである。


 だからもしかしたら俺への意地悪も兼ねていたのかもしれないが、正直言って痛くも痒くも無い状態だ。
 返事だって「あぁうん、分かってる」と平然と出来てしまったので、おそらくそれが不服だったのだろう。
 グリントが不機嫌そうに舌打ちをして、しかしすぐにフンッと笑う。

「自分の事を『俺』だなんて、なんて乱暴な……もう平民になる練習ですか?」
「え? あぁいや、これが俺の素なんだよ」

 流石に体裁が悪いので王子としての場では必ず自分の事を「私」と呼んでたが、割と近しい間柄の人相手にはずっと一人称は俺で通してきている。
 よくよく考えればグリントと会う時はいつも公の場だったのでずっと「私」呼びだった気もするが、正直言ってあまり良く覚えていない。


 でもまぁ呼び名にしろ何にしろ、思えば今まで割と無理して『王太子』をやってきたような気がする。
 そもそも策謀を巡らせたりするのが苦手という時点で、性格からして王には向いていないだろう。
 
 しかしそれもこれも廃嫡されて解放されて、そこで初めて気付いた事だ。
 そう思えばあの地位に就いてしまう前にその事に気付けて幸運だったのかもしれない。


 さぁところで、これから何をして暮らそうか。 
 当面のお金の心配はしなくていいとしても、いつかは底をつくわけで。
 そうなる前に食い扶持なり住む場所なりを探さないといけないんだけど――あぁそうだ。

 実は今まで、ずっとやりたかったけど時間と立場が許さなくて我慢してきた事がある。
 これを機に、それにチャレンジしてみるのはどうだろう。

 どうせ時間はたっぷりあるのだ。
 何に急かされるでもない一人きりの生活だ、ゆっくり気ままにやれば良い。
 うん、そうしよう。

 
 とりあえずの目的地は……隣国・ノーラリアはどうだろう。

 あそこは人族以外の種族も住んでいる場所だ。
 この国は他種族の入国を禁止してたけどこの制度には元々思う所があったし、前に公務で行った時に「今度はお忍びで城下に下りてみたいなぁ」とも思ってた。
 今はもう忍ぶ必要は無くなったんだし、よしあそこに行ってみよう。

 そんな風に、俺の予定は決まっていく。


 廃嫡さればかりの元王太子だというのにこんなにもウキウキしてしまって、ちょっと不謹慎かもしれない。
 
 だけどいつまでもクヨクヨしてるのは性に合わないし、折角だから新たな門出の良い部分を見ていたい。
 そう思うのはダメだろうか。
 ……なんて事をもし友人に零したら、多分「お前、変なところで真面目だよな」とか言われるに違いない。
 
 心の中で「別にお前の好きに生きたらいいだろうがよ」と不器用に俺を激励してくるその友人に笑いつつ、俺は着々と荷造りを進めていく。


 弟の嫌味はどこ吹く風だ。
 どうせもうここから去るし、むしろこれで聞き納めだと思えば作業中のBGM代わりくらいにはなる。

「では、それが終わったらすぐに出て行ってくださいね。貴方はもう平民なんですから。――あぁそうだ」

 ひとしきりの嫌味を言って満足したのか、彼はやっと帰ろうとして最後に一言こう言った。

「城から馬車など出しませんから、国外追放は歩いてでもされてください」

 そう言って去っていく彼の背中を、思わず俺は目で追った。
 

 足《移動手段》を取り上げるくらいには、どうやら俺が嫌いらしい。
 まぁ金はあるんだし、自分で馬車を調達すればいいだけだから良いんだけど……。

「曲がりなりにも犯罪者を、野放し同然に放逐して大丈夫なのか?」

 思わずそう呟いてしまったのは、誰にも聞かれる事は無かった。




 部屋から王城の出入り口までは、案内という名の監視が着いた。
 しかしそれも門を出た所で無くなった。
 

 やっと自由の身になれた。
 今までの柵から解放された様な気分になって、その場でうーんと伸びをする。

 空が青い。
 新たな門出としては、これ以上に良い日和も無いだろう。

「……さぁ、行くか」

 目指すは隣国・ノーラリア。
 その為にはまず足をどこかで確保して――。
 
「アルドっ!」

 後ろから声が掛かり、苦笑しながら振り返る。
 

 幼い頃から慣れ親しんだ声である。
 誰かなんて、見なくてもすぐに分かってしまう。

「こんな場所で今の俺に声をかけるなんて、お前にしては軽率だな? シン」
「だってここで呼び止めないと、次にどこで捕まえられるか分かったもんじゃないだろうが」

 俺の事なんて全てお見通しの彼が、呆れ混じりにそう言った。

 こげ茶の髪に青の瞳をした彼は、俺の乳兄弟で数少ない友人だ。
 俺が自分の事を『俺』と呼んだりする事も、素の話し方が全く王子然としてない事も、多分コイツのせいである。

 職性も見た目もスタンダードな文官タイプ。
 そのくせに口が悪いんだ、コイツ。

 しかし仕事には真面目なやつだ。
 この時間にこんな所をほっつき歩いている筈が無い。
 多分どこかで「俺がもう出ていくらしい」という話をどっかで小耳に挟んだのだろう。
 
「見送りか? 駆けつけてきてくれたのが女の子だったら絵になったのに」
「てめぇ、俺に、内緒で、大事、やらかしやがって……コノヤロウ」
 
 軽口を叩いたら、それを叩き落とすかのような睨みが刺さる。

 運動不足の文官のくせに全力疾走してきたんだろう。
 肩で息をするシンに、新鮮で珍しい。
 それがちょっと擽ったくて、思わず俺は笑ってしまう。


 彼は俺を『王太子』なんてものを抜きにして見てくれる、数少ない人間だ。
 だからこそ俺が内緒で事を起こした事に怒ってるんだろうけど。

「いやまぁお前を巻き込むのはなぁ」

 嫌だったんだよ。
 そう言って笑ったら、シンが苦い顔になる。

「だからそれが水臭いって言ってるんだよ。しかも結局最悪の事態になってるじゃねぇか」
「お前も知ってるだろ? 俺は策略とかには向いてない」
「あぁ知ってるさ。お前はお人好し過ぎる。元々が裏工作を誰かを騙したり悪だくみしてるみたいで好かないからそういうのに消極的で、結局手際が悪くなる。その為の俺だろうが」

 そう言われて、俺は返す言葉が無い。
 確かに裏工作に負い目があるのも手際が悪いのも自覚はあった。

「今回は流石に博打すぎだった。他貴族への影響力を買われて婚約者に抜擢されたバレリーノとバカ正直なお前じゃぁ、最初っから勝負にならない」
「俺が信じたのは自分の能力じゃなかったんだよ」
「じゃぁ何」
「国王陛下」

 俺は敢えて、あの人をもう『父親』とは呼ばなかった。

 もうその縁は切ってきた。
 口には出して言わなかったが、俺の手を払ったあの時からもう俺に『父』は居ない。


 肉親を心から切り捨てた事をシンは感じ取ったのか、「はぁ」とため息を吐いた。
 そんな彼に、俺は真面目にこう告げる。

「俺が勝手に陛下を信じて自滅したってだけの話だ。最初からお前を巻き込むのは無しだった。それはお前が役者不足とかじゃなくて、仕事が出来るヤツだからだ。このまま行けば出世できる。間違いない」
「……何だどうした、いつもは絶対にそんな事言わないくせに」
 
 俺の褒め言葉を前に照れてるのか、気まずいのか。
 フンッと鼻を鳴らしたシンに、俺は「まぁ、言える内に言っとかなきゃな」と言って笑う。


 これから俺は国を出る。
 この先何が起きるのかも分からないし、この国に再び戻るつもりも無い。

 今生の別れになるかもしれない。
 それなら多分今の内に言いたい事を言っとかないと、後で絶対に後悔する。

 なんて事を、心の中で呟いた時である。

「どうせ『コレが最後かもしれないし』とか思ってるんだろうけどな」

 シンはやはり、俺の心が読めるらしい。
 
 ピンポイントで言い当てた彼にちょっと驚いていると、不服そうな声色で「一体何年お前と一緒に居ると思ってる」と言われた。

 確かにその通りだった。
 物心付いた時から本当の兄弟よりも余程兄弟らしく育った相手だ、思考を読まれるなんて事も、今に始まった事じゃない。

「例えどこに住むか分からなくたって、俺はここに居続けるんだ。手紙くらいは出せるだろうが」
「えっ」
「……何だよ何か文句があるのか」

 思わぬ事を言われて思わず声を上げたら、シンの片眉がツンと跳ね上がる。
 慌てて「いや、そういう訳じゃないけどさ」と取り繕えば、シンは「それで良いんだよ」と言わんばかりにそっぽを向いて頷いた。

 しかし俺にとっての手紙とは、ずっと『社交相手に媚を売るためのもの』だった。
 だからどうしても、それを彼に送る事に違和感しかなかったのだが。

「旅に出るなら手紙を書くは、至極当たり前な事だぞ?」
「そうなのか?」
「そうなんだよ」

 そうなのか。
 このやり取りでやっと思考をそこに着地させて、しかしすぐに懸念が生まれる。

 ――罪人扱いの俺が手紙を出してしまって、迷惑を掛けたりしないだろうか。

「たとえお前にどんな噂があったとしても、使用人も含めて誰一人として我が家にお前を悪く言うヤツは居ない。それに万が一周りに手紙のやり取りがバレたとしても、真正面から何か言えるようなヤツは居ないさ」

 バレリーノのところと並ぶ影響力を持つ公爵家の次期当主を侮るな。
 つべこべ言わずに手紙をよこせ。

 そう言ってきたシンに俺は、思わずポロリと本音を溢す。

「お前、運動神経は壊滅的なくせに、そういう所はかっこいいよな」
「それは喧嘩売ってるって事で良いんだな?」
「違う違う。アー、コンナ友人ヲ持ッタ俺ハ、ナンテ幸セ者ナンダー」
「……思いっきり棒読みじゃねぇかアホタレ」

 俺の脳天に、ズビシと手刀が突き刺さった。
 

 これを断ったら出発させてくれない気がするので、結局手紙は了承した。
 確かに俺は、今日を持って『王太子』としての柵から解放されるが、俺として持っていたものまで全て捨ててしまうつもりは無い。
 シンが良いと言うならば、こちらとしても俺史上最も気心の知れた友人との関係を切りたいとは思わなかった。

「じゃ、あっちに着いたらとりあえず一通書くよ」
「書いたら返信が来るまで動くんじゃねぇぞ? じゃないと俺の手紙が届かなくなる」
「あぁ分かってる」

 俺がそう返事をした所で、俺達の間の会話が途切れた。

 多分、言いたい事は一通り言ったということなのだろう。
 そしてそれは、俺も同じだ。


 彼からクルリと踵を返し、俺は軽い口調で挨拶をする。

「じゃぁちょっと行ってくるわ」
「おう」

 帰ってきたのはたった二文字。
 俺より余程お手軽だ。

 しかしそれは「コレで縁を切るわけじゃない」という互いの無言の意思表示だった。